2018/12/31, Mon.

 四時頃に一度覚める。二度寝成功。六時直前に正式な覚醒。カーテンを開けて南の山際に揺蕩う朱色を見てから、大津透『天皇の歴史① 神話から歴史へ』を読み出す。やはり身体は痒く、寝間着のなかに手を突っ込んでぼりぼりとやりながら、寒いので臥位のまま布団に潜り込んで片手だけを外に出して読み進める。時間が経つと山際から漏れていた橙色はかえって低く、薄く控えめになって、薄紫色、次いで純白が見えはじめる。右方にはこれから西へと漕ぎ出して行く三日月が浮かんでいた。朝ぼらけ、有明の月、というわけだ。六時半頃を迎えると、雲の下腹が薔薇色を湛えて、それから一〇分ほど経つとその色もなくなって空はすっきりとした青に染まる。七時を越えると太陽が山の向こうから姿を見せて、射し込んだ光線が窓に切り取られながら入り口の扉の横に溜まり、矩形をひらかせる。壁に一時間ほど読んで読了した。面白かったのはやはり神話の記述だろうか。この点自分の感性は歴史学的というよりは、やはり文学的なものであるらしい。肝心の天皇制の詳細とか、官制、政治関連の事柄は細かく史料が引かれたりしてなかなか難しく、と言うかそれをこまごまと深く理解し記憶するだけの興味が持てず、読んだと言っても本当にただ読んだだけで、ほとんど頭には入っていない。
 コンピューターを点け、インターネットを一瞬瞥見してから上階へ。「弱」に設定されていたストーブを「中」に変え、その前に立って脚を温める。テレビには浅田真央が出演して、『真央が行く』という旅の企画を行っていた。台所に行くと、小鍋に卵が二つ茹でられているのはいつものことである。前夜の残りである鍋があったので火に掛け、納豆を冷蔵庫から取り出してタレと甘味のある酢を混ぜる。それから米をよそり、卓に運んでおくと、鍋が温まるのを待つあいだに外に出て新聞を取った。息が白く染まる。新聞は何故か読売と朝日の二つが入っていたが、あとで訊けば一月から読売になるのだと言う。戻って鍋をよそり、卓に就いて新聞をひらくと、母親が下階から上がってきた。新聞には特に興味を惹かれる記事はなかった。ものを食べて薬を飲み、皿を洗ってテーブルを台布巾で拭いておく。そうして、洗濯機が止まるまでまだしばらくありそうだったので、自室に戻った。時刻は八時前。早速日記を書き出す。なかなか勤勉な取り組みぶりである。変調以前、一年前のこの頃は書きたいことが頭のなかにたくさん溢れていながらも、いざ記すのに骨が折れるというか、後回しにしてしまうこともあったような覚えがあるのだが、ここ数日はまったく気負いなく、すらすらと書けている。まさしく一筆書きという感じだ。頭がまた日記を書くモードになってきたというか、精度はともかくとしても、脳内の自動筆記装置、「テクスト的領域」が復活しつつあるのかもしれない。
 上階へ。洗面所に入ると洗濯が終わっていたので、籠に洗濯物を収めてベランダのほうへ。母親と協力してタオルや衣服を干す。テレビは『半分、青い。』の再放送を流していた。それから緑茶を用意して自室に戻る。そうして、昨年の日記。「カタルーニャ関連の記事を読もうとするのだが、文を追っていたはずがいつの間にか自分の頭のなかの言語にまた目を移しており、目の前に書かれてある文章を読み取ることができない、ということが繰り返された(……)」とある。頭が自生思考に侵されはじめているようだ。また、夜眠る時にはいわゆる「禅病」らしき強烈な足の冷えに襲われている。瞑想をやりすぎたためなのだろうか、自律神経がどうにかなっていたようである。ほか、ミシェル・フーコー中山元訳『真理とディスクール パレーシア講義』を元にした考察。読む前には一年前のこの頃の記述はもっと良く書けていると思っていたのだが、考察を読み返してみるとさほどでもないと言うか、特に目新しい考えが披露されているわけではないものの、まあそれなりなので下に引いておく。

 まず、一四二から一四五頁に、プラトンの『ラケス』が紹介されており、「話す人と話されることが同時に、互いにふさわしくて、調和しているということを観る(……)。そしてこのような人はたしかに「音楽家[ムーシコス]」であると私には思われる」という作中のラケスの発言や、「ラケスはソクラテスの語ることと行動、言葉[ロゴイ]と行為[エルガ]が調和していると語るからです。ですからソクラテスはたんに自分の生について語れるだけではありません。自分の生についてのロゴスが、行動においてすぐに<見える>ようになっているのです。語ることと行うことの間に、いかなる齟齬もないのです」というフーコーの説明が見られる。ここにある「言葉と行為の調和」とは、こちらの言葉に置き換えれば明らかに、「書くことと生きることの一致」に相当するテーマだろう。さらに別の言葉を使えばそれは、「ロゴスとビオスの一致」ということになるわけだが、例えば自分の「日記」の営みにおいて/関連して、ここで言われている「生についてのロゴスが、行動においてすぐに<見える>ようになっている」という状態は、どのように実現されるのか? まず、この「日記」の意義を考えてみるに、第一にそれは、自らの生活/生に対して「隅々まで目を配ること(視線を向けること/監視すること)」である。コンピューターに向かい合って脳内に記憶を想起させながらキーボードを打っている時は勿論そうだが、それに留まらず、そもそもこちらは生を生きているその場において[﹅7]、そこで認知したものなり、自分の行動/心理/身体感覚なりに目を配っている(ヴィパッサナー瞑想の技法)。すなわち、自分においては「目を配ること」(そしてそれはこちらの場合、「書くこと」に等しい)は即時的/即場的な行為である。一方ではこちらにおける「書くこと」は、過去の経験の「想起」の問題/技法としてあるが、他方ではその場における「記憶」の問題/技法としてある(あるいは後者を、「瞬間的な想起」として考えても良いのかもしれないが)。つまりはこちらの生/存在様式においては、ヴィパッサナー瞑想の技法及び書き記すことに対する自分の欲望を経由して、「目を配ること」が「書くこと」に直結し(前者が後者とほとんど等しくなり)、「書くこと」が生の領域において「全面化/全般化」している。
