2019/5/1, Wed.

 七時のアラームで一旦ベッドを抜け出すも、ふたたび布団のなかに戻ってしまいあえなく撃沈。安穏とした微睡みに長く浸り続け、結局いつも通り一一時半の起床となった。夢を色々見たが、大方どれもあまり良くない印象のものだったと思う。学校の合唱祭で自分一人だけ歌うことをあくまで固辞し、そのせいで同級生から迫害されるといった種類のものだ。現実の自分としては、合唱祭というイベントは結構好きだったので、何故そのような夢を見たのかわからない。
 上階へ。両親は不在。母親は確か「K」の仕事だったと思う。父親は祭り関連の用事だろう。明日明後日が本番なので、準備とか最終の詰めとか色々あるはずだ。便所に行って立ったまま放尿し、便器をトイレットペーパーで拭いてから水を流す。それから冷蔵庫を覗いてみるとサラダや鮭など色々食べ物があったが、そのなかから牛蒡と豚肉の煮物に焼売と混ぜご飯だけ食べることにした。混ぜご飯には鮭の身、細切りにした大根の漬物や人参が混ざっていた。煮物と焼売を電子レンジで温め、混ぜご飯を大皿から椀に取り分けて卓へ。新聞は見当たらなかった。ものを食べ終えると薬を服用し、台所で洗い物をして下階に帰った。Yさんから「洋服をよく買ってらっしゃいますね」とのリプライが届いていたので、「そうなんですよ。結構好きなんですね。しかし、欲しくなるものは大概どれも高いので困ります……」との返信を送っておき、FISHMANS『Oh! Mountain』を今日も流しだして日記を記しはじめた。まずこの日のことをここまで記して一二時四〇分だが、時間が掛かったのは途中でLINEやSkypeを確認していたからである。LINEの方ではTが新しい曲のデータをGoogle Driveに上げたと報告していたので見てみると、これがMVだった。視聴してみると、映像方面は何もわからないので分析的なことは何も言えないのだが、思ったよりもずっと本格的でしっかりとした造りだったので、凄いなと思った。それでLINEの方に、「MV拝見。素晴らしい」と端的に発言を投稿しておくと、すぐに反応があった。そしてこれから前日の日記を書かなくてはならない。
 二時半まで日記を書き続けて、前日の記事は完成させた。その後、三時頃からYさん(これは上のYさんとは別の方である)とSkypeで通話をした。彼はもっと寡黙な人なのかなと思っていたところが、よく喋る人であった。話しているうちに連想的に色々なことを思い出して話題が繋がっていくのだった。こちらは例によって基本的に受ける方に回って、相手の話をうん、うん、と相槌を打ちながら聞いた。彼は今、椿實という作家の『メーゾン・ベルビウ地帯』という作品を読んでいると言った。これはTwitterでほかの人も読んでいるのを見かけたことがあるが、幻想文学の方面の作品らしく、この本は最近出たものだと思うが、初版八〇〇部しか生産されなかったようでレアなようだ。そのほかにも色々な話をしてくれたのだが、今ちょっとスムーズに思い出せない。Yさんはスター・バックスにいると言ったが、そのスタバは高校生の頃から通っている行きつけらしい。結構変な人たちがそこには集まるらしくて、電話をしている途中にも、声の大きなおじさんが入ってきたと言った。この人もよく来るらしくて、自分の席がわからなくなってしまうということがあるおじさんらしく、何度かYさんは案内をしたことがあると言う。「迷い犬」のような人だと言ったが、声が大きくて他の客は皆結構びっくりするらしい。Yさんもそうした「変な人たち」のなかに含まれているだろうと自分で言ったが、話していて彼が言うほど奇矯な人物であるという感じはしなかった。しかし乖離を患っていたり、色々と難しい生活環境で暮らしてきたこともあって、彼には自分はノーマルな人生を送れなかったというコンプレックスのようなものがあるようだ。
