2019/1/16, Wed.

 五時台に覚め、しかし起きられず、次に七時台に覚め、さらに寝付いて最終的には九時四〇分。その頃になると太陽も山際を離れ、窓枠に隠れず姿を現して、光線が枕に乗った顔にまで届いている。ダウンジャケットを羽織って上階へ。母親が、CDを掛けたいのだが音楽が鳴り出さないと困っている。スピーカーに繋ぐ配線を取り替えるのだと教示して顔を洗い、シチューを火に掛け、そうしているあいだに便所に行って用を足すが戻って来るとまだ鳴らないと言うので見てみると、スピーカーの電源が刺さっていなかった。それでコンセントを差し込み、リモコンを操作して流れ出したのは松任谷由実の音楽である。"You don't have to worry, worry, 守ってあげたい"というあの有名なやつだ。それを聞きながらシチューを食べるのだが、松任谷由実の音楽はなかなか良質だなと今更ながら思った。サビは少し定型に絡められていると言うか――しかしそれはむしろサビになって一挙に花開くキャッチーさとして肯定的に評価すべき部分なのだろうとは思う。それにまた、Bメロの移行の仕方など見事ではないかと思われた。次曲は"恋人はサンタクロース"。そうして、半分残ったモンブランも食べて食事を終え、そのあとに薬を飲んだ記憶がないがまあ良い。食器を洗って浴室に行き、風呂の蓋を取ると滴がぽたぽたと落ちる。栓を抜いて水が流れて行くのを待つあいだに、洗濯機に繋がった汲み上げ式のポンプを持ち上げて静止させ、管のなかに溜まった水が落ちるのを待つ。そうして、ブラシを上下左右、また前後に動かして浴槽を洗い、出てくると今度はストーブの石油を補充しに勝手口のほうへ行った。空は無限に連なる淡い水色に満たされており、雲はほとんど見られず、今にも消えてしまいそうなものが二、三、擦りつけられているのみである。戻ってストーブにタンクを入れると、緑茶を用意してねぐらに帰った。そうして日記、前日の分を仕上げて投稿し、この日の分もここまで綴って一一時前。BGMは『The Jimmy Giuffre 3』。この作品はベースが肝となっているような気がする。
 他人のブログを読む、Mさんのブログ、Uさんのブログに、「ワニ狩り連絡帳」。そうして自分の日記も一年前の分を読み返して時刻は一二時前、上階に行った。戸棚から「札幌濃厚味噌ラーメン」を取り出して湯を注ぐのだが、外で水やりをしていた母親がこちらを呼ぶ声が聞こえていた。南窓を開けて顔を出すと、水道の水を調整しに行っていた母親が家の角から現れて、ちょっと来てくれと言う。カップラーメンの待ち時間四分を越えてはと急いで玄関を抜け、小走りで家の南側に下って行き、水を止める。そうして畑にいる母親のもとに駆けつけると、ホースに繋がった水の噴射部が外れたようだったが、既に元通りセットしたあとだった。それで水道のところに戻り、水を調整してちょうど良い塩梅に流れ出させると室内に戻ってラーメンを食った。その傍ら新聞は日本がアメリカのGPSに依存しない、「準天頂衛星」と書いてあったか、そうしたものを開発しているという話題を一面から読む。テレビのニュースは稀勢の里引退を伝えている。新聞やテレビに目を向けながらラーメンを食べ、結構美味だったのでスープもすべて飲み干してしまい、それから前日から残っている生野菜のサラダにシーザー・サラダ・ドレッシングを掛けて食した。そうして食器やプラスチック容器を片づけ下階に戻ると時刻は一二時半頃だったと思う。FISHMANS "MELODY"を流して歌いながら服を着替える。上は背面と腕の部位に水色のストライプが入った白いコットンのシャツ、下は水色混じりのグレーのイージー・スリム・パンツ、それにモッズコートを羽織って歯ブラシを取りに行く。口に突っ込んで部屋に戻ろうとすると上階から母親が呼んだので行ってみれば、ソファを動かしてほしいと言う。歯ブラシを口に加えたまま前屈みになり、ソファを持ち上げてずらし、位置を微調整して自室に帰った。歯磨きを終えるとFISHMANSの音楽を、"チャンス"、"ひこうき"、"100ミリちょっとの"と流し、そうして荷物を整理してストールも巻き、上階に上がった。便所で用を足してから母親に行ってくると告げて出発。"100ミリちょっとの"を脳内に流して坂を上りながら、ひとまず翻訳としては、最初からウルフなどに挑戦しても無理に決まっているから、ヘミングウェイの短篇あたりを訳してみようかなと思った。