2019/1/11, Fri.

 最終的には九時起床。その前にも何度か覚めたが、寝起きがあまり良くなくて床を離れることができなかった。ダウンジャケットを羽織り、上階へ。母親はベランダに出ているところだった。おかずは特にないと言う。卵も切らしているらしい。それで白米でおにぎりを一つ拵え、辛うじて残っていた前日の味噌汁とともに食す。新聞の一面を見やりつつ食べて、薬を飲み、食器を洗って風呂も洗った。そうして下階から急須と湯呑みを持ってきて緑茶を用意していると、注いだところで掃除機を取り出した母親が掛けてくれないかと言ってくる。良いだろうと受けて機械を受け取り、居間のみならず台所から洗面所、玄関からトイレのなかまで埃や塵を吸った。そうして元祖父母の部屋に掃除機を置いておくと緑茶を持って自室に帰った。時刻は一〇時である。早速日記を書きはじめ、ではなかった、掃除機を掛けているあいだに電話があったのだった。音を止めてすぐに出ると日本通運で、北区から荷物が届くと言う。前日にロシアに旅立った兄夫婦からのものだろう。一〇時一五分頃になるけれど都合は大丈夫かと言うので了承し、連絡が遅くなってしまってすみませんと謝られるのにはとんでもないと受けて電話を切った。そうして母親に知らせると、布団が来るのだと言う。それから日記を綴っていたが、前日の記事を仕上げてブログに投稿したところで天井が鳴ったので上がって行ってみると、荷物が来たので開けてくれと言う。それで玄関に向かうと大きな段ボール箱が山と積まれてあった。そのうちの「ヒーター」と記されたものを居間に運び、母親と協力してガムテープを剝がして開封する。ヒーターを包んでいたビニールも取り払って機械を外に出すと、こちらは残りの段ボール――布団の入ったものが二つ、マットレスが一つ、それにゴミ箱が一つ――を苦労して元祖父母の部屋に運び込んだ。そうして自室に戻ってブログに記事を投稿し、ミスがないか読み返していたところでふたたび呼ばれて、何かと上がっていけばヒーターの使い方がわからないと言う。こちらだってそんなことは知ったことではないが、電源らしいマークの書かれたスイッチを押すと問題なく動作した。タイマーなど、それ以上の使い方はわからなかったがまあ良かろうというわけで戻ろうとすると、階段に足を掛けたところでちょっと、ちょっとと呼び止められる。何だよ、俺だってやることがあるんだよと笑いながら戻ると、ヒーターの入っていた段ボール箱をやはり運んでほしいということだったので、それも元祖父母の部屋に入れて重ねておいた。部屋のスペースはかなり占領されている。そうして自室に戻り、ここまで綴るともう一一時一一分。BGMはEric Dolphyの"God Bless The Child"をリピート(『The Illinois Concert』)。
 それからMさんのブログを読み、さらに一年前の日記も読み返した。そうしてまた二〇一六年八月二六日の日記を読んでいる途中で、ふたたび母親に呼ばれる。両親の寝室に行くと、押し入れのなかにある木製の棚を取り出して欲しいと言う。それでこまごまとしたものが雑多に置かれているその奥に横倒しになっている棚を掴んで取ろうとしたところが、持ち上がらない。あまりに重いのではなくて、その右側にももう一つ別の黒い棚があり、それと噛み合ってがっちりと嵌まり込んでしまっているためになかなか動かないのだ。母親と協力しながらがたがたと揺すぶって、摩擦によって引き絞った鳥の声のような音を立てさせながら何とか取り出すことができた。それを上階に運ぶのは、南窓の前に棚を二つ置き、その上に板を渡して簡易なテーブルのようにして、景色を眺めながらものを食べたり茶を飲んだりできるようにしたいという目論見らしい。それでもう一つの棚は兄の部屋にあるものを取りに行くのだが、母親がその棚に入っていたCDを取り除けているあいだにこちらはそこに置かれていたギターを取って適当に弾きはじめる。「楽曲未然の定かならぬ旋律」(三宅誰男『亜人』、九四頁)を、自分の口でも口ずさんで合わせながら適当な、乱雑な、拙いアドリブをしばらく行い、それから棚を上階に運んだ。あとは板であるが、これは工具などが雑多に保管されている家の横のスペースにあった。下の物置を通って外に出て、立て掛けられていた長方形の長い板を取り出し、母親が汚れを拭っているあいだにこちらはかつてはKさんの家があった隣家の敷地に踏みこんで、今は申し訳程度にシートの敷かれた空き地になっているそこに生えた草を踏み潰したりしていた。天気はひどく良く、思わず美しいという言葉で形容してしまいそうな空の澄明さと光の明るさである。そうしてから板を居間に運び込み、棚の上に載せてみたところが、それだと高さが高すぎることに今更気がついて、母親は大笑いしていた。徒労である。代替案として、プラスチック製の別のボックスを棚の代わりに置くことになった。そろそろ正午、蕎麦を茹でる用意をしながら件の物を運び、板を渡してみると今度はちょうどよい高さである。それでオーケーとなって蕎麦を茹で、一〇分ほど待っているあいだにこちらはもう、暖められたスティック状のチキンを三つ、つまみ食いする。蕎麦は鍋の底にいくらかくっついてしまった。横着して底の浅い平鍋で茹でたのがまずく、麺が踊らなかったのだろう。母親に麺を洗ってもらい、同じくおろしてあった大根と人参のサラダも皿に取り分けて、卓に就いた。蕎麦は池上製麺所というメーカーのものだったが、付属のつゆが結構塩っぱいものだった。しかしなかなか美味ではあった。テレビには里見浩太朗が出演していたが、そちらはほとんど見なかった。食べ終えて皿を洗うと外に出て、玄関前の掃き掃除を始める。北向きの家の正面にもまだ陽の通っている明るい昼日中である。穏和な明かりを受けながら細かい落葉を集め、林に捨てた。掃いていると隣家の勝手口の戸が閉まる大きな音が立ち、Tさんが出てきて同じように葉っぱを掃いていたが、顔を合わせなかったので挨拶はしなかった。屋内に戻り、二〇一六年八月二六日の日記を最後まで読んだあと、緑茶を用意してきてここまで綴って現在は一時過ぎとなっている。
