2019/3/16, Sat.

 なかなか苦戦して一〇時起床。小敗北。アラームを一時間遅らせて八時にして、その時点で、と言うかその時点よりも遥かに早く、何度も覚めているのだが、アラームを受けてそれを止めに立ち上がっても身体の重さに耐えきれずすぐにまたベッドに戻ってしまう意志薄弱である。とにかくもう少し早く起床する習慣を何とかして確立したい。上階に行くと母親は外に出ているようで、台所に入って前夜の残りの天麩羅を電子レンジに突っ込むと、勝手口の外で何かやっている音が聞こえた。米をよそり、洗面所に入って顔を洗った。今日は一二時から散髪、その後は図書館に行って書抜きをするつもりでいる。出てくると米と天麩羅を卓に運び、ものを食べはじめた。新聞を見ると一面に、ニュージーランドクライストチャーチでモスクが二箇所襲撃されて四九人が死亡とセンセーショナルな事件が伝えられている。犯人はFacebookで一七分のあいだ、襲撃の様子を実況中継したというのも強い印象を与える情報だ。記事を読みながらものを食べていると、室内に入ってきた母親が汁物をよそって差し出してくれたのでそれも食べる。母親はその後、居間の隅、テレビの前でアイロン台を使わずにシャツにアイロンを掛けていた(彼女はいつもアイロン台を使わずに座布団の上で作業を行う)。こちらは食事を終えるとセルトラリンとアリピプラゾールを服用し、皿を洗ったのちに風呂を洗う。そうして下階に帰ってくると、Tからメールが届いていたので、LINEにアクセスした。翌日の集まりについてである。午後からになるらしいが、具体的な時間はまだ決まっていなかった。そもそも場所からして不明だったので、Kくんの宅にまた集まるのかと質問を投げかけておいてから日記を書き出した。FISHMANS『Oh! Mountain』の流れるなかで前日分を仕上げ、この日の分も書いて一一時半過ぎ。そろそろ時間が迫ってきた。
 急いでブログに前日の記事を投稿する。それから、着替え――美容院に行き、一人で図書館に向かうだけなのであまり綺麗に洒落た格好でなくても良かろうと、上は白シャツ、下は星の煌めきのような模様の散ったベージュのズボン、それを身につけたのち、FISHMANS "チャンス"に合わせて歌を口ずさみながら廊下に出て、モッズコートを羽織る。音楽が最後まで終わるのを待ってから(同時にLINEでやり取りをして、翌日の集合は午後二時からと定まった)コンピューターをシャットダウンさせ、リュックサックに荷物をまとめて部屋を出た。上階に行くと母親は台所に立って、採ってきたフキノトウを料理しに掛かるところだった。こちらは戸棚からハンカチを取って尻のポケットに入れ、玄関に出ると母親が、今日は色々あるから買い物はして来なくて良いと言う。その後にしかし、前言を翻すようにして、もし買ってくるのだったら、苺と林檎を、と言って、それぞれ良さそうな、何円くらいのやつ、と値段までついたがそんなに細かく覚えてはいない。それを受けて玄関を抜けたこちらは、道に出る前に手帳をひらいて「苺とリンゴ」とメモしておき、そうして歩き出した。風が流れるが、そのなかに冷たさとして結実する感触はない。坂の手前まで来ると、競技用自転車に乗って格好も固めた集団が続々と坂の曲がり角の向こうから下ってきて通り過ぎて行く。こちらは坂の入口で、いつものようにまっすぐ行くのではなくて左に折れて、別の木の間の坂道を街道へ上がって行く。息を少々切らしながら上って表通りへ出て、ちょうど車が途切れていたので北側に渡り、ちょっと移動して、こんにちはと言いながら美容院に入った。少々お待ちくださいねと言われるので入口脇の席に座り、リュックサックは隣の椅子に置く。そのあたりに集まっている雑誌類を探ってみると、「ビッグコミックオリジナル」があったのでひらき、『カイジ』とか『アカギ』とかを描いている福本何とかいう作家の、黒沢何とかみたいなタイトルの漫画をちょっと読んでいると(冒頭から例の、「ざわ……ざわ……」の表現が見られる)、どうぞと呼ばれた。