Men Without Womenを持っているのだが、それを見てみると僅か数頁の短いものも結構あるのだ――それだったらさほどの労力にはならないだろう。今読んでいる『老人と海』も、訳すかどうかは別としても日本語訳を参照して、わかりにくい表現の部分などプロフェッショナルがどう訳しているのか学んでみても良いかもしれない(二〇一七年の父親の誕生日に光文社古典新訳文庫小川高義訳を贈ったから、それを借りても良いし、もう一冊買ったって良いだろう。福田恆存の古い翻訳も家にあったが、これは良い日本語文ではなかった)。The Old Man and the Seaを読んで気づいたのは、ヘミングウェイと言うと短めの文を連ねてあまり人物の内面に立ち入ることなく、乾いた文体を旨としている作家として知られていると思うが、カンマで繋ぐ長めの文がそこそこ見られるということだ。そのあたり、カンマを句点に置き換えてぶつ切りに訳すのか(これだと長い原文のリズムと異なり、場合によってはそれが損なわれてしまう難点があると思う)、それともピリオドで区切られていないことを尊重して和文も長く取るのか(これだと和英の構文の違いから語順=意味の順序をどのように構築するかという問題がある)、プロフェッショナルがどのように処理しているのか見てみたいものだ。また、短篇を訳すとしたらこれも既訳を参照できるように『全短篇』を入手せねばならない――確か新潮文庫に入っていたと思うが、多分もう新刊書店には売っていないだろう。となるとやはりAmazonを使うようか? まあひとまずはThe Old Man and the Seaを読み終わってからの話だ――そんなことを考えながら坂を上って行き、平らな道に出ると、この日は風が結構あって日向の温みよりもそちらのほうがやや勝る。ピンク色に飾られた梅の木を見やりながら街道に出て、北側に渡って歩いて行くあいだも、正面から吹きつけるものがある。空は、これから向かう途上、東側は大方青いが、西を振り向けば結構雲が出ているようだった。裏通りに入る間際にふたたび西に目を送ると、丘陵の上に積まれた雲の夏のそれのようだったが、夏よりは質感がいくらか稀薄なようだ。コートのポケットに手を突っ込んだまま裏路地を行き、途中でふたたび表に出た。歩いていると、首も守られているから身体が温みを帯びて、風が吹いても寒くはなく、服の裏など暖気が溜まっているのが感じられる。青梅坂下では工事を行っており、あれはアスファルトを均していたのだろうか、一つ良くもわからない機械が地面の上をゆっくりと移動し、そのすぐ脇には掃除機のような機械が出張って振動音をあたりに響かせていた。街道を行き、青梅図書館前の細道から裏に入り、駅前に出て駅舎に入る。ホームに出ると日向のなかで立ったまま蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を読みはじめた。すぐにやって来た電車に乗ってからも文字を追っていると、線路の曲線に差し掛かると電車と太陽のあいだの角度が少しずつ変化していき、床の矩形がじりじりと移動して頁の上にも光が掛かり、右下から左上へと斜めに舐めて行く。河辺で降り、返却本である大津透『天皇の歴史1 神話から歴史へ』を小脇に抱えながら改札を抜け、図書館に渡って返却。それからジャズの棚を見に行った。そうしてWynton Kelly Trio/Wes Montgomery『Smokin' In Seattle: Live At The Penthouse』、Hiromi & Edmar Castaneda『Live In Montreal』、Junko Onishi『Tea Times』を持って上階へ。新着図書を確認したあとCD三枚を貸出手続きし、それからフロアの端、中公新書の区画を見に行った。『中国の論理』と『中国ナショナリズム』がそれぞれ所在されているのを確認し、窓際に出ると一席空いたものが見つかったのでそこに荷物を置く。ストールも取って机上に置いておき、まだ座らずにフロアを渡って、『天皇の歴史』シリーズを見分する。明治天皇の巻、昭和天皇の巻の目次をそれぞれ確認してから今度はその書架の裏側に回ってヘミングウェイの著作を確認したが、小川高義訳の『老人と海』は見当たらなかった。短篇では西崎憲の訳したちくま文庫のものが見られた。それらを確認してから席に戻ってコンピューターを取り出し、日記をここまで記して三時前を迎えている。
 以下、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaからメモ。

