2019/1/23, Wed.

 六時頃から薄く覚醒しており、六時半起床。学校を舞台にした夢をいくつか見たが(高校の同級生らが出てきたはず)、詳細はもうあまり覚えていない。体育館で、後輩だか誰だかがバンド演奏を披露するはずだったところに、こちらが勝手にDeep Purple "Smoke On The Water"を弾きはじめてしまい、顰蹙を買う、というような場面があったことは覚えている。太陽が昇りはじめたばかりでまだ薄暗い部屋のなかでダウンジャケットを羽織り、上階に行くと両親はまだ起きていない。野菜スープの鍋を火に掛け、白米をよそり、前日の残り物(エリンギや人参や牛肉の炒め物)を電子レンジに突っ込んで温めているあいだ、新聞を取りに行った。東から南に掛けての山際に雲が低く垂れているが、それは低みにしかなくて頭上を見上げればすっきりとした淡い水色が広がっており、今日も快晴になりそうだなと思われた。実際あとで天気予報を聞くと、最高気温は一二度、三月上旬並みの気候だということだ。室内に戻り、食事を卓に運んで食べていると母親が上って来てその挨拶を低く受ける。新聞からは一面の「日露首脳 平和条約協議 3か月連続で会談」、ほか四面から「国民・自由 合流へ 両代表一致 合併や統一会派」を読み、さらに「公明、衆参同日選警戒 投票煩雑化懸念 選挙疲れで負担大」の記事も途中まで読んだ。そうして薬を飲み、食器を洗うと、父親が飲んだ炭酸水のペットボトルからラベルを取って潰し、外に持って行く。ビニール袋に入っていた缶類を籠に移しておき、室内に戻るとアイロン掛けをした。それから母親に誘われてチョコレートのベーグルを食べたあと、仏壇に供えられている花の水を取り替え、父親が流し台に放置した食器類を洗う。洗っているあいだ卓に就いて食事を取っている母親は、冷たい水で台所仕事をやるのが嫌だ、ほうれん草を絞るのですら嫌だと文句を吐く。そんなことを言っていたら生きては行けないではないか。こちらはその冷たい水で皿の洗剤を流しているのだが。Sが生きるのが嫌になったその気持ちがわかると言うので、生きるのが嫌になってなどいないと反論した。確かに自分は鬱病のピーク時には希死念慮に苛まれて、死にたい死にたいとそればかり思っていたけれど、それは「生きるのが嫌になった」ということとは何か違うような気がするのだ。このようなことを吐いている母親も、そのうちにノイローゼにでもなったりしないかと少々危惧されるのだが、しかし幸いなことに、彼女は実存的な悩みを深めて精神疾患に至るほどの頭をおそらくは持っていないので、多分大丈夫ではないかと思う。その後こちらは洗面所に入って髪に水をつけて寝癖を直し、さらに整髪料もちょっとつけて整えておき、そうして自室に戻ってきて早速日記を記した。ここまで書いて九時前である。いつの間にか一時間も打鍵していたことになる。書き忘れていたが今日は山梨の祖母の誕生日を祝いに行く予定があって、八時頃には出るかもしれないとちょっと聞いていたので早く起きたのだったが、実のところ一〇時頃に出れば良いらしくて、それで日記を綴る余裕があって安堵したのだった。
 その後、九時二〇分に日記の読み返しを始めるまでに間があるが、何をしていたのかわからない。覚えていないところを見ると大方Twitterでも覗いていたのだろう。それから一年前の日記を読む。明け方の緊張と不眠に悩まされる自分の病状を測って、「これは思ったよりも長丁場になるかもしれない」と見通しを立てている。続けて、「とは言え、今まで何年も薬を飲みつつゆっくりやって来たわけで、今次の件も長い目で捉え、一年後には多少良くなっているだろう、というくらいの気持ちで考えるのが良いのだろう」と述べているが、まさしくちょうど一年で復活したわけで、この気の持ち方は正しい姿勢だった。ほか、群馬県草津白根山が噴火したと記されていたが、これはちょうど朝のニュースでも噴火から一年ということで取り上げられていた話題だ。気象庁がまったく注目していなかった、噴火する可能性のほとんどなかった火口が噴火したということだった。
