2019/4/9, Tue.

 一一時まで起きられない。糞である。早い時間から目を覚ましてはいるのだが、どうしても起き上がることができない。ベッドを抜けて上階へ。母親は着物リメイクの仕事に出かけている。服をジャージに着替えて台所に入り、冷蔵庫から味噌汁の残りとコロッケを取り出す。それぞれ温めて、米をよそって卓へ。コロッケにソースを掛け、細かく千切りながら白米と一緒に咀嚼する。新聞からはルワンダ大虐殺関連の記事を読み、食事を終えると卓上にあった小さなチョコレートを二枚賞味し、水を汲んできて抗鬱剤ほかを服用した。それから台所に移って食器を洗い、便所に行って放尿すると下階に下りて自室に入った。コンピューターを起動させ、Evernoteを立ち上げて前日の記録を付けるとともに、この日の記事も作成し、睡眠時間を記録した。一〇時間弱に及んでおり、明らかに床に留まりすぎである。どうにかして、もう少し早起きして睡眠時間を減らすことができないだろうか。そうして一二時過ぎから日記を書き出した。前日はだらだらと怠けてしまったので、生活に関しては書き足すことがほとんどない。ムージル『特性のない男』の感想と言うか、簡単な要約のようなものを綴っておき、モースブルッガーの滑稽さを表した部分を引用して完成、それからこの日の記事も書くと、思いの外に時間が掛かっていて、既に一時前に達している。BGMのFISHMANS『Oh! Mountain』は既に終わってしまった。
 前日の記事をブログにアップしたあと、Antonio Sanchez『Three Times Three』を背景に一時間ほどだらだらと過ごしておよそ二時に至った。上階へ行くと、何やら食欲をそそる良い香りが室内に漂っていて、帰ってきて洗面所にいた母親に訊けば、ラザニアの匂いだと言う。たまには食べてみたくて、冷凍のものを買ってきたらしい。それでこちらもそれを昼食に頂くことに決めながら、浴室へ行って風呂を洗った。背を丸め腰を曲げて前屈みになりながらブラシで浴槽の壁を擦り、シャワーで付着した洗剤を流しておくと台所に出て、冷凍庫から件のラザニアを取り出し、電子レンジに突っ込んで六分間の加熱をセットした。加熱を待っているあいだには居間の方に行き、屈伸をしたり開脚したりと下半身をほぐしながら時間を潰す。母親は炬燵テーブルに向かって、兄夫婦に送る荷物の宛て先を紙に記入していた。六分が経って台所に芳しい匂いの立ち籠めはじめた頃、電子レンジに寄って中身を取り出し、スプーンとともに両手で持って卓に運んで、熱々の料理を少しずつすくって口に運んだ。食べ終えると容器を流しで洗って始末しておき、下階に戻る。
 図書館に出かけるつもりだった。『Three Times Three』の六曲目、テーマがちょっと変則的なブルースである"Rooney And Vinski"が流れるなかで服を着替える。ベージュのズボンに白シャツ、上着は紺色のジャケットである。ジャケットを羽織ると手帳を胸ポケットに入れておき、音楽が一曲終わるまで流すとコンピューターをシャットダウンして荷物をまとめた。そうして上階へ行くと、母親が荷物を運んでくれと言う。彼女も再度出かけて郵便局に行き、兄夫婦へと荷物を送るのだ。それでついでに乗っていきなよと頻りに誘うのだが、歩きたいからと言ってこちらは固辞した。低い戸棚の上に畳まれてあったハンカチ――Brooks Brothersのもの――を一枚取って尻のポケットに入れ、玄関に出ると布袋に入った荷物を二つ手に提げて、車の鍵を持った母親とともに外に出る。そうして父親の真っ青な車に近づき、荷物を後部座席に入れておくと、それじゃあこちらは図書館に行くからと言って歩き出した。母親は、わかった、気をつけてねと受けたので、はいと返して道に出た。
 柔らかく滑らかな春の風が流れていた。前も後ろも雲はひとひらも見当たらず、清涼な青さが広がって満ち満ちており、振り仰げば午後二時台の太陽が右手で庇を作った瞳にもまばゆい。坂を上っているあいだも左手の林の上の方から、風が流れて竹が左右にゆっくりと揺られて葉の擦れ合う音がさらさらと落ちてきた。
