2019/4/2, Tue.

 八時半起床。久しぶりに、比較的早めに起床することが出来た。それでも睡眠時間は八時間なので、まだもう少し減らせるはずだ。上階へ行き、両親に挨拶をしてジャージに着替えた。父親は今日から入院、その支度で居間や仏間を動き回っていた。こちらは台所に入ってフライパンに炒められた人参シリシリを皿に取り分け、電子レンジに突っ込んで加熱しているあいだに洗面所で顔を洗った。そのほか、前夜から続く汁物や米もよそって卓へ、新聞を漫然と読みながらものを食べた。食事を取っていると父親が、お前これ行く、と言って、美術館のチケットを渡してきた。東京都美術館で開催されている「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」のもので、二枚あり、会社から貰ったのを忘れていたらしくもう会期末、四月七日日曜日が迫っている。行ってみたい気はするが、一人で遠出するのも何だか面倒臭い。誘うとしたらHさんくらいしか思い当たらないのだが、彼も新しい職場で忙しいだろう。行かないのだったら母親がメルカリで売ろうかなどと言っていたが、どうするか。ともかく食事を終えて抗鬱薬ほかを服用するとともに食器を洗い、階段を下った。晴れ晴れと光の通る空気のわりに、床がいくらか底冷えして裸足の冷たい朝である。自室に帰るとダウンジャケットを羽織って電気ストーブを点け、コンピューターを起動させた。そうしてTwitterにアクセスし、タイムラインをちょっと眺めたのち、cero『Obscure Ride』から例の三曲を流して前日の記録を付けた。日記を書き出す。ceroの曲のあとはFISHMANS『Oh! Mountain』の流れるなかで綴って、現在一〇時直前を迎えている。日記を書き終わる間際、母親がチケット売れたぞと言って嬉しそうに綻ばせた顔で戸口にやって来た。もう発送してくるから掃除機を掛けといて、と言う。勿体ない気もするが、まあ仕方あるまい。
 日記を書き終え、前日の記事をブログに投稿する。Amazonへのリンクを一つずつ、いちいち拵えて時間を掛け、投稿を済ませると上階に行った。階段を上ってメタリックな赤色の掃除機に手を掛けたところで母親が帰ってきた。セブンイレブンに行き、発送のついでにたこ焼きやらパンやらを買ってきたと言う。こちらは掃除機を駆動させ、ベランダの方から埃を吸い取りはじめた。その後、テーブルの下、東側のテレビの前と掃除していき、それから野菜の屑の散らばった台所に洗面所を終えると玄関に出た。トイレのなかも吸い取って、上がり框の周辺を動き回っていると、母親がやって来てありがとう、やるよと手を差し出したので、残りの範囲も少ないけれど掃除機を譲った。そうしてこちらは浴室に行き、風呂桶を洗う。浴槽のなかに入り、前屈みの姿勢になって腰への負担を感じながら、ブラシを前後上下に動かして四壁や床を擦り、出てくると階段を下りて自室に帰った。そうして一〇時半過ぎから日記の読み返し――二〇一六年六月二二日である。この日も冒頭に何時間眠ったなどと記録していて、そのほか日中も労働のほかには本を読んで文を書いているだけで、この頃からまるで変わり映えのしない我が生活である。習慣として変わったのは瞑想をしなくなったことくらいではないだろうか。変性意識に入った時のあの繭に包まれ液体のなかに揺蕩っているような心地良さが恋しいが、おそらくもうそれを体験することはないだろう。日記の読み返しを終えるとMさんのブログを読んだ――一気に三日分読んで、最新記事に追いつくことができた。Rさんの離反は残念である。それから、fuzkueの読書日記、三月一四日の分。保坂和志感が漲っている。そこまで読むと時刻は一一時半、上階に行った。
 両親は既に食事を取っていた。レトルトのカレーが半分残っていると言う。それで台所に入り、米をよそるとその上にパウチからカレーを流し掛けた。そのほか、前日の残り物である胡瓜や林檎などを和えたサラダを持って卓に就き、頂きますと低く呟いて食べはじめる。レトルトのカレーは、Yさんの葬式の返礼品でカタログから選んで入手したものだが、可もなく不可もないといった程度の味である。あといくつ残っているのかと訊くと、三つくらいだと言う。Tさんにあげたりしたから、と言うが、その代わりに何やら乾燥している昆布を貰ったらしく、ビニール袋に入った大きな塊が卓上にはあった。Tさんとは誰かと尋ねれば、Tの家の隣の、と言うので、顔や素性は知らないが位置はわかった。今期、我が家と同じく自治会で役を受け持っている家らしい。
 母親は自分の赤いコートをメルカリで売ると言う。六〇も近くなって真っ赤なものを着るのが気恥ずかしいようで、また還暦の赤と重ねて見られるのも嫌だと言う。それで自分が着ようかとこちらは言って席を立ち、仏間に続く扉の上に掛かっていたそれを羽織ってみた。袖が短いのではないかと母親は言っていたが、思いの外に丁度良い長さだった。着ようと思えば着られないことはない。ただやはり女性物だけあって、肩のあたりが少々窮屈な感じはした。玄関に出て大鏡の前に立って映してもみたが、すっきりと細いシルエットにはなるものの、デザインとしてパンチが足りないと言うか、今ひとつピンとくるものがなかったので、まあどちらでも良いなというところに落ち着いて居間に戻った。それから食事を終えると、ちょうど台所で洗い物をしていた父親が、それも洗っちゃおうかと言うので好意に甘えることにして、お願いしますと言って台所に食器を運んだ。そうしてこちらは散歩に出る。
 林の縁の畑に、あれは菜の花だろうか黄色の花が幾本か伸びて咲いていた。十字路に向けて歩いて行くと、小公園の桜の木がいくらか白さを増やして、紅色と混ぜて霙状に色を棚引かせているのが視界に入る。鶯の音が伸び上がって落ちているなか、近づいて行くと、遠くからは視認されなかった蕾の元の緑色が目に映るようになって、花の白、蕾の紅、根元の緑と三色の饗宴を成していた。鶯の降って三色[みいろ]の桜花、といったところか。