 それから、一〇時に出るまでのあいだに三宅誰男『囀りとつまずき』を読む。読むとは言っても冒頭から大雑把に見直して、読書ノートに気になった部分をメモしていくことをやったのだ。

  • ●9: 「踏んぎりのつかぬまなざし」――「まなざし」の一回目。
  • ●9: 「地上からそそがれる二対の視線」――「視線」のテーマ。一回目。
  • ●9: 「二対の視線をもてあましたマネキンがとつぜん不動をやぶり、窓越しの風景にひとり目をやすませている残業者の疲れた手を力なくふりはじめる」――冒頭から、意味の変容の目撃。「マネキン」から「残業者」へ。
  • ●10: 「とつぜん飛びだした影のちらにゆかずこちらにむかってくるのが(……)慢心にゆるんだ追跡者の視線をそのまま見事にふりきってみせる」――「とつぜん」が平仮名にひらいている。後藤明生もこの語は平仮名で書いていたらしい(ちなみに彼はまた、「実際」は「実さい」と書いたらしい)。また、「視線」のテーマの二回目。ここでは「視線」は不動の何かを見つめ続けるのではなくて、素早く動く動物に「ふりき」られている。
  • ●11: 「まなざしの照準からのがれてすでに行方をくらましているらしい(……)」――「まなざし」の二回目。ここでも「まなざし」の行く手の蚊(ある種の虫をはっきりと指し示すこの語は使われていないが)は既におらず、視線の行く末は空白である。
  • ●11: 「標的の不在をねらう手にやどるのは懲罰の意志である」――「懲罰の意志」。概念の抽出あるいは意味の付与。
  • ●12: 「足を踏みいれたとたんにバケツを手にさげた若い女性清掃員の姿が目につく商業施設の手洗いである」――「目につく」。話者はものを見ている。
  • ●12: 「おのれのふるまいにかつてはなかったはずの抵抗がともなうのをいぶかしくおもえば、(……)これは一種の罪の意識のためらしい」――「罪の意識」。自己の心中の観察。
  • ●12: 「小便にたつ」「あやしいひげ面」――話者は通常の一人称を用いず、非性的な「こちら」で通しているが、この箇所から男としての性を持っているとわかる。
  • ●12: 「すでに三十路を目前にひかえたあやしいひげ面がみがかれたばかりの鏡のなかにたちつくして」――ここから年齢もわかる。また、鏡を通して話者は自分自身を見つめている。
  • ●13: 「汗ばんでなまぬるいシャツと素肌のべとつき」「肩だの肘だの腿だの接していかにも暑苦しい」――触覚のテーマ。
  • ●13: 「不快を回避せんとするたしかな意図の、(……)こちらから姿勢をくずしてたまるかという片意地に挫かれて不動にとどまったのが、しだいに密着のぬくもりへと変じていくようである(……)」――「不動にとどま」るのは話者の姿勢ではなくて「意図」である。換喩的な技法。また、「密着のぬくもりへと変じていく」の部分は、意味の変容のテーマ。
  • ●14: 「独居の一日[いちじつ]のすでにとっぷりと暮れたよる夜中」――「よる夜中」。「昼日中」の逆だが、こちらは使わない語彙だった。
  • ●14: 「景色に内在したまなざしを経めぐらせることによってはじめて達せられる、それこそが地形の感受というものらしい」――「まなざし」の三回目。また、「地形の感受」についての抽象法則(?)の発見。一種のアフォリズムと捉えても良いか?