リュックサックはここで良いですかと尋ねると良いとのことだったのでそのままに放置し、店の奥に踏み入り、洗髪台に身を委ねる。助手のYさんが、花粉症はどう、と尋ねてくるので、そうですね……と置いていると、大丈夫と続くので、大丈夫ではないですけれど、でも例年よりもましな気がしますねと受けた。今年はしかし、例年よりもまずいという人が多いらしく、Yさんもまずいほうだと言う。確かに洗髪してもらっているあいだも、仰向けになって布で隠された視界の向こうで、彼女がたびたび鼻を啜る音が聞こえていた(それで思い出したのだが、昨日の記事に書き忘れたけれど、夜、立川から青梅に帰ってくる電車のなかでも、こちらのすぐ右方に立った男が、ほとんど五秒置きに、時には二、三秒置きのペースで、花粉症特有のさらさらとした水っぽい鼻水の感触というよりは風邪の時のような黄色く粘りつくような音でずず、ずず、と鼻を啜っていた)。髪を洗ってもらったあとは、頭にタオルを巻かれて、鏡の前の中央の席に就く。Yさんが広げてくれるカットクロスに腕を通して身に纏い、少々お待ちくださいねと言うのにはい、と受けると、彼女は隣の女性の傍の台から西多摩新聞を持ってきて、Fくん、この人知ってる、と訊いてくる。見れば岩下尚史のことだった。先般、と言ってもう結構前だと思うが、物好きにも我が青梅に越してきた作家で、市役所かどこかで講演をしたらしい。確か和辻哲郎賞か何か獲っていたように思うが、軍畑に(越してきたんですよね)、と言うと、そうそうとYさんは受けて、うちのおばあちゃんなんか見に行ったんだ、とか何とか言っていた。それで西多摩新聞をひらいて待っていると、みずほ九条の会が発足したという記事が目に入ったのでそれを読んだ。また、河辺TOKYUが四月で閉店するらしく、そのあとにはイオンが入る予定だとあった。そのうちに美容師の女性(この店には高校生の時分から通っているにも関わらず、この人の名前が未だに定かにわからない――多分Iさんだと思うのだが、助手の人も「先生」と呼ぶので確証が持てないのだ。一五年近くも通っていて、今更、お名前は……などと訊けまい!)がやって来て、今日はどうするかと訊くので、短くしてくださいと答える。もう暖かくなってきたしね。そうですね。それで髪を切られはじめるわけだが、わりあい最初のほうで、調子はどうとの問いがあったので、調子は良くなって来まして、お蔭様で、と答え、仕事のほうもそろそろ復帰できるのではと考えていますと言った。そのうちにフロアをうろついていたYさんが、外を見て、「黒い人」が来ている、と知らせてくる。道の向かいに店と言うよりは自動車を売っているちょっとしたスペースがあるようなのだが、そこに黒人が客としてやって来ているらしい。「黒い人」という言い方も、ポリティカル・コレクトネス的にちょっと危ういのではないかと疑うのだが、(車を売っている)お爺ちゃん、大丈夫かななどとYさんは続けており、Iさんも同じるように受けて、こちらは、やはりそういう意識があるのだなと思った。本気で黒人が危険だと無条件でそう考えているわけではないのだろうし、Yさんも、偏見の目で見ちゃいけない、とその後呟いてはいるのだけれど、やはり何となく、怖いような「イメージ」というものがあるのだろう。こうした悪意のない、ある種罪のない、小さな無意識の、それ故に本人にとって反省されにくい差別意識(と敢えてこの言葉で言い切ってしまいたいと思うが)のほうが、ある意味で根深いと言うか、厄介な問題なのかもしれない。こちらは、凄く良い人かもしれませんよ、とか、フードを被ったままの格好をしているというのにも、ヒップホップでもやっているんじゃないですかとか、適当なことを言っていたのだが、その後もYさんはふたたび触れて、まさか「黒い人」が来ているって警察に言うわけにもいかないしねえ、などと口にして、これは多分アウトだろう。通報するような事案ではまったくないはずなのだ。Iさんも、人種差別になっちゃうからなと、その点勿論理解しているのだが、こうした本人に悪気のない偏見の目というのは一体どこから生じたものなのだろう。
