長々床に臥して、一一時一五分に起床。今日は完膚なきまでの敗北である。自己暗示的に手帳に「とにかく早く起きること」と書き付けているのだが、その効果は見られない。太陽を浴びながら横たわり続けて、呼吸を整えてから起き上がると、上階に行った。母親は料理教室で不在である。仏間に入って箪笥からジャージを取り出すと、寝間着から着替えて、それから冷蔵庫のなかにあった前日の残り物(茄子と豚肉の炒め物やブロッコリー)を電子レンジに入れているあいだ、便所で排便した。また、洗面所に入って顔を洗うとともに髪を梳かしもする。そうして、残り物だけではおかずとして不十分だったので卵とハムを焼くことにして、フライパンに油を引いてそれぞれ投入し、丼に米をたくさん盛って、傍ら味噌汁も温めて、ハムエッグが出来上がると米の上に乗せて卓に運んだ。新聞は二面を眺める。ダウンロード規制法案=著作権法改正案の今国会提出が見送られたという記事と、EU離脱が延期の公算という記事とを読む。「英国内では13日の採決で「合意なき離脱」が否決され、14日に採決される離脱延期案が可決されるとの見方が強まっている」。そうしてものを食べ終わると水を汲んできて、セルトラリン及びアリピプラゾールを服用、それから台所に食器を運んで洗剤を垂らし、網状の布でごしごし洗った。濯いだものを食器乾燥機に入れ、乾燥機を駆動させておき、そうして下階に帰るとFISHMANS『Oh! Mountain』をBGMにしながらしばらくだらだらとした時間を過ごした。一時を回ってから日記に取り組みはじめて、現在一時四〇分を迎えている。
FISHMANS, "Walkin'"を背景に、前日の記事をブログに投稿した。それから音楽をGerald Clayton『Bond: The Paris Sessions』に移してしばらくだらだらとする。開脚柔軟なども行ったのち、二時を越えて上階へ、母親は料理教室から一度帰ってきたらしく洗濯物が取り込まれてあったが、もう一度外出していったようで、書き置きにその旨が記され、ちょうど彼女の車が走って行くのがレースのカーテンの掛かった東窓から向こうに見えた。居間の隅に吊るされたタオル類に近寄り、ハンガーから外して畳んで行く。それから肌着やジャージ、靴下なども畳んでおいて、タオルを洗面所に運んで行ったそのついでに風呂を洗った。浴槽の内に入って、洗剤を吹きつけてブラシで壁面を擦りながら、出かけようかどうしようかと迷っていたものの、迷った時には出かけるが吉だと何の根拠もなくそちらに傾いて、図書館に行って書き抜きをしたのち、帰りに買い物をして帰って来ようと目的を定めた。そう思ってみると何か買っておくべきものがあったような気がして頭を回していると、まさに今使っているこの風呂用洗剤の詰替えだったと思い出されて、あとで忘れないように手帳にメモしておこうと決めた。そうして浴室を出ると今度はアイロン掛けである。アイロンのスイッチを入れて、機器が熱を持つあいだはいつも通り下半身をひらいてほぐしながら待ち、それから母親のシャツにエプロンとハンカチに高熱の器具を当てて処理した。そうしてアイロン台をもとの場所に片づけ、アイロンのスイッチも切っておくと、真っ赤な靴下を履いて自室に帰り、音楽の続きを流しながら服を着替えた。褐色のズボンに臙脂色のシャツ、それに上は、もう大方春の陽気なのでコートでなくても大丈夫だろうと久しぶりにジャケットを羽織った。そうしてリュックサックに荷物をまとめて上階に行き、トイレで放尿してから出発した。玄関を抜けて階段を下りると、洗剤のことを思い出して胸ポケットから手帳を取り出し、「洗剤」と簡潔にメモしておいてから歩き出した。坂に入ると、道を端から端まで埋め尽くす厚い風が駆けて正面からぶち当たってきて、涼しさの勝る風量だが冷たいという感じはしない。上って行き、平らな道をてくてく歩いて行って街道に出るとすぐに通りの北側に渡った。雲が霧煙のように空に蔓延り、今は太陽は塞がれていて道に日向もないが薄暗さはなく、雲の多いわりに青さも見えて、風が吹いても服の内ではやはり歩いていれば汗の感覚が滲んで、服を通ってくるものが肌を内側から涼しくさせる。裏通りに入る少し前、老人ホームの前に掛かったあたりから太陽が雲の薄膜を貫きはじめて、路上に暖色が掛かりだした。裏道に入って、花粉にやられた鼻を啜りながら進む途中で、美容院に予約をしようと思っていたことを思い出し、リュックサックから携帯電話を取り出して発信した。すぐに出た相手に、こんにちは、Fですと名乗り、いつもありがとうございますと言ってくるのにお世話になっておりますと応じて、明後日の土曜はどうかと話を向けた。昼頃になると言うので何時かと問えば、一二時だと答える。それでお願いしますと頼んで通話を終えて、ちょっと歩いてからふたたび手帳を取り出して予約の日時もメモしておいた。すると、道の先から幼い子供らの、あーるーこー、あーるーこー、と『となりのトトロ』のテーマ曲 "さんぽ"を、歌うというよりは叫ぶような声が聞こえてくる。ちょっと進めば姿を現したのは、黄色い帽子に同じく黄色の蛍光シートをランドセルの表面に張った、まだ初学年らしき小学生の男児たちで、彼らは何度か"さんぽ"を歌いながらじゃれ合い、ふざけ合って笑いながら駆けていた。