2019/4/4, Thu.

 八時四五分起床。携帯のアラームを掛けないほうがかえって早く起床できるようだ。睡眠時間は七時間で、適正といったところだろう。この日も晴れ晴れと光の通る朝だった。上階に行き、前夜の残り物――豚肉と玉ねぎの炒め物に、生野菜のサラダ――で食事を取る。新聞からはイスラエルの入植関連の話題を読む。炒め物とともに白米を咀嚼し、食べ終えると薬を飲んで皿を洗った。そうして仏間の簞笥からジャージを取り出して寝間着から着替え、その上にダウンジャケットを身に着けて下階に戻った。コンピューターを起動させ、前日の記録をつけたのち、ceroの三曲を歌いながらしばらくだらだらとしてしまい、日記を書きはじめるのは一〇時過ぎになった。『特性のない男』の感想を書き記し、それからこの日の記述もここまでしたためて一〇時五〇分。BGMはいつも通り、FISHMANS『Oh! Mountain』
 前日の記事をブログに投稿しておくと、一一時過ぎから日記の読み返しに取り掛かった。二〇一六年六月二〇日のものである。五〇〇〇字以上書いているが、大した描写もなく、特段に意識を惹きつけるような情報は盛り込まれていなかった。それから、三宅さんのブログにアクセスして、四月一日と四月二日の二記事分を読み、さらにfuzkue「読書日記(128)」から「フヅクエラジオ」を読んだ。Twitterなど見ていても散見されるが、読書家の人間というのは結構並行して何冊もの本を読む人が多いようだ。それで言えば昨日話したYさんも、今何を読んでおられるんですかと尋ねたところ、一〇冊ほどの書名を列挙してみせたのでびっくりしたものだ。Yさんはそのように色々な本を替わる替わる読んでいないと、集中力が続かないのだと言う。「フヅクエラジオ」では、読みにくい本を読む時の付き合い方、といったようなことについて何人かの言が語られていて、結構皆、つまらないと思ったり違和感があったりしたら途中で読むのをやめてしまうらしかった。自分は貧乏性なので、一度読みはじめた本は基本的に読み終えるまで離れるということはない。それには、書抜きを習慣としていることも寄与しているのかもしれない。一箇所でも書き抜く部分があれば儲け物という考え方で、それを裏返せば書抜きたいような記述が含まれているかもしれないのに、途中で読むのをやめてしまってそれに遭遇できないのは勿体ないというような貧乏性になるのだ。最近の困難だった読書と言えばやはりムージルのエッセイで、あれは何を言っているのかほとんどちんぷんかんぷんだった。それでも結構書き抜いたし、そのなかから二、三、「記憶」記事に移して繰り返し読みたいという部分も見つかったので、大半が理解不能でもそれで良いのだ。『特性のない男』も抽象的な思弁ばかりが続いてなかなか読み進めず、骨の折れる読書であることこの上なく、面白いのか否かよくわからないような具合だが、それでもともかく読み通してみるものだろう。
 「フヅクエラジオ」を読んだあとは、「記憶」記事の音読。イギリスのEU離脱関連の情報を復習する。そうして正午を越えたところで食事を取るために部屋を出て階段を上がった。母親は既に卓に就いてものを食べはじめていた。炒飯だと言う。こちらは台所に入ってフライパンの飯を搔き混ぜ振って温め、皿によそると、そのほか里芋と昆布の煮物、サラダ、チーズとピザソースの包[パオ]を卓に運んだ。今日は入院して昨日手術を受けた父親の見舞いに行く予定なのだが、病院の見舞い受付は三時からなので、二時頃に出れば良かろうとの話だった。食べていると、そのうちにテレビでは『サラメシ』が始まる。こちらと同年齢、二九歳の男性が脱サラしてコーラ屋を始めたというのだった。同い年なのに、設備の用意からオリジナルコーラの研究から、販路開拓から何でも一人でやって凄いものだ、自分にはあのようなビジネスは絶対に出来ないな、と思いながら視聴していた。そうしてものを食べ終えると、母親の分もまとめて食器を洗い、下階に帰った。それからふたたび「記憶」記事を、冒頭一番――フィリップ・ソレルス『ステュディオ』のなかから引いたヘルダーリンの手紙の語句である――から読んでいき、新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』の記述を何項目か読んだところで――BGMはAntonio Sanchez『Three Times Three』を掛けていた――一時を越えて中断し、日記を書き足しはじめた。