  • ●15: 「市ではたらくものの一日の足どりを介して、見知らぬ土地の暮らしがおのずと身近で具体的な手触りをおびた確たるものとしてとらえなおされる、街場のささやかな啓示である」――「啓示」のテーマ。一つのささやかな「気づき」。
  • ●16: 「あるかなしかの微風にすらいちいちがたぴし鳴ってたえまないガラス戸」――「がたぴし」。擬音。長大で古めかしいような文体のなかで、ある種の軽みのようなものを導入しているのではないか。
  • ●16: 「しらじらとしたものだけを光源としてうす暗く浮かびあがっているのにまなざしをこらしてみれば」――「まなざし」の四回目。
  • ●17~18: 「(……)医療関係者らのことばの数々というものがある」――冒頭の一文に置かれた「がある」。一回目。
  • ●18: 「傍観者の無力をせめていくらかなりとやわらげてくれるすべはないものかと藁にもすがるおもいで送りだされているまなざし」――「まなざし」の五回目。しかしここのそれは話者のものではなく、「病人」の「娘ふたり」のものである。今のところ七〇頁まで読んでいるが、話者が他人の「まなざし」を追いかけ、観察するという場面はこのあとも何回か出てきたと思う。
  • ●18: 「まなざしが(……)救いをこいねがう信者の無垢に透きとおっている」――「信者の無垢」。「まなざし」の性質の発見。
  • ●19: 「秘密とは、破格を母胎としてはぐくまれるものである」――容易になっていく「異国語」での「意思疎通」の体験から抽出されたアフォリズム
  • ●20: 「深夜にまでおよぶ降雪の長丁場である」――冒頭の一文に据えられた「である」の一回目。こうした形で状況や対象を明示することが結構ある気がする。
  • ●20: 「足をとめてまなざしを頭上に送りだしてみれば」――「まなざし」の六回目。電線から雪が崩れ落ちて「身投げ」するのを目撃している。
  • ●20: 「一週間ほど留守にしていた自室の戸をひらけば、なじみのないにおいが鼻腔いっぱいに通りぬけてどこまでもよそよそしい」――「なじみのないにおい」。嗅覚のテーマ。

 それで一〇時ぴったりになると読書を止め、クラッチバッグを持って上階に行った。中身は三宅誰男『囀りとつまずき』にFISHMANS『ORANGE』のCD、ほか財布に携帯。便所に寄ってから外に出て、父親の車の助手席に乗りこむ。母親も見送りに外に出てきて、日向のなかでこちらを向いて何やら言っていたが、距離があったため聞き取れず、こちらは視線を周辺に送ったり、母親と目を合わせながらも黙って父親が来るのを待った。そうして出発。FISHMANS『ORANGE』を流しはじめる。街道に出てしばらく行くと父親がFISHMANSについて、何やら昭和っぽいバンドだと言うので笑って、平成のバンドだけれどと返す。昔流行ったグループサウンズがどうとか言っていたが、似ていないと思うのだが。そんなことを話しながら西分まで行き、洋菓子店「ヘーゼル」の前に止まる。祖母のための誕生日ケーキをここで受け取る予定だったのだ。父親が降りて行き、こちらは待つあいだにぼんやりと視線を車外に送り、生命保険のビルから黒いジャケットにスカート姿の女性が出てくるのを何となく見たりする。しばらくすると父親が戻ってきてふたたび出発。日の出インターまでの道中はさしたる出来事もなかった。小作の坂から下り、あきる野市を通って日の出へ。多摩川を渡る際に太陽を反映させる水面を垣間見て、何らかの印象を得たはずなのだが忘れてしまった――白糸を連ねたような、というような比喩を思いつきつつもこれはありきたりだなと払って、その次にまた何か言葉を脳内に構成したはずだったのだが。川の傍を行くあいだは、左方、東側から太陽が車内に射し込んで顔が暖かい。そうして高速道路に乗る直前に父親が、お前もスマートフォンに変えたら、と言ってくる(こちらの携帯は未だにいわゆる「ガラケー」である――と言うか、以前はスマートフォンを持っていたのだが、金が掛かるし、メールと電話さえできれば良いというわけで古い機種に戻したのだ)。