2019/2/13, Wed.

 六時前に一度目覚める。まだ部屋は薄暗い。コンピューターの前に行き、インターネットを閲覧したあと、六時三五分から読書を始めた。岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』。最後まで読み終え、その後そのまま小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』に入ったのだが、ここでまたしても読書時間の終わりを記録しないままに力尽きて、眠ってしまった。おそらく七時半頃までは読んでいたものとして考える。そうして断続的に眠り続け、気づけば一一時半である。せっかくの早起きが台無しだ。外は曇り。ダウンジャケットを着たまま眠っていた。それで部屋を抜けて上階に行くと母親は不在、メモ帳には一言「パーマ」とある。台所に入ると、「ルクエ」のスチーム・ケースに野菜と豚肉が仕込まれてあり、ほか、茄子の味噌汁が僅かに残っている。スチーム・ケースを電子レンジで温め、もう固くなった米と味噌汁をよそり、ゆで卵も持って卓へ。ものを食べ、皿を洗って薬を飲むと、チョコレートアイスを一つ齧りながら下階に下りた。そうして前日の記事を僅かに書き足し、完成させると、FISHMANS『Chappie, Don't Cry』を流しはじめ、ブログに投稿。ちなみに前日のアマゾンのクリック数は四四で、前々日の二九九がやはり異常だったと言うか、何故そんなにクリックされたのかわからないが、尋常に戻ったというところだろう。しかし、いくらたくさんクリックされてもそれだけでは紹介料は入らないのであまり意味はない。それからここまで日記を綴ると、一二時半である。今日は遅くまで眠ってしまって時間もないし、散歩は怠けようかと思う――そうするとそれだけで一〇〇〇字か二〇〇〇字は書くことが少なくなってしまうわけだが。
 日記の読み返し。一年前はどうでも良いことしか書いていない。過去の日記は二〇一六年七月三〇日、この日はWの結婚式の日で、周囲の日々から際立って長く、一五〇〇〇字ほども綴っている。東京駅周辺のビルを頂いての感慨――「青空に向けて角ばったビル群が、まるでかえって間抜けたような高さへの執着ぶりで、巨壁のように並び突きだし、そびえている」。「かえって間抜けたような高さへの執着ぶり」という点に、二〇世紀的な野放図な垂直性の志向への皮肉な視線が籠められているようだ。また、次の部分にも大したものではないが、ちょっとした批評的な観点が現れている。「駅まで行く道中でカフェ店員が、先ほどの純情じみた女子の前を行く背を示しながら、皆変わっただろ、とか訊いてくるのに、そうか、と疑問符付きの留保を返した。以前にも記した通り、こうした場における変わった変わらないの言葉は、一次的な意味合いにおいては非常に粗雑で人間の複雑さを矮小化するものなのだが、この発語の眼目はそこにはない――そのどちらが口にされるにせよこれらの語の事実上の機能は、過去とのあいだにひらいた時の積み重なりに対する曖昧な感傷の共有を図るというもので、その点においては両者の差はなく、そうした大雑把な感情の共有には自分は端的に興味がない。むしろこの女子について言えば、数年ぶりに顔を見たのだが、化粧をきちんと施したその顔作りが高校の時と全然変わらないように見えるなと、その点に少々の驚きを得たものだ」。