 そうして一時半前を迎える。cero "Yellow Magus (Obscure)"を流しながら服を着替える。赤・白・紺のチェック柄の、少々質感の固いシャツに茶一色のスラックス、上はNICOLEの紺色のジャケットである。早くもそうして外着に着替えてしまったあと、手帳をひらき、過去にメモした事柄を読み返していった。大体、「記憶」記事を読んだ時にその情報を一部メモしたもので、例えば米軍の北爆が一九六五年二月七日――祖母の命日なので覚えやすい――から始まるとか、一九九五年の一〇月二一日に沖縄県で少女暴行事件を受けて県民総決起大会がひらかれたとか、そういった事柄である。音読で読んだ。一度読み上げると目を瞑って、今しがた読み上げた事柄を続けて二回復唱するという形で、知識を脳に定着させることを図った。そうして二時が目前になるとコンピューターをシャットダウンして上階に行った。荷物は、財布に携帯、cero『Obscure Ride』のCD、それに加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』の入ったクラッチバッグに、丸善淳久堂の真っ白な紙袋に入れた漆原友紀蟲師』全一〇巻である。それを持って居間に上がると、こちらの持っているものを見た母親が洗面所から、そんなにいらないと言う。向こうにも何冊か本はあるし、帰ってくる時の荷物になるからと。漫画なので一〇巻くらい、一週間かそこらもあれば容易に読み終えてしまうだろうと思ったのだったが、それではと半分の五冊にすることにして下階に下り、自室に入って別の適した紙袋を探しはじめた。ささま書店の袋がサイズとして良さそうだったが、入れてみると四冊までしか入らなかったので、一巻から四巻までで良かろうとそれを持ってふたたび上階に行った。それから母親が支度を済ませるあいだ、手帳を読み返して待つ。出発しようということになって玄関に出てからも、母親は最後にトイレに行ったりなんだりとまごまごしているので、靴を履いた状態で大鏡の前でやはり手帳にメモした事項を読み返して待った。
 そうして出発、母親の車ではなく、父親のメタリックに真っ青な車を母親が運転する。本の入った袋やその他の荷物を後部座席に放り込み、助手席に乗り込んでシートベルトを締め、発車すると、cero『Obscure Ride』をオーディオシステムに挿入して、二曲目の"Yellow Magus (Obscure)"から流しはじめた。道中、印象深いことが特段にあったわけではない。「マイナー堂」――青梅市内にあるローカルなCDショップで、中学生の頃などはハードロックの音源を入手するのに大変世話になったものだ――が閉店したようで、シャッターが閉められており、その上に「閉店」の紙が貼られてあった。西分の交差点から千ヶ瀬に下りて、川の上を渡って友田の方に行き、目指すは八王子にある高月整形外科である。あそこは滝川街道という道なのだろうか、そのあたりを走っている時に、母親がこの近くに納豆を買いに来たことがあると口にした――いつのことなのか知らないが、市場から納豆が一掃されてしまった時があって、それなのに当時は納豆を毎日食わなくては気が済まない習慣だったので、二度ほど買いに来たと、そんなどうでもよい情報を何故か記憶している。道の脇のそこここで桜が空中を彩っていた。それにしても、車という乗り物は乗っているだけで身体も固くなって疲れるもので、加えて自分は酔いやすいと言うか、車中の空気というものが性に合わず、この道行きでも多少の気持ち悪さを感じていた。それで、高月整形に着いた頃には、自宅から四〇分か五〇分かそのくらい掛かったと思うが、その行きの道のりだけでいくらか疲労を身に帯びていた。医院のなかに入り、面会開始の三時までまだ数分あったので、入り口脇のソファに母親と並んで就き、目の前の席には『蟲師』の入った紙袋を置いた。向かいには飲み物とアイスの自販機が設置されてあった。右手側に松葉杖をついた少女とその母親がやって来て、少女が自販機に金を入れて何か飲み物を買う際に、付属されていた山田孝之――だと思うのだが、目が悪くて視覚像を定かに捉えられなかったのでもしかしたら違っていたかもしれない――の写真を指差して母親に何とか言っていた。もう一つガラス扉をくぐった向こうの待合ロビーの、受付の傍の天井からはテレビが吊るされてあって、そこには国会中継の様子が映っていたが、ガラスに遮られて音声はこちらまでは届かなかった。