2019/1/20, Sun.

 明け方から何度か覚めていたと思うのだが、詳しい記憶は残っていない。最終的な起床は八時になった。睡眠時間は五時間二五分、まあまあというところだろう。ダウンジャケットを着込んで上階に行き、母親に挨拶してストーブの前に座り込む。たまにはパンを食べたら、ピザトーストを作ったらと母親が言うのを面倒臭く思っていると作ってあげようかと申し出るので有り難く依頼した。そうして茸やソーセージの炒め物と一緒に食す。新聞からリチャード・アーミテージの寄稿を読んでいると、父親が上がってきたので低く挨拶をする。その後、何やらクラシックのコンサートに行ってみたらという話があった。父親が会社の社長の代理か何かで出席するらしいのだが、母親はあまり行きたくないようで、代わりにこちらにどうかということのようだ。ジャズだったらともかくそこまで関心はないが、クラシックを生で聞く機会というのもあまりないだろうから行っても悪いことではないだろう。ほか、二三日の水曜日に祖母の誕生日を祝に山梨に行くらしいのだが、それも母親は行けないのでこちらが行ったらどうかという話もあった。これもこちらには異存ないが、まだ詳細な打ち合わせはしていないようだった。それから薬を飲み、流し台に溜まっていた食器を片づけ(テーブルの縁に反射する白光が台所まで飛んできて眩しく目を射る)、寝間着からジャージに着替えると洗濯機のなかで脱水された衣服やタオルを抱えて居間の片隅へ。母親と手分けして、下着を裏返してハンガーに留めたり、洗濯物を干していく。そうして緑茶を持って自室に帰ると、茶がなくなるまでのあいだ早速自分の日記を読み返した。一年前の日記では、「この日目覚めても目立った神経症状がなかった点で、自分はもう大丈夫そうだな、これから順調に回復していくだろうなという見通しが立った気がする」、今次の変調は結局統合失調症などではなくパニック障害自律神経失調症であり、「つまりは今までに経験してきたことの反復なのであって(発狂に対する恐怖、というのは新しい要素だったが)、しかも過去よりも遥かに小規模な反復に過ぎず、その点大して恐るるに足らない」などと強がりを吐いているが、その後の経過を見る限りこうした見通しは甘かったと言わざるを得ないだろう。それから二〇一六年八月一七日の日記も読んでブログに投稿し、そこで茶を飲み干したので日記の作成に入った。ここまで綴って九時半過ぎ。
 以下、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaからの抜書き。

  • ●52: There was much betting and people went in and out of the room under the kerosene lights(……)――kerosene: 灯油
  • ●50: Once in the afternoon the line started to rise again.――時間の指定。二日目の午後。
  • ●50: The sun was on the old man's left arm and shoulder and on his back. So he knew the fish had turned east of north.――方角の変更。北東へ。
  • ●51: But I must have confidence and I must be worthy of the great DiMaggio(……)
  • → ●51: Do you believe the great DiMaggio would stay with a fish as long as I will stay with this one?――ディマジオと自分を重ね合わせている?
  • ●51: Man is not much beside the great birds and beasts. Still I would rather be that beast down there in the darkness of the sea.
  • ●49: 'I told the boy I was a strange old man,' he said.――"strange"のテーマ。この小説には"strange"の語が頻出する。
  • → ●7: 'Are his eyes that bad?'/'He is almost blind.'/'It is strange,' the old man said. 'He never went turtling. That is what kills the eyes.'/'But you went turtling for years off the Mosquito Coast and your eyes are good.'/'I am a strange old man.'
  • → ●24: As he looked down into it he saw the red sifting of the plankton in the dark water and the strange light the sun made now.
  • → ●45: But he could see the prisms in the deep dark water and the line stretching ahead and the strange undulation of the calm.
  • → ●50: 'If you're not tired, fish,' he said aloud, 'you must be very strange.'――ことによるとここで老人は、同じ"strange"な存在ということで、自分を魚と重ね合わせている、魚に対して共感を覚えているのかもしれない。
  • → ●54: It must be very strange in an aeroplane, he thought.

 続いて、[https://www.amazon.co.jp/gp/product/4480838139/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=diary20161111-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4480838139&linkId=21451361d7b08fc7a0489030f926f87c:title=https://www.amazon.co.jp/gp/product/4480838139/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=diary20161111-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4480838139&linkId=21451361d7b08fc7a0489030f926f87c:title=『「ボヴァリー夫人」論』]より。

  • ●511~512: 「つまり、エンマはみずからの内面すら充分に語りえないほど知性を欠いた――つまり、みずからの「意識」なり「思考」なりを確信しえない――女性なので、それを語るには作者という「偉大な組織者」が不可欠だというのがアウエルバッハの立場だからである。/いうまでもなく、その視点は、およそ聡明とはいいかねる作中人物に代わってその内面を的確に語ってみせるという言語の「表象」機能を作者がになうのだという、思いきり反動的な視点にほかならない
  • ●516: 「問題は、ある時期から――いまや、フローベールからといってもよかろうと思う――、散文のフィクションとしての長編小説に、それを言語的に「表象」されたテクストでしかないと作品をみなす感性にはたやすく馴致しえない細部が繁茂し始めていたという事実にほかならず、シャルルの「帽子」はまぎれもなくそれにあたっている」――正統的な「文学史」を書き変える重要な視点だろう。二〇一八年一月三日にこちらがMさんと話した時に話題に出てきた見解も以下に引いておこう。