先々ガラケーも使えなくなると言うのだが、そうなったら変えるよとこちらはにべもない。結構するだろうと訊けば、五万か六万、iPhoneなどは一〇万くらいするとか言うので、とてもでないが手が出ない。スマートフォンを持っても機能を使いこなせないと述懐し、そうして高速に乗ってから、自分には便利さというものがどこか信用できないと述べる。父親はまあ個人情報がいつの間にか取られているとかなと受けてきたが、それも問題ではあるものの、必ずしもそういう意味で言ったのではなかった。それで、便利になるということは元々あった具体性を捨象するということなのだ、例えばキャッシュレスが今段々と普及しつつあるけれど、そうした決済の仕方では釣りを貰う際に発生していた最小のコミュニケーションが失われることになる――非常にささやかな例だが。ほかにも例えば、自分たちは今車に乗っていて車というものは勿論便利なものだけれど、それによって風景がよく見られなかったり、外の空気の質感を感じ取れなかったりする、そうした具体的な事柄が切り捨てられてしまう、そして小説というのは具体性の芸術であり、車で移動できるところを敢えて歩くことから小説が生まれたりするのだ、だから便利さというのは小説的思考の言わば対極にあるもので、自分はどこかそれが信用できないところがある、便利なのは勿論良いのだが、画一的にそうした趨勢に飲まれてしまうことに対する違和感がある、というようなことを説明した。父親は、しかし車に乗ったことでまた見えてくるものもあるだろうと言うので、その通り、そこにもまた別の形の具体性があるわけだとこちらは受ける。しかし自分はそうした点、結構アナログな人間で、だから便利で新しいガジェットとかを取り入れている友人もいるけれど、自分はあまり興味が持てないと。そしてしばらくしてから、しかしまあ、店側からすればキャッシュレスにしたほうが手間が掛からなくて助かるだろうけれど。すると父親は、自分の会社でも――父親は車を販売する会社で働いているのだが――車を売る時などは勿論カードが使われるけれど、ちょっとした整備の際などはまだ現金が通用していて、それはやはり面倒臭いのだと。しかし中国などはもうキャッシュレスが相当普及しているらしいなとこちらが言って、そこからしばらく中国の話を交わした。こちらは例の、北京市で導入されるという市民点数制のことを説明して、やばいよ、監視社会が、と言うと、父親も、先日、アイドルだかロックバンドだか何だかともかく有名人のライブ会場で、顔認証システムによって犯罪者が一〇人ほど捕まったらしいと話す。もう登録してあってわかるのだと。捕まったほうも、やばいかなとは思ったのだけれどしかしどうしても見に行きたかったとか供述したらしくて、それには笑った。ほか、先日Aくんたちと話したことの繰り返しだが、古来から大帝国だった中国の長い歴史からすると欧米の食い物にされた近代以降、今の時代のほうがむしろ例外的なのかもしれない、これから先、また中国の天下みたいなものが来るのかもしれない、習近平などはそれを目指しているわけだろうと述べる。そんな話をしているうちに藤野のパーキングも過ぎて、しばらくして上野原に降り立った。市内を走り、四方津駅近くまで来て、コモアしおつのほうに上って行く。そうして公正屋に駐車。父親はそこでYさんに電話を掛けたのだが出なかったので、今度は祖母のほうに掛けて、するとこちらは出てYさんに替わる。Mさんも遅れるものの昼飯を食べにやって来るということだったので、面子はこちら・父親・祖母・Yさん・Mさんの五人となった。降車してスーパーへ。父親が押すカートの上に籠を載せて入店すると、パンの良い香りが鼻をくすぐる。寿司と揚げ物とサラダを買おうということだった。それでまずサラダを見分して、マカロニのものとポテトサラダと、ドレッシングがついていたほうが良かろうというわけで(今祖母はYさんの家に居候しており、祖母宅にはドレッシングがないだろうとのことだった)、蒸し鶏と胡瓜などの混ざったものを籠に。揚げ物はヒレカツとソースの絡んだチキン。