2019/3/26, Tue.

 計り知れない怠惰、堕落である。何と一二時四〇分まで床に留まってしまった。睡眠時間は一一時間二〇分。ほとんど半日を寝て過ごしている。いかにも無職という身分に似つかわしいが、これではまったくもって生が勿体ない。何故これほどまでに起きられないのか? 意志の力の問題なのだろうか。ともかく、一二時四〇分に至って呪いから解放されたようにようやく身体を持ち上げることが出来た。Twitterを覗くと、新しい通知が一〇もあって、昨夜以来、こちらの投稿したツイートに対して結構反響があったようだ。それを確認してから上階に行く。母親は着物リメイクの仕事で不在。台所に行くと、パックのなかに冷凍の唐揚げと里芋の煮転がしが入っている。ほか、あれはほうれん草だろうか小松菜だろうか、仔細に確認しなかったが、鰹節の掛かった緑の菜っ葉に汁物。電子レンジと焜炉とでそれぞれ温めて卓に就き、新聞を読みながらものを食べる。辺野古基地建設のため、「第二区画」にも土砂が投入されはじめたとの報。また、ドナルド・トランプがネタニヤフ首相との会談でゴラン高原イスラエル主権を改めて容認するとの見通し。ものを食べ終えると薬を服用して台所で皿を洗った。それから、雨を恐れたのだろうか洗濯物がベランダに出されずに居間の隅に吊り下がってあったので、それをベランダに出す。空はいくらか雲混じりだが、今は薄陽が射していて暖かだった。その陽のなかにシャツやタオルを出しておき、それから下階に戻ると、Twitterのリプライに返信をしてから、日記を書きはじめた。前日の記事は短く書き足して済ませ、今日の分もここまで綴ると、二時が目前である。BGMとしては前夜から引き続き、Jose James『Love In A Time Of Madness』を流している。
 ceroの三曲を流して歌いながらブログに前日の記事を投稿した。そうして鍵をポケットに入れて上階へ。散歩に出るのだった。玄関を抜け、陽の射している道に出る。一路西へ。風が流れ、道端の、あれは柚子なのかそれともほかの柑橘類なのか、丸々と黄色に実った果実をぶら下げた枝葉が、振り子のようにぶらぶらと揺れていた。桜の生えた小公園を過ぎ、坂を上って行きながら、正面から降り掛かってくる眩しさに右手を目の上で庇のようにかざして見た西の空は雲もほとんどなくて、光の端まで浸透して淡い水色に塗られている。そのように片手で陽射しを遮りつつ視線を上方に向けながら進んでいると、緑に茂った一軒の庭木のあたりから、水面を細かく搔き回すかのような鳥の声がぴちぴちと賑やかに重なって落ちた。人間は本当に発展することなど出来るのだろうか、発展しているつもりで、螺旋を描くようにして生涯同じ領域に戻り続ける、そうしたこともあるのではないかなどと疑問を回しながら裏路地を行っていると、沈丁花の匂いが数メートル手前の時点でもう、風に乗って鼻に香った。ユキヤナギも道脇のそこここに生えて、白い花の連なりの重さに曲線を描いた房を四方に展開させ、清涼な風に揺らしながら咲き盛っている。街道を渡って細道に入ると、オオイヌノフグリのほかに、青白い筋のちょっと入った星型の、ヒトデのような花が目につく。これはあとで帰ってきてから調べたところ、ハナニラというものらしく、ウィキペディアが出典の真偽不明の情報だが、星型の姿形に相応しく「ベツレヘムの星」とも呼ばれるようだ。それを見下ろしながら過ぎて墓場へ向かって行くと、左方の斜面に沿って風が流れるのだろう、正面から強く吹き寄せるものがあって、さすがに涼しさを越えて少々冷たいほどに盛った。保育園の横を通って家並みのあいだに入ると、前方の宙からがさがさいうような鳴き声がかしましく落ちる。春を迎えて道に、鳥の声も豊かになったようだ。シジュウカラだろうかと電線に停まっている一羽を見上げていると、一羽だと思っていたものが二羽に分かれて、戯れるように飛び立って場所を移し、それと同時に路上には黒地の、そのなかに鮮やかな青が差し込まれて美しい蝶が一匹現れて、こちらの頭の上を越して前方に後方にと飛び交って行った。そこを過ぎてからも、背後からシジュウカラの声がしばらくついてきた。
 裏路地の尽きる手前、一軒の角にもうだいぶ花を散らした白梅があり、足もとには花びらが無数の粒となって路面を彩っているそのなかに風が駆けてきて、楕円形の小さな花弁の渦が生まれるのに目を奪われた。駅の桜はようやく花をひらいて、枝の上に雪を積もらせたように白く照っている。駅の正面の街道では道路工事をしており、一人の人足が道脇に作られた溝のなかで、竹を真ん中から割断したような舟形の容器を金槌か何かで頻りに叩いていた。東に向かって歩いていると、道路に立っている交通整理員のうちの一人が、これで桜も一気にひらいちまうな、こんなに暖かくちゃな、と口にするのに耳を惹かれた。それを受けて褐色の顔の、先頭で車の流れを管理していた高年が同意して、そうだ、シマちゃん、あそこがいいよ、と大きな声で秩父にあるらしい寺の名前を言う。あそこはいいよ、奥さん喜ぶよ。そんな会話を耳にしながら通り過ぎ、忘れないようにと反芻しながら通りを渡って坂に入り、風の下から舞い上がってくるなかを、ゆっくりと歩を踏みしめて下って行く。風と一緒に正面の家並みを越えた先から川の水音も上ってきて、足もとでは乾いた落葉や枯枝の砕ける音が立った。陽の射した通りに出ると家はもうすぐそこである。くすんで黒っぽい蝶の舞う傍を抜けて、鍵を右手の人差し指に引っ掛けてくるくると回しながら帰った。
