五時四〇分に起床することに成功した。快挙である。睡眠時間は五時間二〇分。いつもこのくらいの睡眠に抑えて早起きできれば良いのだが。ダウンベストを持って上階に行き、少々ふらつきながら服をジャージに着替えるとその上から羽織る。便所に行き、居間のカーテンを開けて光を取り入れ――東窓の先にまばゆい光球が覗いていた――台所に行き、冷蔵庫からカレーのフライパンを出して弱火に掛ける。時折り搔き混ぜつつ、一方で食器乾燥機のなかを片付けながらカレーが加熱されるのを待つ。乾燥機を片付け終わると大皿に米をよそり、そこに粘度の高くなったカレーを掛け、食卓に移った。テレビも点けず、明るく静かな部屋に鳥の囀りが伝わってくるなか、一人で黙々と食事を取った。ものを食べ終えると抗鬱剤ほかを飲み、皿を一枚とスプーンを一つ洗って食器乾燥機に入れておく。そうして一旦、下階に戻った。チョコレートを食いながらコンピューターを起動させ、川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』を読みながら準備が整うのを待つ。そうしてEvernoteを立ち上げ、六時半前から日記を書き出した。前日分を仕上げてここまで綴って六時四三分。
前日の記事をブログに投稿。それから、手帳に綴ったメモを前日の日記に写した。このようにして少しでも情報に繰り返し触れる習慣をつければ、多少は知識もついてくるだろう。そうこうしているうちに母親が上階に上がった気配を察知したので、こちらも顔を合わせに上へ。挨拶をして、洗面所に入り、既に洗濯物の収められた洗濯機を操作して回しはじめる。それからゴミの始末。自室からも燃えるゴミを持ってきて上階のものと合流させ、ゴミ箱のなかのものを押し込んで少しでも嵩が小さくなるように潰す。流し台の排水口の物受けを取って生ゴミもコンビニのビニール袋に入れ、仏壇に飾られた花二種類も持ってくる。細長い花瓶の方のものは下端を少々切って水を取り替えておき、紫色の花が咲いているハナダイコンはそろそろ花が落ちてしまうだろうから捨ててしまって良いと言うので、生ゴミを入れた袋に同じように収めておいた。その生ゴミの袋も燃えるゴミの箱に合流させ、潰し、ゴミ箱からビニール袋を外すと緑色の燃えるゴミ用の袋に押し込む。小さな袋にぎゅうぎゅう潰して無理矢理に収めてしまうのだ。それから玄関を抜けて傘立てに一本あった傘――前日に使ったものである――を取り、階段を下りて、ポストの取り付けられている柵に掛けて干しておく。ポストから新聞も取って居間に戻り、桜田五輪相辞任あるいは更迭の記事を瞥見し、そこまで行ったところで一旦下階に戻った。インターネットを少々回って八時頃になるとふたたび上に行き、陽の射しているソファに座ってNHKの連続テレビ小説「なつぞら」をぼんやりと眺める。そのうちに母親が洗濯物を干しに掛かったので、こちらも洗濯機のなかのものを持ち運んできて、タオルやパジャマ、肌着などをハンガーに干していく。
終わると下階に戻って、ベッドに乗って読書を始めた。 川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』である。寝床に陽が射してきて、ダウンベストを羽織った上に布団を身に掛けていると暑いくらいなので、途中でベストの前やジャージのファスナーをひらき、窓を開けた。空には飛行機雲が長く引かれて、その一線が線のままに乱れることなく東の方へとじりじり移行していく。途中で目を閉じ、やはり五時間強の睡眠では眠りが足りなかったものと見えて、少々意識を落とした。一一時頃に本を読了し、引き続いて山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』を読みはじめる。複数の鳥の、姦しく、賑やかにぴちゃぴちゃと鳴き重なる声が窓外から響いていた。それを聞きながら、また時折りメモを取りながら読み進め、正午を回ったところで本を置き、手帳に読書時間を記録して上階に行った。父親は足が治っていないのであと一週間ほど休みを取っているわけだが、家にいるからというわけだろう、珍しく台所に立って鍋を磨いていた。こちらは便所に行って排便し、戻ってくると父親の背後を通って焜炉の前に行き、菜っ葉と椎茸の汁物をよそる。そのほか、鮭を温め、米もよそって卓に就くと先に食事を始めた。そのうちに母親が、朝の温野菜の残りを渡してくれるので醤油をちょっと垂らしてそれも食べる。テレビは『サラメシ』。スターダスト・レビューのライブの舞台裏が映されていた。食後、母親が持ってきてくれた冷凍のたこ焼きを三人で分け合って食べ、こちらは立って食器を洗うと下階に戻ってきた。そうして、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだし、日記をここまで綴るともう一時を越えている。