こちらの前方には高校生らしい男女のカップルが歩いていて、その男のほうも子供らを振り返り振り返り見ていた。彼らの後ろを行きながら途中、白木蓮が一軒の塀内で口をすぼめた貝殻のような白い蕾をつけているのを目に留め、さらに歩いて行って二人に追いつき追い抜かしたのは駅ももう間近の頃合いだったが、そのあいだ二人の距離感を見ていた限りでは、恋人として付き合っていると言うよりも、良い友達のような関係なのだろうかと推し量られた。男のほうは両手をポケットに突っ込んで、脚を両側にひらき気味にして歩き、いかにも若い高校生らしくそうして周囲の世界に対して意味もなく威勢を張っているかのようだ。女子のほうはそれに似つかわずと言うか、タイプとしてはちょっと違っているような印象で、背負ったスポーツバッグの下に両の後ろ手を当てながら歩き、あまり垢抜けず細身に纏ったスカートも長めで、しかしそんななかに、あれは薔薇の花を模したものだったのだろうか、黒く大きめの髪飾りを一つつけているのがアクセントになっていた。男のほうは時折り振り向き、あたりを見回すようにしながら歩いており、また女子のほうを小突くような振る舞いも見せており、その触れ方に性的なニュアンスが滲んでいないので、やはり仲の良い友達といった感じに見えるのだった。
彼らを抜かして駅が近くなった頃、唐突に、塾で教えていた頃の一人の女子生徒のことを思い出した。優秀な子で、国語が特に得意でと思い返しながら、名前の出てこないままに駅に入ったのだが、そこで、彼女が自分のことを、「私」「あたし」といった通常の一人称を使うのではなくて、「M」という自らの名前を用いて指していたことを思い出して、そうだ、S.Mさんだったと名字までまとめて記憶が繋がった。こちらとしては結構好きな生徒で、あちらのこちらに対する好感度の感触も悪くなかったと思う。彼女が数年後、大学生になった頃に塾にアルバイトとしてやって来て同僚になる、そんな未来もあるかもしれないなと思い(実際、元生徒が同僚になったケースは何人も体験している)、せっかく思い出したので忘れないようにと、電車に乗ってから手帳を取り出して名前をメモしておいた。乗ったのは例によって二号車の三人掛け、この日はリュックサックを下ろして隣席に置き、座ると即座に左足の踝あたりを右の膝上に乗せて、偉そうに脚を組んだポーズを取った。そのまま電車が移動するあいだ手帳に記された過去のメモを見返し、河辺に着くと降車した。江戸川コナンの声が振るなかエスカレーターを上がって行き、くしゃみをしながら改札を抜けて、風に吹かれつつ歩廊を渡って図書館に入った。CDの新着を見に行ったが特段目ぼしいものはない。その下の段、DVDの新着には小津安二郎『秋刀魚の味』が見られて、ちょっと手に取った。それから文芸誌の棚を瞥見したのだが、気になるのは『群像』に収録されていた古井由吉のインタビューくらいしかない。手に取って頁をめくり、ほんの少しだけ中身を眺めてすぐに戻すと、上階に上がった。新着図書はいくらか新しくなっていて、金子薫の新作やマルグリット・デュラス『苦悩』などが見られるなかに、イラン・パペ『イスラエルに関する十の神話』という著作が見られて、これはメモしておこうと手帳の上にペンを滑らせた。もう一つメモされたのは、アンドルー・スカル『狂気』という大部の著作である。それから書架のあいだを抜けて大窓際に出たが、席は空いていなかったのでテラス側に移動し、なかの一席を取った。あまり大きな音を立てないように注意しながら椅子を引き、腰掛けるとリュックサックからコンピューターを取り出して、ハンカチでモニターやキーボードの上を拭ってからスイッチを押して、プログラムの更新とかで起動まで時間が掛かるあいだは、斎藤慶典『哲学がはじまるとき』を読みながら待った。そうしてEvernoteを立ち上げると日記を記しはじめたのが三時四七分、途中、鼻をかみにトイレに行き(ティッシュペーパーを持ってこなかったので、トイレットペーパーを使わねばならなかったのだ)、帰りに新しく発見した岩波ジュニア新書の棚などちょっと眺めたりもしつつ進めて、ここまで記して四時半を過ぎている。
田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』を書抜きする。鼻を啜りながら、またそれでも僅かに垂れてくる水っぽい鼻水を手の甲で拭いながら打鍵を進める。こちらの座っているテーブルの向かい側の右端、すなわち左端に座っているこちらから見て対角線上の位置には女子高生が就いて勉強をしているらしかったが、彼女も頻繁に鼻を啜っていたと思う。こちらの正面の席には途中から、これも女子高生かあるいは私服だったので大学生だろうか女性がやって来て、やはり勉強をしていたようだ。それからまた、途中であれは多分私立学校の中学生らしき、彼女も花粉症に手酷くやられているようでやや苦しげな呼吸音も露わな、鼻を赤くした女子がやって来てこちらの向かいのテーブルのさらにもう一つ先のテーブルに就いたが、就くなり彼女はぐったりと机上に突っ伏し、背負っていたバッグを下ろしもせずに椅子の上に乗せたままで随分と草臥れている風情だった。こちらは一時間二〇分ほど打鍵を続けて、まだ終わっていなかったが書抜きにも飽いたので六時を目前にして帰ることにした。