 これはあくまで当てずっぽうの思いつきに過ぎないのだが、まず、小説作品に「描写」的な細部がはっきりと取り入れられるようになったのが、概ねフローベールあたりからだという正統派文学史的な整理があると思う(これが確かなものなのか、それすらこちらは知らないのだが、ここではひとまずそういうことにしておいてほしい)。そうした理解では、「描写」とは現実世界の様相を緻密に、克明に写し取るための技術として認識されており、多分その後のゾラなどは実際にそういうつもりでやっていたと推測され、フローベールもゾラの先行者的な位置に置かれている気がするのだが(つまり、「リアリズム」の作家として位置づけられていると思うのだが)、しかし同時に、「描写」とはまた、物語的構造に対して過剰な細部として働くものでもあり、大きな構造に対する抵抗点として機能させることができるものでもある(絵画を遠くから一度見たあとに、近寄って様々な細部に目を凝らし、諸要素の配置を把握してのちふたたび距離を置いて眺めると、まったく違う様相として映る、そのようなイメージである)。ここで思い出されるのが、フローベールが書簡に記した(のだったと思うが)有名な言葉(と言いながら、引用を正確なものにできないのだが)、自分は何一つ言わない小説、何一つ書いていない小説を書きたいという宣言で(確か、「言語そのものの力によってのみ支えられている(だったか、「浮遊している」だったか)」というようなことも言っていたはずだ)、ここから推測するに、フローベールは現実世界のある側面を「そのまま」克明に写し取ろうなどとは考えていなかったのではないか? つまり、彼は「リアリズム」の作家などではなかったのではないか。こうした路線でフローベールを読み、正統派文学史の神話を解体しようとしているのが、蓮實重彦の試みなのではないかと思ったのだが、例の『「ボヴァリー夫人」論』も読んでいないので、確かなことは良くわからない。

  • ●517: 「では、「描写」は「表象」とどのように違うのか。「描写」と「表象」の差異をひとことでいうなら、前者はあくまで「言語」の問題であり後者もまた「言語」の問題であるかにみえながら、本質的には「イメージ」の問題だといえるかと思う」
  • ●574: 「だが、そうした異なる分節化の論理を統合しているのが「年代記」的な時間の秩序ではないという点に『ボヴァリー夫人』の小説的な持続の特殊性が存している。この作品の物語は、スタンダール的な「年代記」とはおよそ異なる時間の配置によって語られているのであり、ある意味では、主要な作中人物たちの生の持続は背後に流れているはずの歳月とはほとんど無縁に刻まれ、「年代記」的にはおよそ計測しがたい持続がテクストを組織しているといえるかもしれない」
  • ●612: 「いうまでもなかろうが、エンマは「芸術家」ではないし、ましては「芸術家」たろうとしてなどいない。ただ、ここで「芸術家」の「素質」という言葉で話者がいわんとしているのは、みずからの五感を思いきりおし拡げて世界と触れあおうとすることより、みずからの好みにふさわしいごくかぎられた世界の表情――「特別あつらえの土壌と特殊な気候」、等々――を自分向けに選別し、もっぱらそのイメージと戯れているのがエンマだという事態につきている」
  • ●614: 「雨はいつしかやんで、夜が明けそめ、葉の落ちたりんごの木の枝には、小鳥が小さな羽を冷たい朝風にそそけ立てて、じっと止まっていた。平らな畑地が見渡すかぎり拡がり、地平線上で曇り空にまじらうこの広大な灰色の野づらには、農場を囲む木立ちが間遠に点々と、黒っぽい紫の斑を散らしていた」――「そそけ立つ」に「まじらう」。どちらもこちらの使う語彙のなかにはない言葉だ。