しばらく待って三時に至るとロビーに入り、廊下を抜けて二階に上がり、階段口の脇に置かれていた面会人用の記入用紙に母親が名前を書き入れた。首から下げる札も用意されていたが、母親が取ったのみでこちらは良かろうと判断して、消毒液を手に吹きつけて擦り込んでから、母親に続いて父親の室に立ち入った。やあ、と軽く挨拶しながら、カーテンをめくってなかに入る。父親は、先ほどまで本を読んでいたが、眠くなってきてベッドに移ったところらしかった。左足は包帯を巻かれて固定されており、僅かに覗いて見える指先のほうには血の色がごく幽かに見られた。入り口側から見てベッドの向こう、窓際には棚の上に小さなテレビが設置されており、窓から覗く医院の前の景色はだだっ広い茶色の――そのなかにところどころ緑の地帯も見える――畑地、空には雲は一滴もなく澄明な青に晴れ渡っていた。ベッドの手前には一つ、細長いテーブルがあって、体温計やら本やらが置かれてある。入口側から見てその右方、壁際にはデスクが置かれて、その上にも本やら硬貨やら入院のしおりやら、雑多な物どもが置かれていた。父親は眠そうで、欠伸をよく漏らしており、そのように足に包帯を巻いてベッドの上に所在なげに座っている姿を見ると、一気に老け込んで見えるような気がした。母親が持ってきた蕗の煮物をあまり乗り気でなさそうな父親に食べさせたりしてしばらく過ごしていると、父親が、水を買ってきてくれと言って硬貨を渡してきた。母親もそれに便乗して、苺牛乳を頼んでくる。それに加えてもう空になった水のペットボトルをついでに捨ててくるために受け取って、廊下に出た。右方に折れて突き当たりまで歩いていくと、自販機がある。掌に持った硬貨を一枚ずつ入れて、水を二本買った。それを抱えて今度は手前の談話室に入り――なかには一人、それなりに若い男性が、病人服姿で漫画か何か読んでいた――紙パックの飲み物を売っている別の自販機から、苺牛乳の類を購入する。空のペットボトルも捨てておき、そうして病室に戻った。
 母親がデスクに就いて塗り絵をやりながら、脈絡なく由無し事を話したりしているうちに時間が過ぎて行く。『蟲師』というのはどういう漫画かと訊かれたので、言わば妖怪みたいな、「蟲」という超自然的な生命体がいて、それが色々と事件を引き起こすのを解決するような話だと説明した。父親も最近漫画を読んでいるようで、デスクの上には『はじめアルゴリズム』という作品の第六巻が置かれてあった。数学を題材にしたものらしい。そのほか病室にあった本二冊はどちらも、少年院に入所した人の体験談を聞き取ったような類のものだった。
 じきに父親は、身体を濡れないようにして頭を洗えるらしいから訊いてみてくれと母親に頼んで、彼女は仔細を尋ねるべく病室の外に出て行った。二人きりになったそのあいだに、入院したのは初めて、と訊くと、母親が渡した色鉛筆を小さな鉛筆削りに差し込んで苦戦しながら削っていた父親はちょっと間を置いて、初めてと言えば初めてだなと答えた。子供の頃に、桜の木から落ちて二、三日、入院していたことはあるけれど、それを除けば初めてだと言う。最初の入院が大病でなくて良かったねとこちらは受け、そのうちに母親が戻ってきた。今は看護師の皆さんが忙しいようで、のちほど案内に伺いますとのことだった。
 そうしてまたいくらか過ごしているうちに、看護師が二名室に入ってきて、案内をするとのことになった。父親は包帯を巻いている方の足を床につかないように注意して、片足で立ち、小さく跳ねながら車椅子に移る。そうして自分で操作して病室の外に出ていったあとから、母親が、トイレと一体になった洗面所に置かれてあった極々小さなシャンプーとリンスの入れ物を取って、あとについていく。すぐ向かいの水場に皆で入り、タオルを首に巻き、その上からマントのような布を被せて留めて、と看護師が説明しながら準備をしてくれる。マント風の水除けの布がずれ落ちてこないように、シャツと一緒に洗濯挟みで留めて準備は完了、流し台のほうに頭を突き出してもらって、シャワーで洗うということだった。それで母親が洗髪を受け持ち、シャワーを流し出して、シャンプーで髪の毛の乏しい頭を泡立てる。そのあいだこちらはドライヤーを用意して、室の端のコンセント――二つ口があったが、一つは洗濯機、もう一つは小さな空気清浄機のような機械に繋がっていたので、清浄機のほうを外した――に挿したあと、何をするでもなく見守っていた。