 ムージルのことを考えながら歩いていて、ふと視線を上げると、Tさんの奥さんが物干しスペースに出て洗濯物を取り込んでいるところに目が合った。どうも、と頭を下げて、こんにちはと続けると、歩くのに丁度良い気候になってきて、と返されたので、そうですね、暖かくて、と受けて、行ってらっしゃいと告げられるのにはいと答えて家の横を過ぎた。街道に出る頃には早くもジャケットの裏の腕に、ぷつぷつと、点々と汗の感覚を覚える。
 小公園の桜の木は満開を迎えており、白さを枝の先まで充実させて、気力はまだまだ満ちているようで、風が流れて上下左右に花を振られても零れるものは乏しい。しかし通り過ぎざまに公園のほうを覗くと、散ったものが点々と地面を彩っており、端のほうには砂糖を撒き散らしたように溜まっているところもあった。
 背の低い桜の生えている老人ホームの角を曲がって裏通りへ入ると、ここにも日向は隈なく敷かれてあって、細い電線の影が霞むような横溢ぶりである。前方には男子高校生の五、六人固まったのが、いかにも若者らしく大きな声で話しながらゆるゆる歩いている。途中で突然風が盛って正面から顔にぶち当たってくるそのなかで、踏切りの赤いような警報音が始まった。先日出くわした白猫がまたいないかと、当該の一軒の近くに来るとあたりをきょろきょろ見回すのだが、姿はなく、残念な気持ちで歩んで行けば、もう花を完全に落としきった白木蓮の枝から薄緑色の新たな葉が萌え出でていた。
 梢のなかに茶色のいくらか混ざりつつも軽い緑で統一された背の高い広葉樹が、風に触れられてさわさわと鳴りを立てている。背後からやって来た女児が一人、ぱたぱたと足音を立てながら駆けてこちらを抜かして行く。梅岩寺の枝垂れ桜に視線を送って過ぎ、駅前へと続く道を行っていると、小さな社の敷地に生えた桜の、花のなかにもう葉も生えていて白に緑の色が混ざったものを見上げている婦人がいた。
 駅に入ってホームに上がり、先頭車両の方へ向かうと、視線の先に西洋人の一団が固まっており、なかに一人幼児が連れられている。その脇を過ぎて、二号車の端の位置に佇み、向かいを見れば小学校の校庭の縁に桜がいくつも立ち並んで、空の雲が地上に落ちて宿ったかのような不定形の、薄紅混じりの白さを宙に漂わせて棚引くように連なっている。校庭の端の方では、今日はおそらく入学式でもう放課後だろうか、小学生らが集まってざわめきを立てていた。空の方はと言えば相変わらず雲は生まれる余地のない青空で、それを見上げるとどこまでも視線が吸い込まれていくその空漠に平衡感覚が乱れてきそうで、股間のあたりが収縮するような不安がちょっと湧いた。
 やって来た電車に乗って三人掛けに腰を下ろすと、目を瞑って発車を待つ。午後三時八分の発車を迎えても目を閉ざしたままでいると、温暖で安穏な空気に心地良く浸るようで動くのが億劫で、このまま立川まで行ってしまおうかと俄に思った。しかし行けばどうせ本屋に行く、本屋に行けば買いたくなるが、買っても積んである本がいくらもあって、しかも現在『特性のない男』などという大長篇に取り掛かっている最中で、今すぐには読めない。そういうわけで余計な金を使うまいとやはり図書館に行くべく河辺で降り、風の流れるエスカレーターを上がると、改札の向こうに、定期券を買う人々だろう横並びに行列が出来ていた。その先頭の前を過ぎて歩廊に出て、陽に照らされながら図書館に渡った。
 CDの新着を見ると、Marc RibotVillage Vanguardでのライブ盤などあってこれには興味を惹かれるが、ひとまず借りずに上階に向かった。新着図書には、ポーランドユダヤ人についてのみすず書房の本とか、河出文庫に入ったボフミル・フラバルの著作とか、岩波文庫井筒俊彦神秘主義の哲学についての本とか、いくつか興味深いものは見られた。新着図書を確認すると書架のあいだを抜けて大窓際に出るが、そちらの方の席に空きは見つからない。やはり立川に行くかと思いながらもテラスの方に行くと、こちらは結構空いていたので立川行きは却下して、一番端のテーブルに就いた。コンピューターを取り出し、起動スイッチを押して、パスワードも入力しておいてから席を立って、文庫の棚の英米文学をちょっと見分した。W・アーヴィングや、ヘンリー・ジェイムスあたりが少々気になるものだ。それから席に戻って日記を書き出したのが三時半過ぎ、ここまで四〇分ほどで綴り終えて、四時を四分の一回っている。
