2018/1/2, Wed.

 二時半に一度覚醒。二度寝に成功する。次は四時半。まだ起床せずに布団の内に留まるが、今度は眠れなさそうだったので、四時五五分に到って明かりを灯す。睡眠は四時間二〇分。『後藤明生コレクション4 後期』を書見。「四天王寺ワッソ」、「俊徳道」。年明けのまだ暗い早朝だが、寒さはそれほどでもなかったようだ。とは言え、ストーブを点けて、膝の上に布団を掛けながらベッドに腰掛けて脚を熱風に当てる。じきに曙光が漏れはじめて、空は深い青に色づき、そのなかに細い月が浮かんだそのすぐ脇に、皓々と明るい星も一つ穿たれていた。
 六時一五分になったところで読書を中断し、上階へ。タイマー設定されていた石油ストーブが暖風を吐き出している。台所に入り、ハムエッグを焼く。その他おじやの残りがあったので電子レンジで温め、新聞を取りに外に出た。寒いには寒いが、がたがたと身体を震わせるほどではない。新聞はなかったので手ぶらで戻り、前日のそれから今夏の参院選関連の記事を読みつつものを食べる。最後に即席の赤味噌汁も拵えて啜り、食器乾燥機のなかを片付けると早々と皿を洗って下階に戻った。すぐさま日記に取り掛かり、前日の分を仕上げて投稿。この日のものも綴って現在、七時一〇分前である。オレンジ色の光球が山の稜線に掛かったところで、部屋の壁にこちらの影が映し出されている。
 FISHMANS『ORANGE』をヘッドフォンで聞き、"気分"に身体を揺らしながら日記の読み返しをする。昨年のもの。去年の一月二日は今日と同じく山梨に行って、Kさんの息子であるKくんと遊んだりしていた。二〇一六年九月四日のものも読み返し、ブログに投稿してから上階へ。両親に挨拶をしてから風呂を洗う。戻ると歯を磨き、服を着替え、Twitterを覗いたあと便所に行って排便していると、父親が外から呼びかけて来る。八時二〇分に出ると言う。はいと答えて水を流し、時計を見ると既に八時一〇分だった。
 日記を書き足してコートを着込み、バッグとダウンジャケット、FISHMANS『ORANGE』のCDを持って上階へ。バッグのなかにはHelenaの財布に携帯、『後藤明生コレクション4』。濃紺の地に水滴のような模様が整然と並んだBrooks Brothersのハンカチを尻のポケットに入れる。出発。父親の車の助手席に乗り込む。Oasis "Live Forever"を低く口ずさみながら母親が来るのを待ち、発車するとカーナビの下部から「Audio」ボタンを押して、『ORANGE』のディスクを挿入。"気分"はやはり格好良い。まだ低く山に近い太陽から送られてくる陽射しが顔の横に暖かい。多摩川を渡る橋の上で、俺は電車で帰ると前もって両親に告げておく。自動車というものはどうもこちらと相性が合わず、酔って気持ち悪くなることも多々あるし(先日王子のT子さん宅に行った時などは、帰りの車内でひどく気持ちが悪くなり、帰宅後に嘔吐してしまったのだ――しかしどうもそれは、飲みはじめたばかりだったセルトラリンの副作用も寄与していたのではないかと思うのだが)、何より長時間車の狭い座席に押し込められるのは疲れる。密室のなかに留まっていては感覚的刺激もないので書く事柄も増えないし、それに電車で帰ればその分本を読めるではないか、というわけだ。峠を越えて日の出町へ入った頃、母親は突然、二人とも紅白を見なかったじゃない、と話を振ってきた。何でも松任谷由実桑田佳祐が"勝手にシンドバッド"を演じて、そのなかで気分が高まったのか二人はキスを交わしたのだという話で、やり過ぎって言うか、と母親は苦笑の気配だった。日の出インターから高速道路に乗る。眠い。眠れない、眠気が湧かないとたびたび言ってきており、それはそれで事実なのだが、この時はちょっと眠いような匂いがしていた。それで目を閉じる。しかし純白の、激しい光線が正面から顔にぶち当たってきて目を閉じていてもひどく眩しく、瞼をこじ開けられる。光線から逃れるとまた瞑目。藤野のパーキングエリアに寄ったのはLINEの通知があった父親が携帯を見るためだが、O.Mさんからではなくて会社からの連絡だと言った。上野原に入ったのは九時過ぎだった。早すぎるくらいである。開店前のスーパー・オギノの駐車場に入る。開店は一〇時である。母親はそのあたりを散策してくると言って外に出て行った。残った父親が目を閉じて休んでいる横で、こちらは手帳にメモを取った。