 ここにおいて自分自身(及びその体験)に「目を配り」、「書くこと」とは、自己の存在そのものを(即時的に、また回顧的に)テクスト化するということであり、言い換えればそれは、自分をテクスト的存在として(再)構築すること、あるいはまた、自己のテクスト的分身=影を構成/創造するということになる。そしてそのようにして構成されたテクスト的な自己が、逆流的/還流的に、生身の存在としてのこの自分自身[﹅16]に戻ってくる/送り返される、このような生と言語のあいだの往還がそこにおいては発生するだろう。言語を鏡として自己を観る、という言い方をしても良いと思う。
 自己を言語的に形態化することによって定かに観察/認識し、自分にとって望ましい基準/原則に沿ってその方向性/志向性を調整/操作することになるわけだが、これを言い換えれば、反省/反芻による自己の統御/形成ということになると思う(「書くこと」は明らかに(即時的/回顧的に)「反芻すること」から生じ/「反芻すること」ができなければ「書くこと」は存在せず、「反芻」に「評価」という一要素を加えるだけでそれは「反省」に変化する)。よく覚えていないのだが、グザヴィエ・ロート『カンギレムと経験の統一性』を読んだ記憶によると、一九世紀から二〇世紀のフランス哲学のなかには、確か「反省哲学」というような系譜があったらしく、具体的な名前で挙げれば、まずラニョーという人がおり、その弟子がアランだったらしい。そしてカンギレムは若い頃アランに傾倒していたらしく、この著作はカンギレムをこの伝統/系譜のなかに位置づけつつ、彼が受け継いだもの、受け継がなかったものを明瞭化するというような試みだったと記憶しているが(具体的な論点はほとんど思い出せないのだが)、ここにおいて自分にとって何よりも重要なことは、ジョルジュ・カンギレムという思想家は、ミシェル・フーコーの師だった[﹅30]ということである(確か、論文の指導教官を務めていたはずだ)。このあたり、どうも繋がってくるのではないかという気がする。
 話を戻すと、「自分の生についてのロゴスが、行動においてすぐに<見える>」というような状態を実現させるためには、「反省/反芻による自己の統御/形成」のその痕跡/形跡が、具体的な個々の行動において表れるようになっていなければならない。つまりはこのように日記を綴り、「反省/反芻」の目を自分自身に向けることによって導出された言語的な原則/行動基準(ロゴス)が、ある時空における行動/実践において具現化されていなければならないというわけで、言い換えれば、自己を「彫琢された存在」として現前させなければならないということだ。より平たく言えば、「あの人は自分自身及び他人に(ある何らかの仕方で)気を配っているな」という感じを他人に与えなければならないということで、したがって当然、「ロゴスとビオスの一致」の現前を実現させるためには、「目撃者の生産」がそこに伴うことになる。
 そのような「ロゴスとビオスの一致」を実現し、「彫琢された存在」となった主体の例を考えてみるに、最も直近のものとして思いつくのは、この二日前に中華料理屋で見かけた女性店員の所作の「優雅さ」である。彼女だって働きはじめた当初からあのような動作形式を身に着けていたわけではおそらくなく、自らに視線を差し向けることで(自らに気を配ることで)「自律」を働かせ、それを次第に自然さにまで高めたのではないか。つまり彼女は、身ぶりに「芸術的」ニュアンスを付与することに成功しており(少なくともある一面において自己を「芸術作品化」することに成功しており)、それを見た自分は(「目撃者」として生産された自分は)、彼女は自分自身に気を配っているな、という印象=意味をそこから引き出すことになった。これが何に繋がるかと言えば、(芸術作品による)「感染/感化」のテーマであって、フーコーが一五八頁で述べているのだが、グレコ・ローマン期のパレーシアの目標は、「ある人物に、自己と他者について配慮する必要があると納得させることです。その人物に、自分の生活を変えなければならないと考えさせるのです」という言も、そうした方面から読み、考えることもできるのだろう。

 また、この日は部屋の掃除をしていて、その途中、(……)の結婚式で貰ったメッセージ・カードを発見して、捨てかねている(しかしこれは今しがた探してみたところ、見つからなかった)。それで思い出したのだが、自分の引き出しのなかには高校時代にクラスメイトから貰った手紙などが未だに保管されてあるのだ。これらをいい加減もう捨ててしまうことに決めたのだが、ただ廃棄するのは忍びないので、文言を日記に写しておくことにした。すべてのテクストは記録される価値がある。一つは塾で働いていた数年前、卒業していく同僚の講師から貰ったもの、二つは一七歳の誕生日に、当時仲良くしていた女子クラスメイトから貰ったものである。

(……)

(……)

(……)

 思い返してみるとこの高校生の頃が自分の人生のピークだったと言うか、有り体に言って女性にも一番モテていた時期だろうと思うのだが、当時はそんなことはわからない。実際、この二人からもそれなりの好意を持たれていて(バレンタインデーのチョコレートなど貰っていたはずだし、(……)さんからは一応告白もされたと思う――しかしその告白というのがこちらの手違いで良くないものになってしまったというか、メールでやり取りをしながらこちらが先手を打って、「俺のこと好きなの?」などと訊いてしまったのだ。メールを送ったあとに、これは失敗したな、(元々断るつもりではあったのだが)きちんとあちらから思いを伝えさせてあげるべきだったと反省した、という苦い思い出がある。(……)のほうも、三年生の頃だったかに、「一時期好きだった」とか言われた覚えがある。ちなみにこの二人は考えてみればどちらも、昨日会った(……)と付き合っていた女子で、(……)さんについては昨日もほんの少し話題に出て、どうやら結婚したらしいと言う)、うまくやれば付き合うこともできたのだろうが、その点ひどく不器用でうまくやれないのが自分なのだ。そうしてそのまま、女性との付き合いなどないままに現在に到っている。
