2019/3/21, Thu.

 一一時二五分起床。言い訳の出来ない敗北である。空には雲が多いようで、基本的に晴れてはいるものの、窓が白く染まる時間と、太陽が分厚い光を顔に向けて射し入れてくる時間との移り変わりが激しかった。身体を起こしてベッドから抜け、上階へ。今日は春分の日である。父親も休みだったようで、両親は揃ってI.Y子さんとともに先般亡くなったYさんの墓参りに行くとの話で、既に不在だった。洗面所に入って顔を洗い、台所に出て、前夜から残った茄子と豚肉の炒め物を電子レンジへ、一方で鍋にはおじやが作られてあったのでそれを火に掛けて搔き混ぜながら熱する。そうしてそれぞれを持って卓へ、新聞の二面、総合面を読みながらものを食べると、まだ足りない感じがしたので戸棚からカップヌードル(カレー味)を持ってきて湯を注いだ。三分待つあいだに寝間着からジャージに着替え、そうして出来たものを啜りながらふたたび新聞を読み、食べ終えると皿や容器を台所で片付けて、下階に戻った。シャットダウンしてあったコンピューターを起動させ、Twitterをちょっと覗いたあと、日記に取り掛かったのが一二時二〇分だった。それから三〇分ほどで前日の記事を仕上げ、この日の分もここまで書いた。BGMは例によって、cero『Obscure Ride』から、"Yellow Magus (Obscure)"、"Summer Soul"、"Orphans"の三曲。
 前日の記事をブログに投稿したのち、"Yellow Magus (Obscure)"を歌いながら下半身をほぐし、鍵をジャージのポケットに収めて上階に行った。仏間に入って短い靴下を取って履いたあと、散歩に出た。前日に引き続き、大気の柔らかい春日だが、額に触れてくる陽の勢いは昨日ほどではない。点々と散った梅の白い花びらの上を行き、十字路近くまで来ると前方で高年の男性が二人、立ち話をしている。一人はNさんだろうと見当を付けて近づいていくとやはり彼の顔があるので、向こうがこちらに気づいて会釈をしてきたのに被せてこんにちは、と挨拶をして、それから連れの男性のほうにも目を向けると、これがN島さん、つまり同級生であるI.Kのお祖父さんだった。歩いているのかと問われたのに散歩ですよと答え、それからしばらくその場、市営住宅に隣接した小公園の脇で立ち話をした。Kのお祖父さんはリウマチで身体がまったく動かなくなり、一時は生死の境を彷徨ったらしいが復活し、今はこうして、杖を突きながらであっても外に歩きに出ることも出来るようになったのだ。やはり歩かないと、と言うので、そうですよと応援するように肯定した。少々左右にたるんだような、福々と、丸々と膨らんだような顔をしており、しかしやはり身体は動きづらいですか、と会話の途中で尋ねると、関節のあたりがやっぱりね、という返答があり、服をめくって見せてくれたその腕の、やはり老人特有の、皺ばんで色もくすんだような肌のなかに青暗い痣がついているところがあった。彼は昭和四年生まれ、Nさんの一つ上だと言う。昭和四年と言うと一九二九年だから、もう九〇か、と頭のなかで計算して、昭和四年じゃ、九〇歳ですかと声にも出すと、Kのお祖父さんは照れたように笑ってみせた。この辺じゃ一番だねとNさんが言うのにしかし、うちの隣のTさんも、九八ですよと告げると、Nさんは九八、と驚いていたようだった。最近見ないねと言うのに、やっぱりなかなか歩けないんじゃないですかと答えると、デイサービスに行っているよねとKのお祖父さんが補足してくるので、そうですねと肯定する。Nさんからはまた、顔を合わせるたびに言われているような気がするが、今年は会長で、とふたたび言われた。父親のことで、ここで自治会長に就任することになっているのだ。それで、色々とお世話になることがあると思いますので、よろしくお願いしますと互いに礼をして挨拶しておいた。そのうちに散開する雰囲気になったので、お元気で、とKのお祖父さんに残して失礼し、道の続きを歩き出した。坂を上って行きながら、祖母のことを思い出していた。