八時のアラームで起床することに成功した。上階へ。食事を取っている母親に挨拶。冷蔵庫に昨晩の残りがあると言うので、筍の天麩羅(僅か一つしか残っていなかったが)や炒め物や汁物を取り出し、それぞれ温める。そうして卓へ就いて食事。スリランカのテロでの死者は三〇〇人を越えたとのこと。当局の見立てによると、先月ニュージーランドで起こった白人至上主義者によるモスク襲撃事件の報復らしいとのことで、何という見当違いな、非合理的な論理でもって大量の人を殺すのだろう? スリランカの教会に集っていたキリスト教徒たちは、おそらくは白人至上主義者ではなかっただろうし、ニュージーランドの事件に何か関わりがあったわけでもない。ただ単にキリスト教徒であるというその一点のみを取って、彼らを犯罪者と同等の仲間だと見なして攻撃する、その差異の感覚の貧困さ、誤った一般化の思考、これは一体何なのか?
食事を終え、薬を服用すると、洗濯機から洗濯物を運んで来てソファの背の上に置き、ハンガーに干して行った。天気はあまり良くなく白く曇っていて、のちには雨がぱらぱら降って窓ガラスや棕櫚の葉にぶつかって音を立てる時間もあった。洗濯物を干し終えると自室へ。前日の記録を付けるとともに今日の記事を作成すると、ベッドに乗って読書を始めた。その難解さから昨晩一度は中断しようと思った神崎繁『内乱の政治哲学――忘却と制圧』だが、やはり読むだけは最後まで読み通してみることにして、ふたたびこの本を取った。それで書見に耽るのだが、ベッドに乗って布団を身に掛けているといつもの如く眠気が生じてくる。せっかく比較的早く起きたのに勿体無いが、もはや確信犯的に、諦めて睡魔に身を任せざるを得なかった。覚えているのはベッド脇の目覚まし時計で一二時七分を見た瞬間で、その時既にもう本は置いてしまって読書は中断していたはずだが、一応ここを読書の終わりと定め、一時間半ほど眠ったということでその分は読書時間から引いて計算する。そうしてそれから、一時頃まで横になって休み、起き上がると食事を取るために上階に行った。レトルトのカレーを食べるつもりだった。それでパウチを玄関の戸棚から取り出し、フライパンに水を汲んで火に掛けておく。水が沸騰するのを待つ合間の時間を使って風呂を洗うことにした。浴室に行って浴槽の栓を抜き、水が流れ出していったあとからなかに入って、身体を屈めて四囲を擦る。シャワーで洗剤の泡を流す前に台所の方を覗くともう湯が沸いているようだったので、一度ゴム靴を脱いで室を抜け、パウチをフライパンに投入しておいてから戻ってシャワーを操った。それから尿意が満ちていたので便所に行った。立ったまま放尿し――先日、父親から、立ったまま小便をすると目に見えない飛沫が無数に散って壁など汚れるから、座ってやれと言われたのだが――トイレットペーパーを千切って便器を吹いておくと水を流す。手を洗って戻ってくると、大皿に米をよそって、パウチをフライパンから取り出し、鋏で切り開いて米の上にカレーを掛けた。そうして卓に就いて食事、改めて新聞一面のスリランカ関連の記事を読んだ。食べ終えると台所に行って皿とスプーンを洗い、食器乾燥機のなかに置いておいてから下階に戻る。そうして、今日もFISHMANS『Oh! Mountain』を共連れにして日記作成である。一時半から始めて前日分を仕上げ、今日の分をここまで書くと二時一二分に至った。
前日の記事を投稿したのち、昨夜歯を磨き忘れたので歯磨きをした。そうして二時半過ぎからふたたび読書、神崎繁『内乱の政治哲学――忘却と制圧』。五時半まで三時間ほど掛けて、一応本篇は読み終えたのだけれど、やはり難解で、哲学的理論の細かな部分など一向にわからない。哲学や思想というものに興味だけはあってこのような本を読んでみてはいるけれども、最近では自分は哲学というジャンルには向いていないのではないかという気がしないでもない。自分の傾向性として適しているのは、抽象的な思弁の類ではなく、やはり具体性を重んじる小説芸術なのではないだろうか。とは言え、まだ諦めるのは早い。どんな分野にせよ、数年間は取り組み続けてみないと本当に自分がそれに向いているかどうかなど見えてこないものだろう。神崎繁の本について言えば、何十年も専門に哲学を研究してきて、高度な知的訓練を通過してきた人が書いた文章なのだから、一介の読書人に過ぎない自分がおいそれと理解できないのもむしろ当然だと考えるべきなのだろう。
読んでいるあいだは、連日になるが、Twitter上でYさんとやり取りをしていた。Yさんは映画をよく観るようで、それもオカルト系統の洋画が好みらしい。印象深かった映画のリストを送ってくれた。また、『Arrival / メッセージ』という映画もお勧めらしいが、これは調べてみるとテッド・チャン『あなたの人生の物語』が原作なのだ。この本は持っている、ずっと前にSFに興味が出た際にハヤカワ文庫の作品をまとめて買ったなかの一つだ。図書館のホームページで検索してみると、『メッセージ』も地元の図書館にあるようなので、今度借りて見てみますと応答した。