 黒人が来ているというところから、外国人という繋がりで、中国人のことに話題が横滑りした時間があった。Iさんは中国人は逞しいね、とか言う。テレビで見たらしいのだが、中国人の親子が海かどこかではぐれた時に、お互いを探して、相手が見つからないのにお互いに憤慨していたと話すので、しかし中国というのは儒教の国なんですけどねえとこちらが呟くと、二人は、何だか難しいことを言い出したぞ、というような雰囲気を発しはじめた。あの孔子の、『論語』とか知ってますよね、とIさんに訊くと、知らないと言うので、知らないですかと笑ってしまった。儒教は仁とか礼とか言って、思いやりとか礼儀とかを大切にする教えのはずなんですよ、それが紀元前からずっと伝わってきているはずなんですよ、とか何とか話す。思いやりの国のはずなのだが、岡本隆司『中国の論理』にも書いてあったように、エリート層はともかくとして、「庶民」のあいだには儒教的な徳のイデオロギーというものはやはり根付いていないのだろうか。そのわりに、朱子学的な、年功序列と言うか長幼の序と言うか、年上や親には逆らわないというような考えは浸透しているような、これも単なるイメージがあるのだけれど、現代中国の実情はどうなのだろうか。
 そんな話をしながら髪を切られ、途中、ある程度切ったところでどうですかと訊かれたので、もっと短くやっちゃってください、バリカンでがっとやっちゃってくださいと言うと、そのようになって、最終的には相当に短く、スポーツ選手のようになった。ほか、特別に印象深かった話題と言ってこれと言ってないと思う。二度目の洗髪の時にYさんが、布で塞がれた視界の向こうから、Fくん、塾はもう辞めちゃったの、と訊いてきたので、去年ちょっと調子が悪くて、休んでいるんですよと受ける。そうすると、辞めたほうがいいよ、大変だもん、とか続くので、笑ってしまった。あの年頃の子どもを相手にするのはとにかく大変だと言う。加えて保護者も最近は、というようなことを言うので、しかしうちの教室では保護者対応は大概教室長などがやって、こちらは基本的にはものを教えているだけでしたから、などと話した。僕は塾くらいでしか働けないと思います、少なくとも、コンビニとかファストフードとかよりは、よほど自分に向いていますよ。
 こちらの散髪も佳境に掛かって、二度目の洗髪に移ろうという頃合いに、高年の女性客がやって来た。散髪やパーマの予約はないようで、新しくなった電車の時刻表をこの店で配っているのを受け取りに来たらしい。入口のほうでYさんと何だかんだと話し込んでいるその傍ら、こちらは髪を一旦切られ終えて、あとでまた調整しますということになり、洗髪台のほうに誘われて移るのだが、その際、Iさんが、こちらにだけ聞こえるように、あるいはこちらにも聞こえないような独り言としてほんの幽かな声で、しつこいな、と漏らすのが聞こえた。その高年の女性客のことをあまり好いていないと言うか、相手をするのが面倒なのかもしれない。しかしそうした本心があってもそれを隠して愛想良くしなければならないのが客商売、その後Iさんは女性客に、お茶でも飲んでく、と誘って、店のなかに導き入れ、コーヒーを用意していた。このような悪口と言うか、ある種の人間の「汚さ」(非常にささやかなものだが)のようなものが露呈した瞬間に立ち会うと、数年前のこちらは潔癖にも怒りを覚えたり、あるいは嫌気が差したりしていたと思うのだが、もうよほど図太くなったもので今では何とも感じない。それで短い髪をさらにちょきちょきと切って、最終調整を終えてお疲れ様でした、と散髪を終えると、こちらの分もコーヒーを淹れてくれたと言うので、どうもすいません、ありがとうございますと感謝して頂くことにした。