2019/4/7, Sun.

 三時頃、一度覚める。その後、六時台にも覚めて、そこで起きてしまっても良いのだが、米が炊けるのが六時四〇分なのでそこまでは眠るかと目を閉じた(しかし、この朝は米を炊けるように用意はされておらず、マフィンを食べることになった)。そうして七時半まで床に留まってから起床。毎日このくらいの時間に起きられれば丁度良いと思う。夢を色々と見たはずだが、覚えているのは一つで、スーパー・マーケットを舞台としたものである。なかに自ら揚げ物を作るか鉄板焼きでものを焼けるかするそのような区画があったのだが、母親とともにそこにいると見知らぬ中年婦人が横から何かと口出しをしてくるのだった。初めのうちは波風を立てないように聞き入れていたのだが、段々と鬱陶しくなってきたので、相手に真正面から向かい合って、余計なお世話ですと告げた、とそのような夢だった。
 上階へ。母親に挨拶。そして顔を洗う。食事は米を炊いていないのでマフィンだと言う。半分に割られて口をひらいたものが二つ、オーブントースターに仕込まれる。そのほかブロッコリーにウインナーを皿によそって、それを食べながらパンが焼けるのを待つのだが、ウインナーが充分にボイルされておらずまだ冷たかったので、改めて電子レンジで一分間熱した。そうして卓に就き、眠い目を細めながらものを食べる。じきにマフィンも出来上がって、バターを挟んでかじりつく。テレビはNHKの『さわやか自然百景』、北海道大学の構内に棲む様々な鳥やエゾリスなどの生態が映される。そのあと八時からは『小さな旅』、和歌山の雛祭りや桜鯛漁などが取り上げられていた。食事を終えてからもすぐには立ち上がらずに眠い頭を抱えてそれらの番組を眺めたあと、台所に移って母親の分も含めて皿を洗った。そのあいだに母親の方は、洗濯機から洗濯物を取り出して抱えてベランダ際に移動し、ハンガーに吊るしはじめていた。皿洗いを終えるとそちらに合流して手伝い、さらに布団カバーを洗ってくれると言う。それで下階に下りていき、自室に来るとファスナーを滑らせて布団のカバーを外し、ついてきていた母親に手渡した。
 コンピューターを起動させ、FISHMANS『Oh! Mountain』を今日も流し出し、前日の記録を付けるとともに日記を書きはじめたのが八時半過ぎだった。欠伸を漏らしながら打鍵を進めて、現在時刻に追いついた今は九時半前まで至っている。
 それからしばらくだらだらとしたが、どうにも身体がこごって疲労感を帯びており、眠りが足りない感じがしたので、一〇時台の途中から寝床に転がった。枕の上に陽射しが宿っているそのなかに頭を入れて、眩しさに目を瞑って休んでいるうちに、ちょっと休むだけのはずが長い臥位になって、結局正午を回って一二時半頃まで長く臥せっていた。せっかく早く起きたのに甲斐のないことだが、だらだらといつまでも寝ているよりはこの方が良い。
 上階に行くと、テレビには『のど自慢』が映し出されており、台所にいる母親は生ラーメンを作ると言う。こちらも台所に入って丼にスープを用意し、小鍋の湯が沸いたところで麺を投入した。菜箸で搔き混ぜながらしばらく茹でて笊に上げ、丼に収めるとともに、母親が切ってくれた小松菜や卵、焼豚にモヤシを上に乗せて完成、卓に移動して食べはじめた。新聞を一応ひらいたが、きちんと集中して何かの記事を追ったわけでない。書評欄をひらいて漫然と眺めながら麺を啜り、食べ終えると台所に丼を運んでおいてから、母親に、まだ出かけないかと聞いた。散歩に出るつもりだったのだ。彼女は二時頃に出ると言い、まだ時間はあるので仏間に入り、誕生日プレゼントとしてTから貰った灰色の、無印良品の直角靴下をおろして履き、ダウンベストを脱いで出発した。
 林の縁から小鳥が一羽、飛び立って隣家の屋根の向こうへと消えていく。道の先には市営住宅横の、小公園に立っている桜の白さが覗いている。そちらまで歩いて行くと何やら女性の声が聞こえて、見ればおそらくその市営住宅に住んでいる者らだろう、遊具が一つ二つ置いてあるだけではっきり公園とも言えないような寂れた敷地のなかにシートを敷いて、花見に洒落込んでいる小さなグループがあった。桜はその脇で満開を迎えて、石鹸の泡のような清潔感を湛えた白を膨らませている。
 電柱の天辺に鴉が一羽止まってあたりを偉そうに睥睨しているのを、鳴くだろうかと右手で額に庇を作って見上げながら坂を上っていたが、鳥が声を立てないうちに視線の角度が直角に近づいていき、そうすると視界のなかに太陽が押し入ってきて、眩しさに耐えきれずに目を落とした。坂上から見下ろした一軒の傍にも、桜がふわふわとした白さを浮かべて風に靡いている。裏道を行けば周囲から葉擦れが立ち、そこを過ぎて行くうちに遅れて背後から風が流れてきた。沈丁花はそろそろ萎んで花火の残骸のようになっているので、もう香らないだろうと見て通ったところが、死に切る前の最後の微香が、これも過ぎたあとから遅れて鼻に触れてきた。
 街道に出る頃には汗ばんでいる。横断歩道で立ち止まりながら右方を見やれば、草むらの上を白い蝶が舞い踊り、葉っぱのない枯枝の集まりの上には小鳥が立って、その傍でユキヤナギが、絡まった触手のようにして旺盛に茂っている。それを見ているうちに信号が変わって、渡るとレンギョウの満面の黄色を前に右折して細道に入る。オオイヌノフグリが足もと、道の端を埋めているなかを歩いていると、この日も斜面に沿って風が流れて、頭上の乾いて色の薄くなった草がさらさらと鳴った。墓場まで来ると敷地の向かいの桜がここでも満開に盛っており、風にも揺らがずに静かに咲き誇っているその低い枝先に、止まってちょっと目を寄せた。
