2018/12/29, Sat.

 七時のアラームで覚める。その前にも二度くらいは覚めていたのではないか。腕が痒く、搔きながら暖かい布団のなかにぬくぬくと留まって、七時四〇分を迎えたところで布団を捲って起床した。痒み止めを腕に塗っておき、ダウンジャケットを羽織って上階へ。母親に挨拶。お好み焼きを一枚食べて行ったらと言うので、電子レンジの前の皿に二つ入っていたもののうちから一枚取って熱する。その他、ヨーグルトを用意。卓に就いて食事。食べながら新聞をめくり、書評欄に載っている選書三冊のうち、野矢茂樹のものなどを瞥見する。熊野純彦について、「この人の頭のなかは一体どうなっているんだ」という称賛があった。一頁ずつめくって記事をチェックしてから一面に戻り、改元関連の記事を読む。新元号は来年五月一日の改元の一か月前に公表する方針になったと言う。食後、早々と皿洗い。薬を飲み忘れたことに気づいたので今から飲んでこよう。アリピプラゾール一錠にセルトラリン二錠である。
 臙脂色の靴下を履いて下階へ。コンピューターを点け、前日の記録を完成させるとそのまま日記を記して投稿。誰がそんなに読んでくれたか知らないが、前日のアクセスは九二を数えていて珍しく、有り難い。普段はせいぜい一〇とかそのくらいである。Twitterにもブログの投稿を流しておき、ここまで記して八時半。南の空を白く埋める太陽が背後の窓から射し込んで身体に当たって暖かである。
 上階に上がって薬を飲み、それから風呂を洗った。戻ってくるとTwitterなどを覗きつつ、FISHMANS『1991-1994~singles&more~』を流す。冒頭の"チャンス"が良い。それで指をぱちぱち鳴らし、リズムに乗りながら服を着替える。臙脂色のシャツに一昨日買った水色風味のグレーのイージー・スリムパンツである。二曲目の"ひこうき"もなかなか良かった。今日これから、東京に食事会に出るので、帰りに、大層久しぶりのことだが新宿のディスクユニオン中古センターにでも寄ってFISHMANSのCDを探そうかとちょっと思う。データで買っても良いのだが、またファイル破損の憂き目に合う可能性もあるのでその点物質のほうが安心ではある。
 書抜きの読み返しを九時半まで。Suchmos "YMM"を歌って、コートを取って上階へ。上がると父親が、お前それじゃあ寒いんじゃないのと言うので、そうかなと答えつつ、部屋に戻ってカーディガンを羽織る。海のような濃い青色の地のなか、左側に紅白の格子縞が縦に走ったものである。それで上階へ行き、コートを着込んで南窓に寄る。端的な快晴。近所の敷地の上に広く敷かれたビニールシートが太陽を受けて金属的に輝き、メタリックな灰色の濃い部分と薄い部分との差の襞がよく見える。それを眺めながら比喩を探るが、良いものが思いつかない。それからそろそろ出発の時刻。Paul Smithのグレーのマフラーを首に巻きつけ、玄関の大鏡に姿を映す。後頭部の髪の毛が中途半端に持ち上がっていて、半ば寝癖のようになっているので、もう髪を整えている時間はなく気休めだが、洗面所の整髪ウォーターの類を振りかけておく。それで出発、九時四五分頃。母親は今は閉鎖されている家の前の林のなかを登って行くと言うが、こちらと父親は順当な道を行く。先に出た父親のあとを追うようにして歩きはじめると、陽射しのなかに微小な虫が点となって流れる。近所の犬がわんわん、わんわんと執念く鳴く声が空気を渡って届く。Kさんの家に掛かると、犬小屋のスペースに旦那さんがいて、こんにちはと挨拶を掛ける。お久しぶりですと続け、今お父さんが通ったよと言うので、今日は家族でちょっと出かけるんですよと答える。海外旅行、と言われたのには、いやいやいや、と否定し、口籠りながら、そんなにすごいもんじゃないんですけど、と言って、気をつけてなと最後に力強く掛けられたのにはいと返して進む。落葉を踏みながら坂に入り、上って行き、横断歩道を渡って駅へ。ホームに行っても母親の姿が見えないと思ったら、あとから来た彼女はトイレに寄っていたのだと言う。座席に座った父親の格好を見て、もう少し洒落た格好をすれば良いのに、と思った。セーターの上に薄灰色のジャンパー、下は苔色のズボンで、何よりそう思う要因となったのは白一色の靴下で、これが軽い茶色の靴の上に覗いているのがいかにも野暮ったく感じられた――この点はあとで母親も同じことを指摘していた。