  • ●37: He heard the stick break and the line begin to rush out over the gunwale of the skiff.――gunwale: 船べり
  • ●37: In the darkness he loosened his sheath knife and taking all strain of the fish on his left shoulder he leaned back and cut the line against the wood of the gunwale.――sheath: 鞘
  • ●38: The blood ran down his cheek a little way. But it coagulated and dried before it reached his chin(……)――coagulate: 凝固する
  • ●38: I wonder what he made that lurch for, he thought.――lurch: 急な傾き
  • ●39: He tried to increase the tension, but the line had been taut up to the very edge of the breaking point since he had hooked the fish(……)――to the edge of: ~する寸前で、今にも~しそうで

 また、気に掛かった箇所も抜書き。

  • ●37: (……)he(……)cut the line against the wood of gunwale. Then he cut the other line closest to him and in the dark made the loose ends of the reserve coils fast.(……)Now he had six reserve coils of line.
  • → ●21: The boy had given him two fresh small tunas, or albacores, which hung on the two deepest lines like plummets and, on the others, he had a big blue runner and a yellow jack that had been used before;(……)each line had two forty-fathom coils which could be made fast to the other spare coils so that, if it were necessary, a fish could take out over three hundred fathoms of line.――"line"は四本あって、そのそれぞれに"two forty-fathom coils"が付属しているので、それらを全部繋ぎ合わせれば八〇×四で三二〇尋の長さになるわけだ。
  • ●32: 'It was noon when I hooked him,' he said.――時間の指定。
  • → ●33: The fish never changed his course nor his direction all that night(……)――一日目の夜。
  • → ●38: And in the first light the line extended out and down into the water.――二日目の夜明け。
  • ●39: 'He's headed north,' the old man said. The current will have set us far to the eastward, he thought.――方角の指定。