 FISHMANS "ひこうき"を流しながら服を着替える。母親と買い物に行くことになっていたのだ。それで上階に行き、風呂を洗おうと思ったところが、洗剤が空になっていて洗えない。まだ結構あったと思うのだが、前日の大掃除で父親が全部使ってしまったらしい。それで風呂は買い物に行ってから洗うことにして下階に下り、もうモッズコートを着てしまう。引き出しを探っていると(……)からのメッセージ・カードを発見したので、短いものだがこれも写しておく。「(……)」。
 インターネットを覗いたり、自分のブログにアクセスして日記を読み返したりしていると、天井が鳴ったのでそろそろ行くのだなとコンピューターを閉じて部屋を出る。上階へ。母親の支度を待つあいだ、ぼけっと立ち尽くして宙を眺める。炬燵テーブルの天板の上に陽射しが広がり、その上の空中、光線のなかに塵が舞って、目にようやく視認されるほど微小でもやはり質量と複雑な形を持っているわけだろう、光の当たる角度が刻々と変わるようで、蛍の尻のようにうっすらと明るみを帯びてはまた宙に沈んで見えなくなる。その後、母親に渡された丸まった袋を放ってはキャッチして遊びながら待ち、出発。玄関をくぐって向かいの家の脇、日向に入って母親があとから出てくるのを待つ。林からは鵯だろうか、鳥の声が降ってきて、どこか遠くからはトタン板を叩いているような響きが伝わってくるのは、(……)さんの家を解体しているおそらくその音だろう。道路の上、空中には先ほどの埃と同じように微細な虫が無数に浮遊し、快晴なのに雪の前触れのように、あるいは何かの精霊のように、集団で蠢き入り乱れている。寝癖を直すのが面倒だったので久しぶりに帽子を被ったのだが、そのつばの下の顔にまで光線が漂い触れて暖かい。母親が車を駐車場から出すと、助手席に乗った。何かいい音楽はないかとダッシュボードを探れば、Donny Hathaway『These Songs For You, Live!』があるので、CDを挿入して掛ける。町を渡って行くあいだ、冒頭、"Flyin' Easy"を、歌詞がわからないので適当に口ずさむ。途中、母親は例によって、職を失うっていうのは……と繰り言を漏らす。(……)の踏切りに掛かったところで、家に帰るとまたやることがたくさんあるし、と言うので、しょうがないじゃん、生きてるんだから、と身も蓋もないことを言って宥める。その頃には音楽は三曲目、"Someday We'll All Be Free"に移っており、母親と話す合間にこれを小さな声で、しかし熱を込めて歌う。文句なしの名曲、名演である。次の"You've Got A Friend"も同様、歌いながら到着を待ち、五曲目、"He Ain't Heavy, He's My Brother"の途中で(……)に着いた。車から降りると、揚げ物の良い匂いが鼻に香る。カートに籠を二つ乗せて入店し、まず葱を見ると二本で一二九円で、高いと母親は言った。それからモヤシを二袋取り、玉ねぎの詰め合わせは一袋一九九円。その他、併設されている一〇〇円ショップで梱包材を入手したり、冷凍の唐揚げに南瓜、パン、チューハイ一本、シーフード・ミックスなどなど、籠がいっぱいになるまで集めてレジへ。こちらが並んでいるあいだに母親は蜜柑を取りに行った。戻ってきた時、既に店員が商品の読み込みに入っていたが、こちらの後ろには老婆が一人入っていて、母親はその後ろに就く。老婆に遠慮して分けて会計をするつもりだったようだが、一緒にしてしまえとこちらが老婆越しに蜜柑と花を受け取り、これもお願いしますと言って籠に追加する。母親は老婆に後ろから、すみませんねと快活に謝っていたが老婆は反応を示さない。耳が遠くて聞こえないのかと思えば、もう一度声を掛けられて首を振るか手を出して振るかしていたので、聞こえてはいたようだ。母親はその後も二、三回、ごめんね、申し訳ありませんなどと謝っていた。会計は五千いくらか。整理台に移動して品々を持参した袋に入れて行く。袋は三枚になった。こちらが二つを両手に提げ、母親がカートに一つ乗せて出口へ。母親は入り口近くのオレンジの試食に立ち止まっていたので、こちらは彼女を置いて先に車のところに戻る。この試食コーナーに関しては入店した時にももちろん目にしており、その時思い出したことがあって、それは刑事ドラマ『相棒』の一エピソードのことで、飯も食えないほどの貧困に陥った人が試食コーナーを渡り歩いて何とか食事を確保していたのだが、ある時パン屋だったか菓子屋だったかの女性店員に、「たまには買ってくださいね」と言われて絶望し、殺人に見せかけて自殺してしまうという話のことが一瞬で頭のなかに想起されたのだ。それで、現実にこの世にはそういう人もいるのだろうななどと思いを馳せながら野菜の区画を歩いたのだった。
 母親はすぐにやってきた。後部座席に荷物を乗せて助手席に入り、発車すると靴を脱いで偉そうに脚を組む。先ほどの老婆が自転車に乗って帰るのを見かけて母親は、あのおばさん、自転車だ、すげえな、な、と言っていた。"What's Going On"を歌う。(……)へと続く立体交差の下り坂まで来ると母親が、女の人はお正月大変だよね、特に長男の嫁なんて、と口にする。料理教室の人が言っていたけれど、来るばかりでこっちから行ったことなんて全然ないって、それに行ってもお昼も出ない、来た人たちはさんざお昼ご飯を食べて行くのに、こちらが行けばお昼どうする?って感じなんだって、と話す。そうだろうなあと心のなかで思いながら歌を歌い続け、曲は"Yesterday"に移る。スローでメロウでソウルフルなアレンジのこのThe Beatlesのカバーも魅力的である。このアルバムは本当に隅から隅まで名演揃いで捨て曲というものが一つもなく、最高のライブ音源の一つではないかと思う。坂を上って(……)まで来ると、交通整理員を目にした母親が、今日は亀仙人いないのか、三一日は休みなのかと言う。