2019/3/29, Fri.

 一一時起床。Twitterを覗いてから上階へ。ジャージに着替えて顔を洗う。食事はおじやとマフィンと前日のウインナーの炒め物の残り。母親、将来に対する不安を漏らす。この家は一人で住むには広すぎると。しかしYちゃんにも言われたことだが、兄が家を出て外国になど行っている現状、この流れのままで行くとこちらがこの家を守っていく立場にならざるを得ないのではないか。自分に果たしてきちんと家を継ぐことができるかどうか、そのあたりこちらも心許ない。翌日、相模原の親戚の墓参りに行って帰りに山梨の祖母宅に寄るという話もあった。朝早く起きられればこちらも行っても良い。母親が料理教室で作ってきたオレンジ・ケーキと、その仲間から頂いてきたふわふわのシフォン・ケーキをデザートに食って、薬を飲んで皿を洗って下階へ。日記を書き出したのが一二時一四分。『特性のない男』の感想をちょっと綴り、前日の記事を仕上げて、ここまで書くと一二時四六分。花冷えの金曜日である。
 FISHMANS『Oh! Mountain』を流した。そうして前日の記事から『特性のない男』の感想部分をTwitterに投稿し、記事全体をブログに投稿する。それで時刻は一時頃、"土曜日の夜"が流れ終わると上階に行った。母親は炬燵に入って食事を取っていた。こちらは風呂場に行ってゴム靴で室内に踏み入り、風呂の栓を抜くとともに蓋を除いて、洗濯機に繋がったポンプ管も持ち上げて水を排出させる。それからブラシを手に取り、浴槽のなかに入って四囲を擦る。下辺を念入りにごしごしとやっておき、シャワーで泡を流すと栓と蓋をもとに戻して室を出た。立川に出かける気になっていた。それで下階に戻ると、『Oh! Mountain』の流れるなかで早速服を着替えた――臙脂色のシャツに、僅かに青みがかったグレーのイージー・スリム・パンツ。やや冬戻りしたようでそこそこ冷える日なので、上着には久しぶりにバルカラー・コートを着るつもりでいた。街着に着替え終わると、音楽の流れるなか、出かける前に「記憶」記事を復習しておこうと一時半前からぶつぶつやりはじめた。椅子に座って背を丸め、コンピューターに向かい合って三〇分、中国史の知識を確認すると、音楽は"チャンス"が流れているところだった。Twitterを眺めながらその次の"いかれたBABY"まで聞き、そうするとコンピューターをシャットダウンし、荷物をまとめて上階に上がった。二時過ぎだった。Marie Claireのハンカチを引き出しから取って母親に行ってくると告げ、玄関に出たところで鍵を持ってくるのを忘れたことに気がついたので、自室に戻った。鍵を棚から取ってズボンのポケットに収め、もう一度階段を上がって出発である。
 やはり空気のやや冷たくて、少々張ったような肌触りだった。とは言え道に出れば陽は射していて首の後ろに温もりが宿る。坂に入り、こごっている脚をほぐすようにしてゆっくりと歩を送り出してのろのろと上っていると、そんなわけもないのにまるで病み上がりであるかのような気分が兆すようだった。出口に掛かると風が通って、周囲の緑葉がさらさらと靡き、ガードレールの向こう、一段下がった道の脇に生えたピンク色の木蓮も無数の蝶のような花を揺らがせる。
 街道に出るとすぐに北側に通りを渡った。石壁の上、頭上から張り出している小さな桜の、粒立った白い花びらを見上げながら過ぎると、脚もほぐれてきたようで歩調が軽く、いくらか滑らかになっていた。道端でユキヤナギの、白い花の連なった房が無数に広がり重みでいくつもの曲線を描いているその氾濫に、自然にそのように生長したと言うよりは人工的に整えられたオブジェを見ているような感が差した。小公園の桜はまだ開花前だが、もうほとんどひらきかけて蕾の紅色を枝先に充実させている。
 裏通りに入って行きながら、右方の塀から足もとに掛かってくる影と、その足もとから斜めに伸びる自分の影絵とがいくらか淡いのに、何かいたいけな、とでもいうものを見たような心地になった。変わらず温もりはあるが、空はどちらかと言えば雲寄りのようだ。途中、通行人もない通りのなかに、錐揉み状とでも言おうか、そんな形象を思わせる鶯の谷渡りが左方の林から響き落ちてきて、気づけば風が流れており肌にも触れて、見やれば線路の向こうの木の葉も揺らいでいる。さらに進んで青梅坂の近づいた頃に現れる白木蓮の、遠くから見ても落花のあとの貧しさが露わで、無残なような姿を晒している。天に向けて突き立つ枝に茶色に萎んだ花の残骸を突き刺すようにして、下部にはまだ白い花もいくらか残ってはいるが、そのどれも口を窄めながらすっと立つ力をもはや失って、しどけなく花弁を四方にひらき垂らしていた。短い華やぎだったな、と哀れんだ。薄黄色混じりの白さを全面に漲らせたかと思いきや、盛りはいくらも続かずすぐさま端から炎に炙られたように茶色く変色していき、梅や桜のように楚々とした白さを保ちながら散り舞って人の目を楽しませるのでもなく、燃え尽きた花火の残骸のように色を濁らせてぽとりと直下に落ちて伏す。難儀な花だ、と思った。
 道の左右の草むらやら庭木やらに現れる鵯に目を向けながら市民会館跡地裏まで行くと、駐車場の向こう、林の縁で、緑の木に隠れるようにして、しかし隠しきれず、山桜がくゆるように光っている。とすれば梅岩寺の、名物の枝垂れ桜ももう咲いているかと進んで見れば、果たして色を宿していて、木の足もとの駐車場には見物の客の姿がいくつもあったが、手前の山桜の、白髪のように光る淡い薄紅色こそ捨てがたい。人の通う道もなく木のもとには古びた家が一軒あるのみ、寺の桜から僅かな距離の差なのに誰にも見られず照っているかと仄かにものを哀れに覚えて、句を詠んだ。