 一〇時ちょうど発の電車に乗る。FISHMANS "頼りない天使"が頭に流れて仕方がなかった。青梅で降りて乗り換え。父親がいつも乗っているという四号車の位置に向かい、電車がやって来ると三人掛けの席に入る。席に就くと、こちらは早速、大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』を読みはじめた。父親は『心房細動のすべて』という新書を持ってきていたがここでは読まずに眠り、母親は序盤は時たまこちらに何やら話しかけてきたが、じきに沈黙した。眠ってはいなかったと思う。拝島あたりでだろうか、我々と同じく、やや高年の夫婦と息子らしい男性の三人連れが乗ってきて、やはり親戚に会いに行くのだろうかなどと思った。来年の七月に参院選があるだろうから、どこかの施設が使えなくて祭りは七月上旬になるだろう、みたいなことを話し合っていた。
 『天皇の歴史①』の一七八頁に、高尾長良『影媛』の元となった説話が紹介されているのでここに引いておこう。「[『日本書紀は、』]武烈の即位の前に、大臣平群真鳥[おおおみへぐりのまとり]が国政をほしいままにして国王になろうとしたと記す。さらに小泊瀬[おはつせ]皇子(武烈)が、大連物部麁鹿火[もののべのあらかい]の女影媛[かげひめ]をめとろうと真鳥の子鮪[しび]と歌垣の場で争ったが、敗れたので大伴金村と謀って鮪を殺し、さらに金村は真鳥を滅ぼして武烈が即位したと記す」。この物語についてはもはやほとんど何も覚えていないが、古代を舞台にしているだけあって古代的な手の込んだ文体で構成されていたものだ。この鮪(志毘)と影媛の悲恋を描いたもので、確かに物部麁鹿火など出てきていたような気がする――この大連は、筑紫国造磐井の叛乱を鎮圧した将軍として高校日本史にも辛うじて出てくる名前だったと思う。高尾長良というのはこちらよりも若い一九九二年生まれなのだが、『日本書紀』の僅かな記述から物語を一冊拵えてしまうのだから、大したものだ。
 立川で降車。ぞろぞろと連なる人々のなかに混じって階段を上り、三番線ホームに移る。特快東京行き。うまい具合に扉際を取ることができたので、父親が網棚に載せた荷物の奥にクラッチバッグを挟み、落ちないように整える。そうしてふたたび読書。空は一面青く、雲のなく、空気の澄んだ快晴で、東小金井のあたりから、果てに青く貼り付いた山影のさらに向こうに、富士山の真っ白な頂きが見えた。三鷹で乗ってきた者が多くて混み合う。若い女性の二人連れ(英語がどうとか理科がどうとか言っていたので、高校生ではないか)がこちらの目の前に位置取り、そのうちの片方はほとんどこちらに密着するような形になり、狭く、身や手のやり場に困る。そんな状況で読書をするのも意固地だが、空いた空間に文庫本を持った片手をずらして何とか書見を続行する――しかし、時折り女性の払った髪の毛が本の上に掛かったりした。中野に着いたところで、扉の目の前にいるのだから彼女らは一旦降りてくれるだろうかと思ったところが降車せず、乗り降りの客を避けるためにこちらのほうに遠慮なく背中を押し付けてくるので、これは一歩間違えたら痴漢になるぞと思った。女性らは新宿で降りた。その後は平和に書見を続ける。御茶ノ水四ツ谷あたりで乗ってきた男性が、青緑色のビンに入ったラムネをぼりぼりと食べていて、懐かしいものを、と思った。