一時一五分から「記憶」記事音読。まず、「記憶2」の方から最新の二項目を読み、それから「記憶1」の方もひらいて五三番――デザイナー・ベイビーに反対するマイケル・サンデルの議論について――を読んでいると、上階で母親がベランダに出たらしき気配が伝わってきたので、洗濯物を入れるのだなと、短いが音読はそこまでとして(僅か七分)部屋を出た。上階に行くとベランダに続くガラス戸の前に洗濯物が小山を成していたので、そこからパジャマやタオルなど取り上げて畳んでいく。タオルをすべて畳んでしまうとそれを洗面所に運び――父親は相変わらず、ラジオを流しながら(「たまむすび」らしい)鍋を磨いていた――ついでに風呂を洗う。洗って出てくると居間に戻って、今度はアイロン掛けである。炬燵テーブルの端にアイロン台を置き、母親の柿色のエプロンから始まって自分のシャツや父親のスラックスやハンカチなどを掛けているあいだ、母親はこちらの脇でタブレットを弄りながら、ぐるぐるなって読み込まれないと言っていた。それに対してしばらく放っておきなと助言しながら作業を進めて、終えると下階に戻って、FISHMANS "Blue Summer"の流れるなかで腹筋運動をした。動いていると暑くなるので、途中でダウンベストを脱ぎ、ジャージの上着も身から外してしまった。そののち、"頼りない天使"を歌いながら服を着替える。先ほどアイロンを掛けたばかりの臙脂色のシャツに褐色のスラックス、上は久しぶりにグレンチェックの薄手のコートを羽織ることにした。鬱気の現れはじめていた昨年の三月に買ったものである。それで音楽を途中で止めてコンピューターをシャットダウンし、荷物をまとめて――コンピューターに山我哲雄『一神教の起源』、財布に携帯、そして郵便局の預金通帳である。金を下ろすつもりだったのだ――上階へ行くと仏間に寝そべっていた母親が大きな声でこちらを呼び止めて、郵便局に荷物を持っていってくれないかと言う。通販で買った父親のジャケットを、サイズが大きかったので返品したいらしい。了承し――父親は南の窓際に座って歯を磨いていた――玄関に置かれてあったピンク色の袋を持って一旦玄関を抜けたが、そこでポケットを探って鍵を忘れたことに気がついたので、室内に戻り、階段を下って部屋に行き、昨日履いたベージュのズボンのポケットから鍵を取り出して自分の身につけているズボンのポケットに移しておき、それでもう一度上階に上がって玄関を抜けた。
午前中には少ない雲も際立つ晴れ晴れとした快晴の空だったが、今は曇っていた。しかし雲は薄く、空気は明るめである。坂に向かっていると前方から女性が一人歩いてきて、まだいくらか距離のあるところからあちらが会釈を送ってきたので、こちらも頭を動かし、こんにちはと挨拶をした。すると、大きくなったねえと言いかけた相手は、大きくなったなんて失礼かと取り繕って、お父さんに似てきたんじゃないと話を始めた。誰だかわからなかった。オレンジ色のマスクをつけて眼鏡を掛けた婦人で、顔の半分がマスクで覆われていたことも同定を阻んだのかもしれないが、しかし本当に見覚えがなかった。最初はNさんかとちょっと思ったのだが、顔や声や雰囲気が違うし、彼女なら久しぶりに会ったというような反応はしない。相手はこちらのことを、それも子供の頃から知っているらしいが、こちらはわからないままに、まあでも昔の写真とか見ると、勿論僕の方が似ているんですけど、面影あるなと思いますね、などと受けていた。お出かけ、と訊くのではい、と受け、気をつけて、風が強いからと言うのに礼を言い、失礼しますと返して別れた。坂を上って行くと確かに風が吹いて、それが林の表層をさらさらと撫でるような感じでなく、木々のなかを貫いて葉を強く吹き鳴らしていくような風情だった。
帰ったら母親に、オレンジのマスクをつけた人を知っているかと訊いてみようと考えながら街道に向かい、北側に渡る。日向はないが、薄手のコートの下の肌はやや蒸すようで、汗の感覚が滲む。小公園の桜は満開のまま留まっており、見ているあいだには落ちるものもあまりなさそうだが、過ぎて隣家の敷地内にある畑の、コーヒーのような焦茶色の土の上には桜の花びらが点々と、人の手によって撒かれたように整然と散ってあたりを埋め尽くしていた。老人ホームの角を曲がって裏通りに入る。歩調が自ずと、ゆったりとしたものになっていた。空は背後の西から北側に掛けてはいくらか青さも見えるが、行く手の東から右方の南は薄雲がなだらかに、偏差をほとんど見せずに光のように広がり渡って、鏡のように平らかに塗られてあった。
