2019/5/5, Sun.

 九時のアラームで一度起床、ベッドを抜け出したが、コンピューターを確認したのち、血の巡りきっていない身体の重みに引かれてふたたび寝床に戻ってしまった。しかし、窓から射し込む陽射しを布団の上に受けながらしばらくまどろんで、九時四五分に正式な起床を見ることに成功した。上階へ行くと、父親は南の窓際に立ちながらテレビに目を向けており、母親は掃除機を掛けているところだった。彼女はいくらか苛立っていると言うか、かりかりとした精神状態にあるようだった。食事は昨晩のおじやの残りだと言った。それでこちらは冷蔵庫から小鍋を取りだし、茶碗におじやをすべてよそってしまうと電子レンジに入れ、一方でおかずとして卵を焼くことにして、フライパンにオリーブ・オイルを垂らした。そうして卵を二つ割り落とし、黄身も崩しながらしばらく加熱して、平べったい皿の上に取りだし、卓に向かった。新聞をめくりながら食事を取ったあと、台所に行って水を一杯ごくごくと飲み、もう一杯汲んで今度は薬を服用した。居間の隅にはアイロンを掛けるべき衣服――父親が祭りで使った法被や、ピンクとオレンジの中間のような色のシャツや、ハンカチなど――が溜まっていたが、ひとまずそれらは無視して下階に下りた。前日の記事に記録を付け、この日の記事もEvernoteに作成すると、本を読もうか日記を書こうか迷ったが、結局、Bob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』を流しはじめて後者を取った。それが、一〇時半だった。打鍵を進めて前日の記事を仕上げると、この日の分に入り、音楽は引き続きBob Dylanの『Highway 61 Revisited』を聞きながらここまで綴って一一時二〇分を迎えた。
 上階に行くと、何か料理の良い香りが漂っていた。浴室に向かい、風呂を洗った。それから居間に出てきて、アイロン掛けをしていた母親から仕事を引き継ぎ、高熱の器具を前後左右に操ってシャツ二枚の皺を取った。テレビは国分太一と男性の料理人が出演している料理番組を流しており、豚バラ肉の「バラ」とは「あばら」のことなのだと紹介した。アイロン掛けを終えると、まだ腹は減っていなかったので下階に引き返し、一二時一〇分から書見を始めた。ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』から『族長の秋』を読み進めるのだが、ベッドに乗って布団を身体に掛けていると、寝坊をせずに七時間の適正な睡眠で覚めたためだろうかやはり眠気が催眠効果を宿した煙のように湧いてきて、二時間に及んだ読書時間のあいだ、半分くらいは眠ってしまったようだった。読書を切り上げたのは二時一〇分だった。上階に行くと、筍を混ぜたカレーを作ったと言った。大皿によそった米の上にそれを掛け、既に椀に盛られてあったサラダも持って卓に就き、食事を始めた。カレーは筍よりも烏賊や海老などのシーフードの風味の方が舌によく触れた。テレビはクイズ番組の類を流していたが、特段に興味を惹かれるものではなかった。ソファに就いた父親は初めはそのテレビ番組の方を注視していたが、じきに頭を後ろに傾け、ソファの背に凭せ掛けて微睡みはじめたようだった。母親はそれを見て、本当に、眠くなっちゃうようだねと言った。こちらは台所に立ち、両親の分と自分の分で三人分の多量の食器を洗って乾燥機に収め、スイッチを入れておいてから下階に帰った。そうしてふたたび読書を始めたのが二時四五分、そこから二時間弱を、今度は眠気に刺されることもなく通過して、『族長の秋』の次々と時空の転変する物語を追った。
 三一八頁には、「わしの心臓の動悸が、お前の森の動物のような匂いの目に見えない力のせいで、メトロノームの拍子よりも速くなるのを感じながら、彼はとなえた」という一節が書き込まれている。この一文は主語が三人称でありながら(「彼はとなえた」)、ほかに一人称と二人称の所有格がそれぞれ一つずつ含まれている(「わしの心臓の動悸」、「お前の森の動物のような匂い」)。対象に対して三人称の距離を保った記述のなかに、いかにも唐突に、大統領の担う一人称の視点が混ぜ込まれているのだ。つまり、「彼は」という三人称視点に適正に合わせるのだとしたら、「彼の心臓の動悸」、「彼女の森の動物のような匂い」と書かなければならないところ、あえて人称を混淆させることで「捻じれ」のような感覚を生み出しているのだ。