 十字路から小橋を渡った先の角に一軒、家があって、そこに新しい入居者が入ってきたということは聞いていたが、それが外国人だとは知らなかった。家から出てきて、車に乗ろうとしている姿を見かけたのだ。色のそれほど白くない白人だが、何となく、何の根拠もなしにアメリカ出身の人ではないかというような気がした。通り過ぎざまに左方を向いて視線を送っていると、こんにちは、とやや潰れたような発音で声を掛けられたので、こちらもこんにちはと挨拶を返して、坂を上って行った。風の薄い日だと思った。身に触れてくるものは幽かで、周囲の木々をざわめかせる強さも持たない。高いところから生えて房の先を重く垂れ下げ、曲線を描いているユキヤナギを過ぎ、沈丁花はそろそろ錆びついてきたようで、この日は香りを定かに感じられなかった。
 街道を渡って細道に入ると、視界の果て、東の空には裾を乱した白雲が塗られ、その青と白の上をあれは鴉か鳶か、黒い影となった鳥が一羽、飛んでいき、背景から浮かび上がっていた。斜面に沿った緩やかな上りとなったこの道も、この日は風が走らず、道脇の下草をごく弱く震えさせるのみである。墓場を過ぎて家並みのあいだに入ってからかえって流れるものがあったが、肌に冷たいというほどの感触もない。そのなかを歩いて行って保育園では、隅で花を広げた桜の木から隣の銀杏の裸木に鳥が二羽、移るのが見えて、雀かメジロシジュウカラかと正体は知れずに影のままにして過ぎた。
 駅前の桜は赤味をほとんど窺わせず、純白に近い色で揺蕩い、雲のように頭上に広がっているその下を見上げ見上げこちらは過ぎる。口にいれれば味のしそうな、甘やかで清純な風味である。見上げながら横断歩道のところまで来ると、道路工事の整理員が、渡りますかと声を掛けてきたので、いや、こっちに、と東を指差して対岸に渡らず過ぎた。進んで行くと、カラーコーンの立ち並んだ現場の端、東の先頭に立って交通整理をしているのはいつも同じ、褐色の肌の剛毅そうな高年で、この時はやって来て停まった車に向けて手を合わせてちょっとおどけたようにお辞儀をすると、相手の車もライトを一回かちりと照らして答えたもので、それに対して老人は、おう、と言い、はっはっは、と笑って、嬉しそうに警棒で車を指し示していた。楽しそうではないかと思ってこちらは過ぎる。端から見て立ち尽くしているばかりの退屈そうな仕事でも、そのなかであのように楽しむ術というものを見つけているわけだと思って通りを渡り、木の間の細い坂道に入った。この日はここでも風は上って来ない。緑の葉っぱを生やした蔓を幹に巻きつけている木々のあいだを下りて行き、下の道に出ると雲が多くなって路上に日向が失われていたが、家の前に来る頃には太陽が薄雲を貫いてふたたび地上に届いていた。
 帰宅すると母親の車はなく、両親は父親の入院のために既に病院に出かけていた。なかに入るとこちらは自室に戻って、何となくベッドに寝転んで横を向き、枕に頭を乗せたのが運の尽き、そこから二時間以上休むことになった。最初はちょっと横になるだけのつもりで、すぐに次の行動に移ろうと思っていたのだが、横たわって目を閉じているうちに体温が下がったらしく布団を身体に掛けてしまったのがまずかった、それでは眠るに決まっている。最近の自分は、どうも明らかに眠りすぎていて、どうにかならないものかと思う。ともかく一二時四五分頃から三時頃まで休んで、起き上がると上階に行った。ベランダに出ていた足拭きマットを室内に入れておき、母親がセブンイレブンで買ってきたメロンパンを頂くことにして、持って自室に戻り、コンピューターを前にしながらパンを食うと、Antonio Sanchez『Three Times Three』を共連れにして日記を書きはじめた。五〇分ほどでここまで綴って四時を越えている。
 「記憶」記事の音読。ムージルの記述から始めて、斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』からの引用など。読んだあとに目を瞑って反芻することはせず、ともかくも一項目、二回ずつ黙々と音読していく。この「記憶」記事音読も果たしてやって意味があるのかどうか、自分の思考に資するものがあるのかどうか心許ないのだが、純粋な、逐語的な知識を頭に入れるという面では多少の収穫もあるだろう。ただ、それが別の思考[﹅2]や考察や見識[﹅2]に繋がって行くかと言えば、それは別の問題であって、そちらの方がより重要なことだと思うのだが、ただ事柄を反芻しているだけで見識といったようなものが出来上がって行くのかは疑問である。かと言って、それではどのようにすれば思考[﹅2]というものをより豊かに組み立てていけるのかという問いに対する明白な答えもない。