 ベッドの上に乗って、爪を切った。BGMはEric Dolphy "God Bless The Child"。じきにフリージャズという単語からDerek Baileyのことが思い出されたので、彼の『Ballads』に音楽を変えた。Derek Baileyが多分ほとんど唯一スタンダード曲を演奏しているアルバムではないか。最初のうちはメロディを保っているものの段々と解体していく夢幻的なギターを背景に手の爪を切り、足の爪も切ってから今度は読書、蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』。母親がベランダに現れた時点で干していた布団を入れ、しばらくすると枕のカバーとシーツを持ってきてくれたのでそれぞれ整える。そうして、読書の続き。最初のうち、何となく外気に触れたいような感じがしたので、Baileyを止めて窓を開けていた。風はほとんどないようで時折り棕櫚の木の葉がばたばたと、溜まった雨粒が一気に落ちて地を打つような連打を立てるのみである。そろそろちょっと陽も陰って肌寒くなってきたかなというところでじきに閉ざして、ベッドの縁に腰掛け、椅子の上に分厚い本を置きながら書見を進める。そのうちに約束の三時半が来るのだが――Mさんと久しぶりに通話をすることになっていた――三時半とは言ったけれど時差の問題があるよなと気づいていた。それでTwitterで、時差があるけれど今そちらは何時かと送り、返信を待つあいだふたたび読書をする。確か時差は一時間だったはずだから、四時半頃になれば連絡があるだろうと思って『「ボヴァリー夫人」論』を読み進めていたら、果たして四時二〇分頃になってメッセージが届いていた。時差のことはすっかり忘れていた、今は大丈夫かと問うので、オーケーだと受け、Skypeにログインした。そうして二時間ほどに渡る通話が始まるわけだが、その前に、『「ボヴァリー夫人」論』で気になった箇所を抜書きしておこうと思う。

  • ●50: 「ここでは、シャルルが、結婚によって多くの自由が享受できるはずだと思っていたにもかかわらず、「細君の天下になった」(Ⅰ-1: 22)と書かれているように、その新婚の日々にうんざりし始めていたことを指摘しておけば充分だろう」――とあるのだが、蓮實重彦の依っている山田𣝣訳の該当箇所を確認してみたところ、シャルルが「新婚の日々にうんざり」していたことを示すような心理的な描写は自分には見当たらない。「細君の天下になった」という一節からは「うんざり」というシャルルの気持ちは読み取れないのではないか? 勿論、シャルルが結婚した「デュビュック夫人」は、シャルルの話し方や衣服を指図したり、「孤独に堪えかね」ている彼女の傍につけば「わたしが死にでもすればいいと思って見に来たんでしょう」などという言葉を吐くような性分なので、シャルルがそうした結婚生活に「うんざり」しているだろうということは容易に想像がつく[﹅5]のだが、しかしテクストにそうはっきりと書き込まれてはいないし、そうしたシャルルの「心理」を類推できる記述も自分には見当たらないように思われる。
  • ●51: 「「ボヴァリー若夫人」は、(……)ルオー老人の家に若い娘のいることを知り(……)その経済状態にいたるまで克明に調べ上げて夫をうんざりさせ(……)」――同上。
  • ●53: 「だが、ここで見逃しえないのは、彼女が第一の「ボヴァリー夫人」の息子に、期待していた結婚生活への漠たる不満と失望を味わわせていることだ」――「漠たる不満と失望」。同上。
  • ●57: 「だが、無知からにせよ、忘却によるものにせよ、『ボヴァリー夫人』における「ボヴァリー夫人」という「言表」の「指示対象」の例外的な複数性に無自覚なまま、もっぱら規則性――さまざまな異なる表現が、意味や客観的な機能の違いにもかかわらず、同じ個体を指示するものとみなされねばならない、等々――に言及してしまう不注意な理論家の存在は、「フィクション」論的な言説に対する一般的な疑惑を深めさせるに充分である。あるいは、「テクスト的な現実」に無自覚な者には、フィクションを論じる資格などないとさえいうべきだろう」――「「テクスト的な現実」に無自覚な者には、フィクションを論じる資格などない」。手厳しい。
  • ●57: 「その疑惑は、作品の「テクスト」の意味作用を、想像力という不在のスクリーンに「フィクション世界」として投影することで役割を終える表象作用に還元し、その基盤としての語の存在、文の存在――それが「テクスト的な現実」にほかならない――をあからさまに無視する姿勢に触れたとき、さらに深まる」――「その基盤としての語の存在、文の存在――それが「テクスト的な現実」にほかならない」。簡潔な定義。

 そうして通話。久しぶりである。前回話したのは確か昨年の四月、こちらの頭がおかしくなって、三月の終わりに発作を起こしたそのしばらくあとだったように思う。実際に会ったのは二〇一六年の一一月が最後である。そう言うとMさんは、そんなに前だったかと驚きながら、トランプが当選した時だと口にした。最初のうちはこちらの病気のこと、それが治癒してきて良かったねという話をした。結局、鬱病だったのかと訊かれたので、自分としてはあまり実感はなくて結局のところはわからないと言いつつ、一月から三月まで自生思考が甚だしくて、そのあたりまではパニック障害が残っていた、しかし三月の終わり頃から何も感じないな、感情がなくなったなと気づき、四月以降、鬱病の様態に変異していったと経緯を要約した。こちらの自生思考について三宅さんは、一年前に話した時にはパニック障害のせいで通常人間が普通に行う物思いが「恐怖の対象」になってしまって、それで過敏になっているのではないかとちょっと思ったと話したが、あれはそうしたものとは明確に違っていたのだとこちらは答える。とにかく言語が高速で[﹅3]頭のなかを流れて行く、沸き返る、奔流を生起させる、そういった類の症状だった。この時は話題にするのを忘れたが、それで言えば二月頃には「殺人妄想」とこちらが呼んでいるような現象も起こっていた。朝目覚めた時など、頭のなかに「殺す」とか「殺したい」とかいう言葉が勝手に湧いていて、しかもその対象として想定されているのが一緒に住んでいる両親だったものだから、当時は自分は本当に無意識のうちに人を殺したいという願望を抱えているのではないか、両親を憎んでいるのではないか、本当に人を殺してしまうのではないかなどと考えて恐怖したものだ(料理のために包丁を握るたびに、「これを使えば人間を殺せるのだよな」という不健康な独語のような思考が頭のなかに浮かび上がるものだった)。それでもそうした「妄想」に飲み込まれなかったのは、そうした現象に襲われている自分を対象化し、切り離して観察することができていたからで、これはそれまでヴィパッサナー瞑想や書くことを訓練してきた習慣の賜物だったと言えるだろう。
 薬について。薬を変えてそれで具合が良くなったとか、きっかけみたいなものがあったのか問うので、それについて話す。薬は、三月頃にはアリピプラゾール(エビリファイ)という、いわゆる統合失調症に使われるもので自生思考を抑えるというものを飲んでいたのだが、その当時はあまり効かなかった(これは今も飲んでいるが、果たして効果があるのかやはり不明)。夏頃にそれまで色々飲んでいたものからクエチアピンというのに変えて、それで本当にそれが効いたのかそれとも自然治癒だったのかわからないけれど、ちょっと具合が良くなった、それで日記も一時書けるようになった。しかし今と違って楽しいと感じられず、また止めてしまったのだ。その後一二月の頭あたりから、セルトラリンジェイゾロフト)という、いわゆるSSRIセロトニン再取り込み阻害薬)と呼ばれているタイプの抗鬱薬を飲みはじめた。これも最初のうち、あまり効果がないように感じられたのだが(今年に入ってから飲んだ精神科の薬は全体的に効果の実感が稀薄である――パニック障害で長く薬剤を飲んでいたので、あまり効かないような身体になってしまったのだろうか)、Mさんはそれに対して、SSRIというのは二週間だか飲まないと効果がないというやつだろうと言うので、さすがによく知っているなと思った。それで確かに飲みはじめてから数週間経った一二月の後半から、また日記を書き出すことができたのだから、もしかするとこの抗鬱薬が効いたのかもしれない。