 続いて、『「ボヴァリー夫人」論』からも。

  • ●182: 「ここで着目すべきは、『ボヴァリー夫人』のヒロインの不倫が、複数の男性の誘惑に同時に身をさらすという葛藤関係には陥ることなく、そのつど口にされる夫の健康を気遣う言葉にうながされ、一人が姿を消すとそれに代わって登場する男に身をまかせるといった按配に、なだらかな継起性に支配される女性だということだ」
  • ●205~206: 「散文のフィクションが、そのテクストの長さによって「長編小説」《roman》、「中編小説」《nouvelle》、「短編小説」《conte》、あるいは「物語」《récit》、等々、と分類されているフランスの文学的な伝統(……)。このジャンルによる分類は、理論的なものというより、パリのある名高い書肆[ガリマール社]によって勘案されたひとつの販売戦略だといってもよかろうが、それが他社にもとり入れられ、文学的な出版物の一般的な慣習として定着するのは二十世紀もかなり時間がたってからのことにすぎない
  • ●208: 「事実、アリストテレースの『詩学』(……)からヘーゲル Georg Wilhelm Friedrich Hegel の『美学講義』(……)にいたるまで、西欧の伝統的な美学、詩学、修辞学における言語芸術のジャンルは、古代ギリシャに起源を持つ「叙事詩」と「抒情詩」と「劇詩」の三つにかぎられており、そこに「長編小説」の占めるべき位置はまったくもって見いだしがたい」
  • ●239: 「ここに描かれているのは、多彩なるものと地味な寒色との相互肯定からなる華やぎといったもので、それは、どれひとつとして特権的な中心におさまることのない多彩な色調がいっせいにおのれを主張しつつも混じり合うという積極的な多彩性ともいうべきものにほかならない」――フローベールの「描写」を、蓮實自身が一般的な概念を用いて「描写」し直している。
  • ●244~245: 「その匿名の主体を、ひとまず「話者」と名づけることにする。(……)それをあえて「語り手」と呼ばないのは、この匿名の主体の機能が必ずしも「語る」ことにつきてはいないからである」
  • ●247: 「リューヴァン氏が読みあげる演説の草稿を「書く」のはまぎれもなく「作者」にほかならないが、それを同時に進行しているロドルフによるエンマへの誘惑の言葉とテクスト上に交互に配置し、その継起性をあたかも同時的であるかのように見せかけるという技法的な処置は、あくまで「話者」による「語り」の機能に属する
  • ●270: 「(……)ジュネットのいう「語り手」と「聴き手」という関係は、散文におけるフィクションにあってはにわかには成立しがたい。「文学的テクストと指示対象」(HAMON Philippe, 《Texte littéraire et référence》, Tangence, n 44,, juin 1994, Département des lettres et humanités, Rimouski, Université du Québec, p. 7-18.)のフィリップ・アモン Philippe Hamon もいうように、「文学的なテクストは書かれたテクストであり、発話の文脈からは切り離された遅延した[﹅4]テクストにほかならぬ」(同書 8)からである。

