- 一〇時台、ジャージの上着を羽織って外に出る。母親によると隣家の(……)さんから高いところの柿を採ってくれと頼まれたらしく、彼女がデイケアに出かけているあいだにそれを済ませてしまおうとの算段だった。自宅の南側に回って隣家の敷地に踏み入り、雑多な道具類の置かれたスペースから高枝鋏を借りる。件の柿の木は、数か月前まで(……)さん夫妻の住んでいた、(……)さん所有の小家の角のあたりにあった。そのすぐ足もとから斜面が始まっており、高枝鋏を伸ばして柿の実を切り取っても、落下したそれが斜面のあちこちに転がって、母親がそれらをいちいち拾いに行かなくてはならなかった。陽が出ているあいだはなかなか暑いが、雲は薄くはありながらも多く湧いて朦々と空を満たしており、空気の陰る時間のほうが多かったのではないか。柿の採集を終えると、今度は自宅の斜め向かいの敷地に移り、そこの隅に蔓延ったアサガオを、それが強く巻き付いているネットごと地面から引っこ抜き、引きずるようにして林の縁に捨てた。そうして屋内に戻ると、花粉のためだろうか鼻水がやたらと湧いて出た。腕には蚊に刺されたあとがいくつか、赤く大きく膨らんでいた。
- (……)さんの小説、『四つのルパン、あるいは四つ目の』の感想というか中途半端な分析めいた小文を僅かに手直しして完成させ、メールで送る。脳内に浮かんできた事どもを、それなりの時間を掛けて一応形に整えはしたが、面白いものが書けたとはまったく思わない。注目点が外れているというか、この小説の面白さの核心はそこではないだろうという部分にかかずらってしまったようで、この作品に相応しい読みができなかった気がする。
- カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』の書抜きをようやく終了させる。
- 朝からやたらと、さらさらと水っぽい鼻水が湧き、たびたびくしゃみが出て仕方がない。どこか蒸し暑いようで背には薄く汗を帯びる一方で、それが冷やされて身体全体がいくらか冷たいように感じる。
- フローベール/山田𣝣訳『ボヴァリー夫人』を読みはじめる。蓮實重彦も解説で触れているが、冒頭、「新入生」の膝に載せている帽子の描写が非常に精密で、一つ一つの細部が実に克明に描かれ膨張しているがゆえにかえって帽子全体の様子をイメージするのが難しくなっているその記述の、何か執念のようなものさえ感じさせるような、あるいは「執拗」と言いたくなるほどのものである(のちにシャルルとエンマの結婚式において供されるデコレーション・ケーキの描写にも似たような感触を得る)。また、一三頁から一六頁のあたり、シャルルの両親の行跡を物語る部分なども、記述が端正そのものとばかりに引き締まっており、具体的な情報のそれぞれがこれ以上ないほどの精度で綺麗に配分されていて、久しぶりに、まさしく小説というものを読んでいる、という感じがしたものだ。「一字も変えられぬ」最高の散文を目指して推敲の魔に取り憑かれたフローベールの面目躍如といったところだが、やや古風でありながら決して古臭くはない訳文を生み出した山田𣝣の力も並々ならぬものだろう。
- 五時を回ると夕食の支度をするために台所に行った。母親は買い物に出かけていた。茄子を縦に二分すると、さらに櫛形に切り分けて行く。分かれた部品を豚肉の上に四つから六つほど重ねてロールし、六個の肉巻きを作ると、余った分は味噌汁にするために鍋に投入した。肉に塩胡椒を振ってからフライパンに油を引き、弱火で蓋を閉ざして肉巻きを焼き、こんがりと焼き目がついたものが仕上がって、味噌汁のほうも味を付けると、大きなキャベツをざくざくと細く切り落とし、もう一つのフライパンでモヤシを茹でた。それらをそれぞれ笊に上げておいて、あとは帰宅後の母親に任せることにして読書に戻った。
