2019/3/25, Mon.

 一一時四〇分まで惰眠。言い訳できない。完膚なきまでの敗北。眠ってしまったものは仕方がない。沖縄のHさんが出てくる夢を見たが細部は忘れた。彼女が我が家に泊まって、居間の片隅で眠っている場面があったのは覚えている。
 上階へ。食事は炒飯と言うかピラフと言うか、炒めた米に、温野菜。ほか、卵蒸しパンを半分。母親は外で草取りをしているらしかった。卓に就いてものを食べ、薬を服用するとともに皿を洗った。台所にはまた、皮の色が黒くなったバナナが置かれてあったが、それは食べなかった。そうして服をジャージに着替え、下階に下る。
 前日の日課の記録を付け、支出を計算し、日記を書きはじめたのが一二時半前だった。cero『Obscure Ride』の三曲を歌いながら進め、その後、『Obscure Ride』全体を流し、一時間一〇分で前日の記事を仕上げるとともにここまで綴って一時四〇分前である。
 Twitterにも記述を流しつつ、ブログに前日の記事を投稿したあと、上階へ。図書館に行ってもいいかいと母親に軽く尋ねると、いいよ、とのことだったので出かけることに。昼食には、ボロネーゼ・パスタの残りがちょっとあると言う。それを食べる前に浴室に入り、風呂を洗った。そうして出てくると、プラスチック・パックに入っていたパスタの麺の、少々固くなって絡まっているものを箸で持ち上げ大皿に取り分け、その上から赤茶色のボロネーゼ・ソースを掛けた。そうして卓に就いて実食。麺を持ち上げてソースと絡めている時に、ソースのなかに含まれている野菜か肉の微小片が一つジャージの胸元に飛び、赤っぽい点の染みが一つ生まれてしまって、まるで子どものようでちょっと恥ずかしい。ボロネーゼは結構酸味の強いもので、母親はもう少し甘いほうが良かったと言っていた。食べ終えると皿を洗い、下階に戻って、ceroの三曲を流しながら服を着替える。赤・白・紺のチェック柄のシャツにベージュのズボンを合わせ、モッズコートを羽織った。そうしてcero "Summer Soul"を歌ったあと、荷物をまとめて上階へ。Marie Claireのハンカチを持って出発した。
 陽のやや薄い日である。坂に入って視線を飛ばすと、坂上の宅は今日は布団を干していない。その家のあたりまで来ると緩やかな風が吹いて、しかし冷たさはなく軽く肌に絡んでくるもので、あたりの草木もしずしずと鳴りを生じさせる。ピンク色の木蓮の木を横目に坂を抜け、平らな道を街道に向かっているとTさん夫妻と遭遇した。こんにちは、と奥さんの方に声を飛ばし、それから旦那さんの方にも視線を向けて会釈すると、あちらはこちらが誰だかわからないだろうが、会釈が返って来た。行ってらっしゃいと奥さんが笑みで言ってくるのに、はいと答えて過ぎる。
 街道を行きながら首の後ろに温もりが溜まって、モッズコートだと暑いくらいの気温だった。空は雲が全体に薄く混ざっていくらか色が淡くなっており、途上を見上げれば雲の混ざり方が、石板のような、と言おうか――とこうして比喩にしてしまうとありきたりな感が出るが――あまり見ないような質感を生み出していた。道端ではユキヤナギが旺盛に雪白の花の連なりを膨らませている。
 あの梅の木はもう花を落としているだろうか、それとも風のあまり入らない場所のようだから、まだ残っているだろうかと思いながら裏道へ折れると、件の色違いの紅梅二本は、いくらかは散ったようだがそれでもまだ結構明るく灯っていた。裏路地に入ると一軒の庭にやはりピンク色の木蓮が、いくらか枯れつつも色鮮やかに立っている。しばらく進んで、茶色混ざりの白木蓮を過ぎたあと、たまにはルートを変えるかということで、青梅坂下から表に出た。車の流れる横を通って行くが、時折り流れが途切れて静寂が差し挟まると、そのなかに種々の鳥の声が落ちる。近くの庭木にいるものもあり、家々と裏路地を挟んでさらに向こうの林の方から渡ってくるものもあるようだった。市民会館跡地では人足が金属の棒や木板を持ちながら立ち働いているその隅に、別の人足たちが三人固まって座り込み、手を振りながら談笑している。そこを過ぎ、街道をそのまま駅に向かって行った。
 駅に入ると、ちょうど一番線の電車が発車するところだった。それを見送ってホームに上がり、二番線の立川行きを待って先頭車両の方に行くと、子どもたちの声がどこかから落ちてくる。向かいの小学校の体育館のなかからだろうかと思いきや、そうではなくて、どうやらその先、丘の上にあるグラウンドから流れてくるようだった。小林康夫『君自身の哲学へ』をリュックサックから取り出し、手帳に読書時間の開始をメモする。そうして読みはじめるところが、向かいの小学校の脇の細道を歩いている小さな女児と母親の二人連れに目が行った。初めは道端に突如として立ち止まって遅れを取った女児を母親が、上げた手を兎の耳のように曲げて手招きしていたのだが、女児が走り出し、母親の地点も越えて先行すると今度は遅れた母親が凄いねえ、と幼児に向ける時特有の甘いような声音で褒めながら追って行くのだった。そのような風景の一幕を眺めたあと、本に視線を落とした。じきにやって来た電車に乗り、二号車の三人掛けに腰を下ろして引き続き文字を追うのだが、その合間に目を閉じて内容を咀嚼するようにした。それで、自分にとって考えるということは目を閉じることなのだなと思った。視覚を閉ざし、目の前にある事物に視線を送るのではなく、暗闇のなかで自らの脳内に、どこからか生まれて来ては流れていく言語の動きに注視すること。本を読んでいる途中にも、折に触れてそのような時間を挟んで行くことが肝要なのだろう。
 そうして読み進めると言うよりは、大方目を閉じて思考を巡らせながら到着を待ち、河辺で降りるとエスカレーターを上って改札を抜けた。駅舎の方に進めば、高架歩廊の途中で何やら演説をしている高年の男があって、その前ではチラシを配っているようだ。差し出されたピンク色のチラシを受け取ったので、これも歴史の一断片というわけでここにその文言を引いておこう。