 後半、彼は語りすぎたと言って、こちらにも自分のことを話すように求めたが、いざ自分のことを語るとなると――毎日日記で自己語りをしているようなものだが――何を話せばいいのかわからない。大学時代のことは、と訊かれたので、文学部の西洋史コースに属していたこと、卒論はフランス革命で書いたが糞だったこと、そもそも大学時代はパニック障害の真っ只中だったのであまり思い出らしい思い出もないこと。嘔吐恐怖があったので、講義中に吐きそうになったり、外食が出来なかったので昼食が取れずにまったくの空腹を抱えて帰らなければならなかったことなど話した。文学は二〇一三年の一月から、卒業したあとから読みはじめた。最初に読んだのは何かと訊かれたので、筒井康隆の『文学部唯野教授』だったと答える。これは小説の形で文学理論を簡易に解説したような作だが、と言うのも当時のこちらの文学への関心というのは、文学作品というものをどのように読めば良いのかという形だったのだ。そうした興味を持つに至ったきっかけというのは、当時Twitterなどやっていたのだけれど、その界隈を見ているとどうやら自分と同じ大学生らしい若者が、哲学など引用して格好良く文芸作品について論じている、それにちょっとした憧れのようなものを抱いた、ということだった。それで最初のうちは、文学の読み方を解説したような本をいくつか読んでいたのだった。
 そんなような話をしていると、Yさんがトイレに行くようで、一度マイクをミュートにして席を立った。しばらくして戻ってきた彼は今度は飲み物を追加注文しに行くと言って、この時はマイクをミュートにせずにそのままにして、聞いていると彼が飲み物を注文するらしき声や、店員の声や、何か機械の動くような音が響いてきた。それで彼が戻ってきて、何の話だったっけと言ったのだったが、時刻が既に五時で、天井も何度か鳴って呼ばれていたので、残念ですがお時間ですと告げた。夕食を作りに行かなければならないと言って、ありがとうございましたと礼を交わして通話を終えた。そうして上階へ。
 青梗菜とウインナーを炒めてくれと母親が言った。冷蔵庫を覗くと、大鍋に残った素麺なり、昼の混ぜご飯なり、サラダなり、色々なものが余っているので、炒め物を作ればそれで食事の支度は充分そうだった。それで青梗菜を洗って切り分け、ウインナーも一〇本を――何と二袋でたったそれだけしか入っていなかったのだ! 母親にそれを告げると、安かったからだねと言った――それぞれ三つに切り分け、小鍋に湯を用意して少々湯搔いた。そうしてオリーブオイルをフライパンに垂らし、チューブのニンニクも落として、フライパンを傾けながらちょっと熱してから青梗菜を投入した。大雨のような音がフライパンから響いた。しばらくしてウインナーも加え、強火で炒めて、塩胡椒を振って完成とした。それから居間に行って、アイロン掛け。シャツとハンカチを処理すると下階に戻り、六時半からガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』を読みはじめた。この日読んだ箇所ではないが、好きなシーンを一つ引用しておこう。

