2019/2/23, Sat.

 三時と五時頃にそれぞれ一度ずつ覚めたように思う。五時頃の覚醒時には意識が相当にはっきりしていて、これはもう眠れないのではないか、起きてしまって本を読んだほうが良いのではないかと思うくらいだったのだが、結局また寝付いたわけだ。そうして例によってだらだらと寝過ごして、射しこむ太陽の眩しさ熱さも甲斐なく寝続け――実際にはずっと睡眠のなかにあったわけではなく、意識がたびたび浮上していながらも起き上がることはできず、間歇的に眠りに沈んではまた浮上するということを繰り返していたのだが――一一時二〇分に至ってようやく起床した。上階へ。寝間着からジャージに着替えると便所に行って排泄。出てくると母親が居間のテーブルに就いてまたタブレットを弄っていた。洗面所に入って顔を洗い、ドライヤーを使って髪を梳かす。それから食事、前日の残り物である。すなわち、茄子と豚肉の炒め物、天麩羅粉を用いたお好み焼き、水菜のサラダ、エノキダケや卵のスープ。テレビは『ドキュメント72時間』を映していた。再放送だろうか、この日の「場所」はどこかのたい焼き屋。様々な人々の人生という物語が断片的に、次々と現れる。なかに紋切り型の発言も時折り聞かれるのだが、文章として単独にそれを読むのとは違って、それを言う人の表情や佇まいといった細部が付随しているからだろう、その紋切り型が紋切り型でありながらも当人にとっては確かに力を持った物語として生きられているということが実感される、そうした意味での「人生」が提示されているこれはなかなか良い番組である。それを見ながらものを食べて、今日も地道に薬を服用し、皿を洗ったあと自室に戻ってきて、コンピューターの速度を取り戻すべく再起動させたのち、日記を書きはじめたのが正午過ぎ、現在は一二時半を過ぎている。BGMはStevie Wonder『Fulfillingness' First Finale』
 その後、一時直前から日記の読み返し。一年前の日記からは冒頭に記された以下の文章がちょっと良いように思われた。

 それでも目を閉じ続けて、八時二〇分になると自ずと覚醒が来た。また一日が始まってしまったか、という思いが少々あり、それはまたあの途切れなく続く思念の連鎖のなかに放り出されねばならない――と言うか、覚醒時から既に放り出されているわけだが――というような思いだった。呼吸をしながら寝床に留まって、時計が一秒を刻む音を聞いていても、時間がするすると流れ去って行き、気づけば一〇分なり一五分なりが経っている。我々は時の牢獄のなかに囚われているのだ、とこんなことを言っては格好付けが過ぎるが、それでも、大いなる時の流れとでも言うべきものがすべてを支配しており、自分自身の行動、思い、その存在さえもがその流れのなかで、そこから逃れようもなく、自動的に押し流され、過ぎ去って行く。例えば、寝床から起き上がろうと思った、あるいは心中にそのような言葉を作ったその意志、その言葉までもが、自分が作り出したものではなく、流れのなかで泡[あぶく]のように自動的に生じてきたもののように感じられるのだ。そのようにして、すべてはただ流れて行き、終末には死が待っているのだが、自分自身にとっての死というものが一体どういうものなのか、我々の誰も決して知ることはできない。

 また、ゼーバルト土星の環』からの以下の記述など。

 ミドルトンの村はずれ、湿原のなかにあるマイケルの家にたどり着いた時分には、陽はすでに傾きかけていた。ヒース野の迷宮から逃れ出て、しずかな庭先で憩うことができるのが僥倖であったが、その話をするほどに、いまではあれがまるでただの捏[こしら]えごとだったかのような感じがしてくるのだった。マイケルが運んできてくれたポットのお茶から、玩具の蒸気機関よろしくときどきぽうっと湯気が立ち昇る。動くものはそれだけだった。庭のむこうの草原に立っている柳すら、灰色の葉一枚揺れていない。私たちは荒寥とした音もないこの八月について話した。何週間も鳥の影ひとつ見えない、とマイケルが言った。なんだか世界ががらんどうになってしまったみたいだ。すべてが凋落の一歩手前にあって、雑草だけがあいかわらず伸びさかっている、巻きつき植物は灌木を絞め殺し、蕁麻[イラクサ]の黄色い根はいよいよ地中にはびこり、牛蒡は伸びて人間の頭ひとつ越え、褐色腐れとダニが蔓延し、そればかりか、言葉や文章をやっとの思いで連ねた紙まで、うどん粉病にかかったような手触りがする。何日も何週間もむなしく頭を悩ませ、習慣で書いているのか、自己顕示欲から書いているのか、それともほかに取り柄がないから書くのか、それとも生というものへの不思議の感からか、真実への愛からか、絶望からか憤激からか、問われても答えようがない。書くことによって賢くなるのか、それとも正気を失っていくのかもさだかではない。もしかしたらわれわれみんな、自分の作品を築いたら築いた分だけ、現実を俯瞰できなくなってしまうのではないか。だからきっと、精神が拵えたものが込み入れば込み入るほどに、それが認識の深まりだと勘違いしてしまうのだろう。その一方でわれわれは、測りがたさという、じつは生のゆくえを本当にさだめているものをけっして摑めないことを、ぼんやりと承知してはいるのだ。(……)
 (W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』白水社、二〇〇七年、171~172)