 新生存権裁判署名にご協力ください!
 東京地方裁判所民事第3部で始まっている、安倍政権による生活保護基準の引き下げを元に戻す裁判で、徹底した丁寧な審理を行い、憲法25条を活かし、公正な判断を下すよう求める署名に取り組んでいます。
 多くのみなさんの世論の力で、裁判が正しく行われ、裁判官の公正な判断が下されるよう求めていきます。署名へのご協力よろしくお願いします。
この私がまさか
生活保護制度に救われるとは!
生活保護は他人ごとではありません
もし、あなたが大きな病気やけがなどで収入が途絶えたら どうされますか?
☆貧困化が進み、生活に困ったときあてにできる蓄えがほとんどない暮らしをしている国民が増えています。
☆低年金で生活できない方々が生活保護制度を利用され、人間らしい最低限度の生活を維持しています。
☆国民が生活困難に直面した時、日本国憲法は、国民の生存権=人間らしく生きていく権利を保障することを国家と自治体に義務づけています。生存権の保障です。
☆人間だれでも困難に直面することがあります。そうした時、差別なく全ての国民に手を差しのべてくれるのが憲法25条です。

憲法25条【生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務】
 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
②国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

許せません! 一路軍事大国へ軍事予算を増やし続ける安倍政権
トランプ言いなり、社会保障を削り、高額の米国製兵器を爆買い!
 今後10年間で27兆円の無駄遣い
F35Aステルス戦闘機1機116億円を45機・F35Bと合わせて147機購入
航空自衛隊も要求していないものを官邸主導で爆買いし、消費税を10%へ

