2019/1/21, Mon.

 七時半に一度覚めて、さっさと起きて活動しはじめたかったが起床できず、八時五〇分を迎えた。Twitterを確認してから上階へ。母親に挨拶。ジャージは洗ったと言うので仏間の箪笥から新しいものを取り出し、着替えて、米がないと言うから珍しく食パンを食べることにした。オーブントースターに一枚突っ込み、傍ら野菜スープを温め、ゆで卵とともに卓に運ぶ。パンがこんがりと焼けたところでバターを切って載せ、もう少し加熱して脂が溶けたところで取り出した。そうして卓に就いてものを食べる。新聞は一面、辺野古に軟弱地盤が見つかったため(と言うかもうずっと以前からその存在は知られていたらしいが)工事計画が変更になるところ、県はそれを認めないためふたたび県と政府との法廷闘争が始まるかもしれないと。三面の記事のほうも読み、食器を洗って薬を飲む。
 そうして風呂も洗わぬまま、緑茶を持って自室へ。九時半過ぎから日記。小沢健二を掛けながら前日の分を仕上げ、ブログに投稿し(この際に引用部分を囲ったり箇条書きを作るのが結構面倒臭い)、この日の分も書いていると、現在時に追いつかないうちに天井が鳴る。墓参りに行くことになっていたのだ。もう以前と違って苛立ちというものを覚えることもほとんど皆無になったのだが、それでもやはりこの時はあと少しで終わるのにと多少うるさく思った。時刻は一〇時半前だった。作文時間を記録しておき、呼ばれたからと言って急ぐこともあるまい、一つ一つ動作をこなしていくしかないと決めて鷹揚に服を着替えた。そうしてモスグリーンのモッズコートを羽織り、FISHMANS『ORANGE』のCDを持って上へ。便所で用を足し、風呂を洗い、荷物を持って外に出る。道の向かいの家の垣根の傍、日向のなかに入って母親が来るのを待つ。O.S(多分漢字はこれで合っていると思う)さんが赤いジャージ姿で、おそらく化粧もしないでいるのを垣間見たが、顔を合わせなかったので挨拶はしなかった。落葉を片付けるか何かしているらしいところに母親が出てきて、こちらは挨拶をして、何のことだかこのあいだはすみませんと言い合っていた。空はこの日も、雲の存在を許されていない澄み切った晴れである。そうして車の助手席に乗り込み、FISHMANSのCDを挿入、流しはじめる。(……)のセブンイレブンで花を買うとのことだったので、ついでにポテトチップスを買ってくれと頼んだ。(……)から坂を下る途中で、曲は"忘れちゃうひととき"に移り、こちらは偉そうに足を組んで靴の先でダッシュボードを少々汚す。セブンイレブンの駐車場に入る際、鮮やかな赤い花をつけた立木の並んでいるのが目に入って、あれは椿、と訊くと、椿かな、山茶花じゃない、椿と山茶花と違いがわからない、ということだった。それで母親が買い物に行っているあいだ、こちらは車に残って、その椿だか山茶花だかが風に身じろぎしているのを眺めて待つ。近くにはこじんまりとした、黄土色の壁の小綺麗な家が建っており、二階のベランダから垂れ下がった白いシーツが風をはらんで膨らみ、はたはたと蠢いていた。左方を見やっても立木の向こうに同じような、こちらは赤っぽい壁色の小家がある。空は建物の輪郭線に接するところまで偏差なく青さが染み渡っている。戻ってきた母親は、チキンも買ったと言った。それで(……)へ。玉砂利の上に停車し、荷物を持って降りると母親と連れ立って母屋に近づいてインターフォンを鳴らす。足音がしてはい、どうぞ、と声が掛かったので、母親が横滑りの扉を開け、あとからこちらも入って挨拶をした。出てきたのは、母親が言うには一番下の息子さんだったようだ。