 時刻は二時半頃だったはずだ。自室に帰ってポテトチップスを食いながらだらだらと過ごしたあと、三時過ぎになって洗濯物を取り込むために部屋を出て階段を上った。ベランダに出て先ほど出したシャツやタオル類を室内に入れ、ハンガーから取り外して畳んで行く。肌着も畳んで整理しておき、靴下やパンツの吊るされた一つは、これはうっかり出すのを忘れてしまって湿り気が残っていたのでそのままに吊るしておいた。それからタオルを洗面所に運んでおき――風呂は湯がたくさん残っているから今日は洗わなくて良いとのことだった――戻ってくるとアイロンを用意する。器具のスイッチを入れ、台を炬燵テーブルの上に用意すると、屈伸をしながら機器が準備されるのを待ち、カチリと音が鳴ると機械を手にしてエプロンやシャツの皺を取り除いて行った。そうして終えると台をもとの場所に片付けておき、アイロンを掛けたばかりの自分のシャツを持って自室に帰った。それからふたたび、五時半頃までひたすらだらだらとした時間が続く。
 上階に行くと帰宅済みの母親は例によってタブレットを弄っている。こちらは台所に入り、挽き肉を買ってきたと言うので、それと茄子を合わせて炒めることにした。茄子を五本取り出し、切り分けていき、鍋のなかの水に晒しておく。それからフライパンを用意し、油を引いて加熱したのち、笊に取り出した茄子を投入した。蓋を閉めて熱し、時折りフライパンを振るあいだに、汁物用の鍋を用意して玉ねぎを切り分ける。その後、椎茸も切って一緒に湯のなかに投入し、フライパンの方にも挽き肉を入れ、箸で崩して熱したあとに、すき焼きのたれを味付けとして垂らした。そうしてまたしばらく蓋を閉めて加熱すると完成、汁物も煮えてきた頃には母親も台所に入ってきて、BGMとしては彼女のウォークマンからQueenの"Bohemian Rhapsody"のライブ音源が流れ出していたので声を合わせる。そうして汁物にチューブから味噌を押し出して入れ、溶き卵も注いでこちらも完成、ほかに母親の求めに応じて新玉ねぎを円型のスライサーでおろしたあと、あとはよろしくということで、流れていた"Hammer To Fall"に合わせて口ずさみながら階段を下りた。そうしてねぐらに戻ってくると、ceroの三曲を歌ったあとに同じくceroの『WORLD RECORD』を背景に日記を書き出して、現在七時半を迎えている。
 「記憶」記事音読。四〇番から五〇番まで。その後、食事を取りに上階へ。母親は既に食べるものを食べ終えていた。台所に入り、丼に米をよそってその上に茄子と挽き肉の炒め物を乗せてカバーのように埋め尽くす。その他味噌汁、水菜とトマトの生サラダ、前日の残り物であるパスタを和えたもの。それぞれ卓に運び、食べはじめる。テレビは世界各地に住んでいる日本人を尋ねていく番組で、千原せいじがエジプトのクフ王のピラミッドの内部に潜入していた。その後、カイロの街に戻って、今回探す日本人がいる町はルクソールだと発表されたのだが、こちらがルクソールという名前で思い出したのは、確か一九九六年かそのくらい、九〇年代に観光客の殺害事件があった場所ではなかったかということだ。日本人も被害者になっていたはずだと記憶する。
 ものを食べ終えて、薬を服用して皿を洗っていると父親が仕事から帰ってきた。何故かわからないがケーキを買ってきたらしく、白い小箱がテーブルの上に置かれた。あとで母親が中身を見たところ、ロールケーキだったと言う。こちらは風呂を父親に譲って下階に戻り、だらだらとした時間をふたたび過ごしたあと、九時過ぎからfuzkueの「読書日記」を二日分読んだ。BGMはJose James『The Dreamer』、この作はJose Jamesのデビュー盤らしいが、バックの演奏もなかなか骨があって好盤だという印象だ。そうして九時半頃になって入浴に行った。両腕を浴槽の縁に乗せ、身体を伸ばして湯に浸かっているうちに三〇分があっという間に過ぎる。出てくると、一〇時過ぎだったはずで、自室に戻ったあと、まただらだらとした時間を過ごしたのだったか、Twitterでも眺めていたのだったか。一一時前から二〇一六年六月二五日の日記を読み返したのは確かである。以下のようななかなか力の入った描写が含まれていて、Twitterにも投稿した。

