2019/3/7, Thu.

 七時に仕掛けたアラームで一度覚めて、結構はっきりとした意識だったのだが、即座にベッドに戻ってしまい、起きようかどうしようか逡巡しているうちにふたたび眠りに落ちて、その後は例によってだらだらと、覚めているのに起き上がれない時間を過ごし、布団の滑らかな感触のもたらす安穏さのなかにとどまり続けてあっという間に一時に達した。睡眠時間というかベッドにいた時間は一一時間四〇分にも及ぶ。上階へ。焼き芋の香りが居間のなかには満ちている。母親は炬燵に入って食事を取りはじめたところだった。テレビは『ごごナマ』を映しており、島田洋七がゲストとして出演して、質問に答えていたが、まもなく一旦ニュースに移り変わった。ジャージに着替えてから便所に行き、長々と放尿。戻ってきて台所に入ると、前夜の残り物であるマグロのソテーを電子レンジに突っ込み、おでんも加熱して椀に注ぎ込む。ほか、佃煮の混ぜ込まれたおにぎり一つ。卓へ向かい、ものを口に運びながら新聞をひらく。中国の寧夏回族自治区イスラームの統制が強まっているとの記事。皿のものを食べてしまうと、ストーブの上で焼いた薩摩芋(種子島のものらしいが、安納芋かどうかは不明)を手に取り、黒く焦げてぱりぱりになった皮を剝いてかぶりつく。なかなか美味であった(おでんの大根も一晩経って味が染みており、結構味わい深かった)。母親もこれは美味しいと漏らし、ストーブの上で焼いたほうがやっぱり旨味が凝縮されるようで美味いと言う。こちらはその後薬を服用し、食器を洗うとそのまま浴室に入って風呂を洗う。身体を屈めてブラシを動かしながら、「記憶」記事で読んだなかから現代史関連の知識を思い出し、無声音でぶつぶつと呟く。そうして出てくると、「歌舞伎揚げ」の煎餅を二つ持って自室に帰り、ぱりぱりやりながらコンピューターに向かい合って前日の記録を付けた。その後、速度を確保するために再起動。あいだは田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』を瞥見しながら待つ。そうして再起動がなされるとEvernoteをひらき、日記を書き出したその頃には既に二時が目前だった。前日分を仕舞え、ここまで綴って二時半過ぎ。流している音楽はFISHMANS『Oh! Mountain』。ここのところ連日聞いている。
 日記の読み返し、一年前。ブログの更新はストップしたが、その後も断片的にではあるが日記を書く日はあった。この日はO.Mさんの焼香に伺っている。祖母と仲の良かった近所の婦人なのだが、この昨年の三月に橋から飛び降りて自殺してしまったのだ。何を言えば良いのかわからず、焼香に伺った先では大方押し黙っていたようだ。その次に二〇一六年七月八日金曜日の記事。五〇〇〇字か六〇〇〇字ほど。次のような言があった。

 将棋という競技については辛うじてルールを知っている程度なので、羽生善治の打ち手のその独創性、閃きの素晴らしさについてはまったく理解できないのだが、彼はやはり、言ってみれば次元が違う人間なのだろうか。幼い頃からほとんど毎日のように将棋という営みについて考え続けてプロの地位に到ったに違いない人間たちのあいだにあっても、異形際立つ突然変異種なのだろうか。仮に今から自分が生涯の探究対象を将棋に鞍替えして、毎日毎日練習を続けたとしても、羽生善治がきっと見ているはずの盤面の宇宙の有り様を目にするところまでは到らないだろう。同様に、自分はこの生においてThelonious Monkのようにピアノを弾くことはできない、彼がピアノや音楽とのあいだに培っていた関係を我が身のこととして感じることはできない。そうしたことが、自分はひどく恨めしい。どれだけ色々な知識や体験を身のうちに取りこんで己の世界を、己の認識を大きく膨れさせ拡大させていったとしても、自分は結局自分の外に出ることはできない。あまりにも貧しい自分自身のうちに留まるほかないということ、自分の目に映るものしか自分は見ることができないということ、その極々当然の事実が、自分は、ひどく恨めしい。