生存権裁判をささえる西多摩の会 連絡先 西多摩労組連 0428-23-8494

 視線を落としてそのチラシの文言を読みながら歩いていると、歩廊の途中にもう一人、中年くらいの男性で、同じチラシを配っている者があって、視線を上げてその顔を見ると会釈をしてきたのでこちらも頭をちょっと振って返した。チラシは折り畳んでモッズコートのポケットに入れておき、図書館に入る。カウンターに寄ってCD三枚と、斎藤慶典『哲学がはじまるとき』を返却し、CDの新着棚を見に行くと、Jose James『The Dreamer』という作品がある。新作かと思いきや、デビュー・アルバムの一〇周年記念盤だと言う。さらに見れば同じJose Jamesの、こちらは最新作だと思うが、『Lean On Me』もあって、それなのでこの二枚を借りるかと手に取った。こちらの周囲では、小さな女の子がうろついて棚のDVDを見分していた。そこを離れてジャズの区画に行き、見れば、狭間美帆/Metropole Orkest Big Band『The Monk: Live At Bimhuis』があるので借りることにして、三枚を持って貸出機のほうに向かうと、途中で先の女児が、その背がモニターの下端にやっと掛かるくらいの検索機の前に立ち、背伸びするようにして手を掲げてタッチパネルを操作していて、モニターを見れば「どらえも」とあったので、ドラえもんのDVDを探しているのだな、可愛らしいではないかと微笑ましくなって思わず顔を綻ばせてしまった。それでこちらは貸出機に寄って三枚を手続きし、リュックサックに入れながら上階に上がった。新着図書に特段の変化はなし。そうして大窓際に抜け、一席に就いてコンピューターを取り出し、日記を綴りはじめたのが三時半前である。ここまで書き記して現在は四時一〇分。
 書抜き、小林康夫『君自身の哲学へ』。ではなかった、その前に、借りたCD三枚の情報を記録し(どの曲に誰が何の楽器で参加しているかなど、細かくメモするのだ――Kris Bowersが曲ごとにローズとピアノとハモンド・オルガンとウーリッツァーのどれを弾いているかなど)、書棚から本を押さえる用の大きな本として、『ドナルド・キーン著作集』の三巻目を取ってきてから便所に行った。狭苦しい個室のなかで排便し、手を洗って帰りがてら、文芸批評の区画などちょっと見分して、佐々木敦の『新しい小説のために』を少々立ち読みしたりしたのち、席に戻って書抜きを始めた。二二頁には「実存」の定義として、「僕がこうやって存在しているということが僕自身にとって問題となるような存在の仕方」という簡潔な説明があるのだが、こうした「実存」の在り方と「純文学」の在り方は似ているのではないかと思った。いわゆる「大衆小説」から離れたいわゆる「純文学」の特異性があるとしたら、それは自己自身に向けた再帰的な「問い」がそこに含まれていることによるのではないかと思うからだ。すなわち、「実存」が自らの存在そのものに絶えず問いを投げかけるような存在の在り方であるのと同様に、「純文学」は自らが実践する「書く」という行いを絶えず問題の俎上に取り上げ続けるような書き方なのではないか。それは、小説には、あるいは文学には何が表現出来るのかという問いを、その作品の内に(必ずしも明示的にではないにせよ)孕み持っており、その問いに対して答えようと試みる不断の努力であるはずだ。
 また、六六頁には以下のような記述がある。

 僕がブリコラージュという言葉を強調するのは、「正しいか、正しくないかという基準はない。正しい神話、正しくない神話というものがあるわけではない、問題は君がそれをつくるかどうかだ」ということを言いたいからです。
 「正しい」という基準を捨てて、目的論的な発想を捨てて、君自身の実存の神話をつくるなら、それは君がつくったものなのだから、それでいい。もちろん、もともと機能なんかしないのだから。カラスは捕まらないのだから。どこかにあるような他の基準と比べてみて、「正しい、正しくない」とか「間違っている、間違っていない」ということを考えること自体がますます井戸のなかへと自分を落ち込ませることになるのではないか、と言いたいわけです。そうではなくて、「正しい、正しくない」という二律背反的基準そのものを無効にするために、それから逃れるために純粋に、自分の実存の質に触れるようなものをつくり、あるいはそれを行為する。まるでダンスのように、機能や意味に還元されない、正否の判断基準を逃れた、しかしどこか自分の実存の姿を映し出しているような「遊び」を、しかし真剣に[﹅3]遊ぶべきだろう、と。
 (小林康夫『君自身の哲学へ』大和書房、二〇一五年、66)

