2019/1/12, Sat.

 六時一〇分起床。夢をいくつか見て、そのどれもあるいはどれかが、自分が暴力を振るっていたという意味で暴力的なものだった記憶がかすかにあるが、詳細は失われてしまった。カーテンを開けると空には煤煙のような雲が広く浮かんでいて、どうやらこの日は快晴とはいかないようである。ベッドを抜けてダウンジャケットを羽織り、コンピューターを点けてTwitterを確認すると(昨晩メッセージを送ったHさんからの返信が届いていた。「門外漢」だなんて、とんでもない!)早速前日の日記を書きはじめた。と言っても書き足すのはごく僅か、それよりもブログに投稿する際に、たくさん出てくる人名のそれぞれを検閲してアルファベットに変える作業のほうが時間が掛かった(もっともMさんに関しては、『亜人』の作者であるという点から、「三宅誰男」という筆名はもうばれてしまっているわけだが)。投稿すると時刻は七時、空になっている腹が鳴って、空腹時特有の胃の臭いが口のなかに漂い上がってくる。
 上階へ。母親ももう起きている。おはようと挨拶。ストーブの前に立っていると、テレビでは写真家ユージン・スミスの名前が挙がっている。名前くらいは聞いたことがあるのだが、彼が水俣病患者の写真を撮ってその被害を世界に伝えるという活動をしていたことが紹介されていた。それに目を向けていると便所から出た父親が居間に入ってきたので、こちらにもおはようと挨拶を掛ける。それでこちらは台所に入り、ベーコンハムを切り、卵と一緒にして卵焼きを作る。父親が入った背後の洗面所からは彼の携えているラジオの音声が流れ出ており、沖縄は辺野古の土砂投入反対署名について語られていて、ブライアン・メイが署名を呼びかけたという話題が取り上げられているようだった。この署名に関しては憚りながらこちらも一筆を担っている。今そろそろ二〇万人に達しようとしているはずだ。辺野古基地建設問題に関しては、普天間を残留させるのでもなく、辺野古に新基地を造るのでもなく、県外移設の選択肢を提示して、本土のどこかが基地を引き取る可能性を真剣に考えるべきではないかとこちらは素人心で漠然と思っているが、しかし沖縄関連の文献などまだ一冊しか読んだことがないので、もっとよく考えていくべきだろう。沖縄に関してはやはりその歴史を知り、学んでいきたいという気持ちがこちらにはある(Hさんという知り合いもいることだし)。辺野古基地関連の記事では、津田大介の「ポリタス」のなかの、「辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのか――大田昌秀沖縄県知事インタビュー」(http://politas.jp/features/7/article/400)というのがなかなか啓発的かもしれない。辺野古に基地が建設されるという計画は、元々六〇年代くらいに米側が考えていたことなのだと。しかし当時はベトナム戦争で疲弊していたアメリカはその計画を遂行できなかったところ、それが半世紀ぶりに蘇っている。日米が辺野古にこだわるのはそういう背景もあるのだと言う。また、普天間の副司令官、トーマス・キングの言によると、辺野古には軍事力を二〇パーセント分増強した基地を造る予定で、そうすると年間の維持費が二八〇万ドルから一気に二億ドルにまで跳ね上がるらしい。米側はそれを日本政府の負担で賄おうとしているわけだ。
 ハムエッグを作り、前日の野菜スープもよそって席につく。食べはじめる前にすぐにまた席を立って玄関を抜け、新聞を取りに行く。口から漏れる息が煙草の煙のように(何という凡庸な比喩!)白く染まって漂い出し、空中に消えて行く。新聞を取って戻り(紙面が大層冷えていた)、それを読みながらものを食べる。記事は橋本五郎の「五郎ワールド」、陸奥宗光の獄中での読書について触れたもので、冒頭に陸奥が投獄されているあいだに取り寄せた本の一覧(すべてかどうかは不明)が挙げられていたのだが、『泰西史論』という著作だったか、それが二四冊とか、法律関係の一作が二〇冊とかその他諸々とともに書かれていて、四年四か月獄中にいたとは言え凄い読書量だなと思った。朝八時から夜の一二時くらいまでずっと本を読むという獄中生活を毎日欠かさず続けていたらしい。あまり熱さず液状を保った黄身を醤油と混ぜて、黄色に染まった米を搔き込みながらそれを読み、食べ終えると薬を飲んで台所へ。母親が、杏仁豆腐か缶入りのフルーツ・ミックスかどちらか食べようと言うので後者を選んだ。彼女が皿にそれを取り分けているあいだに食器乾燥機を片づけ、自分の使ったものを洗う。そうしてフルーツ・ミックスを食すと七時半過ぎ、緑茶を用意して下階に戻り、また早速日記を書いた。一日のなかで折に触れて、記憶がまだ確かなうちに書いてしまうのがこつである。
 それから一年前の日記、それに二〇一六年八月二五日の日記を読み返したが、特に気になることはなかった。そうして先ほど投稿したばかりの前日の日記も、ブログにアクセスして何故だか読み返してしまう。そうしながら合間に歯磨きをして、その後FISHMANS "チャンス"を流して歌いながら着替える。曇りの日で結構寒々しいようだったので(天気予報では関東は夕方からことによると雪が降るかもしれないと言っていた)、白いシャツの上に、滋味豊かな海のような深い青のカーディガンを羽織った。そうしてモッズコートを着用し、荷物をまとめて上階に上がった。医者に行くつもりだった。ついでに薬局でハンドクリームを買ってきてほしいとの母親の要望だった。どういうものかと訊けば、どこにやったかわからないと言いながらも洗面所から発見してきたそれの、小さなチューブに入ったもので、匂いがほとんどまったくないのが良いのだと言う。「水分補充うるおいクリーム」という、用途そのままの簡素な名前のものだった。それでもう残り少ないチューブを押し出して中身を出すのをこちらも受け取って両手に塗りつける。そうしてから薬局で判別できるようにとそのクリームを借りて、ポケットに入れて出発した。Sさんのことを考えながら坂を上って行く(別に「坂」に入ったから彼のことを思い出したというわけではない)。彼のブログの文章を、柔らかい、とか穏和な、とかどういった言葉であの文体と感性を表すことが出来るかと形容を探したのだが、ぴったり来るのは思いつかなかった。家から出てすぐのあたりでは顔に当たる冷気が少々冷たいようだったが、街道まで歩けば、首にもストールを巻いてあって暖かく、さしたる寒さではない。途中の小公園にクレーン車が出張って、その上に乗った人足が桜の木の枝を剪定し、幹のそこここには枝を斬られたその断面が薄色で現れていた。青梅マラソンに出場するのだろうか、熱心なランナーらとすれ違いながら歩き、裏道に入ったところの一軒に蠟梅が咲いている。鈍い黄色の花を見やりながら微小な野菜のようだと思うその木の向こうに、鵯の鳴き交わしがぴちゃぴちゃと、空間を小さく搔き回すように響いていた。自分の足音を聞きながら裏路地を行くと、途中で線路の向こうの林のほうからゴムを摩擦させるような鳥の声が響き、その上にヘリコプターの動作音が重なり落ちてくる。見上げると、白い空を背景にしてヘリコプターが渡って行くところで、空は灰色の強くなく、白に寄ってなだらかに広がっていた。さらに進むと空き地の横で子供が二人、何やらしゃがみこんでいるのが先に見える。その前に何か小さな影があるのが見えて、鳥か小動物の類でも見ているのだろうか、それにしては影が動かないなと歩いて行ったところが、何か小型の液晶を眺めているだけだった。「冷凍ビーム」がどうとか言っていたから、多分ポケモンか何かのゲームだろう。裏路地をもっと行って、市民会館跡地の手前の家にも蠟梅が咲いている。下向きに傘状にひらいた花々の、ここでは和菓子のようだという新たな比喩をもたらした。それから天気から連想が繋がって、差異=ニュアンスについて考える。例えば毎日の天気のような微細な差異=ニュアンスの動向が人間の生を見えないところで支えている、生に生命感を与えて活気づけているのではないかというのがこちらの仮説なのだが、そうした差異がもしまったく存在しないとしたら、人は狂うか、あるいは生きていられないのではないか――というところで、古井由吉の記述を連想するところがあった。