 見る影も絶えて木蔭の山桜

 駅まで来ると改札をくぐってホームに上がり、先頭車両の位置まで来ると手帳を取り出して道中印象に残った物事を短くメモした。やって来た電車に乗ると今日はいつもと違って、七人掛けの端に就く。そうして、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を取り出して読みはじめた。尿意がやや高くなっていた。股間の感触に、途中で漏らしはしないだろうなと、パニック障害時代から習いとなっている緊張が微かに湧く。それでも途上、初めのうちは本に気が紛れて尿意を忘れていたところが、昭島を過ぎたあたりから段々膀胱が張って来るようで、いや、漏らすことはないとわかってはいても集中を逸らされた。車両内、端の優先席に座った家族の、まだ幼い子供が、明かりをつけましょぼんぼりに、とあどけない声で、正確な音程など知らぬ気に、歌うと言うよりは叫ぶような声を放っていた。
 立川に着くと降車、階段に向かって人々の流れていくあいだに立ち止まって手帳に読書時間の終わりを記録した。緊張はあるが、敢えて急がずにゆっくりと歩き、階段を上り、便所に入って小便器の前に立った。長い放尿を終えると手を洗ってハンカチで拭きながら室を出て、外していたコートの前釦を嵌め直すと歩き出し、改札へ向かった。こちらの直前で女性が一人、カードがうまく読み込まれなかったのか別のカードを当ててしまったのか、改札の赤いランプに捕まっていた。こちらは抜けながら振り向くと、彼女は別の改札からもう一度試して無事通れたようで、売店の脇に立っていたサングラスを掛けてオレンジ色の上着を纏った男性に近寄っていた。すぐさま男が女の肩を抱いて引き寄せ、髪など撫でているところでは恋人らしい。
 広場に出て、伊勢丹方面へと通路を辿って行く。歩道橋に掛かるところで横からこちらを追い抜いていく男女の、先ほどの二人ではないかと見ながら確信が持てなかった。サングラスこそ顔に掛けていないものの、オレンジ色のジャンパー風の上着の先刻見たばかりのものではないかと思い、女性のほうの姿形にも覚えがあるような気がしながら、記憶が早くも索漠として定かでない。人の記憶とは何と朧気なものかと思いながら道路の上を渡り、高島屋へと折れて二人を追っていたところ、男のほうが女の頭に腕を回して抱くようにじゃれ合っていたので、その親[ちか]しい距離感から言っても多分、先の二人と同一人物だったようだ。
 高島屋に入館し、エスカレーターを上って淳久堂へ入店した。目当ては山我哲雄『一神教の起源』である。次の読書会の課題書であるこの作は、地元の図書館に収蔵されているのだが、検索してみると貸出中が続いており、だったらいっそのこと買ってしまおうと思って来たのだった。それで、選書の棚を見に行くと件の著作は棚に見つかったので、それを手に持つ。それから岩波文庫の棚など見分して、ルソー『告白』が揃って上中下あるのを確認すると、次に海外文学を見に行った。仔細に棚を見てみれば、面白そうな本はいくらでも見つかるが、金を出して買うかどうかとなると踏み切るほどの気にはなかなかならない。この時見たなかでは、『リヒテンベルクの雑記帳』という著作が面白そうで手帳にメモしておいた。この名前は、先日読んだショーペンハウアーがその文章のなかで優れた著作家として挙げていたものだ。