 加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読む。一〇頁ほどしか残っていなかったので、まもなく読み終える。そうしてそのまま書抜きも行ってしまうことに。席を立ち、背後の柱と文庫の書架のあいだを抜け、全集の棚を見分し、ボルヘス編集の『バベルの図書館』の分厚い六巻目――ラテンアメリカや中国、アラビア文学の巻――を持ってきて、それでもって『ムージル著作集』の頁を押さえながら打鍵を進めた。黙々と手指を動かして一時間、六時になる前には『ムージル著作集 第一巻』の書抜きを終わらせることができた。印象的なのはまず冒頭の、「千百の音響」が重なり合った激しくざわめく街の騒音を「針金の束」に喩えているウィーン市の描写である。それと、ウルリヒが人間すべてに共通なものとして、愚かさ、金、宗教的な記憶の三つを挙げているアフォリズムめいた発言。その二つを改めてここに引用しておこう。

 自動車は、狭くて深い通りから抜け出して、明るい広場の浅瀬に向かって殺到していた。雑踏する歩行者たちの黒い流れは、ひも状の雲の形をしていた。このだらけて急ぐ雲の流れを、より強力な速度の線が横切るところでは、それは一時凝集し、やがて急速にさらさら流れ出し、そして少し弾みをつけたあとで、ふたたび元の一定のリズムを取り戻していた。千百の音響がよじり合わされて騒音の針金の束となり、そこから尖った切っ先が数本飛び出し、それに沿って鋭い先端がいくつか走り出してはまた引っ込み、明るい響きがそこからはじき出て飛び去っていった。この騒音を聞けば、その特色が述べられなくても、またここ何年も不在であった男が目を閉じていても、自分が首都にして帝都であるウィーン市にいることを聞き分けたことだろう。都市は人間と同様にその足どりで聞き分けられるものなのだ。(……)
 (加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』松籟社、一九九二年、9)

 (……)ウルリヒは率直にいった。「世の中には何千という職業があり、人間はそれに没頭しています。そこに彼らの賢さがあるのです。しかしそうした彼らが、普遍的に人間的なもの、人間のすべてに共通なものを求められると、結局三つのものしか残りません。愚かさと、金と、わずかばかりの宗教的な記憶だけです!」。(……)
 (213)

 さて、書抜きを済ませたあとは、山我哲雄『一神教の起源』を新しく読みはじめた。これは二一日に控えている読書会の課題書であり、『特性のない男』を中断しても読まないわけには行かない。ムージルに比べると読みやすいことこの上ない。この時新たに、少しでも気に掛かった箇所は手帳に短くメモを取りながら読むという方式を試してみた――と言うか、何故か自ずとそうした方法を取っている自分がいた。ペトロやパウロユダヤ人であるとか、ムハンマドは商人だったとか極々基礎的な知識から始まって、「一神教」の類型なども興味を惹かれた部分は大まかにメモしていく。後者の分類には例えば拝一神教(monolatry)というものがあって、これは複数の神の存在をそれそのものとしては認めるが、崇拝の対象としてはただ一つの神に対して祈るというもので、日本人である我々に親しいところで言えば浄土教がこれに当たる。浄土教は釈迦如来など諸仏の存在を否定はしないが、救いを求めて念仏を唱えるのは阿弥陀仏に対してのみなのだ。一神教にはこのほか、単一神教(henotheism)とか、全部で五つほどの分類が紹介されていて、我々が通常「一神教」と言ってイメージするユダヤ・キリスト・イスラームの三つは正確には「排他的一神教」あるいは「唯一神教」と呼称されるようだ。現代においてはその唯一神教のうち、キリスト教徒は二二億人、イスラーム教徒は一六億人いるとされ、この二つの宗教だけで世界人口の半分を越えている(ちなみにユダヤ人は一五〇〇万人ほどと推計されているようだ)。現代世界の二人に一人以上が一神教徒であるわけで、それに対して二〇〇〇年前の古代においては、諸宗教のおそらく九九パーセントまでは多神教だったと言うから、一神教の凄まじい、恐るべき浸透力が窺える。一体どうしてそこまで普及したのだろうか?