 日記について。日記を再開するにあたっては小さなきっかけとなった出来事があって、図書館で西村賢太の日記を読んだのがそれだと話す。Mさんもインターネットかどこかでちょっと読んだことがあると言った。いかにも日記って感じのだよねと言うので、簡潔な、簡易な、と受けて、しかしそれを読んで、自分もこのくらいで良いではないかと思ったのだ、それでも毎日続けられれば大したものではないかと思ったのだと述べた。それで初めのうちはあまり書けなかったのだけれど、段々と記憶を思い起こせるようになって、頭が働くようになってきて今に至るというわけだ。
 Mさんの『亜人』について。大傑作である、素晴らしい才能の産物であると伝える。今回読んでみて感じたのは、この作品が非常に「物語」しているということで、以前読んだ時は文体の稠密さについていくので手一杯で気づかなかったのだけれど、物語としてもかなりのリーダビリティを備えているということだ。そこから派生したのだったか忘れたが、保坂和志蓮實重彦についての話があった。保坂和志あたりはかなり無造作に、「物語」なんていらないと言っているが、蓮實重彦は「物語」を批判しながらも、抽象的な言葉遣いではあるがもっと繊細なことを言っていると。そもそも、小説に物語がいらないなどと言ったところで、「物語」のない小説を書くことなど不可能なのだ。意味のまったくない詩を書くことが不可能なのと同じで、どうあがいても、事後的に「物語」=「意味」は生産されてしまう。蓮實重彦が語っていたのは、そうした「物語」から人間が逃れることは不可能だけれど、そのなかでそれが一瞬揺らぐ瞬間がある、一瞬「物語」の安定的な支配が破れる刹那があるということだろうと。こちらの感じでは蓮實重彦という人はむしろ物語が好きな人間だと思う。ただ、それを杜撰に扱うというか、それに対して適した読み方をしないということに対しては非常に手厳しいのだろう。つまりは小説=物語が言語からできているということを忘却している者に対しては批判の手を緩めない。上に引いた言葉をもう一度引けば、「「テクスト的な現実」に無自覚な者には、フィクションを論じる資格などない」ということだ。
 さらに『亜人』について。読んでいてEric Dolphyを連想したと伝えたところ、実際、Mさんが『亜人』を書いていた二〇一一年頃、彼はDolphyをよく聞いていたと思う、と言うので、マジですかと興奮して笑った。Ornette Colemanとか、Dolphyとか、Cecil TaylorAlbert Ayler、後期John Coltraneあたりのフリージャズをよく流していたらしい。そのなかでもDolphyという人はちょっと特殊で、フリージャズに成りきらない、完全にフリーの方向に行ってしまうのではない、かと言ってモダンのハードバップに流れるわけでは勿論なく、そこからは完璧に外れた演奏をする人である、そのようにして二つの形式のあいだを潜って行く、あるいは境を越えて一刻ごとに両界を行き来する、そうしたところが『亜人』やムージルに似ていると話す(MさんはFive Spot Cafeでの音源が好きだったらしい)。と言うのは、彼らの作品というのは明らかに通常の物語の枠に収まるものではない、つまり普通の物語的な論理を越えており、因果関係が見えないように[﹅7]なっている(「啓示」の「強度」によって出来事が連なるようになっている)、しかしだからと言って、例えばヴァージニア・ウルフの『波』のように、ほとんど散文詩のような方向に振り切れてしまうのでもない、因果の連なりの見通せなさを脇に置くならば、きちんと物語としての脈絡を備えている、そうした独特の、境界線上を行く点がDolphyに似ているのだと、そういうことだ。
 また、『亜人』。Mさんの知り合いでWさんという人がいて、この人は平倉圭のセッションに参加していた人だと思うが、彼も『亜人』や『囀りとつまずき』を評価してくれている方だけれど、彼の評言として、『亜人』は絵画みたいな小説だというのがあったと。つまり順序がない、しかしこことここが対応しているということは言える、と言うかそう言うことしか出来ない、それは絵画に順序というものがなく、しかしこの線とこの線が対応している、この色とこの色が共鳴している、そのように鑑賞できるのと同じだと。この評言にはこちらも頷いた。
 さらに、『亜人』。こちらがTwitterやブログに載せた『亜人』の読み(音楽の比喩の部分が作品自体の読み方を示唆しているのではないかということが一つ、館の大広間を行く亜人の描写が、その性質と調和的に書かれているのではないかという点が一つ)は合っているのかと問うと、Mさんが考えていたことをほぼ忠実に代弁していると。それで良かったと安心し、自分の読みもそこそこ大したものだなと思ったのだが、ただ、書いている時にどこまでMさん自身が意図していたかは曖昧だと言うか、『亜人』はほとんど奇蹟(ムージル的な語彙!)のようにして「書けてしまった」作品なのだと言う。勿論書いている時に、細部としても物語としても隙のないものを作ろうとは思っていたけれど、書きはじめた当初は大枠しか決まっていなかった。そもそも初めは、あれはムージルの「ポルトガルの女」に最もインスパイアされている小説だが、それを日本の中世を舞台に翻案しようと思っていたのだと言う。しかし、そうなると歴史の知識が必要で面倒くさいから(ちなみにこの点はあとで、磯崎憲一郎が『往古今来』のなかで、「ポルトガルの女」のケッテンの描写を明らかにもとにして武士の描写をしているという話があった。「ポルトガルの女」を読んだ者だったら、「一〇〇パーセントわかる」とMさんは強調していた)却下し、好きだったゲーム、『クロノ・クロス』の世界観を借りようと。「亜人」も一番最初のうちは出てくる予定がなくて、『クロノ・クロス』のなかに亜人(Mさんの生み出した「亜人」とは違って、普通に喋ったりするらしいが)が登場するのに影響されたりしたのだと言う。だから自分が配置した比喩や意味の要素を完全に自分で統御しきっていたわけではない(そもそもそんな作家は存在しないのだけれど)、『亜人』は書いていくうちに、自ずと諸要素が照応していって、言わば「書けてしまった」ものなのだと。