それで一〇貫ほど入っている寿司を五パック入れて、あとは飲み物というわけでフロアを渡った。こちらはジンジャーエールのペットボトルを一つ取り、ほか、父親は炭酸水を二本と茶を二本保持する。それで会計。父親が払っているあいだこちらは荷物整理台の傍をうろうろしながら待ち、会計が終わると籠を受け持って袋にサラダや飲み物を入れた。寿司などのほうはレジで店員が整理してくれて、そうして荷物を提げて退店、車に戻る。それで出発、一旦向かった道が、薄々そうではないかと父親は気づいていたらしいが、道が凍ってしまうとかで通行止めになっていたので、もと来たほうに戻り、丘を下り、四方津駅前から貯水池のほうへと上って行く。貯水池に差し掛かると正午前の太陽が水面に宿り、無数のガラス片をぶち撒けたような細かな輝きが水の微小な襞のあいだに入りこんで発光し、車が過ぎるあいだその後ろを併走してついてくる。そんな光景を見つつ車に乗って、じきに到着。降りてビニール袋をすべて受け取り、庭を抜けて玄関に入った。靴を脱いで上がり、居間の障子を開けてこんにちはと挨拶する。炬燵に入っていたのは祖母とYさんである。寿司が来ましたと言って荷物を卓上に置き、仏壇に線香を早速上げておいてからこちらも炬燵に入る。じきに父親もやって来ると、ケーキを受け取って冷蔵庫に仕舞う。時刻はちょうど正午になる頃合いだった。そうして食事。小皿に醤油を注ぎ、山葵を混ぜて、寿司をがつがつと食う。チキンやヒレカツも頂き、腹がいっぱいになったが、祖母が余した寿司も薦められたのでそれも頂く。テレビはニュース――ではなくて、昼のワイドショーを写していたのだ。坂上忍が出演しているやつだ。そこで小室圭氏の母親の借金騒動を扱っていた。こうした問題になっていることをこちらはこの時初めて知ったのだが、小室氏の母親が元婚約者の男性から金を貰っていたらしく、それが贈与だったか貸付だったかで揉めているらしい。こうした番組に特段の興味はないし、小室氏の問題にも特段の興味はないし、ワイドショーというものは暇な芸能人が大して興味もない事柄に対して雑駁にくっちゃべったり我が物顔に意見を述べたりするだけの場であり、さしたる問題ではないことをあたかも大問題であるかのように騒ぎ立てるのが得意な人々の場だろうから警戒感が先立つのだが、父親やYさんなどは、皇室の一員と結婚するのだから、真実がどうであったとしても、四〇〇万くらい払ってしまえば良いのにと言って、こちらもまあそれはそうだろうなとは思った。スタジオも概ねそのように、小室氏側が世話になったのは事実なのだから、恩に対する礼として経緯はどうあれ返すべきだろうと、大体そのあたりで固まっているようだった。コメンテーターのなかでは、ホラン千秋という人が若い女性だけれどまだしもましなことを述べていたような気がする。まあそんなことはどうでも良いのだが、それを見ているとMさんがやって来て一座に加わり、もっと楽しいような番組はないのかと言ってチャンネルを変え、それでNHK朝の連続テレビ小説まんぷく』の再放送が映った。ラーメンを作ろうとしているらしいのに、父親が初見の反応を示すので、チキンラーメンの人なんでしょうとこちらは口を突っ込む。それで、そうなのか、となっていた。まもなくドラマも終わって、『ごごナマ』が始まり、この日のゲストは中村梅雀だった。二五歳下の女性と結婚したらしい。この人は俳優活動のみならずベースも弾く人で、結構豪華な面子を揃えてフュージョンをやっているアルバムを、昔立川図書館で借りた覚えがある(あれはもしかすると、まだ高校生の時分だっただろうか?)。まあそんなことはどうでも良いのだが、じきにこちらは炬燵に半身を突っ込んだまま寝転がり、ものを食ったばかりで食道に良くないというのに臥位で休みはじめた。別に寒くはなかったのだが、すると父親が布団を持ってきてくれたので有り難く身体の上に掛ける。それで目を閉じ、時折り開けてテレビのほうを見やったりしていたのだが、そのうちに、多分眠ったわけではなかったと思うのだが結構長い時間目を瞑っていたのが続いて、気づくともう三時になっていた。