 終点、東京駅で降車。東京に来たのは二〇一七年の六月二五日にUさんに会って以来である。その時は八重洲南口で待ち合わせ、ビルのあいだに入って中国人のやっている中華屋で炒飯などを食った。あの時は哲学の話などして楽しかったものだ。変調以後は哲学などもう読めないと思っていたし、Uさんとも話せることがなくなってしまったと失望していたのだが、調子を取り戻してきた現在、また哲学の本も読んでみようと思っているし、Uさんともまた会う機会を持ちたい。話をこの日のことに戻すと、ホームから覗いている周囲のビルがどれもひどく高い。長々しいエスカレーターを下り、人波に溢れた通路を辿って行く。途中で両親がトイレに寄ったので、そのあいだに手帳にほんの僅かメモを取った。女性トイレは人がたくさん並んでおり、母親が出てくるのも遅かった。合間、周囲の人の流れを眺めていると、キャリーケースを引いている人が非常に多い。帰省なのだろう。
 東京駅には待ち合わせスポットとして「銀の鈴」というものがあり、以前NHKの『ドキュメント72時間』でこの場所が取り上げられていたのをこちらも見たことがあるのだが、その近くに美味いかりんとう屋があるという情報を母親はキャッチしており、寄りたいようだったものの、会食の店の場所も細かくわからないし早めに向かったほうが良かろうと、寄るのは帰りということになった。八重洲中央口から出る。父親が携帯電話で路程を表示させているので、こちらは彼についていくのみである。「やけに広い横断歩道」(くるり "グッドモーニング")を一つ渡り、右に折れてもう一つ渡らなければならない。そこで信号が変わるのを待ちながら、背後を振り返って見上げると、聳えるビルの大変高くて、頂上が見えるほどに首を曲げると股間のあたりが収縮するようで、ちょっと怖くなるほどだった。横断歩道を渡り、まっすぐ進む。八重洲ブックセンターを過ぎ、左に折れて一ブロックほど行くと件のビルがあった。やはり長々しいエスカレーターにここでも乗ったが、この時は後ろに誰もおらず、また周りが包まれていない開放的な空間だったためか、高所恐怖が出てやはり股間のあたりが収縮するような感覚が訪れ、乗っているあいだ精神に悪くて早く終われと思っていた。エレベーターに乗って五階へ。
 店は「北大路 京橋茶寮」というものである。エレベーターを出ると、待ち受けていたように同時に店員の挨拶があった。着物である。店員の着物は、滑らかな艶消しの白のものと、濃紺のものと二種類があった。店員は皆朗らかで、高級店然とした整然とした動きだった。まだ兄たちや先方の両親は来ていないようだったが、室に通される。「向日葵」の部屋で、長い廊下を辿って店の一番奥にある場所だった。入ると長テーブルに膳が七つ、それにすっぽりと嵌まるような形で入れるMちゃん用の席が用意されている。膳は「北大路」の文字の入った木箱に、小鍋である。兄たちが来るのを待つあいだ話し合って、席はT家とF家でそれぞれ分かれるのが良いのではないかということになった。それからしばらくすると兄、T子さん、T子さんの母であるT子さんと父Tさん(漢字が合っているか不明)がやって来た。部屋の入口でベビーカーを片付けているところに出て行って、先方の両親にどうもこんにちは、ご無沙汰していますと挨拶をする。
 席は先ほど話し合った通りに定まった。すなわち、出入り口に一番近い席にこちら、そこから横に兄、母親、父親と並び、向かいにはこちらの前にMちゃん、そしてT子さん、T子さん、Tさんと就き、父は父で、母は母でそれぞれ向かい合って話しやすいようにした。そうして飲み物を注文し――最初はこちら以外の全員がビール、こちらはジンジャーエール。その後、晴耕雨読という日本酒だか焼酎だかや、赤ワインなどが頼まれた――食事が始まる。それぞれの席に配置されていたお品書きを貰ってきたので、下に一覧を記しておこう。

