2019/2/3, Sun.

 一〇時起床。四時頃、七時頃、またその後とたびたび覚めてはいるのだが、長く寝床に留まってしまう。睡眠時間はちょうど九時間ほどである。上階に行き、母親が玄関からおはようと掛けてきたのに、うんと答える。洗面所に入って髪に水をつけ、後頭部の寝癖を直す。髭は剃らない。食事はカレーうどんにサラダに苺。新聞、書評面。芥川賞を受賞した町屋良平の『1R1分34秒』が山下志郎(という名前だったと思うが)によって取り上げられている。その下には、工藤庸子の、『政治に口出しする女はお嫌いですか?』。なかなか気になる本ではある。食事を終えると抗鬱剤ほかを飲み、南窓の外で光を受けている瓦屋根を眺めながらジャージに着替えて自室へ。前日の記事を書き出す。結構時間が掛かって一時間が経過し、現在は既に正午を回っている。John Coltrane『Soultrane』をBGMにしていた。この作品は「大傑作」と言うほどの盤ではないと思うが、勿論悪いアルバムでもない。佳作ではあり、とは言え売り払ってしまおうかどうか迷うところではあるのだが、最後の"Russian Lullaby"の高速の、吹きすぎていく風のようなColtraneのプレイを聞いて売却の決断を踏みとどまった。この曲は聞き込んでみたい。
 聞かずとも売却で良いなと思われるCDを整理した。売るものはUnited Arrows green label relaxingの深緑の袋に収めておく。今日、立川に出かけてCDを売ってしまうかどうか迷っていた。ひとまず上階に行き、風呂を洗う。母親の髪染めだろうか、蓋に黒い汚れが少々こびりついていたのでまずそれを擦って落とし、それから浴槽を洗った。そうして食事、五目ご飯に蛤の吸い物にゆで卵。テレビは『のど自慢』。結構上手い人が多く、合格者が連続していた。洗い物に立ち、食器を処理してしまうと今度は小鉢を一つ取ってヨーグルトを食べる。それに使った皿とスプーンも洗っていると食事を終えた父親がやって来て、自分の分も洗ってもらえるかと言ったので了承し、それも片付けた。そうして自室へ、『のど自慢』に感化されて、Suchmosくるりを流してしばらく歌う。それから一年前の日記を読み、さらに「記憶」の記事から読み返し。岩田宏神田神保町」ほか、一一番から一六番まで。一日五項目くらい読み返せれば妥当なところだろう。そうして服を着替え、結局立川に出かけることにした。CDは四六枚あるので、一枚三〇〇円弱と考えて一万二〇〇〇円くらいにはなると予想する。それをまたすぐに本に変えてしまおうと思っているわけだが、買いたいものとしては、後藤明生の対談本や『壁の中』などが一応念頭にある。
 電車の時間を調べると、二時一四分発だった。クラッチバッグにコンピューターや本、財布に携帯を入れ、CDの入った袋も持って上階に上がった。父親は一時から床屋と言っていたのだが、髪が少ないためにすぐに終わったのだろう、既に帰宅したようで居間の南の窓際に座っていた。確かに切ってきたようで残り少ない灰色の髪の毛が整っており、床屋らしい匂いも微かに室内に嗅がれた。便所に寄ってから父親に、じゃあ行ってくると告げて玄関に出たのも束の間、印鑑を忘れたのに気がついた。CD売却の際に用いるのだ。それで階段を下って部屋に戻り、モッズコートの左ポケットに印鑑を収めると玄関に戻って出発した。道にひらかれている日向が幾分薄く見えて、となるとどうやら空は快晴とは行かないらしいがそれでも視界の内は眩しい。林の樹々の陰に入ってから見上げると確かに雲が多く、東側などちょっと畝も出来ているようで、西空の太陽は露出してはいるがもうわりあいに低く、樹々の梢に接しようとしている。それでも風は走らず、最高気温一四度ではいらないだろうとストールも巻いてこなかったが、予想通りに首もとも冷えることのない暖かな春めく陽気である。眩しさに目を細めながら西へ歩き、十字路で折れて木の間の坂に入った。上りながら、頭痛の予兆のような、これから頭が痛くなってくるのではないかと感じさせるような妙な圧迫感を頭に覚えていた。CDの入った袋は結構重い、何しろ四六枚ある。クラッチバッグとCDの袋で両手に分け合って持ちながら上って行った。横断歩道を渡って駅へ、階段を上がる頃にはモッズコートの内側に熱が籠り、首筋に微かに汗の感触があった。ホームの先へ。時刻は二時一〇分になろうというところだったが、早くもアナウンスが入って電車が入線してきた。乗る。乗ったところの扉際には人があったので一つ隣に歩いてずれる。一四分まで停車。福間健二『あと少しだけ just a little more』を取り出してちょっと読む。すぐ左手、手近の七人掛けの端には男女のカップル、女性のほうが細長いビニールに包まれた花を保持しながら、男性の肩に頭を凭せかけて眠っている。右斜め後ろの座席には、インドかどこかの人だろうか、肌の黒い外国人と赤いサングラスを掛けた日本人の男性があって、英語で会話をしていた。青梅で降車、向かいの東京行きの先頭車両に乗り換える。荷物を足もとに置き、七人掛けの端に就く。CDの入った大きな不織布の袋を半分くらい、座席の下に押し込んでおき、福間健二『あと少しだけ just a little more』を読みはじめたのが二時二〇分である。最初のうちは冒頭から大雑把に読み返して、書き抜きたいフレーズのある箇所を手帳にメモしていった。