 この愚直で可憐なほどの、日々の改まりというものが、井斐にはもうないのだ、死者には無用なのだ、と驚いた。十一年前の大病の後から私は時折、人はなぜたいてい飽きもせず絶望もせず日々を迎えられるのか、と前後もない訝りに寄り付かれ、同様に飽きず絶望せずの我身に照らし(end57)て、眠る間には、疲労が取れるだけでなく、人の心身の、時間もわずかながら改まるのではないかと考えて、ずいぶん怪しげな推論だが、しかしそのようなことでもなければ、日々は索漠荒涼たる反復となって露呈して、三日も続けば、朝方が危い、と思った。しかしまた、この日々の改まりを愚直で可憐だと感じて、かすかな感動のようなものさえ覚える折には、自分は一体何者だ、呑気に暮らしながら、じつは死者の領域にいささか足が入っているのではないか、と疑った。
 (古井由吉『野川』講談社、二〇〇四年、56~58; 「野川」)

 あるいはこの世界に「動き」がある限り差異=ニュアンスは絶えず生成されているはずだから(つまり世界が「無常」であるが故に差異が生まれる。そしてもしその差異が生命を支えているのだとしたら、「無常」こそが否定的に捉えられる性質なのではなく、生命の根底にあるものだということではないのか?)、差異がなくなるということは定義上/理論上、世界の生成が停まるということであり、そうなると時間の流れもなくなってすべてが固化することになるのだろうか(わかりやすいイメージに過ぎないようにも思われるが)。そのようなことを考えながら駅前まで行き、コンビニのすぐ脇に逃げずに歩いている白鶺鴒を見下ろしながらそこを過ぎ、駅舎前まで来ると自転車乗りが何人か集まっていてスポーツタイプの自転車が数台停まっている。それを見ながら、ここに普段は見かけない自転車が停まっている、これも微小ではあるが一つの差異なのだよなと考え、翻って自分の身もそうなのだと思い至った。この世界そのものが差異の織物として構成されている、そして人間もまたその世界の一片であり、他人から見ればこの主体たる自分も客体的な「世界」の一部として捉えられている、つまりはすべての我々自身が差異なのだ[﹅14]と定式化を思いつき、そんなことを頭のなかで回しながら改札をくぐった。ホームに出て、手帳を取り出してメモしているうちに電車はやってきた。座席に就いてからもメモを続け、発車してからちょっと経つと書き終わり、それからは前屈みに腰掛けて手を組み合わせながら到着を待つ。河辺で降車。駅を抜けて道を歩きながら、差異を敏感に感知すること、差異につく[﹅5]ということは「テクスト」につくということと軌を一にしているのではないかと考えていた。何故なら、「物語」あるいは散文による「フィクション世界」は、その世界を構成する基盤となっている言語=文のうち、「重要性に欠ける」ものを一つや二つ削除したところで傷つかないであろうから、その世界の安定性は動揺しないだろうからであり――『「ボヴァリー夫人」論』からトマス・パヴェルの言葉を孫引けば、「それぞれの章から重要さにおいて劣る文章を一つか二つ削除しても、そうしたテクストの短縮は、それが投影する世界のそれにはつながらない」(五七頁)となる――、それに対して文を削除したり付け足したりすることは、「テクスト」のレベルでは明らかに差異を生み出すことになるからだ。だから差異につくとは、読書の領域においてはまさしく「テクスト的な現実」を読むことにほかならないのではないかと、そんなことを考えながら医者に向かった。
 Nクリニックは混んでいた。六番目か七番目くらいだったのではないか。席に就いて蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を取り出し、分厚いその本を読みながら順番を待つ。興味深い箇所はいくつもあったが、人目を憚ってノートにメモはせず、手帳に該当ページを記しておくのみに留めた。順番が来るまでには一時間掛かったが、退屈や苦労はしなかった。呼ばれるとはいと返事をして本を置いて立ち上がり、診察室の扉に近付いてノックをしてからなかに入る。こんにちは、と挨拶をして、鷹揚な調子で革張りの椅子に腰掛ける。どうですか調子はと問われたので、良くなってきたと答えた。また日記を書きはじめました。ほう、そうですか(と言って先生はノートパソコンのキーボードを叩く)。集中できるようになりましたか。こちらはちょっと考えながら、集中力と言うと病前のほうがあったような気がしますが――しかし、その頃はむしろ集中しすぎて変調を招いたのではないか、という気もしますね(と笑う)。今はほどほどにやっていますか。そうですね、前はどちらかと言うと……文を……練る、ほうに傾注していたんですが、今はもう文体などはどうでも良いんだと。書けさえすれば良いんだと、そんな感じです。そうすると分量を結構書きますか。書きますね、昨日は二万字書きました。先生は、静かで冷静な調子ながら、二万字、と低く呟いて驚き、それは凄い、と続けた。昨日は友人と二時間話したので書くことがたくさんありまして。そんなに記しておきたい話がありましたか。ここでこちらはまたちょっと考えて、一般的な人がどう思うかはわかりませんけれど、僕は一日のうちのすべてを、なるべくすべてを(と言い直す)、記録したいという気持ちがあるので、あまり大したことがないような話でも記述するから、そのくらいにはなりますね。しかし、文学が好きな間柄なので、そういう話を主にして、充実していたと思います。そうですか……二万字と言うと、四〇〇字詰め原稿用紙で……――五〇枚ですね(とこちら)。手書きですか。いや、パソコンで。そうするとA4だと大体一〇〇〇字くらいですかね、それで換算すると二〇枚。凄いですね、と先生はふたたび口にしたので、こちらはそんなに書いてしまってすみません、というような照れ隠しのような笑いで受けた。順調に回復してきていますね、その他のことは、生活は変わりないですか。はい、散歩には大体毎日行っていて、家事もまあ洗濯物を畳んだり、料理を作ったりしています。そうですか、活動的ですね。かなり回復してきていますねと先生はもう一度繰り返し、薬はどうするかと訊いた。前回は年末年始の休みが挟まれていたので三週間分を出したところ、二週間分に戻すか否かという点で、こちらが、三週間でも大丈夫そうですがと言うと医師も同意してそのようになった。ありがとうございますと礼を言い、椅子を立ち、扉に寄って医師のほうを振り返り、失礼しますと頭を下げてから室を出る。そうして荷物をまとめ、ストールを巻き、会計(一四三〇円)を済ませてビルを出た。隣の薬局へ。処方箋とお薬手帳を渡すと棚に寄り、母親に頼まれた保湿クリームを見つける。それを一つ(最後のものだった)取って席に就き、ふたたび本を読みながら順番を待つ。薬局も混んでいて、二〇分くらいは読んでいたと思う。当たった職員はK.Sさんという人だった。調子はいかがですかと問われたので、良くなってきましたと受けて、会計(クリームと合わせて二一〇二円)。そうして退局。
 時刻はちょうど正午あたり、線路沿いに出て駅へ。階段を上り、通路を歩いて駅の反対側に出て、コンビニに入った。チキンカツサンド(二八九円)、おにぎりのツナマヨネーズ(一一五円)に、炙りサーモン(一八〇円)を取り、列に並ぶ。ケースのなかに入った冷凍食品を見分しながら番を待ち、会計(合わせて五八四円)すると外に出た。ベンチは埋まっていたので、図書館に向かい、入り口の飲食スペースに入る。先客(高齢の女性)があったので、テーブルに近寄って会釈をし、彼女の向かいに鷹揚な素振りで腰を下ろした。そうしてビニール袋を下敷きにしてゆっくりものを食べる。食べ終えるとまた外に出て階段を下り、コンビニ前のダストボックスにゴミを捨て、そうして図書館に入館した。ジャズの棚を見に行く。目新しいものは特にはないだろうと思っていたところが、まずWes Montgomery & Wynton Kelly TrioのLive At Penthouseという音源があって、これはちょっと気になる。と言うのは同じ面子の(ベースだけは違っていたようだが)『Smokin' At The Half Note』が名盤だからだ。こんな音源があったのかと印象に残してほかにも見れば、その隣には上原ひろみと何とかいうハープ奏者のデュオでのライブ音源があって、これもちょっと聞いてみたい。ほか、大西順子のおそらく最新作も以前からあったのだろうが初めて見つけた。それらを見分し、しかしカードを忘れたのでひとまず借りるかどうかはあとに決めることにして、上階に上がる。新着図書を確認してのち(中山元訳の『存在と時間』第五巻などがあった)、書架のあいだを抜けて大窓のほうへ。席は空いていないかと思いきや、一席空のがあったのでそこに入り、荷物を下ろしてストールを取った。コンピューターを取り出し、Eric Dolphy『At The Five Spot, Vol.1』を流しながら日記を書きはじめる。冒頭の"Fire Waltz"は結構な演奏で、Dolphyが闊達に跳ね回り、時にそのサックスの音は人間が喋っているようにも、泣いているようにも、あるいは怨嗟の声を上げているようにも聞こえる。そうしてここまで綴ってちょうど一時間ほどを費やし、現在は一時半を迎えている。
 以下、三宅誰男『亜人』で気になった箇所を抜書き。