ここだけ引いてもその「捻じれ」の感触はわかりづらいかもしれないが、この小説はもともと、三人称の語りのなかに一人称の「声」がたびたび差し挟まれる、転変著しい形式を取っていた。物語も後半に至ってそうした視点の移行がさらに甚だしくなり、文が終わって次の文が始まるのを待たずに、一文のなかに嵌入されるようになったのだ。このようなテクニックは『族長の秋』以外において目撃したことはない。「われわれ」という、無数の人々の「声」を含んだ広大な一人称複数によって支えられた記述の上に展開される絶え間ない視点の移り変わりが基盤にあってこそ、こうした非常に特殊な技法が成立するのだろう。
 三一八頁移行、さらに何箇所か、この一文内における人称の混淆の技法が認められる。「体内から発するその声は、お前の腎臓のポリープや、お前の腸の軟らかい鋼鉄や、泉で眠っているお前の尿の温かい琥珀などについて語った」という調子だ。ここに記されている「お前」は、言うまでもなく、小説世界を飛び出してその外部の読者に差し向けられた二人称ではなく、小説世界の内部において登場人物の一人であるレティシア・ナサレノを指し示したものである。こうした特殊な二人称が、レティシア・ナサレノ以外に宛てて使われていないか、それを確かめるためには最後まで読み進めてみなければならないが、もしそうだとするならばそれはおそらく、彼女が、無数の愛妾らを抱えて甚大な数の子を成した大統領のただ一人の正妻であるという特権的な立場にあることを証しているのではないだろうか。
 三二二頁に至ると、これまで語った技術を逆方向に差し替えたもの、つまりレティシア・ナサレノから見た大統領に対する二人称の嵌入が見られる――「彼女はまた、あなたのサーベルや、あなたの男物の香水や、あなたの聖墓騎士団の飾り緒付きの勲章などを押しつけた」という風に。このように、三人称の視点のなかに突如として二人称を闖入させることで大統領を「あなた」と呼ぶ人物も、おそらくこの小説中でレティシア・ナサレノただ一人だと考えられる。従って、これらの技術は彼と彼女の関係が特別であること、そこに覚束ないが――大統領自身の言葉を借りれば――「生涯にただ一度の純粋な愛」が成立していることを形式面からも表すものではないだろうか。形式の特殊性と、内容面における人間関係の特殊性が、互いに反映し合い、互いを証明し合っているように感じられるのだ。
 食事の支度をするために上階に上がった。卓に就いてタブレットを見ていた母親に、何をするかと尋ねると、カレーがあるから菜っ葉を茹でるだけで良いと言った。もう残り少ないではないかと突っ込めば、父親はまた自治会の用事か何かで出かけるので良いのだと言う。それで了承し、台所に入って白々とした電灯を点け、フライパンを戸棚から取りだして水を汲んだ。それを火に掛け、沸騰するのを待つあいだ手持ち無沙汰なので、一旦下階に引き返して手帳を取ってきて、それを読みながら湯が沸くのを待った。ハンナ・アーレントの政治についての考察について読み返しているうちにあっという間に水は沸騰したので、野良坊菜を投入して箸で少々押し込み、野菜がすべて湯に浸るようにした。それからまた手帳を読みつつしばらく茹でて、水を張ったボウルに取りだしたあと、流水で冷やしてから取り上げて絞り、俎板の上で細かく切り分けた。そうしてプラスチックのパックのなかに入れると、味噌汁を食べるのに使う赤茶色の塗りの椀に、辛子と酢、マヨネーズと醤油を入れて箸でぐるぐると搔き混ぜた。それを野良坊菜の上から垂れ掛け、ふたたび箸で搔き混ぜて和えた。これで一品完成して、今日の支度は終了だった。
 下階に帰ると、隣の兄の部屋に入って小型アンプのスイッチを入れ、ギターを手に取った。長いこと弦を張り替えてもいないし掃除もしていないために、フレット・ボードの上に垢のような汚れがひどく溜まったギターで、適当に、気の向くがままに、鼻歌に合わせてフレーズを奏でた。しばらくそうして遊ぶと自室に戻ってふたたび読書を始めた。時刻は六時を回ったところ、窓をひらいて『族長の秋』を読み進めた。細かな虫が空中をぶんぶん飛び回っているのが定かに視認される、淡く穏和な青さが敷かれた空の彼方で、一刻ごとに太陽の光が腐れ、萎え、枯れ衰えていくところだった。六時半を過ぎると空の淡さは極まって、青というよりは白に近づきそのなかに青が一滴混ぜて広げられたようになり、太陽の勢力は萎んで、部屋の隅まで薄暗闇が忍び込み、頁の上にはシートのような影が宿って文字を隠そうとした。そのようななかで、しかし明かりを点けないままに物語に読み耽った。六時四五分になるとさすがにそろそろ明かりを灯そうというわけで立ち上がり、電灯の紐を引いて窓を閉め、カーテンも閉ざした。空は漂白されたあとの白を越えて、今はまた昼間よりも深い青さに満たされはじめていたが、その青味もあと三〇分もすれば宵空の暗黒に一掃されてしまうはずだった。