 それから文庫のほうに戻り、ルソー『告白』はここで買ってしまうことにした。それで合わせて五〇〇〇円くらい、Mさんから貰った五〇〇〇円分の図書券を持ってきており、それでカバーできるので、もう一冊何か買おうという気になっていた。それで思想の区画を見に行く。ショーペンハウアーが言っていた通り、何か世評の確立された、天才が記した古典的な著作でも買おうかという心で棚を辿って行くと、ハンナ・アーレントの一角があったので、アーレントなど良いのではないかと見分した。『エルサレムアイヒマン』が三〇〇〇円台で良さそうだった。候補として頭のなかにメモしておいて、一旦その場を離れて西洋思想の長々しい棚を追って行くと、古代のところで、アウグスティヌスの『告白録』を発見して、これも良いのではないかと思った。ルソー『告白』と合わせて自伝文学の白眉であり、主題的な連関性・統一性も取れる。値段は四八〇〇円、どうしようかと思いつつ、二〇一二年出版のこちらのほうが多分良いのだろうが、『告白』なら岩波文庫にも入っていただろうと、ひとまずそちらを見に行った。しかし岩波文庫版は上下のうち片方しかなかったので、やはり買うならハードカバーのほうだなというわけで思想の区画に戻り、『告白録』を手に取って中身を覗きながら迷う。アーレントの区画にも戻ってふたたび『エルサレムアイヒマン』も見分した。さらに、『アウグスティヌスの愛の概念』という著作もなかを覗いてみたのだが、これを先に買うよりはやはりアウグスティヌスの原書のほう、『告白録』そのもののほうを読むべきだろうと思われたので、やはり『告白録』を購入することに決めて、ハードカバーの厚い著作を手に取って、計五冊を持って会計に行った。
 そうしてエスカレーターを下って退館。曇り空の下、歩道橋を渡り、左方に階段を下りて、ビルのあいだの細い道を抜けて表通りに出ると、PRONTOに入店した。二階に上って席を見れば、喫煙席傍に二つのテーブルが繋がった四人掛けがあって広々と使えそうだったが、さすがにそれを一人で占領するのは気が引けたので、カウンターの端に入ることにして荷物を置いた。そうして下階に下り、小腹が空いていたので何か食べたいと棚を見やって、ソーセージ・エッグ・マフィン(二八〇円)を手に取り、レジカウンターの女性店員に差し出した。そうして、あとですね……と前置きを置いて、アイスココア、と呟くと、踊るように身を翻してマフィンを背後のレンジに収めながら店員がサイズを尋ねてきたので、Mサイズでと告げて、合わせて六一〇円を支払った。品物を受け取ると上階の席に戻り、ココアの上の生クリームをちょっとすくって食べたあと、ストローで突いて褐色の液体のなかに沈め、甘ったるいその飲み物を啜る。それからマフィンの包装紙を剝がして一口一口かぶりついていった。食事を終えるとコンピューターを取り出し、ココアを飲みながら打鍵を始めたのが五時直前、それから一時間余りを作文に費やしてここまで追いつかせることができた。
 トイレに立った。放尿したあとトイレットペーパーで便器を拭き、蓋を閉めてから放水のスイッチを押した。手を洗ってハンカチで拭きながら出て、席に戻るとバルカラー・コートを羽織り、立ったまま前屈みになってコンピューターを操作してシャットダウンさせ、荷物をまとめて片手に本の入った紙袋を、もう片手にトレイを持った。喫煙室のほうからやって来た男性店員がこちらの持つトレイを引き受けてくれたので、ありがとうございますと礼を言って階段を下り、レジカウンターの向こうの女性店員にもありがとうございますと掛けて退店した。右に折れてエスカレーターに向かいながら、そろそろ薄暗んだ空を眺めて、時間が経つのがまことに速いなと思った。