 その後、『「ボヴァリー夫人」論』を書抜きした(自分が「抜書き」と言う時は上記のような、日記本文内に組み込むメモ的な短い抜き出しを指しており、「書抜き」という時はもっと長いまとまりを写す時のことを指している)。特に印象に残ったのは次の部分――「いま読みつつある「文」そのものを忘れないかぎり、「テクスト」を最後まで読み続けることはおよそ不可能であり、そのかぎりにおいて、「テクスト」は一瞬ごとの忘却を惹起する言語的な装置だというべきかもしれない。もちろん、以前に読んだ「文」を読み返すことならいつでもできるし、誰もがしていることだ。しかし、それはあくまで読んでいながらもそれを忘れているという記憶喪失を前提としており、その意味で、「テクスト」を読むことは、どこかしら「生」を「生きること」に似ているといえる」。一時間余りをそれに充て、それから二〇一六年八月二一日の記事を読んだ。特段に引用しておきたい箇所はなし。そうして四時五〇分。それから『「ボヴァリー夫人」論』を読み進める。外はなだらかな曇り空。大気は段々と暮れて行き、光を剝ぎ取られた薄色から深い宵闇へと移行して行く。途中、席を立ってフローベールの著作が文庫の棚にあるかどうか見に行ったのだが、これがなんと一冊もなかった――光文社古典新訳文庫の『感情教育』があればと期待していたのだが。『ボヴァリー夫人』にしても、わりと近年、新潮文庫から新訳が出ていなかったか? ともかくそれで席に戻って、六時半過ぎまで書見を続け、「Ⅴ 華奢と頑丈」まで読み終えたところで帰路に就くことにした。荷物を片づけて立ち上がり、リュックサックを背負った上からストールを首に巻く。そうして歩き出し、政治学の棚をちょっと見分してから退館へ。TOKYUで買い物をして行こうかとも思っていたが、母親がペーパーバッグ作成講座の帰りに寄ると言っていたし、面倒な気持ちが先に立ったのでまっすぐ帰ることにした。眼下にはGEOの店舗が皓々と白い光を際立たせており、こちらが渡る円形歩廊の上では柵の下部に埋め込まれた四角い電灯が、左右から薄ぼんやりとした明かりを寄せてくる。駅へ入り、エスカレーターを歩き下ってホームへ。電車の発車時間を記してある掲示板を見れば、奥多摩行きへの接続は少々あと、青梅駅で待たなくてはならなかった。リュックサックから『「ボヴァリー夫人」論』を取り出すとともに電車がやって来る。乗ったところの扉際に立ち、顔を俯かせて頁に目を落としながら到着を待ち、青梅に着くと本を仕舞わず分厚い八〇〇頁のそれを小脇に抱えてホームを歩いた。線路を挟んで向かいの小学校では体育館の窓がオレンジ色の明かりに染まっており、ホームの一角に申し訳程度に設けられた小さな花壇では、パンジーが乏しく咲いている。スナック菓子を売っている自販機の前まで行き、細長いパックのポテトチップスを二種類買うと(一八〇円)、木製壁の待合室のなかに入った。室内には女子高生が二人と女性が一人、先客としていた。入り口近くの角に立ち尽くしたまま本を読み、奥多摩行きがやって来ると乗って、やはり扉際で立ったまま文字を追った。最寄りに着くと降車し、電灯の薄明かりのなかで手帳に時間を記録して、階段を上る。階段通路の上から視線を遠くに放れば、表通りを行く、あるいは裏道へと入っていく人々の、黒い影となっているのが目に入る。横断歩道を渡って下り坂を行けば、道の脇からはみ出す葉叢のなかに突き出た街路灯に照らされた緑葉が、硬質な白さを帯びて鱗のように空間に浮かんでいる。平らな道に出て見上げた空は一面曇っており、煉瓦のようにくすんで星の一片も見えないわりに、晴れた夜空の深い藍色よりもかえって軽妙に明るいような風だった。
 帰宅して、抱えていた『「ボヴァリー夫人」論』を卓上に置くと、その音に視線を向けた母親が、なあにそれ、随分厚いねと言った。八〇〇頁あるよ。何が書かれているの。文学……作品について、とそう答えて階段を下り、自室に帰ってコンピューターをセッティングしながら服を着替えてジャージ姿になった。Twitterを覗くと、こちらが訳したウルフの「キュー植物園」について「素晴らしい」とメッセージを送ってきてくれた方がいて、有り難いことである。そうして食事へ。アジフライ・マカロニソテー(シチューの残りを使って作ったと言う)・白米・大根のサラダ・白菜や豚肉などの入ったスープである。テレビは前日に録ったものらしく、『マツコの知らない世界』を流していて、世界に二人しかいないという観覧車研究者のうちの一人、七〇歳ほどの老婦人が出演していた。しかしこちらは観覧車に特段の興味はない。ソースの掛かった肉厚のアジフライをおかずに米を食い、ほかの品も平らげたあと、マカロニソテーをおかわりし、さらにゆで卵も食べた。そうして食器を台所に運び、水道の水と網状の布でもって一度汚れを拭ったあと、洗剤をつけて本式に洗う。それから濯いで食器乾燥機に入れておき、風呂はまもなく帰ってくるという父親に譲ることにして、自室から急須と湯呑みを持ってきた。そこで薬を飲んでいなかったことに気づき、一杯目の湯を急須についで待っているあいだに薬剤を摂取し、二杯か三杯分の茶を用意するとねぐらに帰る。買ってきたポテトチップス(うすしお味)を食いながら借りてきたCDのインポートを始め、菓子を平らげてしまうと茶を飲みながら日記を書き出した。BGMに流したのはJunko Onishi Trio『Live At The Village Vanguard』。そうしてここまで記して九時直前に至っている。
 そう言えばTwitterを覗いた時に芥川賞直木賞の結果が発表されていて、芥川賞を受賞した二人のうちの一人が町屋良平という人だったのだが、この人は自分がCRUNCH MAGAZINEというインターネット上の投稿サイトに日記を上げていた頃――もう四、五年前になるが――知り合って、何度か読書会も行ったことのある相手である。文藝賞を受賞した時に『文藝』上に写真が載っているのを見て驚いたものだが、その頃にはもう付き合いはなくなっていたものの、元々顔を知っていた人が芥川賞を受賞するとはこれもなかなか驚きである(ちなみに当時、『青が破れる』だったか、件の文藝賞受賞作をMさんがちらりと目にして、こんなものはクソゲロ以下の代物であると激しく罵倒していたのも覚えている)。しかしまあ、芥川賞であれノーベル文学賞であれ、およそ賞などというものは受賞者の作が良く売れるようになる、つまりは金になるという程度のことしかおおよそ意味しないものだ。
 父親はもう風呂を出たかと思って上階に行ってみると、ちょうど今しがた入ったところだと言う。入っちゃえば良かったねと母親は言うが、そんなに急いでいるわけでもない。自室に戻って、借りてきたCD三枚の情報を写すことにした。打鍵を続け、三枚目、Junko Onishi『Tea Times』のパーソネルを写している途中で天井が鳴り、風呂が空いたらしかったので入浴に行った。風呂のなかでは湯船のなかで身体を楽に伸ばしながら、書抜きの読み返しで学んだ沖縄関連の知識を想起し、再確認する。それにも飽きると"Moment's Notice"のメロディを口笛でぴいぴい吹いて、二〇分かそこらで上がったと思う。翌日、木曜日は燃えるゴミの日なので自室のゴミを上階のものと合流させておき、そうして我が穴蔵に帰ってふたたび打鍵を始めた。