河辺で向かいに、真っ赤なスーツケースを持った茶髪の女性が乗ってきた。スーツケースの表面には窪みによって絵図が描かれてあって、あれは確かムーミン・シリーズに出てくるキャラクターだったと思うのだが――玉ねぎみたいな顔の形をしていて、ちょっと意地の悪そうな表情をしている女性キャラクターだが名前は知らない。海外旅行だろうか、羽村あたりで友人の女性がもう一人乗ってきて、やはり彼女もキャリーケースを持っており、そちらの女性の服装はラフな感じで、白いズボンの先端、踝のあたりだけに切れ込みが入っていて、コートも着込んで肌を防備したなかで足首の付近だけ露出しているのが、慎ましやかにエロティックと言えば言えるかもしれない(ロラン・バルトがどこかで――『彼自身によるロラン・バルト』だろうか?――何かそんなようなことを言っていなかったか?)。福間健二をしばらく読み進めて、立川着。降りる。階段を上り、改札を抜けて人波のなかを南口へ。これだけの人がいるわけだ、と思いながら歩く。高校生らしき一団が途中でこちらを抜かして行って、彼らはフェラーリがどうとか話していた。南口を出て階段を下りる途中、相撲取りらしき、髷を結って着流しの格好の人とすれ違った。JEANS MATEの前を通り過ぎ、グランデュオの建物に沿って行き、道を渡って刀剣店やら居酒屋やら餃子屋やらが並んでいる通りを進んでいくと、珍屋である。なかに入って、カウンターの店主に買い取りをお願いしますと申し出た。袋を持ち上げて渡すと、お時間頂くので、あとで電話でもしましょうかと言われたので、どれくらい掛かりますかと訊くと、二〇分ほどだと言う。それくらいならと店内で待つことにして、じゃあ見てますんでと棚のほうを指さした。それでジャズの区画を見分する。Steve LacyやらDavid Murrayやら、ややフリー寄りの面子の作品が何故だかやたらとたくさんあった。Steve Lacyの作品はわりあいに欲しい――が、どれも一〇〇〇円以上して結構掛かるし、音源を持っているものもまだよく聞いていない。Mal Waldronと組んだ廉価版が安くて、七〇〇円かそこらで買ってしまっても良かったのだが結局見送った。棚のなかにはこれは自分が以前売ったものだなという品も、まだ買われずに残っているのが結構見られた。二〇分ほど経つと声を掛けられたのでレジカウンターへ。四六枚で一〇一五〇円、予想よりも少し安かったが、まあ良い。了承して書類を記入し、印鑑を押して手続きは完了、袋を受け取り、ありがとうございましたと礼を言って退店した(またお願いしますと店主)。店の前で財布を整理し、明細書をポケットに入れ、不織布の袋を畳んでクラッチバッグに入れると身軽になった。駅方面にちょっと歩き、帰りはどうせだからと道を変えることにして、ウインズ通りを右に折れた。立川にもこの辺になると、一体生計を立てていけるのだろうかと思うような古めかしい服屋などが並びに見られる。地下道へ。高校の時分に時折り通ったことのある、懐かしの地下道である。壁には、石壁を模したものなのだろうか、カラフルな円をひたすらに詰め込んだ絵がペイントされている(大方真円に近いが時折り楕円が混ざっており、なかにはドラゴンボールの四星球のように、円のなかにさらに微小な円が四つ付されているものもたまにある)。地下道を抜けると、立川センタービルの前、ここも高校に通うのに毎朝歩いていた懐かしの道である。金を下ろしたかったのだが、そう言えばちょうどこの通りに郵便局があったなというわけで寄ることにした。入って、ATMの待機地点で立ち尽くしていると、いつの間にか脇に寄ってきていた人が、あそこ、違いますか、と声を掛けてくる。気づかないうちに機械が一つ、空いていたのだ。それですみませんと言ってそこに入り、カードを挿入し、機械を操作して五万円下ろした。そうして退出、駅のほうに向かって歩き、ここでも高架歩廊に上がらずいつもと違うルートを辿るかということで角で右に折れ、ロータリーの周囲を回って下の道を行く。ビックカメラ。フロム中武。前を通り過ぎて行くとちょうど横断歩道が青だったので、斜めに道に踏み出してゆるゆると渡り、交差点から大通りに沿ってちょっと行ったところの階段から上に上がり、歩道橋を渡って左に折れ、高島屋に入った。淳久堂書店に行くつもりだったのだ。エスカレーターに乗って上がって行くのだが、下のフロアが視界に入ると、そんなことが起こるはずもないのにあそこに向かって落ちたら死ぬなと余計な思考が湧き、高所恐怖がちょっと滲んで、股間のあたりが収縮するような――俗に言えば、「金玉が縮み上がる」ような――感覚がもたらされた。それを感じながら六階まで行き、書店のフロアに踏み出す。まず文学の棚を見に行った。後藤明生。対談集と座談集の両方ともあったが、果たして今自分はこれを買うべきなのかと言うと、疑問が湧かないでもなかった。こちらの興味というのは主に、蓮實重彦が対談でどのようなことを言っているかということなのだが――と言うか、彼の文学の受容の仕方を、批評などの固い文章ではなく対談のもっと砕けた会話で知りたいというところなのだが――もっと後藤明生の作品を読んでからこれは買うべきではないかと思われた。ちなみに『壁の中』はこちらにはなかった。それで後藤明生は置いておいて、海外文学を見に行く。