父親も居間の片隅に置いてあるマッサージチェアに移って目を閉じ、身体をほぐしていた。そう言えば書き忘れていたが、Mさんが何故かこちらに対して、「チョコボール」のキャラメル味を買ってきてくれたので、笑って、ありがとうございますと受け取った。彼女は同時に「メルティ・キッス」のチョコレートも買ってきていたので、皆でそれも頂いた。三時からはニュースを見たと思う。覚えているのは、インフルエンザに掛かった児童がマンションの三階から転落したという事件で、映し出されたマンションが随分瀟洒そうなもので、何だか良いマンションに住んでいるなと口にした。インフルエンザになってタミフルを摂取した若者が飛び降り自殺をするなどとひと頃話題になっていたと思うが、薬剤を摂らなくともインフルエンザに掛かっただけでそうなることもあるのだと父親など話す。それで三時半に至ったところで、ケーキを食べようということになった。お披露目されたケーキは生クリームがふんだんに塗られ苺が載せられた純白のホールケーキで、父親の手によってそれが切り分けられた。ケーキの上には何らかの鳥を象った小さな像が作られており、鳩だろうか燕だろうかなどと言い合ったのだが、何故誕生日ケーキに鳥の像が載せられていたのかはわからない。ケーキは美味だった。そう言えば、先日(一月二日)に集まった時に体調が悪いということで欠席していたSさんは、Mさんによるとまだ相変わらず調子があまり良くないらしいのだが(具体的にどう悪いのかは判然としない)、この日はそれでも調布だかどこかに勝ち歩き大会のようなイベントに参加しに行ったと言う。それで四時頃になったところでそろそろお暇しようということになった。ゴミを片づけ、炬燵のスイッチを切り、こちらはビニール袋を持って(空のペットボトルにチョコボールと、父親が持ってきたものを分けたのだが、青梅煎餅が入っていた)玄関へ。出ると、鮮烈な赤さのピラカンサが相変わらず咲き誇っている。玄関の外でこちらは傍らに立ったMさんに、何か読んでますか本をと尋ねると、有川浩(『図書館戦争』シリーズの著者だったはずだ)の『植物図鑑』というのを今は読んでいて、ほか、友人から貰ったか借りたかした東野圭吾とか言っていた。以前我が家に送られてきた手紙に、金子兜太の死が触れられており、また同時に澤地久枝の本を読んだなどと書いてあったので、結構インテリなのだなと思い、文学方面などいける人なのかと思ったのだったが、特にそういうわけでもないらしい。それで門を抜けて駐車スペースに出て、Mさんが先頭で去って行くのに手を振り、我々も発車して後ろの祖母とYさんにも手を振った。電車で帰ると伝えてあった。理由を問われたが、車は狭苦しいし、電車で帰れば本を読めると言うと父親は納得したようだった。それで祖母の宅から一度上の道に上り、ちょっと行ってから下って行く。大野貯水池のあたりに差し掛かったところで、ラジオが東洋大学の、竹中平蔵を批判した学生が退学処分を勧告されたというニュースを伝える。これはこちらも、Twitterかどこかでちらりと目にした覚えがある。父親はそれを聞いてええ、と呟き、何とか言ってみせたのでこちらは、いや行き過ぎでしょう、と。批判しただけで退学は明らかに行き過ぎでしょう。すると父親も、そうだよなと意を得る。と言うかそもそも大学などという場所は、最も自由に批判ができる場でなければならないはずなのだがとこちら。その後、情報を聞き続けていると、件の学生が配ったビラの内容などが伝えられるのだが、こちらが思うところではわりあい正当な懸念を示しているように思われたし、退学を通告されるほどの内容ではなかったと思う。しかし、もう四方津駅に着く頃合いに伝えられたところでは、大学側は、禁止されている立て看板を設けたことで注意をしたのは事実だが、退学勧告などはしていないと主張しているようで、双方の言い分が食い違っていてよくわからない。それで駅に到着したので父親に礼を言って降り、改札を通った。するとちょうど、中央特快東京行きが入線してくるところで、果たして乗れるかと思いながらも足は急ぐ気にならない。