 ともかくも五時直前まで音読を続け、それから食事の支度をするために上階に上がった。母親はいつものごとく、炬燵に入ってタブレットを弄っていた。こちらは台所に入ってまず食器乾燥機のなかの皿たちを戸棚に片付け、それから米を新しく磨ぐべく炊飯器から僅かに残った米を皿に取り出し、釜を取って水で洗う。そうして笊を持って玄関に出ると収納棚を開け、足もとにしゃがみこんで米の袋から三合を計って笊に注いだ。台所に戻ると洗い桶のなかで米を磨ぎ、磨いだものを早速釜に入れて、六時半に炊けるようにセットしておいた。それから冷蔵庫のなかを覗くと、ゴーヤがある。それで炒め物を作ることにして、フライパンに水を汲んで火に掛け、ゴーヤを半分に切断した。それからさらに、切った塊のそれぞれを今度は縦方向に等分して、種を指でほじくり返して取り除く。そうして輪切りにしていったあと、次に玉ねぎの皮を剝いてこれも半分に切り、細切りにしていく。その合間に湯が沸いたのでゴーヤを放り込んでおき、玉ねぎを切り終わると笊に上げた。そうして次は豚肉である。冷蔵庫からパックを取り出し、生肉を左手で掴んで三分の二ほど牛乳パックの上に置き、それをさらに細かく切り分けていく。終えると石鹸を使って手を洗い――書き忘れていたが台所で立ち働くその背後には、ラジカセでcero『Obscure Ride』が掛けられていた。そうして、フライパンに油を引いてチューブのニンニクを落とし、それがばちばちと跳ねて焦げはじめたあたりで玉ねぎを投入した。続いてゴーヤもすぐに放り込み、時折りフライパンを振って炒める合間に、卵を二つ椀に割り落として菜箸で搔き混ぜた。その後、豚肉も加えて加熱し、肉と野菜がそれぞれ炒まると塩胡椒を振りかけた。そうして溶き卵を注ぎこみながら搔き混ぜて一品完成、汁物は前夜から引き続くものがほんの僅かに残っており、おかずとしてはほかに母親がメンチとイカフライを買ってきてくれたので、あとは生野菜のサラダでも拵えれば良かろうというわけで、冷蔵庫から大根を取り出し、笊に向けてスライサーでおろした。同じように胡瓜と人参も少量おろしておき、それで食事の支度は完結、ほかの品物をもし作るのだったらそれは母親に任せることにして、下階に下りた。
 五時四〇分からふたたび「記憶」記事を読み出した。BGMはAntonio Sanchez『Migration』。前日に追加したばかりの最新の一三三番まで音読し、この時は一項目読んだあとに目を瞑って反芻する時間を取った。そうして時刻は六時半、今度は蔭山克秀「イギリス「EU離脱」はなぜこうももめているのか 今さら聞けないブレグジットの功罪」(https://toyokeizai.net/articles/-/272661)を読みはじめた。EU離脱交渉が難航しているのは、北アイルランドアイルランド間の通商問題で英国内がまとまれていないためらしい。そこでは「バックストップ」案というものが議論になっているようで、これは英国とEUのあいだで交渉がうまく行かなかった場合でもアイルランド国境の厳格な審査を復活させることはなく、暫定的に英国がEUとの関税同盟に留まることになるという安全弁のようなものなのだが、これが発動すると英国は他国とのFTAなどを結べなくなるのに加えて、EU側の同意がなければ終了させることができないというわけで、強硬離脱派が難色を示しているという話だ。交渉の中核となっているらしいこの「バックストップ」案について後日、もう少し調べてみたいと思う。上記を読んだあと、Twitterを覗いていると「「安倍・麻生氏の意向忖度」 下関北九州道で国交副大臣、利益誘導認める」(https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/499180/)という記事が流れてきたので、それも短く読んだ。そうして七時を越えると、食事を取りに上階に行った。
 米を椀に盛り、フライの乗った皿に溢れんばかりにゴーヤの炒め物をよそる。そのほか母親の作った煮物と生野菜のサラダも用意して、卓に就いた。テレビは何かしらどうでも良いような番組。水を飲みながらものを食べ終えると抗鬱剤ほかを服用し、食器を洗って風呂に行った。湯に浸かりながら、特に何のきっかけもないのだが、出たら久しぶりに緑茶を飲むかと思いついた。それで出てくると、台所の上部の戸棚から急須と湯呑みを取り出し、湯呑みに一杯注ぐとともに二杯目、三杯目の分も急須に湯を入れておき、ポットに水を補給してから緑茶を持って自室に帰った。そうして一服しながら読むのは、久しぶりにUさんのブログである。「結局、思索というのは、そのときに自分自身の注意を引きつけてやまないテーマ性を徹底的に追求することにより、それが変化してゆく様相を確かめる営みであると思う」、「自らにとって納得の行く独自の思索をする、というのは、自らの置かれた状況や知識の範囲内で、自分自身にしか生み出すことのできない表現を生み出すということである」などという文言が見られた。今、自分の注意を引きつけているテーマ性というのは、如何にして考えるか、というようなことだろう。自分が今まで如何にものを考えていなかったか、そして今も考えていないかということを最近は自覚している。その自覚は一つの進歩かもしれないが、ではどのようにして思考停止から抜け出せるのかと言えば、その答えは見えていない。このあたりのこと、考えるとはそもそもどのようなことなのか、人は本当に自分の頭で考えることが出来るのか、何故自分はものを考えたいのか、などといった事柄に関して、Uさんにメールを送りたい気持ちはあるのだが、どうもうまく思考をまとめられそうにない。彼のブログ「思索」を二記事読むと、時刻は九時前、日記を書き足しはじめた。音楽は、Antonio Sanchez & Migration『The Meridian Suite』を流していた。それが終わるとcero『Obscure Ride』に移行して、"Yellow Magus (Obscure)"など例の三曲の番が来ると歌ってしまうので、打鍵がたびたび途切れることになった。歌ってばかりいても仕方がないので音楽はArchie Shepp『Ballads For Trane』に途中で変えて、ここまで書き足すと一〇時をちょうど回った頃合いである。
 それからUさんへのメールを試みに書き出してみると、いつの間にか三時間が経過して一時を迎えていた。それからも少々推敲して、一時半前に達したところでそろそろ眠ろうと明かりを消して床に就いたが、どうも目が冴えていて、うまく眠れないのではないかという予感があった。


