2019/2/1, Fri.

 九時起床。上階へ。ストーブの前に踏み出すと、洗面所にいた母親が挨拶を送ってくる。ああ、と低く答える。食事――前夜のうどんの残りを煮込む。また、これで三日連続だが、「ルクレ」のスチームケースに温野菜を用意しておいてくれた。それも温め、卓へ。雪が降らなくて良かったねと母親。前日に書き忘れたが、昼寝から目覚めた六時頃、雨が降っていた。最近は大方快晴ばかり続いていて、雨が降るのは大変に久しぶりだったのではないか。しかし長くは続かず、この朝もまた光の眩しい快晴である。新聞から、パレスチナ自治政府の首相が辞任したとか、シリア北部でクルド人勢力を巡ってシリアとトルコが対立の兆しだとか、そういった記事を読みつつものを食べ、デザートに餡ドーナツも食べると薬を飲んだ。皿を洗って下階へ。「我が恋は静かに憎む灼熱を口笛吹いて氷雨の唄を」という歌をメモし、早速日記を書き出す。BGMは小沢健二『球体の奏でる音楽』。ここまで記して一〇時二五分。
 忘れないうちに風呂を洗いに行ったあと、日記の読み返しをした。一年前と、二〇一六年八月七日。特に印象深い事柄はない。それから書抜きの読み返し。一月二二日、一三日、八日、五日と行う。あいだの空いた色々な日付の記事を参照するのも面倒臭いので、「記憶」とでも題したノートを一つ作って、そこに各々の書抜き箇所に番号を付して並べて行く形でまとめたらどうかと思ったが、ひとまず今日のところは従来の方針に従った。一二年一〇月一日に普天間基地オスプレイが配備されたとか、それを受けて普天間の二つのゲート(野嵩ゲートと大山ゲート)前では出退勤する米兵に直接訴えの声を届ける抗議運動が行われているとか、あるいは一一年五月六日付の米上院軍事委員会からゲーツ国防長官宛の手紙で、普天間の代替施設を建設するのではなく、嘉手納に基地を統合する案が提案されていたとか、鳩山政権が「国外、最低でも県外」の移設方針を挫折させてしまったのは何故かとか、読んだのはそういった事柄である。そうするともう正午も近い。上階に行くと母親は台所に立って料理をしているところだった。大鍋には大根や薩摩揚げが煮られてあり、隣の小鍋のなかには白菜が入って、椀に入れて作るタイプの「どん兵衛」を汁物代わりに拵えようということらしい。米も炊けていた。それでこちらも焜炉の前に立って、白菜が煮えたところで麺を投入し、一方で米をよそって茶漬けにしたり、賞味期限が前日までの豆腐を温めたりする。豆腐には冷凍されていた葱と鰹節を乗せ、卓に持ってくると醤油を掛けた。餃子の加えられた「どん兵衛」もよそり、ほか、ゆで卵で食事である。テレビは昼のニュース。女子大学生殺害遺棄事件の報が伝えられ、項垂れながら警察に引かれていく容疑者の映像が映った時、三五歳だというその男の頭は周辺にもさもさとした髪を残してはいるものの頭頂部が完全に禿げ上がっていて、それを見た母親は笑いを立てて、三五歳であんなになっちゃって、というようなことを口にした。インターネットの掲示板で知り合った相手を誘い出し、初めて会ったその日に即座に殺害したという事件の凶悪さにはまるで思いを致さない様子である。その後母親は、父親のことを取り上げて、お父さんもあんなになっちゃったらどうしよう、鬘でも被せるしかないかななどと言って引きつるような大笑いの声を上げていた。食後、父親が前日に買ってきたという生チョコレートを三つ頂いた(メーカー名は、アヴォ何とかとか書いてあったか)。二四個も入っているものだったので、一人八個ずつも頂ける計算である。美味だった。そうして食器を洗うと下階へ下りて、小沢健二 "流星ビバップ"を流して口ずさみながら服を着替える。モッズコートを羽織り、荷物をまとめると上階に行き、用を足してから出発。図書館に行って書抜きをするつもりだった。ついでに、Aくんたちとの読書会で課題書になっている中国関連の新書二冊も借りてしまう心だった。道に出ると流れる風がやはり少々冷やりとする。近所の低木の葉が、その表面が宝石と化したかのように白さを溜めて輝いている。坂を上って行って平らな道に出ると、風に撫でられた林がさらさらとした葉擦れの音を立て、昼下がりの静けさのなかにこちらの靴音がかつ、かつと響く。