2019/2/26, Tue.

 色々と夢を見たが、ほとんど覚えていない。夢と現のあわいのような空域で、鮮明な音楽が頭のなかに流れていたのは覚えている。Robert Glasper的な要素のあるジャズ風の音楽で、実によく整っていたのだが、夢のなかで聴く音楽というのはいつもどうしてああも完璧なのだろうか。一〇時頃になると意識がはっきりしはじめた。窓の外には何か、機械のエンジン音が聞こえていた。最初は父親が今日は休みで、耕運機でも働かせているのだろうかと思ったのだが、じきにインターフォンも鳴り、複数の男たちの話し声も聞こえて、どうも違う。多分市役所の職員、梅の木関連の仕事だろうと推し量った。我が町、梅の里青梅は、その名の通り梅が多いのだが、プラムボックスウイルスというのが何年か前から流行って、その調査に時折り職員が訪れることがあるのだ。それにしても機械音は何をしているのかわからない、何か樹皮を切り取ったりしてサンプルの採取でもしているのだろうかと想像しながら、男たちの気配が消えるのを待った。そうして一〇時一五分頃起き上がって、上階へ。母親は書き置きによると着物リメイクの仕事が一日あって、さらに、梅の薬を散布するので洗濯物は外には干せない、とあって、それで先ほどの音の正体がわかった。台所に入ると弁当が作られてあり、小鍋には豚汁もある。弁当を電子レンジに突っ込み、焜炉を点火しておいて、食事を温めているあいだに便所に行って放尿した。そうして戻ってくるとそれぞれを卓に持って行き、新聞を読みながら食事を取る。沖縄の県民投票について識者三人が見解を表明した「論点スペシャル」の特集を読み、食べ終えると薬を飲んで皿を洗った。そうして下階へ。コンピューターはなぜか、凄まじく動作が遅くなっていた。再起動にたどり着くまでにも結構な時間が掛かったほどだ。しかし一度電源を落として復活させると、途端に速度を復活させる。それでインターネットを回ってから、一一時四〇分頃から日記を書き出した。前日の分は書くことがたくさんあるだろう、面倒である。
 一二時四〇分で一旦中断。散歩がてらコンビニに行くことに。財布と鍵をジャージのポケットに入れて出発、雲がちな空だが空気に冷たさはない。曇っていてもこの程度の気温、大気の質感ということはもうだいぶ春が迫ってきたなと思う。道の先には男子中学生らの姿。市営住宅前まで来て左方の、一段下ったところの住宅の敷地、棟の前のスペースを見下ろすと、ここでは女子中学生が何か赤く小さなボールを蹴りながら、嬌声を上げて遊んでいた。十字路のところの掲示板で、釜の淵の会館で行われるクラシック・コンサートのポスターを見分する。二〇〇〇円だか三〇〇〇円だかだった。ピアノとクラリネットのデュオ。見に行ってみても良いかもしれない。そうしてふたたび歩き出すと前方では中学生らが奇声を上げながら坂を上って行く。こちらもそのあとを通って行くと、坂を上りきったあたりで市役所の職員とすれ違う。おそらく我が家にもやって来た人々であろう、小さな台車の上に薬剤の入った容器を置いて数人で転がしながら移動しており、容器からはホースのようなものが伸びていた。裏路地を通って行って街道へ、ガソリンスタンドは客が入っている。道路を挟んで先の裏通りのほうから、犬が執念く鳴き募る声が聞こえてくる。そうしてコンビニ。入店。籠を取って、まず飲むヨーグルトと豆腐を確保。それからアイスやポテトチップス。会計をしている左方のレジの後ろに就いて待っていると、右方の、もう一つのレジが空いて若い女性が呼んでくれたのでそちらに。無言で籠を置き、取っ手を両側に広げて下ろすと店員はありがとうございますと答えた。一万円と一八円を出す。女性が品をビニール袋に詰め終えて渡してくる時も無言で受けたが、釣り銭を貰う段になって、札や小銭を出してくるのを、はい、はい、と言いながら受け取り、ありがとうございますと礼を言って退店した。帰路は同じ道を辿る。特段の印象はないので省略。
 室へ帰って買ってきたアイスやポテトチップスを食う(結構堕落した食生活である)。そののち、二時過ぎからふたたび日記。BGMはSuchmos『THE BAY』。時折り口ずさみながら進め、三時四〇分に至ってようやく前日の記事を終わらせることができた。引用を含んで一万三千字ほど。そこそこ長いが、Sさんらと会った日の記事に比べればさほどでもないのに、やはり長く、疲れたように感じた。あの日の自分のパワーとスピードは一体何だったのか、三万字弱をほとんど一晩で仕上げてしまったわけだが、それだけ興奮していたということなのだろうか。その後、四時一五分から読書、神崎繁・熊野純彦・鈴木泉編集『西洋哲学史Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』。しかし実際に読んでいたのは一五分くらいで、ベッドに入っており、じきに目を閉じて、しかし意識は失わないままに、眠りに入りたいようなのに眠れないといった領域で長く休んだ。