Wynton Kelly Trio/Wes Montgomery『Smokin' In Seattle: Live At The Penthouse』

1. There Is No Greater Love [I. Jones / M. Symes]
2. Not A Tear [R. Stevenson]
3. Jingles [W. Montgomery]
4. What's New? [J. Burke / R. Haggart]
5. Blues In F [Montgomery]
6. Sir John [R. Mitchell]
7. If You Could See Me Now [T. Dameron / C. Sigman]
8. West Coast Blues [Montgomery]
9. O Morro Não Tem Vez [A.C. Jobim / V. De Moraes]
10. Oleo [S. Rollins]

Wes Montgomery: g on 3,4,5,8,9,10
Wynton Kelly: p
Ron McClure: b
Jimmy Cobb: ds

Produced for release by ZEV FELDMAN and GEORGE KLABIN
Executive Producer: GEORGE KLABIN
Associate Producers: ROBERT MONTGOMERY, JIM WILKE and CHARLIE PUZZO, JR.

Sound restoration by GEORGE KLABIN and FRAN GALA
Mastering by FRAN GALA at Resonance Records Studios
Original recording engineer: JIM WILKE

Recorded At The Penthouse In Seattle, Washington
On April 14 and 21, 1966

(P)(C)2017 Rising Jazz Stars, Inc.
KKJ1022 (HCD2029)

Hiromi & Edmar Castaneda『Live In Montreal』

1. A Harp In New York [Edmar Castaneda]
2. For Jaco [Castaneda]
3. Moonlight Sunshine [Hiromi]
4. Cantina Band [John Williams]

The Elements [Hiromi]

5. Air
6. Earth
7. Water
8. Fire

9. Libertango [Astor Piazzolla]

Hiromi: p
Edmar Castaneda: harp

Produced by Hiromi and Edmar Castaneda

Recorded at the Festival International de Jazz de Montreal, on June 30th 2017,
in Ludger-Duvernay concert hall (Monument National)
Recorded by Michael Bishop, Five/Four Productions Ltd.
Assistant Recording Engineer: Padraig Buttner-Schnirer
Front o House Engineer: Tyler Soifer
Mixed and Mastered by Michael Bishop at Five/Four Productions Ltd., Cleveland, Ohio

(P)(C)2017 Concord Music Group, Inc.