白猫とふたたび出会いたいものだと思いながら歩いていくのだが、件の家の前にその姿はない。残念がりながら過ぎて、青梅坂に出て通りを渡ると右折して表に出た。郵便局に寄るためである。局に入るとATMを過ぎて奥に入っていき、窓口にこれを送りたいんですが、と包みを取り出す。相手は包みの宛て先を読み取ったあと、返品か何かですかねと言うので、そうです返品ですとこちらは受ける。記録とか残らないですけれど、このままお預かりして良いですかと訊くので、お願いしますと頼んで、軽く礼をしてその場をあとにし、自動扉をくぐると脇のATMの前に立った。リュックサックを下ろし、通帳を取り出して機械に挿入、五万円を下ろした。着実に貯金が少なくなりつつある。さっさとふたたび働きはじめなければならない。金を財布に収めて通帳と財布をリュックサックに戻すと、局をあとにして、青梅駅に向かった。道中、ほかに特段に興味深かったことはない。
駅に入って改札をくぐると、通路の途中でサラリーマンだろうかスーツ姿の中年男性が三人雁首揃えて雑談を交わしていた。こちらは通路を辿ってホームに上がり、ちょうどやって来た電車の、二号車の南側の三人掛けに腰を下ろした。オレンジ色のマスクの婦人のことを手帳にメモしておき、それから山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』を読み出すと、向かいの三人掛けに三人の男がやって来て、それが先ほど見かけたスーツたちである。聞き耳を立てるまでもなくその会話が耳に入ってくるのだが、何か文学賞の授賞式か何かの話をしているようだった。なかの一人が、招待状か何かだろうか真っ白な紙を一枚取り出してほかの二人に見せながら、浅田次郎がどうとか、途中から銀座のクラブのママたちがやって来て、あれはちょっと別世界だねとか話している。素性は知れないが、過去にも招かれたことがあるのだろうか。「吉川先生」という語が途中で聞かれたので、吉川英治記念館の関係者だろうかと思ったが――それともあの記念館はもう閉鎖されたのだったか?――どうもしっくり来ない。そのうちに発車した。最初のうちは三人は、変わらず授賞式か何かのことを話していたようだが、途中からそれが市議会選挙の話題に変わったらしかった。候補者の名前がいくらか聞かれたのだ。市長がどうとかも言っているので、市役所の職員なのかもしれないなと思ったが、真相は定かでない。
本を読みながら立川まで揺られ、降りると壁に寄って本を引き続き読みながら階段から人が捌けていくのを待ち、二、三分経つと手帳に時間をメモして階段へと向かった。上って、人波のなかを歩いて改札を抜ける。引き続き人群れの一員と化して通路を行くあいだ、ここでも風が、人々の頭上を越えて正面、出口の方から渡ってきた。広場に出て、歩廊を辿って伊勢丹の方に向かい、その横を通り、歩道橋を渡って――ここでも風が横から吹きつける――高島屋へと向かい、ビルに入るとエスカレーターに乗った。下を見下ろしたり、逆に頭上を見上げたりして手摺り以外には身の周りに支えのない高さにちょっと股間を収縮させつつ、上階に上がっていき、淳久堂に踏み入った。早速思想の棚を見に行く。新刊を確認し、倫理学や公共哲学のあたりなどちょっと見ると、一旦その書架を出て隣に移った。太平洋戦争関連の書籍を瞥見してのち、さらに隣に移って、文学人類学を見分。さらに通路の奥に進んで行き、ホロコースト関連の書籍もちょっと見たが、欲しいものはどれも高いし、結局買っても積読本がありすぎてすぐには読めないからなあと意気を阻喪される。見分したのち、反対側の通路の口からふたたび思想の方に戻った。それで西洋古代から大まかにまた棚をなぞっていく。興味深い本はいくらもあって、小林康夫と中島隆博の共著などちょっと欲しい気がするが、やはり今買ってもすぐに読めないからとの思考が働くし、貯金もいい加減少なくなってきているのであまり余計な金を使ってばかりもいられない。それで書架をしばらく眺めたあと、さっさと喫茶店に行こうと通路を出たが、その前に文庫の棚だけ見て行くことにした。それで区画を移動し、平凡社ライブラリー、岩波現代文庫、岩波文庫(このあいだ買ったルソー『告白』上中下がしっかり補充されていた――それで言えば思想の棚の方でも、アウグスティヌス『告白録』も、あんなに大部の本なのにやはり補充されていた)、講談社文芸文庫、光文社古典新訳文庫など眺めたあと、見ていてばかりいても読めはしないのだからと棚のあいだを抜けて、エスカレーターに乗った。下って行きながら、やはりもっと本を読まなければなるまいなと思った。