 戻ってきた母親は、手作りの豆腐屋があったと報告する。こちらはメモを取り終えると後藤明生を読みはじめた。身体をなるべく動かさないように静止させながら、頁の上にじっと視線を落とす。母親が止まっているあいだは音楽を止めたほうが良いと言うので、モニターを操作して再生を一時停止させた。彼女はまた、スマートフォンでニュースを見ていたのだろうか、東京都で正月の餅を食って何人だか死んだと知らせる。こちらは餅を喉に詰まらせて死ぬというのは、たくさんある死に方のなかでも一番嫌な、勿体無いようなそれだと思うので、一生餅を食わないことに決めている。個人的には、蜂に刺されて死ぬのも同じくらい嫌な死に方だが、後藤明生が「蜂アカデミーへの報告」のなかで集積した新聞記事を見ても、一年で何人も雀蜂に襲われて亡くなっているようだ。
 一〇時を迎えて店内へ。一〇時に待ち合わせをしていたOさんはまだ現れていなかった。飲み物を買いに行く父親について行き、ペプシ・コーラの大きなボトルと、通常の大きさのジンジャーエールを籠に入れる。後者はこちら一人の分である。お前それじゃあ足りないだろうと父親に言われたが、そんなに飲むつもりはないし、コーラも余るだろうと見込んでいた。じきにトイレに行っていた母親がやって来たので、今度はそちらについて店内を回る。祖母宅に集まるのは全部で一四人である。全員分の寿司(一〇貫入り)を籠に入れているところでMさんがやって来たので、おめでとうございます、と挨拶する。バルカラーコートの効力だろうか、ますますイケメンになったんじゃないの、と褒められたが、そんなに大した顔はしていない。Sさん(Mさんの旦那)が体調不良で参加できなくなったと言うので、寿司を一つ売り場に戻した。それでMさんとも一緒に相談しながら、その他唐揚げ、オードブル、サラダ、ピザなどを籠に入れて行き、このくらいで良いだろうとなったところで会計へ。全部で一九五〇一円だった。荷物を袋や箱に詰め、それらを持って車へ戻る。トランクに載せておき、カートを店内に戻しに行く。そこから戻る時、空の遠くに山が横に広くなだらかに連なって、明るい空気のなかにはっきりと姿形を浮かばせているのを見て、風光明媚という言葉を思った。
 車に入ると運転手は母親に交代していた。この日、父親は酒を呑むので帰りは母親が運転しなければならない、その予行練習というわけだったのだろう。上野原市内を抜けて行き、四方津駅から坂を上って行く。滑るような滑らかな走りだったが、それは母親の腕ではなく車の性能の問題だろう。貯水池の横を過ぎると、水面に太陽の光が白く宿って、石が水を切るように点々と飛び跳ね渡って行く。
 祖母宅に着くとCDの再生を止め、ディスクを仕舞ってケースごとバッグのなかに収めた。そうして荷物を宅に運び込む。庭に入って行くと縁側にSちゃんがおり、挨拶をする。随分と大人の格好をしている、と言われた。ものを運んで家に上がり、居間に入って祖母にも挨拶。Yくんが祖母の肩を揉んでいるところだった。仏壇に線香を上げ、コートを吊るしておいてダウンジャケットを代わりに羽織った。炬燵に入って温まる。炬燵にはほかに祖母と、Yくんが入っていた。しばらくすると宴会の準備が始まるので台所に行く。するとここに三鷹の二人、ZさんとKさん(漢字が合っているか不明)がいたので、それぞれ頭を下げて挨拶を交わす。何かやることはあるかと問えば、豆の入った皿を運んでくれと言うので、二つを持って客間に行った。畳敷きの和風の客間は合間の壁を取り払って、二部屋を貫いてテーブルがいくつか連ねられていた。卓上に皿を適当に配置し、Yさん(漢字不明)から残りの二皿も受け取って置く。