 こちらの指摘で言うと、Mさんが最も驚いたのは「まなざし」の出現頻度の高さだったと言った(数えてみたが、全篇で二七回出てきている)。今書いている『双生』にも「まなざし」は頻出して、それは自覚的に狙いを持ってやっているのだが、『亜人』の時に自分がそんなに「まなざし」という語を書きこんでいるというのは意識していなかったと言う。作家が自分で気づいていないこと、把握していなかったことを指摘することに批評の生命があるのだとしたら、こちらもそこそこの批評眼を持っているのかもしれないが、しかし実際のところ、そこから別の大きな考察に繋がるような大した指摘ではない。こちらがやったのはただ数を数えただけのことである。
 『亜人』の話はまだ続く。三一頁から三七頁の完璧な記述を除いて、こちらが良いと思った記述は三つあるのだが、それを順番に話した。一つは二四頁の、「鈴の音ひとつ許さぬ白々とした静寂が昼もなく夜もなく降りしきる大広間」。これは音調(意味のリズムも含む)がほとんど完璧である。もう一つはその次の頁の、「さしずめ逃げ場のどこにも見当たらぬ不気味にはなやかな閉塞感」。ここは体言止めで読点を置いているのが巧みなリズムを作っており、非常に上手いなと思ったのだが、Mさんは一時期、体言止めが嫌になったことがあったのだと言う。それは名詞で停めると停滞感が出るとか、とこちらは受けたが、何だか良くわからないけれどとにかく体言止めを使いたくなくなった、それが解除されたのが『囀りとつまずき』の時期で、あの作品では何度かこの技術を用いているのだが、『亜人』にもそれが出てきていたということにMさんはちょっと強い印象を受けている様子だった。最後の一つは一一一頁の、「既知の急所に産みつけられた純粋無垢な害意」という表現で、グロテスクな虫の卵を思わせるような言い方が「害意」という語と結合しており上手いなと思ったのだったが、Mさんはこの箇所を覚えていなかった。なかなか彼の記憶が蘇らないので、こちらは電話越しに、その少し前から音読した。すると箇所はわかったようだが、やはり先の一節を自分が書いたということは言われるまでまったく記憶になかったようだった。むしろ覚えていたのはその直前に出てくる、「生涯をかけて積みあげてきたものから無理な中抜きをしとげてみせる」という部分の「中抜き」の語で、これは金子光晴の、講談社文芸文庫から出ている『詩人』という自伝(だったと思うが)のなかで似たような表現があって、そこが非常に嵌まっていたので自分も使ったのだということだった(この著作をMさんは、今まで読んだ散文のなかでベスト五に入るかもしれないと絶賛していた)。こちらの音読を聞いた彼は、俺、描写くどいなと笑ってみせた。確かに結構長々しく読点で繋いで、執念くと言いたいような、執拗な感じがあるかもしれない。
 『亜人』についてはそのくらいだろうか? また思い出したら書こう。『亜人』の次は多分、ムージル『三人の女』について話したのではないか。まずは「ポルトガルの女」。Mさんが大好きな作品である。彼は最後の、ケッテンが「気ちがいじみた、自殺にひとしい考え」に取り憑かれて、「城の下にある登攀不能の岩壁」を、よじ登ることが不可能なはずのその断崖を上ってしまうあの場面がとても好きで、印象的だと言った。あそこは印象的ですね、とこちらも同意しながら、こちらには気に掛かっていることがあった。と言うのは、「猫」のことで、終盤、ケッテンが「ポルトガルの男」を殺しに行こうと崖をよじ登る前、それまで城で飼われていた猫が従者の手によって殺される。そこには、「三人の誰もが、(……)この小さな猫にやどっているのは、自分自身の運命なのだ、と思わずにはおられなかった」と書かれており、さらには、「どうしようもないでしょう」と「ポルトガルの男」が口にするのに続けて、「このことばは、いった当人にも、われとわが身にくだされた死刑の判決を承認したようにきこえた」と書き込まれている。ここを読むと猫が殺されるということが「ポルトガルの男」の殺害をも暗示しており、それを予感した彼は月が出るとともに出立して殺されるのを回避した、という風に読みとれてしまうように思えたのだ。Mさんはこの部分には注目していなかったようだった。それでこちらのブログにアクセスしてもらい、該当の箇所を読んでもらうと(一月八日の記事の後半の、三〇七頁について言及している箇所を参照してほしい)、Mさんの考えでも確かに、そのように読み取れるとのお墨付きが下った。だがそうすると、合理的な論理を越えているはずのケッテンの行動の非合理性(と言うよりは、超 - 合理性か)が薄まってしまうように感じられて、こちらはその点がちょっと勿体無いなと思ったのだった。ちなみに今、改めて三〇七頁の該当箇所を見てみると、段落の最後に「ポルトガルの女は従士にいった、猫をつれておゆき」とある。これを「ポルトガルの女」が猫の殺害を指示したと取るならば、そして猫の運命が「ポルトガルの男」の運命をも暗示しているならば、「ポルトガルの女」がケッテンに男を殺すことを命令したとも読み込めるのではないだろうか?――と思うがいなや、しかしその前の文を見てみると、「彼[ケッテン]は壁のように蒼白な顔をしていたが、つと立ちあがって、出ていった」とあるので、おそらくケッテンは「ポルトガルの女」の指示を聞いていない。そうすると先の読み込みは成り立たないか? いやしかし、物語内容のレベルではケッテンはその声を聞いていなくても、テクストのレベルではそうした論理が成立するのではないか? わからない。
 Mさんは「ポルトガルの女」のなかでは序盤の、城やその周辺の環境が描写される部分も好きだと言った。あの精霊の国とか、とこちらが受けると、そうそうと応じて、魔神とかと言い、さらにそのあと、巨大な岩に覆われた荒涼とした風景が広がる(「これはそもそも世界の名に価しない世界だった」と書かれている部分だ)、その執拗さが印象的だったのだと。普通の書き手だったら、「精霊の国」とか「魔神」を書きこんだところで、人間の住む世界の限界ということで終わらせてしまう、しかしムージルはさらに描写を加えてその先にまで行くのだということだった。
 「グリージャ」について。「グリージャ」は「奇妙な」篇、ムージルは『三人の女』のなかではどの篇にも「奇妙な」という形容詞を必ず使っているが、そのなかでも「グリージャ」はまさしく「奇妙な」と言うに値する篇だとこちらは話した。こちらが最も変だなと思ったのは、六つのエピソードが一つの段落に詰め込まれているところで、しかもそのあいだの文量の配分がまるで不均等なのだ(例の山の上の牧場で寝そべっている「牛」の風景が書かれる段落だが、そのあとの挿話など、たった一行で、まるでそっけなく終わらせられている)。そうした時間的な秩序に応じて段落を変えずに、書けるところまで書き継いでしまうというのは、磯崎憲一郎ムージルから受け継いでいる部分である。この時だったか忘れたが、Mさんが語るには、「グリージャ」や「トンカ」は作りが粗い、しかし粗いなかに色々な技術の発明が含まれている、それをデフォルメして使っているのが磯崎憲一郎だったり、古井由吉だったりするわけだけれど、やはりそうした「発明家」としての開拓者の役割は凄いということで、それに続けて、洗練させることは誰でもできるが、発明することは難しいと言われたのが印象的だった。「洗練させることは誰でもできる」には、なるほど、と頷いたものだ。