荷物をまとめて席を立つとしかしすぐに退館はせず、海外文学の棚をしばらく見分する。ガルシア=マルケスの『生きて、語り伝える』はもう一度読みたいような気がする。ほか、棚の端の、ギリシアやらハンガリーやら区分のしにくい地域の作品がちょっと集まった区画にしゃがみこんで、確かここに『イーリアス日記』というような著作が以前はあったはずなのだがもう書庫入りしたらしくそれは見られなくなっていて、中井久夫の訳したリッツォスという、多分ギリシアの詩人だと思うけれどその人の本をちょっとめくったりした。また、ル=クレジオの『隔離の島』だったか、そんなような題名の、確か比較的最近に訳されたはずの著作が、英米文学のほうに誤って混じっているのを発見したのでフランス文学の区画に戻しておいた。ロシアや東欧地域の文学にも面白そうなものがたくさんあるもので、この時見たなかでは、松籟社の「東欧の想像力」シリーズの一四巻目だかの著作が入っていたり、あとあれは確か幻想文学に当たる人なのか、ステファン・グラビンスキ『狂気の巡礼』というのもあってこれも少々興味を惹かれた。しばらく海外文学の著作群を眺めてからフロアを移動して階段に近づいたところで哲学の棚も見て行こうと思って、しかしその前にアジア史の区画をちょっと眺めた。パレスチナの歴史ももっと知らねばならないとは思っている。それから哲学のほうに移って、西洋哲学のあたりや、概論などを見分し、ここにもやはり結構面白そうな著作が、きちんと見てみれば意外とたくさんあるものだ。覚えているのは以前から目にしてはいたものの、みすず書房から出ているジョルジョ・アガンベンの『哲学とは何か』があってこれはいずれ読んでみたい。そのほかドゥルーズの解説書も二、三あったし、熊野純彦がメルロ=ポンティについて解説している小部の著作もあったし、これは確かNHK出版かどこかから出ている概説書シリーズだったと思うが、同じシリーズの著作はほかにもいくつかあったし、このあたりから読んでいくのがやはり良いのだろう。概論のほうも面白そうなものが多くあった。それから哲学を通過したのち、宗教学のほうの区画も見て、次回の読書会の課題書になっている山我哲雄『一神教の起源』の所在も確認しておこうと思ったところが、ここにあると記憶していた位置に行っても見当たらない。それで書架を離れて検索機に寄り、検索してみるとただいま貸出中とのことだった。ほか、レシェク・コワコフスキ『哲学は何を問うてきたか』という著作も以前見かけていたような覚えがあって、検索してみたのだが、これは青梅の図書館には所蔵されていなかったので、立川図書館に通っていた時代に見かけたのだったかもしれない。そうして退館した。
さすがにこの時間になると少々肌寒いようだった。下の通りに下りて西友に向かったのは、東急よりもそちらのほうがものが安いと母親が言っていたから今日はこちらで買い物をすることにしたのだ。正面入口の横に設けられた地下へ通じる階段を下り、扉を二枚引き開けて食品売り場のなかに入る。手近にあった籠を取ってまずは野菜のコーナーを見て回った。確かに、茸類など東急よりも安いようだった(茄子五本入りは東急のほうが安いようだったが)。それでエリンギだの大根だの茄子だのバナナだのを籠に入れていき、それからちょうど今日の朝で切らしてしまったハムにベーコンを取り、そのまま肉の区画を見て、豚肉のロース薄切りと、鶏の腿肉を購入することにした。消費期限は前者が一七日まで、後者が一六日までなので明日明後日で使えば良かろう。そのほかカップ麺を二つ、「どん兵衛」の豚葱うどんというやつと、日清カップヌードルのカレー味を取って、それでフロアを一周してから会計に行った。二二五二円である。西友は東急と違って、ビニール袋にも代金が掛かるようだった。それでしかし、黙っていれば普通にくれるのかと思っていたら、こちらがリュックサックを背負っているので不要と判断されたのだろうか、ビニール袋は提供されなかった。相手をしてくれた店員は女性で、てきぱきとした高速の動きにせよ、口調や声色にせよ、マニュアルの裏にその本性と言うか人間味のようなものを完璧に隠したような振る舞いの人で、ロボットのようなと言っては言いすぎだろうが、やや無機質な印象を与えるものだった。袋に関しては言い出しかねてひとまず整理台に移り、リュックサックにものを詰めはじめてみたのだが、どう考えても全部入りきるものではない。先の女性店員はこの時、泣き声を上げる赤ん坊を前にしてその隙の無さを崩して、あらあ、何とかかんとか、と可愛がるように話しかけていたが、それでも固さは取れきれていなかったように思う。こちらは仕方なく、もう一度レジに並んで袋を貰うかというわけで店員不在のレジカウンターのあいだを通って向こう側に抜け、先の女性をもう一度相手にするのは気まずいので、今度は男性店員のレジに並んだところが、そうすると目の前に、ビニール袋が吊るされて売られている。先の女性のレジにはなかったと思うのだが、ともかくこれを買えば良いのだなというわけで一枚取り、二円を払って無事ゲット、整理台に戻ってリュックサックとビニール袋に荷物を分けて入れた。そうして背負うものを背負い、袋を提げて退店、洗剤は一階に売っているようだったが、面倒臭かったので後日として館をあとにした。通りを渡って駅へと向かう。