2019/5/3, Fri.

 今日も今日とて、一三時まで糞寝坊。夢を見た。よく覚えていないが、またもや合唱祭か何かのイベントで、何か気に入らないことがあり、「俺は降りる」と言って自分一人参加しようとしないことに対してクラスメイトから迫害される、というような内容だったと思う。夢のなかでは迫害されてばかりの身である。何か不安なのだろうか? ベッドから起き上がって上階に行くと、祭りの役目に出ていた母親が帰ってきていた。また七時頃に行かなければならないと言う。こちらはパジャマを脱いでジャージに着替え、上は肌着のままの涼しい格好で洗面所に入って顔を洗い、台所に出されていた冷凍の唐揚げを三つ、箸でつまんで小皿に取り分け、電子レンジで三分温める。温めているあいだに卓に就いて、母親が貰ってきた寿司の弁当――干瓢巻や稲荷寿司などが入っていた――と、温めた前夜の味噌汁を食べ、三分が経つと台所から唐揚げを取ってきてそれも食した。そうして薬――アリピプラゾール三ミリグラムとセルトラリン――を服用し、食器を洗うと下階に戻って、cero "Yellow Magus (Obscure)"を歌った。それから一度、動作速度を回復させるためにコンピューターを再起動させ、cero "Yellow Magus (Obscure)"をもう一度歌うと、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだして日記を書きはじめた。それが二時八分だった。Twitterのダイレクト・メッセージにNさんからの返信が届いていたのでそれに再返信をしながら書き進め、一時間強掛けて前日の記事を仕上げてここまで綴るともう三時半前になっている。もっと早起きして睡眠時間を少なくしなければならない。いい加減、夏休みの中学生みたいな生活とはおさらばするべきだ。
 上階へ行くと台所の戸棚の上にキッチン・ペーパーを掛けられた皿が置かれてあって、何かとめくってみれば結構深めに揚げられた鶏肉の唐揚げが乗せられていた。そのなかから二粒つまみ食いして風呂場に行き、蓋をめくって浴槽のなかを見てみると、結構湯が残っている。これでは洗わなくとも良かろうと判断して、母親の姿がないので筍を取るとか言っていたから外にいるのだろうかと、先日の筍採りで泥に汚れたクロックスを突っかけて出てみれば、やはり林の縁のあたりで筍を採っている母親の姿があった。吹き流れる滑らかで広やかな風が半袖から露出した腕の肌に涼しい。近づいていき、風呂は洗わなくて良いかと訊いて了承を取り、それから包丁と袋を持ってきてくれと言うので室内に戻って台所に行き、食器乾燥機に積まれた雑多なもののなかから包丁を探り出し、手近にあった大きめのビニール袋を一枚取ってふたたび外に出た。母親は既に四本ほどの筍を採り終えていた。林の奥の方で皮を剝いているところに合流して、包丁で一本ずつ、力を籠めて切れ目を入れていく。皮を剝くのは母親に任せ、こちらは剝かれた皮をまとめて抱えてさらに林の奥の方へ入っていき、そのあたりに放って捨てた。それでビニール袋に入れられた筍と包丁を持って室内に戻り、遅れて帰ってきた母親が台所で筍を切り、節のあたりの筋を取って切り分けていくその横で、切られたものを受け取って鍋に投入していく。米もカップに一杯弱持ってきておいて、母親がその一部を鍋のなかに入れるとカップを受け取って、玄関の戸棚の米袋のなかに余りは返しておいた。そうして下階へ。
 四時前から読書、ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』である。二一七頁から二一八頁では、三人称の記述の連鎖のなかに突如、転換的にマヌエラ・サンチェスの「声」が登場し、埋め込まれて、彼女から見た大統領の様子が描写されている。それが言ってみれば一種の「証言」のような雰囲気を帯びているものだったので、この小説は大統領に関する色々な人々の「証言録」としての形も持っているものなのではないかと思った。三人称の文章のなかから、突然このような「声」による「証言」が浮かび上がってくるその移転の動きを支えているのは、各章の冒頭にて示される「われわれ」という一人称複数の人称代名詞の汎用性だろう。 その範囲は広大で、マヌエラ・サンチェスのような固有名詞を持った主要な登場人物から、匿名的な民衆層の集合までを含んでおり、ほとんどこの国の民全員をカバーしているようである。この「われわれ」は各章の序盤に登場したあとは決まって文章の裏に隠れてしまうものの、三人称の語りが流れているその蔭には常にこの「われわれ」が潜んでおり、折に触れてその「われわれ」のうちから一人の声が浮上してくるのだ。そのようにして、大統領に関する無数の人々の「証言」によって編まれ、織りなされているのがこの小説だという見方もできるかもしれない。