 そのほか、色々な人たちが立ち働いていて、仕事はさしてなさそうだったので炬燵に戻り、祖母を話をしたり、駅伝をぼけっと眺めたりしながら食事の開始を待つ。B(Oさん夫婦の次男。こちらの一つ上で、知的障害者である)がたびたびやって来て炬燵に入ったり、また出て行ってどたばたとどこかに行ってしまったり、かと思えばまた戻ってきて祖母に抱きつくように寄り掛かったり(祖母は苦しそうな顔をして止めるように求め、こちらもB、と制止と窘めの意味を込めて呼び掛ける)と忙しい。Bはこの日、大勢が集まって嬉しかったのだろうか、テンションがかなり高かったようだ。
 向かいの祖母に調子はどうかと訊く。苦しいのはなくなったかと。水が抜けて以前よりも結構楽になったが、それでもまだ「苦労」は苦労だと祖母は言った。彼女はニット製の丸い帽子を被っていた。それをまたBが引っ掴んで脱がしてしまったりして、窘めることになる。じきに父親が迎えに行った兄夫婦がやって来たので兄に挨拶をして、それから玄関に出て行ってT子さんにも明けましておめでとうございますと挨拶をしたが、この時、上がり框に掛けて靴を脱いでいたT子さんを立ったまま見下ろす形になったのはあまり良くなかったかもしれない。Mちゃんは早速泣いていた。大勢の人間がいて驚いたのかもしれない。
 宴会の前に皆で並んで写真撮影。母親、父親、T子さんがそれぞれ撮り、それから会食が始まる。席次はこちら側の右端からZさん、父親、こちら、祖母、Yくん、母親。向かいの右端からSくん(Sちゃん)、兄、T子さんとMちゃん、Yさん、Kさん、Mさん。酒飲みは酒飲みで右端のほうに固まった格好だ。BはMさんが世話をするわけだが、会食のあいだじゅう動き回って遊動していた。
 それぞれ飲み物が行き渡ると、Zさんが音頭を取って乾杯。食事のメニューは一〇貫入りの寿司(帆立・鮪・烏賊・ネギトロ・海老二種・サーモン・蟹・イクラ・最後の一つは忘れた)、ピザ二種、オードブル(ソーセージ・エビフライ・ポテトフライ・エビチリ・鶏肉など)、ザーサイと鶏肉のサラダ、母親が作ってきた薩摩芋のサラダにモヤシのサラダ、里芋の煮物、沢庵(K子さんが我が家にくれたもの)、白菜の漬け物(これはどうも三鷹で持ってきたものだったのではないか?)など。会食中、例によってこちらはあまり喋らず、聞き役に回る(カフカが、大人数でいる時、無口だと思われないためにはどのくらいの頻度でどのくらいの長さ喋れば良いのか、などと日記に自問を書いていたような覚えがある)。交わされていた話も特に覚えていない。大した話はなかったはずだ。耳新しい情報もなかったと思う。
 じきに、SちゃんやZさん、父親の働きで、古めかしい木製の台が運び込まれ、その上にさらに居間のテレビが持ってこられて載せられる。DVDプレイヤーが繋がれて流されたのは、祖母が日本舞踊を踊っている映像である。着物に傘。祖母は全然下手くそな、笑ってしまうようなものだと言っていたが、門外漢のこちらにはそもそも上手い拙いの基準がわからず、評価の仕様がなかった。習っていた先生と一緒に演じている映像もあって、祖母は先生のほうが全然上手だと言うが、やはり差がほとんどわからない。それで祖母には悪いが、じきに退屈してくる。腹もいっぱいだった(結構食べたので、一瞬気持ち悪くなるというか、現実的な気持ち悪さではなくて、吐くのではないかという考え[﹅2]が過ぎったことによって何となくちょっと苦しいようになる、ということがあった。パニック障害の僅かな残滓のようなものだ)。それで便所に立ってから戻ってくると、ちょうど母親とT子さんがMちゃんを連れて外に行こうとしているところだったので、これに便乗することにした。母親がMちゃんに靴を履かせる。T子さんはSくんに抱いてもらったら、と言って赤子をこちらに渡してきて、我々に子どもを預けて彼女は室内に留まることになった。それで受け取るのだが、赤子は何だか嫌そうな素振りを見せる。苦笑していると、外に出れば大丈夫だと思うと言うので、強制的に連れ出したところ、確かにすぐに慣れたようでMちゃんは落ち着いた。赤子はかなり重かった。一歳八か月で、既に一三キロあると言い、抱えていると疲れるので、T子さんは大変だなと強く思った。倉庫兼車庫を抜けて、宅の前の駐車スペースに出る。そこでMちゃんを地面に下ろしたが、段差があって危ないので、急に動き出したりちょろちょろと歩き回る幼子から目が離せず、段差のほうに行きそうになるたびにその行く手を遮る。