 それから二〇一六年七月二〇日水曜日の記事も読んでブログに投稿しておくと、多分コンピューターを持ってベッドに横たわり、ちょっと休む時間を取ったのだったと思う(まだ起きてからいくらも時間が経っていないし、ほとんど何の活動も行っていないのに休むも何もないわけだが)。そう言えば、日記の読み返しの前に、Stevie Wonderの曲が流れるなかで、久しぶりに腹筋運動も行ったのだった。筋肉トレーニングを、簡単なもので良いので毎日の営みとして習慣づけたいという思いはある。ひとまず、毎日腹筋運動を出来るようになるか否か、そこが一つの分岐点である。新たな習慣を生活の内に取り込んで、今ある習慣の形を改組するというのはいつも困難だ。
 そうして二時直前になって上階に行った。ヨーグルトを一つ食したのち、さらにカップヌードルを食べることにして、日清食品のカレー味のものを玄関の戸棚から取り出し、ポットを使って湯を注いだ。母親は相変わらず炬燵に入ってタブレットを操作していた。またメルカリでも見ていたのだろう。そうしてこちらはヌードルを持って階段を下り、自室に帰って、Mさんのブログを読みながら麺を啜った。Mさんの日記はいつもそうだが、短く書かなくてはと本人が繰り返し口にしているにもかかわらず、実際に仕上がっている記事の姿形は充分長いものになっているという、その裏切りのさまが可笑しい。もはや、我々日記作家は所詮、短く書くことなど許されない星の下に生まれついてしまったのだと諦めるほかないのではないか? それで五〇分を掛けて二つの記事を読み(合間に上階に上がってカップヌードルの容器を洗い、両手でぎゅっと押し潰して始末した)、三時過ぎからJunko Onishi Trio『Glamorous Life』を流して「記憶」記事を音読した。中国史の知識である。六一番から七一番まで読むと二四分が経過、それから日記を書き足しはじめたが、僅か一〇分で現在時まで追いついてしまった。今日は散歩に出ていないので書くことがあまりない。それだとやはりちょっとつまらないような感じがしないでもない。散歩に出ても良いのだが、既に四時前、太陽も西空に低くなって陽の感触ももはや少ないだろう――それでも悪くはないが――あるいはいっそのこと、いつもと趣向を変えて、日が暮れて宵闇の忍び寄る黄昏時にこそ散歩に出てみようかとも思わないでもないが、昼間の朗らかな陽光の下と違って、視界が明るくはっきりとしないだろうから、その場合はあまり書くことは見つからないのではないか。
 それから、fuzkueの「読書日記(123)」を読む。以下の描写が何だかわからないがちょっと良いように感じられた。

 僕は丸椅子に座って周囲は靴が並んでいたりガラスケースがあってガラスケースは乱雑で上に靴のクリームが置いてあったり発送伝票が何箇所かにあってインソールが積み重ねられたりもしている。像の置物や貝殻、なんなのかわからない置物が並ぶというよりは置かれていて僕はベルンハルトを取り出して開いた、靴屋さんの匂いが立ち込めていてクリーナーを塗った布で靴を磨く音が小気味よく、高く低く音程を変えながら絶えず鳴っていて続きに部屋があるらしく小さく小さくテレビの音が聞こえてくる、ガラスを隔てた外の道路は行き交う車の音、子供の声、電車が通る音が聞こえる。おじいさんはワンフレーズだけ鼻歌を歌うと一度立ち上がってこちらの側に来て何か塗るものを探し当ててまた元の位置に戻って靴磨きを再開して、本の中では食堂に人がひしめき合っている、土木技師が周囲の人間からの尊敬を集めていて皮剥人はどこまでも寡黙だった。