 それから蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』を読み進めた。ベッドの上に乗って薄布団を身体の上に掛け、枕とクッションに凭れるようにして読んでいたのだが、じきに散発的に眠気が湧きだして時折り瞼を閉ざすことになった。そうした睡眠欲からも逃れた正午前、天井が鳴ったので切りの良い段落まで読み、読書時間を手帳に記録して上階に行くと、昼飯にうどんを茹でて天麩羅を揚げようと言う。それで手を洗い、台所で支度を始めた。うどんは讃岐うどんで、二〇分かそこら、随分と茹で上がりに時間の掛かるものだった。それを茹でる傍らエノキダケ・椎茸・人参が用意され、さらにこちらが玉ねぎも輪切りにする。そうしてボウルに天麩羅粉と水を混ぜてエノキダケから揚げに掛かったのだが、母親が投入した最初の二つはいつまで経ってもかりかりと乾くことなく、箸で触れると柔らかく形を歪ませる。どうやら火が弱かったようだ。二投目からこちらが担当し、待つ合間に新聞を読みながら揚げていると、無事狐色に香ばしく仕上がった。新聞から読んだのは三面の、「米朝再会談 思惑優先 2月開催へ トランプ氏 外交成果急ぐ」の記事である。金英哲[キム・ヨンチョル]朝鮮労働党副委員長、スティーブン・ビーガン北朝鮮担当特別代表、崔善姫[チェ・ソンヒ]外務次官という三人の名前と役職を頭に入れようと脳内で反芻しながら読んだ。椎茸を一つつまみ食いして、新聞を前に焜炉に背を向けてもぐもぐとやっているうちにうどんの湯が吹きこぼれてしまい、焜炉台の上に薄く拡がり溜まるということもあったのだが、一応問題なく作業を進め、うどんも茹で上がって天麩羅も取り分けられたので、玉ねぎの一投目を入れたところで卓に移動して食べはじめた。うどんのみならず米を椀によそって、醤油を掛けた天麩羅とともに貪り食う。新聞はさらに国際面から「米、教職員3万人スト 予算不足・移民増 教室満杯」と、「ワールドビュー: 習思想一色の裏で」の記事を読んだ。前者は米国はカリフォルニア州で賃金上昇や、子どもがクラスに入りきらないこともある教育環境の改善を求めて三万人の職員たちがストライキを起こしたと言うのだが、日本ではこれだけの規模のストライキなど絶対に起こらないだろうなと思った。後者は、分裂していた当中枢を強権的に掌握した習政権の裏で、対抗勢力が姿を隠しながら不満をくすぶらせているという内容だ。各地の仕事現場で「習思想」を学ぶ勉強会がひらかれており、そこでは「証拠写真」として会の様子を撮影するのだが、実のところ写真だけ取ってあとは雑談、そして流れ解散という展開になる場所もままあるのだと言う。そんな話題を読みながらものを食べていると、市役所に出かけていたらしい父親が帰宅して、食卓に加わった。こちらはそれとほとんど同時に席を立って食器を片づけ、緑茶を注いで自室に戻る。時刻はちょうど一時。そうして茶を飲むあいだ、fuzkueの「読書日記(119)」を読む。一月一一日の記事まで読むと、ふたたび『「ボヴァリー夫人」論』の書見に入った。散歩に出るのもあとにして読み終えてしまうつもりだった。それで実際、一時間ほど過ごして二時半には読了し、散歩に出ることにした。上階に行き、短い黒の靴下を履き、母親に散歩、と告げて玄関を抜ける。もう二時半も越えたので家の前の道には林の影が伸びて日蔭になっているが、しばらく行けば日向がひらく。Tから送られてきた音楽について、あるいはより一般的に音楽と歌詞の関係などについて散漫に思考を巡らせながら裏路地を行く。日向にあれば太陽はまだ眩しく、空は前日に続き快晴だが、この日は雲の存在が許されていた。しかしそれとて西の山際に生気なく横たわっているのみで、上空に浮遊して太陽を遮る力はない。街道に出て渡ってからふたたび裏に入り、くっきりとした青さの空を見上げ、鳶がゆっくり旋回しているのを見つめていると、そのすぐ傍、しかしもっと高所に飛行機の、人形のような白く小さな機影が、あとに軌跡を引くでもなく静かに泳いでいた。ちょっと行くと鳶も飛行機も二体に増えて、水のなかを伝わってくるようなくぐもった響きが落ちてくる。骨のような裸の枝を天に突き上げた銀杏の木を眺めながら保育園の脇を過ぎ、背に暖かな陽光を浴びながらポケットから右手を出して指を伸ばして垂れ下げると、斜めに伸びるその影の、指の部分が妙に長くてグロテスクなようで、蛙の手指を連想させる像だった。最寄り駅を過ぎて街道に出ると途中で渡り、木の間の坂に折れて下って行き、西空にその身を押し広げる太陽のまばゆさに目を細めながら帰宅した。そうして自室に戻り、日記をここまで綴って三時半過ぎである。
 読み終えた蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』の書抜きに入った。三時台だが早くも窓から遠いテーブル上は薄暗いので電灯を点けた。Ornette Coleman『The Art Of The Improvisers』を流しながら打鍵。途中、多分便所かどこかに行って戻ってきた時だったと思うが、一度席を離れたのを機にFISHMANSの曲を流して口ずさむ。それからJunko Onishi『Musical Moments』に音楽を変えて打鍵を続ける。五時を回るまで。そうして食事の支度をしに上階に行ったが、階段を上がると母親が器具を使って野菜をスライスしている音が聞こえており、台所に入るともう野菜スープを煮込んでいるところだった。それであまりやることはなかったのだが、簡便に茄子を豚肉と炒めることに。茄子があまりもう良くないもので、半分に切るとなかの種が黒々として身のなかに点々と散らばっており、一部茶色くなっている部分もあったのだが致し方ない。三本を細切りにしてボウルの水に晒し、それから豚肉も切ってフライパンに油を引く。チューブのニンニクを落として箸で搔き混ぜると茄子を投入した。じきに父親が外から入ってきた。こちらは蓋を閉ざして加熱しているあいだに部屋に下り、ゴミ箱を持って戻ってきて燃えるゴミを上階のものと合流させた。そうして豚肉も投入し、うまい具合に炒まると焼肉のたれを振りかけて味付けをし、短いがそれでこちらの仕事は終いだった。スープをまだ煮込んでいたのであとは頼むと母親に告げて室に帰り、ふたたび『「ボヴァリー夫人」論』の書抜きに入った。妙に疲労感があったが七時前まで打鍵して終了。重要と思われた部分を以下に引いておく。

 (……)とはいえ、「何も書かれていない本」として構想された『ボヴァリー夫人』が、あからさまに「反=表象」的な作品だと主張したいわけではない。「表象」に背を向けた文学作品など、少なくとも十九世紀においては、想像しがたいものだからである。実際、それが誰にも読める文章からなっているかぎり、表象はいたるところで有効に機能している。問題は、ある時期から――いまや、フローベールからといってもよかろうと思う――、散文のフィクションとしての長編小説に、それを言語的に「表象」されたテクストでしかないと作品をみなす感性にはたやすく馴致しえない細部が繁茂し始めていたという事実にほかならず、シャルルの「帽子」はまぎれもなくそれにあたっている。(……)
 (516)

 (……)『ボヴァリー夫人』を読むかぎり、それがフィクションであろうとなかろうと、現実の「世界」が言語的に表象さるべき対象として成立しているとは素直に信じられない瞬間にしばしば立ちあうことになる(……)
 (534)

 (……)「現実世界」と「フィクション的世界」といった対立を想像することじたいが、どこかしらすでにフィクションめいた振る舞いだと指摘したい誘惑にかられもする。ある言語記号なりその指示対象なりの一定の集合を「世界」と呼ぶことは、そのことじたいが語彙の本質的な不備への自覚の欠如と、その不備を隠喩へと逃がれることで忘却せんとする思考の安易さを露呈させている。それ故、「フィクション」を「世界」と呼ぶことは、「フィクション」と「世界」をともに「現実」から遠ざける身振りにほかならない。(……)
 (535)

 それがフィクションであるか否かを問う以前に、人は「テクスト的な現実」にふさわしく作品に書かれた文字や文章を読む。それは「神話」とも「信仰」とも「遊戯」とも異なることのない、あくまで「現実」の体験である。その体験を思考し、ときにはそれを言葉にしてみることもまた「現実」の体験にほかならず、「非=現実」の世界を想像してみることではいささかもない。人は、ボヴァリー夫人と呼ばれる女性が「非=現実」の女性であることは充分に承知しているが、「エンマ・ボヴァリー」という言語記号が『ボヴァリー夫人』に一度も書きつけられていないという「テクスト的な現実」にもまた自覚的でなければならない。テクストには書きこまれていない「エンマ・ボヴァリー」という固有名詞を含んだ言表を書いたり口にしたりすることは、それが批評的な言説であれ、理論的な言説であれ、『ボヴァリー夫人』を読むという「現実」の体験にとってはまことに「非=現実」的な、ほとんどフィクションめいた振る舞いだといわざるをえない。(……)
 (536)