 Bob Dylan『Highway 61 Revisited』を背景にして日記を書きはじめたが、途中で今まで書いた『族長の秋』の感想を読み返して時間を使ってしまった。七時を一〇分越えたところからふたたびキーボードを打ちはじめ、七時半前に至る頃にはここまで追いついた。
 cero "Yellow Magus (Obscure)"を掛けて細かなリズムのメロディを口ずさみながら、母親の洗ってくれたシーツをベッドに敷いた。それから"Summer Soul"や"Orphans"も歌ったあと、『WORLD RECORD』から"大停電の夜に"と"マクベス"を流した。そうして時刻は八時、食事を取りに行くために部屋を出た。階段を上がり、台所に入ると調理台の上にサラダが用意されており、その傍に手作りのドレッシング――マヨネーズを基調としたもの――も拵えられていたので、スプーンで掬ったそれを大根やサニー・レタスの上に掛けた。そうして冷蔵庫から取り出されたカレーのフライパンを火に掛け、お玉で搔き混ぜながら温めたあと、米の上に盛り、卓に向かって食事を始めた。テレビは『ポツンと一軒家』を映していた。和歌山県の山中――麓から林中の獣道を三〇分以上歩いた先――に立った一人で暮らしている八七歳の男性が取り上げられていた。もともとそこは妻の実家で、彼は婿養子としてその家に入ったわけだが、足を悪くした妻が二〇年前に山を下ったのちも一人でそこに住んでいるのは、若くして戦死した妻の兄を祀り続けるためなのだと言った。これはなかなか面白いな、ちょっと小説みたいだなと思った。自分が生きている限りは義兄の祭壇を護り続ける、そういう腹を固めているのだと老人は決意を語った。そうした番組を見ながら食事を取って、薬を飲んだあと食器を洗って風呂に行った。温冷浴を行って上がってくると、すぐに下階に戻って、しばらくだらけた時間を過ごした。そうして一〇時を越えると、ふたたび読書を始めた。四〇分ほど読んで切り上げ、コンピューターに寄ってSkypeを見てみると、Yさんがまた新たな人を二人、グループに連れてきていた。それでチャット上でよろしくお願いしますと挨拶をしておき、その後も多少発言を投稿しながら、Mさんのブログを読んだ。「どんごろす」という初めて見る単語が文中に出てきて、その奇妙な語感に「どんごろす」って何やねん、と少々笑ってしまった。麻袋のことであるらしい。Mさんのブログを一日分読むと時刻は一一時半、チャット上で、そろそろ通話しましょうかと提案し、皆さん、通話は大丈夫ですか? と尋ねた。その頃にはもう一人、Y井.Rさんという方がメンバーに追加されていた。この人は女子高生であるらしい。それで、返答がないままに待ちきれなかったYさんが通話を始めたので、こちらも電話に応じた。通話に出たメンバーは四人、Yさん、Y井さん、こちら、それにもう一人、先に新しく追加されたうちの一人、Dさんという方が加わっていた。Yさんが、誰が出ているのかわからない、と言うので、自己紹介しましょうかと先頭を切って提案し、Fと言います、よろしくお願いしますと発言した。それにDさんが応じて、工学系の大学院生だと自己紹介したが、先ほどチャット上で、明日が早いので今日は通話には参加しませんと言っていたことを取り上げて、大丈夫なんですかと突っ込むと、今日は自己紹介のみで失礼しますと彼は去っていった。残ったのは三人だった。Y井さんが、スマートフォンの操作がわからないか何かで、声がマイクに乗らないでいるようだった。それで彼女の設定が整うのを待ちながら、Yさんと二人で会話をやりとりしたのだが、ここで何を話したのか全然思い出せない。結構盛り上がった、と言うほどでもないが、会話がスムーズに応酬されて、ほとんど沈黙で途切れることなく続いた記憶があるのだが。福岡伸一の声がこちらのそれに似ている、という話はあった。昨日か一昨日にYさんからSkypeにラジオのURLが送られてきていて、それでこちらも聞いてみたけれど、確かに低めのおじさんじみた声色ではあったものの、それが自分のものと似ているのかどうかと言うと自分自身では判断がつかなかった。Yさんは結構ラジオを聞くようで、例の「ラジオ版学問ノススメ」だと、京極夏彦の話が結構面白いのだと言った。