空は雲なく青々と満ちて、ガードレールの向こうの斜面から生え伸びた大木の葉叢の隙間にまで隈なく注がれていた。街道に出ると車の隙をついてすぐに北側に渡って歩いて行くあいだ、風はほとんど吹かない。"Hey Jude"のメロディを口笛で低く小さく吹きながら進んで行き、街道の途中で裏通りに折れた。小学生の集団といくつもすれ違いながら行く。市民会館跡地まで来るとやはり小学生の一団から氷だ、と声が上がり、なかの一人、幼稚園から上がったばかりだろうまだまだあどけない少女が、氷、食べて、などといたいけな発音で言うのに、傍にいた交通整理員――サングラス様の眼鏡を掛けて髭を生やしており、母親が「亀仙人」と渾名をつけた老人だ――が、幼子に対する時特有の声色で、少々身体を屈ませながら、食べられないもんねえ、などと声を掛けていた。そこを過ぎて青梅駅に近づくにつれて、段々と尿意が高まってきていた。出る前に用を足してきたにもかかわらず、歩いていると振動で膀胱が刺激されるのか、またトイレに行きたくなるのだ。駅舎の前に差し掛かる頃には結構嵩んでおり、ことによると漏らすのではないかという緊張も滲んでいたのだが、だからと言って急がず慌てずゆっくりとした歩調を保ち、喫煙者らが水辺の動物のように互いに無干渉を貫きながら集まって一服している横を通って公衆トイレに入った。小便器に向けて勢い良く尿を放つと湯気が立つ。手を洗ってハンカチで拭きながら出て、煙草の匂いのなかをくぐり、駅舎に入って改札を通った。ホームに上がるとちょうど立川行きが発車するところで、間に合わず、歩くこちらの目の前で電車は滑り出て行く。ホームの先のほうまで行って蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』を取り出して日向のなかに立ったまま読み出したが、光を弾いてやや眩しい頁に目を落としていると何だか平衡感覚がぐらつくようで少々不安になった。じきに電車がやって来ると乗り込んで、リュックサックを下ろさぬまま席に就き、前屈みで書見を続ける。発車して河辺に着くと降り、うつむき気味にエスカレーターを上り、改札を通って駅舎の外へ、歩廊を渡ると図書館の入口前でリュックサックを背から下ろして、ヘミングウェイ老人と海』の翻訳本をブックポストに返却した。そうして、右手でリュックサックを肩に担ぎながらドアをくぐり、CDの新着棚に変化がないのを確認してから上階へ。新着図書には『武器となる思想』みたいな新書があって、それを少々めくって見たあと、書架を抜けて大窓際へ、席は容易に見つかって荷物を下ろし、ストールを首から取った。そうして椅子に座り、コンピューターを用意しながら『表象の奈落』をちょっと読んだあと、日記に取り掛かった。三〇分ほどでここまで書き足して二時一三分を迎えている。
 それから書抜き。蓮實重彦『表象の奈落』。折に触れて尻の座りを直しながら、ひたすら打鍵を続ける一時間二〇分。そうして便所に立つ。小便器の前で放尿し、手を洗ってからBrooks Brothersのハンカチで手を拭きつつ室を抜ける。それで下階へ。文芸誌の区画に行き、『文學界』や『群像』など手に取ってちょっとめくる。『群像』のほうだったか、黒田夏子の短い新作が掲載されていた。何となく文字面というか、ぱっと見のリズムのようなものに、Mさんの文章を連想させるような感触があった。それから『新潮』を取って場を離れ、上階の席に戻る。蓮實重彦「「ポスト」をめぐって――「後期印象派」から「ポスト・トゥルース」まで」を読むつもりだったのだ。それで四〇分ほど掛けて同講演録を読む。どこまでも貫かれているふてぶてしさと言うか不遜さと言うかが面白くはあったが、是非とも書抜きたいと思う箇所はなかった。雑誌を戻しにふたたび下階に行く。そう言えばどのタイミングだったか、日記を書き終えたタイミングだったかに、小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』と、岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』を借りた。そのついでに、熊野純彦神崎繁が責任編集を務めている講談社選書メチエの『西洋哲学史』シリーズも瞥見しておいて、これらのシリーズは是非とも読みたい。