コンディショナーも付与して洗い流したあと、父親が、手を伸ばして髪を前のほうにしごき、水気を取りながら、何だかぬるぬるしていると文句を言った。ぶつぶつ言いながらもバスタオルで拭き、それからこちらは、水場のすぐ脇に別のコンセントがあったことに気がついたので、ドライヤーの位置を移し、父親に機器を手渡した。そうして父親が髪を乾かしたあと退出、退出間際に看護師が一人やって来て、使い終わったマント風の布の置き場を尋ねると、そのあたりに置いておいて良いと流し台のほうを指した。それでそのようにしておくと、彼女は何かを持ち上げた拍子に洗面器を一つ、水場から床に落としたので、それをこちらが素早く拾ってあげると、ごめんね、そんな風にしてもらって、と礼にしては奇妙に丁重な返答があった。
 そうして室に戻った。その後、母親はまた塗り絵に戻り、何とかかんとか言いながら色鉛筆を動かし、父親はその話を聞き流しながらスマートフォンでラジオを掛けたり、携帯を弄ったり、時折り母親の話に反応を示したりしていた。こちらは手持ち無沙汰に立ち尽くしたり、窓に寄って外の風景を眺めたりしていた。覚えていることの一つは、母親の前日の「K」でのエピソードで、昨日は子供たちを連れて皆で近くの公園に行ったのだが、その時に、一人の男の子が鼻水が出て仕方なく、しかし誰もティッシュの持ち合わせがなかった。そこで公衆便所からトイレットペーパーを持ってきて、これでかみなと母親は渡したのだが、紙質が固いから嫌だと件の男の子は聞き入れない。それに対して母親は、大丈夫、こうして揉めば柔らかくなるからね、と言って紙をくちゃくちゃやって宥めたと言うのだが、トイレットペーパーを揉めば柔らかくなるというのが、もう昭和の発想だなとこちらは笑った。
 ほか、オスプレイが二機、雲のまったくない空を渡って行った時間もあった。父親が窓の方を向いて、あれはオスプレイじゃないかと言うのでこちらも窓に寄ってみると、最初は目が悪いこともあって機影が定かに見えなかったのだが、じきに例の、両側にプロペラのついた独特の形が視認されて、確かにそうだと確定された。横田から飛んできたものだろう。駆動音を撒き散らしながら、我々のいた高月整形の建物の上空を越えていったようだった。
 四時を越えたあたりで父親がテレビを点けた。すると映し出されたのは国会中継で、維新の党の女性議員が質問に立っているところだった。その後共産党の何とか言う議員の番に移り、例の国土交通副大臣の「忖度」問題を取り上げはじめたので、ほら、昨日言っていたのがやってるよと母親に注意を促した。母親は結局、この問題をうまく理解できていないようだったので、テレビに目を向けながら――音量が小さかったのでこちらの話し声で音声はこちらの耳には届かなくなってしまうくらいだったが――多少解説をし、そのあいだ父親は黙ってテレビのほうを向いて注視していた。
 覚えているのはその程度のことである。四時半を迎えると、帰るかということになった。それじゃあ、ゆっくり骨休めしてくださいとこちらは言い残した。父親は面会時間のあいだ、母親にやや高圧的に当たったり、何だかんだ文句を言ったりする瞬間もあったが、この時はさすがに彼も、神妙な様子でありがとうと呟いた。母親がにやにや笑いながら近寄って、握手を求め、手を握ったあとはふざけて顔に触れようとして、父親も笑ってそれを嫌がり、払う。中高年の年甲斐もない戯れである。それを見守ったあと退出して、階段口まで行き、記入用紙に退出時間を書き入れてから階段を下った。廊下を渡ってロビーを通り抜け、入り口まで戻ると、アイスを買うことにして母親に硬貨を貰った(財布は車のなかに置きっぱなしにしてあったのだ)。一七〇円のベルギーチョコアイスを買い、車に戻って助手席に入ると、発車とともに包装紙を剝いでアイスをかじった。