そのためには時間を作らなければならず、そのためには今日のようになるべく早く起きなければならない。それでビルを抜けると例によってPRONTOに向かうことにして、歩道橋を渡り(ふたたび風が横から吹きつける)、下の道へと階段を下る(背後から引き続き風が当たって来たが、そのうちに拡散してなくなった)。ビルのあいだの細道を抜けて通りに出ると、PRONTOに入店。カウンター裏の女性店員に会釈をしながら通り過ぎ、上階に行ってテーブル席の一つを取った。財布をリュックサックから取り出してポケットに入れ、下階に下って注文、ジンジャーエールは出来ますかと訊くと――カフェタイムのあいだは、店員によっては断られることがあるのだ――可能だとのことだったので頼み、Mサイズを選んで二九〇円を支払い、品物を受け取って上階に戻った。テーブルにトレイを置き、ソファ席の側に身体を入れて、コートを脱いで脇に丸めて置いた。そうしてジュースを飲みながらコンピューターを出し、起動させてEvernoteをひらき、早速日記を書きはじめたのが四時半直前だった。そこから一時間弱掛けてここまで綴り、現在時に追いついている。
山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』を読みはじめた。例によって、電車内で読んだところをもう一度浚い、メモするべき箇所は手帳にメモを取る。それから新たな箇所を読み進めるのだが、左隣にはテーブルを二つ繋げて、四〇代くらいだろうか、一組の男女が座っていて、同僚らしく仕事の話をしていた。飲み会を控えているらしく、それまでのあいだにちょっと一服といった風情である。そのうちにもう一人現れてテーブルに合流したあと、あと二人やってきて全部で五人になるからとこちらの右側に移り、今度はテーブルを三つ繋げて六人掛けの席を作っていた。こちらは読書に邁進していたが、彼らの話し声が耳に入ってきてなかなか集中できなかったし、腹も減っていたのでラーメンを食いに行くことにして、五時五〇分で書見を切り上げた。そうして荷物をまとめてリュックサックを背負い、トレイを持って立ち上がり、手近にいた女性店員――先ほどはレジでこちらの注文を受けてくれた眼鏡の人である――にトレイを渡して礼を言い、階段を下りた。カウンターの向こうにいる男性店員が、ありがとうございますと掛けてきたのに対してこちらも同じ言葉を返すと、彼はさらに、お気をつけてお帰りくださいと気遣いの言葉を口にしてくれた。そうして退店し、裏道に入って「味源」に向かう。狭い入り口からビルに入って階段を上り、立て付けのやや悪い戸を左に引いて入店、風がよく入るので戸をきちんと閉めて、食券機に向かい合い、味噌チャーシュー麺を頼むことにした(一一五〇円)。六時頃だから空いているだろうと思っていたところが、店内は思いの外に結構混んでいた。かろうじて空いていたカウンター席に就き、女性店員に券を渡して、サービス券で餃子を頼んだ。そうして腰を下ろし、腕時計を外して水を汲み、一口飲むと何をするでもなくテーブルに肘をついて手を組み合わせ、ラーメンがやってくるのを待った。品物はすぐにやって来る。ありがとうございますと礼を言って受け取ると、割り箸を取って割り、スープを二口飲んでから、丼の外縁を埋めているチャーシューを汁に浸し、麺をモヤシや葱の下から掘り出した。そうして黙々と食べて行く。右隣は紙エプロンをつけた中年女性で、何やら辛そうな、赤いスープの麺を時折り声を漏らしながらゆっくりと食べていて、こちらが食べ終えてもまだ食っているくらいの遅さだった。麺を大方食べ終えると、蓮華を使ってスープをすくいすくい飲んで、底の方に残った細かな具も口に入れる。そうしてほとんど飲み干してしまうとさすがに満腹、水を口にして一息つくと、余計な時間は過ごさず席を立った。ごちそうさまですと店員に残して退店し、階段を下りて外に出ると、向かい風が吹きつける。そのなかを通りに出て階段を上って高架歩廊に乗り、通路を辿って駅舎に入った。人波の一員と化してなかをくぐっていき、改札を抜けると、視覚化された電磁波の姿形を思わせるような、常に動き回ってやまない網目のように入り乱れた人々の流れが目の前に広がっている。そのなかを通り抜けて一・二番線ホームに下り、二番線に停まっている電車の先頭車両――進行方向からすると最後尾――に乗り込んだ。扉際に立って、山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』を読みはじめた。そうしてじきに発車、道中、特段のことはない。創世記の冒頭において、神は「我々にかたどり、我々に似せて」人間を創造しようと告げる。