 ここで語られていることは自分においてはやはり毎日の「日記」の営みとして実現されているように思われる。こちら自身の「実存の神話」というものを簡潔に述べるとしたら、それは「死ぬまで日記を書き続けること」という一つの「物語」として言語化される。それは自分においては明らかに、何か他人の持っているような基準に照らし合わせて判断される「正しい/正しくない」を超えた領分にあり、その二項対立を無効化しており(ついでに言えば、「面白い/面白くない」の二律背反も廃棄したいところだ)、「機能や意味に還元されない」ものとしてある。しかし実際のところ、この「物語」を完結させるには途方もなく長い時間が掛かり(何しろ人生そのものと同じだけの時間が必要なのだ)、その道行きのあいだには当然、様々な困難もあるだろうと予想される。しかも、外的な困難――すなわち、昨年一年間がそうだったように、精神的な病など何らかの事情によって書けなくなることもあろうし、生活のなかで日記を書くだけの時間や労力を確保することができなくなることもあるかもしれない――も、内的な困難――端的に、自分が「日記」という営みに飽きてしまうことだって考えられる――も乗り越えて、「物語」の「完結」に向けて邁進したとしても、そもそもこの「物語」は最初から挫折を運命づけられているのだ(すなわち、それは「もちろん、もともと機能なんかしない」)。何故なら、端的に言って、自分自身で自分の「死」の瞬間のことを書くことは不可能だからであり、従って「自分の人生を隈なく記し、跡づける」という試みはどうあがいてもその最後の瞬間において、実現を阻まれざるを得ない。それは望み通り「死ぬまで」続けられたとしても、決して「完成」を見ない「神話」なのだ。しかしだからこそ、「完成」を絶えず先送りされて最終的にはそれに手が届かないということがはっきりしているからこそ、むしろそうした「遊び」に「真剣に」取り組み、遊ぶ価値があるように思われるのだ。
 そんなことを考えながら打鍵を続け、五時四〇分過ぎに至ったところでモニターにバッテリー残量があと五パーセントと表示されたので、帰ることにした。残った僅かなバッテリーで切りの良いところまで打鍵してしまい、書抜きを終えた時間を記録しておき、そうしてコンピューターをシャットダウンして荷物を片付けた。『ドナルド・キーン著作集』第三巻を書棚に戻しておき、退館へ。下階に下りたところで過去の塾生らしき顔を見かけたのだが、マスクをしていたし、明後日の方向を向いていたこともあって定かな判断は出来なかった。立ち止まるほどのことでもないので彼女の背後を素通りし、退館すると寒風のなか短く歩廊を渡って、河辺TOKYUに入った(入り口外のエレベーターのところで、子供が何やら非常に大きな泣き声を上げて駄々をこねていた――あれでは母親は大変だろう)。フロアの奥に進み、籠を持って食品売り場に踏み入る。まず最初に、水菜が七〇円で安いのを見つけて買うことにした。そのほか、茄子を二袋、椎茸も二パック確保し、それから豆腐を取りに行く。三個一セットのものを二つ手もとに加え、そのほか一〇〇〇グラムの油やカップ麺の類など手に入れて会計へ。女性店員に二一三一円を払い、整理台の前に立ってリュックサックと大きなビニール袋とにそれぞれ品物を入れて、袋を片手に提げて退館へ。外に出ると、空の青さがそのまま地上に降りて来て大気を包んでいるかのような黄昏の時間だった。時刻は六時である。歩廊を渡っていると駅から青梅方面行きの電車が発車するのが見えて、しまったな、あれが奥多摩行き接続の六時二分だなと思った。しかし見送ってしまったものは仕方がない、駅舎に入って次の電車の時間を見ると、六時九分である。改札を抜けてホームに下りると、先頭の方に歩き、リュックサックを下ろしてベンチに腰掛け、瞑目して思考をしようとした。しかしそうそう秩序立って形を成した思考が生まれるものでもない。散漫に頭を回して、まもなくやって来た電車に乗り、ここではせっかく下ろしていたリュックサックを背負ってそのままに座席に就き、前屈みになってやはり何をするでもなく瞑目して、頭のなかの思念に注視を送った。そうして青梅着。