 昨日、裏通りの途中で猫に会って、白い猫、可愛かった、逃げないのは珍しい、皆大体すぐに逃げてしまうから、などと話しつつ車に揺られる。そのうちに母親が、何て言ったらいいと思う、と訊いてきた。土曜日に自治会の会合があるらしいのだが、その席で、父親が欠席している理由を表明するつもりだと言うのだ。病室でも母親は、皆の前で、主人は祭りの草履を履くために痛い怖い思いもして、手術をしていま入院しています、どうぞ皆さん、お手柔らかに見守ってくださいなどと泣いて言おうかと思って、などと、冗談なのか本気なのかわからないが、言っていたけれど、こちらからすると阿呆かという話だし、そんなに大袈裟なことにしなくても良いだろうと受けた。わざわざ皆の前で余計なことを言うこともない、わざわざアピールしなくても良い、向こうから訊かれたら事実を答えれば良い、余計なことを言うとあとで父親に怒られるぞと助言すると、母親も納得したようで、そうだよねと言っていた。それから、足の手術は不要だったのではないかという話になった。特例でスニーカーを履くことを認めてもらえたほうが良かったと言い、それはこちらも同意なのだが――何しろ手術や入院のために多くの金が掛かるのだ! と言ってもそれは父親が自ら稼ぎ出した金なので、その恩恵に預かっていつまでも生きているこちらは文句は言えないのだが――、しかしそれでは通らないから手術をしたのだろうという話である。拍子木役というのが祭りの役目のなかにあって、どうも来年父親はそれを務めることになるようなのだが、その時は息子であるこの自分も、その脇に控えてついて同様に町を練り歩かなくてはならないらしい。まったくもって嫌な話だが、兄などはそのためにモスクワから帰ってくるなどと言っているらしい。兄の参加でそれでは自分は免除してもらおうかと思ったところが、息子が二人いれば二人が父親の両側につくといって、退路は断たれた。面倒臭い事態である。何が嫌だと言って、以前テレビで見たことがあるのだが、拍子木役とその助手というのはインタビューを受けることになるのだ。役目でおじさんおばさん連中のあいだに入っていかなければならないことも面倒臭いが、町を練り歩くこと自体はさほど苦痛でもない、しかしインタビューを受けて、ローカルネットとは言えテレビに映ることになるなどとは、まことに気の進まないことである――その時が来たら受け容れるほかはないが。
 スーパー・オザム秋川店に寄った。買うのはドレッシングと大根だけだという話だったので――と言っても、母親のことだから、入店して品物を見て回っているうちにあれもこれもとほかのものも買ってしまうであろうことはわかっていたのだが――こちらは降りなくても良かろうと車内に留まった。正面、駐車場の向こうには何本か桜の木が立ち並んで薄紅色を宙に散らしており、その枝上を鳥の飛び交う影が見えた。鵯らしく、姦しくぴよぴよと鳴き交わす声がガラス越しにも耳に届いてきた。それをしばらく見てから、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読みはじめた。相変わらず何を言っているのかよくわからない記述が続く。しばらく頁に目を落としていると、母親が帰ってきた。予想通り、大根とドレッシングだけではなくてほかのもの――ポップコーンなど――も買ってしまったようだった。
 夕食のためにケンタッキー・フライドチキンを買って帰ろうということになっていた。それで滝川街道を走り、友田から河辺のほうに出て、ケンタッキーに寄ってドライブスルーの列に入った。四個入りのセットが二つで一五〇〇円だと看板で宣伝されていたので、最初はそれで良いかと言っていたのだが、結局注文の段になって母親が、六個入りの一つで良いだろうと案を変えて注文した。三種のサイドメニューはビスケット、クリスピー、ポテトが一つずつ選ばれた。代金は一七九〇円。支払い・受け取り口に移動し、母親が代金を支払って品物を受け取ると発車、あとはクリーニング店に寄る必要があった。それで街道を走って千ヶ瀬方面に坂を下りて行くと、遥か西の山際で太陽が落日間際の色濃い膨らみを見せており、貼りついた紙のような薄い山の姿から果てから伸びてくる車道からそこを走っている車から、事物の下から這い出ている薄青い影以外は何から何までも粉のような橙色を被せられ、そのなかに浸っているのを見て、これは凄いなと思わず目を見張った。その後、裏道に入ってクリーニング店の駐車場に停まった。母親に荷物を運ぼうかと尋ねたが、大丈夫だと言うのでこちらは車内に留まり、BGMの止まったなかアカペラでcero "Orphans"をちょっと口ずさんだあと、手帳を取り出して断片的なメモを取っていると母親はすぐに帰ってきた。そうしてふたたび発車したあと、家に帰るまで特段に印象深いことはなかったはずである。