何年生まれだったかと記憶を探っていたのだが、確か一九三一年生まれだと思っていたところ、二〇一四年の二月に確か八三歳で亡くなったのでそうすると計算は合う。しかし、三月の誕生日に八四歳を迎えるその前に亡くなったはずだから、二〇一四年で八四歳になったはずだったと考えると一年ずれて、一九三〇年生まれではないかと計算が付く。とすると昭和五年生まれだが、六年生まれだったか五年生まれだったか記憶が定かにならない。そうして坂を上って行き、平らな道に沿って家並みのあいだを行けば、昨日と同じように道端の沈丁花が鼻に香った。天気は相変わらず、晴れ晴れとしてはいるが雲も多いようで、路上で日向と日陰の交代が素早い。犬を散歩させている老人の傍を通り抜けて行き、角を曲がって表に出ると横断歩道に止まって、この日はしかし風があまり盛らないようだなと、弱く寄せてくるものを身に受けた。渡って緩く上りになった細道に入り、道端の草むらの、タンポポが綿毛を膨らませていたり、何と言うのか知らないが紫の花が咲いていたり、オオイヌノフグリが群れて小さく並んでいたりするなかをモンキチョウの飛び交っているその脇を過ぎて行き、墓場に近づくとやはりあれは線香の匂いだろう、前日と同じく鼻に漂ってくるものがある。斜面に設けられた墓地の前を通るあいだ、彼岸の中日のわりに人の姿はなく、代わりに風が流れていたが、卒塔婆が揺れて触れ合う音は立たなかった。
 肩口に温もりを宿されながら裏通りを行き、駅前に出ながら桜の木を見上げると、ちょうど今日だか昨日だかに都心で開花との宣言が出されたという話だが、我が町のそれも枝先にピンク色の蕾を充実させて、もう今にもひらきそうな具合だった。街道にふたたび出て、車の流れる通りに沿って東へ向かい――太陽は今は屈託なく照っていて、西を振り向けば低みに青白いものが蟠っているのみで、太陽のある高みからは雲が消えており、当分は陽射しが遮られることはなさそうだった――、対岸に渡る隙がなかったので横断歩道まで行くとここでかえって流れが途切れてボタンを押さずに渡って、シャッターの閉まった肉屋の前を過ぎて西へちょっと戻ると折れて木の間の細い坂に入った。微風が下から上って来て、柔らかな膜のようにして身の周りを包み、左方の林から張り出した緑の枝葉が頭上で緩く揺れるその下をゆっくり踏んで行き、通りに出ると温かな日向が敷かれているなかを家まで戻った。
 居間に入るとベランダに干された洗濯物を取り込み、タオル類を畳んだあと、洗面所にそれを持っていくついでに風呂を洗った。浴槽のなかをブラシで擦りながら、Kのお祖父さんの九〇という歳を思い、こちらの生と六〇年ものひらきがある、それはやはりそれだけで凄いことだよなあと思ったりもした。出てくると今度は肌着の類や靴下を畳み、それから自室に戻ると、ceroの三曲を流しながらMさんのブログを読みはじめた。その後、fuzkueの「読書日記(126)」も最後まで読んで、それだけで一時間が掛かって時刻は三時過ぎ、その頃には両親が帰ってきていた。腹が減ったこちらは上階に上がり、おじやの残りを温めて卓に就き、母親が何とか言うのを聞き流しながらゆで卵とともに腹に入れる。葬式の返礼品カタログで注文した新しい食器乾燥機が届いており、それを古いものと替えて設置しなければとのことだったが、面倒臭かったので我関せず、変わらず古いもののほうに洗った食器を入れてしまった。そうして自室に帰り、ベッドの上に乗って木田元『哲学散歩』を読み出した。哲学者たちのエピソードを紹介しながら「にわか仕込みの受け売り」と木田は言うものの、多数の本を読んで博識を身に着けていることは明らかである。自分ももっと読まなくては、という気持ちにさせられるが、しかし読書において数や量を性急に求めて急ぐことは禁物だろう。連載の第十回ではジョルダノ・ブルーノという思想家が紹介されていた。初めて聞く名前だったが、一六〇〇年に火刑に処されたルネサンス期の思想家で、「科学者とも哲学者とも魔術師ともつかず、そのどれででもあるような生き方」をした人物だと言う。