それからまたしばらく走って帰宅。ウインド・ブレーカー姿の父親は大根を取って外の水場でそれを洗ったところだった。隣家の前には(……)さんが出ており、箒で落葉を掃き掃除している。こちらは荷物を持って家のなかに入る。母親は(……)さんに大根を一つあげていたようで、さらにあとから買ってきたパンも一袋あげていた。こちらは買ってきた品々を冷蔵庫に収め、そのまま着替えないうちに浴室に入り、買ってきた詰め替えの風呂洗剤を容器に移す。ちょっとこぼしてしまって手や容器がべたべたとなった。そうして風呂を洗い――父親が前日頑張ったようで、窓の縁の目地の黴など結構なくなっていた――自室に帰る。FISHMANS "ひこうき"を流して服を脱ぎ、シャツは脱がずにその上からジャージを着る。そうして排尿してくると即座に日記に取り掛かる。ここまで記して一二時半前となっている。BGMはThe Beatles『Help!』だった。
 Twitter。「今年は統合失調症めいた精神の変調から始まって、四月頃からは鬱病にやられ、ほとんど何もしていなかったというか、今年という時間そのものがなかったかのような感じがするのですが、ともかくも年の最後にまた日記を書けるようになって良かったです」。「日記を書けさえすれば、自分の人生は死ぬまで退屈しないはずだ」。それから上階へ。鍋の残りのなかに米を入れて作ったおじやを頂く。テレビは年末ジャンボ宝くじの当選発表回。これは昨年のこの日も目にしていて、その時は小池百合子都知事が招かれて挨拶をしているのに、「貼り付けたような笑み」とはまさにこのことだな、などと雑感を漏らしているのだが、今年挨拶をしたのは総務大臣だった。ほかにゲストとして二人、何とか言う指揮者の人と、ヴァイオリニストの宮本笑里が登壇していた。食後、両親の使った分もまとめて皿を洗う。それから母親に、下の部屋の石油を入れたかと訊くと入れていないと言うので、両親の室に行き、ストーブの小さなタンクを持つ。外に出て勝手口のほうに回り、タンクに石油を補充する。冷たい風が吹き、林の竹の黄色味がかった葉っぱがさらさらと音を立てて揺れる。父親は蛍光的な色の防水服のようなものを着て、高圧洗浄機らしいものを用意していた。駐車場を掃除するようだ。あれは何というのだったかと思いながら、黄色い機械の表面に書かれている「KARCHER」という文字を見て、そうだケルヒャーだと思い出した。なかに入り、ストーブのタンクを戻してから室へ。一時。二〇一六年九月六日の日記を読み返し、ブログに投稿する。それから『天皇の歴史①』の書抜き。BGMは『川本真琴』。三箇所を早々と終わらせると、日記を読みながら食べていたポテトチップス・コンソメパンチ味の残滓が口のなかに漂うのが気になって、茶を飲むことに。上階に行って緑茶を注ぐ。母親はメルカリで売れたコーヒーカップのセットに、先ほど買ってきたシートを巻き付けて割れないように包み、梱包作業を進めていた。戻って(……)さんのブログを読む。その途中で(……)からメール。先ほど、年末年始は(……)に来ているのか、そうなら久しぶりに会えたらと思うがどうかと送ってあったのだ。ちょうど今日、時間があると言う。それならちょうど良いな、何時が良いかと送って、四時半前後ではどうかとなったので了承した。そうして日記をここまで書き足して二時。川本真琴 "タイムマシーン"を繰り返している。エモーショナル。
 書抜きの読み返し。Chris Potter『The Dreamer Is The Dream』を掛けながら。沖縄関連の記述をぶつぶつと音読していると、母親がやって来て、梱包を手伝ってくれと言う。メルカリで売るコーヒーカップのことである。それで音楽を止め、上階へ。箱の蓋と下部をガムテープで接着するのを手伝う――と言っても、こちらはただ箱を押さえていただけである。四面にガムテープを貼り終えると、今度は、緑色の背景に幼児的な絵柄で熊やら麒麟やら動物が描かれたイトーヨーカドーの包装紙を切り、箱の上から被せるようにして貼り付けた。そのようにして作業を終えると便所に行ってから自室に帰る。ふたたび音読。三時になったら支度をしようと思っていたところ、二八日の分を読んでいる途中で時刻を迎えたので、中断して歯磨き。そうして服を着替える。白の地に、腕の部分に薄水色でストライプの入ったシャツ以外は昨日と同じ格好である。着替えると上階へ上がって出発。まだ玄関の外で作業をしていた父親に、出かけてくると告げると、どこへと訊かれたので、(……)と続けて答える。母親は何故か車に乗っていた。そこから出てきて、カーディガンは着たかと言うので、昨日と同じくああ、と簡潔に虚言をつく。さらに続けて手袋を持って行ったらと言うのにも、いいと答えて歩き出した。空はまだまだ水色に明るいが、道は全面日蔭となっている。坂まで来ると、南側の斜面の木々が伐採された場所だから日向があるが、それは短く、すぐにまた木々に囲まれた日蔭に入ってしまう。街道。僅かばかりではあるものの日向のある北側に渡りたいが、車が多くてなかなかチャンスがない。ようやく渡った時には、西南で太陽が雲に隠されて日向は閉じていた。雲は昨日より多く、太陽を遮っている一角は焼きつけられたような純白に明るんでいる。小公園まで来ると太陽は雲から逃れたようで、日向が生まれた。