それで彼女は品物(あとで訊くとチョコレートとのことだった)を渡して、今年も宜しくお願いしますと挨拶をする。こちらも、帽子を被ったままで不遜ではあるが何度も頭を下げて、相手も跪いて禿頭の裏がすべて見えるほどに深く頭を下げた。そうして辞去し、墓場へ。墓場の入り口にあって薄緑色の蕾をつけている木を、これは海棠だったかと訊くと、何とか言う別の木じゃないかという返答があった(「鼠」という語が含まれていたような気がするが、そんな名前の木があるだろうか?)。水場に行くとあたりのいくつもの桶のなかに何故か既に水が汲まれてあったが、これはどうも井戸が凍っていたためだったようだ。そのなかの一つを持ち、随分と満杯だったのでちょっと零してから運び、我が家の墓所に行く。箒と塵取りを持ってきた母親が早速あたりを掃きはじめ、こちらはからからに乾いて枯れた供花を取って塵取りに捨てた。それから箒を受け継ぎ、ゴミを一旦捨ててきたあとに周辺を掃き掃除する。合間に母親が墓石を拭き、大体終わると花をビニールから取り出して、茎を少々折って花受けに挿して供えた。それから線香を包んでいた紙にライターで火を点け、母親がさらに持った線香の束に炎を移す。そうして分け合い、供えようとすると、墓所の上に片足を踏み出したところで目の前の花の付近に蜜蜂が現れて、この冬時に蜜蜂とは、と思われた。それだけ快晴が暖かいわけだ。そうして線香を供えて手を合わせ、体調が良くなりふたたび読み書きが出来るようになったことへの感謝をまず述べ、これからもずっと書き続けることができるようにと願った。そして米を供え(一旦供えて母親に返したのだが、墓場に持ってきたものは持ち帰らずに使ってしまったほうが良いと言うので、袋を逆さにして不遜にも墓石の頭から零して掛けた)、やることは終わりだが、母親のほうは線香や米を供えたあとも何やらまごまごと細かく動き回っていて、落ち着いて手を合わせるような素振りがなかった。それからぼんやりとした時間を過ごしていると、先ほどの蜜蜂がふたたび現れて、今度は我が家の墓所の隣の墓石に止まる。それに近づき目を寄せると、こちらの気配があっても逃げずにじっと停まっている蜂の、虎のような模様の微細な体の上に、その領域の狭さにもかかわらず極小の光点が宿って艶めいていた(ところで、蓮實重彦が読んでいた山岡ミヤという作家のすばる文学賞だかの受賞作が『光点』というタイトルではなかったか?)。ほか、青空を見上げると、汚れの一滴もなく無限に広がる水色のなかに飛行機の――ここで何らかの印象がもたらされてその場で言葉に形作ったはずだったのだが、どんな文章だったか忘れてしまった。それなので、飛行機の微小な白い姿が嘘のようにしてゆっくりと流れていくのが見つめられた一幕もあった、とだけ言っておく。そうしてじきに帰ることになり、墓所をあとにして(母親は墓に向かってじゃあね、と声を掛けていた)、ゴミを捨てて桶や箒や塵取りを戻し、墓場を抜けるとこちらは便所に行った。用を足して手を洗い、ハンカチを持っていなかったのでコートのポケットに両手を突っ込んで出てくると、母親は池に寄って鯉に食パンの切れ端を放っていた。その横にこちらも行き、母親の投げるパンの小片が鯉の口に吸い込まれていくのをぼんやりと眺める。すべて投げ終わると帰ろうということで車に戻った。昼飯は、「かつや」で買って帰ろうということになっていた。それでしばらく移動し、駐車場に停めて、母親がサービス券の存在を確認したところで降りて入店する。母親は普通のカツ丼、こちらはチキンカツとカレーが混ざった弁当を選び、ほか、手羽先が二本と海老フライ三本が購入された。