2018/10/4, Thu.

工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年

 (……)そもそも平等とは、あらゆる自由、あらゆる優越性、<自然>そのものを否定すること以外のなにものでもないじゃありませんか。平等とはすなわち隷属です。だからこそ、ぼくは芸術が好きなんです。そこでは少なくとも、(end130)すべてが虚構の世界にあって、自由ですからね。――そこではすべてが叶えられる、なんでも出来る、同時に国王と国民になれる、行動的にも受身にもなれる、生贄にも司祭にもなれる。限界というものがない、人類は鈴をつけた人形のようなもので、大道芸人が足の先で鈴を鳴らすように、文章の先でそいつを踊らせることができる(こんなふうにしてぼくはしばしば人生に復讐したものです。ペンのおかげで甘美な想いを存分に味わいました。女も、金も、旅も手に入れました)。紺碧の空のなかで、ちぢこまっていた魂はのびのびと羽を広げ、<真実>の境界ゆきつくまで飛翔することができる。じっさいに<形式[フォルム]>の欠けるところ<観念[イデー]>はありえません。一方を探し求めることは、他方を探し求めることでもあるのです。それらはたがいに切り離せない、ちょうど物質と色彩が不可分であるように。(……)
 (130~131; ルイーズ・コレ宛〔一八五二年五月十五 - 十六日〕土曜から日曜にかけて 午前一時)

     *

 『ボヴァリー』第一部全体を清書し、訂正し、削除しているところです。目がチカチカする。ひと目でこの百五十八ページを読みとって、全体をあらゆる細部とともに、ひとまとまりの思考として捉えることができたら、と思う。これを全部ブイエに読んできかせるのは、来週の日曜日、その翌日か、翌々日には貴女に会えるんです。それにしても、散文というやつは、なんて手に負えぬしろものなんだろう! 決して終ることがない、果てしなく書きなおせるのだから。しかし散文に、韻文の密度(end150)を与えることはできる、とぼくは信じています。散文の立派な文章は、立派な韻文のようでなくちゃならない。つまり、同じくらいリズム感があって、同じくらい響きがゆたかで、一字も変えられぬ[﹅8]ものでなくてはなりません。というか少なくともぼくの野心がめざしているのは、そういうものなんです。(……)
 (150~151; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年七月二十二日〕木曜 夕四時)