結構端から端まで見て、まあわりあいに欲しいものもあって、ラテンアメリカの小説、鼓直が訳しているやつなど結構欲しいし、『パウル・ツェラン全詩集』も三巻揃っていて欲しいが、しかしパウル・ツェランは一つ六〇〇〇円くらいしてさすがに高い。文学よりも何となく、買って手元に置くのだったらやはり哲学・思想なのかなと言う感じがする自分の場合は。それでやはり哲学のほうを見に行く。言語哲学のあたりなど瞥見してから、現代西洋思想のほうに向かい(途中、この朝に新聞の書評で見かけた工藤庸子『政治に口出しする女はお嫌いですか?』が、表紙を見せて並べられてあるのも見かけた)、フーコーのあたりなど見分する。『狂気の歴史』なり『監獄の誕生』なりを買うべきではとも思うものの(『言葉と物』は既に持っている)、『性の歴史』なり講義録なりを所有しているのだから、まずはそちらを読んでからにするべきではないかとも思われる。ちなみにこの淳久堂には、『ミシェル・フーコー思考集成』は一、二巻と、あと六巻か七巻があった。オリオン書房のほうには第一巻を除いてすべてあったはずだから、両店を回れば全部揃えられるわけだ(しかしそれには六万円ほど掛かるはずだ)。いずれは揃えたいが、やはりそれも今あるものを読んでからの話だろう。それで何を買おうか、今買うべきなのは何かと思いながら棚を見ているところで、そうだ、ロラン・バルトではないかと思いついた。ロラン・バルトのインタビュー集『声のきめ』が、インタビュー集のくせに六〇〇〇円そこらもして手が出ないでいたのだ。今こそこれを買うべきではないかと心を決して保持し、あと一冊くらいは買えるというわけでその後も棚を見て、西洋思想の端のほうまで行って振り向いて日本の思想書の棚を視界に入れたところで、千葉雅也かなと思った。『意味がない無意味』をMさんが読みたいと言ってもいたし、こちらは千葉雅也にそれほどの興味はないのだけれど、たまには話題になっているもの、また日本の思想の最前線で活躍している人の著作を読んでもみるものではないかというわけで、『意味がない無意味』を買うことにした。ほか、近くに『思弁的実在論と現代について』という対談集もプッシュされてあって、これも『意味がない無意味』と同じく一八〇〇円でわりあいに安いし、対談という軽い形式も読みやすいだろうというわけで、これも買うことにした。さらには、國分功一郎の『中動態の世界』もすぐ傍にあって、これも二〇〇〇円で安いし興味があるので、これをも買うとCD店で得た一万円強を越えてしまうが、まあ良いだろうということでこれも購入することに決断し、四冊を持って会計に行った。一二五二八円。女性店員を相手に会計を済ませる。一万円以上お買い上げのお客様にということで、United Arrowsのそれと同じような濃緑の不織布の袋に品物を収めてくれた。ほか、店内の喫茶店で使える二六〇円分のサービス券をくれたのだが、しかし書店付属の喫茶店にこちらは入る気はしないし、あまり喫茶店で書見をするという習慣もない、使うとしたら日記を書くためにだ。それでエスカレーターに乗って退店し、二階まで下りて外に出た。時刻は四時一五分ほどだった。ビルに隠されて見えない太陽が、通りの向かいのガラス窓にその分身を灯して存在を証す。歩道橋を渡り、先ほどは上った階段を下り、ビルとビルの隙間に設けられた細道を通って駅前に出ると、PRONTOに入った。一階の混み具合からして二階も空いていないのではと思いながらフロアの奥へ、ものすごい勢いで下ってきた店員をやり過ごして階段を上る。カウンターの端が空いていたしその向かい、ソファと向かい合ったテーブル席も一つ空いていたのでそちらに荷物を置いた。それで下階に下り、アイスココアのLサイズ(三八〇円)を注文。ありがとうございますときちんと礼を言って持って戻り、生クリームをストローで掬ってちょっと食べ、搔き混ぜてからココアも啜って、そうしてコンピューターを取り出した。それでここまでちょうど一時間ほど打鍵して五時半過ぎ。外出したわりに書くことが思いの外少ないという印象で、字数も現在六二〇〇字程度に過ぎない。
 買った本の一覧をEvernoteに記録しておいてから、帰ることにした。コンピューターをシャットダウンし、席を立ってモッズコートを身につけると荷物をまとめ、大きなグラスの乗ったトレイを女性店員に渡し、目を合わせながら礼を言って下階に下りる。カウンターの向こうから笑顔でありがとうございましたと投げかけてくる店員たちに会釈して店を抜けた。時刻は六時前、外はもう宵である。居酒屋の客引きがうろつくなかを歩いて行き、エスカレーターに乗る前で男性が二人、横から来たので先を譲った。こちらの前に立っているほうは裾の破れた水色の衣装を身に纏った骸骨の絵が描かれた、メタリカのイラスト・ジーンズ・ジャケットを着ている。それを見ながら高架歩廊に上って駅へ。駅舎のなかに入ると群衆の立てる川音のようなざわめきが遠く近くを包み込む。改札を抜ける前にもう少なくなったICカードのチャージを補充しておこうと券売機に寄った。五〇〇〇円を足して振り向き、改札を抜けると青梅行きは六番線五時五〇分発と、一番線六時六分発がある。迷いながらも先発に乗るかと六番線に下りたところが、ちょうど高尾行きが発車するところだったのに、ホームには長い列が出来てそれが少しも減らないのでこれでは車内でも本が読めないだろうと、座れる一番線発で帰ることにして階段を引き返した。