また、岩波新書熊野純彦著のやはり『西洋哲学史』と、マルクス関連の文献があることも確認しておいた。それで下階に行って雑誌を棚に戻しておくと、ジャズのCDを少々見分。目新しいのはBud Powellの一九五三年のBirdlandでの音源くらいか。借りても良かったがひとまず放って上階に戻り、蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』を読み進める。遮光幕の隙間に落ち行く西陽が覗く。五時を迎えると大きな動作音を立ててその幕が上がって行き、外の風景が露わになる。そうしてまもなく、リュックサックのなかで携帯電話が三度振動したのに気がついた。取り出してみれば母親からのメールで、もう帰っているかとあったのでまだ図書館だと返す。今近くまで来ているけれどまだ帰らない? 買い物をして行こうと思っていたが。食品売り場にいようか? というわけで、それでは今から東急に向かうと答えて読書を切り上げ、荷物を片付けて席を立った。車に乗ることになるだろうからストールは巻かずにリュックサックの内に収めた。それで退館すると流れる夕方の空気に、守られていない首元がやはり結構冷たい。東の空、山際には、西の山影と対を成してもう一つの山を構成するようにして、雲がなだらかな起伏を描いて貼りついていた。東急に入る。母親を探したが、大方まだ来ていないのだろうと判断して籠を持ち、椎茸や茄子、ポテトチップスやパンや豚肉などフロアを回りながら入れて行く。そうしてそろそろ来るのではと入り口に近い野菜の区画に戻っていると、果たして母親の姿が現れた。赤いパプリカと胡瓜を持っていた。それを受け取り、何かおかずを、カキフライでも買っていくかと訊くと、揚げ物の類があるだろうと言う。それで件の区画を眺めてみると、カキフライと焼き鳥の詰め合わせのパックがあったので、これで良かろうというわけでそれぞれ一つずつ籠に入れた。ほか、ヨーグルトを追加して会計である。母親が出してくれた、四五〇〇円くらいだった。危なげない手付きの男性店員が品物を整理し終えると籠を受け取り、一足先に整理台に移って袋にものを収めて行く。ポテトチップスの大袋を一つリュックサックに入れ、母親も合流して荷物を整理し、袋を提げて場をあとにした。エレベーターに乗って六階へ、車に向かう。後部座席に二つの袋を載せて、こちらは助手席に入った。母親は瑞穂のしまむらに行ってきて、寝間着など買ったらしい。二月五日に父親と出る食事会――会社の社長やらお偉方も集まるものらしい――があって、そこに来ていく服を見繕いに行ったようだが、良いものは見つからなかったらしい。駐車場のゲートをくぐり抜け、ビル側面に設けられた通路に出ると、高所から地平の果てまで町が見晴らせて、宵の暗んだ大気のなかに灯火が散在しているのが、田舎町と言ってもそこそこの夜景を構成していた。車内のBGMはBack Street Boysか何かだろうか、どうでも良いような退屈なポップスである。母親が何だかんだと話すのにはあまり答えず、音楽の上に被せるようにして"Hey Jude"をちょっと口ずさんだりしながら到着を待った。自宅に着くと荷物を持って降り、鍵を開けて玄関に買ってきたものを置く。車に残ったものも取りに行って、居間に入って明かりを灯すと品物を冷蔵庫に収めて行った。そうして下階へ。コンピューターをデスクにセットし、服をジャージに着替えて上階へ、時刻は六時半前だった。やや早いが既に腹が減っていて、食事を取りたかった。台所に入ると小鍋で大根が煮られているのは味噌汁にするためである。それが出来るのを待たずにもう食ってしまおうというわけで米をよそり、買ってきたフライと焼き鳥を加熱し、大根の煮物も温めて、母親が拵えた生野菜のサラダ――胡瓜・人参・大根・パプリカなど――を大皿に盛って卓へ。新聞から細野豪志自民党入りというニュースを読みつつ食べる。食事を取るといつもどおり抗鬱剤ほかを服用し、食器を即座に洗って乾燥機に収めておいてから自室へ。買ってきたポテトチップス(うすしお味)をfuzkue「読書日記(120)」。一月一八日の記事まで読む。一月一六日にあった以下の箇所が良かった。