入口脇の席に移り、Yさんが運んできてくれたものを受ける。おそらくはインスタントのコーヒーに、いびつな球状のアーモンド・チョコレート二粒である。コーヒーに付属させられていたミルクと砂糖を全部入れ、啜りながらチョコレートを摘んで、飲み終えて盆を運ぼうと持って立ち上がると、Yさんが、悪いじゃないと言って近寄ってきたので渡した。Iさんが、偉いねとか何とか言ってきたが、ただ盆を運ぶだけのことで、そのくらいやるものだろう。家でもそうやっているんだねとか言ってくるので、まあ皿洗いくらいはしますけど、と返すと、皿洗いをしてくれりゃ上等だ、みたいなことを言ったが、そんなわけがない、皿洗いくらい誰だってやることだろう。それで会計をお願いしますと申し出て、三二五〇円を支払い、吊るしてあったモッズコートを羽織って、それじゃあどうも、ありがとうございましたと二人に礼をして退店した。高年の女性客は退去していくこちらに遠慮のない視線を向けてきていた。多分こちらがいなくなったあとで、あの子はどこの子、などと訊いていたのではないかと思う。
 外に出たこちらはリュックサックのなかに入れてあった帽子を被り、街道を東へ歩きはじめた。先ほどの会話を思い返しながら行っていると、向かいの南側をピンク色の上着を身につけて傘を持ち、荷物を引いた姿が見えはじめる。例の、いつも独り言を言っている老婆だが、以前は常時鶯色のコートを着ていたのを、やはり暖かくなってきたからというわけで衣替えしたのだろうか。今日は車のナンバーを叫んでいないようだったが、通りを挟んですれ違う際に、やはり東京都の小河内ダムがどうのこうのとか大きな声で独り言を言っているのが聞こえてきた。さらに進んで、多摩高校の前で裏道に折れる。裏の通りに繋がる間道を通っている時に、目の前を鳥が一匹素早く横切って左方の梅の木へと飛んで行ったその体の一部にオレンジ色が覗いたのに、あの色は確かジョウビタキという鳥の色ではなかったかと思い出し、あとで調べてみようと立ち止まって手帳にメモを取っておいた。裏通りを進むあいだ土曜日とあって人通りは少なく、午後からことによると雨とか言われていて、確かに雲も多いけれど西空から陽も透けて通り、髪を短く刈ったばかりで露出した首筋に暖かく、麗らかで、静かに長閑な、いかにもそれらしい休日の昼下がりだと思って腕時計を見やると、時刻はちょうど一時半だった。途中の一軒の前で女児が、玩具を使ってシャボン玉を作って遊んでおり、泡の球体が周囲を舞い流れるなかで佇んでいた。それを振り返り振り返り見ながら進むと、今度は前方に白木蓮の高い木が現れ、まだ大方は蕾のままであるものの、枝先のことごとくに無数の薄黄色い花を灯したその姿が既に壮観のようだが、すべてひらけばさらに見ものになるだろう――しかし、樹冠が汚れなく澄んだ黄色一色で統一される期間はおそらく短いもので、低いほうの花が押しひらいて盛りを迎える頃には、多分高みにある花は焦げついたように茶色く濁って、あるいはもう落ちはじめてしまうのではないかと思うが。
 さらに進んで、市民会館跡地まで来ると、ドリルと言って良いのか、よく工事現場にある地面を掘削するような機械を扱っている人足がいて、その様子を観察しようと目を向けていたらしかしすぐに機械を停止させてしまった。工事現場というものも、そこここで色々な種類の動きが起こっていて、しっかり観察すれば面白そうなものだ。表通りのほうから大きな荷台の長いトラックが入ってきたのを受けて、黄色い蛍光色のベストを羽織った整理員が、オーライ、オーライ、と言うよりは、オレーイ、オレーイ、というような発音で声を大きく上げて誘導していた。その脇を過ぎて行き、駅前に出てロータリーを回り、駅に着くと改札を抜けた。