Mちゃんは、O家のオレンジ色の車の、ガソリンを給油する部分の蓋に手を触れて、「まる」と発語した。確かに蓋は円状だったので、どうもものの形というものを理解しているらしい。ほか、あとで室内で水性の塗り絵(ペンに水が含まれており、それで絵を塗ると色づくのだが、水が乾けば紙はふたたび白に戻る)をやって、数字の一、二、三、をそれぞれ指さしながら、Mちゃん、これは何、と訊いた時にも、いち、に、さん、と確かに言っていた。T子さんが指さしながら発語していたのを覚えているのだろう。
 しばらくそのあたりを動き回らせてから、母親に赤子の手を引いてもらって、家の裏側を回って庭までやって来た。そのあたりでまた赤子を放ち、動き回らせる。母親がトイレに行って、Mちゃんとこちらの二人だけになった時間があった。動き回る赤子に付き合って、そのあとを追い、あるいは横を一緒に歩きながら、それは~~だよ、とか何だかんだと話しかけてしまう。こちらの言葉を理解する能力がまだなく、定かな返答もないとはわかっていても話しかけてしまう。ペットの動物相手に話しかける人間もこれと同じことだろうか。じきにMちゃんは、庭の一角に敷かれた木材の上に腰を下ろした。こちらは隣に座って、頭を撫でてやる。そのあたりには植木鉢のほかに、Bが過去に作ったもののようだが、あれは粘土なのだろうか一種の焼き物で、干支の動物を象った小さな人形があって、Mちゃんはそれを指さしたり、持ち上げたりしながら遊んでいた。ここでも、鳥を指しながら「ぴーぴー」と言ったり、牛を指しながら「もーもー」と発話したりしていたのだが、これは偶然なのだろうか。天気は非常に良かった。直線的な、威勢の良い風が折りに吹いてその時は冷たいものの、それだって身体を震わせるほどの威力は持たず、日向のなかにいれば室内よりも暖かいくらいだった。ピラカンサと言うらしいが(シーラカンスのような名前だ)、南天によく似ていてそれをもう少し大振りにしたような赤い実の植物が大いに実っていて、粒々が雪崩れるように連なっているのが青く明澄な空を背景に鮮やかだった。そのうちに兄も外にやって来て、そのあとから父親とZさんも出て来てどこかに出かけて行った。近所回りだったようだ。兄が戻ったあと、しばらくまた母親と三人で過ごして屋内へ。
 その時点で二時半くらいだったのではないか。客間に戻ってからはこちらは席を移ってMちゃんの近くに行き、ひたすら頭を撫でたりしていた。Mちゃんは高いところにすぐ登りたがるらしく、部屋の隅にあった古い木製の鏡台の上に登っては下りていた。屋内に戻ってきてからのことだったと思うが、居間に行くとSちゃんが一人で炬燵に入り、スマートフォンを弄っていたので、こちらも同席した。もう劇はやらないのか、と口火を切ると、別に責めてもいないのに、手厳しいね、と言う。この従兄はいま三五歳くらいだと思うが(帰りの車のなかで兄が自分よりも一つ上だと言っていた)、若い頃(もう一〇年くらい前だろうか)に演劇をやっていて、おそらく当時高校生だったこちらも両親と一緒に一度、荻窪まで見に行ったことがあったのだ。そもそもやっていた頃は自分で書いていたのかと言うと、そうだと言う。今は全然書いていないし、本も読んでいないと言う。やっても仕方がないという感じらしい。それはやったところで金にならないという意味でもあり、また見に来てくれるのはせいぜい友達の友達くらいまでで、社会に一石を投じられるわけでもない、というような意味でもあったようだ。それに対してこちらは、自分はそもそもプロになろうとも自分の文章を金にしようとも思っていない、趣味でただ日記を書いているだけだからなあと話す。誰にも見せないのかと問われたのには、友達には見せると答えた(ブログをやって公開しているとは言わなかったが、嘘はついていない、MさんやHさん、Uさんらはこちらの友人で、彼らはブログを読んでくれているはずだ)。ごく一握りのものしか成功しないという話からだったか、じきにYoutuberに話題が流れた。アイドルみたいなものでしょうとこちらは言い、リスクが高いとSちゃんは受ける。顔出しして、名前も晒して変なことをやって、受けなかった時のリスクが、と。やりすぎて捕まった人もいるしねとこちら。しかしそれが今後普通になって行くのかな、顔も名前もインターネットに公開するというそれがマジョリティになってしまえば、リスクではなくなるよね、などとSちゃんは話す。小学生などでも、Youtuberになりたいという子どもが増えているらしいとこちら。そんなような話をしていると、片付けが始まったようで台所と客間のあいだで行き来が生まれはじめたので、我々も手伝おうと炬燵から抜けた。