それで一番線ホームに下りて、先頭車両の区画で立ち尽くし、福間健二『あと少しだけ just a little more』を読み出す。じきにやってきた電車に乗り、七人掛けの端に就いた。発車してからも読み続け、詩集を読み終わったあとは今日買ったなかから千葉雅也の対談集、『思弁的実在論と現代について』を取り出して読んだ。序文、そして最初に載せられた小泉義之との対談である。読みながら、こちらが昨年の一月に経験した自生思考及び脳内に浮かぶ言語に対する恐怖というのは、接続過剰な状態だったのではないかと思った。何に対する接続過剰かと言えば、それは言語そのものに対するそれである。言語との関係性が深くなりすぎたがために、世界の知覚がことごとく言語的に回収されるようになってしまい、世界の実在感が不安定になったのではないか(そうした症状の渦中にあった去年の、確か一月三日の日記には、この世界を「物自体」の層、物質の層、言語の層の三層に分かれるものと便宜的に捉えて、物質の層が言語の層によって侵食されているのではないかという考察を記したはずだ)。現在も、自生思考というものとはちょっと違うのかもしれないものの、ほとんど常に頭のなかで言語が蠢き続けてはいるのだが、それに過度に意識を奪われたりそれに不安を感じたりすることがなくなったということは、ちょうど良い具合に言語との関係性を「切断」できているということなのかもしれない。青梅に着くと六時半過ぎだが、奥多摩行きは七時何分かと言って、三〇分以上待つようだった。本を読みながら待っても良いのだが、今日は歩くかと駅を抜け、コンビニの前を過ぎて角を裏通りに折れた。日中はやはり最高気温一四度にふさわしく少しも寒気を感じなかったが、七時も近い宵となるとさすがに少々肌寒くて、途中で美容院の前で立ち止まって荷物を足もとに下ろし、モッズコートのファスナーを引いて前を閉ざした。市民会館跡地の建設現場ではカラー・コーンが置かれ、自宅近くの市営住宅前の工事現場と同じように、赤と緑の保安灯がそれらの頭で点滅し、破線を描いている。モッズコートを閉ざした状態ではじきに温みが内に浸透したのだろう、風らしい風もなくて寒さを感じなくなった。暗い通りで何かに遭遇することもなく、道中、特段に印象深いことはなかった。
 自宅の付近に続く坂を下りて行き、出たところから見える我が家の小さな窓に蜜柑色の明かりが灯っているのを見て、父親が風呂に入っているのだなと思った。帰宅。居間に入ると母親は炬燵のなかに入っている。腹が減ったと言いながら階段を下りて自室に行き、明かりを点けるとカーテンを閉め、荷物を下ろしてモッズコートを脱いだ。コンピューターをセッティングしておいてから、上階に行くと、台所で母親は温野菜を取り分けている。その傍らで褐色の五目御飯をよそり、豚肉で大根を巻いた料理もフライパンから取って盛り、温野菜とともに電子レンジに突っ込んだ。それで卓に行って食事を始める。あとから母親が、トマトと青紫蘇とモッツァレラチーズを混ぜたサラダを作って持ってきてくれた。テレビは『ナニコレ珍百景』。真珠というと三重県というイメージがあるが、実のところ愛媛県が生産一位で、特に蜜柑でも名高い宇和島市が日本一であるらしい。そのうちに風呂を出てきた父親が、番組をNHKに変更した。こちらは早々と食べ終わり、入浴に行く。髭はやはり剃らない。翌日はUくんと会う約束があるが、不精な顔つきのままに行くつもりである(母親などは、それだと新井容疑者みたいだよと言いながら、剃るよう促してくるが)。風呂のなかでは特に興味深い事柄はない。ビブラートを掛けた口笛を吹きながら湯を浴びて、出てくるとさっさと自室に帰った。インターネットを閲覧したのち、九時過ぎから書抜き、蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』である。一時間強打鍵して力尽き、Ambrose Akinmusireのライブ盤が流れるなかで、「記憶」の記事からちょっとだけ音読をすると、日記を書き足しはじめた。ここまで記して一一時半に至っている。
 それから音楽。John Coltrane, "Russian Lullaby"(『Soultrane』)。単純な捉え方だが、このアルバムでの白眉ではないか。高速のリズムに取り残されることなく乗っていくColtraneの吹きっぷりの気風の良さ。一年後の『Giant Steps』での記念碑的な勢いが既に見える。対して、Red Garlandはこの速度に完全にはついていけていないようだ。次に、Cal Tjader Quartet, "I'll Remember April"(『Jazz At The Blackhawk』)。やはりほとんど完璧だと言うべき演奏だと思う。そうして日付替わりも済むと、読書を始めた。まず、福間健二『あと少しだけ just a little more』をひらき、大雑把に読み返しながら書抜きする箇所を吟味して、その頁をメモするとともに、気になった語句をノートに写していく。それが終わると新たに斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』をひらいたが、疲労感が募っており、冒頭をほんの少しだけ読んだだけで眠ることにした。零時五〇分頃就床。眠りは近かったようだ。
 この日に作った短歌三つ。