一日が短いのだが、それは主に、昼前までだらだらと寝過ごしていることが原因ではあるだろう。もう少し早く起きて一日を長くしたいものだと思いながらエスカレーターを上り、通路を辿って広場へ。広場では何かの演説が行われていた。それを聞き流しながら駅舎に入り、ざわめきと人波のなかの一片と化して改札をくぐった。青梅行きは五番線から六時一六分発があったが、後発で座って帰ろうと一・二番線ホームに下りた。そうして一号車に入り、その一番端、先頭車両の先頭――と言うか、進む方向からすれば最も後方――の席に就いた。加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』をひらく。道中、特段に興味深い人物や出来事は見かけなかったと思う。本の方は、具体的な描写をしているならば良いのだが、エッセイ風の考察などになるとやはり言っていることの意味がわからない箇所が散見される。それでも読み進めて、青梅に着くと淳久堂の白い紙袋に本を収めてホームを歩き、奥多摩行きに乗り込んで扉際に就くと、ふたたび『特性のない男』を手に取ってひらいた。窓ガラスに凭れつつしばらく読んでいるうちに発車して最寄り駅に着く。ホームを辿って駅舎を抜け、星のない空を暗夜らしいなと見上げながら坂道に入り、下って行った。さらに平らな道を辿って帰宅。
 母親にただいまと挨拶するとすぐに下階に下りて、服を着替えた。臙脂色のシャツは脱がず、その上からジャージを羽織ったままで上階へ。洗面所の籠にハンカチを投げ入れておいてから、台所で食事を用意した。米・鯖のソテー・茹でて鰹節を振った春菊・白菜とウインナーの汁物などである。卓に就き、ものを食べながら、母親と将来の不安についてなどちょっと話し合った。一体自分は本当にしっかりとした主体としてこの先生きていくことが出来るのだろうか? 母親は母親で、今の家は一人で住むには広すぎると考えているらしい。テレビは『ミュージック・ステーション』で、そちらを時折り見やりながら話をしたが、まあテレビのことはどうでも良い。食後、薬を飲んで入浴に行った。頭を洗いながら、ともかく一〇年は続けてみることだな、そうすれば何かがひらけるかもしれないと、無根拠にそう思った。二〇一三年の一月から書くことを始めて六年強、昨年の一年間は頭がぶち壊れて休んでいたので実質五年強と考えて、あと五年間である。その頃には三四歳になっている。果たして何らかの道がひらけているのか否か。
 風呂を出るとすぐに自室に下った。cero『Obscure Ride』の流れるなかで、Mさんのブログを読む。二日分。ここのところ読んでおらず、最新記事から少々遅れている。その後、fuzkue「読書日記(128)」を一日分。そうして書抜きに入った。小林康夫『君自身の哲学へ』に、ショウペンハウエル/斎藤忍随訳『読書について 他二篇』。BGMは途中でAndy Milne & Dapp Theory『Forward In All Direction』に繋ぐ。そうして一時間ほど打鍵して、一〇時半近くに至った。「記憶」記事に書き抜きしたばかりの記述のなかからいくつか引いておき、それから日記を書き出してここまで。
 歯を磨きながら買ってきた『一神教の起源』をちょっとめくってみたり、Twitterを眺めたりしたのち、一一時半前から読書。川上稔『境界線上のホライゾンⅢ(下)』を一時間。エンターテインメント的な物語を考えるというのも、大変なのだろうなあと思う。こちらにはない才能である。それから『特性のない男』を三〇分弱読み、一時前には床に就いた。