 その後、食後のデザートとして苺が出される。それを頂きながら引き続きMちゃんを愛でる。苺以外には母親が家から持ってきた「とんがりコーン」が提供されたのだが、それを与えられたMちゃんはこの菓子が気に入ったのか、スナックの分けられ収められた箱を持ち、独り占めしようとする。こちらが取り上げて遠くに置いても、それを追って移動してしまうのだ。その一方で、T子さんが、Sくんにあーん、してあげたら、と提案した時には、一つつまみ上げてこちらに向けて差し出してきたので、顔を寄せてぱくりとやった(父親が一つちょうだい、と言った際にもあげていた)。
 その後はふたたび居間に行って炬燵で寝転んで瞑目し、休んでいたのだが、じきに父親が本日の会をまとめはじめて、お開きとなりそうだったので炬燵を抜けて隣室に行き、一座に加わって礼を言った。母親が兄夫婦を四方津まで送っていくので、こちらもそれに同乗し、電車で帰ることに。早々とコートを羽織り、玄関で三鷹の夫婦にありがとうございました、お身体に気をつけて、と挨拶をすると、Zさんが、今日はありがとうなと返してきたので、はい、とまっすぐな返事で受ける。それで辞去。身体の大きな兄は助手席に乗り、後部はチャイルドシートに固定されたMちゃんに、T子さんが真ん中、こちらが右側に座ったが、三人だと狭く、M子さんと身体を密着させることになった。四方津まで一〇分余り。車から降りると兄に、ベビーカーを運んでくれと言われたので、はいと素直に返事をして受け取る。それを持ち上げながら改札を通り、階段を上り下りして一番線ホームへ。Mちゃんはここでもうベビーカーに乗せられた(彼女は車に乗っているあいだに眠りに就いていた)。一六時二分高尾行き。兄がベビーカーを持ち上げ、ホームと車両のあいだにひらいた隙間を越えて乗車する。扉際に。
 高尾までのあいだ、こちらはほとんど黙っていたし、兄夫婦の会話もあまりなかった。頭のなかにはFISHMANS "気分"のイントロ、パッパッパーパッパパー、といういあの部分が繰り返し流れていた。高尾に着くと乗り換えはすぐに発車、ここでも兄がベビーカーを持ち上げて、向かいの電車に素早く移り、座席を確保した。座れて良かったですね、とT子さんに言う。ここでも黙っていようかと思ったのだが、たまには話題を振ってみることにして、まだゲームはやっているんですかと隣のT子さんに尋ねた。今はやっていないが、先日実家に行った際などはやって、起きるのが昼頃になったりもしたと言う。「課金」と言っていたことから、T子さんのやるゲームというのはスマートフォンのそれらしい。でもやったあとで何時間やったとかいうの見ると、これだけ時間を無駄にしたんだなってなるねと言うので、Nも同じことを言っていたと思い出し、僕の友だちもPS4を買ってけれど、プレイ時間が出るのでそれを見ると虚しくなるって言っていましたと話す。現実に戻されるよねとT子さん。Sくんはやらないのと訊くので、僕は高校生くらいでやめちゃいました、と。うちはハードがスーファミまでしかなかった、ロクヨンなんかをやりたい時には友だちの家にいかなければならなかった、それで高校生になる頃にはもうゲームには触れなくなってしまった(それには中学二年の時、音楽とギターという趣味を見つけたことも寄与していただろう)。