 罪と罰を雨に溶かしてから騒ぎ裁くは神が嘆くは人が
 花畑に行方不明の君のため恋の構造分析しよう
 月の陰で言葉を食べる兎たち地球を夢見て叙事詩を綴る


・作文
 10:48 - 12:16 = 1時間28分
 13:46 - 13:52 = 6分
 16:32 - 17:35 = 1時間3分
 22:44 - 23:30 = 46分
 計: 3時間23分

・読書
 13:09 - 13:13 = 4分
 13:19 - 13:40 = 21分
 14:20 - 14:53 = 33分
 17:50 - 18:36 = 46分
 21:13 - 22:25 = 1時間12分
 22:32 - 22:39 = 7分
 24:05 - 24:45 = 40分
 計: 3時間43分

  • 2018/2/3, Sat.
  • 「記憶」5 - 6, 11 - 18
  • 福間健二『あと少しだけ just a little more』: 8 - 95(読了)
  • 千葉雅也『思弁的実在論と現代について』: 11 - 31
  • 蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』青土社、二〇一八年(新装版)、書抜き
  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 7 - 10

・睡眠
 1:00 - 10:00 = 9時間

・音楽

  • The Art Ensemble Of Chicago『Bap-Tizum』
  • John Coltrane『Soultrane』
  • The Wooden Glass feat. Billy Wooten『Live』
  • Alan Hampton『Origami For The Fire』
  • Ambrose Akinmusire『A Rift In Decorum: Live At The Village Vanguard
  • John Coltrane, "Russian Lullaby"(『Soultrane』)
  • Cal Tjader Quartet, "I'll Remember April"(『Jazz At The Blackhawk』)




蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』青土社、二〇一八年(新装版)