(……)途中、外階段に腰をおろして煙草を吸いながら『cook』を開いていたらあまりにいい、生物の役割は創造することであります。他のすべてが決定されている世界のなかで、決定されていない地帯が生物を取り巻いております。というベルクソンの言葉が引かれていて、「決定されていない地帯」、と思った。
読書は祈りの行為でほんのわずかな時間のそれが一時間のそれに劣るわけではなくこうやってパッと開いて、開く手が祈りだ、そして落とす目が垂れる頭がそれが祈りだ。パッと開いて、ほんのわずかな時間、本とともにある、それがどれだけ人を救うことか、ということをよくよく知らせる本だと、そう思いながら何度か同じ行為を繰り返す。読んでいると、そうだった、料理も祈りだった、となっていった、おいしくあれというそれは正しく祈りだった、この本のまとう空気の明るさ、と最初思ったがもっと切実だった、切実に明るかった、それもまたつまり祈りだった。(……)

 それから、Rolank Kirk『Live In Paris, Vol.1』を流しつつ(このアルバムは売却へ)、書抜きの読み返しを行う。一二月三一日、三〇日。一九九六年四月一二日の普天間基地完全返還合意発表からSACO=沖縄に関する日米特別行動委員会についてなどなど。そうして八時前、入浴に行く。風呂のなかでは目を閉じて、先ほど読んだ知識を断片的に頭のなかで思いだすようにした。そうして頭を洗って上がって、自室に帰ると短歌をいくつか拵えた。

 寂しさを固めて埋めて悼む時コンクリートの産声を聞く
 あてどない夢の過剰によろめいてまばたきもせず涙降る夜
 果てもなく薄れて見える街角に娼婦と猫と指切りしよう
 枯れ果てた河床のような悲しみは透明だけが救ってくれる

 そうして八時四五分から読書、『表象の奈落』。Cal Tjaderのアルバムを二つ流す――『Cal Tjader's Latin Concert』『Jazz At The Blackhawk』。前者はどこがどうとは言えないがなかなか良いし、後者は"I'll Remember April"が実に小気味良い、機嫌の良い好演で、Cal Tjaderという人はどちらかと言えば小粒な奏者な気がするが、どちらも手放す気にはなれない。読書はあっという間に一一時まで。「『ブヴァールとペキュシェ』論」に入っているのだが、この論考がこの本のなかでは一番わかりやすいかもしれず、今のところ全然わからなくて困惑させられ途方に暮れるといった箇所は概ねないようだ。『ブヴァールとペキュシェ』も面白そうな小説だと思うのだが、翻訳は多分、もう何十年も前の『フローベール全集』のものしかないのだろうか? 書簡の巻三つ分はこちらも持っているが、あの全集が出たのは確か六〇年代のことではなかったか? だとするともう五〇年かそこら昔のことになるわけだ。
 日記を記して日付替わりも目前、短歌を作る。

 虚しさばかり豊かに漂う日暮れ時血管が詰まるような青空
 牙を研ぎ獣になろう黙々と瞼に優しい草を生やして
 眠ったら唇のように撫でてくれ俺も貴方を泣かせてみせる
 指と指を絡めて平等を作る苦しい吐息銀の心音

 そうして読書。『表象の奈落』。「『ブヴァールとペキュシェ』論」は、やはりドゥルーズデリダソシュールについての論考などよりは随分とわかりやすい。一時四〇分過ぎまで読むと眠気が差していたのだろう、就床することにした。消灯して臥位になると、容易に眠れそうな感触があって、実際、さほどの時間も掛からずに寝付いたはずだ。


・作文
 9:50 - 10:25 = 35分
 13:40 - 14:13 = 33分
 23:09 - 23:53 = 44分
 計: 1時間52分

・読書
 10:31 - 11:40 = 1時間9分
 13:08 - 13:21 = 13分
 14:15 - 15:35 = 1時間20分
 15:47 - 16:26 = 39分
 16:36 - 17:13 = 37分
 19:03 - 19:47 = 44分
 20:45 - 23:03 = 2時間18分
 24:17 - 25:42 = 1時間25分
 計: 8時間25分

  • 2018/2/1, Thu.
  • 2016/8/7, Sun.
  • 2019/1/22, Tue.
  • 2019/1/13, Sun.
  • 2019/1/8, Tue.
  • 2019/1/5, Sat.
  • 蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』青土社、二〇一八年(新装版)、書抜き
  • 蓮實重彦「「ポスト」をめぐって――「後期印象派」から「ポスト・トゥルース」まで」; 『新潮』二〇一九年二月号
  • 蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』: 134 - 214
  • fuzkue「読書日記(120)」; 1月18日(金)まで
  • 2018/12/31, Mon.
  • 2018/12/30, Sun.