電車は一時四九分発、ホームに上がって、ちょうど入線してきた電車の、いつも通り二号車の三人掛けに腰を下ろそうと思ったら、明るい金髪の、黒いブーツを何だか気にして前屈みになって弄っている女性が先客としていたので、その手前の七人掛けに腰掛けた。そうして、斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』を読みはじめる。それで河辺まで待って降車し、エスカレーターを上って改札を抜けると、『名探偵コナン』とコラボレーションしたスタンプラリーの、スタンプを押す台の前に数人の列が出来ていて、随分と人気なのだなと思った。駅舎を出て高架歩廊から眼下を見下ろせば、コンビニの前のベンチ二つに、顔色が茶色く肌の皺ばんだような老人たちが席を埋めて向かい合っているその脇に、誰かが何か撒いたのか鳩がたくさん集まっていて、なかの高年の男一人が集う鳥に向けて足を繰り出して追い払う素振りを見せていた。そんな様子を観察しながら進むと、眼下にいた鳩の一匹だろうか、飛び上がってきたものが目の前を羽ばたきながら横切って行き、右方、図書館から通りを挟んで向かいの、河辺TOKYUのビルの側面、薄緑色のガラスの縁に渡って行く。そうしてこちらは入館し、CDの新着を見たが特段目ぼしいものはなく、上階に移って新着図書を見ればハン・ガン『すべての、白いものたちの』――これはTwitterで良い評判を色々と目にした覚えがある――とか、保阪正康の『昭和天皇』上下巻などが新しく見られた。それから書架のあいだを抜けて大窓際に出ると、一席空いているところがあったのでそこの机上にリュックサックを置き、便所に向かったその途中、通ったのは動物学とか生物学の本の集まった棚の区画で、『ファーブル昆虫記』をちょっと手にして瞥見したりした。トイレで放尿を済ませ、鏡の前で帽子を外して髪の具合を確認し、ハンカチで手を拭きながらフロアに戻って席に帰りがてら、生物学などの著作をちょっと眺めた。この分野も、読めば面白いものがたくさんあるのだろう。そうして席に就くとコンピューターを取り出して、斎藤慶典の新書を読みながら起動を待ち、Evernoteを準備すると二時一四分から日記を書き出しった。一時間一五分が経って、現在ちょうど三時半に至っている。文章を落として行くそのリズムのようなものが出来てきた、言葉のスムーズな流れ方が掴めてきたような気がする。
 腹が減っていたのでものを食べに行くことにした。リュックサックから財布を取り出し、モッズコートを羽織ってポケットに手を突っ込んでフロアを渡る。階段の踊り場の壁に薄陽が射して、柱の影と明るみの矩形とが映し出されていた。館を抜けると高架歩廊から階段を下りる。コンビニ前のベンチには、女性はいなくなって中高年の男性ばかりが就いており、ベンチの上にはビール缶が置かれ、足もとに小さなペットボトルが転がっていた。コンビニに入店、「口どけチョコのオールドファッション」というドーナツを手に取り、ほか、おにぎりを二つ、ツナマヨネーズと牛めしのものを確保して会計する。三六五円。女性店員に礼を言って退店し、空いていたベンチに座って初めにツナマヨネーズのおにぎりの包装を取り除きながら、風が走っても寒くもない穏やかな空気に誘われたものか、悪くないなと思った。こうして午後の遅い時間に外気のなかで一人でおにぎりを賞味している、それだけでまったく悪くない生だった。前方は先ほどの男らが就いているベンチで、二つのベンチに四、五人が向かい合いながら座っているのだが、全員同じグループなのか、それともベンチごとで仲間が分かれているのか、それすら判別が付かない。ベンチの横には誰かが何か撒いたらしく鳩が群れて頻りに地面をつついているのだが、なかの一匹は狙っている食べ物の欠片が大きすぎて、何度も口に咥えながら食べられずに落としてしまう無益な動作を繰り返していた。左方では子どもが二人、道端の段の上に腰掛けてゲームか何かやっている。