  • ●61: 「波は死の飛礫でもなければ生の甘露でもなく、生命の観念よりもはやくからこの地に存在してその営みを絶やさぬ、ただの――それゆえほとんど近寄りがたいまでの聖性をおびた――水滴にすぎなかった。ただのそれ自身に終始すること、発端にも起点にもならぬまるく閉ざされたものとしてあること、神秘とは事物のそうしたありようにほかならなかった。それは館をさまよう歩く亜人の姿だった」――「ただのそれ自身に終始すること、発端にも起点にもならぬまるく閉ざされたものとしてあること」。「亜人」の性質として重要な箇所だと思われる。
  • ●61: 「亜人は、二重に定義された聖者だった。聖なる化身であると同時に、まったきそれ自身の神秘として、重ね書きされた聖性は大佐の両目それぞれにふりわけられて像を結んだ。そしてそのたしかな誤差こそが――なんということだろう!――ありふれた奇蹟にまつわる目隠しされた秘密、すなわち、まごうことなき人間そのものにほかならなかった。亜人、それは人間だった」――同上。
  • ●63: 「錯覚を無効にしたのは、逆光に黒く垂れこめる人影だった。顔なき顔が大佐の視界を覆いつくし、日蝕のように太陽をさえぎると、星もなければ月もない底無しの闇夜、天涯孤独の盲人の夜が不意におとずれた」 → ●64: 「性分をとりもどすにいたった頭上の大鏡がそこに映ずる人影のたしかにおのれの似姿であることを告げる磨きぬかれた曇りなさとともに十全にひらかれてあるさまを、大佐は永遠の夜に没したはずのあの死者の目でもってひるむこおとなくのぞきこみかえした」――「人影」「おのれの似姿」。分裂、分身? 何が起こっているのか、わかりにくい部分の記述だ。
  • ●63~64: 「大佐はとつぜんおのれが戦で命を落とした一個の死者であることを悟った。なんということか! なんということだろう! 身の毛のよだつような歓喜が燃える水のように地の底からほとばしり、認識の爆発にわなわなとふるえてやまぬ大佐の肉体を内側から激しく刺しつらぬいた。(……)合わせ鏡の迷宮でおなじふたつのまなざしがかちあった。ほかでもありうることの可能性が、結びあわされたその焦点を発端としてまぎわに拡大した。歓びが大佐を急かした。ゆけるところまでゆかなければ!」――先と同じ段落中。「とつぜん」。いわゆる「啓示」、「気づき」の場面。何故大佐がここで「歓喜」、「歓び」を覚えているのか、論理がよくわからない。何らかの直観のような認識があったのだろう。
  • ●81: 「シシトは指先を苔の地面に押し当てた。すると深々と吸いこむだけで喉のうるおうような、土のにおいのする涼気がそこからたちのぼった」――連想、「トンカ」。 → ●鎌田道生古井由吉・川村二郎・久山秀貞訳『ムージル著作集 第七巻 小説集』319: 「トンカは足もとの苔を指で強くおさえつけた。しかし、しばらくたつと、小さな茎はつぎつぎにおきあがり、またしばらくすると、そこに残っていた手のあとはぬぐうように消え去ってしまった」
  • ●109: 「亜人の瞳は干上がった魚の鱗のように透明度をなくしてべったりと色づき、乾き、風化し、つい先ほどまで濡れた炎をその内側に宿していたとは到底思えぬほどいっさいと無関係であった。もはや鏡でもなければ容器でもなかった。ほんのかすかな余地さえもたぬあたらしい充溢に黒々と塗りこめられたうえで固く封をされている、ひとつの打ち捨てられた秘密がそこにあった」――「ひとつの打ち捨てられた秘密」。「亜人」の「謎」性。
  • ●111: 「(……)暗がりの奥深く地下の深部へとひとをいざなう釣りあいのとれた石段がその先にむけて螺旋状に続いているさまはもはやひとの気を不確かにし、足下をすくい、生涯をかけて積みあげてきたものから無理な中抜きをしとげてみせる、芸術のように荒々しく野蛮なひとつの徹底された怪奇、既知の急所に産みつけられた純粋無垢な害意以外のなにものでもなかった」――「既知の急所に産みつけられた純粋無垢な害意」。良い表現。
  • ●115: 「すべてが唯一の可能な方向にむけての撤退であり、そしてその撤退とはほの暗い謎にむけてのますます奥深い潜入、見当もつかぬ未踏を舞台にした命がけの冒険を意味していた」――「ほの暗い謎」。「迷宮」の「謎」性。
  • ●117: 「シシト自身、前方に投げかけられた松明の炎が不安定な呼気をともなう正体不明の影の無気味にうごめくその片鱗をかすめた瞬間を幾度となく目にしていたし、より奥深い領域では身の毛のよだつような獰猛な金切り声を耳にしたことさえあった」――「正体不明の影」「金切り声」。「迷宮の奥深くにひそむ化けものや怪物」の痕跡。ここまではまだ許せる範囲だろう。
  • ●122: 「体躯の退化してほとんど頭部と翼だけになった巨大な蝙蝠(……)」 また、→ ●123~124: 「(……)しかしながらいったい襤褸をまとった骸骨どもの襲撃やうめき声をあげる腐乱死体の突進に、あるいは汚水のにおいを発散させながら通りかかるものにむけて天井から飛びつく軟体生物の奇襲やおぼろげに浮遊する正体不明のガスがいざなう催眠や幻覚に、ひとを斬るためだけに磨かれた技術がなんの役にたつというのだろう?」――「蝙蝠」「骸骨」「腐乱死体」「軟体生物」。『ドラゴンクエスト』ほか、RPGゲームを連想させる「モンスター」の登場だが、これが作品全体の調和をかすかに乱し、迷宮の性質を一面で薄めていること、しかし著者がそれを自覚しながら敢えてこうした記述を書き入れたことについては、一月一一日の記事に記したのでここでは繰り返さない。
  • ●124~125: 「(……)シシトの迷宮探索にかける執念はなにごとにむけられたものであったというのか? そもそも、その執念は本当にシシトのものであったのだろうか? シシトのかたわらには大佐の太刀が、斬りはらいなぎ倒した魔物どもの怨念を吸って黒々と錆びた刀身をさらして横たわっていた」
  • → ●92: 「(……)籐椅子からゆっくりとたちあがったシシトの目の前には、すでに腕を組むことも仁王立ちすることもままならぬ父大佐の姿があった。シシトには信じられなかった。ここに横たわっているのは本当に父なのだろうか? むしろいまだ熱病の癒えぬ我が身なのでは?」
  • → ●102~103: 「すると、呆然としてたちつくす自身の姿が寝台をとりかこむ色のうすい更紗のカーテンに影絵となって映りこんでいるのが目についた。それは(……)熱病によって妻と子をたてつづけに奪われようとしている危機にあってただただおのれの無力に気骨が折れぬよう硬く腕組みし、仁王立ちの構えをとることしかできぬ若き日の父大佐のシルエットそのものであった。歴史はくりかえされるというのか? 一族の血がそれを強いるとでも? そうではなかった。むしろいまのこのじぶんの姿をこそあのときの父は後追いしたのだという不可能な確信がシシトをつらぬいた」――シシトと父大佐の分身性? 相互置換性? シシトが同時に大佐であり、大佐が同時にシシトであるような? 「反復」と言っても良いのかもしれないが、その場合、その「反復」はあとのものが先のものを追うという一方向的な関係ではなく、相互的なものでなければならないというのが、ここの記述からわかるだろう。

 それでは次に、ムージル『テルレスの惑乱』で「沈黙」一覧を作ったり、「静かなヴェロニカの誘惑」で「獣」一覧を作ったりしたように、『亜人』のなかに頻出したテーマを並べてみようと思う。まずは「むき身」。六回。