 表の道を行くか裏に入るか迷う。一度裏道に入りかけながら、いややはり、いややはり、としばし左右に行き来して、結局考え事のしやすそうな静けさを取るかということで路地に入った。歩きながら(……)さんのことを思い出し、年の瀬だしメールを送ろうかと考え、どういったことを綴ろうかと頭を回す――と言うか、勝手に頭のなかに文言が無秩序に回るのだが、じきに思考は逸れて行く。鬱症状のピークだった夏頃は希死念慮に襲われて、ベッドに伏しては近所の橋から飛び降りることを想像していたものだが、日記もまた書けるようになったし死ななくて良かったなと思った。一時は本気で、冬になったら練炭を買おうと考えていたのだ。しかしそのうちにそうした心も挫けて現世に踏み留まったのだが、それには次のような考えが寄与している――自殺者遺族の人々からしてみれば噴飯物の考え方であることは承知で記すが、自殺に成功した人間というのは、一種のエリート、選ばれた者[﹅5]だと考えたのだ。アイドルやロックスターになりたい者はごまんといても、実際にそうなれるのはほんの一握り、そしてその周りには夢破れて目的を達成できなかった人々が遥かに大勢いるのと同じことで、自殺者の周囲には自殺失敗者がそれよりも多数存在しているに違いない。そして、インターネットで自殺の失敗談を読むにつけて、自分はきちんと死に切る[﹅4]ことができないだろう、自分が自殺を試みたとしても必ず失敗するだろうという確信を強めたのだ。それで何か後遺症なり残った状態で生を保ってしまうほうが、ある種死に切ることよりも怖いのかもしれなかった(死自体が怖いという心も勿論あったわけだが)。希死念慮に襲われている人がもしいたら、自殺失敗者の体験談を読むことをお勧めする。
 しかし自分は今、本当に生きているのか? 勿論生きて、歩き、こうしてまた文を書いているのだが、その実感があまり湧かず、薄いようなのだ。そのことについて歩きながら思考を巡らせるに、それはこの世界には究極、現在時しか存在しない[﹅9]ということが体感されているのではないか、と思いついた。過去と未来は明らかに我々の思考が作り出した観念的存在である。それを人間は概ね実体化して捉えてしまう傾向があるわけだが、その実体化の度合いが以前よりも低くなって、過去と未来というものが仮構物であるということが、以前よりも身に沁みて[﹅5]感じられるのではないかと考えたのだ。それしかこの世に存在しないはずの、純粋な現在時の持続――それを実感するというのは、ヴィパッサナー瞑想の目指す悟り[﹅2]の境地ではないのか? 自分はそうした地点に達したと言うのか? まさか。しかしこの仮説に今はひとまず従うとして、現在時の持続がまざまざと感じられるようになったとしても、それはこちらにおいては現実感を強化するよりはむしろそれを奪い、稀薄にして、夢のなかに生きているような感覚を与えるようである。ところで、過去と未来が切り捨てられた純粋な現在の持続とは、また表層の連鎖ということではないのか? 絶え間ない表層の生成/推移――それによってもたらされる非現実感、自分において日記を書くこととは一種、それに抗うことではないのだろうか。
 また別の面から考えると、自分が日記を書くのは明らかに、時間が過ぎるものだから[﹅11]である。砂の柱が毀たれ、崩れ落ちて行くように、現在の一瞬一瞬が「時の階[きざはし]を滑り落ちて」(シェイクスピア福田恆存訳『マクベス』)行き、すべては消えて流れてしまう。そのことに納得が行かないような、釈然としないような、それを認めたくないような思いがあるのだ。日記は自分にとって、その違和感の表現だと言えるかもしれない。
 そんなことを考えながら歩き、駅に到着する。ホームに上がり、二号車の三人掛けに就く。そうして手帳に、歩いているあいだのことをメモする。発車してからも赤のボールペンを走らせ、現在時に追いつくには(……)まで掛かった。それから、『後藤明生コレクション4 後期』を読み出す。脚を組み、クラッチバッグは隣の座席に置いておく。二つ隣に座る人が来たらどかそうと思っていたのだが、人が乗ってきてこちらに来るかと思いきやその前を通って一号車へと抜けて行く、ということが二度繰り返された。(……)に到ってついに座る者が現れたので、バッグを二つ折りにしてこちらの右脇に置く。そうして書見を続け、(……)で降車。
 階段を上っていると、バッグのなかで携帯が震える音が伝わったので取り出す。(……)で、今向かっているが、どこにいるかと問うものだった。ちょうど今着いた、壁画前にいると送り返して改札を抜け、待ち合わせスポットに立ち尽くして、目の前を左右に行き過ぎ、交錯する人波をぼんやりと眺める。じきに一人の女性が、こちらの隣にいた男性の前に跳ねるようにして現れ、どん、と両足を揃えて音を立てる。唇が赤く、円型のピアスだかイヤリングだかを両耳につけている女性だった。それからしばらくして、(……)がやって来た。お久しぶりです、と互いに会釈しながら挨拶して、(……)に向かうことに。昨日も(……)に行ったんだわ、昨日は(……)と会って、と言うと、(……)も昨日はこのあたりをぶらぶらしていたらしい。駅舎を抜け、広場を行きながら、元気だったかと問われたので、いや、と苦笑し、今年はあまり元気ではなかった、あとで話すけどと答えた。そうして下りのエスカレーターに乗り、前の(……)に上から、子どもできた、と訊くと、振り返った彼は笑みを寄越して、こちらもあとで話す、と答えた。下の道に下りる。数年前の記憶で、今日は六時までじゃないかなどと言いながら店の前まで行くと、六時までどころか既に閉まっていたので、もう閉まってるのかよ、早いなと口にした。(……)は通りの向かいを指して、(……)に行く、と言うので了承し、横断歩道を渡って(……)に入る。入り口から左方、窓際の一人掛け丸テーブルが二つ空いていたので、そこに二人並んで入ることにした。荷物を置き、マフラーを取り、バッグから財布を出してカウンターへ。ミルクココアを注文(三一〇円)。(……)も同じものを頼んでいた。席に入って、ココアに口をつける。あまり美味くはない――昨日の(……)のもののほうが美味だった。一息つくと横の(……)が、元気じゃなかった、と問うて来るので、鬱病になったのだと口火を切る。元々パニック障害を持っていて、去年のちょうど今頃、年末年始にそれが悪化した、それで一月から三月は色々あって、三月の終わり頃に病状がまずくなり、四月から仕事を休んだのだ、そうしてそれからは症状が鬱病の方向に移行していった、夏がピークで、今は段々治ってきていると経緯を説明する。(……)は笑うでもなく、殊更深刻そうにするでもなく静かに受けて、しかしほんの少し神妙そうな雰囲気を醸していた。だから今は無職なんだ、ニートをやっているんだ、と満面の笑みを浮かべて告げると、(……)は笑い、そんな笑顔で言われても、と言った。この時ではなかったが、統合失調症の初期症状に自生思考というものがあって、ということも説明した。自分で思ってもいないようなことがぽんぽんと頭のなかに湧いてきて、思考が止まらなくなる、それが一月から三月くらいに掛けてあって、だからその頃は自分が統合失調症になっているのではないかと恐れてばかりいた、と。また、感情が稀薄になってしまったのだということも言い、しかし今は段々持ち直してきているようだと補足した。