 それからMさんのブログを読む。三月一日と三月二日の二日分。やはり彼の日記は面白い。大体毎日生徒たち=他者との関わりの機会が多くて外部からもたらされる刺激によって生活の、記述の風通しがよくなっているのは、ほとんど自分と両親しか登場人物の出てこない日記を書くこちらにあっては羨ましいところだ。彼の日記に比べると、自分の日記、自分の生活というのはひどく退屈で単調なものなのではないかという疑念を抱いてしまった。その後、fuzkueの「読書日記」。A氏の文章も、以前彼がその文中に書き付けていた語を取って「シームレスな」と評したことがあるが、細かな読点の使用による独自の文体、独特のリズムが確立されていてこれもまた羨ましいところだ。しかし自分は自分に書けるように書いていくほかはない。何か一つ、徹底性のようなものが欲しい気はするが、その場合自分における徹底性として実現できそうな事柄と言えば、やはり「記録」の一点なのだろうか。とにかく細かく書くこと――しかし一方で、そうした野心に基づいた試みなどもう良いのだ、面白いものを目指さす、だらだらと弛緩していてもただ毎日書けばそれで良いのだ、とそうした心境にも至っている。
 二種類の日記(自分のも含めると三種類)を読んだところで時刻は四時前だった。外は雨降りだが、歩きに出ることにした。上階に行くと母親は例によって炬燵に入ってタブレットでメルカリを閲覧しており、様々な商品が映し出されている画面をスクロールしていた。居間の床の上で脚を伸ばしているこちらに、歩いてくるのと訊くので肯定し、短い靴下を仏間から取って履き、出発する。傘を差して道へ。東の坂の方から下校する中学生二人の姿が見えた。隣家の敷地内、正面玄関の付近には紅梅が咲いている。確か百日紅もあったはずだなと視線を動かしながら過ぎると、敷地の隅のほうに梢の方を伐られてあるのが見つかった。顔を前に戻して進む。アスファルトの上に水が薄く溜まり、そのなかを前方に並び立つ樹々の影が埋めて黒く染めているが、歩みに応じて影は向こうに引いていき、代わりに空の白さがす、す、す、といった調子で手前から奥へと推移していく。中学生らはこちらの背後に近づいてきており、何やらゲームキューブゲームボーイがどうとか話す声が聞こえた。坂を上って行く。ざらざらとした感触をちょっと含みながら痛ましいように長く張られる鵯の声。家屋を建設中のシートの内からはドリルの音。裏路地ではふたたび水溜まりが電柱や電線の黒や空の灰白を映しているのが見られた。郵便局のバイクとすれ違って街道に出る。通りを渡りながら西の先に目を向けると、果ての山の谷間から白濁した靄が湧き出ている。ふたたび裏道へ。墓場の端に咲いた白梅は、点々と花を落として、枝についているのはもう大方、あれは萼なのか花柄というものなのかわからないが、花の散ったあとに残るそれの、鈍い赤茶色になっていた。前方、傘を持っているのに差さずに濡れるがままの老人がいる。傘は左手に持ち、右手にはビニール袋、格好は黒いジャンパーを羽織っていて下は少々くたびれたような真っ白のズボン、帽子も白でその縁から覗いている後ろの髪も白髪に染まっていた。傘を差さないのですか、と口には出さず胸中で問いかけるが、濡れたい気分の時も人にはあろう――多分そんなセンチメンタルな理由ではなかったと思うが。彼の背後に近づくとこちらに顔を向けて来たが、こちらは目を合わせず視線を受けずに明後日の方向を向いたまま抜かして先を行く。道端の庭に生えた裸木の枝先にことごとく空中の色を映しこむ透明な雫がぶら下がって、それ自体が開花を待つ蕾のようである。駅に着くと、階段脇の、あれは何の建物なのかわからないが何らかの事務所のような建物が、何やらシートに囲われて工事をする風情になっていた。街道に出てしばらく行き、車の隙をついて南側に渡って木の間の坂道に折れる。空気に寒さはなく、ダウンジャケットの前を首もとまできっちり閉めていたから温もりが籠るぐらいで、いかにも緩く、軽く暖かな春の雨といった調子だなと、樹々のあいだを下って行きながら思い、「春雨」をテーマとして何か一句作れないかと頭を回したが、形にはならなかった。