  • 早朝の目覚めから、歯痛のような耳の痛みのような、頭痛のようなあるいは鼻の奥にあるような、種類の判然としない痛みが顔に生じていた。前日の鼻水も合わせて風邪を引いたのかと思ったが、時間が経つうちに痛みは段々軽くなって、起きる頃にはまったくなくなったわけでないが耐えられるほどになっていた。その後、食事のあいだも部屋にいる時にも前日に続いて洟が水のように湧いて仕方なく、ほとんど二、三分ごとにティッシュペーパーに手を伸ばすような有様だったが、一時頃には不思議と収まっていた。
  • 前日の残り物である肉巻きに春巻き、茄子の味噌汁などで食事を取りながら、新聞をひらく。一一月六日に中間選挙を控える米国で、ドナルド・トランプに過去の脱税疑惑が持ち上がっているようだが、その関連の記事中に、彼は三歳の時点で既に父親から二〇万ドルを与えられ、長じてからは毎年一〇〇万ドルを貰っていたとあって、本当にこちらなどには想像も付かない、まるで漫画のように凄まじい世界の住人なのだなと思った。
  • 「読書の効用とは第一に、この世界そのものがテクスト=差異の織物として感得されるようになるということであり、音楽の効用とは何よりも、この世のあらゆる音が音楽として響き、聞こえるようになるということではないだろうか」(2017/10/3, Tue.)
  • 「裏路地を行きながら見上げた夜空に、コーヒーに垂らしたミルクのように、微妙に揺らいだ乳色の筋のただ一つのみ流れているのは、そこに雲があるのではなくて、ほとんど隈なく敷かれた雲の幽かな切れ目のほうであり、中秋の名月とは言うものの生憎の空模様に、さすがの月も自己の存在を示す頼りをほかには何も持てなかったのだ」(2017/10/4, Wed.)――この一文は我ながら力の籠ったものだと評価する。音調としてもうまく流れていると思う。
  • 二時前、リュックサックを背負い、ガムを口中に、傘を片手に家を出た。雨は乏しくぱらつく程度で、傘をひらくまでもない。坂道から見える川の色の、雨降りで土を混ぜられているものか、緑が柔らかに濁って淡くなっているそのなかに、水嵩は増して白波が諸所差し込まれていた。歩きながら左右から聞こえるのはまだアオマツムシでなく、翅の摩擦の感覚の露わな、電話の呼び出し音めいて回転するように伸びる虫の声である。FISHMANSのメロディを頭の内に流しながら街道を行き、口のなかで小さく鳴らしもしながら裏路地に入った。やや重いような身体をゆったりと、白線に沿って進ませるあいだ、雨粒の感触がいくらかあったが、やはり傘を差そうと決めるほどには盛らなかった。駅に着くと電車に乗りこみ、三人掛けの席に就くと脚を組んで目を閉ざす。そうして(……)まで揺られて待つと電車を降りて、改札を通って図書館に渡った。カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』を返却し、上階に移って新着図書の棚を見やる。岩波文庫に入ったイタロ・カルヴィーノの作品集や、山川出版社から新しく出たらしい宗教の歴史シリーズなどがあった。それから書架のあいだを抜けて大窓のほうに出ると、空席が一つ見つかったのでそこに寄り、傘を席の外側の仕切りに静かに掛け、蒸し暑かったので上着を脱いでから椅子に座った。
  • 三時前から四時半過ぎまで、前日とこの日の日記を綴り、それから六時四五分までひたすら書抜きを行った。『多田智満子詩集』と、現在読んでいる最中のフローベール/山田𣝣訳『ボヴァリー夫人』である。後者は未だ六〇頁ほどしか読んでいなかったにもかかわらず、精密な描写の光る細部が多くて、既に書抜き箇所が一〇にも上っていた。閉館時刻の八時まで滞在するつもりだったが、思いのほかに早くコンピューターのバッテリーが尽きかけたので、書抜く文をいくらか残して宵の退館となった。
  • コンピューターをしまって席を立つと、大窓に鏡写しになった自分の姿のほうを見ながら、くるみボタンの青暗いブルゾンを羽織る。そうして傘を持ち、席を離れて、階段に向かう前に哲学の棚にちょっと寄ったが目新しいものは特になかった。下階に下りると僅かなCDの新着を瞥見し、『Chet Baker & Crew』という一九五六年の音源があるのを手に取って見てから、出口に向かう。退館すると、円形歩廊の床は濡れていた。図書館の出入り口からまっすぐ先、歩廊の柵を背にして立ち尽くし、何やら紙を手にして喋っている男性がいる。来る時にも見かけたので随分と長いあいだそこに立っているもので、通行人に何か聞かせている風ではあるのだが、如何せん声が小さすぎて話の内容が少しも掴めないのだった。
  • エンマコオロギの声がどこかから立って届く。駅舎の入口あたりに集まって、何やら声を上げている集団があった。募金活動でもしているらしいと見て近づくと、五、六人の男性が集っており、立てられた旗には一般社団法人の文字が見られ(団体名は忘れてしまった)、うちの二人が持った箱に、北海道胆振地方東部地震と記されてあった。こちらは立ち止まり、リュックサックを背から下ろして財布を取り出し、五百円玉を一つ、お願いしますと言いながら箱に投入した。すると、募金を呼びかけていた時と同じ、いくらか野太いような声が重なり合って、ありがとうございますとの礼が返るのだった。彼らの声は、こちらが駅に入って改札をくぐってからも、淡くなったその響きの端っこが耳に届いてきた。
  • ホームに突っ立って電車を待ち、乗ると向かいの扉際に場を占める。正面の車両の角、腰ほどの高さに銀色の手すりが設けられ、床には四角いピンク色のなかに赤子連れや車椅子利用者のマークが白抜きになった地帯には、女性が一人、窓のほうを向いて顔は暗い茶髪に隠されて、黒いバッグを手すりの上に置き、スマートフォンをいじりながら立っていた。膝の少々上まで掛かったスカートを履き、靴は黒無地の、飾り気のちっともない短靴だった。彼女の様子を観察したり、窓外の光に目を向けたり、時には瞑目したりしながら到着を待ち、降りた(……)駅では雨がぽつぽつ落ちていた。頭を下げて俯きながら屋根の下まで歩き、さらに小さなスナック菓子を売っている自販機のもとまで行って三つを買うとホームを戻って、既に到着していた乗り換え電車の一番端の車両に乗った。席に就いて目を閉じながら、退館以来の記憶を辿って、最寄りに着いて扉を出ると、黒傘をひらいてから歩き出した。通路を抜けて横断歩道のボタンを押さないままに通りを渡り、木の下坂に入って行くと、台風の痕を掃除する者が誰もなく、茶色緑色の枝葉や木屑が足の踏み場もないほどに路上に散らかり放題、落ちていた。
  • 夕食はうどんに天麩羅。天麩羅は、玉ねぎ・茄子・エノキダケ・ピーマン・ジャガイモ・人参と取り揃えられて、先日――と言うのは九月二三日日曜日のことだが――訪れた蕎麦屋のそれのようだった。