 駅に入って便所に行き、小便器の前に立ちながら左に首を向けて窓の外を見ると、一面の水っぽい青の色である。空は折り重なって筋を引いた雲で塞がれて、線路や町並みを越えた果ての壁には下端から上空とは別種の、紙のように立体感のない雲が立ちあがって山が生まれたようになっていたが、その左の裾は地に下らずに上下に広くひらいて空隙を占め、水平線と上空とのあいだを繋がんばかりだった。用を足してから室を出て、エスカレーターに乗りながらイヤフォンを付けてBlankey Jet Cityを聞きはじめたが、ホームに降りてからもこの青さは凄いな、と空を見てばかりだった。ほつれは諸所にあれど、どの方向に視線をやっても、くすんだ灰色混じりに濡れた青さの雲に遮られて、空が一挙に近くなったかのようであり、地上にも染みだして空気に吸いこまれたその色のなかで、居酒屋の照明のピンクの色が毒々しく映った。視界の広くを埋めて大陸じみた巨大な雲が浮かんでおり、落ちてこないのが不思議なほどに青さを含んでのしかかるようなそれは、自分の重さに難儀する亀に似てまったく動かないかのように見えるのだが、じっと見つめていると、無造作に引かれた端の線の位置がじわじわと、砂に水が浸食するようにして確かに進んでいるのが見て取れるのだ。ホームの黄線の際からそんな風に、顔を上げて眺めていると、視界の低みで動きがあって、見れば白い猫が、突如として線路の真ん中に現れていた。尾の先のほうだけが茶色く染まった猫は、レールを乗り越えて背の低い草むらも踏んで柵の前まで行ったが、それを越える気力はないようで、ちょこちょこと四つ足を動かしてちょっと歩くと、止まって体を搔きはじめた。既にあるかなしかの明るみも一刻ごとに落ちていく黄昏のなかで、その猫の白い体色だけがまだ浮かんで、一面の青さに吸収されず、それと対照を成しているようだった。

 二〇一六年の日記と現在の日記を比べてみると、叙事的には進歩が見られると言うか、全体的に時間の分節がより細かくなっていて生活を詳細に綴っているのだが、上のような風景描写の密度などは当時の方が優れているかもしれない。日記を読み終えたあとも少々Twitterを眺めていると、次のようなツイートを目にした。KAZUKO‏ @PeriKazukoという方のものである。「戦争末期、空襲が激しくなる中、動員された工場の朝礼で「君が代」を歌った。敗戦を予想しながら、先生が睨みつける中、背筋を伸ばして大きな声で歌う。そして空襲で家全焼で山奥へ。月日が過ぎて、孫の小学校入学式で「君が代」斉唱のとき、どうしても声が出ない、歌えなかった。今も歌えない」。壮絶な体験をしたのだろう、印象的なエピソードである。ほか、岩手県議会が「沖縄県民投票の結果を踏まえ、辺野古埋立て工事を中止し、沖縄県と誠意を持って協議を行うことを求める意見書」を可決したとの情報も手に入れた。
 そうして一一時一八分から、ベッドに移って小林康夫『君自身の哲学へ』を読みはじめた。文字を追う合間に時折り目を瞑って思考を巡らせながら読み進めて、零時四〇分頃に切りを付けて就床した。


・作文
 13:34 - 13:51 = 17分
 18:40 - 19:28 = 48分
 計: 1時間5分

・読書
 19:29 - 20:04 = 35分
 21:08 - 21:18 = 10分
 22:50 - 23:02 = 12分
 23:18 - 24:41 = 1時間23分
 計: 2時間20分

  • 「記憶」: 40 - 50
  • fuzkue「読書日記(127)」: 3月10日(日)まで。
  • 2016/6/25, Sat.
  • 小林康夫『君自身の哲学へ』: 172 - 214

・睡眠
 1:20 - 12:40 = 11時間20分

・音楽

  • Jose James『Love In A Time Of Madness』
  • cero, "Yellow Magus (Obscure)", "Summer Soul", "Orphans"
  • cero『WORLD RECORD』
  • Jose James『The Dreamer』