 一時間ほど読んで七時直前に至ると帰ることにして席を立った。フロアを移動して、日本文学の棚から古川真人『四時過ぎの船』を手に取る。そうしてフロアの端まで歩いて行き、哲学の棚からは木田元『哲学散歩』に、斎藤慶典『哲学がはじまるとき』を取って三冊を貸出手続きした。これらの本たちは以前読んで既に返却しておいたものなのだが、それを改めて借りたのは二一日の読書会でAくんたちに紹介するためである。それから膀胱を軽くするべく便所に行くと、室に入ったところに男が一人立っていて、それが見た顔だったので過ぎた傍から首を回して相手の顔を見つめた。向こうもこちらを見つめ返してきて、無言の会釈が挟まった。過去の生徒である。U、と相手を指差しながらその名字を口にし、さらに、U.M、とフルネームでも呼んだ。ちょっと太りましたね、と言われた。それを受けてこちらは、そうか、やっぱり……と漏らしてちょうどそこにあった鏡を覗き込み、頬に手を当てて確認したあと、わかるか、と口にした。実際、この昼に体重を測ったのだが、何と六五キロもあって、病前に比べると一〇キロ以上も増えていたのだ。最も、以前が痩せすぎだったのであって、こちらの身長一七五センチからすると今ぐらいあってようやく適正の範囲といったところだろう。今何やってると思います、と訊いてくるので、お前もう高三、と訊けば、終わった、と言う。大学、と続けると否定が挟まって、それで、浪人、と二人声を合わせた。今年はニッコマがやばかったじゃないですかと言われるのに、そうなのと受けると、塾はもうやっていないんですかと来るので、鬱病のことを話すかどうか考えながら、ちょっと事情があって、と置き、今休んでいるんだけど、もうそろそろ復帰すると思うと告げた。それから二、三、話して別れ、放尿を済ませたこちらは鏡の前で手を洗いながらふたたび自分の顔を注視すると、改めてそのようにまじまじ見つめてみると、確かに以前よりも頬がふっくらとしているなと苦笑とともに思われた。そうして室を抜け、退館に向かいながら、Uともう少し話をすれば良かったなと思った。英語と国語なら教えられるよ、くらいのことは言えただろう。彼が望めば個人的に家庭教師をしてやっても良いと妄想し、よほど戻って彼の席を探してみようかと思ったが、結局はまあ良いかと払って出口に向かった。
 暗くなった外に出ると歩廊を渡って河辺TOKYUに入る。フロアを進んで籠を持ち、野菜の区画に踏み入って例によって茄子を二袋最初に取った。それから、玉ねぎ、椎茸、豆腐などを入手したのち、夕食のおかずにと六個入りのカキフライのパックを籠に加えた。その他、ファミリーサイズの「アルフォート」と、ポテトチップスも手もとに確保して、それで会計に行った。一八三一円。整理台に移ってポテトチップスはリュックサックに入れ、その他は大きめのビニール袋に収めて手に提げ、退館した。歩廊に出て見上げれば西南の空に細い三日月が浮かんでいたが、目が悪いために像が安定せずにぶれて三重になり、爪を何度も空に押し付けて刻んだ傷のように見えるのだった。駅舎に入って掲示板を見れば、奥多摩行き接続は四〇分、その前に七時半ぴったりの電車があって、青梅で少々待つことになりそうだった。改札を抜けてホームに下ると、二号車の端の位置に立ち、足もとにビニール袋を置いて手帳を取り出した。こうした手持ち無沙汰な待ち時間のあいだに、手帳にメモしてある事柄を復習出来るではないかと思いついたのだ。それで先ほどメモした『一神教の起源』からの情報を振り返りつつ待って、やって来た電車に乗ってからも、ビニール袋を座席の端に置き、銀色の手摺りに凭れて立ったままに手帳の文字を目で追った。青梅に着くと、奥多摩行きは既にやって来ていたので乗り移った。一番東京寄りの端の扉口に立ち尽くして引き続き手帳を眺める。白丸で電車が鹿と衝突した事件の余波で御嶽から奥多摩のあいだは動いていないとのアナウンスが、東青梅のあたりで入っていたが、発車には影響がなさそうだった。じきに出発して、最寄り駅に着くと降り、ホームを通って階段通路の途中に来てから、そうだ桜はと思い出した。階段を下りながら駅前の桜木のほうに視線を繰り出すが、闇の中でも光る白さは見えず、もう結構散ってしまったのだろうかと思われた。そのわりには通路を抜けた足もとに落ちている白さの乏しい。
 横断歩道を渡って坂に入り、風が流れて梢を鳴らすこともない静寂のなか、足音とビニール袋の擦れ合う音を立てながら下りて行く。下りたところの小公園の桜が枝先を揺らさず咲き静まりながら電灯の明かりを受けて固化し、白い光に一層白く艶めいて、暗がりのなかで金属的なまでに照っていた。夜道を行きながら自分の影が前方に長く伸びて行く、と思えば足もとから新たな影が湧いてこちらを追い越して行き、こちらの背丈を遥かに越えて高く長く大きく前方に這い出て行って、次の街灯のところに来るまでには地中に溶けるように消え去ってしまう。その影の動きを見ながら家路を辿った。