 「グリージャ」でもう一つ、こちらが変だと思ったのは、干し草を運ぶ娘の姿が描かれたあと、段落の最後に至って「それともこれは、グリージャではなかったか?」と付け足される箇所で、ここもMさんにはこちらのブログを参照してもらい(一月八日の記事の前半、二八一頁から二八二頁の箇所である)、読んでもらった。こういう疑問の投げかけを読むと、語り手が物語の全域を把握しているわけではない、物語に語り手の見通せない部分が含まれていると感じられるとこちらが言うと、Mさんはそれを受けて、こうした疑問の効果には二つある、一つは記述の流れをそれまでとは変え、意味の広がりを作り、記述の風通しを良くすること、もう一つはこちらが言ったように、語り手の信頼性を動揺させることだと言った。それで言うと、ムージル磯崎憲一郎はこうした疑問の投げかけのみならず、エクスクラメーション・マークを用いた感嘆も結構使う。そうした疑問符や感嘆符を用いた技法の役割はしかし個々の箇所において様々で、時には感嘆だったり、時には反語だったり、時には語り手にも答えのわからない疑問だったり、時には自分の語る物語に対して自己自身で「突っ込み」を入れるかのような声だったりするのだが、そのようにして非人称的な「語り」と、人称的である意味では「感情」、そして「自意識」といったようなものを時には持ち合わせているように見える「語り手」とをスイッチするのがムージルは非常に上手いという説明があった。これにはなるほど、と頷かれた。
 その他、「合一」についてなど。「合一」の二篇はまるで訳がわからない文章で書かれているわけだが、あれは人間の心情の機微、心理の襞、そういった本来は分解できないものの作用をまさしく微に入り細を穿つ形で解剖し、微分し、その果ての言語化できない、それ以上微分できない領域を追究したものだろうと。そしてここからはこちらの理解になるが(と言うか今まで書いてきた部分も勿論、こちらの理解した限りでの不正確な要約に過ぎないわけだが)、そうしたそれ以上微分できない果てで、しかしその先を書き継ぐ、そこにさらなる変化を呼び招くために導入される語が、「いきなり」とか「不意に」などの「突然」の意味素なのではないか。そんな話をした。「合一」の二篇では「愛の完成」は、無論難解だけれどそれでもまだしも読めるもので、しかし「静かなヴェロニカの誘惑」のほうはまるで歯が立たなかった。あれはしかし、小説としてはどうなんでしょうね、とこちらが呟くとMさんは、いや、小説としては駄目でしょ、と笑う。やはり『三人の女』のほうが「小説」としては、優れていると言ってしまって良いかわからないが、しかし古井由吉も凄まじい仕事をしたものだ。彼があれを訳したのはまだ三〇くらいだった頃、本人もどこかで、あれは若さの勢いに任せたからできた仕事だと語っていたとそんな話題もあった。この時話したのかどうかわからないが(と言うか、会話の流れを逐語的に、本来あったがままに再構成するなど勿論不可能なので、必然的に思い出した順での記述にならざるを得ない)、Mさんが『ムージル伝記』を読んで得られた彼の伝記的な情報についても語られた。それによるとムージルは理系から文学方面に移るなどして結構長く大学に籍を置いていたのだが、そのなかで金を得るために書かれたのが『テルレスの惑乱』である。金のために書いてあれだけの作品が作れるのも凄いと思うが、この『テルレス』が当時結構好評を受けて、それで味を占めたムージルは文学のほうで身を立てることを決意し、次に言わばまあ自分の本気を見せてやるかというわけで書かれたのが「合一」の二篇だったのだと言う。確かにあれは本気も本気、本気すぎてほとんど狂気に近いまでの、気違いじみた本領発揮だが、ムージルはしかしあれで世の中に受け入れられると思っていたらしい。そんな訳がない。あんなものが受け入れられる世の中はないですよとこちらが笑うとMさんも、俺も『伝記』を読みながら何度も突っ込んだもんな、阿呆ちゃうかって、と。それでもこの日本に古井由吉という人間がいたのだ。あの気違いじみた作品を翻訳しようという人間がこの現代日本に存在していたのだ。これはほとんど奇跡的なことではないだろうか?
 こちらが最近読んだ後藤明生について。『後藤明生コレクション4 後期』を読んだわけだが、後半のほうの、大阪の街を歩き回る篇が、地味だけれど何だか良かったとこちらは言う(勿論、「蜂アカデミーへの報告」も良かった)。(後藤明生小島信夫を目指していたのではないか、という話も出た。小島信夫が天然でやっていたところを、後藤明生は理性的にやろうとしたのではないかと。そういう見立てを話したあと、Mさんは、天然には勝てんわな、と言って笑ってみせた) 力の抜けた感じ、と訊くので、そうかもしれませんと答えると、力の抜けたで言えば庄野潤三をおいてほかにはないとMさん。まだ正式に読んだことは『早春』しかないが、図書館で立ち読みなどした限りではこちらにもそれはわかる、晩年の庄野潤三はほとんど日記のような、まったく何の文学的修飾や野心もないような、そのような文章を綴っているのだ。あれはほとんどヴァルザーだとMさんは笑った。そのあたりの、晩年の彼の作品も読んでみたい、こちらは、「ただ書く」ことに最も近付いた作家があるいは彼ではないかともちょっと思っているのだ。また、庄野潤三の娘として今村夏子の名が上がったが、この情報はデマであるらしかった。デマと言うか、庄野潤三の娘は確かに今村夏子という名前らしいのだが、それは同姓同名の別人で、作家今村夏子は別にいるということのようだ。Mさんは彼女の作品では『こちらあみ子』と『あひる』を読んだと言って、どちらも結構良かったらしい。
 さらにはMさんがムージルと同じくらい敬愛しているフラナリー・オコナーや、キャサリンマンスフィールドについてもちょっと話した。オコナーはMさんは今、The Violent Bear It Awayを読んでいるのだが、これは翻訳の『烈しく攻むる者はこれを奪う』でこちらも読んだことがあるものの、佐伯彰一の翻訳はとても素晴らしいとは言えない日本語だった。ほか、昨年に復刊されたちくま文庫『フラナリー・オコナー全短篇』上下巻があるが(これもこちらは昨年の三月に読んだが、当時は頭のおかしくなっている時期だったので、あまりぴんとこなかった。今読めば違うだろう)、Mさんの評価ではこちらの翻訳もさほど良くはない。一番良いのは、長篇作品『賢い血』などを訳した須山静夫の訳であると。この名前にはこちらもMさんがオコナーを読んで以来注目していて、それで行きつけの古本屋でフォークナー全集の『八月の光』を見つけた時に、訳がこの人だったので買い求めて今手もとに置いてあるのだ。そんな話もした。