ホームを歩き、木製のベンチに座って小林康夫『君自身の哲学へ』を読みはじめた。途中で右方に、ヘッドフォンを付けた若い、やや小太りの男がやって来て、彼は黒い無骨なリュックサック背負ったままベンチに就いて前屈みになり、手に持ったゲームに視線を固定していた。耳を塞ぎ、視線もひとところに固めて自らの世界に引き籠った「井戸」的実存の例がここにも一つあるわけだ。「井戸」的実存の何が問題なのかと言うと、そこには「偶然」というものがなくなるということではないだろうか。自らに都合の良い情報しか取り入れないことによって、「偶然」によって自らの「外部」と遭遇する機会を逃してしまうこと。Twitterは使いようによっては、そうした「偶然」が生じる場として機能するようにも思われる。勿論自ら選んで相手をフォローするわけだが、相手も皆複雑性を孕んだ人間なので、時に思いがけない発言や情報がタイムラインに出現するし、予想もしなかった相手からリプライが送られてくることもある。そうした偶然の出会いこそが、自らを「再組織化」することに繋がるはずだ。
 じきに奥多摩行きがやって来たので乗車。三号車の三人掛けの真ん中にリュックサックを背負ったままに腰掛け、隣にはビニール袋を置いて我が物顔に座席を占領する。前屈みになって読書を続けた。電車は遅れていた。一番線にやってくる接続電車が、踏切りの安全確認か何かで遅れたらしい。六時四四分発車のところ、実際の発車は五二分ほどになって、そうして最寄り駅着。腕時計を見て読書の終わった時間を記憶しながら降り、駅舎を抜けると通りを渡って正面の坂道に入るのではなく、東に向けて歩き出した。別の坂から帰るつもりだったのだ。しばらく行ったところでちょうど車が途切れたので、その隙をついて対岸に渡り、木の間の細い坂道に入って下りて行った。
 帰宅。買ってきた品々を冷蔵庫と戸棚に収め、下階に戻ってジャージに服を着替えた。そうして上階へ。食事は、卵とトマトの炒め物に里芋の煮転がし、米、豚汁の類。テレビは『帰れマンデー』だったか、バス旅をしながら飲食店を歩いて探す番組。まあどうでも良い類のものではあるのだが、何となく、食事を終えてからもすぐに席を立つのではなくて見やってしまった。場所は群馬県の四万という地域で、透明度のおそろしく高く透き通った青さに染まっているダムが映されたり、『千と千尋の神隠し』のモデルになったらしい湯屋の情景が映されたりした。薬を服用して食器を洗うと、風呂に行った。入浴中に特段の事柄はない。出てくると下階に戻り、Mさんのブログを二日分読んで九時に至ると、借りてきたCD三枚をインポートしたあと、日記を綴りはじめた。BGMはJose James『No Beginning No End』。書いた傍からTwitterに記述を流しながら進めたところ、そんなに大したことを言っているわけでもないと思うのだが、結構リツイートとか「いいね」とかを貰えた。そうしてここまで綴ると、一時間半が経過しており、現在はもう一一時も間近である。BGMは同じJose Jamesの『Love In A Time Of Madness』に移行されている。
 読書。まず、Ernest Hemingway, Men Without Women。邦訳を参照し、また辞書で単語の意味を調べて赤線を引きながら、"A Simple Enquiry"の篇を読み終える。四頁しかない、短い篇である。翻訳の練習をするとしたら、このくらいのものから始めるのが良いのだろう。三〇分強でそれを読み終え、それから、川上稔『境界線上のホライゾンⅢ(中)』。そこそこ面白いけれど、やはりこうしたライトノベル的な物語はアニメなどの形で視覚的に享受したいという気はする。また、何しろ長いので、職場に復帰したあと、これをこのまま読み続ける時間的余裕が取れるかどうかも怪しい。これを読むのだったら、『特性のない男』や英語の勉強などに時間を使ったほうが良いのではないか、という気もしないでもない。四〇分ほど読んで、小林康夫『君自身の哲学へ』に移行する。たびたび目を閉ざしながら読んだのだが、時間が遅いこともあって瞑目のなかで頭が回ると言うよりは眠気が滲むようで、あまり益する読書ではなかったようだ。一時二〇分頃就床。


