- 午後二時、干された布団を裏返すためにベランダに出る。快晴と言って良いだろう、柔らかな青空の昼下がり。雲は淡い断片が西の方にいくつか集って水面[みなも]の波紋めいており、直上にはいくらかまとまった量のものも浮いていたが、それも厚みや弾力を欠いて気体らしく、いずれ宙空に粒子として零れ消散していきそうな弱い質感である。運動会でも催しているのか、どどん、どどん、どどんという太鼓の連打の響きがどこからか伝わってきた。
- 一年前の一〇月二日の日記に、もう二週間ほど精神安定剤を服用しておらず、「パニック障害や、それの圏域にある神経症的性向とも長年の付き合いだったが、もう完治したと言ってしまって良いのだろう」と気楽に綴っている。それから三か月ののちには変調が始まり、その後人生全体でも二度目となるどん底を体験するとはまったく予期していなかった。精神疾患とはままならないものである。
- 前日からCharles Lloydの作品をBGMとして順番に流しているが、ことごとく良質で、いずれじっと耳を傾けて聞こうという気持ちにさせられる。どれも良いが、特に『Hyperion With Higgins』『The Water Is Wide』あたりが気になる(この二作品はどちらも一九九九年一二月の同じ録音の時の音源で、ドラマーBilly Higginsの最晩年の録音の一つである)。
- 夕食に、雑多な野菜やキノコ(エノキダケにエリンギ)の入った汁物を拵える。ほか、人参を合わせた切り干し大根に、小松菜とエリンギの和え物。
- 夕食の支度ののち六時頃、何となく外出したいような欲求を感じないでもなかった。母親が六時半頃にクリーニング店に行くと言っていたので、それに同行してどこか適当な場所で下ろしてもらい、三〇分かそこら歩いて来ようかとも考えたのだが、決心が付かないうちにクリーニング店には結局父親が行ってきたようで、階段口に掛けられたたくさんのワイシャツを下階に運んだあと、まあ良いかという感じで外出は取り止めた。
- 夕食時、テレビには物真似コンテストのような番組が掛かっている。ものを口に運びながら瞥見するが、全然面白くない。両親がそれを見ながら似てるだの似ていないだのと口にするのすら煩わしいようで、このようなくだらない時空からは早急におさらばしようと、言葉を一言も発さずに黙々と食事を取り、さっさと風呂に行った。
- (……)さんの小説、『四つのルパン、あるいは四つ目の』を読了したので、その感想めいた小文を綴る。六時半からの一時間および九時過ぎから零時半前までの時間はそれに費やすこととなった。量も内容も大したことのない文章なのに、合わせて四時間も掛けてしまったことになる。思考を綴るのが以前よりも明らかに不得手になっている。頭のなかに浮かぶ考えが、ぼろぼろと虫に食われたように断片的で、隙間の空いた[﹅6]ものになっており、脳内で論理をうまく繋げることができないのだ。