 『亜人』について思い出したので書き加えておきたいが、完璧と思わず言ってしまいたいほどに隅から隅まで磨き抜かれているこの作品のなかで、唯一苦言を呈する部分があるとするならば、それは「迷宮」のなかに出現する「魔物」たちである。シシトが迷宮探索をする時に、「正体不明の影」が見えたり、「金切り声」が聞こえたりするところまではまだぎりぎり大丈夫かもしれない、しかし、「骸骨」とか、「腐乱死体」とか、「軟体生物」とか、具体的に形を持った姿で「魔物」たちが描かれてしまうとこれは話が変わってくる。この点は刊行当時にMさんの知り合いのAさんも指摘していた部分で、そのような「モンスター」が存在している世界だということが描かれてしまうと、まさしく半ば「モンスター」、「亜人」と化してしまうシシトの「変身」の強烈さが薄れてしまうのではないかと。慧眼だと思う。今回こちらが読んで感じたのは、モンスターたちの存在によって迷宮の「謎」性が薄れてしまうという点だった。「亜人」の幽閉されていた牢屋から見つかった「迷宮」は、「亜人」と同じくほとんど純粋無垢な「謎」でなくてはならないはずなのだ。しかしその点はMさんも書きながら気づいていたことで、作品の調和を乱すことになるとわかりながら敢えてそれを書きこんだのは、言わば『亜人』の元ネタとなった『クロノ・クロス』への、引いてはRPGゲーム全体へのオマージュなのだということだった(こちらは読んでいて、明確に『ドラゴンクエスト』を連想した)。もう一つオマージュ先となっているのはカフカで、「迷宮」探索の一行として出現する「詩人」――「バベルの竪穴」という言葉を口にする――はカフカをその参照先としている。これらの二点に関しては、繰り返しになるがMさんも作品の完成度の瑕疵になり得ると自覚していながらそれを承知で書きこんだのだということである。
 こちらが最近読んだものの話に戻ると、ローベルト・ヴァルザー『助手』があるのだが、これはまだ日記を再開してもいないし、調子が完全には戻っていない頃だったので読んでいてあまりピンとこなかったのだ。Mさんは、ヴァルザーはまるで中身のないスカスカな文章を書くが、そのわりに自然の描写は豪華だったり(「幻想的」とこちらは言い添えた)、ちょっと格好の良いアフォリズムが書かれたりしていて、そのアンバランスさが独特で、あんな風に書ける人間は彼以外にいないと言った。ローベルト・ヴァルザーはこちらが最も敬愛している作家と言っても良くて、そのわりに『族長の秋』『灯台へ』に比べて彼の作品は何度も読んでいないがまあこれから読むだろう。作品もそうだがこちらは彼自身の、散歩が好きだったところとか、精神病院に入ってまでも書くことを止めなかったところとか(もっとも、いわゆる「ミクログラム」の時期を終えてからは確か二〇年間かそこら、死ぬまでヴァルザーは筆を断っていたようだが)そういうところが好きで、今よりもナイーヴだった二〇一四年、二〇一五年の頃には彼のことを考えて一人で涙することもあったものだ。そういうわけでこちらのTwitterのアイコンもヴァルザーの写真にしてしまった、とそんなことも話した。ヴァルザーで言うと昨年の一一月頃だかに、『ヴァルザー - クレー詩画集』というのが出て、結構気になるものであり、これまでに訳されていないヴァルザーの詩が含まれているのだとしたら是非とも欲しいが、クレー自身がヴァルザーを好きだったのだろうかという話になった。しかし、Mさんがその場でインターネット検索したところでは、どうもそういうわけではなく、編集者の独断でこの二人の作品を引き合わせたということらしい。
 翻訳について。ヴァージニア・ウルフの翻訳をしたいというこちらの野心を話す。まあ実際に出来るとしても英語を読んで能力を身につけるのにあと一〇年、実際に翻訳するのにさらに一〇年というところだろうが。ウルフの作品は、一応全集(『著作集』だったか?)も出てはいるけれど、エッセイなど有名なものしか訳されておらず、書簡も訳されておらず、日記は一部のみである。そうした文化的後進性とも言うべき状況を何とか改善したいと、一人で(と自嘲の笑いを漏らし)、一人で思っていると。そこから中国語の話にもなった。Mさんも中国に渡って中国語を勉強しているわけだが、日常会話のレベルで止めておくか、それとも文学作品を読めるまでに能力を涵養するのか迷うところがあると。後者のほうを取る場合、残雪や莫言など読めるのは良いが、中国四〇〇〇年の歴史はとても深いはずで、古代の漢詩などに興味を持って読むようになってしまったら戻れなくなりそうで怖いと。それでちょっと迷うと言うのだが、まだ見ぬ作家を発掘するべきですよとこちらは言っておいた。
 中国の話。学生たちとはブログを読む限り非常に良好にやっているようである。大学は鉄の柵で囲まれており、近くの商店街まで出るには正門を通って大回りしないといけないのだが、誰かがその鉄柵を壊して近道を作るのだと(Mさんはそれを「VPN」と呼んでいる)。そのあたり学校側と学生との、あるいは近隣住民とのいたちごっこで、学校当局は勿論その破壊箇所を修復するのだが、しかし修復されてもまたすぐに誰かが新しい穴を開ける。学校側も一度直しておけば一応面子が保たれるというか、我々は対応策を取ったという体裁を装うことができるので、長期休暇中など一度直しはするのだが、学期中は大概黙認されているらしい。この小さな挿話が、まさしく中国全体の政治的・文化的環境の構図をなぞっている、その象徴的な縮図となっているとMさんは笑っていた。
 中国人が最近日本を好きになってきているのではないかという漠然とした話もした。人民日報などで最近、日本人のマナーは素晴らしいとかそういう趣旨の記事が多くなっているという情報を聞いたことがあったので、こちらがそのように話を振ったのだが、それで言えばMさんの勤めるKB学院でも、日本語学科の新一年生の数が増えているのだと言う。尖閣諸島付近で海上保安庁の船と中国船が衝突だか何だかして、「sengoku」何とかいう関係者によってその映像がyoutubeに流出したという事件があったと思う。確か二〇一一年か二〇一二年かそのくらいだったと思うのだが(あの事件のあとに尖閣諸島国有化の話が出たのだとすると、尖閣を国有化したのは確か野田政権だったはずで、野田政権は二〇一一年の九月に成立したからそのあたりだろう)、それで中国で反日抗議運動が起こった時期などは、と言うかそれ以来、それまで二クラスあった日本語学科のクラスが、一つに減ったということである。それが今年には復活して、あるいはまた二クラスに戻すかもしれないということなので、バロメーターとしては、少なくとも常徳の学校においては中国人の皆さんの親日度が上がっていることが観察されるのではないか。