そのうちに前方のベンチに座っている男の一人、老人が、持っていたあれはパンだろうがそれを千切って放ると、鳩がそれに向かって一斉に群がり、大きな長方形のパンを集団で激しく貪りつつく。そのうちにパンは細かな欠片に分解されていく、するとまた老人がいくらかの破片を放って、また集団がそちらへ向けて殺到するということが繰り返された。じきにこちらのベンチにこれも老年の男性が寄ってきて、手を上げてちょっとすまん、というように素振りを見せながら(こちらも会釈を返した)座り、持っていたのは多分ビール缶だろうがこちらに背を向けながらそれを飲んで美味そうな溜息をついていた。こちらは三つの品を食い終わると、最後に口に入れたドーナツをもぐもぐやりながら立ち上がり、包装ビニールを入れた袋の口を縛ってコンビニ前のダストボックスに投入し、階段を上って図書館に戻った。入館して即座に、ものを食ったばかりで綺麗な公共の場に踏み入ったことによる緊張が兆したが、それが定かな感触として浮上したのは一瞬だけで、すぐに収まって消えた。上階に上がって席に戻りがてら、今度は環境学や地球学などの本が揃った棚のあいだを抜けつつ書架を眺めたのだが、なかに篠原雅武『複数性のエコロジー』というのがあって、これは図書館の新着図書でも本屋でも見かけてちょっと気になっていたものである。記憶に残しておくためにその著者とタイトルを手帳にメモしておき、そうして席に戻ると書抜きを始めるのだが――田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』である――ひらいた頁に乗せて抑えるための大部の本を求めて立ち上がり、ずらりと並んだ『ファーブル昆虫記』のうちの、最も厚くて大きいように見えた第八巻の下を持って席に戻った。そうして書抜きを始めたのが四時直前だった。ムージル著作集の分はもう大方済んでいたのですぐに終わり、それから、斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』の書抜き箇所を読書ノートに記録しようとペンを持ち、始めたのだったが、二箇所からそれぞれ一文をメモしたところで、いやこれ面倒臭いなとなった。結局こうして記録をしたところで、読み返さなければ大して頭に入らないのだし、それだったらさっさと書き抜いてしまって頭に入れたい箇所を「記憶」記事に送り込んで音読したほうが良いのではないか、と以前にも考えた思考をまた辿って、それでひとまず読書ノートへの一文抜書きはやめて、以前と同じように手帳にメモされた頁をもとにさっさと書抜きを行うことにした。また読書ノートを使いたくなったらそうすれば良い。それで休止していたコンピューターをふたたび立ち上げてキーボードに触れ、打鍵を進める。一時間強経って五時半前に至ると、バッテリー残量があと四パーセントと出て、至急電源に繋いでくださいと表示されたので、仕方あるまいと時間を区切ってシャットダウンし、帰途に就くことにした。荷物をまとめてリュックサックを背負って席を立ち、『ファーブル昆虫記』を棚に戻しておくと列を移って、民俗学の区画をちょっと見分してから階段に向かった。退館し、円型歩廊を渡って河辺TOKYUへ、入口には閉店の知らせが掲げられてあった。先ほど携帯電話を見たところ、果物は買ったからいいと母親からメールが入っていたのだが、どうせ風呂場用洗剤を買うつもりだったのだ。それで籠を持って、まずはいつも通り茄子を二パック取り、さらにエノキダケも籠に入れてから、洗剤の区画に行ったが、我が家で使っている「ルック」の詰替え用が見当たらない。以前ここで買ったように思うのだが、気のせいか。別にほかのメーカーの品でも大丈夫だとは思うが、「バスマジックリン」の品を手に取ってみると、しかし必ず該当の容器に移し替えてくださいと書かれてあって、まあサイズが違って余分に余ってしまうのも面倒かと思って、洗剤は母親に任せるか、いずれドラッグストアにでも行く機会が生まれた時に買うことにした。