2019/3/19, Tue.

 例によって一二時半近くまで長々と床に留まってしまう。ようやく瞼をひらいたままに出来るようになると、布団を剝いでベッドの縁に腰を下ろし、鼻のなかをティッシュで掃除した。それから部屋を抜けて上階に行き、寝間着からジャージに着替える。台所には焼売やらブロッコリーやら前日の残り物(ほうれん草の炒め物と大根とシーチキンの煮物)やらが一つの皿にまとめられていたので、それを電子レンジに突っ込み、加熱しているあいだに洗面所に入って顔を洗った。それから米もよそって、おかずとともに卓に運び、食事である。新聞をめくってニュージーランド関連の記事を読みながらものを食べると、薬を飲んで食器を洗い、下階に戻った。コンピューターを立ち上げるとすぐには日記に取り掛からず、怠惰の虫が湧いてしまってだらだらと過ごしたあと、二時を越えてようやくキーボードに触れはじめた。前日の夜も怠惰に過ごしただけなので記憶に残っていることも特になく、前日の記事は一文書き足したのみで終わらせて、それからここまで短く書くと僅か一〇分程度しか経っていない。音楽は前日に引き続き、cero『Obscure Ride』から"Yellow Magus (Obscure)"、"Summer Soul"、"Orphans"の三曲をリピートさせている。
 歌を歌いながら前日の記事をブログに投稿したのち、二時半から日記の読み返し、二〇一六年六月三〇日の分。日記に改めて引いておくほどではないが、ちょっとした具体性を醸している描写の箇所をTwitterに投稿していると、Yさんが、こちらの記述を引いて評言とともに紹介してくれていたのでまことに有り難い。他人に紹介したいと思ってもらえるほどの文章を書けているのだから、二〇一六年当時の自分もなかなかやるものではないか。それから、Mさんのブログを一日分読んだ。すると三時に至ったので上階に行き、まず風呂を洗った。浴槽のなかに入って内壁を隅々まで磨くと、下辺に沿ってブラシを前後に動かし滑らせて、床の上をよく擦って水垢を落とした。そうして出てくると今度は洗濯物を取り入れる。ベランダに続くガラス戸を開けて、吊るされていたものを室内に取り込み、花粉が入ってしまうけれど外気を吸いたかったので戸は開けたままにして、タオルや肌着を畳んで行った。下着や靴下はソファの背の上に置いておき、タオルを洗面所に運ぶと下階に戻った。それから久しぶりにfuzkueの「読書日記(126)」を読み(二月二八日の分まで)、そうしてベッドに移って斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』の書見を始めた。しかし、最初のうちは布団を身体に掛けながらも比較的高い頭の位置を保っていたのだが、まもなく姿勢が崩れて水平に近づき、すると例によって、午前中すべてを臥位に費やしたにもかかわらず眠気が忍び寄ってくる。逆らう術もなくそれに巻き込まれて意識を落としつつ断続的に読み進めていると、あっという間に部屋の内は薄暗んで、小さくひらいたカーテンの隙間からあるかなしかに入りこむ夕暮れの微光で辛うじて文字の判別がつく程度になった。母親は四時頃に帰ってきたようだったが、それ以来上階には人が動く気配が感じられなかった。六時に達したところで本を置いて上階に様子を見に行くと、母親は薄暗いなかで例によって炬燵に入りながらタブレットを弄っており、まだ食事の支度はしていないようだった。葉を茹でてくれと言うので手を洗って、冷蔵庫を覗くと小松菜があったのでビニール袋に入ったそれを取り出して開封し、流水にちょっと晒すとともに水を汲んだフライパンを火に掛けたが、台所にやってきた母親によって小松菜は仕舞われてしまい、代わりにあれは何の菜っ葉なのだろうか、自家製のものだろうか、緑の植物が数本取り出されたのでそれを茹でる。ちょっと加熱するとすぐに取り出し、水に晒しておき、続いてブロッコリーを切り分ける。軸を切り落としてさらに半分に切断すると、塊をそれぞれ薄く、板型に切って行って、花蕾のほうも切り分けて、湯に投入した。その他、シシャモを買ってきたのでそれを焼こうということになった。二パックで計一六本である。フライパンにオリーブオイルを引いて熱したあと、一六本を一本ずつ箸で掴んで所狭しと敷いていった。そうして蓋をしておき、隣の焜炉では母親が器具を使って千切り状にスライスしたジャガイモを炒める。こちらも蓋をして、時折り両方をひらいて裏返したり搔き混ぜたりして加熱を続け、ジャガイモには仕上げにすき焼きのたれを垂らし、胡椒を少々振って完成とした。汁物は母親に任せて、こちらは自室に戻り、六時五〇分からふたたびベッドに乗って読書を始めた。今度はさすがに眠気は寄って来ない。一時間ほど読んで、斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』は読了した。