・睡眠
 2:45 - 9:00 = 6時間15分

・音楽




蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』青土社、二〇一八年(新装版)

 考古学にとって、「時代」という概念は実証的な意味をもちえないということを念頭において、さらに考察を深めたい。フーコーが<集蔵体=アルシーヴ>と名付けようとしたものは、年代的な時間の経過に吸収されえないものであり、それをめぐって、『知の考古学』は次のように記述されている。

 <時代>はその根底的統一性でも、その地平でも、その対象でもない。すなわち、たとえ考古学が時代について語っても、それは常に、確定された言説=実践についてであり、その諸分析の帰結としてである。考古学的な分析の中でしばしば言及された古典主義時代は、その統一連続性やその空虚な形式をすべての言説に強制する一つの時間的な形象ではない。それは連続性と非連続性、さまざまな実定性での内的変容、出現し消失するさまざまな言説編制、などの錯綜に人々が与えうる名である。(二六八頁)

 読まれるとおり、「時代」という概念については、もはや疑いの余地はないであろう。『狂気の歴史』における「古典主義時代」は、ある特定の歴史的な期間ではなく、さまざまな言説編制に横断されたエピステーメーの場を指しているのである。(……)
 (85; 「フーコーと《十九世紀》――われわれにとって、なお、同時代的な」)

     *

 この三冊の歴史的な書物[『狂気の歴史』、『臨床医学の誕生』、『言葉と物』]で問われているには、まぎれもなく見ることの技術体系である。だが、視線が技術の問題であるとしても、その技術が何を見るかのそれではなく、何も見ずにおくための技術であったという点は改めて強調しておく必要があろう。それは、不可視のまわりに配置された視線の体系なのだ。事実、技術に翻訳されえないが故に病気は病気なのだし、狂気は狂気なのだし、言葉は言葉なのだ。『臨床医学の誕生』で強調されていたのが、医師がいかに病気を見ていなかったかという点であったことを思い起すまでもなく、見ることは見ずにおくことの技術の体系として、ながらく人間的な思考を支えていたのだ。
 (94; 「視線のテクノロジー――フーコーの「矛盾」」)