それからポテトチップスの大袋を二つ手もとに加えて会計である。並んで待ったあと一〇三二円を払い、整理台に移ってポテトチップス一つをリュックサックへ、その他はビニール袋へ入れて片手に提げ、退館した。外に出ると西南の空に雲が湧いており、空全体を見ても雲が多くてほとんど全面薄青さに浸ったなかに、これもやはり冷たく青い山影と雲とのあいだにピンクというか紫というか、山の向こうから浮かび上がってくる残照の反映がそこのみ鮮やかな色を差し込んでいて、光の一部は雲のなかにも亀裂を食い込ませるように筋となって走っていた。その様子を眺めながら円型歩廊を回り、駅舎に入って掲示板に寄ると奥多摩行きへの接続は五時四五分、残り二分ほどで丁度良い。改札を抜けるとその電車がもう入線してきており、この日は普段と違ってエスカレーターではなく階段のほうを下って行って停まった電車に乗り込んだ。扉際に就く。ガラスには車両内の様子とその向こう、こちらの背後、反対側の扉の向こうの駅のホームを行く人々の姿が映りこむが、午後六時前の薄青い空気に暗さが足りずにその情景は幽かなものに過ぎない。そうして電車が発車すると、先ほどの山際のピンク色が見えないかと視線を外に飛ばすのだが、線路脇の家々が遮蔽となって遠くの空の様子はほとんど覗かないのだった。そうして青梅着、奥多摩行きはまだ来ていなかった。二番線のほうに移って待合室の壁に凭れ、斎藤慶典の新書を読み出す。じきにやって来た電車に乗ると、やはり扉際に立ったままビニール袋は脚のあいだに置いて本を読みながら発車と到着を待った。最寄り駅で降りると、新書を小脇に抱えたまま駅を抜け、横断歩道を渡って坂道に入ると前方の竹の葉が風に晒されてさらさらと鳴り響いたそのあと一呼吸置いてから、道の上にも風が、坂の下から吹き上げるようにして走ってきて顔や首や身体を包んだ。
 帰宅。母親は台所で天麩羅を調理しはじめるところだった。こちらは買ってきたものを冷蔵庫に収め、下階に下りるとコンピューターを机上に据えて服を着替えた。そうして家計の支出を記録しようと思ったのだが、コンピューターがいつまで経っても立ち上がらない。ついに壊れたかと思いながらひとまず強制シャットダウンしてもう一度スタートさせてみて、待つあいだに隣室に入ってギターを適当に弾いて、ちょっとしてから戻ってくるとつつがなく準備されていたので安心した。ギターを持ってきて、(……)らの曲、"(……)"を明日宅録するらしいのでその練習に入る。と言ってフレーズはもう大方固まっているのであとはミスしないように通して弾けるようにするだけである。アンプにも繋がない貧弱な音のまま、流れる音楽に合わせて何度も繰り返し頭から通して弾いたが、単純なエイトビートのコード・ストロークでさえも難しい。コードチェンジを滑らかにするというのは基本のはずなのだが、これほど難しいこともない。それで七時半くらいまで練習をしたと思う。その後、FISHMANS『Oh! Mountain』から"いかれたBABY"をリピート再生にしてベッドに乗り、歌いながら手の爪を切った。鑢掛けもしてティッシュを丸めてゴミ箱に放ると、今度は勢いに乗ったまま"感謝(驚)"を流して歌い狂い、それからyoutubeFISHMANSのライブ動画をいくつか閲覧した。そんなことをしているうちに八時が過ぎる。上階へ行くと母親がお先にねと言ってくるので、ああ、と受ける。食事は米に野菜スープにフキノトウの天麩羅に唐揚げに茄子の和え物にサラダである。こちらが先日買ってきた鶏肉を揚げたらしい。テーブルに寄ると葉書があって、見ればUさんからこちらに送られたものである。表面にはサックスを吹くプレイヤーのシルエットがある絵葉書で、裏面のメッセージは、「いつだったかニューオーリンズに行ったときに買った絵葉書を見つけました。たしかFさんはジャズ好きでしたよね? お元気で。