2019/2/6, Wed.

 眠れなかった。眠りがやって来る気配がまったくなかった――欠伸は一応出るのだが。寝床に就いてから三〇分経っても眠れないので、もう五時になったら起きてしまってまた日記を書こうと決定し、実際起床した。睡眠を取ってすらいないのだが、一応の睡眠というか臥位の時間は僅か四〇分である。しかしそれで辛いとも感じない――不思議なものだ。インターネットを回ってから、五時二〇分からふたたび日記。一時間半。二月五日の記事は引用も含めてだが二九〇〇〇字弱を数えて、これは今までで多分最長ではないだろうか。六時を半ば回った頃には外が明るんで、と言うほど――曇っていて――太陽の感触はないのだが、漂白されたような白い薄水色が空に見えている。
 書いたものを大雑把に読み返しながら固有名詞をイニシャルに変えていくのにまた時間が掛かって(それだけで二〇分余り掛かった)、ブログに投稿する頃には七時半前。今日は既に二時間も日記にかかずらっている。上階へ。母親に挨拶。大丈夫、と。こちらが眠れないでいたのを何となく察したのだろうか、そんなようなことを言ってくるので、大丈夫だと。台所に入っていると仕事着姿の父親も現れたのでおはようと言う。卵とハムを焼くことに。フライパンにオリーブオイルを垂らして、ハムを四枚、卵を二つ、その上に落とす。そうしてしばらく加熱し、米をよそった丼の上に取り出す。ほか、野菜スープをよそって卓へ。母親がそのうちに新聞を取ってきてくれる。ひらき、米国防総省がシリアあたりで「イスラム国」が勢力を取り戻すかもしれないという見通しを発表したとの記事を読む。シリアからの米軍撤退を宣言したドナルド・トランプに対する牽制と言うか、そのような意味合いがあるようだ。外は少々雨降りだった。母親が、「ルクレ」のスチームケースで野菜――モヤシや葱――を温めてくれたので、それも取り分けて食べる(ついでに、メロン味のロールケーキも薄く、二枚切り分けて食べた)。それで食器を洗い、薬を飲んで自室へ戻る。Twitterを覗くとUくんが日記を始めていたので、早速ブログを読者登録した。こちらの営みに感染して始めてくれたのだとしたら非常に有り難い。いつまで続くかわからないと本人は言っているが、既に一つの文体、文の調子というものがあってよろしいように見受けられたし、なるべく続いてくれることを祈る。それから日記の読み返し。一年前――「まだ日なたの残っている表通りを、先ほど帰ってきたのとは逆方向に進んで行く。道中、可愛らしい犬がいたのだが、それを見て、しかしその犬を殺すというような不健全な妄想をしてしまい、やはり自分の頭がおかしくなっているのではないかと恐れを抱いた」。完全に頭がおかしい。自生思考が狂っている。「殺人妄想」とこちらが呼ぶことになる、こうした殺人・殺害という観念の抵抗できない想起が、やはり一番怖く、おかしい症状だったと思う。これはおかしい、異常だという意識が当時もあって、恐ろしくて、この一年前の二月六日の時点では、上に引いた部分は検閲の対象のなかに含んでおり、当時の記事には公開しなかったはずだ。それから、二〇一六年八月三日もさっと読む。そうして「記憶」記事から音読をするのだが、抗いようもなく眠気が差してきて文字がぶれ、たびたび読み間違えるような有り様で(例えば「計画」が「評価」に見えるのだった)、そんな状態だから眠ることにした。床に就いたのが九時頃である。また眠れないかと思いきや何とか寝付いたようで、途中掃除機を操る母親が部屋に来た際などに目覚めつつ、一一時一五分まで眠った。二時間一五分を過ごしたので、このくらいでもともかくも睡眠を取れればまあ体調は安定だろう。起きるとほぼ同時にMさんからのメールが入った。荻窪に何時に集合するかとあるので、二時半ではと送り返し、上階に行って母親と顔を合わせておき、戻ってくると日記に着手してここまで記して正午前。Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を久しぶりに流しているが(前夜の日記作成時も流していた)、本当に良い。この世で最高の音楽のうちの一つだ。Scott LaFaroがとにかく馬鹿である。この三者のトリオパフォーマンスを超えているピアノトリオは未だに存在しないと、思わず口を滑らせてそんなことを言ってしまいたくなるほどである。何というか、普通のピアノトリオとは三人の見ている方向が違うように感じられる。尋常のピアノトリオは、三者が互いに顔を見合わせて、互いの呼吸を窺いながらアンサンブルを合わせている、それに対して一九六一年六月二五日のBill Evans Trioは、曖昧な印象批評になってしまうが、顔を見合わせていないように感じられるのだ。三人が同じ一つの方向に向けて視線を送りだしている――いや、三者の視線が交わる一点というようなものが仮構されるのではなく、ただ方角として同じほうを見ている、つまりは三人が横に並んで、皆各々の「前」を見据えているような印象で、だから互いの呼吸を窺って演奏を合わせるのではなく(勿論実際には三者とも敏感に他者の動向を感知しているに違いないのだがそれを感じさせないような仕方で)、三人が三人とも「音楽」、それぞれ「曲」に対して自分の思うところを自由気ままに、ほかの二人のことなど気にせずに演奏しており、しかしそれが何故か偶然にも高度な地点で合致している、そんな印象を感じさせる。