それで普通の歩調で階段を上っているとしかし電車はここでいくらか停車するようで、しばらく発車しなかったので無事乗ることができた。席に就いて三宅誰男『囀りとつまずき』を読みはじめたのがちょうど四時半。三六分に電車は発車。前屈みになって本の頁に目を落とす。高尾を過ぎ、しばらく行って立川着。本を片手に持ったまま降りてホームを替える。青梅行きは扉際に就き、引き続き書見。『囀りとつまずき』は明確に面白い。以前読んだ時にはテーマとして「意味の変容」を中心的に扱っているという印象を受けたのだが、実際のところこの作品の主題はそうした狭い範囲に限られず、非常に多様である。話者は世界に対して自らの五感を押し広げ、日常的な生活のなかから、ささやかではありながらも確実に何らかの質感を伴った「気づき」の瞬間を蒐集してみせる芸術家の瑞々しい感性を披露している。透徹した鋭い視線の光る断章から少々鈍く威力の薄いと思われる断章――ささやかさをささやかさのままに忠実に提示する――まで雑多に取り揃えられているが、鈍さの存在が瑕疵となるのではなくて、むしろ生を総体として表現するために必要な部品となっている。隙なく磨き込まれた息の長い文体による、いかにも「小説」だと感じられるような具体的な事物の描写から、意味の圏域の広い抽象的なアフォリズムまで含まれている一方、少々文化人類学的と言うか、異文化の体験から来るちょっとした考察のような断章も存在している。頁を読み進めるごとに新たな側面が顔を現し、この多彩な断章群にどうにか整理を付けて整合的な見通しを得ようとするこちらの意図をすり抜けて行き、またはぐらかす雑駁性を備えている。生半可な要約を試みようとする小賢しさを拒否するような向きがあるのだ。そうした間口の広さ、射程の広角度こそが、まさしく「小説」といういかがわしい作物の豊かさを体現しているのではないか。書きつけられた「まなざし」の語の多さからしても、「視覚」による「目撃」が一つの特権的な主題として現れているというのはおそらく正しいだろう。その点で、「視ること、それはもうなにかなのだ」という文言がエピグラフとして引かれている梶井基次郎の、あの世界との繊細な交感を受け継ぐ貴重な書物ではあるが、しかしそう口にした途端に、この豊かな作品のほかの側面、聴覚や嗅覚、触覚や概念的思考の領域を切り捨て、無視することになってしまうのだ。そうは言いながらも、やはりこの作品を短く表す整理された言葉を探ってしまうのだが――「生のなかに散りばめられた差異の百科事典」というのはどうだろうか?(その点自分はやはり、『囀りとつまずき』を、ロラン・バルトの言う「差異学(ニュアンス学)」の視点から考えてみたい――と言ってしかし、バルトはその内実をさほど具体的には述べていなかったと思うのだが)。そう、この書物は事典なのだ。辿るべき正当な順路はなく、どこから読んでも良いし、どこをどれだけ読んでも良い。柄谷行人との対話における蓮實重彦の発言を引こう――「小説が、何にいちばん似ているかというと、僕は百科事典に似ていると思う。どこのページから読みはじめてもかまわないのが小説だという意味で似ているのであり、それは物語に対する逆らい方でもあるわけだけれども、実際に面白い小説ってそうでしょう。どこを読んだっていいわけです」(『柄谷行人蓮實重彦全対話』、三一一頁)。『囀りとつまずき』は、ここで言われていることがそのままぴたりと当て嵌まる、まさに「小説」なのではないか。またもう一つ、この書物が何に似ているかと言えば、それは句集だと考える。実際、ほとんど自由律俳句にも似た短い記述もあるのだが、この作品が散文でありながらも同時に句集の平面を実現しているとするならば、それは、バルトが自分なりの「俳句」を試みたと思われる「偶景」を、文体や装飾の濃密さの面である種裏切る形ではありながら、しかしやはり着実に継受しているという意味でもあるのだ。