それで五時半を迎えて上階へ。母親が料理教室でまた筍を貰ってきたらしい。連日筍ばかりでは辟易してしまうが仕方なく、この日も筍料理を拵えることになった。その前にまず、湯の沸いたフライパンに野良坊菜を落として茹でる。その次に筍を椎茸とともに切り分け、汁物にした。粉の出汁を投入して少々煮込んでから味噌を溶かして一品完成、さらに南瓜を薄切りにするのだが、これが固くて骨が折れた。南瓜に包丁を当て、その背の上から左手を載せて体重を掛け、力を籠めて断ち切っていく。切ったものはスチーム・ケースに入れておき、のちほど電子レンジで加熱すれば良い。そうしてモヤシを茹でる一方、またも筍と鶏肉を炒めることにした。それぞれ切り分けて、ごま油を引いたフライパンのなかに鶏肉から放り込む。炒めている最中に父親が帰宅した。筍も加えて箸で搔き混ぜフライパンを振りながら加熱を続け、焼き肉のタレとニンニク醤油で味付けをして完成、時刻は六時過ぎで、下階に帰った。ふたたびYさんとやり取りをしながら、書見を進めて、七時を越えると神崎繁『内乱の政治哲学――忘却と制圧』を読み終えた。そうして食事へ。母親が作ってきた弁当をこちらは頂くことにして、電子レンジで加熱する。そのほか汁物、炒め物もそれぞれ温めて、サラダとともに卓に運んだ。弁当のなかには筍ご飯と、やはり筍のピーナッツ和えと、何らかの焼き魚が入っていた。この魚は何かと尋ねると、鰆だと言う。我が家の食卓には上がることのない、珍しい品である。身が柔らかくてなかなか美味かった。こちらが食べ終わるとほとんど同時に、両親が食べはじめて、一人間の合わない、勝手な身である。テレビは『ためしてガッテン!』。煮魚の簡単な調理法を紹介するとか何とか。それを多少見ながら皿を洗い、風呂に行った。さほどに浸からず上がり――上がる前、フェイスタオルで身体の水気を拭ってから、排水口に引っ掛かった髪の毛を取り除いて、壁に設置されていた「ロカボナッツ」の空き袋に捨てておいた――手早く身体を拭いて、櫛付きのドライヤーで髪を乾かして洗面所を出た。父親は何か電話を終えたところだった。母親に挨拶してから下階に下り、八時二〇分から、『Led Zeppelin』を流しつつ日記を書きはじめて三〇分経過。Zeppelinのファーストでは、"Babe I'm Gonna Leave You"が一番好きかもしれない。
「いま「左派のポピュリズム」に注目すべき理由」(https://globe.asahi.com/article/12241185)を読んだ。エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフのラディカル・デモクラシーの思想から学ぶべきだと言うのだが、それほど詳しいことは記されていない。そののち、Mさんのブログ。二二日の記事にこちらのことを指して、「精神疾患の総合商社か!」という突っ込みが入っていたので大いに笑う。しかし、統合失調症は結局「疑惑」のみに留まって、昨年の年始のような激しい自生思考もおそらくもう起こらないだろう。離人症も、昨年中、感受性の希薄だった時期にはそれも疑っていたのだが、明確な感情が何も生まれてこず、感受性が働かないというのは結局は多分、鬱病の症状だったのではないか。SSRIであるセルトラリンで回復したところを見ると、そのように思われる――しかし、本当にセルトラリンが効いたのかどうかも実のところ不明であると言うか、あまり実感としてはっきりしていないのだけれど。さらにはパニック障害の症状は消失しているというわけで、自分は現在概ね健康体であると思う。この先薬を減らしていっても鬱病の様態が回帰してこなければ寛解と言って良いだろう。
ブログを読んだあと、九時半から一〇時一四分まで日課の記録に空白が差し挟まっているが、ここでは確か、神崎繁『内乱の政治哲学――忘却と制圧』の気になった部分を手帳に書き写していたのではなかったかと思う。そうして読書、ハンナ・アーレント/ウルズラ・ルッツ編/佐藤和夫訳『政治とは何か』を読み進める。あとで読み返して文を精査しながらメモしたかった場所を思い出すのが面倒臭いので、途中から、気になった箇所の頁と行数を手帳に記録しながら進めたが、そうすると非常にたくさんの数を数えることになった。零時半就寝。
・作文
13:29 - 14:12 = 43分
20:20 - 20:50 = 30分
計: 1時間13分
・読書
9:18 - 12:07 = (1時間30分引いて)1時間19分
14:36 - 17:28 = 2時間52分
18:18 - 19:04 = 46分
20:58 - 21:30 = 32分
22:14 - 24:29 = 2時間15分
計: 7時間44分
- 神崎繁『内乱の政治哲学――忘却と制圧』: 188 - 330(読了)
- 「いま「左派のポピュリズム」に注目すべき理由」(https://globe.asahi.com/article/12241185)
- 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-04-22「中指をたてた拍子に思い出す前戯がとても下手だったころ」; 2019-04-23「化石の私が発掘されるのを見越して眠る姿勢を正し」
- ハンナ・アーレント/ウルズラ・ルッツ編/佐藤和夫訳『政治とは何か』: 24 - 50
・睡眠
0:10 - 8:00 = 7時間50分
・音楽
- FISHMANS『Oh! Mountain』
- Dominique Visse; Ensemble Clement Janequin『Janequin: Le Chant Des Oyseaulx』
- Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)
- 『Led Zeppelin』
- Leopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』