【前菜】
 一口寿司
 青菜のお浸し
 旬彩五種

【お造り】
 本日入荷の鮮魚盛り

【台物】
 黒毛和牛蒸し陶板

【揚げ物】
 季節の盛り合わせ

【蓋物】
 本日の逸品

【お食事】
 炊き込み御飯
 止椀 香の物

【水物】
 アイスクリーム

  前菜にはほかに高野豆腐と胡桃がついていた。お浸しには数の子が混ざっていた。「旬彩五種」というのはどれがそうだったのかわからない。なかったように思うのだが、寿司に添えてミョウガなどあったので、それがそうだったのだろうか――あるいは、「入荷状況により内容を変更することがございます」と記してあるのでそういうことなのかもしれない。鮮魚盛りは蛸に鮪に鰤など。小鍋に用意された黒毛和牛蒸しは味噌が混ざっており、さすがに美味く、兄も肉を口にしてこれは良い肉だと唸っていた。ほか、非常に柔らかい大根、シイタケ、マイタケ、葱などが入っており、キノコの苦手な兄は隣のこちらにシイタケとマイタケを分けてくれた。天麩羅は海老、獅子唐、薩摩芋に、魚のすり身が何かを海苔で巻いたもの。これは天つゆなどなく塩味で、お好みでレモンを掛けて食べるもの。「本日の逸品」は茶碗蒸しである。どれも美味だったが、やはり一番美味かったのは台物だろうか。天麩羅や茶碗蒸しも美味く、ジャコと山椒の混ぜ込まれた御飯も美味かった。アイスクリームは餅と苺にバウムクーヘンが添えられていたが、これに加えて父親とT子さんのものは、彼らの誕生日が一二月だからということで兄がサプライズを用意して、もう一、二品、追加されたものになっていた。兄夫婦はまたプレゼントも用意していて、T子さんには万年筆、父親にはボールペンである。
 話されたことはほとんど覚えていない。こちらは例によって黙りがちで、先方の両親が話すことなどに対して顔を向けて頷き、聞き役に回り、あるいはMちゃんに声を掛けたりしていた。T子さんが自分の食事をMちゃんに分けるのだが、赤子は食欲旺盛で、全品半分くらいは食べていたのではないか。両家の父親と兄のあいだでは、結構仕事関連の話が交わされていたようである。兄はKに勤めているのだが、ロシアでどこに工場があるのかと問われた時に、マガダンの名前が上がった。収容所のあったところだよねとこちらが口を挟むと、兄は肯定し、コリマっていうのがな、と続けた。マガダンに収容所があったというのは、クセニヤ・メルニク『五月の雪』という小説を読んで身につけた知識である。コリマに関しては、Varlam Shalamov, Kolyma Talesという洋書がうちにあるので、兄はそれを読んだのだろう。
 ほか、こちらが口を挟んだのは、ロシア人の炭鉱夫などはとにかく酒を飲むというようなことが言われた時で、そう言えば以前、アルコールなら何でもいいと酒の代わりに石鹸か何かを飲んで人が死亡したということがあったよねと言ったのだ。そのほか一応記憶に残っている話は兄の失敗のことである。T子さんは第二子を妊娠したもののうまく育たず、胎内で死産ということになってしまったのだが、その「ご遺体」を取る手術をするために、昨日だか一昨日だか入院していた。それから退院して帰ってきたその夜に、兄は酒を大層飲んで酔っ払って来て、連絡も間違えて母親のほうにするような有様で、T子さんはそれに憤慨して昨日は口を利かなかったと言う。T子さんも酒が好きなのだが、節度を保って楽しく飲むそれが好きで、悪い、汚い酔い方をする酔っ払いには大層手厳しいのだ。そうした事件を受けて兄は、ロシアに行ってからは、まあどうしても接待などで飲まなければいけない時はあるだろうけれど、酒は控えるようにする、家族の大事なイベントが有る時はそちらを優先する、「三杯まで」と決めていてもいざ飲みはじめればその三杯が四杯になったりしてしまうから、なるべく飲まないようにするということを誓わされたらしかった。この点ではやや尻に敷かれているようだ。