 中国の学生たちは、日本語学科にいるということもあるのだろうが、皆アニメやゲームや声優が大好きだと言う。それには共産党の文化的検閲政策が関係していて、例えば中国のテレビで放送されているドラマというのはほとんど「抗日ドラマ」、日本側の言葉を使えば「反日ドラマ」で、その内容がおよそくだらないもので、日本人があり得ないほどの悪役になっており、中国人はあり得ないほどの善人として描かれているのだと。当然若い学生たちも、その質の悪さに気づいており、先生テレビ見たことないの、くだらなくて仕方ないよ、などとMさんに言うくらいで、まったく興味を持たないのだと言う。それで若者たちは代わりに日本のアニメーションに嵌まっているわけだが、中国当局も、テレビ局の制作するそうした「抗日ドラマ」が最近行き過ぎているということには自覚的で、もともと自分たちがそうしたドラマを作るよう指導しているにもかかわらず、近年ではあのようなくだらないドラマは作るなと新たな命令を下しているくらいらしく、この本末転倒ぶりにはMさんと声を合わせて面白い話だと大笑いした。アニメで言えば日本のアニメーターが中国に流れているという話もあった。日本で例えば月一一万くらいの薄給でやっているのだったら、中国に行けば日本円で月五〇万円くらい貰えるほどの仕事があるわけで、優秀な日本人のアニメーターは当然そちらに流出する。しかしだからと言って日本のアニメ業界は文句を言える筋合いではない、結局薄給で奴隷労働をさせてアニメーターをこき使ってきた結果として招いた事態なのだから。日本はもう駄目でしょう、とこちらが短絡的に口にするとしかしMさんも同意して、中国はとにかく人口が多いし経済的にも豊かになってきているから、党がもう少し検閲を緩めて文化的資本を投入すれば面白いもの、やばいものが出てくるに違いない、日本などそのうちに追い抜かれてしまうかもしれないと。三〇年くらい経つとそうなっているかもしれませんねとこちら。検閲で言うと、党の検閲があるにもかかわらずムージルマルケスなど訳されていて、やはりそういう人がいるんですねえとこちらもそれを聞くとしんみりと、感じ入るような声が出るものだった。『三人の女』も訳されているし、驚いたのは『特性のない男』も訳されていると言う(「合一」はさすがに翻訳されていないようだったが)。あれも確か近親相姦的な話だったはずだから、党の方針としてはアウトのはずなのだが、しかしそもそも検閲官がムージルなど読めはしないだろう、『特性のない男』を全部読む検閲官などいないだろうと笑い、そういう点では検閲はあるけれど抜け道もまた多くあるのかもしれない(この点に関連して、ナチス統治下のフランスで難解なレトリックや文体を用いる現代思想が発展したのは、やはり検閲という抑圧のなかでも文学や哲学というものを辛うじて伝えていくためだったという話も出た)。中国という国の文化的環境のなかで『特性のない男』を翻訳するとは、本当に並々ならぬ努力が必要だったことだろう。これもまた、奇跡的な話ではないか?
 交わした会話として今思い出せるのはそのあたりで尽きているようである。また思い出したら書こうと思うが、六時半(あちらの時間では五時半)が近づくとMさんが、学生らと夕食に行く予定があると言うので(五時四五分に待ち合わせだと言った)通話を終了させることになった。Mさんの予定では二月七日(祖母の命日だ)の夜行バスで東京に来て、三日間くらいは滞在するようなので、そこでまた会って色々と話を交わしたいものだ。それでありがとうございますと礼を言って通話を終えると六時半過ぎだった。Twitterを覗いたりしてちょっと経ってから、早速日記を記しはじめた。覚えているうちに書いてしまうのが肝要である。八時直前まで一時間半綴ったのだが、この時本当に時間が飛ぶように、一挙に零れ落ちるように過ぎた。それだけ書くことに追われたのだろう。八時を迎えて上階に行き、食事を取る。米、ベーコンハムや大根の葉の炒め物、蟹が入った薄味の野菜スープ、里芋の煮物、大根を酢などで和えたサラダである。席に就いて白米をちょっと頬張りながらあたりを見回すと新聞がないので、夕刊はと尋ねたところ、まだ取っていなかったと言う。それで席を立ってダウンジャケットのファスナーを上まで閉めて、外に取りに行ったが、戻って見てみても特に興味を惹かれる記事はなかった。食事を終えると抗鬱剤ほかを飲んで皿を洗い、父親が帰ってくるまでにと風呂に行く。湯浴みの前に洗面所で、電動の髭剃りを使って髭を剃った。そうして入浴、Mさんと交わした会話を思い返しながら湯に浸かり、出ると緑茶と、Butter Butlerのガレットを一つ持って自室に帰り、日記に取り組む。BGMは小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』(二度続けて流した)にFISHMANS『Chappie, Don't Cry』。二時間半を費やしてここまで綴り、現在は一一時半前である。
 Mさんのブログをふたたび読む。冒頭に引かれていた管啓次郎の言葉が良かったので、ここに再録させていただく。

 安定した秩序に巣くい、世界に居心地がよく、自分たちのことに充足し、翻訳をしなくても困らないものたちは、けっして翻訳なんかしない。翻訳をしなければ生きのびる道がひらかれないものだけが、執拗な翻訳を試みる。そしてただ後者、つまり絶えざる翻訳を生き方にくみこむ人々だけが、すべての人間をつらぬくある単純な事実に気づくことができる。それは「私とは、それ自体、無限の層をなしている」ということだ。
 あらゆるひとつのIの周囲にはいくつものiが、彼が、彼女が、きみが、あなたたちが、われわれが、かれらが、彼女たちが、そのすべての記憶を沈黙につつみながら立ち会っている。いいかえれば、私の位置をよく見つめれば見つめるだけ、そこには「歴史」が、そのすべての小さな物語群とともに露呈する。
 差異の場所としての私のからだ。
管啓次郎『狼が連れだって走る月』)

 この日記自体が世界の生成の動向の翻訳だという意味で、こちらの性質とは「翻訳家」なのではないかと昨日か一昨日あたりから考えているのだが、そうした自分の実感としても「私とは、それ自体、無限の層をなしている」という言には頷かざるを得ない。「無限」というものが単なる抽象概念でなくこの世界に実体的に存在するとするならば、それは世界そのものである(つまり自分にとってはこの世界自体が「神」のようなものだということだ)。そして、世界の極々一部、ごく微小な一薄片に過ぎないこの自分(そしてすべての人間)の内にもまた、無限の深みが存在しているに違いない。
