工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年
うんざり、がっかり、へとへと、おかげで頭がくらくらします! 四時間かけて、ただのひとつ[﹅6]の文章も出来なかった。今日は、一行も書いてない、いやむしろたっぷり百行書きなぐった! なんという苛酷な仕事! なんという倦怠! ああ、<芸術>よ! <芸術>よ! 我々の心臓に食いつくこの狂った(end279)怪物[シメール]は、いったい何者だ、それにいったいなぜなのだ? こんなに苦労するなんて、気違いじみている! ああ、『ボヴァリー』よ! こいつは忘れられぬ想い出になるだろう! 今ぼくが感じているのは、爪のしたにナイフの刃をあてがったような感覚です、ぎりぎりと歯ぎしりをしたくなります。なんて馬鹿げた話なんだ! 文学という甘美なる気晴らしが、この泡立てたクリームが、行きつく先は要するに、こういうことなんです。ぼくがぶつかる障害は、平凡きわまる情況と陳腐な会話というやつです。凡庸なもの[﹅5]をよく書くこと、しかも同時に、その外観、句切り、語彙までが保たれるようにすること、これぞ至難の技なのです。そんな有難い作業を、これから先少なくとも三十ページほど、延々と続けてゆかねばなりません。まったく文体というものは高くつきますよ!
(279~280; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年九月十二日〕月曜夕 午前零時半)
- 「夕食の調理をしたあと、ベランダに出た。どうも精神が狭苦しいというか、窮屈なようになっている感覚があったのでそうしたのだが、広々とした空間のなかに身を置いていると気持ちもひらいていくもので、一日のなかで外気に触れる時間がやはり必要だと思ったものだ。目も疲れていたようだったので、遠くの山や雲へと視線を伸ばして、目の筋肉を解すようにした。暮れ方の僅かな残光のなかに浮かんで不定形に空を覆っている巨大な雲の端々を見ていると、何とも言葉にならなかったのだが、非常にリアルに感じられてやはりこれは凄いなと、迫ってくるような感じがあったし、飛行機の音が聞こえたのに引かれて頭上を見上げても(音の聞こえるあいだ中、結局その姿は見えなかったのだが)、くすんで淡い雲が染みのように浮いているそのために、白い空が視線を留めず果てしない空漠として映るのではなくて、そこにも確かに空間があるのだということが実感されて、何か怖いようなところがあり、また同時に、よく空について言われる屋根とか天井とかいう比喩が初めて現実的な感覚として腑に落ちたような気がした」(2017/10/7, Sat.)
- 暑気の室内に籠りがちな快晴の日和、居間の気温計は午前一〇時台から三二度を指していたらしい。近所の屋根がまさしく銀紙を貼られたようにてらてらと光り映えているのを見た。部屋に戻ってみても前日よりも気温は高いようで、これでは扇風機が欲しくなると季節違いの望みも湧くなか、片足ずつベッドを踏まえてジャージの裾を膝上まで捲り、脛を晒す。食後の一服で緑茶を飲みつつ、暑くなった身体に肌着をぱたぱたやると汗の匂いが昇って鼻に香った。
- 午後五時頃、台所に向かうとそこには既に母親が立っており、フライパンで鯖の切り身を焼いていて、もう一つ隣のフライパンでは南瓜がもうだいぶ色濃い金茶色に煮詰まっている。交代して調理台の前に立ち、鯖の番を受け持って時々箸で裏返すかたわら、玉ねぎを一つ切り分けた。魚が狐色の焦げ目を帯びて焼き上がり、小鍋のなかに、まだ湯が沸いていないのに早々に玉ねぎを入れてしまうと、煮えるのを待つあいだにベランダに出た。暖気のやや籠ったような室内と比べて外は涼しく、柵の手摺りに腕を置くと少々冷やりとするようだった。先日高枝鋏を使ってその実を採った隣家の柿の木の、枝はもう裸になって寒々しいなかに実だけまだいくつかついているのが目に入る。首を目一杯曲げて直上を見上げれば、黄昏に入る手前で色を薄めた夕空に静止した薄雲の、ここでは冷たく白くてちょっと雪を思わせるようだったが、そこから広がる三方向の外縁にそれぞれ大きく湧いているものは灰色を帯び、なかで東南の、市街の上に突出したもののみ青さが幽か混ざっているその下の、果ての宙に、紫の色のうっすらと漂って透き通った浅瀬のようだった。しばらく空を眺めたのちに台所に戻ると、鍋は泡立ち玉ねぎは柔らかくなっていたので、火を止めて味噌を溶き、さらに金色の溶き卵を注いで汁を仕上げた。
- こちらが夕食に入り、鯖を千切っては米を食べていると、風呂から出てきた父親が居間の隅の体重計に乗る。裸の上半身のその上腕の途中から、酒に酔った顔の色のように赤く日に焼けていた。錦織圭の負け試合を映すテレビを見やって父親は、錦織が相手の高速で強靭なサーブにいいようにされているのに、あんだかよ、と田舎じみた嘆きの言葉を呟く。確か山梨の祖母もこの言葉を使っていたはずで、親から受け継がれたものなのだろう。もう一つ、似たような地方言葉で思い出すのは、こちらは既に亡くなった母方の祖母がよく口にしていたが、あっそろしい、という驚きの表現で、程度の甚だしさを表すこれは、おそらく「恐ろしい」が訛ったものに違いない。炬燵テーブルとソファのあいだのいつもの座に就いた父親は母親の問いに答えて、今日観戦したバスケットボールの試合のチケットは八〇〇〇円だと言った。しかし、会社からチームを応援しに行くように言いつかっているわけだろう、会社のほうで出してくれるらしい。八〇〇〇円と言えば、ブルーノートなんかで一回観るのと同じくらいだなと、こちらはこちらの基準で受けた。
- 夕食のあいだ、母親の身につけたエプロンが話題に上がる。例の熟れた柿のような色、とこちらが言っているものだが、クリーニング店の人に素敵な色だとか褒められたらしい。母親はそれに、もう色褪せてしまって、とか返したようだが、それでもまだまだ色味のはっきりしていて褪せているようには見えないそれは、(……)さんが以前贈ってくれたインドネシア産の品だと言う。彼女の父君が彼の地で日本人学校の理事長をしているからその伝手で届いたものだろうが、バティック染め、との固有名詞を母親は口にした。東南から南アジアのあたりで行われている、「蝋纈染め」という種類の染め物らしい。それでは表面に描かれているその植物らは熱帯のものなのかとこちらは言ったが、果たしてそれは判然としなかった。