 あと、何故かわからないのだが書抜きをしているあいだに短歌を作る回路が作動して、いくつか作歌したのでそれも下に載せておく。しかし作ったとは言っても、特に意味も音調も厳選して考えたわけではなく、何となく思いついた言葉をただ適当に並べただけのものなのだが、しかし短歌や短詩というものも奥が深いと思われ、意味がまったくないものを作るのは無理だろうが、定型のみならずフリージャズのように前衛的な、ほとんど音楽に近いような作風のものを読んでみたいという興味も湧いてくる。

羽ばたきを重ねて暮らす壺のなか種は汀に葉は岩陰に
歩きつめ氷河に到りすすり泣く炎と秋と火と目と神と
暗い部屋砂漠に絶えて口ずさむ犬は東に驢馬は南に
偽善の日仮面を纏い哄笑す儚き道に揺れるともしび
苦しみを包んで殺す丑三つに書物を燃やせ距たりの語彙
浜に骸[むくろ]沖に紗霧の里暮らし暮れて迷って明けて墓場へ
形而上の塵と埃と非在の輪鐘を打つ手に脈の賑わい

 そうしてちょっと娯楽に触れてから上階に行く。昼に天麩羅をたくさん食べたためだろう、まったく腹が減っていなかったので、先に風呂に入ることにした。書抜きを頑張った故か久しぶりに疲労感が強く、頭痛の小さな種も生まれていた。それで湯に浸かって身体を休めながら何となくまた短歌を考え(上の最後の歌は入浴中に完成したものである)、出てくるとやはり腹は減っていなかったが食事に移った。釜に僅かに残った米・薄味の野菜スープ・茄子と豚肉の炒め物である。卓に就いてゆっくり食べ、三品を平らげると意外と食べられそうだったので、前日の残りだろうか、大根・人参・パプリカ・蟹蒲鉾などの入ったサラダも少々よそって食べた。時刻はちょうど八時頃、テレビでは大河ドラマ『いだてん』が始まり、父親など興味深そうに見つめている。こちらは大河ドラマというものに特段の関心がないので食器を洗うと自室に帰り、頭痛を持て余して娯楽的な時間を過ごしてからようやく日記を書きはじめ、ここまで記して九時を回っている。さて、今日の残りの時間はどうするか。
 Tから送られてきた音楽を聞くことにした。gmailからGoogle Driveにアクセスしてヘッドフォンのなかに音楽を流す。まだまだ楽曲の形、アレンジが固まりきっていないが、進行と旋律はわりと良いのではないかと思われた。付属されていたTとTの話し合いを記録した文書や、Tの曲に関する思いを綴った文書なども読んだが、"Dear P"という曲の「少女」と「ピーター(仮)」の関係がいまいち良くわからなかったので、感想を伝えがてら彼女に直接聞くことにした。それでLINEで、こんばんは、今時間はあるかと尋ねると即座に返ってくる。一〇時四〇分から通話をすることになった。その時点でちょうど一〇時くらいだったはずだ。それで待つあいだ、小沢健二を流して歌ったり、ふたたびTの曲("Dear P"と"アイコトバ"の二つ)を繰り返し聞いたりして時間を潰した。約束の一〇時四〇分が迫るとTは、何の用があったのか、もう少し、あと五分、と言ってくるので、別に急がなくて良いと返答した。そうして一一時に至ったところでお待たせ、と入ったので通話を始めた。感想未満のうまくまとまっていない雑感しか言えないのだが、それを伝え、三〇分ほど話したところであちらはもう眠るようだったので、最後に一つと口にして、"Dear P"を聞いていたら連想した曲があると言い、小沢健二 "大人になれば"のyoutubeのURLを貼って紹介した。そうしておやすみと言い合って通話を終え、それからこちらは阿部完市『句集 軽のやまめ』を読みはじめた。元々三宅誰男『囀りとつまずき』を読むつもりだったのだが、にわかに短詩に興味が出てきたところで、二日もあれば読み終えることでもあるしとこの前衛俳人を読み返すことにしたのだ(『囀りとつまずき』もある意味では句集のような平面が繰り広げられている作だろう)。それでベッドに乗ってちょうど一時間を読書に充てた。この日は眠気が差すことがなく、頭痛と疲労感もあって目が冴えている感じで、果たして眠れるのだろうかとちょっと危惧したが、明かりを消して床に就くとさほど苦労もなく寝付けたようだ。句集を読んでいるあいだにまたいくつか作歌したので、それを下に載せておく。

記号の手雨に塗られて回転す無色の意味の空の器の
木苺に一語一語の青い稚児夜目の余命を嫁の読めるや
混沌を刺して溶けだす白鏡光くまなき夜の静脈に
言葉とは涙眼球空の網膜瞳は口に口は瞼に
導きを待って刃の冬時雨

 一つ目と三つ目は自分でも意味がよくわからない。二つ目は阿部完市の句のなかに、「鮒は一語のごとし手にふれゆきにけり」というものがあって、そこから「一語」の音を借りて作った完全にふざけたものである。四つ目は第一句が最初に出て来て、そこからサミュエル・ベケットの、「わたしは言葉と涙を混同する、わたしの言葉はわたしの涙、わたしの目はわたしの口なのだ」(「反故草紙」)という一節を連想したもの。最後のものは俳句として作ったのではなく、まだ下の句が思いつかない。
 作ったものはTwitterにも投稿したが、今のところ「偽善の日仮面を纏い哄笑す儚き道に揺れるともしび」がリツイートもされてこのなかでは一番人気があるようだ。別にそれを狙って作ったわけではないが、意味のよくわからないほかに比べて意味の濃度がやや高く、解釈の余地があるからだろう。ほか、「形而上の塵と埃と非在の輪鐘を打つ手に脈の賑わい」、「歩きつめ氷河に到りすすり泣く炎と秋と火と目と神と」の二つも「いいね」をいくつか貰っている。「鐘を打つ手に脈の賑わい」というフレーズは我ながらそこそこ良いのではないかと思う。