 それから「記憶」記事に引いた書抜きを音読。二回ずつ。それで一二時半を迎えたので服を着替える。今日はベージュのややたっぷりとして、黒い星のような手裏剣のような模様のついたズボン。上は白シャツに、カーディガンは前日と同じもので、モッズコートの装いを取る。流れていた"All Of You"を最後まで聞くと上階へ。ストールを巻き、リュックサックを背負って出発。雨降りである。黒い傘を差して歩き出すと自宅のすぐ近くに警備員が立っている。市民会館前で行っている道路工事を通行者に知らせる役割らしい。ご苦労さまです、大変ですねえ雨が降っちゃってねえと気楽に話しかけると、今日で終わり、と返してくる。頑張ってくださいと言って通り過ぎ、坂に入る。上って行き、平らな道に出て、ガードレールの向こうの斜面に生えている蠟梅の、雨に濡れながら咲きほころんでいるのに目を向けながら歩く。街道前でも同じように、紅梅が灯しを広げているのを見やりながら表に出て、すぐに北側に渡る。路面が濡れているので車の走行音が増幅されて、空間を一枚の紙として破るような勢いである。裏路地へ。平日の午後なのに高校生とすれ違う。それからまた、中学生らしき姿もあるので、入学試験の願書提出か何かかと思ったが、しかしその後はふたたび高校生らがやって来る。途中、南天の赤い葉や垣根の枝の下端にビー玉のような露が膨らみ引っ掛かっているそれを見ながら、傘の上に跳ねる雨音を聞く。鼻で呼吸をしていても、吐息が自ずと白く濁って漂う気温である。学生らと多くすれ違いながら駅へ。駅舎に入って改札を抜け、ホームに出ると、まだ雨が降っていたので屋根の下に留まり、立ったまま手帳にメモを取りはじめた。電車がやって来ると例によって二号車の三人掛けに就き、引き続きメモを取る。発車してからも列車の振動に揺らされて字を乱しながらメモ書き。終えると斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』を読む。マスクをつけていながらも、ごほごほと咳き込んでいる女性がおり、ほかにもマスク姿が多くて、インフルエンザをどこかから貰いやしないだろうなと恐れられる。ムージルの『生前の遺稿』中「形象」は、最後の篇である「ペンション「ニンマーメーア」」というのがなかなか良かった。あるペンションのオーナーの夫人や従業員や、そこに集う人々の人間模様が描かれる――しかし人間模様とは言っても、「関係」ではない。記述されるのは外見、衣服、容貌、言動などで、集まる人々は互いにあまり関係を持たないし、それが深く掘り下げて描かれることもなく、当然ドラマや物語性も皆無で、ただただ表面的な事柄が羅列されているだけの素っ気ない筆致なのだが、しかし描かれている人間像が奇妙に面白いのだ。例えば次のような調子である――ヴィースバーデン出身の婦人について。

 (……)わずかにまだおぼえているのは、彼女が縦じまのスカートをいつもはいていたことだ。そのため彼女は、アイロンのかかっていない白いブラウスがうえにつり下がっている、木製のいでっかい柵のようにみえた。彼女が口をひらくと、それは異議をとなえるためで、たいていそれはほぼつぎのような調子でおこった。例えば誰かが、オッタヴィーナは美しい、と言ったことがある。「そうね」――とその婦人は言って、即座につけたした――「高貴な古代ローマ人のタイプね」。そのとき彼女はその場にいるひとをうなずかせるように見つめるので、見つめられた方としては否応なく、世の成りゆきの確かさを維持するために、彼女の誤りを訂正しなければならなかった。なぜなら女中のオッタヴィーナはイタリア中部のトスカーナ地方の出身だったからだ。「そうね」――とその婦人は答えた――「トスカーナ地方の出身よ。でも古代ローマ人のタイプだわ! 古代ローマの女性はみんな眉間の下にくぼみがなく、ひたいからまっすぐにのびる鼻をしていますもの!」 ところがオッタヴィーナはトスカーナ地方の出身というだけでなく、ひたいからまっすぐにのびる鼻も持っていなかった。(……)彼女は船でアフリカ巡りをしていて、日本へ行くことを望んでいた。この話と関連してある女友達について語ったが、その友達はビールグラスを七杯も飲みほし、四〇本のタバコをすうとのこと。婦人はその女性のことをとてもすてきな仲間と呼んだ。