     *

 (……)とはいえ、『狂気の歴史』がそうであったように、『言葉と物』で試みられているものも二重の手続きである。実際、古典主義時代の言語活動そのものを見ずにおくための視線の技術的実践の体系化を構造論的に分析する部分に示される分析者フーコーの技術的な繊細さに、人は文句なしに魅了されたのである。その甘美な技術的興奮の持続の中で、「人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう」という巻末の一句を、あたかも技術体系の最終的な勝利の宣言であるかに読んでしまったのだ。
 もちろん、それは誤読である。だが、その誤読にはある種の真実が含まれている。まず時代史的な真実とでもいうべきものが指摘できるだろう。構造主義の時代の真実ともいうべきその誤読こそ、見ずにおくための視線の技術体系の現存ぶりを証拠だてているのだから、おそらくフーコーにふさわしい誤読だとさえいえるかもしれない。それに加えて、分析の技術的実践におけるフーコー自身の否定しがたい繊細さがその誤読を助長するという事情が介在する。『言葉と物』の構造論的な側面に魅了されるのは、その正しい読み方の一部[﹅2]をかたちつくってさえいるのだ。そして、誤読を正当化するかにみえる第三の要因が存在する。見ずにおくための視線の技術的な体系化作業を見ることのできる瞳、それはフーコーの瞳であると同時にわれわれの瞳でもあるのだが、その瞳は、技術体系そのものの蒙る変容をできごととして視界に捉える資質を欠いているからだ、というのがそれである。『狂気の歴史』の構造論的な分析が狂気をそれ自体として視界に浮上させまいとする技術体系の記述にほかならなかったように、(end96)『言葉と物』における古典主義時代の表象空間の分析もまた、言語活動が不可視の領域で展開されるものである限りに繊細な視線を保証していたのだから、そうした技術体系が大きく揺らぎ、言葉が瞳の前面にせりあがってきたときに起るのは、まさしく分析することの技術的な動揺として生きられる「倫理」にほかならない。そしてその「倫理」的な部分こそ、書きにくくかつ読みにくいものなのである。そのときフーコーの技術的な繊細さは、大胆さという技術、というより技術体系そのものの大胆さという潜在的資質の実践によって置き換えられねばならず、その置換に対する感性の欠如が、実は誤読の最大の要因だったのである。
 『言葉と物』は、繊細さと同時にこの大胆さを肯定することを読者に要請している。そしてほとんどの読者が、その要請をうけとめなかったのは理由のないことではないのだが、フーコー的な言説が二重の要請からなっていることは否定しがたい事実である。その二重性は均衡を逸した二重性ともいうべきものだ。繊細さが、視線の技術的実践の体系に保証された瞳にそなわっている資質であるとするなら、大胆さは技術体系そのものが潜在的な資質としてかかえこんでいる資質にほかならず、それが現勢化された場合、体系そのものが体系である自分を支えきれぬまでに揺れ動き、見ずにおくことの技術を瞳から奪ってしまうからである。そして、こうした不均衡に含まれている最大の矛盾は、技術体系の蒙る変容が、瞳から見ずにおく権利を奪い、視線にはじめて見ることの特権を賦与するという点に存している。瞳は、技術的実践の可能性を失った瞬間に、はじめて見なければならぬ自分とめぐりあう。繊細であることを禁じられたばかりか、粗雑に見ることさえも禁じられた瞳は、見ずにおく技術を心得た視線なしに見えるものと出会ってしまったのだから、もはや、大胆に振舞うことしかできないだろう。フーコー(end97)的な「倫理」が主題化されるのはそうした瞬間にほかならない。
 (96~98; 「視線のテクノロジー――フーコーの「矛盾」」

     *

 (……)狂気を擁護し、言語的規範からの逸脱を声高に説くフーコーといったイメージが、あるとき以来、新たなフーコーの徒の召集に貢献することになるのだ。もっとも、そうした局面に敏感であることはあながち間違ってはいない。同時代のヨーロッパ社会にあって、権力の過剰ともいうべき現象が風景に陰惨な色調を帯びさせたりする事件が起ったりすることに、フーコーが、個人的な資格で、ごく具体的な政治行動を示すことがあったからである。だが、現代の監獄政策の不手際を批判する動きや、イラン革命初期のホメイニ政権に深く加担しさえしたフーコーの政治活動によって彼の著作を読むことは正しいやり方ではない。それが正しくないのは、彼自身の言動のどれをとってみても、思想と行動の総括的な展望といったものに従っての秩序ある身振りとして演じられているものはないからである。それぞれの振舞いの意味は、まさにその実践的な断片性において読みとられねばならず、それは何ものをも正当化しないし、何かによって正当化されるといったものではない。だから、われわれが感性豊かに対応しなければならないのは、彼の現実的な政治活動と著作活動との調和ではなく、そこに張りめぐらされているだろう諸々の力の交錯ぶりでなければならない。「倫理」とは、まさに葛藤なのである。
 (100; 「視線のテクノロジー――フーコーの「矛盾」」)

     *

 繊細さと大胆さとを同じ一つの身振りとして肯定することなしには遂行しえないその試みにあって、人は何を読むべきなのか。答えは簡単といえば簡単である。見ることの技術体系を、その確乎たる不動の持続としてではなく、不断の変容の歴史として読む、という態度こそが読まれるべきなのだ。つまり「考古学」とは、体系の変容として生きられる生成の歴史ということになるだろう。当然のことながら、それは想像上の物語であってはならず、実定的な歴史でなければならない。そしてその実定性を『知の考古学』のフーコーは、エノンセ=言表として露呈した言葉の断片を改めて不可視の領域へと押し戻し、(end102)視線の技術体系によって分析可能な不可視の秩序として再構築しようとする新たな形式化の試みの、不断の崩壊過程のうちにたどろうとするのである。というより、二〇世紀的な形式化の試みが持ちえたものと信じられている秩序の統一性が、厳密な意味で相対的可変性しかそなえていないことを、繊細な技術的実践によって一つひとつ示すことで想像をおのれに禁じ、具体性の側に踏みとどまっているというべきだろう。
 (102~103; 「視線のテクノロジー――フーコーの「矛盾」」)