 そうして一時一五分、隣室からギターを持ってきて弾きはじめた。と言うのは、一七日にTらとともにスタジオ入りをすることになっているところ、"(……)"という彼女の曲を演ずるようなので、多少は弾けるようにしておかないといけないかと思ったのだ。正直なところ、面倒臭いが、真面目にフレーズを考えてしまうあたり律儀な自分である。それでコンピューターに以前貰ったワード・ファイルの、コード進行表を映し出して、それを見ながらアルペジオなどを考え、多少音源に合わせて確認したりもしたが、一弦の切れておりフレットには錆が蔓延しているギターで、アンプにも繋がずにやっているのだから不充分極まりない。それでも一時間ほどギターに触れて過ごして、最後は隣室に入ってローランドの小さなジャズ・コーラスに繋いでちょっと遊び、それから何となく、何をやる気も起きなくて上階に行った。何となく風でも浴びようかとベランダに出る。眼下の梅の木は花をつけて、蕾の紅色と泡のような白とが交錯している。二つ隣のHさんの家の煙突からは煙が空中に向けて湧き出ている。風は少々冷たいようだった。しばし佇んでからなかに戻り、何となくヨーグルトを一つ食べ、これも何となく、腹が減ってもいないのに仏間からアーモンドの小袋を一つ取ってきて、ソファに座り、右の手のひらに豆を少しずつ取り出してはその手を口に持って行き、一気に口中に入れてばりばりと食べる。そうして食べ終えてしまうと何となく玄関を抜け、すると母親がすぐそこにいた。掃き掃除か何かしていたのだろうか。すぐに一緒になかに戻り、その際に風呂はと言われてまだ洗っていないのを思い出し、浴室に行ってブラシを操った。それから、今日俺は夕飯にレトルトカレーを食うと宣言しておき(以前セブンイレブンで買ってきたものが一つ残っていたのだ)、炊飯器の釜からもう固くなった米の残りを皿に取り出しておき、新たに四合を磨いで六時半に炊けるようにセットしておいた。そうして室に戻って三時半、fuzkue「読書日記(121)」を読んだのはこの時だったか、それとも過去の日記と一緒だったか。そのほか、「ウォール伝」やUさんのブログを読んで、そののち、既に読了した岡本隆司『中国の論理』を大雑把に読み返して、書抜き候補となる箇所を読書ノートにメモしていった。すると四時五〇分、残り一〇分を「記憶」記事の音読に使い、五時を回ると食事を仕込みに行った。炬燵に入ってタブレットなりスマートフォンなり弄っている母親が、モヤシを茹でてくれと言う。それでフライパンに水を汲んで火に掛け、モヤシは笊にあけて洗っておき、沸騰を待つあいだに小野寺史郎『中国ナショナリズム』を持ってきて目を落とす。清朝の複元的統治構造について。例えばチベットに対しては皇帝は文殊菩薩の化身、仏教の保護者としての地位を得、現地を統治するダライ・ラマ政権とは、チベットを僧侶、清を施主と見立てて共存していた。そうして湯が沸くとモヤシを投入し、また少し文を追ってから笊に開ける。そのほか、薩摩芋を煮ようということになり、三つ取って皮を剝いて水に晒した。その一方で母親はスライスした蓮根をフライパンで炒めはじめており(ごま油を用いる)、薩摩芋を切ってしまうとそのまま調理台の前を横にスライドしてごく自然にフライパンを受け持ち、蓮根を炒める。豚肉もそのうちに投入され、しばらく炒めてから醤油などで味付け。それからさらに、薩摩芋も火に掛けられた。台所に立ち尽くしてこちらは本を読みながら煮えるのを待っていると、母親がSNSってauメール、とか何とか聞いてくる。知ったことではない。確認すると、SNSではなくてSMSのことだった。料理教室の先生にメッセージを送りたいのだが、それにはアプリをダウンロードしなければならないとか何とか、こちらにもよくわからなくて母親の質問がわかりにくいこともあって苛々したのだが、操作してみて結論として、相手が招待に応じなければメッセージは届かないのではないかと穏当なところに落ち着いた。その招待のメッセージそのものがそもそも相手に届いているのかどうかも定かではないのだが、電話番号がわかっていればメッセージは送れるはずだから、多分届いているはずだろう。それならば相手がそれを確認するまで待ち、一向に音沙汰がないようだったら電話を掛けるなり実際に会った時に直接話すなりすれば良いだろうとまとまって、こちらは下階に下りた。そうして、Enrico Rava『Tati』をバックに日記をここまで綴って六時である。前日に読んだErnest Hemingway, Men Without Womenから英単語をメモしておきたい。