 (……)「シーニュ」の定義が、とりわけ「シニフィアン」をめぐって、それが物理的かつ生理的な音であると主張されたりするように、ときに信じがたい誤読の対象にすらなっていた事実(……)
 (138; 「「魂」の唯物論的擁護にむけて――ソシュールの記号概念をめぐって」)

     *

 すでに触れたことだが、『一般言語学講義』のテクストと『原資料』の記述との微妙な差異を超えたかたちで、言語記号を「シーニュ」、「シニフィエ」、「シニフィアン」という三つの語彙で定義したソシュール像というものがまぎれもなく存在する。そうした肖像におさまるソシュールを、とりあえず「イマージュのソシュール」と名づけることにしよう。あるいは、そこに「ソシュールのイマージュ」と呼ぶにふさわしい肖像が成立するのだというほうがより正確かとも思うが、いったん不幸に顔をそむけることで言語記号の定義が可能となったとするなら、「イマージュのソシュール」にはある種の楽天性が(end139)たちこめているといえるかもしれない。あるいは、それがある諦めからでた振る舞いだとするなら、ことによるとペシミズムが色濃く漂っているというべきなのかもしれない。いずれにせよ、かかる肖像が、『原資料』を詳しく読みとき、さらには後期の「アナグラム」をめぐる彼の言説と親しく接することで成立するソシュールの全体像といったものによって修正さるべきか否かといった論議は、このさい無視することにする。理由は、それがソシュールであれ誰であれ、必ずしも一貫した言説を担い続けていたとはいいがたいひとりの作家を前にした場合、そのさまざまな発言の矛盾を弁証法的に統合することで、そこに初めてその正しい[﹅3]「全体像」がかたちづくられるはずだといったたぐいの議論など、にわかに信じることはできないからである。
 (139~140; 「「魂」の唯物論的擁護にむけて――ソシュールの記号概念をめぐって」)

     *

 もちろん、「ソシュールのイマージュ」などというそんな肖像など初めから存在しており、いまさら驚くにはあたらないとする視点も存在する。たとえば、「『記号』でも『形態』でもいいが、これは『観(end144)念』と『音』とがどこからかやってきて結びついた結合体などではない」と書き、「ソシュールは結合の事実など信じてはいない」と小気味よく断言する『沈黙するソシュール』の前田英樹は、「結合の事実など一度もなかったのだ。あるのは、『記号』がそういう抽象的要素に分解されることができるという事実だけだ。……ただ『記号』というひとつの経験、『音』にも『観念』にも似ていない『記号』という具体的な経験があるのだ」と続けることで、誰もが多少は胡散臭い思いをいだいたことのある「シニフィエ」と「シニフィアン」の問題に、あっさり決着をつけてしまう。
 (143~144; 「「魂」の唯物論的擁護にむけて――ソシュールの記号概念をめぐって」)

     *

 思考するという体験は、その対象がなんであれ、純粋に「イマージュ」の体験であり、とりわけ言語が主題となった場合、「イマージュ」にさからう体験として言語記号を書くこと、すなわちエクリチュールの実践とはいかなる意味においてもかさなりあうことがない。(……)
 (147; 「「魂」の唯物論的擁護にむけて――ソシュールの記号概念をめぐって」)