  • ●11: (大佐に)「いざ真正面から相対するとなるとその刀身からほとばしる輝く湯気のような凄みに四肢をからめとられ、気づけばむき身の命をあられもなくさしだしてしまうのだった」
  • ●31: 「亜人の一挙手一投足は見るものすべてを強いて黙らせるだけの様式美に力強くかたどられていたが、馬上の一同に言葉を追いつかせなかったのはむしろ咲きみだれては散ることを待たぬ花のような、流れおちては涸れることを知らぬ滝のような、美の類型におさまりきらぬむき身の印象、なまなましく滴りおちる営為の凄みのほうであった」
  • ●34~35: 「耽溺しすぎると狂いをもたらすたぐいの緊張、名づけた途端に口をふさぎ、首を絞め、息をせきとめにやってくるにちがいない親殺しの張りつめた感情が胸骨のあたりでたちさわぎ、つぼみのおおきく開花するそのむき身を外気にさらそうとつくづく強いた」
  • ●107~108: 「シシトはひどい羞恥心に駆りたてられた。その反動が、亜人にたいする臆面もない接近を可能にした。むき身の肩にむけてことさら無造作にかけられた手は特権を認めじとする意気地がなしとげた最後の強がりであった」
  • ●112: 「(……)そしてその両者を声部とするいまだかつて記譜されたことのない未開の和声のごときものが、内なる動物の姿をとり、あらゆる意味をはねつけてただむき身の一心さで吠えるのだった」
  • ●132~133: 「鋳型にむき身をさらし、境界にうがたれた穴を潜りぬけることのできる輪郭にみずからを変形してみせたそのあとになってはじめて姿を見せる、きざしとも予言とも無縁の、たんなる偶然の産物にしかし一方的な正解を告知するところの事後的なお告げとでもいうべきもの、出口とはほかならぬそうしたものであった」

 続いて、「滴りおちる」。五回。

  • ●25: 「磨きあげられた大理石に滴りおちる黄金色の光彩がなめらかにはねかえり、風のある日の木漏れ日のようにたえまなくゆれては輝かしくせめぎあう(……)」
  • ●31: 「亜人の一挙手一投足は見るものすべてを強いて黙らせるだけの様式美に力強くかたどられていたが、馬上の一同に言葉を追いつかせなかったのはむしろ咲きみだれては散ることを待たぬ花のような、流れおちては涸れることを知らぬ滝のような、美の類型におさまりきらぬむき身の印象、なまなましく滴りおちる営為の凄みのほうであった」――ここは「むき身」のテーマと重なっている。
  • ●67: 「言葉は舌足らずに切りつめられ、玉のような汗をかくそのたびごとに一語一語と語彙が滴りおちて失われた」
  • ●84: 「持続的に吹きながれる風の音ではなく、間歇的に滴りおちる水の音として表象されるべき時の営みにみずからもまたそのひとしずくとして同化しつつあったシシトの胸のうちで極まるものがあった」
  • ●149: 「たちさらねば! 決然としてたちあがったシシトの出足を挫くように、おお、おお、と背後で滴りおちる悲嘆があった」

 次に、「極まる」。六回。

  • ●16: 「痛みは三日目の夜に峠を迎え、その翌朝にはナイフでうすく削りとった貝殻の切片のようなものが瞳からはがれ落ちた。風に含まれた潮が結晶化したのだと船医は言った。するどさがするどさとして極まりかけたその代償としての隻眼であった」
  • ●61~62: 「曇りが極まれば、黒いひとすじの境界線が海と空をわけへだてて走るように見えることもあるだろう」
  • ●74~75: 「不気味さにたちまさる滑稽さ、凄みにたちまさる妙味の踊る絵姿だった。極まれば、主人に先立って動きはじめることすら厭わぬようにも思われた」
  • ●84: 「持続的に吹きながれる風の音ではなく、間歇的に滴りおちる水の音として表象されるべき時の営みにみずからもまたそのひとしずくとして同化しつつあったシシトの胸のうちで極まるものがあった」――「滴りおちる」のテーマと重なっている。
  • ●94: 「五本の成果はそれゆえ文句なしの偶然であるといえたが、偶然性も極まれば往々にして聖性にふりきれるものである」
  • ●100: 「それ以上は一歩たりとも進むことのままならぬ逆風の極まる地点に達するころには、シシトの手はすでに奏でることをやめ、それ自身が奏でられるべき楽器の一部と化していた」