・作文
 9:20 - 9:59 = 39分
 15:15 - 16:03 = 48分
 20:52 - 22:02 = 1時間10分
 計: 2時間37分

・読書
 10:37 - 11:26 = 49分
 16:13 - 16:51 = 38分
 17:42 - 18:26 = 44分
 18:33 - 19:03 = 30分
 20:12 - 20:51 = 39分
 計: 3時間20分

  • 2016/6/22, Wed.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-03-29「疲れた疲れた疲れた何にもいらないよだって海がきれいだ」; 2019-03-30「見送りを重ねてばかりいるおれを歴史が見てる百年越しに」; 2019-03-31「ふりかえるなと念じつつ後をゆく夜道は長い春は短い」
  • fuzkue「読書日記(128)」: 3月14日(金)まで。
  • 「記憶」: 108 - 120; 121 - 133
  • 蔭山克秀「イギリス「EU離脱」はなぜこうももめているのか 今さら聞けないブレグジットの功罪」(https://toyokeizai.net/articles/-/272661
  • 「「安倍・麻生氏の意向忖度」 下関北九州道で国交副大臣、利益誘導認める」(https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/499180/
  • 「思索」: 「3月26日2019年」; 「3月27日2019年」

・睡眠
 0:25 - 8:30 = 8時間5分

・音楽

  • cero, "Yellow Magus (Obscure)", "Summer Soul", "Orphans"
  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Antonio Sanchez『Migration』
  • Arcade Fire『The Suburbs』
  • Antonio Sanchez & Migration『The Meridian Suite』
  • Archie Shepp『Ballads For Trane』