エスカレーターを上り、駅舎に入って時刻表示のある掲示板に近寄ると、奥多摩行きに接続する電車は六時三六分、今はもう四五分ほどで過ぎたあとだった。仕方あるまい。改札を抜けてエスカレーターを下り、線路に向かってホームに立つと袋を脚のあいだに置いて、リュックサックから斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』を取り出した。読みはじめるとともに、四七分発の電車が入線してくる。乗車すると三人掛けにビニール袋を置き、その隣に、リュックサックを下ろさぬままに腰掛けた。そうして二駅で青梅着、奥多摩行きは七時一五分、それまで待たねばならない。それで木製のベンチにやはり背のバッグを下ろさないままに就いて、前屈みになって本を読んでいたが、風が吹くとさすがに寒い。じきに、七時を回る頃合いに電車がやって来たので入って暖房の温もりに安んじた。ここでもやはりリュックサックを下ろさないまま前屈みになり、ビニール袋は隣の席に置いて本を読み続け、そうして最寄り駅に着くと降車、どういうわけか知れないが煙の匂いがしていた。駅舎を抜けて、通りを渡り、坂道に入って下って行く。雲は大方流れたようで南の空、梢の傍に二、三、漂っているのみ、星と月が輝いていた。
帰宅。台所にいる母親に買い物をしてきたと告げて、買ってきたものを冷蔵庫や戸棚に収めると下階に戻った。コンピューターを机上に据えて、ジャケットを脱いで廊下に吊るしておき、ズボンだけ取ってシャツは脱がずにその上からジャージを身につける。そうして上階へ。食事である。味噌汁の余りを嵩増ししてスープにしたと言う。そのほか鯖と葱のソテーに、母親が料理教室で作ってきた弁当、大根の煮物、春菊に、キャベツの塩昆布和えなどが食卓には並んだ。弁当のなかにも五目散らしのような米が入っていたが、椀にもよそって、鯖をおかずにして頂く。テレビはどうでも良い番組。八時になると『モニタリング』が始まって、何故かDAIGOと平野レミと高畑充希が料理をしていて、平野は破天荒なキャラクターでテンションが高く、突然「天下泰平!」とか叫びだすのだが、その滅茶苦茶な威勢の良さと言葉選びはちょっと面白かった。その頃にはこちらは薬も飲み終え、食器も洗って片を付けており、風呂に入るべく下着と寝間着を用意していたところである。そうして入浴に行き、いくらかなりとも賢くなりたいと思って本を読んでいるはずなのに、読めば読むほどものを考えるということが出来なくなっているような気がするなどと――ゼーバルトの記述を思い出す。「何日も何週間もむなしく頭を悩ませ、習慣で書いているのか、自己顕示欲から書いているのか、それともほかに取り柄がないから書くのか、それとも生というものへの不思議の感からか、真実への愛からか、絶望からか憤激からか、問われても答えようがない。書くことによって賢くなるのか、それとも正気を失っていくのかもさだかではない。もしかしたらわれわれみんな、自分の作品を築いたら築いた分だけ、現実を俯瞰できなくなってしまうのではないか。だからきっと、精神が拵えたものが込み入れば込み入るほどに、それが認識の深まりだと勘違いしてしまうのだろう」(W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』白水社、二〇〇七年、171~172)――考えながら湯に浸かり、出てくるとそのまま下階に下りてねぐらに帰ってきた。そうして日記を書き出して、ここまで記すと九時四〇分である。
「わたしたちが塩の柱になるとき」を一日分読んだのち、「記憶」記事の音読をした。ラングとパロールの違い、「音素」の概念の意味、あとは中国史の知識などである。そうして一〇時半頃から読書、川上稔『境界線上のホライゾンⅢ(中)』を新しく読みはじめ、一時間で一〇〇頁ほど読み進めて、それから斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』に移った。零時を越えると、さほど眠いという感じもなく、眠気に伸し掛かられるような重さもなかったが、目がたびたび閉じるようになって、最後のほうはちょっと意識を飛ばしていたようである。二時を迎えると手帳に時間をメモして本を閉じ、枕の横に置いて就寝した。
・作文
13:08 - 13:40 = 32分
15:47 - 16:32 = 45分
20:51 - 21:42 = 51分
計: 2時間8分
・読書
16:36 - 17:54 = 1時間18分
18:46 - 19:17 = 31分
21:45 - 22:19 = 34分
22:28 - 26:00 = 3時間32分
計: 5時間55分
- 田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』松籟社、一九九七年、書抜き
- 斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』: 17 - 48
- 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-03-12「白鍵をまとめて黒く塗りつぶす音色が変わると信じている」
- 「記憶」: 100 - 102; 69 - 73