 結構長い時間が経ったあと、ようやくY井さんの音声が入るようになったのは、イヤフォンを外してみたのだと言った。彼女は今コンクールに出す脚本を書いているところで、それには五月六日の消印が必要で、締切りがもうだいぶ迫っているのだが、まだ一枚も書けていないのだと言った。それで通話している最中も、自分からはほとんど話には加わらず、何か紙に文字を書いているらしき音が彼女のマイクからは聞こえていた。一番好きな小説は、と例によって読書家にとっては答えにくいかもしれない質問を投げかけて、今の気分で全然構いませんよと続けると、今手近にあって取れるなかでは、恩田陸の『三月は深き紅の淵を』だと言った。恩田陸はこちらも過去にいくつか読んだことがあるが、まだ文学というものに興味を持ちはじめる以前のことなので、もはや何も覚えていない。
 そのうちにY井さんのアカウントからは、今度は「ぶーん、ぶーん」というような、引っ張った輪ゴムを軽く弾いているような音が聞こえはじめた。何なのかわからないが、システムの不調だったのだろう。それがマリオのジャンプを連想させるような音でもあったので、Yさんは、Y井ちゃん、何かゲームでもやっているのかななどと言っていた。
 そのほか、何のタイミングだったか、「世界はすべて記号である」というような――これはウンベルト・エーコが元ネタであるらしいのだが――言葉がYさんの口から漏れた時があった。それはどういうことなんだろうねと言うので、自分は鬱病のようになる以前には知覚・感覚があまりに鋭敏化したような時期があって、その時には世界が記号でできていると言うか、この世界そのものがテクストである、織りなされた差異の連鎖であるということが実感としてわかった、と話した。今はもうそのように、ありありと感じられる実感はないものの、しかしこの世界そのものがこの世界で最も豊かなテクストであるという認識は変わらない。それを日々こちらは文章に翻訳しながら生きているわけだ。精神疾患と、そのようなある種神秘主義的な体験とが通じ合うものなのかもしれないという点について、ムージルのことを紹介した。Yさんはムージルという名前を知らなかったので、ドイツ文学の作家で、出身はオーストリアなのだが、『特性のない男』という長い、未完に終わった小説を書いていてそれが二〇世紀文学の最高峰などと言われている、そのなかで、統合失調症の人物の体験と、神秘主義的な体験とを重ね合わせて書いている部分があったと説明し。ムージル神秘主義には一貫して惹かれていた人で、神秘体験というものは勿論、どうあがいても言語になりきらないものを孕んでいるわけだけれど、ムージルはそれをあくまで言語によって論理的にどこまで書けるのかを突き詰めたような人だと紹介した。
 そのうちにIさんが通話に加わってきた。彼は今日は最も愛好する作家である中井英夫の供養塔に参ってきたと話した。そこに供える薔薇の花束を作るのに三〇〇〇円も掛かったらしい。Iさんの言っていたことで面白かったのが、こちらの日記を読んでいると、自分がもしかしてこの日記の登場人物の一人に過ぎないのではないか、というような空想を喚起されるとのことだった。こちらが彼のことをすべて知っていて、実はこちらのプロットのなかには彼の設定が細かく記されてあって、彼という存在はそれを反映しているだけのものに過ぎないのではないかというような。その場合こちらは創造主たる神の立場にある存在として定位されるわけだが、それは面白いな、その設定で一篇、小説を書いてくださいよと提案すると、残念ながらそうした設定の小説は既に世にあるのだと言った――それに続いて彼がしてくれた詳しい説明は忘れてしまったけれど。