そんなふうに話すときの顔は、おそろしく自堕落にみえ、広すぎる顔面に口と鼻と目が細長い斜めの切れ目をつけた。少なくとも、アヘンをすっているのではないかと思われるほどだった。しかし彼女は自分が観察されていないことを感じるとすぐに、とても実直な顔つきになった。その顔はもうひとつの自堕落な顔のなかにかくれていたが、それは小さな親指太郎が一歩で七マイルもすすむでっかい長靴にひそんでいるようなものだった。彼女の最高の理想はライオン狩りをすることで、私たちみんなに、ライオン狩りをするにはものすごい力が必要だと思いますか? とたずねた。勇気ですよ――と彼女は言った――勇気ならたっぷり持ちあわせています。でも私ははたしてつらい苦労にもたえられるでしょうか? (……)
 (37~38; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「ペンション「ニンマーメーア」」)

 二時一〇分過ぎに荻窪着。エスカレーターを下りて改札を抜ける。空腹だった。それでキオスクで、「チョコづくし」というパンを買い、案内地図の横に立って食べる。食べ終えるとMさんにメールを送っておき、ふたたびメモを取りはじめた。そのうちにMさん、やって来る。開口一番、あれ書かんといてくれる、と。MさんのPコートの毛玉のことである。左腕の部分に毛玉が結構ついていたとこちらが書いたのを気にして、電車に乗って来るあいだずっとぷちぷちと毛玉を引き抜いていたのだと言う。もう読んだんですかとこちら。随分早く書いたねと言うので、徹夜したと言う。風呂から出たらもう一時だった、そこから書きはじめて三時間、四時を回ったところでさすがにそろそろ眠らなくてはと床に就いたが眠気が一向にやって来なかった、それで四〇分間横たわったあとにまた起きて書いたのだと。しかし、九時から二時間ほど一応眠りはした。Mさんは、二時間半ほど眠れなかったと言った。SさんやWさんとたくさんのことを話したので、彼は人と多く話したあとの眠り際にはいつもそうなるのだが、頭のなかに声の残響のようなものがぐるぐると回って寝付かれなかったと。それだけ興奮していたのだ。腹減ったと言うので、あそこでパンを売っていますよとキオスクを指すとMさんは買いに行き、おにぎりを入手して戻ってきた。Hさんも来れるかもしれないとのことだった。それで、ささま書店に行くのは彼が来てからにしようとのことで、ひとまず喫茶店に行くことになった。南口から駅を出る。エスカレーターに乗っているあいだ、Sさん、イメージ通りだった? と訊いてくる。概ね文章の印象通りだったと。Mさんはもっと大人しい人かと思っていたのだと言う。チャーミングな人でしたねと言うとMさんも同意して、仕草がねと言い、浅田彰を思い出したと口にした。雨はもうほとんど降っていなかった。それで傘は閉じて路地へ。少し先に看板を見つけて、あそこにタリーズがありますねと口にする。ドトール・コーヒーも向かいにあったが、タリーズ・コーヒーはほとんど行ったことがないので、そちらに入ることに。入店すると、西武信用金庫が併設された店舗で、公民館みたいやねとMさんは言う。入り口から左方、一人掛けが並んだ区画に入り、四角い小さなソファ椅子に横並びで就くことに。荷物を置き、品物を注文へ。Mさんはコーヒー、こちらはココアラテのトールサイズ(四五〇円)。マグカップを受け取って席へ戻り、会話を始める。
 Hさんは同居しているTさんがインフルエンザに掛かってしまい、彼の看病をしなければならないと言って、来れないような雰囲気だったのだが、誘ってみると、Tに断りを入れて行く方向で動いてみますと。この返答に彼の律儀さが表れていた。それで会話は、時系列順を無視して書くことにするが、まず牧野信一。こちらにせよMさんにせよ、牧野信一という人は以前から気になっており、読んでみなくてはならないと思っている――と言うのも、『群像』だか『新潮』だかの企画で、古井由吉大江健三郎が百年間の短篇小説を読むということをやっていた際に、二人揃って一番良かったと評価していたのが、牧野信一の「西瓜を喰ふ人」という篇だったのだ。ささま書店にありますよ、と言う。全集の三巻があったのを以前来た時に目に留めていたのだ。しかしMさんは、青空文庫で読むわと。