     *

 作家としてのソシュールは、当然のことながら、いままさに自分がそれとともにあるはずの言語記号なるものを思考することの不可能性に逢着する。彼がかろうじて思考の対象としうるのは、まさしく現前化しつつある瞬間のそれではなく、いま、ここには不在であることのみを告げている「イマージュ」としての言語記号にすぎないからである。
 だが、それは、いささかも驚くべき事態ではない。言語記号を「シーニュ」と呼ぶと提案し、「シニ(end148)フィエ」と「シニフィアン」との恣意的な結合を生きるものだとされるその「シーニュ」が「ラング」という言語体系の単位だと定義しないかぎり、あたりに偏在する無数の言語記号の群れそのものは、たんなる無秩序なかたまりしかかたちづくることがないからである。そのときソシュールがいわんとしているのは、そうとは公言されていないものの、「シーニュ」という形式におさまろうとしないあまたの言語記号が、ひたすら差異化することしか知らない始末におえぬ差異にほかならないという事実をおいてほかにはあるまい。つまり、現前化しつつある瞬間の言語記号そのものが差異なのであり、その作働中の差異を思考しようとする試みを彼があらかじめ回避しているのは、ごく当然の成り行きだといってよい。
 たとえば「シニフィアンシニフィエの絆は、ひとが混沌たる塊に働きかけて切り取ることの出来るかくかくの聴覚映像とかくかくの観念の切片の結合から生じた特定の価値のおかげで、結ばれる」とソシュールが書くとき、その「混沌たる塊」こそ、現前化しつつある差異の立ち騒ぐ領域なのである。ソシュール自身によってときにカオスとも呼ばれ、丸山圭三郎がイェルムスレウの術語の英語訳としてのパポートを採用しているものにも相当するこの「混沌たる塊」は、しかし、『ソシュールの思想』の著者が考えているように、分節しがたいものの不定形なマグマ状の連続体といったものではない。たしかにソシュール自身もそうした誤解を招きかねない「星雲」といった比喩を使ってはいるが、あらゆるものがもつれあっているが故にそれがカオスと呼ばれるのではなく、そこにあるすべての要素がそれぞれに異なった自分をわれがちに主張しあっているが故にカオスなのである。なるほど、一見したところ、そこには秩序はないが、しかし、秩序はそこからしか生じえないはずのものであり、これを「コスモ(end149)ス=分節化されたもの」と「カオス=分節化以前のもの」の対立ととらえるかぎり、作家としてのソシュールが視界に浮上する瞬間は訪れないだろう。「作家」とは、みずからを差異として組織することで「作品」という差異を生産するものだからである。もちろんこの差異はコスモスには属していない。
 「『星雲』というのは、シーニュによる分節以前の実質である意味のマグマを指して」いると丸山圭三郎は主張している(『ソシュールを読む』、四〇頁)が、では彼は、「シーニュ」の分節能力はどこからくるというのだろうか。ソシュールにとって、「ラング」が差異の体系だといったことぐらいなら、いまでは誰もが知っている。事実、「シーニュがあるのではなく、シーニュの間の差異があるだけだ」といったたぐいのことをソシュールはいたるところで口にしているし、「シーニュ」は「純粋に否定的で示差的な価値」しか持ってはいないとさえ念をおすことを忘れていない。だがソシュールが、そうした記号概念を知っているということは、同時に、彼自身がまぎれもなく書いた言葉の中に、あからさまにそうと明言されてはいなくとも、彼がまぎれもなく知っている別のことがらを読み取ることをうながしているはずである。
 では、ソシュールはなにを知っているか。「ラング」が差異の体系だということは、それが体系化された差異からなりたっていることを意味しているはずである。だとするなら、そう書いたものは、当然のことながら、体系化されない差異[﹅9]というものをも知っていることを前提としていなければなるまい。また、「シーニュが否定的で示差的な価値」を持つものだというなら、否定的ではない差異、すなわち積極的な差異[﹅6]というものを知っていることを前提としているはずである。事実、彼は、体系化されることのない積極的な差異[﹅17]なるものを明らかに知っている。「混沌たる塊」や「星雲」といった比喩で語っ(end150)ているものこそがそれでなければならない。そこには、体系化されることのない積極的な差異[﹅17]としての言語記号が無数におのれを主張しあうことで、カオスと呼ばれるにふさわしい風土を形成している。ソシュールが裸の言語記号を思考することを断念せざるをえないのは、そのひとつひとつが「イマージュ」を身にまとうことをひたすらこばみ、素肌のままであたりを闊歩するという野蛮さに徹しているからだ。これはなんとも始末におえない世界だとつぶやきながら、彼は思わず目を閉じ、耳を覆わざるをえない。
 (148~151; 「「魂」の唯物論的擁護にむけて――ソシュールの記号概念をめぐって」)