 説明を終えて、俺はそんな感じだったと言い、そちらはどうだったかと尋ねると、仕事がひどく忙しいらしい。子どもに関しては、順当に行けば六月に生まれると言う(おめでとうございます、と頭を下げた)。しかし奥さんの体調が悪い日もあり、まだ安心はできないと言う。不妊治療を二年続けた末の子だと言い、時期もちょっと変なので、俺の子だよねとそれだけは確認した、と(……)は笑って言う。今は生活の中心が仕事とそのことになっており、だから細君の調子の悪い日などは家事を代わりにやらなければならないと。
 彼は仕事は製薬会社、というか流通のほうなのか、薬を売る会社の営業をしている。仕事は忙しく、ここで部署を移って、一応そこの営業のなかのトップを任されていると言う。昨日の(……)の話を思い出し、あいつも、宅建士の資格を取って不動産屋で働いているのだが、一一月の営業成績が二位だったと言っていたと知らせる。お前ら優秀だよ、と言うと(……)は破顔していた。上司からもどうやら有望視されているらしく、俺を責任のある立場につけたがっていると言う。しかし、会社から要求される事柄の水準が高すぎる、と言うかどう考えても不可能なレベルで、それに苦慮しているらしい。あとで話されたことだがまた、後輩や新人はあまり有能ではないらしい――会社全体も、「頭の悪い」会社だと言っていた。と言うのは、詳しく突っ込んでは訊かなかったが、新しいシステムを導入した結果、目的の仕事は効率化されたものの、ほかの部分で手間が掛かるようになり、全体としてはむしろ相対的に仕事が増えたのだと言う。部下に関して言うと、(……)の感覚では世代的なものであるらしいが(おそらく今年入社してきた新人あたりの世代を指して話していたのだと思うが)、悟り世代だか何だか知らないけれど、自分で考え、行動を判断するという頭を持たない、そういう傾向があると述べた。君はどう思うの、と訊いても、何の意見も出てこないと。それだから、いちいち指示を与えなくてはならないらしいが、(……)はしかしそれに怒るのではなく(別の時には全体的に仕事に当たってむしろ怒りやすくなったと言っていたが――と言うのは、一応それなりに責任のある立場に置かれて、後輩や部下たちを会社から「守らなければいけないから」だと言う)、感覚の問題で、元々そういう感覚というかセンスというか、考え方を持っていないのだから、怒っても仕方がないと言った。だから例えば選択肢を二つ与えて、どちらのほうが気に入るか、良いと思うかなどと訊き、少しでも自ら考える方向に導いたりしているらしい。元々持っていない考え方だと言うのは、こうこうこれをプログラミングして、と言われても門外漢にはまったくわからないというのと同じことだ、というようなことを言い、それだから難しい、と(……)は渋いような顔をした。しかし自分でものを考えるというのは本当に難しいぞ、とこちらは受けて、まずは他者や自分の外側から学ばないと、自分で行動する、考えるということはできるようにならないだろうと、一般的なことを言う(言語を食べ[﹅2]なければ、言語を書けるようにはならない)。色々話したあとに、人間は難しい、と(……)は結論めいて落とすので、それは一般的過ぎるだろうと突っ込んで、互いに笑った。
 音楽の話。音楽は聞いているかと問うと、聞いていると言う。何かと訊けば、まず答えられたのはあいみょんという名前だったが、これはこちらは知らない。ほか、Queenも聞いているし(これ以前に、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見に行った、あれはぜひ劇場で見るべきだ、感動してサウンド・トラックも買ってしまったという話が出ていた)、あとはAwesome City Clubというバンド(?)もなかなか良いと言う。ちょっと八〇年代風味の香るポップスらしかった。CDはちょくちょく買っていると言うので、データを買ったりはしないのかと訊けば、データをダウンロード購入したことはまったくない、と断言する。そこでこちらはFISHMANSを最近は聞いているのだが、先日Amazonでデータを購入したら、四曲目と七曲目が破損していて読み込めず、損をした気分になったと挿話を話した。その点物質のほうがやはり安定感はある、と。
 本。本を読むかと訊くと、ビジネス的な自己啓発本の類をよく読んでいるらしい。読んでみると、自分が実践しているのと似たようなことが書いてあるもので、それでああ俺のやってきたことは間違っていなかった、と自分に言い聞かせて頑張っていると言うので、精神安定剤ではないかと笑った。今は何を読んでいるのかと問われるので、後藤明生という作家を読んでいると言ってバッグからハードカバーを取り出すと、(……)は厚っ、と驚いていた。五〇〇頁ほどある。どんなものかと問うので、まあ小説だ、いわゆる文学だ、文学好きなので(と自分の顔を指しながら言う)、コミカルでユーモラスな感じの文学、と簡潔に形容する。その他、鬱気が強かった時には文を書くこともできなくなったのだが、一週間くらい前からまた再開して今は書けている、と報告もした。
 高校の友人に会ったかと問うと、ここ一年は会っていない、唯一(……)(上に手紙を引用した女子である)とは定期的に会っていて、今度また一月に飲む約束をしていると言う。あいつも大変だと言うのは、離婚したということだ。あいつ、ずっと男性関係で失敗してるよねと、肘を突きながら向けると、(……)は苦笑して、まあ話を聞くと今回は仕方がないかなという感じだけどね、と答える。確か彼女は(……)にいたと思うのだが(今は(……)かどこか、「海沿いのほう」に住んでいるようだ)、旦那の周囲のコミュニティが緊密で、彼はそちらのほうにばかりかまけていて、帰ってくると自分のベッドで知らない人が寝ている、というようなことが多々あったのだと言う。不憫な女性だ。