 続いて三島由紀夫三島由紀夫中上健次と同列に並べて論じる向きは何なのかねとMさん。そうした場合の三島は思想によって評価されているのであって、小説家としては中上健次のほうが断然上だというのは、蓮實重彦なども言っていた。Mさんは『仮面の告白』を相当昔に読んで、印象に残っていると言う。当時はまだ彼も本というものを読みはじめたばかりの頃で、まだいわゆるエンターテインメントといわゆる純文学の区別もついていないような時代である。それで『仮面の告白』は、ご存知同性愛を扱った作品であるわけだが、作中、高校か中学の体育の授業の場面が出てきて、そこで主人公の意中の男子が鉄棒にぶら下がる。その時に、脇毛がもさもさと生えているというのを、細かい、茂みがどうのこうのといったような比喩も用いた執拗な描写で描いていて、こいつおかしいんちゃうかと思ったと、それが印象に残っているらしかった。こちらは三島は、『岬にての物語』という短編集を読んだことがある。全体的にあまりぴりっとしなかったが、表題作はそのなかでもなかなか良かったような記憶が残っている。描写が具体的で、力のあるものだったのだ。三島はこれを書いた当時、多分一九歳かそこらだったと思うのだが、一九か二〇でこれだけ書けるのかとその力量に感心した覚えがある。三島は多分一六歳くらいから書いていて、『岬にての物語』には一番最初に書いたくらいの若書きの篇も含まれていたのだが、若書きのそれは――と溜めを作って――糞でした、と端的に告げると、Mさんは爆笑した。観念を弄んでいるだけの、糞な作品でしたと繰り返す。ほかにはこちらは、『中世・剣』という講談社文芸文庫から出ているものを読んだことがあった。「中世」の篇は、いかにも美麗な、擬古文調と言うのかそういった文体で、室町時代の将軍の話で、やはり同性愛を主題として扱っていたはずであり、また亀が何か小道具のような使われ方で出てきていたような覚えもかすかにある。
 志賀直哉。Mさんが、床屋の話を紹介してくれた。完璧主義者の床屋がいた。舞台設定は営業最終日である。最終日の最後の客がやって来て、顔剃りをする。今までずっと完璧にこなしてきたところが、最後の最後のそこに至って床屋はちょっとしたミスをしてしまう、つまり客の顔を微かに傷つけてしまい、血が滲んでしまった――それを見た床屋は我慢ならず、剃刀で喉を搔き切って死んでしまうと、そういう話があるらしい。Mさんはこれを友人のFさんから昔聞いたようで、当時はまだ彼も文学の読み方というものがあまりよくわかっておらず、アフォリズムを蒐集するような断片的な読みをしていたと言うそのなかで、このような全体の展開を面白がる読み方があるのだと気付かされて新鮮だったという話だった。
 島崎藤村。『千曲川のスケッチ』という作が彼にあったと思うのだが、それがこちらは気になっていると。題名から推測するにおそらく風景に特化した作品なのではないかと思われ、こちらやSさんの路線に近しいものがあるのではないか。Mさんは、『死の棘』は昔読んだが鬱々としていてそんなに好みではなかったと話すので、『死の棘』は島尾敏雄じゃないですかとこちらが突っ込むと、彼は目を見開いて気づき、俺、昨日から記憶やばくないと笑う。島崎は『破戒』か。あの人も妹だったか誰か肉親と関係を持った、そういう人なんですよね。
 昨日のコートええね。あれがバルカラー・コートですよ。何か、近所のおばちゃんに褒められたやつ? 思い当たることがなかったのだが、こんなにええ男なら彼女いるんでしょって、と聞いて、Tさんかと笑った。隣家に一人暮らしの九八歳の老婆である。いつも行き会うといい男だいい男だと褒めてくれるのだ。そこからMさんが京都で住んでいた森田アパートの大家さんの話にもなった。何と存命だと言う。先日Mさんが奈良で外教仲間とあった際、森田アパートにともに住んでいたKさんという方がいて、積極的な人でMさんから大家さんの息子さんの電話番号を聞き出してその場で連絡を取ったらしい。一〇一歳。しかしさすがにホームには入っていると言った。Tさんは、呆れたね、というのが口癖なんですよ。自分がまだ生きていることに対して呆れたね、って言うんですよと話すと、Mさんは笑う。もう一つ、明日のことはわからない、ともいつも言っています(しかし実際は、九八にもなると今日のこともわからないようなレベルだろう)。そうした老人の、自分の迫る死期をネタにした自虐がMさんは大好きだと言った。
 Mさんの服は、昨日書かなかった下半身について言うと、濃く締まった緑色のズボンに、ややハイカット気味の茶色のシックな靴。のちに合流したHさんのほうは、あれはスウェット風という言い方で良いのか、柔らかそうなソフトな質感のズボンに、上はさらさらとした素材の沈んだ緑色のパーカーだった。