 自宅前に停まると、荷物を持って降り、郵便ポストから郵便物も取って階段を上り、扉の鍵を開ける。そうしてなかに入り、荷物を居間に運び入れるとともに、スーパーで買ってこられたものを冷蔵庫や戸棚に整理した。そうして下階に下り、自室に入ってジャージに服を着替える。それから上階に行くと母親は昼間にこちらが三合計って笊に収めておいた米を磨いでいる。彼女は今ちょうど、市営住宅に住んでいる人が自治会関連の書類を届けに来るのを受け取りに行くと言うので、磨がれたあとのものを受け取り、釜に入れて水を注ぎ、十五穀の粒を少々加えて搔き混ぜると炊飯器にセットしてスイッチを押した。それから、芸がないがまたサラダとして大根をおろせば良かろうと冷蔵庫のなかに僅かに残っていたものと買ってきた大根とをスライサーでおろし、さらに人参も加えておく。それであとはケンタッキー・フライドチキンもあるし、前日の残り物もあるし食事の支度は良かろうというわけで下階に下り、Twitterをちょっと眺めたあと、七時前から日記を書きはじめた。BGMに選んだのは、Fred Hersch Trio『Alive At The Vanguard』である。そうして一時間強打鍵したが、書きはじめる前は記憶を思い返すのが面倒だったところが、いざ書き出してみると結構よく思い出されて、覚えていることを入念に記せている感触があり、久しぶりに改めて、日記を書くというのはなかなか面白いではないかと感じられた。八時を過ぎると食事を取りに行った。白米・フライドチキン・ポテト・大根や人参やトマトのサラダ・それに母親が追加して作ってくれた豆腐と昆布とエノキダケの汁物である。テレビはどうでも良い、youtubeで再生回数の多い動画を紹介するだけの仕様もない番組。新聞を瞥見しながらものを食べると、薬を飲んで皿を洗い、風呂に行った。"Nardis"のメロディを口笛で吹いたり、散漫な物思いをしたりしながらしばらく浸かって、上がってくると即座に下階の自室に帰って日記の続きを書き出した。そうしてここまで綴って、九時半過ぎを迎えている。
 Fred Hersch Trio『Alive At The Vanguard』が終幕に差し掛かっていた。その演奏を聞きながらTwitterを徘徊し、フォローを少々増やしたあと、一〇時からベッドに移って本を読みはじめた――まず、川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』である。それを三〇分強、六〇頁ほど読むと、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』に移ったのだが、まだ日付替わりも済んでいないと言うのに、疲労感と淡い眠気が立ち籠めつつあり、折々目を閉じてしまう有様だった。それで珍しく、零時に達して四月四日の終わるその前に本を置き、手帳に一一時五一分をメモして明かりを落とした。入眠は容易だったと思う。


・作文
 10:08 - 10:50 = 42分
 13:09 - 13:27 = 18分
 18:52 - 20:05 = 1時間13分
 21:04 - 21:34 = 30分
 計: 2時間43分

・読書
 11:11 - 12:08 = 57分
 12:38 - 13:09 = 31分
 22:01 - 23:51 = 1時間50分
 計: 3時間18分

  • 2016/6/20, Mon.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-04-01「呼吸する金剛石の下腹を愛撫すること死を思うこと」; 2019-04-02「指先に錆びが浮いてる内陸の風が海に届くことはない」
  • fuzkue「読書日記(128)」
  • 「記憶」: 123 - 136; 137 - 140; 1 - 11
  • 加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』: 169 - 176
  • 川上稔境界線上のホライゾンⅣ(上)』: 130 - 188

・睡眠
 1:40 - 8:45 = 7時間5分

・音楽

  • cero, "Yellow Magus (Obscure)", "Summer Soul", "Orphans"
  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Fred Hersch Trio『Alive At The Vanguard』