- 川上稔『境界線上のホライゾンⅢ(中)』: 16 - 112
・睡眠
1:10 - 11:15 = 10時間5分
・音楽
- FISHMANS『Oh! Mountain』
- FISHMANS, "Walkin'"
- Gerald Clayton『Bond: The Paris Sessions』
- Gary Karr『Basso Cantante』
田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』松籟社、一九九七年
対象がなんであるかによって、概念性か、それとも体験の変転してやまない性格のどちらが、思想にとっての最重要事項となるかが決まるという事実を肝に銘じさえすれば、シュペングラーならずとも生きた認識と死んだ認識のあいだに立てる区別を、神秘主義の介(end88)在なしに理解できる。学校で教わるようなこと、つまり知識と合理的秩序、概念的に定義づけされた対象や関係などを、ひとは獲得したり、しなかったり、それを意識したり忘れたりすることがありうる。それは、きちんと角が直角で、きれいに磨かれた立方体のように、われわれの内部にはめ込んだり、取り出したりすることができる。そういった思念はある意味では死んでいる。それらがわれわれとは関わりなく妥当性を有するという感情の裏側にはこの事実がある。厳密性、正確さは死を招く。定義づけできるもの、概念化されたものは死んでおり、石化であり骸骨である。単なる合理主義者はその関心領域の中では、このことを体験するチャンスにはけっして恵まれない。
(88~89; 「精神と経験――西洋の没落を逃れた読者のための覚書」)
*
シュペングラーは語る。「分解し、定義し、秩序づけ、そして原因と結果を区別することは、その気になりさえすればだれにでもできる。それもひとつの仕事だが、創造の仕事は全く異なる。ゲシュタルトと法則、比喩と概念、シンボルと公式はそれぞれ非常に異なる器官を有している。ここに現われているのは生と死、生殖と破壊の関係なのだ。悟性や概念は<認識する>ことによって殺す。それは認識されたものを測定したり分割できるような固定された対象に変えてしまう。それに対し、直観は生気を与える。それは個別のものを内側から感じとれる生き生きした統一体の内部に組み入れる。(……)
(89; 「精神と経験――西洋の没落を逃れた読者のための覚書」)
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(……)われわれが生きて、行動しているこの世界、いわば認可ずみの悟性と魂の状態からなる世界は、あの別の世界、そことの真のつながりが絶えてしまった別の世界の代用品にすぎないのだ。時折ひとは感じる。ここには本質的なものはなにもないと。数時間、あるいは数日間すべてが溶け去り、世界と人間への別種の態度という炎に包まれてしまうと(end92)きがある。ひとは呼吸する一本の麦藁となり、世界は震える球体である。一瞬ごとにすべての事物があらたによみがえる。(……)
(92~93; 「精神と経験――西洋の没落を逃れた読者のための覚書」)
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あの中には、はじめてすべてのドイツ人となにかを共有するという恍惚感も含まれていた。ひとは突如として一小片となり、超個人的な出来事の中に恭順に溶け込んで、「国民」に包み込まれ、まさにそれを肌で感じていた。それはまるで、ある言葉のなかに封じこまれて数世紀間眠り続けてきた神秘的な原初の性質が突如として朝の工場やオフィスのように目覚めたかのようだった。あとになって正気にかえったからといって、あのことを忘れるとしたら、それは記憶力の減退を示すか、良心がいい加減であるかのどちらかだろう。――この途方もない圧力を逃れようと望んだ少数の者たちさえも、落ち着き払って頑張り通したのではなく反撃という形でのみそれをなしえた。当初から戦争に反対だった者は狂信的にそうならざるをえなかった。彼は「国民」の顔に唾を吐きかけ、反逆者となり、そうすることで反対の意味の魅惑の存在を証明したにすぎない。
数百万の人間がもともとは自己の利益のためにのみ生き、死に対する不安を糊塗していたのに、突然歓呼の声をあげて「国民」のために死に赴くといったことが、なんでもなかったのだと、いまになってひとびとは考えるつもりだろうか。平和主義的な良心の声のために出来事自身の声が聞こえなかったのだとしたら、そのひとは人生というものを聞き取るまともな耳を持たないに違いない。仮に何百万ものひとびとがみずからの命、人生の目的、隣人たち、さらには彼らの持つありったけのヒロイズムを捧げたのが、単なる幻影だったとしても、そのあとただ意識を取りもどし、起き上がって陶酔から醒めたときのように立ち去ることが可能なのだろうか。すべては酩酊であり、精神病、大衆(end100)操作、資本主義のまやかし、ナショナリズムであったとかなんとか言いながら。そんなことをすれば、いまだ清算されていないある体験を抑圧することになるのは目に見えている。そうして恐るべきヒステリーの根源を国民の魂の深部に沈める結果になることも!