・作文
 9:16 - 10:27 = 1時間11分
 15:04 - 15:39 = 35分
 20:45 - 21:08 = 23分
 計: 2時間9分

・読書
 8:59 - 9:16 = 17分
 10:32 - 11:49 = 1時間17分
 13:00 - 13:19 = 19分
 13:22 - 14:30 = 1時間8分
 15:48 - 17:09 = 1時間21分
 17:31 - 18:50 = 1時間19分
 23:46 - 24:46 = 1時間
 計: 6時間41分

・睡眠
 2:35 - 8:00 = 5時間25分

・音楽




蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』筑摩書房、二〇一四年

 そもそも、なぜ誰の記憶にも残らない少年のことが語られねばならないのか。話者はそれについてこれといった説明の言葉を残してはいない。では、普通の人間とは何か。それは、その「個人的な世界」が読むものを多少とも惹きつける「特性」をそなえてはいない存在だとひとまずいえる。だが、普通の人間を普通の人間として語るための技法を、小説というジャンルがその伝統として持っているかといえば、これは大いに疑わしい。また、読む側も、普通の人間を普通の人間として読むための伝統を持っているとは思えない。作中人物とは、書く側にとっても読む側にとっても、何らかの意味で――その野心において、その情熱において、あるいはその行動において――普通ではない人間であるケースがほとんどだからである。では、それにふさわしい品質形容詞が簡単に思い浮かばない作中人物が語りや描写の対象となる作品の場合、それに対して人はどのように振る舞えばよいのか。そのとき、文学的なものとはかぎらない記号の解読にどのような事態が生起するのかは、ほぼ想像がつく。それ(end416)は、テクストには語られてはいないその人物の記号的な特質を誰もが自分なりに読みこみ、それがどこまでも普通でしかないことにいらだちを覚えるかのように、その周辺に目にしうる品質形容詞をその人物にあてがうという現象にほかならない。シャルルは、その「性格の純粋な不在」によって、そうした反応を惹起しがちな存在なのである。
 (416~417)

     *

 では、語られていることがらの真偽を確かめえない言説とは何か。かりにそれが「フィクション」だというなら、その言説はどのような言葉として組織され、現実の世界とどのようにかかわっているのか。その問題に直面して最初に困惑したのは、ゴットローブ・フレーゲ Gottlob Frege やその英国への紹介者であるバートランド・ラッセル Bertrand Russell をはじめとするいわゆる「論理実証主義」の哲学者たちである。彼らが、その困惑――それを間違っても「困惑」とは意識していなかったろうが――を、「論理」の世界からフィクションを「非在」として排除することによって解決しようとしたことはよく知られている。実際、ラッセルは、その名高い論文「指示について」(ラッセル 1986)で、ハムレットのようなフィクションの作中人物を、「『円い四角』、『2を除いた偶数の素数』、『アポロ』」(同書 71)などと同様に「非 - 実体的な存在者」(同前)とみなし、その語を含む命題を、その指示対象が「存在していない」という理由で、ことごとく「偽」とみなしている。したがって、「論理実証主義」によるなら、シャルルやエンマというフィクションの作中人物を含む『ボヴァリー夫人』のテクストは、「偽」の命題の連鎖にほかならないと結論される。その理論にしたがうなら、「ご自分をボヴァリー夫人に比較なさってはいけない。まったく似てはおられないのです」というルロワイエ・ド・シャントピー嬢に向けたフローベールの言葉もまた「偽」ということになろう。だとするなら、「論理実証主義」なるものは、そうした「偽」の言葉なしにこの矛盾にみちた世界が成立しているとでも主張しているのかと真摯に問わざるをえない。いったい、彼らは、「真」と判断される命題だけで、この世界の曖昧さや複雑さが記述しうると本気で信じているのだろうか。
 (482)

     *

 ひとまず新カント派と分類しておくファイヒンガーの著作について、ここで詳細に語ることはせずにおく。ただ、「『フィクション』という語彙は、混沌として退嬰的な言語使用に陥りやすい。論理学者でさえ、その語彙を定義したり、その複数の異なる意味を定義することなくそれを使用している」(VAIHINGER Hans, La philosophie du comme si, Preface et traducion de Christophe Bourjau, Philosophia Scientiae, Cahier special 8, Paris, Editions Kime, 2008, 140)と彼も書いているように、「フィクション」が、二十世紀の初頭に、文学以前にまず哲学の問題として検討されていたという事実は指摘しておくべきだろう。また、のちに見るハンブルガーの所見を先どりしていうなら、「H・ファイヒンガーの『かのようにの哲学』(一九一一年)以来、フィクションは『かのように』の形式によって、つまり架空的存在の構造によって説明されるのがつねである。これは科学的――数学、物理学、法学などの――諸仮定[フィクション]には妥当する。数学は拡がりのない諸点を、物理学は空虚な空白を、法学は仮構された判例を、あたかもそれら(end493)が事実上生起したかのように想定する」(ハンブルガー、ケーテ、『文学の論理』、植和田光晴訳、松籟社、1986年、48)ものだからである。ところで、「ファイヒンガーのいう『美的フィクション』、芸術の形成体も『かのように』の構造によって規定されうるか」(同前)という疑問を呈するハンブルガーは、語源的に見て「かのように」の構造は、ラテン語の《fingere》系の動詞に連なるものには妥当するが、同じラテン語の《fictio》系の動詞につらなる文学のフィクションには妥当しないと述べている。フリードリッヒ・シラー Friedrich von Shiller の戯曲『マリー・ステュワート』を挙げながら、「シラーはその作中人物マリー・ステュワートを、あたかも現実のマリーであるかのように造形したのではない」(同書 49)からというのがその理由であり、「装われたもの」と「創造的に形成」されたものとの差異を識別しそびれたが故に、ファイヒンガーは「『美的フィクション』の記述に失敗した」(同前)というのが彼女の結論である。
 (493~494)