 視覚的及び聴覚的対象の素朴な羅列といった感じなのだが、それでもこの場の雰囲気が香り立ってくるような感覚がある。聴覚的刺激を描写していく部分の終盤に、店の外の物音が「車の音、子供の声、電車が通る音」と装飾を排した簡素な形で取り上げられているが、そうした言葉少なな列挙でも充分な喚起力があって、この程度の描写でも良いのだなと思った。SさんもそうだがA氏の描写もスマートで、彼らのそれに比べると自分の描写などは堅苦しく、かなり野暮ったく感じられるような気がする。また、全体の終盤の、ものを取りに来た「おじいさん」が持ち場に戻って靴磨きを再開するところから読点を挟んだのみで「本の中では食堂に人がひしめき合っている」とベルンハルトの著作へと視点を一挙に移す、その転換も良い。
 「読書日記」のあとは「ワニ狩り連絡帳2」もちょっと読み、四時半。BGMとしてはJunko Onishi『Tea Times』を流していた。それからTwitterでフォローをちょっと増やしておき、五時になる前に上階に行った。肉じゃがを作ろうと母親は言う。台所には人参が中途半端に切られてあった。そうして玉ねぎを切り分けるあいだ、母親が話すのはE.Rさんのことである。この人はこちらの同級生の母親で、こちらの母親とも仲良くやっている地元の友人の一人なのだが、彼女は個人で結婚相談所を運営しており、その仕事で我が家の近くまで来る用があったところ、母親に迎えに来てくれないかと連絡があったというような話だった(Eさんは車を運転しないのだ)。それで実際母親は足を提供したのだが、そのお礼としてEさんは「泉屋」のクッキーをくれたのだった。さらには、彼女の活動は今では結構広く周知されており、榎戸さんが持ってきたものだろうか、西多摩新聞でも取り上げられていると言って母親は新聞を見せてくる。こちらはそれを読みはしなかったものの、母親が聞かせたところでは、Eさんは視覚障害者の人々を結びつける仲人のような役割も果たしており、そうした仕事をしているのにはやはり、息子であるAくんが視覚障害者だったという点が大きかったような話だ。そんなことを聞きながら玉ねぎを切り、ジャガイモの皮を剝いてこちらも切り分け、そうしてフライパンで炒めはじめた。一方で母親は玉ねぎやエリンギを入れたスープを仕込んで、小鍋をこちらの炒めているフライパンの隣の焜炉に置く。こちらはフライパンに豚肉も追加して炒めるものを炒めると、水を注いで一旦場を離れ、風呂を洗うのを忘れていたのでここで洗った。それから卓に就いて新聞を読む。国際面――極右の台頭が見られる欧州で反ユダヤ主義の風潮もまた強まっているという話題があった。フランスとドイツでは二〇一八年度の(だったと思うのだが)反ユダヤ的な犯罪が前年比(だったと思うのだが)で七割増だという話だった。アルザス地方では墓石に鉤十字のマークを落書きされる事件があったと言う。ひどい侮辱をするものだ。それを読んでからふたたび台所に入ったが、肉じゃがも汁物も既に味付けをされたあとで、こちらがやることはなくなってしまったので下階に戻った。時刻は五時半前、まず「記憶」記事から中国史の知識を確認、一項目につき二回ずつ音読する。それで一五分過ごしたあと、ベッドに移って窓を開け、久しぶりに瞑想を行った。いい加減な半跏趺坐の姿勢を作り、目を閉じて、鼻からゆっくりと呼吸する。息を吐き尽くしたところで呼吸の動きをしばらく止めたあと、身体を解放するように空気を取り込む、ということを繰り返す。しかしそうして瞑想していても――幽かな心地良さのようなものを感じたような気もしたが――、やはり以前のような精神状態や身体感覚の変容は起こらなかった(窓の外から淡い鳥の声)。それでやはり駄目だなと目を開けると一〇分ほどしか経っていなかった。それから読書、神崎繁・熊野純彦・鈴木泉編集『西洋哲学史Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』納富信留パルメニデス」を読み進める。パルメニデスの「ある」についての一元論がその後のギリシア哲学の思索を生んだと言うか、彼の思想に対する多種多様な応答としてその後の思想家たちの論を見ることができると。その次に、木原志乃「エンペドクレスとアナクサゴラス」にも入る。火・空気・土・水の四元素=四根に、愛・憎(争い)の結合・分離作用の六つの原理によって世界が成り立っているというのがエンペドクレスの考え方であるらしい。七時半まで書見を続けると、食事を取るために部屋を出た。階段を上って行き、台所に入って品々を皿に用意する。白米・肉じゃが・玉ねぎとエリンギと豆苗の汁物・タコサラダドレッシングの絡められたサラダである。加えて母親がホタルイカを持ってきてくれたが、これは少々生臭いような感じで、それほど美味いものでもなかったのでこちらはちょっと口をつけてあとは良いとなった。テレビは最初、何だかよくわからない、どうでもよくくだらないようなバラエティを映し出していたが、母親がチャンネルを変えると『ブラタモリ』が流れはじめた。舞台はパリである。タモリたちは地下施設のなかに入って行って、そこに露出している石壁を叩いて検分している。それは石灰岩なのだと言った。太古の時代には今パリがある土地というのは海の下に沈んでいて、貝殻が堆積したことによって石灰岩が形成された、それがパリの都の壮麗な石材建築を支える供給源になった。すぐ足もとを掘ればいくらでも材料が手に入るのだから便利で楽だという話だ。日本の石灰岩はプレートの圧力の関係で硬く締まっていて加工がしにくいらしいが、パリのそれは粗いもので細工がしやすいということで、その対比は握り寿司と硬い餅の類比に喩えられていた。その後、こちらがものを食べ終える頃には番組の舞台はモンマルトルの丘に映る。一九世紀から二〇世紀に掛けて数々の芸術家が集った土地である。タモリたちが街を歩いていると段々といかがわしいような店が増えてきて、そのなかにムーラン・ルージュの赤くけばけばしい建物が現れるのを、こちらは皿洗いをしつつ台所から見ながら、ムーラン・ルージュというのは確かルノワールが描いたキャバレーではなかったかと思い出した。そうして皿を洗い終えるとこちらは風呂に入る。湯のなかではthe pillows "Juliet"が頭のなかに巡った(この朝、起き抜けにも巡っていて日中に一度流したのだ)。出てくるとおにぎりを作り、冷やしておいた三ツ矢サイダーとともに持って自室に下り、飲み食いしたあと日記を書き出したのが九時直前だった。Junko Onishi『Tea Times』を背景に思いの外に時間が掛かって、現在は一〇時直前を迎えている。
 Ernest Hemingway, Men Without Womenの書見。"Hills Like White Elephants"を読み終え、"The Killers"に入りこちらも最後まで。"The Killers"は全体的に比較的わかりやすく、意味の不明なところはあまりなかったので、翻訳の練習としてこれを訳してみるのも良いかもしれない。書見は一時間、一一時まで。それからコンピューターを寝床に持ち込んで遊んだあと、零時四〇分からふたたび読書。神崎繁熊野純彦・鈴木泉編集『西洋哲学史Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』。木原志乃「エンペドクレスとアナクサゴラス」を読み進める。二時まで。最後のほうは例によってまた意識を失っていたような気がする。眠気にやられて乱れた字で手帳に読書時間を記録したのち、そのまま歯磨きもせずに就床した。