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 わたくしの内部では、あらゆるものが目覚めていなければならぬと瞳はつぶやく。とりわけ、視覚がまどろむことがあってはならない。この限られた表層断片にくまなく視線をなげかけ、その滑走運動を、あるべき中心のまわりに周到に組織すること。漫然と視界におさめるといったことでとどまってはならない。不自由をごく自然なこととして表現するという、この意識されがたい屈辱感とともに見ることがはじまる。だから、絵画を見るとは、瞳にとっては断じて自然な機能とはいいがたいのだ。まどろむこと、まばたくこと、視線を曖昧にそらすこと、そうしたごく日常的な振舞いが、絵画を前にした瞬間、瞳からはごく自然に奪われる、表層はどこまでも表層であるはずなのに、そこに一つの限界を劃定し、現実には見えている外部をあたかも見えてはいないかのように視線から排除することの途方もない不自由。それを視線の優位だととり違える錯覚こそが、絵画と視線とをとりあえず調和させるのだというべきかもしれない。
 現実には、まどろみ、まばたき、視線を震わせ、あらゆる境界線を無効にしながら外部と内部との対立をつき崩してゆくはずの生きた瞳は、そのとき、あたかも未来永劫シャッターが閉ざされることのない写真機ででもあるかのように、自分が絵画の前に据えられた情景を想像する。少なくとも、絵画という限られた表層断片を前にした場合には、自分自身をいつでもそうした装置になぞらえるものと確信(end156)する。それが、見ることをめぐる不自由きわまる虚構の実感である。だがそれにしても、何というファンタスム。絵画は、この驚くべきファンタスムの中にしか存在しない。その途方もない虚構こそ、人がこれまで文化と呼びつづけてきた説話論的な磁場にほかならない。美術史的な言説、神話学的な言説、図像学的な言説、記号学的な言説、等々、一枚の絵画をめぐって主体が綴りあげると思われる言葉のすべては、すでにそのファンタスムの中に貯蔵されている。人は、こうした物語を自由に選択するのではない。物語は、表層そのものに刻みこまれているのでもなければ、それを視界におさめつつある主体によって想像されたり、創造されたりするのでもない。人は、ファンタスムの説話論的な分節化作用をうけいれ、語ることのまやかしの優位を錯覚しつつ、実は、物語の主人公へと仕立てあげられてゆくのである。虚構の作中人物であるかぎりにおいて、人は、だからいっときも自由ではない。自由であるためには、この説話論的な磁場の外部へと逃れ出ねばならない。だが、その瞬間、絵画という限られた表層断片は消滅する。絵画の外部と内部とが異質の領域であることをやめるほかはないからである。そこにはもはや、どこまで行ってものっぺらぼうな表層しか残されていない。
 だから、われわれがいま、ボッティチェルリの『春』と『ヴィーナスの誕生』を見ていると信ずることは、瞳がその劣勢をうけいれ、不自由を選択することにほかならない。それいがいに見ることは不可能なのだから、その事実は容認しなければならないだろう。つまり、虚構との戯れをとりあえず引きうけざるをえないのだ。不断の覚醒状態に置いておかねばならぬのは、この虚構との戯れがとりあえずの身振りにすぎぬという意識そのものであろう。つまり、見ることとそれにともなう思考することの善意から、ファンタスムを現実ととり違えるふりを装い、その演技さえ完璧に演じつづけるなら、瞳がま(end157)どろもうと、まばたこうと、視線がとめどもなくそれてゆこうと、それはまったく二義的なことでしかない。事実、われわれは、それがボッティチェルリが描き残した絵画であれ何であれ、その限られた表層断片を決して満遍なく視界におさめたりはしない。また、そのあらゆる細部が、均等なかたちで物語に加担したりもしない。凝視が虚構でしかないのはそうした理由による。誰もが、不自由な作中人物にふさわしく、あたかもあらかじめきめられた役割に従うかのように、しかるべき細部の表情をなぞってゆくことしかできない。その意味で、絵画には細部など存在しはしないのだ。物語の作中人物であるが故に擬似=主体たることしかできない瞳は、みずからが所属する説話論的な持続にしたがって、見えるものと見えないものとを選別しているだけのことである。神が宿っているのは、だから細部ではなく、あくまで説話装置としてのファンタスムの内部でしかない。
 (156~158; 「視線、物語、断片――ボッティチェルリの『春』と『ヴィーナスの誕生』」)

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 ここで識別さるべきは物語[﹅2]と語り[﹅2]の二概念にほかならないが、題名は、前者を垂直に超越した記号であり、後者に対しては水平軸上の前後関係を維持している。もちろん、物語[﹅2]と語り[﹅2]という言葉は決定的なものではない。語るという行為と語られる事柄とが区別されさえすればそれで充分だろう。物語[﹅2]とは、語らるべき題材の総体であり、それをしかるべき視点に基づいて組織化することが語り[﹅2]である。その語りを担う存在を話者と呼んで、生身の人間である作者と区別することにしよう。話者は、語るという機能によって自分を支える虚構の存在であるが、同じ虚構の存在たる作中人物が語らるべき題材としての物語的要素であるのと異なり、語りの形成と相関的に存在することしかできない。物語は、話者による組織的な表象行為を介してしか現前しえないものであるが、語りは言葉の現前化そのものである。話者とともに不断の現在を更新する語りを、説話論的な持続と呼ぼう。題名としての『ブヴァールとペキュシェ』は、この説話論的な持続の水準に位置している。それに反してブヴァールとペキュシェは、物語の領域に属する記号である。同じ虚構の存在でありながら、作中人物が決して操作することのできない題名を、話者は思いのままに統禦することができるからである。それはもちろん、話者が題名をいくらでも捏造しうるということを意味しはしない。テクストの冒頭に位置する記号を、みずからに委ねられた説話論的な技法に従って、他の物語的な要素と関係づける権利を話者が持つというほどの意味である。小説という虚構の言説は、その定義からして複数の物語的な要素を持つ。話者は、説話論的な持(end188)続の冒頭に据えられた記号としての題名を、複数の物語的な要素と適宜結びつけることで語りを支えるのだ。
 (188~189; 「『ブヴァールとペキュシェ』論――固有名詞と人称について」)