 何かの拍子に出雲大社の話にもなった。出雲大社と言うと、オオモノヌシですかね(しかしこれは間違いで、実際にはオオクニヌシだった――ややこしい)。そこから、大津透『天皇の歴史1』を読んで得た知識をちょっと披露する。スサノヲの子孫にあたるオオモノヌシ(ではなくて実際はオオクニヌシ)が「葦原の中つ国」、要は地上の世界を統治していたのだが、そこに天照大神がいきなり介入してきて、この地上の国は我が子孫が治めるべき国だ、などと言い出す。アマテラスは再三、オオクニヌシの元に神を送って交渉するのだが、しかしあまりうまく行かない。それでも最終的にオオクニヌシはアマテラスの要求を受け入れ(これを国譲りと言う)、代わりに出雲大社を建てて自分を祀るように要求したとそういう話だ。そこから『古事記』の話にもなった。イザナキとイザナミが最初の神だと思っていたらそうではなくて、その前に既に一〇人(いや、一〇体と言うべきか)くらい神がいるんですよ。しかし何故かその神々がことごとく、「身を隠して」しまうんです(と笑う)。そのあとにイザナキとイナザミが生まれ、一〇体の神の意志によって、「この漂える大地を固めなせ」などと言われて、矛でもって海水を「こをろこをろ」と搔き混ぜる、その矛の先から滴り落ちた塩が積もって出来たのがオノゴロ島である。そこに天の御柱という柱を立てて、その周りを回りながらまぐわい、性交渉をする、それでもって大八島、要は日本列島が生み出されるわけですが、この時、最初は女のイザナミのほうから声を掛けたんですけれど、それだとうまく行かない。しかし次に、男のイザナキのほうから声を掛けると成功する、だから日本最古の文献、物語に既に、言ってみれば男尊女卑的な考え方が組み込まれている、そのあたり面白かったですね。
 そう言えば小さなことだが、昨日の記事にこちらはSさんの父君の出身地である波切を島根県だと書いてしまったのだが、これは三重県の間違いだった。どうも、Mさんが「志摩ね」と言ったのを、「島根」と聞き違えたらしい。そんな笑い話もあった。
 そのような話を色々としているうちに、Hさんから連絡は来ているかどうかと言及されたのだが、それとほぼ同時に彼から電話が掛かってきた。東改札の南口です、とこちらが横から補足し、今から我々もそちらに行くわ、ということに。マグカップを返却棚に置いておき、退店。路地の入り口に背の高くマスクをつけた姿がある。Hさんである。近寄って握手をし、お久しぶりです、会えて嬉しいですと言うと、何ですかその定型文的な言い方はと笑われてしまった。それでささま書店に向けて歩き出しながら、Hさんの新しい仕事の話を聞く。彼は和食の料理人である。新たな職場は自由が丘にあって、YOUTUBEに魚を捌く動画か何かを上げている人のところだとは前にも聞いていた。その人は、ベンチャー企業の社長みたいな、開拓精神溢れる人間であるらしい。しかし、周りの同僚連中はどうやら「雑魚」ばかりであると、それまで丁寧な口調で話していたのに、急に「雑魚」という罵倒語を使って口が悪くなるところにMさんは大いに笑っていた。それなので、そこでのし上がって行き、料理長の片腕あたりのポジションにすぐさま入り込んで技術を盗んでやろうと、そのような闘争心を燃やしているらしく、そのあたりHさんは自分でも以前と変わったところだとも言っていたし、双子の兄弟のTさんからも、お前、変わったわと言われたらしい(何でちょっとがっかりされているんですかとこちらは突っ込み、笑った)。
 そうこうしているうちにささま書店に到着。店外の一〇〇円や二〇〇円の棚に既に、エリ・ヴィーゼルの『夜』があったり、アナイス・ニンの文献やヘンリー・ミラーの全集や、昭和天皇独白録などという本が見られる。なかへ。文庫を見る。前回来た時は、ルソーの岩波文庫の『告白』があって、それを買おうと思っていたのだったが、なくなっていた(代わりに『エミール』ならばあった)。Mさんに、断章形式の良いものとして、サム・シェパード中勘助を薦められる。ほか、最後のほうにも金子光晴の『詩人』を薦められ(Mさんがいままで読んだ散文作品のなかで五指に入ると絶賛していたものだ)、どれも安かったので、即座に、買います、買います、買いますと答えていると笑いが起きる。文学や文庫を見たあと奥に。文庫を見ているあいだにそう言えば、Hさんと、Uくんが言っていた仲違いの件について話したのだが、彼にも心当たりはないようだった。どうもデモの現場で騒がしいなかだったし、聞き違えたのではないか。それで奥の人文学系の棚を隅から隅まで見分する。エルンスト・ブロッホ『未知への痕跡』というこれも断章形式の作品が、五〇〇円で安かったので買うことに。あと、文庫からはボードレール『人工楽園』というのを発見した。これはロラン・バルトが講義録のなかで触れていた文献である。哲学に話を戻すと欲しかったカンギレムの『正常と病理』が一五〇〇円であるのも見つけ、これも当然買うことに。そのほかアドルノ『ミニマ・モラリア』やバルトの『記号学の冒険』も前回来た時に目をつけていたので買うことに。そして今回の来店の最大目的、パスカル全集二巻五〇〇〇円である。歴史学や神学の文献にも興味深いのが色々あったし、それで言えばみすず書房から出ていた『ユダヤ人の歴史』というのが五〇〇円で安かったので買おうかとも思ったのだが、荷物が多くなってしまうので見送った(それでも充分多く、重くなったわけだが!)。ほか、アーサー・ヤングのフランス革命期の紀行文など。購入したものの一覧を以下に。