(100~101; 「理想としての国民と現実としての国民」)
*
おそらく直接に尋ねられて国民と人種を同一視する者は多くはいないだろう。国民が人種の混合物であることは皆が知っているのだから。それにもかかわらず奇妙なことに実生活の中では、人種の概念を国民の概念の下にすべりこませることがごく気軽にくり返されている。その上前者がたとえば立方体の概念と同じように一義的であるかのように用いられている。観察されるべき現象がここにある。人種の問題について論じようなどという気は私にはさらさらない。しかしこの問題の倫理上の意味に到達するには、人種思想の理論的な特性に触れることがやはり不可欠なのである。
もしもある一定の瞬間からテーブルが注文によってではなく、生殖によって増えていくようになったら、われわれはただちに現在生存中のテーブルたちから(しかもわれわれがひとりのフリース人を見てフリース人一般を認識するのと同じく明証的に)、四脚=長方形やら、一脚=楕円形、その他多くのテーブル種が生まれるのを目にすることだろう。そこで起こるのは二つのテーブルが第三のテーブルを生み、それが親テーブル(end103)の特徴を混合する一定の法則に従って親に似ており、同一の仕方でさらに生殖をくりかえし特性を持つこと以上ではないだろう。そのさい多くの特性のうちの一部が数世代にわたって胚の内部でしか伝えられず、表面に現われないとしても、そのことは個人において、また個人のあいだで起きることがすべてであるという事実にいささかも変更を加えはしない。ことがら全体の中で人種には特に出る幕はなく、結局他のどこにも存在しうるところがないから、そこにあるというだけ、ちょうど空から水滴が降ってくるとき、雨が存在するようなものである。人種そのものは個人を通して現実の存在に入りこむしか可能性はなく、個人を通してしか作用を及ぼしえない。そのような存在はまさに思考の中にのみある集合概念である。もちろん人種は存在する。しかし人種を成すのは個々人なのだ。
以上が事態を正しく表わしているのなら、それを転倒させるのは全く不当なことである。そしてかのほとんど神学的な歪曲によれば、個人は人種によって形づくられる。周知のごとく、まさにこちらの公式の方が日常的に用いられているのである。
この公式に従えば、ひとりの人間から人種を引くと後に残るのは、ちょうど靴下から交差する網目をほどいていくように、限りなくゼロに近い。大抵の場合そこにあるのは理解しやすいという気安さだけなのだろう。つまりある人間がまずどういうグループに帰属しているかによって、彼の性格づけがなされる――それが**家でよいのなら、ゲルマン人種であってもよいはずでは――という具合に。そして事実、今日のわれわれにはビスマルクが次のように述べているのがごく自然に聞こえてしまう。「樹々を切り倒すのはゲルマン的ではなくスラブ的特徴だ」。あるいはユダヤ人の批評家がヴァッサーマンの『ユダヤ人にしてドイツ人である私の道』なる書物について「ユダヤ人にとっては純粋にドイツ的な芸術家になることは不可能である」と言うとき。にもかかわらず、まさにこうした他愛ない例において悪しき思考慣習への危険な譲歩が見られるのだ。この思考慣習を引き起こした、またそれが原因となって生じた一連の文献はよく知られている。それが対象としているのはひとびとの気を惹かない頭蓋骨のデータとか眼の色とか骨格のプロポーションなどではなく、宗教性や誠実さ、国家形成の能力、学問性、直観、芸術的才能、あるいは思考の寛容さなどの特性、すなわちわれわれがその全体としての内実をしかとは言い表わしがたいものばかりである。その上で、ある(end104)人種にはこれこれの特性があるとかないとか、怪しげな人類学的用語を駆使して判定するわけだ。そんなことをするのも、この種の書物の著者は国民を前にして千年、二千年の声音を使えば、耳を通して威厳を国民の内部に流し込めると信じているからなのだ。
われわれの民族的な理想主義のかなりの部分の内実がこういった思考の病いに他ならないことはだれにも否定できないだろう。
それがわれわれをどこへ導くかはたやすく予見できる。善きにつけ悪しきにつけ個人がすべてにおいて責任を問われることがなく、いつも人種のせいにされるようになれば、それはひとが常に他人を口実に使えるのと全く同じ結果を引き起こす。その帰結は誠実さと知的な繊細さの鈍麻だけに終わらず、モラルのすべての胚細胞の退化を招く。あらゆる徳があらかじめ神の手によって民族の固有財産に定められているのならば、主の葡萄山は収奪され、以後はだれひとりそこで働くことがなくなる。個人は、あなたの人種の有する徳に目覚めさえすれば望ましいものはすべて手に入りますよとおだてられる。これはまさに道徳的のらくら天国だ、おいしい美徳がたらふく食えるわれらが幸福なるドイツよ!