待っているあいだにカウンターの向こうの仕事場を眺めていると、客への声の掛け方も堂に入っていてベテランらしい男性が、手際良くカツを取っては大きな包丁でさくさくと切り分けている。じきに壁際のソファ席に就き、しばらく待つと声が掛かったので会計して(この時母親は、二〇〇円の豚カツソースを追加で買っていた)退店。車に戻り、帰路に就く途中、母親がどうせなので銀行にも寄ろうかなと言う。了承して駐車場に入ると、こちらは母親に携帯電話(スマートフォン)を貸してもらい、三宅さんのブログにアクセスした。そうして読むのだが、外で母親が何やら高年の男性と話をしていたのは、あとで訊くと、その人が駐車場の精算方法がわからなかったらしく、一緒について銀行まで行ったらしかった。読んでいるうちに母親と老人が戻ってきて、車の番号は一〇番ですよねとか彼女は老人に訊き、その番号を入れて機械で精算する(と言っても三〇分以内だったら無料のようだったが)のだと教えて、無事に老人は外に出ることができた。我々も退去し、西分の踏切りを越えた付近で今度は郵便局に寄る。今しがた下ろした金を、郵便局の口座のほうに入金するらしかった。ここではそう時間も掛かるまいとこちらは携帯を借りず、左手の指で窓際を叩き、右足を踏みながらビートを刻んでいるうちにすぐに母親は戻ってきた。そうしてふたたび走り、帰宅。荷物を持って玄関の鍵を開け、袋を居間の卓上に置くと、こちらは部屋に戻ってジャージに着替えた。そうして食事。チキンカツカレー丼と野菜スープにサラダの残り。前日の疲労感が続いていたというか、頭痛の小さな芽が生えていたのだが、なかなか美味だった。そうして買ってもらったポテトチップスをつまみ、袋を持って自室に帰り、引き続きスナック菓子を食いながら自分の日記を読み返した。一年前、起き抜けの緊張は相変わらず続いている。またこの日は自生思考に煩わされており、気を逸らされて本を読むのにも集中できないような有様だったらしい。それから二〇一六年八月一六日の記事も読んでブログに投稿したあと、鵜飼さんのブログを読む。「単にテクストを読んでその九官鳥となるのは、比喩的に言えば、時空が歪まない。私は、すでに成り立った時空で計算がしたいのではない。私が欲しいのは、思索の時空に歪みが生じ、下から崩れることで、二度と同じように考えられなくなることである」「私が始原的思索と呼ぶ試みは、前へ前へと急いていく時間に抗し、無限の豊かさへと遡り、それを成り立たせている土壌へと立ち戻っていき、そこから新たな直観・予感を育てる。今現在気づいていない事柄を無視すれば、完全なる自由が得られるが、無自覚を無視するというのは、宗教性が死に絶えることである。思索は、自らはその状況に限定されている、という自覚において宗教性が萌芽する」「あらゆる種類の表現において表現者が行うのは、技巧が無意識に稼働するくらいに意識的に練習をしながら、稼働する技巧が、意識的に仕向けなくとも、元あったところではなく、未踏の一瞬に着地することを期待することである」「思索はその人を幸せにしない。思索(や哲学や宗教)に勤しめば幸せが得られるというのは、思索が未だ始まっていない証そのものである」。長い文章を読み終えると二時を過ぎていた。それから日記を書かなくてはというところなのだが、やはり何となく疲労があって少々休みたいと思われて、ベッドにごろりと寝転がって阿部完市『句集 軽のやまめ』を取った。そうして三〇分ほどで早々と読了。「昼顔のか揺れかく揺れわれは昼顔」(六音目の「か」とは一体何なのか?)と、「鶺鴒短命空はながれていますから」という句がなかなか良かった。読みながらふたたび作歌したので、下に載せる。