・作文
 12:14 - 12:46 = 32分
 16:52 - 18:04 = 1時間12分
 22:34 - 22:56 = 22分
 計: 2時間6分

・読書
 13:23 - 13:57 = 34分
 14:51 - 15:24 = 33分
 18:15 - 19:16 = 1時間1分
 20:45 - 21:24 - 22:23 = 1時間38分
 23:25 - 24:52 = 1時間27分
 計: 4時間13分

  • 「記憶」: 59 - 68
  • 加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』: 18 - 42
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-03-24「手のひらをながめて探す永遠を見つけたいいや見つからない」; 2019-03-25「目の前の扉を開けた天井がおれをむかえるここは棺桶」
  • fuzkue「読書日記(128)」: 3月11日(月)まで。
  • 小林康夫『君自身の哲学へ』大和書房、二〇一五年、書抜き
  • ショウペンハウエル/斎藤忍随訳『読書について 他二篇』岩波文庫、一九八三年改版(一九六〇年初版)、書抜き
  • 川上稔境界線上のホライゾンⅢ(下)』: 86 - 152

・睡眠
 1:45 - 11:00 = 9時間15分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • cero『Obscure Ride』
  • Andy Milne & Dapp Theory『Forward In All Direction』




小林康夫『君自身の哲学へ』大和書房、二〇一五年

 その上でさらに、もっとおかしな、とんでもないことを言わせてもらうなら、この「わ(end174)たし」の「存在」という絶対的にユニークな「泉」の「水」がそれでもそのままほかの「泉」につながっているという夢のような直観。「泉」としては、「わたし」だけの「存在」であることは間違いないのに、そこに湧き出る「水」は、誰のものでもない、「わたし」のものでもない、そしてそれは、どこか「泉」の深い底のほうで、別の「泉」にもつながっているのではないか。通底しているのではないか。シュールレアリスムアンドレ・ブルトンが言っていた「通底器(Les Vases communicants)」です。僕は、「通底する泉(Les fontaines communicantes)」とでも言ってみたい。
 もちろん、この原理を途轍もなく拡大して、文字通り普遍化するなら、インド哲学の中心命題である「梵我一如」、つまりコスモスとしての世界と我との一体性へと辿り着くことになるのかもしれませんが、そんなところにはまだまだ行けない。せいぜい同じ森のなかの、こっちの「泉」とあっちの「泉」とが、同じ「水」によって結ばれているというくらいで十分でしょう。すなわち、「わたし」という絶対的な孤独においてこそ、地上の条件づけの関係性を通してではなく、目に見えない地下の水脈を通じて、どのようにしてか、いくつかの「泉」が結ばれているということ。地下で「水」がつながっているだけなのです。「泉」は離れているのです。でも、そのときそれぞれの「泉」は、みずからの絶対的(end175)な孤独において、無条件に、他者とつながっている。それが、「存在」という次元における「愛」というものではないか、と僕は思います。
 (174~176)

     *

 (……)「意味」ではなく、一元的な数値。それにすべてが換算される。しかもそれは、固定的な価値ではなく、それ自体が時間を含み込んでいるようなリスクをともなった変動的な価値です。本来は、「時間」がないはずのシステムが、予測不可能な変動を組み込むことによって、まるで「時間」の発生が起こっているかのような錯覚まで起こす。いずれにしても、価値は、こ(end186)こでは「時間」変動的なわけです。
 それはわれわれの日常にまで浸透している。たとえば、飛行機のチケットは、同じ日の同じ便であっても、それを買う時期によって、値段つまり価値がまちまちです。隣に座って同じサービスを受けている人が同じ金額を払っているとはかぎらない。「早割」とか、「マイレージ」とか、あらゆる種類の関係性を反映した価格になっていて、しかもそこに「時間」のファクターが入ってきているから、われわれはつねに「スマート」でなければならない。「Be smart!」――それが、この時代の格律です。
 これは、道徳的な格律では全然ありません。そうではなくて、ただそうしないと、あなたは損します、というだけなのです。逆に言えば、スマートであると、「時間」に投資をすると、あなたは利益を得られます、ということでもある。誰もが、数値で表現されるその差異をゲットするために、膨大なエネルギーを使うことになる。そしてそれが、われわれの生存の基準になっている。その競争的なシステムと不断の交渉を行うことなしには、われわれの生活は成り立たなくなっている。
 (186~187)