「わたし」ではなくて「我々」なのだ。これは何故なのか、唯一神であるはずの神が何故「我々」という一人称複数を使うのか。それは、神が天の宮廷において傍らに控えている天使的な存在をもその言葉の内に含めて語りかけているからだ、というのがこの本の答えだ。人間が神の似姿であるということは、言うまでもなく、人間の神への「近さ」がそこでは問題となっている。そうした場面において、神が「わたしに似せて」と一人称単数を使うと、人間の存在が過大評価されすぎ、神に接近しすぎる恐れがあるので、文書の著者はあえて「我々」という曖昧な観念を導入し、神と人とのあいだに一定の距離を確保しようとしたというのだ。その傍証として、創世記において神が「我々」の語を使うほかの二箇所――アダムとエバが「善悪の知識の木」の実を食べてしまった場面と、バベルの塔を築いて神に挑戦しようとする人間の驕りを神が戒め、その言葉を混乱させようと語る場面――においてもまた、神と人間との距離が近づきすぎることが問題となっている。こうした主題的共通性への着目は、卓越した指摘であるように思われる。
青梅に着くとちょうど七時頃、奥多摩行きは七時一五分発で既に入線済みだった。乗り換えてリュックサックを背負ったまま席に就き、前屈みになって本を読み続ける。そうしてじきに発車。最寄り駅に着くと腕時計を確認しながら降りて、ホームを進み、電灯の明かりのなかで手帳を取り出して読書時間をメモした。そうして駅を抜け、坂道に入る。風も走らぬ静寂のなか、足音をかつかつと響かせながら下って行き、通りに出ると小公園の桜が、この夜も電灯の白い光を掛けられてますます白く、純白に光りながら、ここでは風が少々流れて枝先を幽かに揺らがせていた。
帰宅。台所にいた母親にメールを見なかったかと尋ねると、見なかったと言う。それでラーメンを食ってきたと告げると、鍋にしたのだとの返答があった。それから台所に入って、オレンジのマスクの婦人に話しかけられてと事情を話したが、母親もやはり誰だかわからないと言う。しかしこれはのちほど、自室にいる時に母親が戸口にやってきて、それはEちゃんのお姉さんではないかと教えてくれた。Eちゃんというのは近所に住んでいた、兄と仲の良かった年上の男性で、こちらも幼い頃に多少遊んでもらったはずだがもう記憶はない。そのお姉さんというのもこちらは全然面識がないと思うのだが、あちらではこちらのことを知っていたのかもしれない、何にせよ真相は不明である。
入浴したのち、自室に戻ってくると八時、Mさんのブログとfuzkue「読書日記(129)」を読んだあと、「記憶1」から音読を行った。中国史の知識など。安史の乱=七五五年を手帳にメモ。そうして時刻は九時、ここから手帳にメモした事柄を復習したり、インターネットを回ったりして一〇時二〇分に至ったところでベッドに移り、ふたたび書見に入った。零時二〇分まで続くが、寝そべっていたので、最後の方では多少意識を失っていたようだ。それからちょっと遊んで、一時一〇分からふたたび読書を進め、二時五分を迎えて本を置き、睡眠に向かった。
・作文
6:25 - 6:43 = 18分
12:41 - 13:05 = 24分
16:28 - 17:19 = 51分
計: 1時間33分
・読書
8:19 - 12:04 = 3時間45分
13:15 - 13:22 = 7分
14:52 - 15:27 = 35分
17:20 - 17:50 = 30分
18:23 - 19:17 = 54分
20:03 - 20:56 = 53分
22:20 - 24:20 = 2時間
25:10 - 26:05 = 55分
計: 9時間39分
- 川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』: 474 - 671(読了)
- 山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』: 148 - 264
- 「記憶2」: 151 - 152
- 「記憶1」: 53; 54 - 66
- 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-04-07「足元の虫けらを避けて歩くがおれは来世に期待してない」; 2019-04-08「鎮魂は出会い頭の待ちぼうけきみがいた町いない町との」
- fuzkue「読書日記(129)」
・睡眠
0:20 - 5:40 = 5時間20分
・音楽
- FISHMANS『Oh! Mountain』
- Antonio Sanchez『Three Times Three』