導きを待って刃の冬時雨霧の彼方に山茶花泣けり
蛮勇も憂鬱怯懦も金次第地獄の果てに眠り咲くかも
漣は鏡小島は赤暗闇水煙灯火仄めき夕べ
眼差しを壊して運ぶ日暮れ時涙じゃ何も片づかないさ

 そうして二時四五分、FISHMANS『KING MASTER GEORGE』を流して日記に入った。書き忘れていたが、日記やブログを読んでいるあいだは小沢健二『Eclectic』を流しており、このアルバムはその甘やかさとか囁くような歌い方とかが気に入らず、ずっと聞いていなかったのだが、今回聞いてみると以前よりも結構良いように思われた。悪くないメロウさ。しかし"麝香"に含まれている「動く 動く」という部分は、「うーこ・こ、うーこ・こ」とどうしても聞こえてしまって、それが「うほほ、うほほ」というようなゴリラの唸り声のような擬音を連想させてしまうのでどうしてもださく感じられる。ここまで記すとちょうど一時間が経っており、もう四時直前である。
 FISHMANS『Neo Yankee's Holiday』を流して娯楽に触れる。五時頃になったところで上階に行くと、家中に気配がないことに気づいていたが、母親は出かけていた。父親が昭島で年頭大会があるらしく、そのついでに昭島まで出てきて買い物でもしないかと彼に誘われたらしい。それでこちらは食卓灯を灯してカーテンを閉め、まず米を三合磨いだ。それから、台所には鍋があって大根の味噌汁を作るように既になかに細切りの大根が入っていたので、それを加熱する。合間に新聞を読もうかと思って夕刊を取りに行ったところが、米を磨いでいるあいだに湯が沸き、じきにもう結構野菜が柔らかくなったので、「まつや」の「とり野菜みそ」をチューブから無造作に押し出して味付けし、簡単だがそれで食事の支度は終いとした。両親は食べてくるし、こちらの分は昼に母親が食べたカツ丼の残りや、買ってきた海老フライなどがあった。そうして自室に戻って、六時前からTやT田の作った曲の感想を文章にまとめた。大した内容のものではないが、何だかんだでやはり文章というものを拵えるとなるとそれなりにしっかり書くと言うか、読点の位置とか同じ語の重なりとか細かい表現が気になって、何度か音読しながら推敲したため、一時間半以上も掛かってしまった。

(……)

 それでTにメールを送っておき、LINEのほうにも知らせておいて上階へ。入浴した。出てくると食事、カツ丼の残り・海老フライにコンビニで買ったチキンを一つずつ・大根の味噌汁。コンピューターを持ってきて、Mさんのブログを読みながらものを食べる。松本卓也『享楽社会論』からの抜書きが引かれているが、ラカン派の精神分析理論は難しくてまったくよくもわからない。シニフィアンとか大文字の他者とか、父の名とか、どういうことを言っているのかこちらはまだ全然理解できていない――と言うか、精神分析理論の本など一冊も読んだことがないので当然だが。品々を食べ終えてもまだ少し何か腹に入れたいような気がしたので、豆腐を食べることに。三つで一セットのものの一つを冷蔵庫から取り出して、電子レンジで一分半、加熱する。仕上がると鰹節と醤油を掛けて食し、食器を片づけ薬を飲んで下階に帰った。Mさんのブログを一九日の記事まで読むと、阿部完市『句集 軽のやまめ』から書抜きをした。BGMはくるり『WORLD'S END SUPERNOVA』。下にも書抜き一覧は載せるが、良いと思ったものをいくつかここにも引いておく。

 木の下にいる人抱けばまるでせせらぎ
 (10)

 雨はいすらむ寺院のように言われる
 (14)

 私買つてこのスプーン初夏と名づける
 (20)

 白木蓮に酒をのませてぴーよぴーよ
 (30)

 記憶とはわれ陸であることである
 (38)