中勘助『犬 他一篇』: 150
ボードレール/渡邊一夫訳『人工楽園』: 200
金子光晴『詩人 金子光晴自伝』: 400
サム・シェパード畑中佳樹訳『モーテル・クロニクルズ』: 300
エルンスト・ブロッホ/菅谷規矩雄訳『未知への痕跡』: 500
ロラン・バルト/花輪光訳『記号学の冒険』: 800
テオドール・アドルノ/三光長治訳『ミニマ・モラリア 傷ついた生活裡の省察』: 2000
・ジョルジュ・カンギレム/滝沢武久訳『正常と病理』: 1500
・『メナール版 パスカル全集 第一巻 生涯の軌跡Ⅰ(1623~1655)』
・『メナール版 パスカル全集 第二巻 生涯の軌跡2(1655~1662)』: 5000
 計10冊: 11718円

 店には一時間半弱くらいいただろうか。退店すると視界の果て、西の空に粒子の集合めいた淡い残照の色が浮かんでいる五時半である。ファミリー・レストランにでも行って、ちょっと軽くつまみながら腹が減ったところで飯を食おうということになった。それで道を戻り、先ほどの路地にふたたび入るとすぐ目の前にガストがある。入店。ひとまずサラダだけ頼もうということで、アポカドとシュリンプ(海老)のサラダを注文。取り皿に分け合って食らう。その後、Hさんはあまりお腹が減っていなかったようでビールのみを頼み、Mさんはビーフシチューオムライスのようなもの、こちらは鮪のたたき丼を頼んだが、これが思いの外に、鮪が色の悪い、くすんだようなもので、味もまあそれなりだった。そうして最後に、つまめるものとして山盛りポテトフライを注文し、それがやって来たのとほぼ同時に、隣の席に老人が一人入ってきた。こちらの足元にあった本の袋や、ソファに凭せかけていた傘をどかすと、どうも、どうも、と老人は低く小さく呟く。彼からはちょっと悪臭が漂い出していた。何というか、公衆便所のような臭いで、それで見てみればズボンが汚れていたようにも見えた。漏らしたのだろうか? とも思ったが、さすがに違うとは思う。彼はサラダや白ワインやポタージュなどを注文して、ゆっくり、身を縮めて噛み砕くように食べていたようだ。ポテトを旺盛につまみながら一方で、異臭でこちらは気持ちが悪くなったりしないだろうかとちょっと不安を感じていたのだが、しかし段々と慣れてきてそんなこともなかった。
 ここでも色々と話した。『囀りとつまずき』の話が出た時には、前日電車のなかでも話したことだが、「もの」「こと」という表現をなくしたと。「~~することを」ではなくて、例えば「食事をするのを」などという風に書くようにした。また、「人が」と「人の」の違いにもMさんは敏感で、『囀り』の時には、例えば「人が通る道」とするのではなくて、「人の通る道」というようにしていた。それもこれも、「もの」「こと」を使ったり、主格の「が」を用いたりすると、どこまでが主部なのかが如実にわかってしまう、ブロックが固まって明示されてしまう、それが嫌だったのだと。しかし最近ではそのあたりの判断は緩くなったようで、『双生』の推敲では、もともと「の」にしていたところを「が」に直したりもしているらしい。
 Mさんが最近読んだ『ダークウェブ・アンダーグラウンド』の話。どういう本なのか? アメリカ右翼の精神史を追うようなものらしく、現在、オルタナ右翼などの新たな、と言って良いのかわからないが、潮流が出てきているわけだが、それに一応、精神史的な裏付けがあるのだと。つまり、アメリカはもともとイギリスにいたピューリタンが本国で迫害されて新大陸に渡り、そこで建国したものである。したがって、そもそもの起源からして、上からの禁止・抑圧に対する反抗として出来たような国家であるから、そうした精神性が民衆のあいだに根付いている。一方で人種差別、女性差別などの問題もあって、昔からポリティカル・コレクトネスに関してはやかましく言われてきた国でもある。そうしたなかで、いわゆる「リベラル」な価値観による一種の「禁止・抑圧」に対して、激しいバックラッシュとして噴出したのが今のオルタナ右翼などの動向だと言えると思うが、それも精神史的にはある種、カウンター・カルチャーとしてのアメリカの伝統を体現している、そのような見取り図を提供し、そうした流れで見ないと今の現象は理解できないのではないかと忠告している本らしい(結構こちらの理解に意訳してしまったが)。オルタナ右翼の連中が思想的源泉としているのがニック・ランドという研究者で、彼は民主主義など駄目だということを主張しているらしく(だからと言って全体主義が良いとも言ってないんやけど、とMさんは注意深く補足した)、だから一応アメリカの現象にはまだしも「思想的源泉」が存在している。それに対して日本のいわゆるネット右翼にはそうしたものがない、そこが大きな違いではある。界隈が持ち上げているであろう百田尚樹などもとても思想家、作家などとは言えないただの反動であると。