・作文
 12:27 - 13:37 = 1時間10分
 15:27 - 16:09 = 42分
 21:13 - 22:46 = 1時間33分
 計: 3時間25分

・読書
 14:58 - 15:13 = 15分
 16:51 - 17:44 = 53分
 18:15 - 18:54 = 39分
 20:35 - 21:00 = 25分
 23:04 - 23:40 - 24:21 = 1時間17分
 24:35 - 25:16 = 41分
 計: 4時間10分

  • 小林康夫『君自身の哲学へ』: 142 - 172
  • 小林康夫『君自身の哲学へ』大和書房、二〇一五年、書抜き
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-03-22「鏡像をながめて飽きる口移しするわたしからわたしに向けて」; 2019-03-23「逆光があなたを縁取り蝕となる天文学の歴史の外で」
  • Ernest Hemingway, Men Without Women: 90 - 93
  • 川上稔境界線上のホライゾンⅢ(中)』: 712 - 770

・睡眠
 0:50 - 11:40 = 10時間50分

・音楽

  • cero, "Yellow Magus (Obscure)", "Summer Soul", "Orphans"
  • cero『Obscure Ride』
  • Jose James『No Beginning No End』
  • Jose James『Love In A Time Of Madness』




小林康夫『君自身の哲学へ』大和書房、二〇一五年

 「実存」という言葉は、一人ひとりの人間が、現に、こうして世界のなかに存在していると認識することを示しています。(……)僕がこうやって存在しているということが僕自身にとって問題となるような存在の仕方ということ。(……)
 (22)

     *

 涸れ井戸の底に一人で座っているというこの原型的なイメージを考えてみると、これは塔のイメージの方向転換だということはすぐわかります。つまり、石を塔のように天に向かって、上に積み上げていくのではなく、今僕が大地と呼んでいるものへと、下のほうに積み下げる[﹅3]ことによって、世界からいったん退却するという仕方を考えることができる。井戸というのは塔の陰画なのです。それはそびえ立つ塔と同じ空間が、反転的に、――と言っても重力の方向性は変わっていないのですが――大地のほうに向かっていると考えられるわけです。
 (25)

     *

 塔はどこからも、誰からも見られ、目につくもの。なおかつ周囲を「支配する」ものです。それは、支配の空間的形象です。つまり、基本的に「見られる」ということと「支配する」という、中心と周辺という円心的構造に乗っかっているのだけれど(だからこそ、近(end27)代的な塔の最初であるエッフェル塔が一九世紀後半のパリという中央集権的な社会空間のなかに出現したわけです、井戸というのはまさにそうした支配の図式から退却することととらえることができる。
 (27~28)

     *

 僕なりに整理してみると、科学的な思考というのはある意味ではマシンつまり機械の思考です。機械というのはすべてがその機械のためだけの部品でできている。だから、逆に言えば、ひとつ部品が壊れたら同じ部品をそこに当て嵌めないと、機械全体は機能しない。全体と部分という関係になっているから、ひとつの部品はあくまで全体のなかでの位置を完全に決定されていて、自由がきかないわけです。ところが、ブリコラージュ的思考というのは、全体のなかの一つひとつの要素が個別の独自性をもっていて、全体より部分が勝っているというか、手当たり次第あるものだけを使うわけだから、当然初めからその全体のために部品が用意されているわけではなくて、ありもの[﹅4]でなんとか機能するものをつくるということなんです。
 (48)

     *

 僕がブリコラージュという言葉を強調するのは、「正しいか、正しくないかという基準はない。正しい神話、正しくない神話というものがあるわけではない、問題は君がそれをつくるかどうかだ」ということを言いたいからです。
 「正しい」という基準を捨てて、目的論的な発想を捨てて、君自身の実存の神話をつくるなら、それは君がつくったものなのだから、それでいい。もちろん、もともと機能なんかしないのだから。カラスは捕まらないのだから。どこかにあるような他の基準と比べてみて、「正しい、正しくない」とか「間違っている、間違っていない」ということを考えること自体がますます井戸のなかへと自分を落ち込ませることになるのではないか、と言いたいわけです。そうではなくて、「正しい、正しくない」という二律背反的基準そのものを無効にするために、それから逃れるために純粋に、自分の実存の質に触れるようなものをつくり、あるいはそれを行為する。まるでダンスのように、機能や意味に還元されない、正否の判断基準を逃れた、しかしどこか自分の実存の姿を映し出しているような「遊び」を、しかし真剣に[﹅3]遊ぶべきだろう、と。
 (66)

     *

 強いて言えば、他人の感覚は正しくない。他人のものは正しくないんです。なぜなら、自分のものではないから。そして、逆に、自分のものであれば、感覚が研ぎすまされていけば、自然と、いいか悪いかは、わかるんですね。「正しい」のではなく、なんだかわからないが「いい」ということ。これでいい、これがフィットする。そこに、手がかりがあ(end67)る。それがどのようなものであれ、自分の、自分だけの現実に触れる手の触感のなかに「手がかり」があるはずです。
 (67~68)