(103~105; 「理想としての国民と現実としての国民」)
*
さて人間と国家のこの矛盾にみちた関係は以下の恐るべき計算例題にも現れてくる。すなわち、人種理念の誇張をやめてしまえば、個々の人間たちはさまざまな国家にあってほぼ同一である。国家というものを機構として互いに比較してみれば、これまた常にほぼ同じである。にもかかわらず「個人プラス国家」は戦争において爆発するあのように破壊的な対立を生む。平和時にはこれらの対立は外交官の派遣とか、覚書、レセプションや申し入れといった儀礼の形で現われる。この儀礼ときたら、道で犬と犬が出会うときの仕方にそっくりである。同じ人間が同じやり方で組織されて持続的に対立しあうというこの矛盾を解決しようとすれば、原因を組織化の仕方に求めるしかない。このような問いを立てて、ざっと調べてみてすぐに分かるのはまず、国家が硬化した皮膚のようなもの、閉じた表面であって、その内部の空間で活動している諸力の大部分を内側にはねかえし、通過させるのはごく一部だけであることだ。つまりは絶縁体である。意見の交換や人的交流、精神的な組織、キリスト教的共同体、はては社会主義、これらすべてのものが働く「力の場」は国家の内側に比べ、外側では非常に密度が薄くなっている。それがどこに起因するのかといえば、それは実効性のある「器官」を発達させたのが国家ぐらいしかないからである。国民は器官をほとんど持たない。唯一の器官といえば国家だ。だから大抵の場合に考え、感じ、決定し、行動するのは個々人ではなく総代理権を保持する国家であり、この権利にはいかなるコントロールの手も及ばないのである。なぜならコントロールするのは、国家の概念を十分広い意味で捉えるならば、やはり国家自身なのであるから。このいわゆる共同意志の機構を成しているのは政府と執行機関だけではないのであって、諸政党やあらゆる種類の利害代表もそうなのである。そこには一貫した、いわば組織学的な構成原理が存在しており、これによると組織を構成する要素はまたまた組織なのである。どうやらそのことは民主主義の発展がいっそう進行するにつれ、ますます強く感じられるというふうである。民主主義とは人民(Demos)の支配ではなく、その一部の組織の支配のことなのである。
(107; 「理想としての国民と現実としての国民」)
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国家が呈しているような巨大な組織と個人の通常の関係は「なすに任せる」である。そもそもこの言葉は時代の公式のひとつを表現している。人類の共同の生はあまりにも広範で奥深くなり、諸関係は見通せないほどにもつれていて、どのような眼も、いかなる意志も一定以上の距離を貫いていくことはできない。あらゆる人間が彼の機能しうる狭小な範囲の外では無力で他人に頼るしかないのが実情である。いまや従僕根性がすべてをなしうる時代だが、現在ほどにそれが偏狭であったこともかつてない。個人は望もうが望むまいが、なすに任せる他はなく、なにかをするのではないのだ。イギリス人もアメリカ人も中部ヨーロッパの子どもたちを好んで餓死させたのではなく、ただそれを黙認しただけなのだ。われわれとても同じで、仮に手を下した本人であったとしても、われわれ自身があの(end108)残虐な行為の一部を果たしたとは言いがたく、ただそれを黙認したにすぎないのである。
この状況を変えることを欲する者は、まさにこの状況がいかに必然的なものであるかを肝に銘ずる必要がある。この場でなにかを冷徹な組織によってではなく、温かなハートの力で正すことができると思うひとは――少なからぬひとびと、最も熱情あふれるひとびとこそがそう考えているようだ――いつでもいい、ある朝の新聞を開いて読んでみてほしい。たったの一日にどれほど多くの、ひょっとしたら防げたかもしれない不幸と苦しみが生じていることか。もしそのひとがすべてを黙認しようとしなかったら、もしも彼にすべてをはっきり、いや、「同情」という言葉が万人に求める程度にはっきり、ありありと見てとる能力があったならば――そのひとは狂人になってしまうだろう!