 ほか、山梨に集まる予定など。一月二日に親戚連中で山梨の祖母(父親の母親)の宅に集まることになっているのだが、心臓弁膜症で先般入院していた祖母の体調の問題もあるのでどうかということだったのだ。兄夫婦も一月二日は空けてあると言うので、祖母の調子(入院していた時は四六キロだったのが四〇キロまで減って退院したと言う――六キロも体重が減ったのはそれだけ身体に水が溜まっていたということなのだ。水が抜けてだいぶ楽になったらしい)が悪くならなければ集まるということになった。ほか、立川の連中とも会食を持つかという話もあったのだが、兄夫婦はロシアへの引っ越しの準備で忙しいので、これは無理にしなくても良いだろうと落とされた。どうなるかまだわからない。こちらとしては開催してほしいような気はする。立川の連中は皆愉快である。
 店にいたあいだのことについてはそんなものでいいだろう。三時頃にお開きとなった。コートを着込んでマフラーをつけ、靴を履いて、こちらは一人先に出て便所に寄る。出てくると既に全員エレベーターの前に集まっていた。店員にありがとうございましたと挨拶をして、エレベーターに乗り込む。一階で降りて、そこで解散。兄夫婦と先方の両親は、京橋にあるのだろうか(この建物のすぐ下が京橋駅だったようだ)、「コレド室町」という場所に行くと言う。そこで売っている芋けんぴが大層美味いらしいのだ。我々三人は東京駅の銀の鈴付近に寄るので、ここで別れとなった。それで来た道を駅まで戻る。母親は父親の腕を取って歩く。八重洲ブックセンターに寄りたいような気がちょっとあったが、素通りした。
 改札のなかに入り、母親がトイレに行ったところで、父親に、じゃあ俺は先に行くわと告げて別れた。中央線が通る一、二番線まで通路を長々と辿り、一五時二八分発(だったと思うのだが)の青梅行きに乗った。扉際で読書。空に広がる太陽が光線を降らせ、眩しい輝きが外のレールを電車に合わせて並走し、濠[ほり]の水に光球の姿が鏡写しになる。新宿で降車して、東口へと向かった。歌舞伎町方面の出口から出る。駅付近はやけに混み合って、のろのろと進むようだった。人波のなかにキリスト教の布教をしている人が立て看板を持って立っている。看板には「キリストは罪を負った」だったか、そのようなことが書かれており、上部についたスピーカーから、キリストを信じれば救われますみたいなことが放送されていた(あまりに単純だが、これはこちらが文言を要約して矮小化しているわけではなく、本当にそのくらいのことを言っていた)。横断歩道を渡り、右へ。ABCマートの前を過ぎ、新宿紀伊國屋書店に掛かる。ディスクユニオン中古センターはその隣のビルに入っていると記憶していたのだが、見ればここが改装だか何だかで閉鎖されている。記憶違いかと思って一応それからちょっと歩いて先に行ってみたが、記憶に合致するビルはやはり見当たらないので、閉店したかほかに移ったのだろうと判断し、折角新宿に来たのだからそれではジャズ館に行くかということにした。通りを渡って路地のなかへ。ジャズ館のある場所も変わっていた。元々ジャズ館のあったところにはほかのジャンルの店が入っており、しかしここの地下一階がJ-POP/インディーズのストアだったのでちょうどよいと階段を下った。店は狭い。通路が狭く、レコードやCDを探索している猛者たちを避けて通るのが難しい。FISHMANSは結構あった。そのうち、ライブ盤の『Oh! Mountain』(一一八〇円)、セカンドの『King Master George』(一二八〇円)、四枚目の『ORANGE』を買うことに。店員の態度は丁寧だった。三四五六円を払って退店する。