 立川に着く前に、今日はありがとうございましたと挨拶。今日で会うのは最後ですかね、気をつけて、気をつけて行ってきてください。そちらもぜひモスクワに来て下さい、と。行けたら行かせてもらいますと。それで立ち上がり、最後にまた礼を言って別れる。二番線へ乗り換え。席に就くと、『後藤明生コレクション4』を読み出す。「贋俊徳道名所図会」から「しんとく問答」へ。結構面白いと思う――しかし、何が良いのだろうか。途中、眠くなって中断。瞑目するが眠りには就けない。青梅で降車、待合室へ。この日は先客二人、あとからさらに二人以上入ってきた。脚を組んで座席に座り、引き続き本を読み、奥多摩行きが来ると室を出て乗車し、また文を追う。
 最寄り駅。階段まで行くと前方に、キャリーケースを持ち上げて登って行く後ろ姿がある。密度の高いビリジアン一色のジーンズに、朱色のダウンジャケット。帽子を被っていたと思う。そのため年齢不詳、また男性とも女性とも判別しづらい。その人が横断歩道でこちらと一緒になり、下り坂でも同じ道を行くが、後ろからこちらを追い抜かしてさっさと下りて行く。FISHMANS "感謝(驚)"がこちらの頭のなかには流れている。風もなく、空気は大して冷たくもない。身体が震えることはない。
 両親はまだ帰宅していなかった。居間に入ると食卓灯を灯し、カーテンを閉める。風呂のスイッチを点けて、そうして自室へ。着替えながらインターネットを覗いていると、両親帰宅。顔を見に行ったのち、室に帰る。メールチェック。Uさんからの返信が届いていた。読み、そして日記。七時前に始めて八時四〇分まで。七〇〇〇か八〇〇〇字ほど書いただろうか。そうして上階へ。蕎麦と餃子で食事。テレビは『ブラタモリ』と『鶴瓶の家族に乾杯』のコラボレーション番組。タモリが出てくると父親は大笑いしている。酒を飲んできて良い気分に酔っているのだろう。タモリ曰く、彼のいとこ四人は固まって同じ場所に住んでいて、その子どもらは夕時になると、その時いる家で食事を食べると。親は全員の親のような感じらしい。それを受けて鶴瓶が、どこかの島で同じような、共同で子どもを育てる慣習があって寝屋子制度と言う、と(タモリは寝屋子セール?と聞き間違えていた)。
 入浴。身体はやはり痒い。いつになったら皮膚が治るのか。出るとポットの湯を足しておいて部屋に戻り、しばらくしてから緑茶を用意してくる。そうして日記、一〇時から。BGMはChris Potter『The Sirens』(先ほど日記を書いていた時には、FISHMANS『ORANGE』とChris Potter『The Dreamer Is The Dream』を流した)。これはなかなかのアルバムではないか。ここまで記して現在は一〇時四五分。
 書き忘れていた。風呂に入ろうという時に父親に呼び止められて、聞けばこちらの家事手伝いに対して給料を払ってくれると言う。先日話したところによると、こちらは料理に一時間、その他のことに三〇分として一日のうち一時間半くらいは家事を担っている(実際にはもう少しやっている気がするが)。東京都の最低賃金は九百いくらか、それに色を付けて一〇〇〇円としよう、すると一日一五〇〇円で一か月だと四万五〇〇〇円、さらに色をつけて五万円を一月の給料として与える、と。そんなものは良いとこちらは言うのだが、父親は聞かず、いやそうするからと強情である。良心的な扱いをしてくれるのは有り難いが、一方では情けないことでもある――二九にもなろうというのに、自分で自分の生計を立てることができないのだ。いくら家事をやっているとは言っても、これは要は小遣いを貰うのと変わりのないことだし、それにこちらに給料を払うのだったら母親にもそうしなければ不義というものだろう。さてどうするか――。
 先日買ったFISHMANSなどのCDの情報をEvernoteに写しておく。プロデュース、レコーディングやミキシング、マスタリングのエンジニアなども律儀に写す。それから音楽、Chris Potter『The Dreamer Is The Dream』から二曲。三曲目 "The Dreamer Is The Dream"と四曲目 "Memory And Desire"。しかし眠気が薄く湧いて、眼裏には無秩序なイメージが浮かび、曖昧な聴取だったようだ。その後、書見。これも終盤、眠くなって瞼が閉じるようになってきたので、一時一五分で切り上げて就床。