 喫茶店にいるあいだに話したことは、概ねそんなところだろうか。あとは、最近は歌を良く歌っているという話があった。通勤に車で一時間掛かる、それなので車中では音楽を爆音に掛けて歌っている、気づくと自然と非常に大声を出していることもある、周りから見るとちょっと変人かもしれない、とのこと。それだから歌がうまくなった、会社のカラオケでも盛り上げることができている。何を歌うのかと問えば、沢田研二浜田省吾、それを歌っておけばおじさん連中への受けは間違いないと。そんな様子だったので、カラオケ行く、と笑いながら言を向けてみると、(……)は破顔して、別にいいけど、行くかと答えた。それで退店し、通りに出る。カードを持っているかと訊くと、スマートフォンを操作しながら(……)は、BIG ECHOのものならあると言う。ちょうど通りの向かいに同店があったので、あそこに行くかということで横断歩道を渡り、ドラッグストアの上へと階段を上って入店。男性店員を相手に手続きし、ルームに入ってドリンクを注文。こちらはジンジャーエール、(……)はレモンスカッシュ。こちらが歌ったのは、FISHMANS "いかれたBABY"、Suchmos "YMM"、キリンジ "双子座グラフィティ"、小沢健二 "大人になれば"、Queen "Crazy Little Thing Called Love"、the pillows "ストレンジカメレオン"。(……)は、ビッケブランカ "まっしろ"(テレビドラマ『獣になれない私たち』の挿入歌――上に書き忘れたが、(……)は最近テレビドラマもよく見ていると言い、こちらが『獣になれない私たち』というのが面白いらしいなと向けると、それも見ていた、新垣結衣に感情移入して胸を痛めていたと言った)、二曲目は忘れ、三曲目はJASMINE "Dreamin'"、Awesome City Club "今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる"、五曲目も忘れ、最後に桑田佳祐 "明日晴れるかな"。"大人になれば"まで歌ったところで、何か(……)の好みが……と漏らすので、読めるだろ、と笑い、洗練されたポップスみたいな、と言うと、(……)も笑っていた。しかしそれで言えば彼の好みもわかりやすくて、六曲中三曲はピアノの利いた感傷的なバラードだったはずだ。全体としては、まあありきたりの、出来合いのJ-POPの枠をどれも越えないといった感じ。(……)は歌う時、上体を前後に揺らして、感情を籠めていた。確かに以前よりも上手くなったようで、発声が前よりもしっかりしているんじゃないかと言うと、爆笑していた(彼の二曲目を思い出したが、浜田省吾 "I Am A Father"だった)。
 ボックスで一時間過ごして退室。会計は二七〇〇円くらいだったと思う。こちらが千円札を一枚出し、(……)が二枚出す。それだけでは悪いので、もういくらか渡そうと財布を探り、三五〇円を手に取ると、(……)はトイレに行ってくるのでお釣りを受け取ってくれと言う。それで釣りとレシート、サービス券を受け取り、トイレのドアを開けると、小便器は一つだけだったので引き下がり、彼が出てくるのを待つ。出てきたところに釣りを渡し、これもと三五〇円も与え、それから入れ違いにトイレに入って排尿した。ハンカチを忘れてしまったので、送風機で手を乾かして退室、退店。
 通りに出たところで飯はどうすると訊くと、食べていくかと返されるので、どちらでも良いけれどと言えば、親が一応用意しているんだよなと(……)は言い、ちょっと考えたあとに帰るか、と言ったので了承した。エスカレーターを上る。(……)の格好は黒のコートというかジャンパーというかに、脇に線の入ったグレーのズボン、靴も黒のスニーカーだった。上りながら(……)は、(……)くらいなら全然来れるから、また何かあれば、と言う。バスケットボールをやるために(彼は高校時代バスケ部で、今も有志と競技を続けている)(……)や(……)まで来ることもあるとのこと。了解し、広場を越えて駅舎に入り、改札の前に到るとありがとうと言って手を差し出した。握手すると、頑張って、と言われ、両手でこちらの片手を包んでくる。今、(……)パワー送っといたから、と言うので笑って、それじゃあなと手を上げあって別れた。電車は七時一六分発。一号車に入り、席に就くと『後藤明生コレクション4 後期』を読み出した。「謎の手紙をめぐる数通の手紙」。胡散臭い饒舌さと迂遠さ。「つい話がそれたようです。お許し下さい」と言いながら、話題を変えず、一向に本題に入らず閑話を続ける。また、以下引用。

 とつぜん小生は、自分のすぐ右隣[﹅2]に、A・B氏の姿を発見したのです。小生は一瞬、軽いメマイをおぼえました。もちろんこれは、A・B氏そのもののせいではありません。いわば小生の生理的不安でありまして、一日に何度か、自分の肉体の左側に、ある種の空洞のごときものを感じるわけです。昔風にいえば、脾腹のあたりでしょうか。その左脇腹のあたりが、とつぜん、すうーっと支えを失い、自分の肉体が、地球上を左へ左へとズレてゆくような不安です。左へ左へと滑ってゆく[﹅5]、という程の速度[﹅2]ではありません。しかしそれは、単なる心理的な不安ではなく、明らかに左へ左へとズレてゆく、肉体的な感覚であります。
 したがって小生は、誰かと並んで歩くとき(蛇足ながら、妻の場合も例外ではありません)、必ずその同伴者の右側につきます。左へ左へとズレる不安を免れるためです。一人のときは、道路の左端を歩きます。バス、電車などの乗物においても同様の理屈で、左脇腹(あるいは左腕)を支える(固定する)ことの出来る場所(例えば、シートの最左端の手摺りのついた席)が、小生にとっては最上の席ということになります。もっとも、これは常に確保出来るものではありませんし、毎日の通勤電車の模様は、貴殿がよくご存知の通りであります。そこにはもはや、右も左も存在しません。前も後もありません。その代り、左へ左へとズレる不安もあり得ないわけです。