 店の前に記された地図情報を見て、ジャズ館の場所を確認する。そのあいだ入り口に置かれたアンプからはQueenの音楽が流れ出ている。音楽というか、Freddie Mercuryがライブの時に観客と一緒にやる発声練習、あの「レーロ、レーロ」というやつである。聞き覚えがあった。これは『Live At Wembley』の音源だなと判断され、案の定、その後に「Hey, hey hey heeeey! Hammer To Fall!」とこれも聞き覚えのあるFreddieのアナウンスが入って曲が始まった。そこでその場をあとにし、大塚家具の角を曲がってジャズ館のある建物へ。入る。ここもまた通路が狭い。店の奥にある階段まで行くのに、人を越えていかなければならず、動線が広く整備されていない。ここの二階が中古センターになっていたので、寄る。FISHMANSを見ると、ファーストである『Chappie, Don't Cry』(一一八〇円)があったので、これも買うことに。それからジャズをちょっと見たのだが、通路が狭いし、品揃えもさほどでなくて気乗りがしなかったので、さっさと購入に。BGMに聞き覚えがあってなんだろうかと思っていたところに、"Under My Thumb"が始まって、The Rollins Stonesだなと同定された。
 それから一階上がってジャズのフロアへ。ジャズ館が縮小されたのは残念だが、品揃えは豊富で、フロアも以前よりも広いのであまり衰えてはいないかもしれない。以前は一階が新品、二階が中古の新着、三階が中古という配置だったのだが、新しい店は中古も新品も一緒くたにして棚に置かれていた。Paul Bleyを見る。次にベースのあたりを見る。ここでギターのAlan Hamptonの『Origami For The Fire』(一一〇〇円)を見つける。これは買うことに。それからChris Potterを目当てにサックスのほうへ。Mark Turnerを見るが買うほどではない。John Coltraneの一九六一年のVillage Vanguardのコンプリートライブ盤四枚組が三五〇〇円くらいであって、これは欲しかったが、しかし七枚組『Live Trane - The European Tours』もまだ全然聞いていないしなと考えて断念する。それからCharles Lloyd。並んだもののなかから、Zakir HussainとEric Harlandとやったライブである『Sangam』を買うことに(一〇〇〇円)。ライブ音源であることが購入に当たってはやはり大きい。それからChris Potter。近作の『The Dreamer Is The Dream』と、オーケストラでやった『Imaginary Cities』で迷う。何となく三枚にしようと思っていたのだ。しかし結局、ええい両方買ってしまえというわけで、四枚にしてレジへ。BGMにはやはり聞き覚えのあるものが混ざっており、Joe Hendersonの『Page One』ではないかと思ったが、多分違うだろう。レジに行くと、あと一枚買えば一〇%引きになるがと言われた。あ、そうですかと受け、しかし、いやいいですと断る。横ではレコードを試聴している人がいた。会計は五一〇〇円。袋をバッグに入れて、階段を降り、ふたたび狭い通路を通って退店。駅へ。
 東南口から入る。意気揚々と歩いてくる人々とすれ違って、中央線のホームへ。一番前の車両に向かう。ちょうど高尾行きがやって来たところだった。扉際、取れず。その前に位置取りして、バッグを足の間に置き、外を眺めながら揺られる。空の果てには薔薇色に縁取られた雲が横に群れて浮かんでいる。中野を越えるともうその薔薇色は雲から離れて水平線に垂れ落ち橙色と混ざり、街並みには宵闇の先駆隊が忍び入りはじめている。一分ごとに着実に暮れていく夕刻である。三鷹に掛かったあたりで携帯電話を取り出して、Mさんのブログを読んだ。書くのを忘れていたが、東京を発ったあたりでNからメールが入っているのに気づいた。調子はどうか、今日か明日、立川に買い物に行こうと思うが、飯がてらどうかと言う。一瞬今日会おうかとも考えたが、日記が長くなることが目に見えていたので、明日にすることにした。それで、調子は結構良くなってきた、それじゃあ明日会おうと返し、それから間を置いてやり取りを続けて、明日の一四時に待ち合わせることになった。