 保育園の敷地の前に、褐色の枯葉が一枚、身を丸めて地に落ちている。それを踏み砕いてぱりぱりという音を立てて過ぎ、家並みのあいだを行って今日はいつもと違って途中で左方に折れた。線路の上の短い小橋を渡って、昔は採石場のあった広い敷地に出ると、ここでも縁に桜が何本も並んで空中を白く長く塗っている。広場のあいだを通る細道に沿って行き、家々の横に出ると風が前から駆けてきて、それが結構な勢いで耳もとをがさがさ言わせるが、それにしては軽く、両の手に生まれるのも布でふわりと包まれているような感触で、春の風というものはこんなにも重さ鋭さのないものだったかと思った。駅の北側を通って、線路の横を、分厚い風に包まれながら歩くなか、森の方から鵯の、しつこいように喉を張って鳴き交わす声が立っていた。踏切りを渡って街道に出ると南側にさらに渡って木の間の細い坂に入り、頭上で天蓋をなすものやら足もとに生える雑草やら、濃淡明度様々に生い茂る緑のなかを下って行くと、ここでも微風が舞い上がってきた。
 帰宅するとちょうど母親が洗濯物を取り入れたところだったので、寄っていき、タオルを受け取って畳み、寝間着も続けて畳んだ。テレビは『パネルクイズ アタック25』を流しはじめたばかりの頃合いである。畳んだタオルを洗面所に持って行ったそのついでに、風呂を洗う。先ほどの散歩のあいだのことを思い返しながら浴槽を擦り、出てくると階段を下りて自室に戻り、Antonio Sanchez『Three Times Three』を流して「記憶」記事の音読を始めた。「記憶」記事も既に項目が一四八番まで作成されている。あまり多くしすぎても記事をひらいたり操作したりするのにEvernoteが重くなってしまうので、どこかしらで区切って新たに二番目のノートを作成するべきだろうが、何番まで作ったところで次のノートに移ろうか迷うところである。この日は一三九番から一四八番、最新の項目まで読んだあと、三二番に戻って大田昌秀沖縄県知事のインタビューから取った情報や、大津透『天皇の歴史1』の記述を復習した。そうして時刻は二時半を過ぎ、そこから日記に取り掛かって、四〇分強を費やして現在三時一五分。
 それから、Jose James『Lean On Me』の流れるなかでUさんへの返信を綴った。二〇分ほどで、段落三つで短く作成、推敲まで済ませたがまだ送らず、翌日再確認して変でなければ送信するつもりだ。次に、そのUさんのブログを一記事読んで四時を越えたあと、ベッドに移って加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読みはじめた。最初のうちは背にクッションを当てて凭れ、姿勢もそれほど低くなく、身体の上に布団を掛けることもなく読み進めていたのだが、次第に安楽さを求めて、完全に寝転がって枕に頭を乗せてしまった。それでも眠気は湧かなかった。しかしちょっと肌寒いからと布団を引き寄せると怠惰の虫が湧いてきて、五時四五分で書見を区切って休みはじめた。父親の見舞いに病院に行っている母親が帰ってくるまで起きないつもりでいた。その母親が帰ってきたのは六時半頃、既に薄暗くなった室内で身体を起こして上階に行き、母親に挨拶して台所に入ると――焜炉の一方では大根とシーチキンが煮られてあった――水に晒されてあったほうれん草を二つに切断し、固い軸の方から湯の沸いたフライパンに放り込んだ。しばらくしてから葉の方も投入して、ちょっと茹でて洗い桶に移すと流水で洗った。それから餃子を焼くことにしてフライパンに油を少量垂らし、冷凍庫から出した袋から一つずつつまんで餃子を隙間なく並べた。そうして火に掛けているあいだにほうれん草を絞って切っていると母親がやって来て餃子は大丈夫かと言う。それで蓋を開けて見てみると、もう結構焦げ目がついて焼けていたので、水を入れてくれと頼み、ふたたび蓋を閉じてほうれん草を切った。そうしてしばらく焼いて油をふたたび垂らし掛け、餃子が完成するともう食事を取ることにして――時刻は六時五〇分ほどだったと思う――炊飯器に寄って炊きたての米を搔き混ぜ、丼によそり、その上から餃子を乗せて餃子丼なるものを拵えた。そのほかほうれん草、大根の煮物、鮭の残り、大根のサラダである。卓に就いて食べているとテレビはニュースで、「令和」への改元に合わせて、あれは多分元ネタの『万葉集』の「梅花の宴」に縁[ゆかり]のある土地だからということだと思うのだが、福岡は太宰府市の神社や資料館を訪れる人が急増しているという話だった。新聞も瞥見しながらものを食うと、薬を飲んで、一旦下階に戻った。cero "Yellow Magus (Obscure)"を流して歌い、次の"Elephant Ghost"が流れているあいだに燃えるゴミの箱を持って上階に行き、台所のゴミと合流させておいた。そうして戻ってきて、"Summer Soul"もちょっと口ずさみながら日記を書き出し、『Obscure Ride』の各曲を背景にここまで綴って七時四五分である。
 それからすぐに風呂に行ったのだったかどうか。覚えていないが、入浴を終えて部屋に戻ってきたあとは、cero『POLY LIFE MULTI SOUL』を背景に結構長い時間、だらだらと過ごしてしまった。そうして一〇時一五分を迎えたところで、「日本の年金生活者が刑務所に入りたがる理由」(https://www.bbc.com/japanese/47453931)を読みはじめ、一五分ほどでさっと読み終えた。