 もちろん(敢えて断るまでもありますまいが)、小生はこの「左へ左へ」とズレてゆく不安を、いわゆる「パスカルの深淵」(ご存知のごとく、彼は自分の左側に無限の深淵があると感じていた、と伝えられております)になぞらえようなどとは、考えておりません。ただ、(お忘れかも知れませんが)少し前のところで小生が「右隣」という部分に、わざわざ傍点をつけた意味を、一言説明したかったまでです。つまり小生は、貴殿の古き友人であり、小生がかねがね尊敬するところのA・B氏の言葉(それはまったく、想像もしなかった言葉でした)を、左の耳ではなく、右の耳できいたわけです。(……)
 (『後藤明生コレクション4 後期』国書刊行会、二〇一七年、37~38)

 この奇妙な「生理的不安」の唐突な導入。これは一種の与太であり、ほとんど突然の思いつきのようにして書かれているような気がする。その点、ちょっと種類は違うかもしれないが、ローベルト・ヴァルザーの記述のやはり唐突な飛躍を思い出さないでもない。
 電車内では、子供連れ(ベビーカーに一人と、それよりも小さな女児一人)の親がいて、女児が「ママ」とも「あまい」とも「おもい」ともつかない大きな声を上げており、耳に痛いほどにそれが高まる一瞬もあったのだが、オレンジのゴムで髪を後ろで一つに結わえた女児は、緑のジャンパーを羽織った父親に抱き上げられて落ち着いたらしく、その後はあまり騒いでいなかった。(……)着。本を閉じ、しかし仕舞わず、小脇に抱えたまま降り、ホームを渡って昨日と同じく待合室に入る。昨日と同じく無人。昨日と同じく席の端に就き、読書を続ける。昨日とは違って(……)行きが入線してくるとすぐに席を立って乗った。本を読みながら最寄りに着くのを待ち、降りるとこの日も暗夜。横断歩道を渡り、坂に入ると小走りになって靴音を響かせながら降りて行く。早く帰って日記を書きたいという気持ちがあったのだ。平ら道に出てからも走って、自宅に到ると鍵を探ったのだが、ポケットに入っていなかった。忘れてきたかと思いながらインターフォンを鳴らし、母親に鍵を開けてもらう。居間に入り、ただいまと挨拶し、すぐに下に下りる。それで机を探したが、鍵は見当たらなかったので、どうもどこかに落としてきたのではないか――ズボンのポケットに手を入れた覚えがないので信じられないが――一応、勝手口のほうの鍵がまだあるにはある。
 コートを脱いで上に行き、母親に鍵を落としたようだと報告する。夕食は、天麩羅に唐揚げ、筑前煮、モヤシのサラダがあった。そのほか蕎麦を茹でるというので、先のものを食べているあいだに茹でてもらって、それも食した。テレビは『紅白歌合戦』。席に就いた時には、何かアイドルアニメの映像を背景に踊り歌う女性グループが出演していた。次はYOSHIKIHyde。二人がパフォーマンスを行ったあと、YOSHIKIは舞台の前景に置かれたピアノに就いて、"Miracle"という彼作曲の曲が演じられるのだが、これを歌うべく登場したのがサラ・ブライトマンだった。その次は場所を変えて、星野源が「おげんさん」という女装をして、アコースティック・ギターを弾きながら"SUN"をやり、その次が島津亜矢の中島みゆき"時代"のカバーだったと思う。さすがの歌の上手さ。この時、背景には平成時代を回顧する映像が映し出されて、既に酒を多く召していたのだろうか、顔がちょっと赤くなっているように見える父親が、そう言えばガングロとかあったなあと呟く。その次にはカツラを被って額の広く後退したサラリーマンに扮した内村光良ムロツヨシが現れ、赤いタンクトップに短パン姿の武田真治DA PUMPの連中も姿を見せる。それからDA PUMP五木ひろしのコラボレーションがなされ、このあたりでこちらはものを食べ終わり、席を立って皿を洗った。『紅白歌合戦』に特段の興味はない。唯一Suchmosのパフォーマンスだけはちょっと見たい気がしたが、それよりもとにかく日記を書きたかった。
 風呂に入るのも面倒臭かったが、渋々入ってすぐに出る。緑茶を用意して即座に下階に行き、文字入力のスムーズさを求めてコンピューターを再起動させ、ソフトがひらくのを待ちながら『後藤明生コレクション4 後期』に目を落とす。それから日記。九時半から取り掛かって二時間強、現在は一一時四〇分。BGMはChris Potter『The Dreamer Is The Dream』、『Imaginary Cities』、『Chris Dave And The Drumhedz』。ここまでで引用を含めて二一一〇〇字ほど。こんなに書いたのは初めてではないか。驚くほどにすらすらと書けるのだが、これが一種の躁状態で、また精神が変調を来したりしないかと、それがちょっと不安である。
 (……)さんのブログ。「一度だけ啓示が起こり、その後に信仰が始まるというのは迷信だろう。強烈な経験が精神の運動の方向性を規定するというのは言うまでもないが、より肝要なのは、無作為な経験によって動き出した精神を絶えず自由の方へと向け続けられるように常に徹底的に自らを見つめ直す努力だろう。回心や転向は各瞬間に起こっているのである。一見、これは、思想において流される種類の悪しき習慣に見えるが、むしろ問題なのは、回心や転向を自らの技巧と工夫によって行う習慣の育たない者による突然の「回心」や「転向」である。そういう者においては、体系や潮流において教義を「吟味」することよりも、教義を「持つ」ことに重きが置かれているため、新たな、魅力的な教義や英雄が現れると、真っ先に「回心」「転向」してしまう。しかし、思索において毎日自らの回心と転向に細心の注意を払う者は、新たな見解や動向が顕れたとき、その内容や状況にかかわらず、思索において徹底的に吟味する。その意味で、真摯な思索者であればあるほど、考えを突然変えることは少ないはずである」。歯磨き。その後、寝床に移って読書。一時半に就床。入眠にはさほど苦慮しなかったようだ。