 立川で降車。二番線、青梅行き。五時一三分発。席に就くことができ、落ち着いて本を読める。読書を続けて青梅まで。乗り換え、間もなくやって来る。乗ってふたたび本を読み、最寄りで降りると、ホームの先のほうに真っ赤なコートに白いバッグを掛けた姿が、宵闇のなかに浮かんで見える。母親である。ちょうど両親と同じ電車で帰ってきたのだった。こちらに気づかず先を行く彼らのあとを追って行く。横断歩道を渡り、暗い坂へ。木々が黒々と、濃紺色の空とほとんど同化している。風は冷たいが、震えるほどではない。平らな道に出ると、前方に父親の姿がある。手に持った荷物を揺らすのが犬を散歩させている影のように見えて別人かとも思ったが、良く見ればやはり袋だった。家の前まで来ると父親は立ち止まってこちらを向いた。近づいて行き、母親はと訊くと、駅でトイレに寄ったと言う。こちらは玄関の鍵を開けて(父親は鍵を持っていなかったのだ)、居間に入ってカーテンを閉めていると母親も帰宅した。下階に降りてジャージに着替え。それで台所へ。野菜炒めを作って中華丼の素を混ぜると言う。白菜が多量、既に切られてあった。それに玉ねぎを追加して切って、フライパンいっぱいの野菜を炒める。強火でだいぶ炒めて水気が出たところで中華丼の素を加える。その他、チンゲン菜を胡麻和えにした。ほか、母親はレンコンを炒めて鮭を電子レンジで熱していた。支度を終えて下階へ。
 ブックマークに追加してあるブログ類を読みながら買ってきたCDをインポートする。結構掛かって、それでもう八時前。食事へ。野菜炒めを丼飯の上に持って、醤油を掛けてともに食う。食後、入浴、八時半頃から。身体は相変わらず痒く、腕の発疹が広がってきている気がする。出ると自室に戻り、九時二〇分から書き物。ここまで一気呵成に書いて一一時四〇分である。BGMはJohn Coltrane『Live Trane - The European Tours』。文体などもはやどうでも良い、という心境になっている。流れるように「ただ書く」という領域に近づいているかもしれない。記録的熱情の発散。こうして書いてみると、いまここまでで一万六〇〇字を数えているわけで、記憶力が以前よりも衰えたと思っていたが意外と結構覚えているものだ。家の中での動きなどはなかなかあまり明晰に思い出せないのだが、外出すると何だかんだで世界の流れがあるというか、感覚的刺激が多いので結構記憶に残るのだろう。
 結局自分には日記を書くことしかできない。保坂和志が、人間には無限の可能性があるなどと言われるが、三〇歳くらいになるとその可能性が一つに狭まって行く、収斂していく、「できない」可能性の選択肢が消えて、捨象されて、「これしかできない」というものが見えてくる、というようなことを言っていたような記憶があるが、自分にとっては日記がそれだろう。ともかくも、毎日一行であれ、どんな文体であれ、どんな内容であれ、戯言であれ、とにかく書き続ければそれで良いのだ。書き続けた者が勝ちである(何の?)。それがこちらの原点だ。