     *

 生きることは自然なことではまったくなく、人生はゲームとなる。学歴という関門をクリアーし、資格をとり、なるべくよいとされるコースを選択し、組織のなかで評価を得て報酬をアップさせ、さらに老後の資金にも目処をつけて……生という「時間」が一元的な価値によってシステム化され、ゲーム化され、だから「勝ち組」も出れば「負け組」も出る。スマートな人間が勝ち、スマートでない人間が負ける。でも、「ゲームだもの、勝ち(end188)負けが出るのは当然だよね」、とみんながそう呟く。それが、現在の人間の在り方のひとつの典型なのだと思います。この二、三〇年のあいだに、人類は決定的に、このようなポストモダンシニシズムの方向に舵を切った。
 ここには、「意味」がない。というより、「意味」という問題は、ここではきれいに価値に、貨幣的な数値に、あるいはほかの指標の数値に還元されてしまっている。すべては数値です。数の世界です。あなたの血糖値から脂肪の割合から、これこれの病にかかる確率から、あなたの業績評価のポイント、貯め込んだサービスのポイント、あなたの銀行口座の残高、受け取る年金の額の予想、寿命の予想値に至るまで……すべてが数値化され、それに確率が掛け合わされて、貨幣価値という一元的な数値でピクチャーが描かれる。そしてそれらの数値をあらかじめ定められた最適値に向かって効率的に「運用」することを求められる。
 (188~189)

     *

 だから、問題は、そのようにしてつくりあげられた「自分」からまず自由になること。でも、そんなことを完全に行うのは不可能ですから、まずいったんは、まるで「中間停止」のように、それから解除されること。そしてそこから、よりバランスのとれた、より柔軟な「権」の力の再組織化を試みることではないでしょうか。別な組織化の仕方がいつでも可能であるということに気がつくこと。そして、自分自身をよりよく世界のうちに統合すること。
 (221)

     *

 そしてカフカが言うように、祈りを通して、われわれは、条件づけには還元できない仕方で、なにかを「贈る」ことを願う。もちろん、これこれのオブジェではなく、これこれの力ではなく、なによりも「存在」そのものを贈ることを願うのではないでしょうか。つまり、「祈る」というまったく無力な行為、無為の行為においてこそ、存在を「贈る」ことが、さあ、「起こる」と言うか、「起こるのではない」と言うか、いずれにしても、それは「存在の贈与」へとかかわるのだと思います。
 (233)

     *

 学びもまた限りがありません。以前に、大学の一年生から「教養とは何か?」とアンケートで問われて、思わず「どんなものからも学ぶことができ、かつ学びは無限でけっして終わりがないということを知っていること、そしてそれゆえに一生学び続けることを――どのようにしてか――決意[﹅2]していることが<教養>というものでしょう」と答えたことがありましたが(『知のオデュッセイア』、東京大学出版会)、限りないものに触れること、しかしその限りないものをほんの少しずつでも学び続けることこそが、人にとって、この地上にあることの意味なのではないか、と思ったりもします。
 (235)



ショウペンハウエル/斎藤忍随訳『読書について 他二篇』岩波文庫、一九八三年改版(一九六〇年初版)

 読書は思索の代用品にすぎない。読書は他人に思索誘導の務めをゆだねる。たいていの本の効用といえばその指導をうける人の前に、いかに多くの迷路が走っているか、いかにその人がはなはだしい迷いの道に踏みこむおそれがあるかを示すだけである。だが自らの天分に導かれる者、言い換えれば自分で自発的に正しく思索する者は正しい路を発見する羅針盤を準備して(end8)いる。そこで読書はただ自分の思想の湧出がとだえた時にのみ試みるべきで、事実、もっともすぐれた頭脳の持ち主でもそうしたことはよく見うけられる事実であろう。しかしこれとは逆に本を手にする目的で、生き生きとした自らの思想を追放すれば、聖なる精神に対する叛逆罪である。そういう罪人は植物図鑑を見、銅版画の美しい風景をながめるために、広々とした自然から逃亡する者の姿に似ている。
 (8~9; 「思索」)