彼はアリストテレスプトレマイオス的な古代以来の宇宙観を廃絶し、コペルニクスの地動説を採用したが、しかもただ彼の学説を紹介するだけではなくそれを乗り越える試みも行っていた。つまり、コペルニクスは宇宙の中心を地球ではなくて太陽であるとはしたものの、やはり宇宙に特定の中心があるという認識の枠組みは脱していなかったところ、ブルーノは、「宇宙を真の意味で無限なものと見、したがってそこに特定の中心はなく、すべての個物が中心になりうる」と考えたということだ。当時としては相当にラディカルな思想家だったようで、彼の生涯やその「記憶術」などについてももっと詳しい部分まで知りたかったが、連載の紙幅の都合もあって木田の記述はごく概略的なものに留まっていた。
 また、木田はハイデガー現象学のあたりが専門だが、カント関連の翻訳の仕事を二つしてきたと言う。一つは白水社文庫クセジュ」の一冊、ジャン・ラクロワ『カント哲学』であり、もう一つは同じく白水社の『ジンメル著作集』の一巻、『カント』だと言う。このあたりの著作も読んでみても良いかもしれないなと思われた。五時五分まで本を読むと食事の支度に向かわねばならないところだが、布団を身体の上に掛けてクッションに凭れながらしばらくまどろんでしまった。そうして五時半を過ぎてから上階に行くと、既に母親が大方の準備は済ませてしまっており、フライパンでは肉じゃがが煮られてあって、鍋には汁物も作られている。茄子を茹でてくれと言うのでこちらは手を洗うと茄子を二本、細く切り分けて、白滝を湯搔いて肉じゃがに投入したあとから水に入れて茹でた。その合間に勝手口の外に干されたゴミ箱をなかに取り込んでおき、茹で上がったものは笊に取っておいて、そのほか肉じゃがに生姜をすりおろして加えたり、大根や人参、新玉ねぎをスライサーで細かくして簡易な生サラダを拵えたりした。そうして茄子のその後は母親に任せることにして下階に戻り、ceroの三曲をバックにTwitterを覗いたりしてちょっと遊んだあと、六時四〇分頃から日記を書き出した。ちょうど一時間ほど打鍵して、現在は七時四〇分に至っている。
 上階へ。食事は米・冷凍されていた天麩羅と前日のフライ・肉じゃが・サラダなど。それぞれ用意して卓に就くと、テレビは、『ドキュメント72時間』に似ているが、マルタ島という場所のどこか、あれは空港か何かだろうか――に設置されているピアノを定点として、そこに来てピアノを弾く人々の様子を映していた。それを見ている母親は、楽器が出来るのはいいよねえと羨ましそうに呟く。父親も、会社を辞めたら何か楽器でも習おうかと口にして、Sの弟子になってギターでもやろうかと冗談を言って笑っていた。その番組が終わると今度は『モヤモヤさまぁ~ず2』にチャンネルが移され、この日の舞台は八王子である。エレベーターの表示盤を作っている会社にさまぁ~ずが訪れるのを見ながらものを食ったあと、皿を洗い、入浴に行った。八時過ぎから三〇分ほど、右膝を立てて左の脚は寝かせ、左腕は浴槽の縁に乗せて凭れ掛かるようにして湯に浸かったあと、出てきて、すぐに下階に戻った。時刻は九時前だった。そこから、cero『WORLD RECORD』を背景に流して、「記憶」記事を音読する。途中で携帯にメールが入っているのに気づいて、見ればTからで、満月が綺麗だよとあったので南窓に寄ってみると確かに丸々と大きな月が、皓々と白くくっきりと照っていた。メールに返信するのではなくてLINEにアクセスしてみるとグループでTが発言をしていて、彼女は今ベランダで月を見ているところらしかった。四月一四日にプラネタリウムを見に行こうと皆を誘っているので、時間はあるので行っても良いと返信しておき、音読に戻った。一〇時近くまで音読をすると、それから斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』の書抜き箇所を読書ノートにメモした。これも果たして意味があるのかないのかいつもながらの疑問を抱かざるを得ないが、ともかく該当箇所から重要と思われる情報を抜き出してノートに写しておいた。