 歯磨きをしながら一年前の日記を読み返した。この日は立川で兄夫婦と会食をして、その後書店で本を見分している。興味を惹かれたものとして記されていた書群を改めてここに引いておく――バンヴェニスト『言葉と主体』、アラン・クルーズ『言語における意味』、ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『肉中の哲学』、ヤコブソン『言語芸術・言語記号・言語の時間』、S・ダーウォル『二人称的観点の倫理学』、三浦俊彦『虚構世界の存在論』、リチャード・シュスターマン『プラグマティズムと哲学の実践』、ジャコブ・ロゴザンスキー『我と肉』、M・アンリ『受肉 <肉>の哲学』、入谷秀一『かたちある生』、B・ヴァルデンフェルス『講義・身体の現象学』『経験の裂け目』、中敬夫『行為と無為』『身体の生成』『他性と場所 Ⅰ』、田口茂『フッサールにおける<原自我>の問題』、山形賴洋『声と運動と他者』、吉永和加『感情から他者へ』、斎藤慶典『生命と自由』、菊地恵善『始めから考える』、ジョン・マクダウェル『心と世界』、ブリュノ・ラトゥール『近代の<物神事実>崇拝について』、ヤン・エルスター『合理性を圧倒する感情』、ゼノン・W・ピリシン『ものと場所』、ブルーノ・ラトゥール『虚構の「近代」』、D・デイヴィドソン『行為と出来事』『真理と解釈』、永見文雄『ジャン=ジャック・ルソー 自己充足の哲学』である。
 それから、二〇一七年九月七日の日記も読み返した。

 文字を見つめている瞳の奥から睡魔が炭酸の泡のように増殖して、脳を痺れさせていた。それに耐えながら言葉を追っていたが、ある一瞬、意識の位相ががらりと変わって現実を離れ、しかし眠りに落ちはしない中途半端な状態を保ったまま、半ば夢のような精神世界のなかに落ちこんだ時があった。世界が切り替わると同時に、「許さない」という女性の声がはっきりと右耳に響き、その言葉が語尾まで到らないうちに脳内に何かが生まれて高まりはじめ、それと同時に自分の口がひらいて意味をなさない呻きのような声が出た感触がかすかにあった。そしてその声は、高まって脳内に浸潤していく液体のような何かと同化して叫びと化したのだったが、その叫びはおそらく頭のなかだけに響いていたもので、自分が実際にそれと呼応して声を上げていたのかどうかは定かではない。中途半端な昼寝を取った際に、金縛りのような状態で意識がちょっと覚醒して、脳が水のなかで溺れているかのように苦しげな時間が時折りあるものだが、それに似た苦しさと痺れの感覚があった。それはまた、(あとになってのことだが)過去の日記にも書きつけたいつかの夢をも思い出させた――どこかの一室で、やけにのっぺりとしたような顔の若い男がいるのだが、彼が口をひらいて、しわがれたような声音で何かを発すると、それを引き金として夢の世界がめくれて不穏な色に満たされ、直後に目が覚めたのだったと思う。それに似た、数秒間での素早い様相の変化を目の当たりにしながら、大麻を摂取するとこんな風になるのだろうか、またあるいは、統合失調症の人が体験する幻覚や幻聴というのもこんなものかもしれないな、とちらりと思った。叫びが静まったあとには、低くくぐもった、火薬の爆発するような音がいくつか小さく繰り返され、そのうちに目をひらいて現世に帰ってくることができた。

 陽の色はない空で、雲が上下に分かれて湾のように曲線を作り、そのあいだを満たす空の青さは、ミルクを目一杯混ぜたカフェオレのようにまろやかで、同様に周りの雲の灰色も雨の香りを感じさせない和らぎ様で、二つの接する領域が長閑にまとまって調和していた。窓の左側から鳥が小さく現れ、空の前を通過する時はその姿がかろうじて視認されるのだが、電線の上に降り立って川沿いの林を向こうにすると、もう見えない。右方からは、どこかでものを燃やしているらしく、煙が湧いて、少しずつ形を変化させながらもしかしその中核の灰白色は保って、左へとゆっくり這うように流れていった。

 文の構築、描写に関しては今よりもこの頃のほうがよほど頑張っているというものだろう。世界から取り込む/読み取る情報量が多く、より細かく分節して書いていることがよくわかる。
 その後、ベッドで書見。一時四五分まで読んで就床。例によって眠気なし。三〇分後に時計を見たのは覚えている。その後、無事に寝付いた。