 それからMさんのブログを読んでいるあいだ(もう夜なのに、FISHMANS "チャンス"に合わせて声を出した)に思い出した事柄をまた記しておく。まず日記について。Mさんの日記の営みをこちらも受け継いでいるわけだが、彼の日記は京都のラブホテルで働きはじめて以来、明確にその質が変化したという話があった。それは、同僚とのあいだで交わされた「会話」を克明に、忠実に記すようになったことだと。それはそれまでの言わば芸術的な自己閉鎖状態から脱して、他人と関わることの面白さを知ったからだ。それは今中国で日本語教師として働いていても同じことで、学生たちの交わしているアニメやゲーム、声優についての話には興味が持てないが、しかしそれを聞いて克明に記す、その営みには面白さがあると。それを聞いてこちらは、ジョイスみたいですねと言った。彼もまた、自分とは階層の違う労働者階級の人々との付き合いを終生止めず、「私にとって面白いと思わない人間はいない」だったか、不正確だが、確かそのようなことを言ったのだと聞いたことがある(これもまた、Mさんのブログに引かれていた、確か佐々木中のものだったのではないかと思うが、その文章から得た情報だ)。そして、Mさんがやっていた会話を克明に綴るというのは、岸政彦が『断片的なものの社会学』(というタイトルだったと思うが)でやっている「聞き取り」と言わば同じことなのだなと、あの著作を読んだ時に思った、という話もあった(自分はまだこの本を読めていない!)。
 書きながらどんどん別のことを思い出していくのだが、最初の方で、ブログを読む限り、Mさんは教師に向いていると思いますよと告げた時があった。授業準備など綿密にやっており、授業自体も通り一遍のものではなく工夫を凝らしてあるようなのでそう言ったわけだが、中国に行く前にも向いているとは言われていたけれど、やはりいざ実際に授業をしてみると勝手が違う、特に自分はそれまで人にものを教えるという経験がまったくなかったから、最初のうちはうまく行かないことが多くあったと。しかし、結局、やる気のない生徒はどれだけ教師側が頑張ってもやる気のないままであって、そういう生徒の反応を気にするのをやめよう、それよりもこちらの話を真剣に聞いてくれる生徒のほうを向こうと、そうしたことに気づいてからは少し心が楽になったという話であった。自分が今まで人間関係を築くにあたって確かな武器として通用してきたのがユーモアだが、日本語が通じないとその効力も発揮できない、それで自分は言語が通じないとこんなに無力なものかと実感したということも言っていた。
 『亜人』についてさらに。初期の『亜人』は今よりも文体がもっと息の長いものだったということだ。しかしムージルの『三人の女』を読み返してみて、意外と一文一文が短いということに気づき、削ったのだと。それでも『亜人』刊行当時のインターネット上の評価では、「息が長い」という言が多かったのを見て、これでも長いのだとMさんは思った。確かに今でもかなり長い部分はあると言うか、こちらが以前使った形容で言えば「迷宮的」なその文体的特徴は大いに保たれていると思うし、多分文学を読み慣れている人間にとっても、決して読みやすいものとは言えない文体になっているのだろう。そこにある言語を読む=食べるはずの読者が逆に喰われてしまうような、とそんな凡庸な比喩を使ってみても良いかもしれない。しかし、そうした一般的な動向との「ずれ」を自覚するのが遅れるあたり、Mさんは、自己客観の能力を通常以上に充分備えているはずのところ、妙なところで自己に疎い部分がないだろうか? このあたりについては多分Hさんなども賛同してくれると思う。
 Sさんについて。会話の終盤に至って唐突にこちらが、Sさんは『亜人』を読んだんですかねと尋ねた。読んだと思うが、当時はSさんとも繋がりがなく、彼がこちらのブログを読んでいるとも、こちらが彼のブログを読んでいるとも互いに知らなかっただろうから、感想は書いていないだろうと。それで、Sさんが『亜人』を読んでみてどう感じるのか、考えるのか、その感想を聞いてみたい、読んでみたいとそう告げた。Mさんは、彼はあまり「物語」は好まないのではないかとそのあたり懐疑的だったが、そして「物語」 - 「小説」の対立項、これはそのまま「語る」 - 「書く」のそれとして換言できると思うが、それを仮にここに導入するのだとしたら、Sさんのブログの記述を読む限り彼は確かに「小説」の人ではないかとこちらも思うのだが、しかしそれはそれとしてやはり彼が『亜人』に何を見出すのか、それを読んでみたいとこちらは強く思う。
 ここまで書いて零時過ぎ。FISHMANS『KING MASTER GEORGE』から"なんてったの"と"頼りない天使"を選んでリピートさせていた。前者のメロウさと来たら!
 自分のブログを読み返したり、今しがた書いたこの日の日記を頭からまた読み返したりして、一時を過ぎる。そうしてふたたび『「ボヴァリー夫人」論』。二時近くまで読んでいると、目が乾いてくると言うか、ややひりひりとしたような刺激が訪れるようになったので、一時五〇分に至って就床した。入眠に苦労はなかったようだ。

  • ●64: 「そこで、『ボヴァリー夫人』における「テクスト的な現実」にほかならぬ「エンマ・ボヴァリー」という記号の物質的な不在が、「エンマ・ボヴァリーは自殺した」という不注意な要約にくらべてあまりよく知られていないのはなぜかと問わざるをえない。端的に言って、人類は「テクスト」を読むことをあまり好んではいないし、また得意でもないから、というのがその理由となろうかと思う」――「人類は「テクスト」を読むことをあまり好んではいないし、また得意でもない」。笑ってしまった。「人類」という巨大で、いくらか大仰でもあるかもしれない主語の突然の登場。しかし確かにその通りだ。「人類」は、おそらく「物語」のほうは大好きだろうに。


・作文
 10:03 - 10:21 = 18分
 10:34 - 10:48 = 14分
 10:53 - 11:11 = 18分
 12:57 - 13:13 = 16分
 18:29 - 19:58 = 1時間29分
 20:54 - 23:23 = 2時間29分
 23:46 - 24:13 = 27分
 計: 5時間31分

・読書
 11:12 - 11:43 = 31分
 12:44 - 12:52 = 8分
 13:42 - 15:33 = 1時間51分
 15:40 - 16:20 = 40分
 23:23 - 23:45 = 22分
 25:14 - 25:47 = 33分
 計: 4時間5分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-1-09「耐えがたい比喩の悪臭だと言ったあなたが言ったわたしも言った」; 2019-01-10「異国語に神の残響聞きあてる晴れのち雨も雨のち晴れも」
  • 2018/1/11, Thu.
  • 2016/8/26, Fri.
  • 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』: 30 - 71, 727 - 736

・睡眠
 2:00 - 9:00 = 7時間

・音楽