 途中、いくらかうとうとと微睡みに襲われながらも六時半まで書見を続けた。その後、少々だらだらと過ごしたのち、七時を迎えると上階に行った。母親はふたたび出かけており、父親も祭りの役目で今日は一日出ずっぱりで、居間はこちら一人である。褐色の五目ご飯をよそり、唐揚げを五つ、皿に取り分けて電子レンジで温め、そのほか前日の生サラダの残りを冷蔵庫から取り出して卓に就いた。新聞をめくって瞥見しながら、遠くから花火の響きが伝わってくる静寂のなかで、一人黙々と食事を取る。食後、水を汲んで一杯ごくごくと飲み干したあと、もう一杯汲んで抗鬱剤ほかを飲み、食器を洗うとさっさと風呂に行った。風呂は残り湯のある状態で焚かれたので、湯が浴槽のなかほとんどいっぱいに溜まっており、そのなかにゆっくりと入ると浴槽の縁から少しずつ零れ出していった。しばらく浸かってから頭と身体を洗って上がり、下階に戻ると、昨日に引き続き、YさんからSkypeで通話の誘いが届いていた。こちらは既に食事と入浴を済ませたのでいつでも可能だと返信しておき、しばらくすると、K.SさんというYさんの知り合いを交えて会話が始まった。Kさんは大学四年生、フランス文学を専攻しており、専門は今決めかねているとのこと。好きな作家は誰かと尋ねたところ、ル・クレジオという答えがあって、なかなかハードコアである。ほかにはと訊けば、アゴタ・クリストフと返答があって、アゴタ・クリストフが好きだという人は何となく珍しいような気がする。フランス語は高校生の時からやっているとのこと。住まいは東京の神奈川寄り。ル・クレジオはこちらはまだ一冊も読んだことがないのだが、例えば『物質的恍惚』などとにかく難解で、フランス語特有の言い回しなどを活用しているらしい。プルーストは読みましたかと訊くと、今ちょうど原書で読む授業を取っていて、「泣きながら」読んでいるところだと言う。八時ちょうどあたりからそのような話をして、三〇分ほど経ったところで、Yさんがそろそろ食事に行くと言うので一旦おひらきということになった。九時からふたたび集まろうとのこと。それでこちらは通話を終えると、ceroの曲を二曲歌い、それから日記を書き出した。九時からふたたびチャットでやり取りをしながらここまで綴って九時二〇分。
 それからSさんのブログを読んだ。それで一〇時。その頃になると両親が帰ってきた気配があったので、顔を見に上階に行く。階段を上がって行くと青い法被姿の父親がいて、お帰りと言うと、疲れたよ、と言いながら相貌を崩してみせた。それから、玄関にいた母親も居間に入ってくる。卓に就いた彼女は、煮物を貰ってきたと言って包みを取り出す。そのなかに小さな柿の種の袋が含まれていたのでこちらはそれを頂き、さらに鮮やかに黄色い沢庵漬けも数枚貰ってから、ゴミを始末して下階に戻った。
 Skype上ではIさんとYさんがやり取りを交わしていた。まだ通話は始まらなさそうだったので、こちらはベッドに乗ってガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』を読みはじめた。大統領はその牡牛めいた豪壮な外観や行動とは裏腹に、「不安」や「心細さ」をわりと頻繁に感じている。読んでいるうちに一〇時三〇分になったのでコンピューターに寄って確かめてみると、ちょうど通話が掛かってきているところだったので、ベッドに戻って手帳に読書時間を記録したあと、ヘッドフォンをつけ、マイクを持って参加した。Yさんがまた新しいメンバーを呼んでいた。Rさんと言って、この人も幻想、怪奇文学界隈の人のようだった。今二四歳で、「格好良く言うと」エディトリアル・デザイナー――雑誌などの誌面のレイアウトを組む仕事――をしているとのこと。一番好きな小説は何ですかと訊いたのだが、色々読んできていてどれかを一番に絞ることは出来ないようだった。本人は浅く広く、と言っていたが、あとで聞いた話によると、母親が江戸川乱歩全集を持っていて、小学生の時点で乱歩を読んでいたというつわ者で、それだから今までにも相当な数の文学を読んできているのだろうと推測される。