 最後に、「まなざし」。これは全部で二七回出てきている。

  • ●15: 「(……)ただ大佐だけが例のごとく、巨鯨が迂回し海獣どもが祈りをささげる未踏の海域へとしずかに沈みさっていく神々の姿にむけて不動のまなざしを送りつづけていた」――大佐。
  • ●22: 「亜人は声を発することもなければ身ぶりでなにかを訴えることもなかった。言いつけや命令にもおとなしく従い、呼びかけには直視でもって応えた。(……)どこまでも鉱物的なそのまなざしは相対するひとびとにいやおうなく針のひとつきにも似たうしろめたさをおぼえさせた」――亜人
  • ●24: 「亜人」は「館の外には見向きもしなかったが、それでも逃走の意欲や害意の在処を探ろうとするまなざしの傾注が絶えることはなかった」――亜人の周囲の人々。誰のものともつかぬ匿名的かつ集団的なまなざし。
  • ●30: 「円舞はすでに停止し、一同は強い力によって黙視を強いられていた。馬までもが足踏みひとつすることなく、(……)茂みの奥にひそむ未知の気配の正体を見極めんとする顔つきで、硬く強ばったまなざしをひとところに送りだしていた」――馬。
  • ●32: 「二度目の含羞が直視を耐えがたくさせた。我知らず逸らしたまなざしが、潮風に重くなった砂浜にそれでもかすかにきざみこまれてある亜人の足跡を、彼方の密林から手前にむけて点々と追った」――大佐。
  • ●35: 「大佐は亜人を見た。おのれ自身を含む含むなにものに急かされたわけでもなければうながされたわけでもない、意図や欲望から遠く離れた神話の摂理がかくあるべきと舞台をととのえた、そんなふうなまなざしの送りだしだった」――大佐。 
  • ●35: 「(……)亜人のその顔がいつ、みずからの影に沈んだ死に顔から晴天を後光に背負う馬上のこわばりへとむけられるのか、助けを請うまなざしが日暮れを知らぬこの光線に相対してどのように細められさしむけられるのか(……)」――亜人
  • ●36~37: 「沸きかえる一同にむけて亜人はちらりとまなざしをめぐらした。大佐の硬くひきしまったくちびるから軽薄な発言をひきだすにたるだけの言外の迫力や凄みなどとはまったくもって無縁の、虐げられたものの卑しい鈍光が宿った、まずしい一瞥だった」――亜人
  • ●40: 「沈没する敵船の背骨の折れる音が雷鳴のようにとどろくと、亜人は大佐と同じく、海の彼方にむけてまなざしを投げかけた」――亜人。 
  • ●50: 「野次や笑声をたたえた無数のまなざしが大佐へとそそがれたが、それらのどれひとつとして焦点のはずされていないものはなかった」――同盟国の兵士たち。 
  • ●57: 「死屍累々たる一面にむけて大佐は、朦朧と濁った、それでいて芯のまだ鈍りきってはいないかぎ爪型のまなざしをめぐらせた」――大佐。
  • ●64: 「合わせ鏡の迷宮でおなじふたつのまなざしがかちあった」――大佐とその分身(?)。大佐のものとして数える。
  • ●74: 「シシトのまなざしはむしろ壁面を彩るそれら無数の、なかば重なりあい、なかば独立した、ゆらめきながら徒党を組む濃淡さまざまな影絵の動向にむけられた」――シシト。
  • ●81: 「木々は細く、間隔はまばらであったが、しなやかな幹に秘められた力は自粛した枝わかれの分だけ天高く屹立し、おそれをしらぬほどまっすぐ、まなざしの矢尻のとどかぬ果てにまでのびていた」――非人称のもの。
  • ●85: 「木々の一本一本(……)をわけへだてなく名指しつづけるその指先は、やがて泉のおもてに映りこんだ幼子自身の姿にむけられ、次いで、その時点ですでにはっきりと発見のきざしに皮膚をあわだてていたシシトのまなざしを真正面から射ぬいた」――シシト。
  • ●93: 「自問、それは常に他者のまなざしを経由して運びこまれる責め苦であった」――非人称。
  • ●107: 「破りとられた長衣の布地がひらりと石畳の上に落ち、窪みにたまった水気をじわじわと吸いとるうちに重く濡れて潰えるその一部始終が、まなざしはまるで別方向にむけてあるにもかかわらず手にとるようにはっきりと見えた」――シシト。
  • ●114: 「ひとの顔の高さの壁ぎわに等間隔にそなえつけられた炎の、無風になおゆらめく赤い舌先さえとどかぬほど天井は高く、まなざしをはばむ暗がりの層は未知の奥行きをもって物音を遠くうつろに響かせた」――非人称。
  • ●120: 「両手を頭の後ろに組んで枕とし、あらわになったまなざしを隠すように鳥の羽根のあしらわれたつばのひろい帽子をおもてにかぶせていた(……)」――狩人。