  • ●20: The gypsy was walking out toward the bull again, walking heel-and-toe, insultingly, like a ballroom dander, the red shafts of the baderillos, twitching with his walk. ――ballroom dance: 社交ダンス
  • ●21: He reached in the leather sword-case, took out a sword, and holding it by its leather scabbard, reached it over the fence to

Manuel. Manuel pulled the blade out by the red hilt and the scabbard fell limp. ――scabbard: 鞘 / hilt: 柄 / limp: ぐにゃりとした

  • ●22: Who were these bullfighters anyway? Kids and bums. A bunch of bums. ――bum: 与太者、能無し
  • ●22: 'I dedicate this bull to you, Mr President, and to the public of Madrid, the most intelligent and generous of the world,' was what Manuel was saying. It was a formula. ――formula: 決まり文句
  • ●22: Standing still now and spreading the red cloth of the muleta with the sword, pricking the point into the cloth so that the sword, now held in his left hand, spread the red flannel like thejib of a boat(……)――prick: 穴を開ける、刺す / jib: 三角帆
  • ●23: (……)bull's horns. One of them was splintered from banging against the barrera. The other was sharp as a porcupine quill.――porcupine: ヤマアラシ / quill: 針

 それからMen Without Womenの続きを読んだ。邦訳を参照しながら三頁。ちびちびと読んでいる。この日はメモする英単語がなかった。そうして、まだ腹があまり減っていなかったので、引き続き小野寺史郎『中国ナショナリズム』を読み進める。そうして七時半前になって上階へ。母親は既にものを食べ終わったところで、父親が帰ってくるので風呂に入ってしまうと言った。実のところこちらは、やはり腹が大して減っていなかったので先に入浴しようと思っていたのだが、それではと譲って、レトルトカレーを温めるために水を入れた鍋を火に掛けた。沸騰を待つあいだにサラダ(モヤシにワカメやら何やらが混ざったもの)をよそり、蓮根と薩摩芋を温めて卓へ、下階から『中国ナショナリズム』を持ってきて読みながら食べていると、風呂に入る間際に母親がレトルトパウチを鍋に加えて行ってくれた。それでしばらくものを食べ、文を追いながら待って、そろそろ良いだろうというところで台所に立ち、鍋からパウチを鋏で挟んで取り出し、上下を入れ替えて正しい方向に整えると、鋏で袋の口を切って大皿に盛った米の上に注いだ。彩り野菜の入ったカレーである。本を読みながらそれも食べると、薬を飲んで皿を洗った。その頃には母親が早々と風呂を出てきたが、父親はまだ帰ってきてはいなかった。しかしこちらは風呂を彼に譲るつもりで下階に下り、八時過ぎから「記憶」記事をふたたび読んだ。蓮實重彦のバルト論の一部や、沖縄関連の記述である。そうして九時前になると入浴へ、湯のなかでは先ほど読んだばかりの記述を頭のなかに呼び起こし、身体を静止させながらそうしているうちに三〇分が経った。上がると台所の台の上にラップを敷いて、その上から白米を盛り、塩昆布を付したそれを握りながら下階に戻り、作ったおにぎりを食べながらMさんのブログを読んだ。一方でLINEでTと、一七日のスタジオ入りについてやりとりをしながら読み、その後日記をここまで綴って一一時前。BGMはJimmy Smith Trio『Salle Pleyel May 28th, 1965』。ご機嫌でファンキーなオルガン・ジャズ。
 LINEでやりとりを続けつつ、一一時過ぎからヘッドフォンを外し、寝床に移って書見。小野寺史郎『中国ナショナリズム』。時折り布団を捲って立ち上がり、LINEに投稿がないか確認しながら読み進める。零時半過ぎまで。そうして就寝。