 どんな話をしたのか全然思い出せない。三人で話しているうちに、用事を済ませてきたIさんが合流し、四人での会話が始まった。Iさんに訊かれて、先日もYさんに話したのだけれど、自分が文学を読みはじめたきっかけを語った。こちらが文学というものに本格的に触れはじめたのは二〇一三年の一月からだが、当時Twitterをやっていて、それを見ていると周りに自分と同じ大学生らしい人で、しかし知性豊かに哲学の引用などをしながら文芸作品について評論を書いているような人々が散見された。それを見て、何だかわからないが格好良いな、自分も文学というものに触れてみたいなと思ったのが端緒だったわけだ。それだから最初は文学の読み方、文学作品というものをどのように読むのかということが知りたくて、だから一番最初に読んだのは確か筒井康隆の『文学部唯野教授』だったと思う。文学理論を小説の形で解説したような著作だ。Rさんもしくはその頭文字を取ってMさんと呼ぶことにするが、彼もやはり高校生の頃には筒井康隆に嵌まっていたらしく、『文学部唯野教授』も読んだと言った。読んだで言えば彼は『族長の秋』も読んだらしいのだが、読んだのが人生で一番忙しいような時期に当たっていたらしくて、あまり集中して味わうことは出来なかったようである。それ以来、もう一度読まなければならないと思っているんですけれど、あの分量をもう一度読むのか……と思うとどうしても手が出なくて。こちらは、今六回目だか七回目だかをちょうど読み返していますと告げると、それは凄い、という反応があったので、さすがにそのくらい読むと慣れてきますねと言った。
 (……)そうした話題にMさんが食いついて、色々と話を聞いていた。Mさんは本人が言う通り、会話はあまり得意でないタイプの物静かな人のようで、全体に黙りがちではあったのだが、Iさんが参加してからは趣味を同じくする相手を得たこともあってか、中井英夫の話など盛り上がっていたようで、Mさんにも喋ってもらいたいと思いながらもどう話を回せば良いのか考えあぐねていたこちらからすると、Iさんがうまく話を展開してくれて安心した。
 Iさんは大学で文芸部を設立したと言う。それは幻想文学に限った集まりではなく、結構色々と取り上げているようで、文学にあまり詳しくない人々にもそれを通じて「啓蒙」を図っているとのことだったが、Iさん自身は最近では会を運営するのが面倒臭くなってきているらしく、後継者を探していると言う。それに関して彼は、僕は躁鬱の気味があるので、と言った。会を作った時には言わば「躁」の時期で、意気込んで設立したわけだが、それから時間が経ってみると億劫になってきて、自分は何であの時こんな会を作ってしまったのだろうと後悔している形らしい。
 ほかにも色々な話をしたと思うのだが、よく思い出せない。三人で話している時には、Yさんが結構例によって一人語りをして、それで思い出したのがアテネ・フランセでのエピソードだ。アテネ・フランセに通う人というのはあまり若者はいなくて、結構年嵩の人が多いらしいのだが、そのなかで彼は一人、自己紹介の時に、悪魔が好きだみたいなことを言ってしまったらしくて――このあたりちょっと正確ではないので、彼が言っていた実際の内容とは違うと思うが――それで周りの人から怖がられて、教師から注意を受けたと言う。それで結局はその場にいづらくなってしまって辞めたという話だった。Yさんはほかにも、きゃりー・ぱみゅぱみゅに影響された格好をして――鬘を被るなど――フランス人の仲間ときゃりー・ぱみゅぱみゅとコラボレーションか何かしたカフェに通っていたりした時期もあったそうで、なかなか面白い挿話を色々持っている。
 かく言うこちらは、先日よりはうまく喋れたと言うか、相手の言うことに結構応答したり、質問を送ったりできたような気がする。もっとMさんみたいに相手への質問も自分のこともバランス良く話して、会話を満遍なく回せると言いのだが、まあ自分は「調停者」ではないので、こんなものだろう。午前零時に至ったところで、すみません、僕は今日はそろそろ抜けますと言った。早めに床に就いて糞寝坊の生活習慣を改善したかったのだ。それでありがとうございましたと礼を言って通話から抜け、チャットでも礼のメッセージを送っておいてからコンピューターを閉ざし、ベッドに移った。眠気はまだなかったので、ふたたび読書を始めた。二五四頁には、「多雨地帯」の描写として、動物たちの肉が歩いているうちに腐ったり、木々のあいだをタコが泳いだりしているという記述のなかに、「人語にはアヤメが芽を吹いた」という一節があるのだが、これがあるいは『族長の秋』全篇を通して最も不可思議な節かもしれない。「人語」という形のない概念的な存在に、一体どうやって具体的な形態を持った物質である「アヤメ」という植物が芽を吹くことができると言うのか。この一文は、幻想的とか超現実的とかいうことを越えていて、ただただ訳がわからないと言わざるを得ない。
 一時五分まで読んだところで消灯し、床に就いた。


・作文
 14:08 - 15:23 = 1時間15分
 20:43 - 21:21 = 38分
 計: 1時間53分

・読書
 15:55 - 18:27 = 2時間32分
 21:25 - 22:00 = 35分
 22:05 - 22:30 = 25分
 24:12 - 25:05 = 53分
 計: 4時間25分

・睡眠
 3:30 - 13:00 = 9時間30分

・音楽