・作文
 12:12 - 12:35 = 23分
 15:29 - 15:43 = 14分
 20:56 - 21:52 = 56分
 計: 1時間33分

・読書
 12:56 - 13:16 = 20分
 14:01 - 14:49 = 48分
 15:05 - 15:29 = 24分
 15:56 - 16:35 = 39分
 17:27 - 17:42 = 15分
 18:11 - 19:29 = 1時間18分
 22:00 - 23:01 = 1時間1分
 24:41 - 26:00 = 1時間19分
 計: 6時間4分

  • 2018/2/23, Fri.
  • 2016/7/20, Wed.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-02-20「詩の中で歌の中で呼びかけるあなたのことを誰とも知らず」; 2019-02-21「家出した天使が路地の暗がりで口ずさんでいるあれはバッハだ」
  • 「記憶」: 61 - 71; 72 - 80
  • fuzkue「読書日記(123)」: 2月5日(火)まで。
  • 「ワニ狩り連絡帳2」: 「2019-02-07(Thu)」; 「「仰向けの言葉」堀江敏幸:著」; 「2019-02-08(Fri)」; 「2019-02-09(Sat)」
  • 神崎繁熊野純彦・鈴木泉編集『西洋哲学史Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』: 70 - 120
  • Ernest Hemingway, Men Without Women: 41 - 53

・睡眠
 1:10 - 11:20 = 10時間10分

・音楽

  • Stevie Wonder『Fulfillingness' First Finale』
  • Junko Onishi Trio『Glamorous Life』
  • Junko Onishi『Tea Times』