 (……)あなたの足元の地面を這いまわる蟻たちにとって、1が1として、「1+1=2」として、まして三角形の内角の和が二直角として、姿を現わすことはないだろう。それはちょうど、コウモリのようにいわば耳でものの配置や形状を「見る」存在にとって世界が「何」ものかとして姿を現わしているそのさまに、耳では「聴く」ことしかできない私たちが立ち会うことができないのと同じではないのか。そうであれば、世界の「数」としての立ち現われに居合わせることができるのは、通常「理性」と呼ばれている能力(より正確には、記号を用いた理念的=概念的思考能力)をもった者にかぎられるのではないか。理性と相関的に、すなわち理性に相対的に現われるものを、世界のそれ自体における在り方だとする根拠はどこにあるのか。かりにその根拠が提出されたとしても、そのようにして提出された根拠自体が、すでに理性に相対的でしかありえないのではないか。(……)
 (斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』ちくま新書(651)、二〇〇七年、181)

 それから木田元『哲学散歩』においても同じことを少々やっておいた。プラトンのいわゆるイデア論というのは、ギリシアの伝統的な思考からするとむしろ異質な原理の導入なのだという話があった。古代ギリシア人は「万物は流れる[パンタ・レイ]」として、すべてのものは自ずから生成変化・消滅する自然[フュシス]だと考えていたわけで、そこに純粋に超自然的な不変の理念であるイデアという思考様式を革新的に持ち込んだのがプラトンなのだというわけだが、それ以前にパルメニデスが、「あるはある、ないはない」という定式において存在の生成変化を否定したはずで、そのあたりからギリシアの思考に変容が起こってきたのだろう。また、古代ギリシア人のそれに通じる自然観として古代の日本人のそれもちょっと触れられていたが、タカミムスビなどの神名にも用いられている「ムスヒ」という言葉は、「草ムス・苔ムス+霊力[ヒ]」というのが由来なのだと言う。
 メモの途中から音楽は、cero『POLY LIFE MULTI SOUL』をヘッドフォンで聞いていた。それで時刻は一一時前、切り良く音楽が終わるまでTwitterを覗いたりしてから、ベッドに移って川上稔『境界線上のホライゾンⅢ(中)』を読みはじめた。合間に歯磨きを済ませながら読み進め、一時間ほど経って日付も替わると、『哲学散歩』に移ってさらに読み進めた。そうして一時を過ぎて就寝である。


・作文
 12:20 - 12:50 = 30分
 18:38 - 19:40 = 1時間2分
 計: 1時間32分

・読書
 14:04 - 15:09 = 1時間5分
 15:25 - 17:05 = 1時間40分
 20:58 - 21:44 = 46分
 21:50 - 22:56 - 24:03 - 25:03 = 3時間13分
 計: 6時間48分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-03-18「透明な景色を一緒に見たいから回し喫みするきみのくちびる」; 2019-03-19「壁、壁をたたえよ、たたえてあがめよ、あがめてそして砕けよ壁を」
  • fuzkue「読書日記(126)」
  • 木田元『哲学散歩』: 110 - 176
  • 「記憶」: 107 - 113
  • 斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』、メモ
  • 川上稔境界線上のホライゾンⅢ(中)』: 520 - 594

・睡眠
 1:35 - 11:25 = 9時間50分

・音楽

  • cero, "Yellow Magus (Obscure)", "Summer Soul", "Orphans"
  • cero『WORLD RECORD』
  • cero『POLY LIFE MULTI SOUL』