 (……)彼らとちがって大統領は、ひとり夢想にふけりながら、泥深い沼にもにた幸福感にひたっていた。まだ暗い夜明けの建物の掃除をしているおとなしい混血の黒人女たちを、悪霊のように忍び足でつけ回し、あとに残る大部屋や髪油の匂いを敏感に嗅ぎとった。格好の場所で待ち伏せして一人をとっ捕まえ、執務室のドアのかげに引っぱりこんで、まあいやらしい、出世しても助べえなところは、ちっとも変わらないわ、とまわりで笑いころげる女どもの声を無視して、そそくさと事をすませた。だが、そのあとは決まって憂鬱な気分に陥り、他人に聞かれる心配のない場所をえらんで、気晴らしに歌をうたった。一月の明るい月よ、とうたった。絞首台のような窓ぎわで、浮かぬ顔したおれを見てくれ、とうたった。(……)
 (ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』新潮社、二〇〇七年、157)

 『族長の秋』は大統領という絶大な権力の座に就いた独裁者の、あるいはほとんど誰にも愛されない一人の男の「孤独」を大きな主題の一つとした小説でもあるわけだが、愛欲に満たされぬ大統領が「憂鬱な気分に陥り」、独りで歌を歌うこのシーンにその孤独が収斂されているような気がして好きである。
 一七九頁には、「われわれは、一枚しか残っていないシャツの胸に勲章をピンで留めてやり、その国旗で遺体を包む」という一文が記されている。三人称の記述の連鎖のなかに唐突に登場するこの「われわれ」という一人称複数は、ここでは直接的には亡命した旧独裁者たちのことを表している。同じ「われわれ」という言葉はこの小説の冒頭から見られるものの、その際の「われわれ」は大統領府に押し入って大統領の死体を発見する民衆たちの自称である。大統領府の内部の様子や大統領の遺体の描写をしているかと思いきや、後者の「われわれ」はいつの間にか三人称の回想的記述のなかに消えていき、語り手の姿は文章の裏に埋没してしまう。それが第一章も終盤に至ってふたたび登場するのだが、そこではこの「われわれ」は別の主体を指し示し、別の話者に担われているのだ。それまでの文脈、それまでの記述の距離感からすれば「彼ら」と名指されるべきであるはずの物語の登場人物――旧独裁者たち――に、三人称の語りが突如として距離を捨ててふっと同一化し、一時的な視点の転換を成し遂げている。このように、三人称のなかに一人称の「声」を嵌入し、突然に素早く、しかしシームレスに人称間の移動をこなすこと、これもこの小説の優れた形式的テクニックの一つだろう。
 一八〇頁から一八一頁には、ガルシア=マルケスの得意技、「眺めた」の列挙がある。ここも素晴らしいので、長くなるが引用しておきたい。

 (……)やはり昔のことだが別荘が建てられた年の十二月、大統領はそのおなじテラスから、どこまでも連なるアンティリャの幻の島々を、一人の男がショーケースのなかを指さすようにして教えてくれる島々を、眺めたのだった。あれですよ、閣下、と言われて、マルティニーク島の芳香ただよう火山を眺めた。その結核療養所を眺めた。教会の入口で総督夫人たちにガーデニアの花束を売りつけている、レースのシャツを着た黒人の大男を眺めた。あれですよ、閣下、と言われて、パラマリボの港の騒々しいマーケットを眺めた。トイレを利用して海から抜けだし、アイスクリーム屋のテーブルに這いあがったカニを眺めた。どしゃ降りの雨だというのに、みごとなお尻を地面にどっかと据えてインディオの首やショウガを売っている、黒人の老婆たちの歯にはめ込まれたダイヤを眺めた。あれですよ、閣下、と言われて、タナグアレナの浜辺で眠っている純金の牛を眺めた。絃が一本しかないバイオリンで死神の誘いの手を払い、代わりに二レアルをいただくという、グアイラ生まれの千里眼的な盲人を眺めた。トリニダードの八月の焦熱地獄や、バックで走り抜ける自動車を眺めた。絹のワイシャツや、中国の大官を彫った丸ごと一本の象牙をあきなう店の前の通りで、大ぐそを垂れているインド人たちを眺めた。悪夢のようなハイチや、その青いのら犬たちや、夜明けの道端の死骸を集めてまわる牛車などを眺めた。キュラソーのドラム缶のなかで息を吹き返したオランダ・チューリップや、雪よけの屋根のある風車小屋や、都心のホテルのキッチンを通り過ぎていく怪しい汽船などを眺めた。カルタヘナ・デ・インディアスの石がこいや、一本の鎖で仕切られた湾や、家々のバルコニーに当たっている日射しや、いまだに副王の飼い葉を恋しがっている貸馬車のやせ馬などを眺めたのだった。閣下、素晴らしい眺めじゃありませんか、世界は広いでしょう、と言われたが、事実、世界は広かった。広いばかりでなく、気の許せないものでもあった。(……)
 (ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』新潮社、二〇〇七年、180~181)

 読者は八時まで。以降のことはよく覚えてもいないし、食事、入浴、読書くらいなので簡潔に省略して書こう。そのほかのこととしては、入浴して洗面所から出てくると、ロシアの兄からテレビ通話が掛かってきていて、両親がソファに就いてタブレットを前にしていた。Mちゃんの姿が映っていた。こちらもタブレットの方に寄っていき、呼びかけながら手を振ってやると振り返してくれた。それからしばらく彼女が遊ぶ姿を眺めて、通話を終えると、下階へ。一〇時一五分からふたたび読書を始め、零時四〇分頃まで読んで就寝。


・作文
 12:16 - 14:30 = 2時間14分

・読書
 18:30 - 20:02 = 1時間32分
 22:15 - 24:37 = 2時間22分
 計: 3時間54分

・睡眠
 2:45 - 11:30 = 8時間45分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Bob Dylan『Blood On The Tracks』
  • Leopold Stokowski: New Philharmonia Orchestra『Tchaikovsky: Symphony #5; Mussorgsky/Stokowski: Pictures At An Exhibition』