 Iさんはそのうちに――一時を過ぎた頃合いだったと思う――眠りに向かって去っていった。Y井さんは作業の傍ら、BGM的にこちらとYさんの会話を聞いているようだった。先日も交わした、自己像の話に立ち戻った時間があった。他者のなかに入ることで反映的に自己の像が確定されてくるとかそういう話だ。Yさんは、Iさんなどの他人から評される自分のイメージ――「知的である」とか「貴族的である」とか――は、自分の実感としてはそぐわないものだと感じているようだった。しかし一概にそれが間違っているとも言えないのではないか、とこちらは指摘した。他者から差し向けられる評価というのは、勿論一種のイメージに過ぎないわけで、それが自分自身の自己像とずれている場合などは、誤解されているように感じ、煩わしかったりするわけだけれど、自分で見えない自分自身の部分というものも確実に存在するのだから、他者から差し向けられるイメージが一抹の真実を語っている場合もあるのではないか。そうした他者からの評価=形容と自分自身が自分自身に差し向ける評価=形容とを照らし合わせながら統合させるというのが大抵の人がやっていることであろうし、それがうまく出来なくて自分自身の自己イメージばかりが肥大化してしまうと、他者のなかでちょっと周りとずれてしまうということも起こるのかもしれない。そうしたことを話すと、Yさんは、自分はその統合ということを今まであまりやってこなかったのかもしれないなあと答えた。話していて特にそうした感じは受けないのだが、彼曰く、突然に他人をびっくりさせるような、常識のないような行動を取ってしまうことがままあるのだと言う。
 そんなような話をし、ほかにも色々な会話を繰り広げたあと、通話も終盤に至った頃だが、こちらが『族長の秋』を紹介した時間があった。全然内容を知らないとYさんが言うので、内容の要約など無意味だと言うか、できないような小説ではあるのだが多少説明した。舞台はおそらくガルシア=マルケスの出身国であるコロンビアに設定されているのだろうが、そうとは明言されていない、南米の架空の国だということになっている。そこに大統領がいる。この大統領は何か超人的な人物で、年齢も一〇〇を越えているとか二〇〇に達しているとかそういう説がありながらも、実際の確かな年齢は定かでない。物凄く大きな睾丸――「睾丸」というとわかりにくいかと思ったのでこちらは補註として言い換えて、「金玉ですね」と有り体な言葉を使った――を持っていて、そのイメージはおそらく牡牛のそれと重ね合わされている。その大統領が死に、民衆層が大統領府の内部に押し入って彼の死体を発見するところから小説は始まる。全六章あって、各章の初めから最後まで改行は一度もなく、ずらりと文字が連なっている。各章の冒頭では必ずその死体の発見のシーンに立ち戻るのだが、そのあとはもう滅茶苦茶と言うか、いつの間にか冒頭のシーンから離れて大統領の治世の回想が始まり、次々と出来事が移り変わっていって高速で流れていく。そうすると、読んでいるあいだに自分の立ち位置がわからなくなる、とYさんがまさしくその通りである適切な指摘をしたので、その通り、と言って、だから本当に渦、奔流のなかに巻き込まれるようなそうした感覚を味わうことができると締めくくった。Yさんは椿實の本を最近は読んでいたはずなのだが、ここ二日ほどは離れているらしかった。
 あとほかには、Yさんのアルバイトの面接の話もあった。この日彼は喫茶店のアルバイトの面接を受けてきたのだが、そのオーナーというのが随分親身になってくれる人で、話を聞くと君は今はアルバイトをしている場合ではない、自分のやるべきことに傾注しなさいと言われたのだと言う。彼の娘さんというのもYさんと同じくフランス語を学んでいる人で、結構優秀で、教授から東大の大学院に行くように勧められて進学したのだが、いざそこに行ってみると周りの人々が皆自分よりも優秀だったという現実に直面させられてしまい、それで少々腐ってしまったと言うか、手がけていた翻訳の活動もやめてしまったと、そのようなオーナーの家庭の事情も聞いてきたと言った。
 この日の話に関してはそのくらいでいいだろう。二時になったら寝ましょうとこちらが提案し、二時五分前にYさんがそろそろ終わろうと言って通話を終了した。それからこちらは三〇分ほどふたたび読書をしたのち、インターネットを少々回って、三時ちょうどに就床した。


・作文
 10:29 - 11:20 = 51分
 16:40 - 17:18 = 38分
 19:10 - 19:26 = 16分
 計: 1時間45分

・読書
 12:10 - 14:09 = (1時間引いて)59分
 14:45 - 16:34 = 1時間49分
 18:02 - 18:43 = 41分
 22:13 - 22:57 = 44分
 23:01 - 23:28 = 27分
 26:00 - 26:28 = 28分
 計: 4時間8分

・睡眠
 2:45 - 9:45 = 7時間

・音楽