     *

 もちろん、『監獄の誕生』が、排除にまったく言及していないではない。原著では副題となっている監獄の誕生[﹅5]とは、いうまでもなく監獄が蒸気機関などと等しく近代の技術的発明の一つを意味するわけだが、法律に従って一人の罪人が投獄されるとき、そこに排除の力学が作用するのは当然である。だが、近代の監獄は自由の剝奪のみを目的とした装置ではない。直接的に身体に働きかける排除作用と同時に、身体には間接的にしか作用しない技術体系が、拘留者を精神的に変容させぬかぎり近代的な監獄とは呼(end105)びがたいのである。それは、高度な技術体系を駆使して形成される矯正装置として、訓育的な役割を果しうる限りにおいてはじめて誕生しえたのだといってよい。身体を物理的に拘束する装置の排除機能は著しく低下し、それと相関的に、社会的適正という有益な個体を生産しうる柔らかな技術体系が形成されてゆくことになるだろう。身体上に痛みや傷跡を残すことがないが故にひとまず柔かなと呼んでおくことにするこの技術体系は、いうまでもなく、それじたいが近代の発明品ともいうべき人間をめぐる諸々の「知」にほかならぬわけだが、それらの交錯しあう一点で焦点を結ぶのが、見ることの技術の秀れて「権力」的形式としての監視という振舞いであることは改めて注目されてしかるべきだろう。監獄の誕生とは、技術的に開発された政治的な瞳にほかならなかったわけである。
 多くの観客を前にして華麗なスペクタクルとして演じられる身体刑が刑法史的な風景から姿を消そうとする瞬間にかさなりあうようにして、「知」による監視行為の体系化された装置として監獄が誕生したということ。身体を直接的に変型せしめる刑罰にかわって、身体そのものは変型を蒙ることがなく、ただ瞳の視覚的対象として精神的な変容をうけいれるような装置として監獄が開発されたという事実は、二重の意味で視線の技術とかかわりを持つ。
 一つは、近代的な監獄における監視技術の基本としてあるベンサムの一望監視装置が、文字通り「権力」を視線の技術として定着させたという事実がある。その特殊な建築様式と視覚的な構造とが、「権力」が、みずからを可視的な領域に顕示することなく監視する技術体系をその後の人間生活一般に適用しうるモデルを提供したのだ。現代における監禁都市に作用する統治形態そのものが、身体に触れることなく、これを見るという装置の錯綜した拡散現象によって完成されることになるのも、そのモデ(end106)ルに従ってである。
 いま一つ、「権力」それじたいが視覚的に姿を変えているという事実がある。多くの視線にさらされつつ苛酷な身体刑を蒙る罪人のあからさまな可視性が、みずからを人目にさらすことで、あたりに「権力」を波及させた王の可視性に対応しているように、身体刑の消滅は、一望監視装置の導入によって確かなものとなる統治する主体の不可視化現象と匿名化現象とに正確に対応しているのである。それは、まさしく見ることの技術的な繊細化と呼ぶべきものだ。あえてその身体を人目にさらすには及ばない以上、監視者はいくらでも交換可能な瞳であれば充分であり、一望監視装置という技術体系に保護されている限り、統治のための個人的な努力も、また見ることの特殊な才能もそこでは問われずにすむ。とするなら、誰もが外部の侵入になど脅されることもなく、ごく平等な構造分析を政治的に試みることが可能となったわけだ。一望監視装置の中心に身を置いている限り、監視者は、もはや見る主体として実体化されてはおらず、囚人たちの肉体を見ている必要すらないのである。それ故、監獄の誕生[﹅5]とは、見ずにおく技術の典型的な開発であったといえるだろう。ここでも、視線はもっぱら技術の問題なのだ。
 (105~107; 「視線のテクノロジー――フーコーの「矛盾」」)

