2018/12/26, Wed.

 七時に仕掛けてある携帯のアラームが鳴り出さないうちに目覚めていた。ベッドから見て部屋の反対側、入り口の扉のすぐ脇に置いてある本棚の上に載せておいたそれを、先んじて取ってアラーム設定を解除する。そうしてもう少し休んで七時半頃になったら起きようと思っていたのだが、いつの間にかふたたび寝付いており、結局起床は一〇時になった。この日も夢を見たが、その記憶はもうほとんど残っていない。学校が舞台だったのは確かで、教室で何か不快なことと言うか、孤立するようなことがあった気がするのだが定かでない。ほか、高校の同級生であるNと並んで廊下を歩く時間があったのを覚えている。
 食事は炒飯と前夜の鶏肉の残り。新聞、名護市辺野古への基地移設の賛否を問う県民投票に関して、宜野湾市などは実施しない旨を表明していると。この日の新聞記事に関しては、今はもう二六日の二四時過ぎなので、明日改めて読んで日記にメモしておこう。風呂は残り湯がわりとあったので洗わないことに。母親は歯医者に出かけて行った。
 緑茶を注ぐ。それから仏間に行き、箱に溜めてあるナッツ類の小袋を二つ取り、がさがさ音を立てながらダウンジャケットのポケットに入れて、自室に帰る。時刻は一一時。堀潤辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのか――大田昌秀沖縄県知事インタビュー」(http://politas.jp/features/7/article/400)を読む。次の証言が印象に残る。

 例えば、住民がいたるところに壕を掘って家族で入っている。そこに本土からきた兵隊たちが来て、「俺たちは本土から沖縄を守るためにはるばるやってきたのだから、お前たちはここを出て行け」と言って、壕から家族を追い出して入っちゃうんですよね。一緒に住む場合でも、地下壕ですからそれこそ表現ができないほど鬱陶しい環境で、子供が泣くわけです。そのときに兵隊は、敵軍に気付かれてしまうから「子供を殺せ」と言う。母親は子供を殺せないもんだから、子供を抱いて豪の外に出ていき、砲弾が雨あられと降る中で母子は死んでしまう。それを見て今度は、別の母親が子供を抱いたまま豪の中に潜む。すると兵隊が近寄ってきて子供を奪い取り、銃剣で刺し殺してしまう……。そういうことを毎日のように見ているとね、沖縄の住民から「敵の米兵よりも日本軍の方が怖い」という声が出てくるわけです。

 そのほか、普天間基地辺野古移設に関しての情報を日記にいくつか引用しておく。それから、『日本にとって沖縄とは何か』などから書抜きした記述の読み直し。一度や二度読んだだけでは知識が頭に入らないので、一箇所につき三回、音読で読み返す。ひたすら繰り返し読んでいれば、多少の知識はつくだろう。その他Mさんのブログを読み、Uさんのブログもこの時に読んだのではないか。それから前日に引き続き、はてなキーワードを探って日記ブログを探す。フローベールプルーストサルトルベルクソンなどのキーワード。夜にもふたたび、ドゥルーズフーコーロラン・バルトなどで探したが、こちらの好みに合うブログというのはなかなか見つからない。そもそもまず日記形式のブログが少ないし、あったとしても現在に至るまで毎日更新しているものは僅かである。やはり皆、それほどの時間はないということなのだろう。質量ともに、Mさんのブログの充実度が際立つものだ。結局、この日は二つ、新たなブログを見つけて(と言うか、どちらもその存在は以前から知っていたものなのだが)ブックマークに追加した。これでこちらのブックマークバーに並んでいるブログは、「ウォール伝、はてなバージョン。」(http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/)、古谷利裕の「偽日記@はてな」、Sさんの「at-oyr」、「わたしたちが塩の柱になるとき」、「ワニ狩り連絡帳」(http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/)、「わたしが猫に蹴っとばされる理由」(http://catkicker001.hatenablog.com)、fuzkueの「よみもの」ページ(http://fuzkue.com/entries)となる。このうちの最後のfuzkueというのは初台にある読書家向けのカフェで、店内では会話を交わすことなく本を読むことが推奨されている店だったと思う。
 それにしても、自分の日記というものへの偏愛は一体何なのだろう。ことブログに関して言えば、記事毎に明確な一つの主題が定まっているものよりも、毎日更新しているような生活記録のほうが好きなのだ。書評や本の感想なども悪くはない、しかしやはり日記、身辺の由無し事がこまごまと書かれているものに魅力を感じる。それも思考や雑感の類だけではなく、その日何をしたとか細かく綴ってあるほうが良いような気がする。そうした自分の好みに適うブログというものはやはりなかなか見当たらない。探しながら、沖縄のH.Mさんのことをふと思い出した。キリスト者である彼女は瑞々しい、透明感を湛えた優れた感性を持ち合わせていると思う。もしこちらのブログを見ているのだったら、ぜひHさんにも日記を書いてもらいたいと伝えたい。