 小作あたりから座って読み続け、青梅着。空気が冷たいのでモッズコートのファスナーを閉めて防備する。奥多摩行きは六時九分で、一〇分かそこら待てば乗れる時間だったが、何となく歩いて帰る気になった。それで駅を抜け、コンビニの前を過ぎて角を折れると、後ろから来る車の気配があって振り向けば、深い藍色で滑るように入ってくるその自動車の、こちらの父親のものだった。随分と甚だしい偶然である。ちょうど良かったと互いに笑い合い、後部座席に乗りこむと、父親はコンビニに用があるようで一旦出て行き、戻ってくると発車。ちょうど入線してきたあの電車に乗れたのかと訊くので、ああ、乗れたと返す。そうして帰宅。鍵を開けてなかに入ると、母親は帰ってきており、台所仕事をしているところだった。こちらも台所に入り、エノキダケと牛肉が炒められているフライパンの前に立って、茸をほぐし、箸を動かすのだが、火力の弱いほうの焜炉でなかなか肉の赤味が取れないので、じきに母親に任せて下階に下りた。時刻は六時過ぎ、腹は減っていなかった。インターネットを覗いたあと、Oasis『(What's The Story) Morning Glory?』から冒頭の三曲を歌い、続けてFISHMANSの曲も流して歌う("忘れちゃうひととき"が素晴らしい)。それで七時半を迎え、ここでようやく日記に取り掛かった。やはり書くことが多いとわかっていると、書かなければならないのにかえって遠ざけてしまうようなところがある。読書ノートを見ながら八時過ぎまで三〇分間記述して、入浴に行った。風呂に浸かっているあいだは、多分『囀りとつまずき』のことを考えていたと思う。出てくると食事。おじやと炒め物。テレビは何を流していたか定かに覚えていないが、二人揃って炬燵に入り、番組に応じて何だかんだと言っている両親を見て、やはりくだらぬテレビ番組ばかり見ていないで、本でも、できれば文学でも読んでほしいものだなとは思ったものの、父親はともかく母親には無理な相談だろう。そうして食事を終えると緑茶を持って自室へ、日記を書かなければならないはずが、幸村誠ヴィンランド・サガ』を読みはじめてしまった。二巻の途中で停止していたのだ。それで、二巻だけ読もうと思っていたつもりが三巻、四巻と読んでしまい、いつの間にか日付替わりも間近になっていた。そしてようやく日記に取り掛かり、Junko Onishi Trio『Glamorous Life』を聞きながら書き進めて二時間三〇分、『囀りとつまずき』の感想を仕上げたところで眠ることにした。二時四〇分就床である。ほか、この夜は短歌を二首作った。「曖昧が乾いて香る現し世に病んで眩んでさてさようなら」と、「語彙を撓め意味を歪めて手慰み歌を憧れ無様に呻く」。眠気がまったくなかったので眠れるのだろうかと危惧したと言うか、眠ること自体が面倒臭えなあという気持ちがあって、眠らなくて済むものならもっと本を読んだり何だり出来るのだがと思い、実際仰向けで静止していても眠りがやって来ずに、一時間経ったら起きてしまおうなどと思っていたのだが、姿勢を横向きに変えるとそのうちに寝付いていたらしい。三〇分くらい掛かったのではないか。


・作文
 7:55 - 8:56 = 1時間1分
 19:39 - 20:12 = 33分
 23:59 - 26:26 = 2時間27分
 計: 4時間1分

・読書
 9:21 - 9:26 = 5分
 9:28 - 10:00 = 32分
 16:30 - 17:56 = 1時間26分
 計: 2時間3分

  • 2018/1/23, Tue.
  • 三宅誰男『囀りとつまずき』: 43 - 71

・睡眠
 1:00? - 6:35 = 5時間35分

・音楽

  • SIRUP, "SWIM"(『SIRUP EP』)
  • Sinne Eeg『Dreams』
  • Oasis, "Hello", "Roll With It", "Wonderwall"(『(What's The Story) Morning Glory?』)
  • FISHMANS, "気分", "忘れちゃうひととき", "MELODY"
  • Junko Onishi Trio『Glamorous Life』
  • Junko Onishi Trio『Live At The Village Vanguard