 帰宅すると、台所にサラダや南瓜や茸の混ざった炒め物が皿に盛られてあり、食事の用意が出来ているのだが母親の姿がない。下階に下ってみても、気配がない。こういう時、まさかどこかで倒れているのではなかろうななどと、どうも不吉な方に思考が向いてしまう性分なのだが、まさかそんなこともあるまい、家中に気配が窺えないところを見ると、近所のどこかにちょっと出かけているのだろうと判断して自室に入り、コンピューターを机上に据えるとともに服を着替えた。そうしてインターネットをちょっと見ているうちに、母親が外から帰ってきた音が聞こえてきた。それで上階に行くと、やはり自治会の用で手近の家まで行っていたのだと言う。こちらは台所に入って、鶏肉と茸のソテーをよそり、豆腐や買ってきたカキフライなども電子レンジに突っ込んで、卓に就いてものを食べながらそれらが温まるのを待ち、食事を取った。母親は、I.Yさんからの荷物が届いたからと彼女に電話を掛けていて、玄関の方に出て結構長話をしていて、その通話が終わる頃にはこちらはちょうど食事を終えるところだった。これでやっと食べられる、お腹がぺこぺこだよと母親は言って、台所でカキフライを温める。こちらは薬を飲んで食器を洗い、風呂に行った。さほど浸からずにさっさと上がって来ると、自室に帰って、日記を書きたいところだったが、ポテトチップスを食いながら――手でチップスをつまんでいるとキーボードを打てないので――「なぜNHKは政権による嘘と誤魔化しに加担するのか<永田浩三氏>」(https://hbol.jp/188405)を読んだ。読み終えてもチップスを食い終わっていなかったので、さらに「ダークウェブよりヤバい「普通のウェブ」」(https://ascii.jp/elem/000/001/832/1832059/)も途中まで読み、ティッシュペーパーで手指を拭くと、改めて前者の記事を読みながら気になったところを手帳にメモした。二〇一三年一〇月にNHK経営委員が刷新されて百田尚樹やら長谷川三千子やらが就任したとか――現在は百田はいないようだが、長谷川は変わらず務めている――、二〇一四年一月に籾井勝人NHK会長に選ばれて、従軍慰安婦について「どこの国にもあったこと」と発言したとか、そのような事柄である。その後、Antonio Sanchez『Three Times Three』の続き、及びcero『POLY LIFE MULTI SOUL』を流しながら、「記憶」記事の音読をした。一三九番から最新一五二番まで。そうして時刻は一〇時過ぎ、ようやく日記である。途中からヘッドフォンを点け、音楽はまたcero『WORLD RECORD』に移行させながら打鍵を続け、一時間以上掛けて文章を現在時刻に追いつかせた。
 それから、noteのアカウントを作った。前々から考えてはいたのだが、まだ見ぬ読者に対してよりひらいていくために、そして第二のバックアップの観点からしても、noteの方にも日記を投稿していこうと決断したのだった。アカウントを作成し、プロフィールページにローベルト・ヴァルザーの写真を据えて、四月の第一日から八日までの記事を投稿して行った。それからこちらの存在を周知させようというわけで、他人のアカウントを適当にフォローしまくった。
 そうして時刻は日付替わりも間近、インターネットを回って少々だらだらとしたのち、一時が近くなってからベッドに移って山我哲雄『一神教の起源』を読みはじめた。キリスト教など一神教が砂漠という生活環境を母胎として生まれたものであるということはこちらも何となく聞いたことがあったが、これは根拠のない俗説なのだと言う。と言うのも、古代イスラエル人は砂漠の遊牧民などではまったくなく、「カナンの沃地で農耕民と共存していた」。また、イエスが布教活動を行ったのも、パレスチナの地でも最も自然豊かなガリラヤだった。そして、駄目押しとして、砂漠的風土が一神教を生むという法則性・必然性があるのならば、タクラマカン砂漠だろうとゴビ砂漠だろうとサハラ砂漠だろうとそこでは一神教が生じるはずだが、実際にはその地の原住民の宗教は皆アニミズム多神教だったと述べられている。
 二時ぴったりまで書見をしたあと、消灯して布団に潜り込んだ。


・作文
 12:08 - 12:54 = 46分
 15:33 - 16:15 = 42分
 22:11 - 23:17 = 1時間6分
 計: 2時間34分

・読書
 16:16 - 16:43 = 27分
 16:46 - 17:48 = 1時間2分
 17:52 - 18:58 = 1時間6分
 21:01 - 22:11 = 1時間10分
 24:44 - 26:00 = 1時間16分
 計: 5時間1分

・睡眠
 1:15 - 11:00 = 9時間45分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • cero『POLY LIFE MULTI SOUL』
  • cero『WORLD RECORD』