 Hさんが、『源氏物語』の和歌をラップに喩える一幕もあった。彼は谷崎潤一郎訳で『源氏物語』を読んでいたらしいのだが、途中で、韻を踏んだり洒落を取り入れたりしているのなど、これラップやっているのと同じじゃんとなって飽きてきてしまい、読み通せなかったと。人間は昔も今も同じようなことをやっているものだと思ったと。この喩えは面白いし、頷けるものでもあった。
 帰路に携帯にメモを取りながら帰ったのだが、このファミレスで話した会話についてはそれほど思い出せず、メモもあまり豊富には取れておらず、今のところ想起できるのはそのくらいとなっている。Mさんがじきに、コーヒー飲みたいなと言い出したので(中毒だと笑う)また喫茶店に行きますかとなった。それでトイレへ行きたいと言って、Hさんが先に席を離れる。そのあいだ、こちらの日記を書くスピードが速いな、という話になった。四時間半で三万字と言うと(実際には引用を含むのでもう少し少ないが)、七五枚か、とMさんは計算して、速いな、と言う。Hさんが戻ってくると入れ替わりにこちらがトイレに行き、戻ってくると『双生』の原稿を読んでいた。こちらも、変じゃないかどうかと言われてちょっと読ませてもらったのだが、読点が適宜入っていてリズムが整えられており、むしろ読みやすいのではないかと述べるとMさんは、よし、これで良い、と安心していたようだった。
 それで会計をして、喫茶店へ。一度はドトール・コーヒーに入ろうと思ったのだが、席に空きがなかったので、ふたたびタリーズへ。ふたたび先と同じ区画に三人で横並びになることに。こちらは今度はブラッド・オレンジジュースを注文した(四五〇円)。ここでは猥談めいた話が少々交わされた。Hさんが恋人とまだセックスをしていないというのが発端だったと思う。ファミレスでも性交渉をしていないと言っていたのだが、Mさんはそれを冗談だと思っていたらしく、本当だと知って大層驚いていた(こちらは別に驚きではない――最近では性交渉を持たないカップルも増えてきていると聞いたことがあるし、また、こちらに恋愛経験がまったくないので、そのあたり実感が湧かない部分もある)。Hさんは恋人といても、そういう気分にほとんどならないらしい。対象として見る目が発生しないと。性欲も以前より薄くなったとも前から言っており、そのあたりも関係しているのだろう。ちゅーしとったらしたくなるやろ、とMさんは言うが、あまりそういうこともないようだ。今どき珍しいと、Mさんは言い、彼は中国で二日に一回くらいは自慰をしていると言う。旺盛である。Hさんの話を聞いていると、中国に行ってまでVPN使ってAV見ているのが恥ずかしくなるわ、と。こちらも、恥ずかしくていちいち書いたりしないが、射精は時折りしているのだが――最近読み返している二〇一六年の日記には、「ポルノを視聴し、射精した」と直截に書かれていることが多い。ちなみに「自慰」という言葉を余り使わないのは、そこに含まれているまさしく自己慰撫のニュアンスよりも、「射精」という即物的な表現の乾いた散文性のほうが好ましいからだ――以前と比べて全然気持ちよくなくなったと話す。精神科の薬をずっと飲んできたからというのが大きいのだろう。それでHさんの恋人との出会いは、行きつけのクラフト・ビール・ショップだったと言う。そこのマスターとお互い仲が良く、仲介してくれたような形らしい。飲む人はそれがあるからええな。こちらとMさんは下戸である。こちらは文学好きの女子にはモテるだろうと、それがMさんの評価である。面も悪くないし、どっしりと構えているしとのこと。文学が美術で、音楽好きの女子はあまりこちらに相応するタイプではないとの見方だった(何故なら音楽好きは結構ちゃらちゃらしているのが多いからと言う)。
 文章と実際の人柄の一致および乖離という話にも、昨日に引き続きなった時間があり、それで言えばこちらの文章は「おじいちゃん」だと、その点二人とも一致しているようだ。今はまだしも、ほとんど話すような調子で書いているので、多少ポップにと言うか、軽めになったと思うが、Hさんが言うには、「雨のよく降るこの星で」を正式なタイトルと位置づけていた時期、朝から晩まですべてのことを綴るのではなく断章形式でその日見たものや天気のことだけを書いていた時期が、一番「おじいちゃん」だったと言う。まあわからなくはない。
 黒田夏子。最近新しいものが『新潮』だか『群像』だかに掲載されていた。Hさんは、『感受体のおどり』がフェイヴァリットである。こちらもあの作品はなかなか好きで、『abさんご』と合わせてもう一度読み直しても良いと思っている。新しく掲載されていた篇は、何かリズムや音調などにMさんを思わせるものがありましたよと報告。Mさんも、「偽日記」で冒頭を読んだ時、何か同族めいた匂いを感知したらしい。『abさんご』のほうが平仮名へのひらきがより過激で、前衛的で、などと説明する。