 二時頃上階に行き、玄関に出て小窓から外を覗き、落葉の散り具合を確かめたが、見える範囲にはほとんど落ちていない。訊けば昨日掃除したので今日は良いと言う。それで室に帰り、ふたたびものを読む。佐古忠彦「水攻めに中傷ビラ…アメリカが沖縄「抵抗の象徴」に仕掛けた政治工作 【ルポ・アメリカが最も恐れた男】④」および「「「沖縄が再び戦場となることを拒否する!」瀬長亀次郎、魂の誓い 【アメリカが最も恐れた男】最終回」」。その後三時過ぎから、新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』。五時直前まで。
 夕食の支度へ。流し台には畑から取ってきたばかりの、泥のついた大根が一本あり、母親がブラシを使ってそれを洗う。それからこちらが受け取って切断し、煮物にするために半月切りにしたあと、米の研ぎ汁を使って湯搔く。しばらくしてから茹でこぼし、フライパンに水を新しく少量注いで、シーチキンと麺つゆとともに煮込みはじめた。さらに、三つに切られた鯖を焼くわけだが、そのように調理を進めるあいだ、母親は生活の不毛さについて文句を垂れていた。家にいてやりたくもない家事をやらなければならないのにうんざりするらしい。こちらは軽く受けて宥めていたのだが、じきに母親はヒステリックに声を高めて、泣きたくなるよ、などと叫び、畑とか草取りとかなんてやりたくないと嘆いて、大根を取って洗ったりすることを「くだらない」仕事だと言うその調子にこちらも、以前と違って苛立ったわけではないがこれはしばらく放っておこうという気になり、黙って反応せずに鯖を焼きはじめた。家にいたくないというのは常々母親が口にしているところだが、ここまで感情を露わに高ぶらせるのは珍しいことだった。これより少し前に訪問した家での出来事が母親の心理に影響を与えていたのだろう。訪問先というのはK子さんという人のところで、この人はO.M子さん(祖母と仲の良かった近所の快活な婦人だが、老いてからはうつ病だかノイローゼだかになって、三月に自殺した)の姉だか妹だかで、毎年うちに自作の沢庵漬けをくれるのだ。母親はそれを受け取りに行ったわけだが、そこでいかにも働いていないのが悪いというような、何で家にいるのというようなニュアンスでものを言われたと言う。こちらは被害妄想だろうと宥めるのだが、母親は聞く耳を持たない。この沢庵というものも、母親は特に欲しくないところに気を遣って貰いに行った先でそんなことを言われたものだから、嫌気が差したらしい。実際には多分そんなに悪しざまに言われたわけではなく、単に母親が神経質なだけだと思う――彼女はとにかく、他人の言うことやその視線が気になるのだ(周りを気にしすぎるその点、損をしているとYちゃん(叔父)も評していた)。この母親の過剰反応からわかるのは、労働をしないといけないという、この社会の本流と言うべき領域に流通しているのかもしれない言わば労働神話のようなものを母親が内面化しており、そこから外れている現状に劣等感を抱いているということだ。母親は現在の生活に一種の虚無感のようなものを抱えており、そこから抜け出すにはやりがいのある仕事をするしかないと信じ込んでいる。こちらとしては労働のみが人生ではなく、趣味なり何なり生活の充実を確保する策はほかにもあると思うのだが、母親にとってはとにかく仕事が重要なのだ。しかしここ二、三年、そうして新しい仕事を見つけようと方々に出向いてみたものの、どれもうまく行かず、あるいは条件が合わないものばかりで、その失敗の連続に母親は自信を失って、もうどこに行っても駄目だと思っているらしい。かと言って家にいても家事に追われるばかりなので、遊びに出たり図書館に行ったり料理教室に行ったり、とにかく良く外に出かけているというわけだ。こちらは別にそれはそれで良いと思う。加えて、働きたい気持ちがあるのだったら、諦めずに自分の望みに合う職を探せば良いと説得を投げかけてみたのだが、母親はやはりそんなものはないという反応をした。さらには、働きに出ることで家を片付けられずに汚れたままにしてしまうのはそれはそれで嫌だと言う。しかし家にいて例えば掃き掃除などをやるのも嫌だというわけで、彼女は二重拘束(ダブル・バインド)に陥っているわけだ。