     *

 読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。絶えず読書を続けて行けば、仮借することなく他人の思想が我々の頭脳に流れこんでくる。ところが少しの隙もないほど完結した体系とはいかなくても、常にまとまった思想を自分で生み出そうとする思索にとって、これほど有害なものはない。というのも、他人の思想はそのどれをとってみても、それぞれ異なった精神を母胎とし、異なった体系に所属し、異なった色彩をおびていて、おのおのが自然に合流して真の思索や知識、見識や確信に伴うはずの全体的組織をつくるにいたらず、むしろ創世記のバビロンを想わしめるような言葉の混乱を頭脳の中にまきおこし、あげく(end11)の果てにそれをつめこみ過ぎた精神から洞察力をすべて奪い、ほとんど不具廃疾に近い状態におとし入れるからである。このような事態は多くの学者を例にとれば明らかであり、彼ら学者が常識や正しい判断、事にあたっての分別などの点で学のない多くの人に劣るのもそのためである。この人たちは経験と対話とわずかの読書で集めた乏しい知識を、いつも自分の考えで支配し統一しているのである。さて体系的な思想家[﹅3]もまさにこの手続きをふむ。ただしいっそう大規模に行なう。つまり思想家には多量の知識が材料として必要であり、そのため読書量も多量でなければならない。だがその精神ははなはだ強力で、そのすべてを消化し、同化して自分の思想体系に併合することができる。つまりその精神はたえず視界を拡大しながらも有機的な組織を失わない壮大な洞察力の支配下に、その材料をおくことができるのである。その際、思想家自らの思索はパイプオルガンの基礎低音のように、すべての音の間をぬってたえず響きわたり、決して他の音によって打ち消されない。ところがただ博学多識にすぎない頭脳の場合にはこういうわけには行かず、あらゆる音色がいわば音楽の破片を雑然とまき散らし、基音はもはや聞きとることができない。
 (11~12; 「思索」)

     *

 (……)そう簡単にいかないのが思想家の仕事である。思索の意志があっても思索できるわけではないのである。机にむかって読むことならば日常茶飯事である。(end14)だがさらに考えるとなるとまったく別である。すなわち思想と人間とは同じようなもので、かってに呼びにやったところで来るとは限らず、その到来を辛抱強く待つほかはない。外からの刺激が内からの気分と緊張に出会い、この二つが幸運に恵まれて一致すれば、対象についての思索は自然必然的に動き出す。だがまさにこの特殊な経験は決して世間普通の人々を見舞いはしない。思索がこのように意志とは関係がないということは、我々の個人的問題を考える場合に照らしてさえも明らかに説明される。このような問題において考えてみようという決心は必要であるにしても、いつでも都合のよい時を選んでそれに立ち向かい、徹底的な考察を加え、結論を下すというように簡単に進めないのである。というのも決意だけはしても、我々の思考はしばしばその問題になかなか定着しようとせず、他の問題に走るからで、時にはその当の問題をきらう気持までが思考の放浪に一役買う始末である。それで我々は無理矢理考えようとすべきではなく、自然に気分的にもそうなる機会を待つべきである。そういう気分は思いがけなく、繰り返しわいてくるものであるが、気分はそのつど異なりながら、異なった角度から当の問題に照明を投げかける。このゆるやかな経過こそいわゆる決意の成熟というものにあたる。(……)
 (14~15; 「思索」)

     *

 さて理論的な問題にのぞんでも、これと同じように然るべき時を待たなければならず、もっともすぐれた頭脳の持ち主でも必ずしも常に思索できるとは限らない。したがってそのような人も普通の時間は読書にあてるのが得策である。ただすでに述べたように読書とは思索の代用品で、精神に材料を補給してはくれるが、そのばあい、他人が我々の代理人として、とは言ってもつねに我々と違った方式で考えることになる。多読に走りすぎてならないのはまさにこのためである。すなわち精神が代用品になれて事柄そのものの忘却に陥るのを防ぎ、すでに他人の踏み固めた道になれきって、その思索のあとを追うあまり、自らの思索の道から遠ざかるのを防ぐためには、多読を慎むべきである。かりにも読書のために、現実の世界に対する注視を避けるようなことがあってはならない。というのは真に物事をながめるならば読書の場合とは比較にならぬほど、思索する多くの機会に恵まれ、自分で考えようという気分になるからである。すなわち具体的な事物は本来のいきいきとした力で迫ってくるため、思索する精神にとって恰好の対象となり、精神に深い感動をもっとも容易に与えることができるのである。
 (16; 「思索」)

     *

 一つの作品が不朽[﹅2]の作として止[とど]まるための必要条件は、さまざまな美点や長所を豊かに具備していて、そのすべてを理解し評価する人が容易に見あたらないのではあるけれども、いつも(end40)人ごとに作品の一つの美点を認めて敬意をはらうということである。それによっていく世紀を経、人々の興味が常に変わっても、作品に対する信用は維持されることになる。つまりその作品は時によって違った意味の尊敬をうけるが、尽くることなき意味を蔵しているのである。
 (40~41; 「著作と文体」)