     *

 語りながら、フーコーは何度か聡明なる猿のような乾いた笑いを笑った。聡明な猿、という言葉を、あの『偉大なる文法学者の猿』(オクタビオ・パス)の猿[﹅]に似たものと理解していただきたい。しかし、人間が太刀打ちできない聡明なる猿という印象を、はたして讃辞として使いうるかどうか。かなり慎重にならざるをえないところをあえて使ってしまうのは、やはりそれが感嘆の念以外の何ものでもないからだ。反応の素早さ、不意の沈黙、それも数秒と続いたわけでもないのに息がつまるような沈黙。聡明なる戦略的兵士でありまた考古学者でもある猿は、たえず人間を挑発し、その挑発に照れてみせる。カセットに定着した私自身の妙に湿った声が、何か人間たることの限界をみせつけるようで、つらい。
 (119; 「聡明なる猿の挑発――ミシェル・フーコーのインタヴュー「権力と知」のあとがきとして」)

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 次に、『性の歴史』の中でしばしば使われるcapillaireという言葉をめぐり、もし「権力」が毛細血管(end121)状に交錯しあっているとすると本当にそれから逃れる道がたたれて、抵抗の可能性が失われてしまいはせぬかといわれるのだが、という言葉に対して、フーコーは、それについては、抵抗が可能なところにこそ「権力」の交錯があるという説明をくり返しながらも、さらに補足的に語ってくれた。すなわちカトリック宗教改革への反動として魂の救済とか心のあり方の試練といったものを強化するにいたった十七世紀に何があらわれたかを思い出してほしい。宗教心とか信仰を指導し方向づけようとする動きが制度化されるや否や、それへの抵抗として、憑依という現象が急激に増大してきはしなかったか。とりわけ女性たちにおいて顕著なことであるが、その憑依という現象はエロチックな興奮を伴っている。悪魔に憑かれて狂乱状態に陥るというその事態は、明らかに病理学的な反応でもあるが、それは同時に、信仰心を指導し管理することへの抵抗でもあるわけだ。いま、自分はちょうどそうした抵抗形態のことを書きつつあるのだが、それこそまさに相互に交錯しあう「権力」=「抵抗」と考えることができる。私の魂の中の清らかさをのぞいてみようとなさるのですね。なら、お目にかけてみせましょう。悪魔に憑かれたこのにごった魂のありさまを、という次第だ。また同時にこの時代には子供たちの間にマスターベーションがおそろしい勢いで広まったという事実を多くの医師が記録してもいる。それ以前も確かにそうした自慰行為は存在していたが、十八世紀になると、それが熱病のように流行する。これはいかにも理解しやすいことで、医師なり神父なり両親なりが禁止というかたちで「権力」を行使すれば、子供たちはそのことじたいによってみずからの肉体をエロチックなものにして反抗する。自分が問題としているのはそうした心理的な真理ではなく、具体的な禁止という「権力」の行使が、具体的に自慰という抵抗形態を生み、それが間違いなく観察されるという事実である。したがって、「権力」が細分化され(end122)微妙になればなるほど、「抵抗」も細分化され微妙なものになるという現実そのものが、つまりこの相互に交錯する「権力」=「抵抗」という関係の拡散化が、逆に「抵抗」の可能性の拡大を証明していると断言できる。
 そうした権力=抵抗形態の拡散化、普遍化という概念は、サルトルのいう「地獄とは他人だ」という状況、「他者化」=「疎外」の状況とは違うのかという最後の補足質問に関して、フーコーはそれとはまったく違う、むしろ逆であると答えた。自分がいいたいのは、いたるところに「権力」があるが故に、真の現実的な「抵抗」が可能となるというその可能性の強調であり、サルトルの他者化という概念とは別のことがらである。それは絶望的な事態なのではなく、「権力」の現実的な存在こそが真の自由解放の基盤であり、どこに「権力」がしのびこんでいるかをそれで暴露する行為こそが「抵抗」なのであると念をおした。間違えてもらいたくないのは、自分が、鎖につながれている状態こそ自由だと主張するのではないこと、そうではなく、鎖を現実的にたち切ろうとすることが自由だと主張したいのだ。解放、自由になることとは、この鉄の鎖としての「権力」との関係をおいては考えることができない。そう強調するフーコーは、むしろ戦場の英雄としての誇り高さで、「疎外」なる概念を一つの抽象として思考から一掃しているようにみえた。
 (121~123; 「聡明なる猿の挑発――ミシェル・フーコーのインタヴュー「権力と知」のあとがきとして」)