Junko Onishi『Tea Times』

1. Tea Time 2
2. Blackberry
3. Tea Time 1
4. Chromatic Universe [George Russell]
5. GL/JM
6. The Intersection [Miho Hazama]
7. Caroline Champtier
8. Malcom Vibraphone X feat. N/K, OMSB
9. U Know feat. OMSB, JUMA, 矢幅歩, 吉田沙良
10. Fetish

All Compose & Edit by Naruyoshi Kukuchi except #4,6

Junko Onishi: p
Terreon Gully: ds
Yunior Terry: b

Horns:
Tokuhiro Doi: as / cl
Kazuhiko Kondo: as
Ryoji Ihara: ts / fl
Masakuni Takeno: ts
Kei Suzuki: bs
Eijiro Nakagawa: tb
Nobuhide Handa: tb
Ryota Sasaguri: tb
Koichi Nonoshita: bass tb
Eric Miyashiro: tp
Koji Nishimura: tp
Masahiko Sugasaka: tp
Atsushi Osawa: tp

Yosuke Miyajima: g

N/K from JAZZ DOMMUNISTERS: rap on 8
OMSB from SHIMI LAB: rap on 8,9
JUMA from SHUMI LAB: rap on 9
Sara Yoshida: chorus on 9
Ayumu Yahaba: chorus on 9

#5
Horn section arrange by Miho Hazama

#4
Transcription by Ryoji Ihara

Produced by Naruyoshi Kukuchi

Recording Directed & Coordinated by Tomohiro Oya(mimi-tab.)

Mixed & Recorded by Takashi Akaku(mimi-tab.)
Mixed at Studio FAVRE
Recorded at Sony Music Studios Tokyo, Studio FAVRE
Assistant Engineer: Takemasa Kosaka, Yuta Yoneyama (Sony Music Studios Tokyo)
Mastered by Koji Suzuki (Sony Music Studios Tokyo)
Mastering at Sony Music Studios Tokyo

(P)(C)2016 ony Music Artists Inc. / TABOO
VRCL 18853

 それで一〇時二〇分というところだっただろう。読書の項目に一〇時半から記録が成されているが、これは書抜きの読み返しを行ったものだ。一二月二九日、二八日の分だが、一二月の分はもう大方、一回読むだけで記憶を蘇らせることができるようになってきている。そうして一一時、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaを読みはじめたが、同時にLINEにログインすると新しいグループが設けられ、そこで会話が成されていた。一月二六日の会合に関しての相談である。元々三鷹天文台で天望会に参加するとの予定だったが、Tによるとこれは随分と人気で、予約開始時間から一〇分ほどで売り切れてしまったらしく、気づいた時には満員になっていて席を取れなかったと。それで天望会は取りやめ、しかし三鷹にKくんの家があるので、そこで彼とこちらの誕生日を祝う会を行おうということになった(Kくんとこちらはどちらも一月一四日生まれである)。会には新たに、M.Sさん(漢字不明)という方も参加することになっており、この人はTが学童の仕事をやっていた時に同僚として知り合った人であるらしい。確か美大出だか何かで、"(……)"という、TとTが作った曲のイメージを絵に描いてくれたというのをTは見せてくれた(この曲はTのアレンジが生き生きとしていて、素人が作ったにしては良質で上出来のものだと思う)。それでそのMさんに、初めまして、Fと申します、よろしくどうぞと挨拶し、その後適当な雑談を交わしながらHemingwayを読んだ。そうして零時を回る。LINEでの会話は終了し、こちらは歯磨きをしながら、Hさんがブログに上げていた新しい小説の冒頭部分を読んだあと、零時半前からまた『「ボヴァリー夫人」論』に触れはじめた。「Ⅵ 塵埃と頭髪」の章。「主体の溶解という現象のうちに、フローベール的な愛の一形式をきわだたせている」という観察がちょっと印象的だった。時間が前後するが、Hemingwayを読んでいる時はWynton Marsalis Septet『Selections From The Village Vanguard Box (1990-94)』をヘッドフォンで聞いていたのだけれど、冒頭、"The Cat In The Hat Is Back"でのMarcus Robertsのソロが抜群に良い仕事で、この盲目のピアニストの演奏をもっと聞いてみたくなった。そうして読書は一時一〇分まで続けて、その頃になると眠気が差していたので就床した。