(108~109; 「理想としての国民と現実としての国民」)
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(……)何百万人という大量の個人がおり、ばらばらに裂けた時空のなかで同じひとつの世界に首を突っ込んでいて、それぞれの程度と性向によって実にさまざまにこの世界を理解している。彼らが世界から得ようとしているものは多種多様で、目に映っているのはせいぜい収入に繋がる糸口くらいで、耳にするのは巨大な芒莫たる騒音だけ、そのなかに時折なにか響きあうものがあり、彼らは耳をそばだてる(end110)……。この途方もなく不均一な量塊[マス]、どんな型も押し付けられず、みずからを十全に表現することも叶わない量塊、その組成が外から来る刺激と同様毎日のように変化し、固定化と流動化のあいだで絶えず揺らぎ続ける量塊にして量塊にあらざるもの、つまりは固定した感情も思考も決断もない無、それが国民そのものとは言わぬまでも、国民の生を本来的に支えている実体なのである。
国民自身もあの理念的な衣装は偽りの「われら」であったと感じている。それは現実には対応するもののない「われら」である。われらドイツ人――これこそは肉体労働者と大学教授、闇商人と理想主義者、私人と映画監督らのあいだの実際には存在しない共通性というフィクションだ。真実の「われら」はといえば、われらはお互い同士にとってはゼロなのだ。われわれは資本家であり、プロレタリア、知識人、カトリック……であって、本当は隣人愛よりもそれぞれの特殊な利害に、しかも国境を越えて巻き込まれている。ドイツの農民はドイツの都市住民によりも、むしろフランスの農民に近いのだ、もし彼らの魂を現実に動かすのがなにかということになれば。われわれは――どの国民も同じことだが――お互いを少しも理解しないし、チャンスさえあればお互いにやっつけたり、騙しあったりしている。われわれがひとつ屋根の下にまとまることがあるとしたら、それは屋根が他国民にさらわれそうになったときに限られる。そのときには、もちろんわれわれは有頂天で、神秘的な一体感を抱く。しかし、この体験の神秘はまさにそれがわれわれにとってきわめて稀な瞬間にしか現実でないという点に存すると言ってよいだろう。くり返しになるが、このことはわれわれドイツ人にも、また他国の者にも同じように当てはまるのだ。ただし現在のような危機のさなかにあるドイツ人にはいくら評価しても足りないほどの利点があり、それはわれわれが他国のひとびとよりもはっきりと事物の真の関連を認識できることである。われわれの愛国心はこの真理の上にこそ築かれるべきで、ゲーテやシラーを、あるいはヴォルテールとナポレオンを持つ国民であるとかいった思い込みであってはならない。
(110~111; 「理想としての国民と現実としての国民」)
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率直に言って国民なるものは、それにどんな意匠が凝らされていようとも、ひとつの思い込みである。
他国民が幻想に頭を膨らませ、われわれドイツ語を話す人間たちに権利剝奪や、搾取、奴隷の境遇などに甘んじるよう強いたばかりの時期に、このことを認めるのは誰にとってもたやすくはない。ひとびとが異論を唱えるのは分かりきったことだ。祖国愛だの、国民だのがたとえ幻想にすぎないのだとしても、今はそれを口にしない方が良かろうというわけだ。国民なるものが存在するかどうかに係わりなく、それが存在するという仮定には厳然たる価値があるのだ。いや、まさに国民の一体性なんてものが実際には大した意味を持たないことが否定できない事実であるからこそ、それが実在することをどれだけ強調しても足りないというのである。ある種の人たちが特にそのように主張するだろう。彼らは国民にひとつの理想を見ており、この理想の実現ははるかな未来にしか可能でないのだが、民衆がこの理想によって純化されるよう、折にふれ民衆に示されねばならない。(……)
(112; 「理想としての国民と現実としての国民」)
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(……)もろもろの理想をわれわれはプラトン=ピタゴラス的な不動にして不変なる理念と同じように、固定化してしまう。そしてもしも現実が理想に従わないときには、われわれは器用にも、現実が理想の「純粋ならざる」実現にすぎないことこそ、理想の理想たる面目を示すのだと言い放つのである。実存のきわめて測りがたい曲線に少しでも近づこうとして、われわれは自分たちの道徳的な定点を通る多角形をその曲線に一生懸命あてがい、そのさいわれわれのまっすぐな諸原則をつぎつぎにねじ曲げていくのだが、それでもまだ、あの曲線にピッタリとはいかないのだ。内的な生も思考と同じく固定した定点を求める欲求を抱いていることは本当だろう。しかしその定点たる理想のためにわれわれは二進も三進も行かない状態に置かれている。理想を現実に近づけるためにひとびとがあらゆる理想に対し、あまりにも多くの限定をつけたり、撤回をくりかえした結果、肝心の理想が原形をとどめないほどになったことをだれもが知っているはずだ。真っ白な下地が黒い染みですっかり覆われてしまえば、いつかひとの頭のなかでそれが黒い下地と白い染みに変わってしまう瞬間がやってくる。(……)
(113; 「理想としての国民と現実としての国民」)