 最近こちらは短歌を作っている。それを受けてMさんが引いたKREVAの言葉に、フリースタイルラップをやる時の心構えとして、「言葉の引き出しを半分開けておく」というのがあると。それは俺、わかるんよな。こちらも、音やリズムに導かれて言葉が出てくるというのは、短歌を作ってみてよくわかる感覚だ。
 覚えている話はそのくらいである。最後のほうで、明日はどうするかという話し合いをした。Mさんは予定なし、こちらも同様である。何か目ぼしい美術展はあるかとこちらもちょっと調べてみたのだが、どうも会期と会期のあいだに当たっているところが多かったのだ。話しているうちに、服を見るのは良いかもと案が出た。Mさんは東京を発つ前にABCマートに行って、白のスニーカーを買いたいと言う。ここ二日は喫茶店ファミリーレストランに籠って話をしてばかりだったから、外を歩くのも良いのではと。そうすると候補としては、新宿御苑、上野、代々木公園などが出たあとに、立川にも昭和記念公園がありますよとこちらが提案すると、立川、良いのではという空気になった。Hさんもちょうど武蔵小杉に出て買い物をするつもりだと言い、それならば南武線で立川まで来ることも出来る。それで午後から昭和記念公園を散歩して、夕方から駅ビルで服を見ようとそう決まった。
 この二日、Mさんの話しぶりに接して抱いた印象を記しておくと、まず、実によく喋る人間である。会話が途切れることがほとんどなく、話題がぽんぽんと出てくる。また、相手が話している最中に適宜差し挟まれる相槌や質問のリズムが良く、結構細かく差し入れるにもかかわらずそれが語りのリズムを乱すことがない。こちらだったら、うん、うん、と聞きながら相手の話が途切れるのを待つところを、Mさんは瞬発性高く自分の言葉を挟んで行く。こちらは待って、後手に回り、相手に思う存分喋らせるタイプなのだ。Mさんが話題をどんどん繋いでいけるというのは、そこで話されている事柄の意味の射程、その広がりを感知する能力と、その圏域に含まれ適した事柄を自分の脳内から検索する能力に長けているのだろう。そうして考えてきた時に、彼は、会話も一種のテクストとして読んでいるのではないかという印象を持った。その場合、話題を繋ぐというのは、会話というテクストのなかに自ら新たな文言を書き入れていくということになろう。そのようなテクストとしての会話形成能力が高いのだ。
 退店したのは九時頃だっただろうか。駅まで戻り、階段を下る。Hさんは丸ノ内線に乗ると言うのでそこで別れ、Mさんと二人で改札をくぐる。ホームへ階段を上がりながら、昨日風呂場で、今まで見たなかで一番金玉のでかい爺がおった、とMさんの滑稽な報告を聞く。電車がやって来るまでちょっと話して、それぞれの方向へと別れた。電車は満員だった。四方から狭い空間に押し込まれながら辛うじて携帯電話を取り出し、ぽちぽちとキーを操作してメモを取る。満員電車のなかで苦闘しながら文庫本を読む人間など見てよくやるものだと思っていたが、自分も我ながらよくやるものだった。武蔵境あたりからスペースが生まれて楽になったのだったと思う。立川で乗り換え。青梅行きのなかでもメモを取り、奥多摩行きへの乗り換えはすぐだったと思う。最寄りからの帰路も折に触れてメモを取りながら帰宅。父親に挨拶。その後の入浴も前日と同じく携帯とともに入り、出てくると両親は下階に下って居間は無人だった。腹が減っていたのでシーフード・ヌードルを用意し、自室に戻るとそれを啜りながらSさんのブログを読んだ。そうして零時半から日記。一時間弱書いたあたりでじきに目がひりつくようになってきたので、今日は眠れそうだなとそこで切り上げることにした。一時半就寝。


・作文
 5:20 - 7:23 = 2時間3分
 11:26 - 11:56 = 30分
 24:35 - 25:26 = 51分
 計: 3時間24分

・読書
 7:55 - 8:53 = 58分
 11:58 - 12:26 = 28分
 13:23 - 14:12 = 49分
 23:46 - 24:00 = 14分
 計: 2時間29分

  • 「舞台袖の記憶」; 「2019/02/05」
  • 2018/2/6, Tue.
  • 2016/8/3, Wed.
  • 「記憶」; 26 - 40
  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 35 - 48
  • 「at-oyr」: 「1985」; 「Shinedoe」; 「Bring on the night」; 「古い写真」; 「塔」

・睡眠
 4:20 - 5:00 = 40分
 9:00 - 11:15 = 2時間15分
 計: 2時間55分

・音楽