 その後、里芋を湯搔いて潰し、人参や胡瓜、玉ねぎにハムと混ぜてサラダを作ったのだが、母親とともにそれを進める一方で話が続いていた。母親が自分のことを「人間失格」だなどと言うので、その大袈裟さに苦笑しながら、それだったら自分などはどうなのだ、今は言ってみればニートだぞと自己卑下する。二八の若きにあるのに、ただでさえフリーターで両親に頼りながらちゃらんぽらんにやっていたところに、精神の変調を招いて職まで失ったこちらのほうが惨めではないかというわけだ。まだ若いから色々な可能性があると母親は言うが、そんなことは知ったことではないし、こちらの可能性はどちらかと言えば閉ざされてしまったと思う。これから先のことにしたって、自分は今まで朝早く起きてきちんと出勤し、夕刻や夜まで長く働くという生活をしてきていないからこれから先もそれはできないだろう、できる仕事と言ってやはり塾のそれくらいしか思い当たらない、しかしそうすると正社員ではなくてアルバイトになるから、稼げて月一〇万だ、そんな調子で果たして行きていけるのか不安になると述べ、つまりは自分は将来も大した生き方ができないだろうということだとまとめた。さらに続けて、やはりパニック障害になったのが自分の人生の言わば運の尽きだったと語る。こちらの兄は就職活動にきちんと邁進して、毎日都心のほうまで出かけて何十社も受けていたのだが、それを見て自分には無理だと思ったし、第一パニック障害になってしまって電車に乗れば不安で仕方がないわけだから、現実的にもやはり無理だったのだ。それで市役所を受けようと思ってはみたものの、自分の本意ではないから勉強に身が入らず当然落ち、大学卒業後に文学というものに出会ってこれこそ自分の道だと思い定めながらも、今年に至って精神の変調から挫折を招いて今に至っているわけだが、パニック障害になっていなければ、自分ももう少し社会の「本流」に乗れていたかもしれないと思うわけである。
 そんなようなことを話しながら調理を進めて、ボウルに野菜を混ぜて里芋サラダを仕上げて仕舞い、卓に就いて新聞をひらいたが、テレビの音声のために読めない。今思い出したので時間が前後するが、調理中に電話があって、出た母親が嘘みたい、とか信じられない、とか言っているので何かと思えば、クリーニング屋の抽選でヴィトンの財布が当たったのだと言う。しかし彼女は電話中は嬉しいような素振りを見せていたのに、電話を切ると、あまり欲しくもないけどねと言い、メルカリで売ってしまおうかと笑った。さらには写真を撮りたいということで翌日の二時にクリーニング屋に向かうことになったのだが、写真も撮りたくないと愚痴る。それに対してこちらは、撮りたくないなら撮りたくないとひとまず言ってみれば良いではないかと促した。それで良いですよとなれば万歳、どうしても駄目だと言うなら諦めるほかないが、ともかくも交渉するだけはしてみて良いだろうというわけだ。しかし母親の反応は、あまり判然としなかったと思う。
 読書を進めたい気持ちがありつつも、何となく居間に留まって、六時半を過ぎると早々と食事を取った。食後、風呂に入るのも面倒臭くて、『笑ってコラえて』を眺めつつ時間を潰す。一方でソファに就いて、昨日モスクワから帰国した兄とやり取りをしている母親のスマートフォンを覗く。書き忘れていたが、朝に飯を食っている最中に兄からビデオ電話があって、真菜ちゃんと一緒の姿を目にしていた。兄からは、立川の連中と会合を持つなら、引っ越しの準備やTさんの体調のこともあるから、どこか店でやるほかないと思うという言が届いていた。都合が合えば立川の叔父叔母家族も交えて食事でもという話が出ていたのだが、どうなるかまだわからない。
 『笑ってコラえて』は明石家さんまが新人ディレクターとして「一期一会の旅」という企画をこなしていたが、詳しく書くのは面倒臭い。八時を回って入浴。出ると、緑茶を持って自室へ。飲みながら、津田大介「「沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題」を開始します」(http://politas.jp/features/7/article/393)と、木村草太「「辺野古基地設置法」制定で住民の意思を確認せよ」(http://politas.jp/features/7/article/405)を読む。この時ではなかったと思うが、佐古忠彦「水攻めに中傷ビラ…アメリカが沖縄「抵抗の象徴」に仕掛けた政治工作 【ルポ・アメリカが最も恐れた男】④」、「「沖縄が再び戦場となることを拒否する!」瀬長亀次郎、魂の誓い 【アメリカが最も恐れた男】最終回」もこの日に読んだ。その後、日記ブログを探す。「fuzkue」はこの時に発見したはず。BGMはFred Hersch。一一時前から日記。零時半まで。それからまたインターネットを回り、Twitterを再開する。アイコンとヘッダーにローベルト・ヴァルザーの写真を据える。日記以外に特に発信したい事柄がないので、ほとんどブログの更新通知になると思う。その後、「fuzkue」の読書日記を読んだあと、二時前から新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』。二時四〇分消灯。