  • ●126: 「ひらかれたばかりのまなざしをその手にむけると、探索の過程で負った無数の傷痕のきざみこまれているのがたしかに目についた」――シシト。
  • ●127: 「呆然としてたちつくすシシトを、予言者が訝しげなまなざしで見上げた」――予言者。
  • ●136: 「その目はじきにシシトの右手にさげられた太刀へと行き当たった。途端にまなざしがふたたび見開かれシシトの顔をしかととらえなおした(……)」――「義足の男」。
  • ●137: 「シシトはただ見た。頭上からそそがれるそのひたむきなまなざしを察した義足の男は、悲壮な目つきをかすかにゆるめると、ふっと息をもらし、もっとこちらへ、とかぼそくささやいた」――「義足の男」。
  • ●141: 「(……)その表面に映しだされたおのれの姿ではなく映しだす鏡自身にむけて焦点のあやしいまなざしを凝らしてみせる、一個の立ち姿であった」――シシト。
  • ●147: 「本館の外壁に沿ってまなざしを上昇させれば、高い位置にずらりとならんだ客室のどれもこれも割れて跡形もなくなった窓のひとつからすさまじい勢いで黒煙が噴きだし、その間隙をかすめて踊る炎の赤がわずかにのぞいた」――シシトと予言者。
  • ●153: 「告げるがはやいか、真意をはかりかねて濁る予言者のまなざしになど見向きもせず、シシトは浜辺に建てられた漁師小屋のひとつにむけて毅然とした様子で歩きだした」――予言者。
  • ●155: 「(……)みずからの両肩を抱きしめるようにして背を折りまるくなった予言者の老いたまなざしがとどくぎりぎりの果て、シシトは両手をおおきくひろげて頭上をあおぎ、ぎらぎらとまぶしい光線に全身をさらしてみせた」――予言者。

 以上である。「まなざし」の主を多いほうから順に数えてみると、シシトが六回で一番多く、その次が大佐で五回。亜人が四回で、予言者も並んで四回。誰とも知れない非人称のものが三回、「義足の男」が二回である。シシト、大佐、亜人の「まなざし」が多いのは説話のなかで置かれている主要な位置づけからして当然だろうが、脇役と言うべき予言者の「まなざし」が亜人と並んでいるのは少々意外な感を受けるかもしれない。
 上記の「まなざし」一覧を記している途中、もうあと少しで写し終わろうというタイミングでバッテリー残量が尽きかけているとの表示が出た。残り五パーセントだか何だか。音楽を聞きながら作業をしていたので、予想以上に終焉が早かった。以前はこれほどではなかったような気がするのだが、このコンピューターももう四、五年は使っているはずだから、劣化してきているのかもしれない。それでコンピューターをシャットダウンし、帰ることにした。しかし退館前に、日本文学の書棚を少々見て回った。まず青木淳悟の著作が何冊かあることを確認し、後藤明生はあるだろうかと見に行ったが、予想通り一冊も置かれていなかった。うろついているうちに古川真人の名前も思い出して(「偽日記」の古谷利裕が好評価していたので印象に残っていたのだ)、は行の区画に足を向ける。古井由吉を見ると、『自撰作品』が何故か二巻目だけ置かれている。古川より先に辺見庸に目を向けたが、置かれてあった『青い花』とあともう一つ何とかいう作品が、どちらもぱっと見たところやや前衛的な雰囲気で、まったくのあてずっぽうだが何となくベケットを思い出させるような匂いがあって、これは面白そうだなと思った。エッセイも含めて彼の作はいずれ読んでみたい。それから古川真人作を確認。『縫わんばならん』と『四時過ぎの船』があって、前者を古谷利裕がかなり高く評価していた覚えがある。著者紹介を見ると一九八八年生まれとあってこちらと二歳しか変わらないのに活躍していて大したものだ。そうして退館した。空に目を向けると、あるかなしかのうねりを帯びながら白雲が全面を覆い尽くしており、それがもう雪が降り積もったあとの雪原を思わせる質感で、これは確かに降りそうだ、ことによるとあれがそのまま落ちてきてもおかしくはない、と思った。河辺TOKYUに入る。スーパー。籠を持って、まず椎茸を取る。次に茄子を二パック。そうして、何となく寿司が食いたかったので(また、夕食の調理をするのが面倒だという気持ちもあった)、壁際の区画に行って見分し、一〇巻入りのなかで一番安そうなものを取った。自分の分だけでは薄情だろうというわけで、両親にはネギトロの中巻きを買うことにした。そうして豆腐を取りに行き、最後にカップラーメンを数種類。それで会計(二七六六円)。