 (……)日本は驚くほどよく法律を守る社会だが、その中で65歳以上の高齢者が起こす犯罪の比率が急上昇している。1997年には犯罪20件に1件の割合だったのが、20年後には5件に1件を超えていた。人口全体に占める65歳以上の割合が増えたペースを、はるかに上回る上昇ぶりだ(65歳以上の高齢者は現在、人口の4分の1以上を占めている)。

 ニューマン氏は一方で日本の裁判について、軽い窃盗罪でも刑務所へ送られることが多いのは、罪に応じた罰かどうかを考えるとやや常識外れの感があると話す。
 2016年に書いた報告書では「200円のサンドイッチを盗んだ場合の刑期が2年なら、その刑期に840万円の税金が使われる」と指摘した。

 そうして次に、 川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』。ヘッドフォンをつけてコンピューター前の椅子に座りながら読み進める。それから、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』にも移ったが、この頃には椅子を離れてベッドの縁に腰掛けていたと思う。そうして椅子を引き寄せてその上に本を置いたり、あるいは布団の上に寄り掛かるようにして姿勢を崩したりしながら読んでいたのだが、零時を越えると臥位になっていなくても眠気が湧いて、意識が曖昧になってくる。それなので零時半前には潮時を見て書見を切り上げ、明かりを落として寝床に横になった。入眠には問題なかったようだ。


・作文
 8:38 - 9:26 = 48分
 14:33 - 15:15 = 42分
 15:24 - 15:43 = 19分
 19:26 - 19:46 = 20分
 計: 2時間9分

・読書
 13:51 - 14:32 = 41分
 15:45 - 16:08 = 23分
 16:12 - 17:45 = 1時間33分
 22:16 - 22:30 = 14分
 22:31 - 24:27 = 1時間56分
 計: 4時間47分

・睡眠
 0:15 - 7:30 = 7時間15分
 10:30 - 12:30 = 2時間
 計: 9時間15分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Jose James『Lean On Me』
  • cero『Obscure Ride』
  • cero『POLY LIFE MULTI SOUL』