- 夕食時、母親が、外出についてきてくれないかと言う。線路の傍の林に接した二、三軒のなかに(……)さんという家があって、ここの娘さんは兄の同級生なのだが、その家から父親が自治会で副会長を務めている我が家に、先日の台風で電柱が曲がっているから直してほしいと連絡があった。市役所に頼んだそれがもう直っているかどうか見に行きたいが、一人で夜道を行くのが怖いようなので、とのことだった。了承し、食事を取ると(自分の作った肉巻きよりも、母親の買ってきた春巻きのほうが美味かった)、母親が食べ終わるのを待ってこちらは一旦自室に帰った。ちょっとしてからまた上がり、バレーボールの日本対カメルーン戦を眺めながら母親が支度するのを待っていたが、容易でないので先にジャージを羽織って家先に出た。林のほうからはアオマツムシの鳴き声が盛んに湧いてくる。見上げれば空は全面が雲に覆われて、ひび割れも多少あって地が微かに覗いているが、その色は散漫なようで鮮やかでない。境を接する雲の色の白っぽさのために、林の木々の輪郭がかえって明らかだった。暗闇に包まれた木の間の空間をアオマツムシの音がまさにいっぱいに満たしているなとその響きに耳を寄せていると、母親がようやく家から出てきた。歩き出すとすぐに気短な母親のほうが先行して、こちらは離れてそのあとから鷹揚な歩調で進む。坂道には台風の痕がまだ残っており、多分誰か掃いて枝葉は大方片付けたのだろうが、アスファルトのささやかな凹凸の隙間に木屑が擦り込まれて路面が少々くすんでいた。上り坂の出口が近づくと母親が、ここから見える(……)がすごく綺麗で、と言う。すごく綺麗と言うほどに豪華な風景ではないが、かつては自分も勤めの帰りに、そこから目にする侘しいような町の夜灯りにいくらか叙情味を覚えていたものを、もはや詩情を覚えるような感性を自分は失ったのだと、母親がほら、と呼びかけるのにも一瞥したのみで、すぐに目をそらした。坂を上ると左の細道に折れた。窓明かりもなく沈黙した家並みの前を過ぎて行くと、母親は声をひそめながら、ここが誰々の家で、などと教えてくる。この時だけでなく歩いているあいだじゅう母親は、ここは同級生の家で、とか、あそこの家はあんなに大きいのに奥さんが出て行っちゃったらしいよ、とかどこから聞いたものなのか次々と情報を提供してきて、こちらはそれに良くそんなに色々知っているものだなと感心するのだった。街道を渡って踏切りを越えたところの、すぐ裏が林になっている角に件の電柱はあった。円筒形が途中から細くなっているその根元から少々傾いており、直すと言ってこんなもの直せるのだろうかとこちらは疑問を覚えた。母親は紙片を取り出して何やら書きつけていたようだが、大して電灯を見もせずにすぐにまた歩き出し、こちらもそのあとを追って線路沿いを行けば、赤紫色の白粉花が道端に群生していて、夜の底でもその色形を明らかに目に届かせていた。駅の入口まで来るとこちらはそこの歩道橋を渡って帰路に向かおうとしたところが、母親はもう少し遠回りして行こうと言う。しょうがねえなとこちらが折れて、採石場跡の広い敷地のほうに向かった。そのなかの細い道を歩いていると、空がひらけて一面の地味な白のなか、遠くに雲の畝が生じているのが見える。街灯もなく木の下で暗がりになった陸橋に掛かると、電車がちょうどトンネルに入って姿を消すところだった。橋を渡ったところで母親はまた、神社のほうに行こうと遠回りを提案したが、何が悲しくて母親と長々夜歩きなどせねばならぬのか、却下して駅のほうに戻った。横断歩道を渡って下り坂に入ると、暗いねと母親は言ったが、電灯のない場所のわりに脇の植物の姿体が露わで、暗んではいるものの木の葉の襞も見えるようで、明るい曇り空に暗夜というには程遠かった。坂を抜けると母親はさらに坂を下って下の道から帰ると言うので、こちらはそれには付き合わず、鍵を受け取って一人になった。ゆったりと歩き出すとすぐに、傍に声を伴わずただ一人で歩いていることの落ち着きを覚えた。輪っか状の金具を右手の人差し指に引っ掛けて鍵をくるくる回しながら行くあいだ、道の先に伸びては無色と化して路上に染みこんで行く自分の影に、何だか馴れるような親しむような思いだった。