1051 麺ニッポン横浜トンコツ  \198
1051 麺NIPPON札幌味噌  \198
3201 太子北の大豆3P  \138
 自動割引4  20%  -28
1051 CNしょうゆ  \148
1051 CNカレー  \148
1051 CNシーフード  \148
3451 十種寿司盛合せ 光  \698
3201 絹美人  \108
 自動割引4  20%  -22
3452 ねぎとろ中巻  \300
150 なす  3本パック
 2コ × 単176  \352
130 生しいたけ  \176
小計  \2562
外税  \204
合計  \2766

 こうして写してみるとTOKYUの物価は結構高い。袋は二つ貰ったが一つに収めたかったので、リュックサックに椎茸や茄子、豆腐を入れてぱんぱんにし、一つの袋に寿司とカップラーメンを整理した。そうして退館。駅に渡り、ホームに入って手帳にメモを取りはじめるとすぐに電車はやって来た。乗ってからも扉際に立ち、顔を俯けて手帳にメモを取る。メモを取っていると一駅一駅があっという間である。青梅で降車、奥多摩行きには二〇分ほど時間があった。ホームを歩き、待合室の横に就き、リュックサックを下ろして品物を一旦取り出して地面に置き、分厚い『「ボヴァリー夫人」論』を救出した。そうしてふたたび荷物を背負い、壁に凭れて書見。乗ってからも立ったまま読書。そうして最寄りで下りると時刻は四時前。階段に掛かるところで前にいる老婦人が達磨を提げていた。今日からだろうか、始まった「だるま市」で買ったものだろう。駅を出て、この日はすぐに坂を下りず、東に向けて街道沿いを行った。空中に陽の色はまったく見えず、西の山際ですら雲に閉ざされていてその痕跡はない。しばらく歩いて右に折れ、木の間の坂を抜けて帰宅。勝手口から鍵を開けて入る。
 荷物を下ろし、買ってきた品物をそれぞれ冷蔵庫や戸棚に収めると下階に行った。自室でコンピューターをセッティングし、起動をさせながら服をジャージに着替える。そうしてTwitterやMさんのブログを覗いたあと(自分のブログのアクセスを確認すると、一四九と今までになく訪問されていたので、「今見たらブログのアクセスが一四九をも数えていて、こんなに訪問されたのは初めてだ。ありがとうございます」と礼の言葉を呟いておいた)、この日の支出を日記に記録してから文を書きはじめた。その途中で出かけていた母親が帰ってきた。一旦書物を中断して茶をつぎに行き、母親と顔を合わせる。パソコン教室に行っていてその後買い物もしてきたと言い、台所にはこちらも買ってきたのにカップヌードルの類がいくつか置かれていた。茶を注ぎながら、料理をするのが面倒だったので寿司を買ってきたのだ、今日はもう夕食は作らんと自分勝手に宣言すると、本に没頭するのと言われたので没頭する、と返した。そうして「メントス」のミント味を口に入れながら下階に帰り、茶を飲みつつ日記を書き足して五時一〇分。その後さらに書き足して、五時半過ぎ。BGMはEric Dolphy『In Europe, Vol.2』。二曲目の"The Way You Look Tonight"がなかなか凄いのではないか。
 Mさんのブログ記事を読む。それで六時を迎えるところ。時間が早いがもう腹が減ったので、寿司を食うことにして上階へ。買ってきた寿司と昼に作ったという炒飯の残り、それに温めた豆腐。夕刊の一面は、森鴎外の未公開だった演劇論が発表されたとの報。それを読みながらものを食べ(寿司は非常に美味だった)、ストーブの上で加熱されていた野菜や茸の雑多なスープに粉の出汁を味付けとして加え、それもよそって食べる。テレビは平成時代のヒット曲を復習して流すような番組。郷ひろみだとか浜崎あゆみだとかが出てくるなかで、九八年のものだったが、美空ひばりが"川の流れのように"を歌っていて、先のような面子のなかではさすがにこれは別格だなと思われた。そうして食器を洗い、緑茶を用意して自室へ戻ると、ブックマーク登録してあるブログを読む。Sさんのブログ――「愚にもつかない言葉、しかしThe Smithにおいて音楽と言葉は不可分というより、音楽も文体であり言葉を構成する部品という感じがする。言葉の愚にもつかぬ諸々がぼろぼろと剥がれて落ちてあちこちに散らばる。それによってたしかな言葉や意味に変わるわけではない、こわれて言葉以前に戻ると言ったほうがよい、しかしそれは常に現在進行形、動作の過程、その様子そのものだ」。それから「悪い慰め」。さらに、gmailに送られてきていたfuzkueの読書日記――「日本人でいることは簡単なことだなあというか、カントリーもブルースもヒップホップも、簡単にそれぞれをそれぞれにかっこいい、と思っていられるから、簡単だな、と思った」。そうしてまた、「うつ病の聖杯」(http://kokoro.squares.net/?p=3085)という記事も読む。これはTwitter鬱病関連について思ったことをちょっと呟いたら、Bさんという方がその存在を教えてくれた記事である。

23 ではうつ病(真のうつ病=内因性うつ病)の決定的な特徴とは何か。それを表す精神医学の専門用語として、「生気的悲哀」や「無反応性」などがある。だがこれらは将来的にも客観的に証明できる見込みはほとんどない。

24 「無反応性」とは、たとえ嬉しいことがあっても嬉しいと感じない。逆に悲しいことがあっても悲しいと感じない。このような精神状態を指す。つまり、良いことがあったら気分が良くなるのは、うつ病(真のうつ病=内因性うつ病)ではないというのが、精神医学の伝統的な考え方である。