U」とのことである。有り難いことだ。彼にも久しぶりにまたメールを送りたい――どんなことを話せば良いだろうか。最近こちらはどんなことを考えているのだろう、と言ってむしろ何も考えていないと言うか、考えるとは一体どのようなことなのかとか、ものを読めば読むほどものを考えられなくなっているような気がするとか、自分は全然ものを考えていないのではないかといったことを疑問に思っているようなのだが。そうして卓に就き、どうでも良いテレビ番組を尻目に夕刊の一面に目を通す。ドナルド・トランプ大統領が、非常事態宣言の無効化決議に対して拒否権を発動したと言う。そのほかニュージーランドのテロ事件の続報があって、主犯者が法廷に出頭したが(随分と早くないか?)その様子は不遜で、にやにやと笑っており、白人至上主義をアピールするような素振りも見られた、というようなことが書いてあった。頭がおかしいとしか言いようがない。そうしてものを食べ終えたこちらは食器を洗い、そのまま風呂に入った。湯のなかではUさんにどのようなことを書き綴ろうかと散漫に頭を回し、出てくると身体を拭いてドライヤーで髪を乾かすのだが、短髪も短髪になったために即座に終わって楽だった。そうして下階の自室に帰り、ポテトチップスを食いながらちょっと休んだのち、九時半ちょうどから日記を書き足しはじめた。BGMはBobo Stenson / Anders Jormin / Paul Motian『Goodbye』である。ここまで記してぴったり一時間が経過した。最近は何だか書くことが多いような気がする。この日の記事も数えてみると既に一万二〇〇〇字を越えていて、以前は一日一万字書けばそれだけでぐったりとしていたような気がするが、もうよほど書きぶりもこなれて楽になってきたようだ。
 その後、一一時直前から、Brad Mehldau Trio『Art Of The Trio, Vol. 4: Back At The Vanguard』を流しだし、「記憶」記事を音読しはじめたのだが、もう時間も遅いので三箇所読んだのみでやめ、音楽も冒頭の"All The Things You Are"の途中で止めた。そうしてベッドに移り、斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』を読みはじめたのが一一時ちょうどだった。それから二時間半、途中で眠気に苛まれつつも、ベッドの縁に腰掛けるなど姿勢を変えて回避しつつ読み進めて、一時半に就床した。下記の、「時=空=間的断続体」という表現が印象に残っている。

 このように世界の時=空=間的変動はとどまるところを知らないが、このことは必ずしも世界の時=空=間的変動が連続的であることを意味しない。先にこの変動を記述する際、「はっと気づいたときには」とか「いつの間にか」と述べたように、私たちの経験の実際は時=空=間的変動を示す位相差(いま/たったいま、ここ/そこ、など)の切断線が時と場合に応じてさまざまな仕方で引かれることで成り立っているのであって、世界は時=空=間的連続体というよりはむしろ時=空=間的断続体とでも呼んだほうが実態に近い。世界にはそれこそ無限に多様な仕方で無数の亀裂が縦横に走っているのであって、それを時=空=間的連続体と見るのは、「もの」(「何」)の時間(持続)や空間(大きさ)を測定する「秤」から持ち込まれた一種の想定にすぎないのだ。時間を数直線で表示すれば、直線の性質から時間もまた(無限に分割可能な)連続体に見えてくる道理である。ここで忘れてはならないのは、そもそも時間を数直線で表示すること自体が、それでもって「何」かを(時間的に)測るための方便にすぎないということなのだ。
 (斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』ちくま新書(651)、二〇〇七年、145~146)