 (……)この机はさっきも「いま・ここ」にあったし、いまも「いま・ここ」にあり、きっと明日も「いま・ここ」にあるだろう(ここでいう「いま・ここ」はいつ・どこにおいても不変のあの「絶対的いま・ここ」のことではなく、そのつどの時・空間的規定におけるそれである)。だがそれは、「さっき」や「いま」や「明日」のそのつどにそのような思いが存立し、それがたまたま何回も繰り返されているからにすぎない。そのつど存立しているその思いに注目してみれば、それは原理的に先の<「ない」(もの)が「ある」>という構造をしているのだ。つまり、ひとたびその「思い」が成り立てば、次の瞬間に何らかの事情で机が「いま・ここ」に存在しなくなってしまったとしても、そのこととは無関係にその思いは存続しつづけるのである。このような仕方で「何」かが「ない」ことによって「ある」こと、「失われる」という仕方で「所有される」こと、あるいは「失われる」ことを以て「所有される」こと、このことが<世界の内に「何」かが存在する>という事態の成立なのだ。
 (斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』ちくま新書(651)、二〇〇七年、190~191)

 それから川上稔『境界線上のホライゾンⅢ(中)』を読みはじめ、八時過ぎまで読んで食事に行った。既に父親は風呂に入ったあとで(書き忘れていたが料理をしている最中に父親は早々と帰宅していた)、両親は揃って炬燵に入って食事を取っていた。こちらも米・ジャガイモ・シシャモ・レタスや人参や玉ねぎの生サラダなどを用意して卓に就いた。テレビは『サラメシ』。裁判所がこの日の舞台だったようだが、特段興味深い瞬間はなかったように思う。父親がテレビに向かってたびたび頷き、母親はタブレットを見ながら何とか言っているなか、黙々と、大方黙ったままでものを食った。何となく、虚しいような情を感じないでもなかったが、しかし何が虚しかったのかはよくわからない。ものを食べ終えて薬を服用し、皿を洗うとそのまま風呂に行った。八時五三分から湯に浸かって、浴槽の縁に両腕を乗せながら目を閉じて、次に目をひらいた時には空間に湯気が満ちて時計が読み取れなくなっていた。その後も瞑目して、Uさんにメールを送るようにして頭のなかで文章を回したり、現代史の知識などを思い出しているうちに時間が経って、浴槽から上がって時計に近づき見てみると、既に九時二五分ほどに至っていた。それから頭を洗って浴室を抜け、身体を拭くとゆっくりと服を身に着け、髪をさっと乾かして洗面所から出た。母親と分け合ってミックス・フルーツのゼリーを食べたあと、自室に戻り、日記を書きはじめた。Yさんに礼の返信を送っておき、それからやり取りを交わしながら日記を綴って、ちょうど一時間が経って一〇時三五分である。BGMにはcero『Obscure Ride』を採用した。
 その後、一一時半前からふたたび書見。『境界線上のホライゾンⅢ(中)』。それから木田元『哲学散歩』を読みはじめたが、まもなく力尽きて意識を失った。零時一〇分かそこらを指している時計を見たのは覚えている。それからしばらく読んだのちに眠りのなかに包み込まれていたわけだが、気づくと時刻は二時四〇分あたりだった。読書時間を零時四〇分までと考えて手帳にメモしておくと、歯磨きもせずにそのまま就床した。


・作文
 14:08 - 14:19 = 11分
 21:35 - 22:35 = 1時間
 計: 1時間11分

・読書
 14:31 - 14:58 = 27分
 15:15 - 15:29 = 14分
 15:30 - 18:00 = (半分と考えて)1時間15分
 18:49 - 20:19 = 1時間30分
 23:24 - 24:40? = 1時間16分?
 計: 4時間42分

・睡眠
 3:40 - 12:25 = 8時間45分

・音楽