 帰宅すると自室に帰り、ダウンジャケットの前を開けて、四時半ぴったりから「記憶」記事の音読をする。一項目につき二回読んで、そうして目を閉じて読んだ内容をぶつぶつと呟いて確認する。一七番から二二番まで、新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』に書かれていた情報を頭に入れると、五時を越えたので上階に行った。階段を上がって居間に出て、母親に、何を作るかと訊くと豚汁でも作ろうかと言う。それで台所に入り、腹が減っていたのでそこにあったロールパンを二つ食べた。そうして玉ねぎ・人参・ジャガイモ・大根・椎茸を用意して切り分けに掛かるが、作業の途中で半端にもヨーグルトを食い、さらにセブンイレブンの三個一セットの豆腐を一つ、皿に出して電子レンジで温め、鰹節と麺つゆを掛けてこれも流し台の前に立ったまま頂いた。それで腹ごしらえは完了、野菜の切断を進めているとじきに母親も台所に入ってきて、人参シリシリというものを作るらしく人参を切り分ける。こちらは大鍋に油を引いて、野菜と豚肉(冷凍の小間切れになったもの)を炒めはじめた。ラジカセからは、あれはおそらく母親が先日ブックオフで買っていたケツメイシだろう、何の面白味もなく、毒にも薬にもならない類の音楽が流れ出す。こちらはその後、鍋に水を注いで煮込みに掛かり、一方で母親が切った人参をフライパンで炒めた。しんなりとしたところで、そこに彼女が溶き卵を加えて、それも搔き混ぜて完成、一度こちらは下階に戻って『ムージル著作集 第九巻』を取ってきた。それで鍋の灰汁を取ったあとは居間の電灯を点け、カーテンも閉めて、ソファに座って本を読み、野菜が煮えるのを待った。台所で母親は何かを切り、つまみ食いをして、音楽に合わせてちょっとメロディを口ずさみ、ほかには汁物に粉の出汁を振りかけているらしき音も聞こえてくる。そのうちに電話が掛かってきた。母親が出た時に子機から微かに漏れ聞こえた声、それに彼女の声の調子を窺うに、相手はどうやらI.Y子さんらしい。母親は話をするために玄関のほうに行った。自治会で役を任せられそうで参った、というような愚痴を言っているそのほか、相手の話を受けて「安定しているような」、という相槌が聞かれたのは誰か病人について話しているのかと思ったが話の主語は誰だろう、先日亡くなったYさんの旦那さんのほうだろうか? こちらは五時四五分から六時ぴったりまで一五分間ムージルを読み進め、そうして台所に入ると(電話はまだ続いていた)用意されていた味噌――母親が誰かから貰った、白っぽいもの――を鍋に溶かし入れ、小皿にちょっと掬って汁物の味を確認すると、先日買ってきたチューブ型の味噌をさらにちょっと加えて、もう一度確認して完成とした。そうして下階に戻り、日記を書き出して四〇分、現在はもう七時直前を迎えている。
 食事へ。米・鶏の手羽煮・豚汁・キャベツや胡瓜の生サラダ・人参シリシリ。手羽煮を電子レンジで熱し、柔らかく甘じょっぱいそれをおかずにして米を食べる。テレビは芸人が仰天するような家庭に泊まりに行く、というような番組をやっており、最初は尾形という人がワニを放し飼いにしている宅に泊まりに行って、眠っているとワニが部屋に入ってきて尾形氏のほうへ近づき、布団に載ってきて彼は眠れなくなる、といった展開を見せていたがまあこれはどうでも良い。その後はミキという兄弟芸人が一三人も子供のいる大家族、それも子供ら皆に格闘技を習わせているスパルタ家族のもとへ行って、朝の四時からランニングをさせられたりしていたがこれもどうでも良い。ものを食べ終えると入浴。入浴中は浴槽の縁に頭を凭せ掛け、身体を寝かせるようにしながら、「記憶」記事で確認した知識をぶつぶつと呟いていたと思う。出てくると自室に戻り、youtubeで三月六日の参議院予算委員会の映像を視聴した(https://www.youtube.com/watch?reload=9&v=_DZ3WqpHnJA)。何となく、国会中継というものを見てみようという気に突然なったのだった。立憲民主党小西洋之議員の質問の時間をすべて視聴した。最初のうちは厚労省の統計改竄問題について扱っていたのだが、小西議員の質問は適切な点を突いていると思われたところ(厚労省の職員に対して、不正を働いた時に隠蔽の意図があったのかと調査委として尋ねたかという質問だ)、答弁者である樋口美雄特別監査委員会院長は彼の質問に端的に答えず、ほとんど手もとの資料を読み上げるだけのいかにも官僚的な対応に終始していて、そうした態度を見ると心証はあまり良くはない。質問に正面から答えず迂遠なことを言って煙に巻くというのはのちに答弁に立った安倍晋三首相も同じ様子で、彼は小西議員が、「法の支配」の対義語を知っていますかと尋ねた時も何だか迂遠な説明をしていた(まあ、このようにクイズのような質問をするのはそれはそれで何だかなあという感じもしないではないが――ちなみに「法の支配」の対義語は「人の支配」だということだった)。