母親そのうちに帰宅。こちらは気づくと五時を越えていた。五時半頃まで休んで上階へ。風呂を洗っていなかったのでまず洗う。そうして台所に出ると母親もそこにいて食事の支度を始めている(モヤシを茹でていた)。米を炊くようだと言うので、こちらは笊を持って玄関に行き、戸棚を開けて米を三合半、計量カップで笊に注ぎ入れる。そうして米磨ぎ。冷たい流水に右手を晒しながら行う。それでセットしておくと、餃子を焼くらしかったが、それやあとの支度は今日は母親に任せてしまうことにして自室に下り、ベッドにコンピューターを持ち込んでだらだらと時間を潰した。そうして七時。そこからちょっと、fuzkueの読書日記を呼んだり、日記の読み返しをしたり。七時半を過ぎてから食事を取りに。父親、帰宅しているので階段を上りながらおかえりと。ポテトチップスを食ったためにさほど腹が減っていなかった。それで餃子や米や豚汁やを少なめに用意し、卓に就き、海外の僻地に住む日本人を紹介する番組を見ながら食べる。この日の人はイルクーツク日本語教師の女性。特段に印象に残ったことはない。父親は便所に行ったあと、卓に就いて血圧を測り(左腕を前方にまっすぐ伸ばして機器に挿入している)、それから風呂に行ったが、風呂が沸いていなかったと戻ってきた。先に食事を取ると言う。その頃にはこちらはさっさと食べ終わっていて、父親が品々を用意する横で皿を洗い、そうして下階に戻ってきた。それで日記を綴って八時半。今日は既に三時間ほど文を記した。
 小沢健二『LIFE』から三曲目、"東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー"を流して歌う。そのまま次の"いちょう並木のセレナーデ"も。そうして音楽の流れるなかで、他人のブログを読む。それで九時過ぎ。最後に"流星ビバップ"を歌って入浴へ。洗面所に入り、洗濯機の上に寝間着に下着を置いて服を脱ぐ。ジャージも洗濯機の上、寝間着の脇に置いておき、そうして浴室へ踏み入る。湯に浸かるあいだ身体を水平に近くして静止し、目を閉じて沈思黙考したが、しかし何を考えたのかは覚えていない。もっと思考力と記憶力が欲しい身だが、しかし地頭の良さというのはもうこれ以上は開発されないだろう。しばらくすると立ち上がって浴槽の縁を跨ぎ越し、頭を洗う。シャンプーをつけた頭をがしがしと指の先で擦り洗って、シャワーで流し、そのまま身体も洗うと脱浴。身体を拭き、寝間着を着て頭を乾かして出てくると、モナカアイスを持って自室に帰った。アイスを食べてからすぐに、Ernest Hemingway, Men Without Womenの書見に入った。ベッドに移って辞書を繰りまた邦訳を時折り参照しながら、"Che Ti Dice La Patria?"を読み進める。英単語のメモはこの時はしなかった。本当は、語彙力を高めたいならばやはり、単語帳を作ってそれを繰り返し確認するのが良いのだろう。大学生の頃はEvernoteに英単語リストを作っていた――またそれと同じことをやろうかともちょっと思ったのだが、やはりそのような受験勉強的な手法を取るのは面倒臭い。面倒臭いと一度思い出すと、読書ノートに調べた英単語をメモする程度のことでも面倒臭く思われてきて、この日はそれもしなかったというわけだ。しかしやはりそのくらいのことはしたほうが良いのかもしれない――あるいは、ペーパーバックの本体に赤線を引いて、読む都度にそれらの語彙を復習するという方法も考えられるが、どれが良いのか決まりきっていない。四〇分ほど読み進めると、今度は神崎繁熊野純彦・鈴木泉編集『西洋哲学史Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』を読みはじめたが、この本の書見は二〇分程度で中断されて、一一時になる前には力尽きていたはずだ。気づけば一時が迫っていた。それで起き上がる気力もなかったので、歯磨きもせずにそのまま就寝。多分二〇分かそこらで寝付いたと思う。


・作文
 11:37 - 12:41 = 1時間4分
 14:09 - 15:40 = 1時間31分
 20:12 - 20:32 = 20分
 計: 2時間55分

・読書
 16:14 - 16:30 = 16分
 17:48 - 18:02 = 14分
 19:08 - 19:35 = 27分
 19:59 - 20:11 = 12分
 20:48 - 21:06 = 18分
 21:51 - 22:32 = 41分
 22:34 - 22:55 = 21分
 計: 2時間30分

・睡眠
 3:10 - 10:00 = 6時間50分

・音楽

  • Rafael Kubelik; Czech Philharmonic『Smetana: My Country』
  • Suchmos『THE BAY』
  • 小沢健二『LIFE』