     *

 哲学というのは最終的には、わたしという身体的でもあり、意識でもあり、その二重性につきまとわれている「わたし」という存在の在り方を、論理の道を通って、――しかしそれはかならずしも論理的に、というのではないのですが――決定しようとする試みでもあって、しかもその問いの探求は、一度、正解が得られたらそれで終わりというものではなくて、そのたびに問われなければならない。いや、実存というものは、まさしくそのような「問い」そのものとしてある、と言わなくてはならない。(……)
 (71)

     *

 つまり免疫の機構とは、簡単に言えば、外から入ってきた異物に対して、同化不可能な(end75)悪いものは殺して排除し、いいものは取り入れるという仕方で自―他の境界が構築されていく。そこには、自そのものが生み出す、たとえば癌細胞といった異常な「自己」を「他者」として排除することも含まれている。どんな個体も、この取り入れと排除のシステムを備えていて、日々毎瞬間、細胞レベルで膨大なオペレーションが行われることによって、われわれは、この境界領域をなんとか維持しているわけです。
 (75~76)

     *

 トラウマ、つまり「外傷」があって、それが障害を起こすというより、目に見えないような仕方で、無数の、自分のコントロールを超えた情報・イメージ・異物・暴力が侵入してくるわけです。情報時代というのはそういうことを引き起こす。たとえば簡単な話、通(end78)勤途中でもどこでも耳にイヤホーンを押し込んでそこに流れてくるものを聴き、目は絶えずスマホのモニター画面を追っている。どこにも傷はないが、もはや皮膚の境界を超えて、絶えずわれわれの内側にまで「外部」が透過的に浸透してきているわけです。
 (78~79)

     *

 さて、このような他者や異物に対して、昔のままの原理で対処しようとすると、やはりこの境界を厚くするという方向に行くのではないか。皮膚を厚くして、浸透するものを防げば、自分の存在の安全が守られるという方向。僕はそれが引きこもりだと思うんです。引きこもりというのは、自分の個室が過敏な自分を守る分厚い皮膚になると考えるわけで(end80)すから。でも、同時に、現代では、その個室に、インターネットがつながり、スマホが持ち込まれ、むしろ膨大な異物的情報が浸透してくる。引きこもることによって、かえって浸透を受けやすくなる。そういう逆説が起きる。
 (80~81)

     *

 その場合、ともかく滅菌・殺菌の無菌状態にして対処するという外部性の論理に基づく(end86)ロジックはどこかでもう行き詰まっているのではないか。つまり外部の異物を排除することによって自己が守られるという近代的な考え方――その極限的な例がアウシュヴィッツだったと思います(それがある種の「科学の思考」とリンクしていたことは確かでしょう)――をもう一度見直さなければならない。
 (86~87)

     *

 自分が初めから確固として形成されているのではなくて、そういう無数のインターラクションを毎瞬間、行うことによって、自分というものの境界がようやく形成されてくるというような見方をしたらどうなるか、ということです。しかも、そのような認識の在り方を、人類の歴史的な局面と重ね合わせて展開してみることが必要なのではないか。そこに、わたしという実存と「人類」との具体的な、現実的な、接点がある。
 (89)

     *

 これまでの考えでは、自然というのは、基本的には、ものすごく巨大な循環装置で、人間がどのようなものを排出しても、それをいつの間にか浄化して元の状態に戻してくれるものでした。人間は、ある意味では、自然というその偉大なる循環の一部にすぎないという安心感があった。だから、人間がどんなことをしても、個人や集団の意志を超えたところで、最終的には、自然の下ですべてがうまく回っていくと。これはある種の神話的世界(end90)観だと思いますが、人間は自然のなかに組み込まれた一部で、そこではもちろん一人ひとりの個人の運命は悲劇的であったり、壮絶だったりするけれども、最終的には、自然という巨大な「母」、その限りなき生産性のなかに正しく身を置きさえすれば、究極的には、自分と他者とのあいだの循環も健全に保たれると。
 ところが、この自然の最終的な生産性を人間が奪ったというか、人間が世界を創造する[﹅10]ようになると、世界のなかに循環不能なもの、浄化不能なものが生み出されてしまった。その典型が放射性物質ですね。途方もない半減期をもつ物質。それは、もはや人間スケールの自然を超えてしまっている。
 (90~91)