また、安倍首相は迂遠な説明のなかで、国際法を遵守するという姿勢において、力による現状変更は認められないというのが法の支配ということだ、というようなことを言っていたので、一応答えていたと言えば答えていたわけだが(それにしても一言、「力による現状変更」と言えば良かっただけのことだろうが――ちなみにのちの答弁では首相はまた、「人治主義」という言葉も口にしていた)、その後、改憲を提唱する立場として自衛隊違憲論のその理論を二種類挙げてくださいと言われた時には、憲法学者の学説を評価する立場に自分はないという形で逃げていた(ちなみにこの二種類というのは、憲法九条の非武装規定に照らし合わせて自衛隊の存在そのものが違憲であるという考え方と、九条の元でも自衛隊の存在は認められるが、現行のその装備が「戦力」に当たって違憲となるという考え方の二種類だと小西議員は説明していたと思う)。ほか、注目すべきだった答弁は横畠裕介内閣法制局長官のもので、小西議員が国会の行政に対する監督機能について質問した際、彼は、一般的に言ってそうした機能があるのは周知のことだが、先ほどのように一個人としての議員が声を荒げて質問するような場合まではそれに含まれないと考えている、と答弁して、これが越権行為ではないかと批判されていた(その後長官は、先の答弁を謝罪し、撤回すると明言した)。この内閣法制局長官は、にやにやと笑いを浮かべて余裕ぶった態度の人で、そう言えば二月四日に会った時にUくんが法制局長官も安倍首相のお友達のような人事になってしまった、と言っていたけれど、なるほど、これがその人なのかと思ったものだ。
 一時間強掛けて小西洋之議員の質問まで見たところで、何時くらいだったのだろうか、一〇時くらいになっていたのだろうか。わからないが、その後、おにぎりを食べようということで上階に上がった。台所に入り、炊飯器の釜に残っていた米をすべてサランラップの上に取り出し、塩と丸鶏ガラスープの素を掛けて握る。そうして出来たものをダウンジャケットのポケットに入れておき、今しがた米を取った釜を洗って、笊に新しく三合の米を持ってきて磨いだ。そうして翌朝六時四〇分に炊けるようにセットしておき、下階に戻って、作った米の塊を貪る。その後一〇時半過ぎから『境界線上のホライゾン』を読もうとしたのだが、ヘッドフォンで聞いていた『Gary Clark Jr. Live』の無骨なブルース・サウンドに誘われてギターが弾きたくなり、隣室に入った。VOXの小さなアンプがあったのでそれに電池を入れてギターを繋ぎ、オーバー・ドライブ・サウンドを流れ出させる。このアンプはリズム音源も内蔵されていたので、ブルースのそれを選んでシャッフルに合わせて適当にアドリブを行った。階上で母親が風呂から出たあたりで満足すると自室に戻り、『境界線上のホライゾン』をコンピューター上で読む。合間、歯磨きも。口を濯ぎに洗面所に出た際、帰ってきた父親が衣装部屋にいたため、おかえりと声を掛けた。そうして部屋に戻り、零時前から田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』を読みはじめた。二時前まで読んで就床。


・作文
 13:58 - 14:35 = 37分
 18:08 - 18:51 = 43分
 計: 1時間20分

・読書
 14:46 - 15:54 = 1時間8分
 16:30 - 17:03 = 33分
 17:45 - 18:00 = 15分
 22:35 - 23:46 = 1時間11分
 23:55 - 25:52 = 1時間57分
 計: 5時間4分

  • 2018/3/7, Wed.
  • 2016/7/8, Fri.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-03-01「突然の豪雨を車窓越しに見る通り魔のような感傷がいま」; 2019-03-02「文明の残り香がする太陽と月が毎日昇ることにも」
  • fuzkue「読書日記(125)」: 2月19日(火)まで。
  • 「記憶」: 17 - 22;
  • 田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』: 12 - 36
  • 川上稔境界線上のホライゾンⅢ(上)』: 168 - 254

・睡眠
 1:20 - 13:00 = 11時間40分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • 『Gary Clark Jr. Live』