     *

 『ボヴァリー夫人』を読むものは、その終わり近くの第三部の八章で、確かにエンマの自殺に立ちあっている。テクストには、ジュスタンをうながして薬剤師オメーの「階上倉庫」まで足を踏み入れたエンマが、「青い広口瓶をひっつかみ、栓を抜き、手を突っ込み、白い粉末をひと握りつかみ出すと、いきなり食べはじめた」(Ⅲ-8: 514)という瞬間がまぎれもなく描かれているからだ。その「青い広口瓶」が「黄蠟で封をした青いガラス瓶」(Ⅲ-2: 399)にほかならず、その「レッテルにはわしの手で『毒物』と書いてある! その白色粉末がなんだか知っているか、砒素だぞ!」(同前)というジュスタンに向けられたオメーのけたたましい罵声も第三部の二章ですでに耳にしているのだから、ここでのエンマがみずから「毒物」をあおって自死する意志のあったことはいかにも否定しがたい。にもかかわらず、『ボヴァリー夫人』においては、あたかもエンマは自殺などしなかったかのように[﹅5]事態が推移していることもまた確かだといわざるをえない。
 それは、どういうことか。誰も読みそびれることのないかたちで、自殺者には許されているはずもないありとあらゆるカトリックの臨終の儀式が、みずから砒素をあおったはずのエンマに対して、まるで何ごともなかったかのようにしずしずととりおこなわれているからである。実際、瀕死の彼女が横たわるベッドの脇にはいつの間にかブールニジャン司祭が――いったい、誰がよんできたのだろう――立っており、「低声[こごえ]に秘蹟の祈りをとなえ」(Ⅲ-8: 530)始めている。エンマもまた、「ふと司祭の紫の袈裟[ストラ]を目にとめると、喜色を浮かべたように見えた」(同前)とも書かれているのだから、自分の意志で命を絶とうとした女の神を前にした罪の意識など、そこにはまったく見あたらない。かけつけた村の聖職者も死の床に横たわるボヴァリー夫人も、死にあたっての宗教的な儀式が行われることをごく素直に受けいれているからである。しかも、葬儀は村の教会で厳かにとりおこなわ(end496)れているのだから、エンマがカトリックの教義のうえで自殺者とみなされていないのは明らかだろう。
 宗教的な視点からのみならず、また社会的な水準においても、『ボヴァリー夫人』のヒロインは自殺したとはみなされていない。いうまでもなく、それは、「死んだ夫人の服毒の事情をどうごまかして、『燈火』紙に記事を書くか」(Ⅲ-9: 535)と思い悩んだあげく、同紙の特派員でもある薬剤師オメーが、「けっきょくヨンヴィルの野次馬連には、ボヴァリー夫人ヴァニラ・クリームをつくろうとして砂糖とまちがえて砒素を入れたのだという話を聞かせて」(同前)いたからにほかならない。その結果、みずから命を絶とうとしたエンマはあくまで「事故死」として処理され、あたかも「自殺」などしはしなかったかのように[﹅5]、物語から姿を消そうとしているのである。『ボヴァリー夫人』の物語は、まさしく、それじたいが「かのように」の力学に支配されつつ終わりを迎えようとしているのであり、「ボヴァリー夫人は自殺した」というドレツェルの要約は、その意味で二重に誤っているといわざるをえない。少なくとも、この作品の第三部の八章から九章にかけて読むものが目にするのは、あたかもボヴァリー夫人は自殺など試みはしなかったかのように[﹅5]、彼女がひとりの敬虔な信徒としてカトリックの教義にふさわしく神に召されるための一連の儀式にほかならない。
 特派員オメーが『ルーアンの燈火』紙に書き送ったボヴァリー夫人逝去の報道にも、その自殺のことなど触れられていようはずもない。だが、それは、ジュスタンに向かって「だれにも言ってはいけないよ。おまえのご主人の罪になるんだから!」(Ⅲ-8: 514)といいきかせたエンマの言葉に含まれる「罪」を避けようとする薬剤師の姑息な策略とのみみなされるべきことがらではあるまい。『ボヴァリー夫人』の「テクスト的な現実」が明らかにしているのは、「かのように」がいささかも遊戯の「規則」などではなく、あくまで「地方風俗」にふさわしく日常生活を維持するためのきわめて現実的な「規則」だという事実にほかならないからだ。第二部の一章で、話者が、「以下に物語ろうとする事件以来、まったくこのヨンヴィル風景は何ひとつとして変化がない」(Ⅱ-1: 113)と口にしていたことを思い出しておくなら、ここで「事件」といわれているのが、エンマの自殺そのものではないという点が重要となる。実際、かりに村人たちがエンマは砒素をあおって自死したと知ったとするなら、(end497)その情報はたちどころにルーアンからノルマンディー一帯に拡がり、ヨンヴィルの村は姦通した人妻が自殺した土地として有名になり、その「地方風俗」には大きな変化が起きていたはずだからである。ところが、『ボヴァリー夫人』の起源とまったく無縁ともいえない「ドラマール事件」や「ルルセル事件」とはまったく事情が異なり、ヨンヴィルを舞台とした「ボヴァリー事件」などまったく起こりはしなかったのである。それが、『ボヴァリー夫人』のエンマの自死の試みのアイロニカルな効果にほかならない。アイロニカルというのは、彼女がみずからの意志で毒物を嚥下したにもかかわらず、「地方風俗」の維持のためにそれが事故死として処理されたのだから、宗教的にも社会的にもその意志は無視されてしまったというほかはないからである。にもかかわらず、フィクションをめぐって理論的な言説を展開しようとする者たちは、誰ひとりとして、そうした「テクスト的な現実」に目を向けようとせず、「エンマ・ボヴァリーは自殺した」と書くことでフィクションを読み誤っている。それのみならず、「『ボヴァリー夫人』: そのヒロインの自殺で名高い」という新たな項目をみずから『紋切型辞典』に提供しつつあるのだという自覚さえ彼らにはなさそうなのだ。その破廉恥な彼らや彼女らは、いったい、いかなる理由で、また何を目的として、「フィクション」を論じているのだろうか。ここでも、われわれは、リチャード・ローティの論文の題名を想起しながら、「虚構的言説の問題なんてあるのだろうか?」とつぶやかずにはいられない。
 (496~498)