 このなかでどれが一番良いのかと言うと、何でもないような句なのだが、「雨はいすらむ寺院のように言われる」が何故か一番印象に残って、これはロラン・バルト『偶景』のなかの、人々が断食の終わりにモスクの上の赤い灯火を眺めているという一節を連想させるのでここに引いておく――「バルコニーに坐って、彼らはモスクの尖塔の頂きに断食の終わりを告げる赤い小さなランプがともるのを待っている」。しかし引いてみると、「ランプがともるのを待っている」わけだから赤色灯はまだ見えておらず、「赤い灯火を眺めている」というのは不正確な言い換えだった。この一節は、『偶景』のなかでもやはり何故か一番印象に残っているもので、ロラン・バルト版の「俳句」、彼が『偶景』で一応試みた「意味の零度」のようなものを最も体現しているのではないか。上の阿部完市の句に戻ると、白木蓮の句の突然の「ぴーよぴーよ」という間延びした暢気な擬音はふざけており、思わず笑ってしまうような響きだ。
 それから自分の日記をブログ経由で読み返した。理由はわからない、何となく読みたくなったのだ。一月一四日と一二月三一日、前者はAくんらとの読書会後、立川の宅で夕飯を頂いた日、後者はやはり立川でWと会った日である。まあそこそこ頑張って書いているのではないか。Enrico Pieranunzi『Live At The Village Vanguard』を流しながら日記を読んで、それから今日の日記をここまで綴って一〇時四〇分。打鍵を始めた頃合いに両親が帰ってきた音がした。
 それから音楽を聞いた。先ほど流したEnrico Pieranunzi『Live At The Village Vanguard』から"I Mean You"、"Tales From The Unexpected"、そしてJunko Onishi『Musical Moments』の最後に収録された一六分に及ぶライブ音源、"So Long Eric - Mood Indigo - Do Nothin' Till Your Hear From Me"。『Live At The Village Vanguard』におけるPaul Motianの流体性。この音源は二〇一〇年七月の録音であり、二〇一一年一一月二二日に亡くなったPaul Motianの最晩年の演奏の一つと言って良いだろうが、八〇歳にも至らんとするその高齢にある種似つかわしく、ドラムソロなどは相当にファジーで、一歩間違えれば半ば耄碌していると捉えられかねない散漫さに満ちている。しかしそれこそが、Paul Motianなのだ。伝統的なジャズのフォー・ビートを叩くドラマーは通常、直線的なシンバルレガートで四拍をすべて埋めるものだが、Motiranは実にあっけらかんとしたこだわりのなさでそのなかに空白を作り出して演奏を「減速」させるかと思えば、時に唐突に連打を繰り広げ、また諸所に強力なシンバルアタックを放ってみせる。そうした融通無碍な流動性、それがPaul Motianの本分である。気まぐれがそのまま魅力であり、散漫さがそのまま力となっているという意味で、Motianは散文で言うところのローベルト・ヴァルザーに比すべき存在である。聖なる駄弁を機嫌良く繰り広げ続けるヴァルザーの「自由さ」と共通するところを彼は持ち合わせている。弛緩が一つのスタイルにまで昇華されているのだ。
 Junko Onishiのライブ音源もまた名演だと言わざるを得ないだろう。アウトフレーズにあっても決して失われない品の良さ。そうして音楽を聞き終えると、それからErnest Hemingway, The Old Man and the Seaを読んだ。零時前までだが、書見の終盤は眠気にやられて乱れた読書になったようだ。

  • ●54: Just before it was dark, as they passed a great island of Sargasso weed that heaved and swung in the light sea(……)――heave: うねる
  • ●55: Its jaws were working convulsively in quick bites against the hook(……)――convulsive: 発作的な、痙攣性の
  • ●54: Just before it was dark, as they passed a great island of Sargasso weed that heaved and swung in the light sea as though the ocean were making love with something under a yellow blanket, his small line was taken by a dolphin.――「あたかも海それ自体が黄色い毛布の下で何ものかと愛を交わしてでもいるかのように」。なかなか良い表現。

 それから歯磨きをしながら娯楽に少々触れたあと、三宅誰男『囀りとつまずき』を読みはじめた。『亜人』には「まなざし」の語が計二七回も出てきたわけだが、『囀りとつまずき』にも、その冒頭から早速書きこまれている。ほか、「視線」だとか「目につく」だとか、「見ること」のテーマが頻出するのだが、「視ること、それはもうなにかなのだ」という梶井基次郎の言葉がエピグラフとして引かれているところから見ても、それは順当なことだろう。しかし勿論、だからと言ってそれに留まるわけではなく、聴覚や触覚に焦点を当てたテーマもまたこの作品のなかには含まれており、「見ること」が一つの特権的な領域を形作っていることは確かだろうが、それに沿って整理しようとしても作品全体を統合的に見渡すことはできず、零れ落ちる部分が必ず出てきてしまう、そうした雑駁性が小説というものの為せる業ではないだろうか。一時直前まで読み進めて眠りに就いた。