 上のように記事中にあるが、この「無反応性」というのはこちらが経験した症状そのままではないかと思った。実感は薄いのだが、やはり自分は鬱病、それも内因性の鬱病の軽いものだったのかもしれない(しかし「内因性うつ病」に軽いものなどあるのだろうか?)。自分の場合は自生思考などの統合失調症的な様態もあったのでややこしいと言うか、そう一筋縄では行かない感じがするのだが、四月以降の状態は、特にストレスがあったわけでもなく――三月まで続いていた発狂するのではないかという不安が一番ストレスと言えばストレスだったのかもしれないが――自ずと感情を失っていったような感じがあって、自分の場合、外的な要因で発症したと言うよりは、とにかく脳が誤作動を起こした、何故だかわからないが頭がおかしくなったと、そういう風に考えていたので、内因性だと言われるとわりとしっくり来るようなところがある。つまり原因(自分の「うつ病」を引き起こした病気の「本質」)などというものはなかった、あるいはあったとしてもそれはまだ発見されていない。
 それからUさんのブログも読んだ。英文で綴られていたので、いくつか単語の意味を調べながら追った。以下にメモしておく。

  • ●I've never been seduced by analytic philosophy's pretensions toward absolute clarity of definitions――pretension: 自負、うぬぼれ
  • ● [Feminist philosophy] addressed questions of bodily experience, sexuality, and oppression in breathtakingly original ways, (……)exploring domains mostly ignored in the mainstream――domain: 領域
  • ●(……)Martha Nussbaum, who was similar to Linda Bell in exemplifying a kind of feminie philosophical form.――exemplify: 好例となる

 文中に出てきているマーサ・ヌスバウムという名には聞き覚えがあって、今おそらくこのあたりだろうと思って、もう随分昔にどこかの古本屋で一五〇〇円で買ったものだが、ブライアン・マギー/高頭直樹ほか訳『西洋哲学の系譜 ――第一線の哲学者が語る西欧思想の伝統――』という著作を棚の上から取ってみると、やはりアリストテレスについて話す章でヌスバウムの名が出てきていた。この本もまだ読んでいない。
 そうして時刻は八時、風呂に入りに行った。上階に行くと、父親が帰ってきていたのでおかえりと挨拶する。そして入浴。翻訳や英語についてなどぼんやり考えながら湯浴みをする。出てきてダウンジャケットを羽織っていると父親が、お前今日はどこかに出かけたのかと訊くので、医者、と答える。それで何だってと言うので、調子が良くなってきた、また日記も書きはじめたと伝えた、すると順調だろうとのことだと。薬はと言うので変わらず、ただ二週間か三週間にするかの選択があって、三週間分にしたと伝える。良かったと両親は安堵した様子だった。それで部屋に戻ってきて、FISHMANS『KING MASTER GEORGE』を背景に日記を綴って九時。
 読書を始める。まず、Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea。読んでいると途中で天井がどん、どんと鳴ったので、流していたFISHMANS『ORANGE』の音量が大きすぎたかと思って下げたのだが、部屋を出て上階に行ってみると苺を食べたらということだった。それで母親が寒天と一緒に小鉢に取り分けてくれたものをさっと食べ、五分ほどですぐに自室に戻って読書の続き。意味を調べた英単語をメモするのは明日以降で良いだろう。それよりも今は、読んでいて書抜きたいと思った箇所――前回読んだ時も同じように思ったが――を下に引いておく。

 He always thought of the sea as la mar which is what people call her in Spanish when they love her. Sometimes those who love her say bad things of her but they are always said as though she were a woman. Some of the younger fishermen, those who used buoys as floats for their lines and had motor-boats, bought when the shark livers had brought much money, spoke of her as el mar which is masculine. They spoke of her as a contestant or a place or even an enemy. But the old man always thought of her as feminine and as something that gave or withheld great favours, and if she did wild or wicked things it was because she could not help them. The moon affects her as it does a woman, he thought.
 (Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea, Arrows Books, 2004, 19~20)

 特に二文目の、"Sometimes those who love her say bad things of her but they are always said as though she were a woman"というのが良く感じられる。Hemingwayを一〇時過ぎまで読んだその後、今度は蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を読み出す。こちらの抜書きも明日以降で良いだろう。そうしてあっという間に日付の改まる時刻を迎え、歯磨きをしてインターネットをちょっと回り、それからVirginia Woolf, Kew Gardensのことを思い出して私訳を読み返した。二〇一四年に訳したもので、五年前ではまだ日記の文章も全然整っていなかった頃だし、公開するのなら訳し直すようだろうと思っていたところが、これが意外にも今の目で見てもさほどの瑕疵もなくまとまっているもので、当時の自分もなかなか頑張っていたものだが、これはしかし既訳を二冊参照したことが大きいのだろう。それでほとんど句読点の位置のみ直すだけでブログに投稿し、Twitterに通知をしておいた。さらに、自分が作ったローベルト・ヴァルザー風の小品――こちらは二〇一五年のものだ――のことも思い出したので、それも同じように公開した。これが今のところ唯一、こちらの「作品」だと呼べる類の文章である。投稿したものを読み返してみると、こちらもやはり直すところがないように思われたし、文章としてうまくドライブしているようだと自負されて、なかなかヴァルザーを上手く真似ているのではないかと自画自賛した。
 そうして一時半頃からふたたび読書。二時五分で切りとして就床。入眠に苦労はなかった。


・作文
 6:36 - 7:07 = 29分
 7:38 - 7:59 = 21分
 12:33 - 14:58 = 2時間25分
 16:38 - 16:50 = 12分
 16:57 - 17:38 = 41分
 20:42 - 21:02 = 20分
 25:07 - 25:21 = 14分
 計: 4時間42分

・読書
 8:09 - 9:06 = 57分
 10:13 - 11:20 = 1時間7分
 11:30 - 11:50 = 20分
 15:30 - 15:50 = 20分
 17:39 - 17:55 = 16分
 18:41 - 20:05 = 1時間24分
 21:13 - 23:50 = 2時間37分
 25:27 - 26:05 = 38分
 計: 7時間39分

  • 2018/1/12, Fri.
  • 2016/8/25, Thu.
  • 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』: 71 - 120, 736 - 743
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-11「祝福は髪指寝言翌朝の不機嫌がいま日差しを浴びる」
  • 「at-oyr」: 「Sakamoto」; 「ヤスオ」; 「You've Got Everything Now」; 「帆船」
  • 「悪い慰め」: 「日記01/06~01/08」
  • fuzkue「読書日記(118)」
  • うつ病の聖杯」(http://kokoro.squares.net/?p=3085
  • 「思索」: 「1月10日2019年」
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea: 15 - 21

・睡眠
 1:50 - 6:10 = 4時間20分

・音楽