     *

 ここで重要なのは、「偉大な組織者としての作者の手が感知しうるか否かではなく、物語の理論の中で作者がいかなるものとして表象されているか」(BANFIELD Ann, Unspeakable Sentences――Narration and Representation in the language of Fiction, Boston, London, Melbourne and Henley, Routledge & Kegan Paul, 1982, 283)を見きわめることだと彼女はいうが、そういえる根拠はいかにもおぼつかないものに思える。ここでのアウエルバッハは、明らかに、「重要な組織者としての作者の手」がなければ、エンマの内面など語りえないといっているからである。実際、「彼女にははっきりと自分の内心を説明するだけの知力もなければ、冷静な自己省察の誠実もない」と書くこの批評家は、さらに「エンマが一人でそうする力があったら、彼女は今と違って、みずからを超脱し、救われることができただろう」(アウエルバッハ、エーリッヒ、『ミメーシス――ヨーロッパ文学における現実描写』、篠田一士、川村二郎訳、上下二巻、筑摩書房、1967年、下、240)とさえ書きそえている。つまり、エンマはみずからの内面すら充分に語りえないほど知性を欠いた――つまり、みずからの「意識」なり「思考」なりを確信しえない――女性なので、それを語るには作者という「偉大な組織(end511)者」が不可欠だというのがアウエルバッハの立場だからである。
 いうまでもなく、その視点は、およそ聡明とはいいかねる作中人物に代わってその内面を的確に語ってみせるという言語の「表象」機能を作者がになうのだという、思いきり反動的な視点にほかならない。ジャック・ネーフは、そこに、『ミメーシス』の著者にとりついている「写実主義的な幻想」(NEEFS Jacques, 《La figuration realiste. L'exemple de Madame Bovary》, Poetique, n16, 1973, 467)を指摘する。すなわち、あくまで「エンマの意識」という内面――ネーフはそれを「シニフィエ」(同前)でしかないというが、それを「表象されたもの」といいかえてもよいだろう――を前提としているアウエルバッハは、存在はしているがとらえがたく漠たるものでしかない作中人物の内面を作者のフローベールが巧みに言語化し、それを「倦怠」なり「夫シャルルへの嫌悪」なりとして読むものに明示することを可能にしているというのである。もちろん、フローベールに優れた言語行使の能力がそなわっていたとするアウエルバッハに反論すべき理由は存在しておらず、ジャック・ネーフもそれを批判しているのではない。ただ、作中人物でしかないエンマの言語能力との比較でそれが語られるとき、文学における言語の表象機能の悪しき行使形態が陰惨に視界をおおうことになる。
 アウエルバッハにしたがうなら、ここでは「表象」が二重に機能している。まず、エンマの心理が「表象」されねばならないが、彼女自身にはそれを遂行する資質が欠けているので、作者としてのフローベールが彼女の行うべき表象作用を「代行」しつつ、その内面を言語的に明らかにするというのだ。そのとき、言語はテクストからとめどもなく撤退し、それにつれて「表象体系」だけが思考を統御することになり、作品は「解釈の構造」(同前)でしかなくなるとネーフはいう。この部分でエンマの内面に直接触れているわけではない外界の事象や事物の描写にあてられた言葉のことごとくが、ヒロインの「絶望」という心理状態を「表象」するために体系化された細部でしかなくなっているからというのがその理由である。そうした体系化を前にすると、『ボヴァリー夫人』のフローベールを特徴づけているはずの「言表の決定不能な性格やそのアイロニカルな力はアウエルバッハによって完全に遮蔽されてしまう」(同前)というジャック・ネーフの言葉は、おそらく、すでに書かれていたアウエルバッハの書物のみならず、その時点ではまだ書かれていなかったアン・バンフィールドの「意識の表象」、(end512)あるいは「表象された言葉と思考」を重視する立論に対してもきわめて有効な批判たりうるものだ。
 (511~513)

     *

 こうして、問題のシャルルの「帽子」は、たまたまその所有者である少年を描いた作者の意識――あるいは無意識――との関係で読まれたり、あるいは、のちにその所有者と結婚した女性が生きることになる「田舎風俗」のうんざりするしかない単調な日常を比喩的に表象するものとして読まれることで、語彙のかぎりをつくして描かれるそのオブジェとしての現存はひたすらないがしろにされる。それは、これまで見た理論家たちの多くが、作中人物という架空の人間の振る舞いをたどることで「フィクション」が論じられるかのごとくに錯覚し、架空のオブジェの存在など二義的な役割しか演じていないとみなしていたことに対応する「テクスト的な現実」の無視につながる。では、テクストにふさわしくシャルルの「帽子」と向かいあうには、どうすればよいのか。
 おそらく、人は、ここで「表象」の限界ともいうべきものと対峙しなければなるまい。とはいえ、「何も書かれていない本」として構想された『ボヴァリー夫人』が、あからさまに「反=表象」的な作品だと主張したいわけではない。「表象」に背を向けた文学作品など、少なくとも十九世紀においては、想像しがたいものだからである。実際、それが誰にも読める文章からなっているかぎり、表象はいたるところで有効に機能している。問題は、ある時期から――いまや、フローベールからといってもよかろうと思う――、散文のフィクションとしての長編小説に、それを言語的に「表象」されたテクストでしかないと作品をみなす感性にはたやすく馴致しえない細部が繁茂し始めていたという事実にほかならず、シャルルの「帽子」はまぎれもなくそれにあたっている。それを言語の表象作用にふさわしく読めば、チボーデのように、「この縁なし帽は、すでにヨンヴィル=ラベイの生活をことごとく包含している」ということになるだろうが、この帽子は、とうていその一行にはおさまりのつ(end516)かぬ多様な色彩と形態と素材からなっており、その記述の過剰さをそれにふさわしくたどるには、あらためて「描写」の問題と対峙せねばなるまい。
 (516~517)

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 にもかかわらず、文学作品における表象や指示対象の問題の微妙さに言及せざるをえないのは、『ボヴァリー夫人』を読むかぎり、それがフィクションであろうとなかろうと、現実の「世界」が言語的に表象さるべき対象として成立しているとは素直に信じられない瞬間にしばしば立ちあうことになるからにほかならない。それは、『理論への抵抗』(ド・マン 1992)のポール・ド・マン Paul de Man が、「文学が虚構であるのは、それが何らかのかたちで『現実』を承認することを拒絶するからではなく、言語が現象世界の原理、あるいはそれに似た[﹅2]原理に従って機能することがア・プリオリにたしかではない」(同書 39)と書いた事実とも無縁ではないかもしれない。実際、テクストは、その外部とみなされる「世界」と言語的に正確に対応しあってはおらず、そのことが惹起する齟齬感に人は日々立ちあっている。散文によるフィクションは、読むものを決まって外部の世界へ導くとはかぎらず、むしろ、内部としてのテクストに向けてひたすら横滑りすることさえ辞さないものだからである。
 およそ文学とは無縁であるはずの「現実」と「非=現実」という対立概念によってしかフィクションを語りえないとするなら、それは何とも退屈なことだといわねばならない。「主観的」なものと「客観的」なものとの「弁証法的な関係」によってフィクションを定義しようとする試みもまた、それに劣らず退屈である。その理由は、「距たり・アスペクト・起源」(フーコー 1998)のミシェル・フーコーもいうように、フィクションという語彙が、そもそも「心理学の用語のような響きをもっているからだ(想像力、幻想、夢想、発想=創出[アンヴァンシヨン]など」(同書 366)。であるが故に、フーコーが、「私は消そう、そうした体験をそれがあるところのものに委ねるために(そ(end534)れを、つまり、フィクションとして扱うために、というのもその体験は実在しないからであり、それは周知のことである)、それを安易に弁証法的に説明しようとする際に使われる、矛盾した言葉のすべてを私は消そう。つまり、主観的なものと客観的なもの、内部と外部、現実と想像世界の衝突と廃棄といった語を、この混合物の語彙集にそっくり代えて、距たりの語彙を採用せねばならないかもしれない」(同前)と論を進めるとき、そこに、フィクションと向かいあおうとする者が身にまとうべきせめてものつつしみ深さを感じとり、思わずほっとせずにはいられない。ここでいわれている「距たり」とは、フーコー自身の著作の題名『言葉と物』(フーコー 1974)からも想像しうるように、「言語とは物の距たり」(同前)にほかならぬという言葉で要約しうるものであり、その点において、フーコーは、「言語が現象世界の原理、あるいはそれに似た[﹅2]原理に従って機能することがア・プリオリにたしかではない」(ド・マン 前掲書 39)というポール・ド・マンの、ごく控えめではあるが、フィクションを論じようとするからには誰もがわきまえておくべき慎重な姿勢を共有しているといえよう。
 ところが、すでに見てみたように、フィクションを語る理論家たちの多くは、「言葉と物」をめぐるフーコー=ド・マン的な慎重さには背を向けるかたちで、「主観的」なものと「客観的」なもの、「現実」と「非=現実」といった対立概念が言語以前にあらかじめ想定しうるものであり、しかも、それが言語を通して過不足なく表象されるかのように振る舞っており、その論理的な警戒心の欠如にはただ驚くほかはない。これは、すでに引いた『フィクションの世界』(Pavel 1986)のトマス・パヴェルなどに代表される「可能世界」論的な視点からフィクションを語る論者に多く見られる視点だが、「現実世界」と「フィクション的世界」といった対立を想像することじたいが、どこかしらすでにフィクションめいた振る舞いだと指摘したい誘惑にかられもする。ある言語記号なりその指示対象なりの一定の集合を「世界」と呼ぶことは、そのことじたいが語彙の本質的な不備への自覚の欠如と、その不備を隠喩へと逃がれることで忘却せんとする思考の安易さを露呈させている。それ故、「フィクション」を「世界」と呼ぶことは、「フィクション」と「世界」をともに「現実」から遠ざける身振りにほかならない。フィクション論者のほとんどが、テクストを読むという「現実」の体験を回避し、フィクション(end535)の「テクスト的な現実」を無視しがちだということは、「Ⅰ 散文と歴史」で指摘しておいた通りである。エンマの結婚披露宴に供された「デコレーション・ケーキ」とエンマが埋葬される「霊廟風の大きな墓」とは、描写によって明らかにされる形状的な相似においてほとんど同じものというほかはないが、それを「物語」に奉仕することのない「描写」によってきわだたせる『ボヴァリー夫人』は、その「相似」をまぎれもない「テクスト的な現実」として提示している。
 それがフィクションであるか否かを問う以前に、人は「テクスト的な現実」にふさわしく作品に書かれた文字や文章を読む。それは「神話」とも「信仰」とも「遊戯」とも異なることのない、あくまで「現実」の体験である。その体験を思考し、ときにはそれを言葉にしてみることもまた「現実」の体験にほかならず、「非=現実」の世界を想像してみることではいささかもない。人は、ボヴァリー夫人と呼ばれる女性が「非=現実」の女性であることは充分に承知しているが、「エンマ・ボヴァリー」という言語記号が『ボヴァリー夫人』に一度も書きつけられていないという「テクスト的な現実」にもまた自覚的でなければならない。テクストには書きこまれていない「エンマ・ボヴァリー」という固有名詞を含んだ言表を書いたり口にしたりすることは、それが批評的な言説であれ、理論的な言説であれ、『ボヴァリー夫人』を読むという「現実」の体験にとってはまことに「非=現実」的な、ほとんどフィクションめいた振る舞いだといわざるをえない。フィクションを語る者の多くが、たとえば「エンマ・ボヴァリーの世界」といったものを「可能世界」のひとつであるかのように口にするとき、思わず身がまえてしまうのもそうした理由による。
 (534~536)