2019/5/14, Tue.

 またもや一時半まで糞寝坊。労働再開の日だというのに普段と何の変わりもない。緊張感に欠けている。いつものように九時のアラームで一度ベッドから抜け出しているのだが、磁石に吸い付けられる砂鉄のようにしてまた寝床にどうしても舞い戻ってしまう。それからちょっと休むだけでふたたび起きようと思っていたところが、あれよあれよという間に時間が過ぎていって、意識ははっきりとしているのに身体だけ動かない時間が続いて、結局は一時半である。完全な堕落である。本当はもっと早起きして、家事もやりたいし本も読みたいのだが。ともかく、ベッドを抜けると上階に行った。母親は着物リメイクの仕事、今日は休日である父親はちょうどどこかに出かけたところのようだった。食事は特になかった。焼きそばを作ったらと書き置きにはあったが、面倒臭いのでレトルトのカレーで簡便に済ませることにして、戸棚からパウチを一つ取り出し、フライパンに水を汲んで沸騰しないうちに最初からパウチを放り込んでおき、加熱する。そのあいだに風呂を洗うことにして浴室に行き、浴槽の栓を抜いた。水が流れでているあいだに今度は寝癖を直すことにして一旦洗面所に出て、後頭部を水で濡らして櫛付きのドライヤーで整えた。そうしてゴム靴で浴室に戻り、水の抜けた浴槽のなかに入って、四囲の壁や床面をブラシで擦っていった。終えて出てくるとフライパンは既に沸騰してたくさんの泡が生まれているので、鋏を使ってパウチを湯のなかから取り出し、大皿によそった米の上にカレーを掛けた。頭にはcero "Elephant Ghost"が流れていた。そうして卓に就いて一人黙々と食事。終えると即座に皿を洗って片付け、抗鬱剤ほかを服用して、下階に戻った。コンピューターを起動させてSkypeを確認すると、Yさんがブログを始めていた。良いことである。彼にメッセージを送っておき、二時を回ったところからFISHMANS『Oh! Mountain』とともに日記を書きはじめた。それから一時間ほど掛かって前日の記事を仕上げ、ここまで綴った。
 ブログやnoteに記事を投稿。Twitterにも通知。それから出勤前にもう少し腹にものを入れてエネルギーを補給しておくことにして、上階に上がった。豆腐を食べるつもりだったが、冷蔵庫を覗くと豆腐がなかったので、おにぎりを作ることにした。炊飯器に寄り、戸棚の上のスペースにラップを敷いて、そこに白米を乗せたあと、塩と味の素を振って包み込んだ。米を握って成型しながら階段を下り、自室に入るとコンピューターの前に座って白米を咀嚼した。食べ終えてしまうと歯ブラシを洗面所から持ってきて、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)の流れるなか、歯磨きをしていると、窓がとんとんと鳴った。父親が外から、木の棒を使ってこちらを呼んでいるのだった。歯ブラシを口に突っ込んだまま、ベッドの上に乗り、窓に寄って開けると、父親が、クローゼットに夏物のスーツがあるから、もし良かったら着てみて合いそうなものを着ていきなと言った。うん、と答え、それからまたちょっと歯磨きをして口をゆすいだあと、両親の衣装部屋に入って戸棚をひらいてみたが、身につけて精査するのが面倒だったので、今日は自分のスーツを着ていくことにした――と言うか、もともとそのつもりだった。それで上階に行き、洗面所に入ってまずは髭を剃った。電動髭剃りで持ってもみあげの下端や、口の周りや顎を当たって、剃ったあとから保湿ローションを塗っておくと洗面所を抜け、仏間に行って真っ赤な靴下を履いた。そうして下りていき、自室に戻ると真っ白なワイシャツを身につけ、少々きつい黒のスラックスを履いた。それから水玉模様の水色のネクタイを首もとに締めて黒のベストを羽織って、一番下のボタンは外したままにした。その格好でベッドに乗り、ジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』を読みはじめた。ベッドに乗った際、窓の外をちょっと見やると、父親も木製のベンチの上にうつ伏せに横たわって本を読んでいるのが見えた。『ダブリンの人びと』は、やはり訳に何となく釈然としない感触を感ずる――どこがどう、ということはうまく説明できないのだけれど。今のところ際立って思考や感覚を駆動させる箇所には出会えていない。四時前まで本を読むと、日記を綴りはじめ、一〇分も掛からずにここまで書き足した。
 インターネットを少々回り、流れていた"My Romance (take 2)"を立ったまま聞くと、スーツのジャケットを身につけ、財布や携帯を入れたクラッチバッグを持って上階に行った。居間には外から入ってきた父親がおり、南の窓際に寄って読書をしていたようだ。こちらの足もとを見て真っ赤な靴下に言及するので、まずいかと訊くと、まずいと言うか、奇抜ではないかと父親は笑い、真っ黒な装いと合っていないというようなことを口にするので、取り替えることにして仏間に入り、赤の靴下を脱いで灰色のものを身につけた。そうして便所に行き、膀胱を軽くしてから居間に戻って、じゃあ行ってくると父親に告げてクラッチバッグを持ち、玄関に行って褐色の靴を履いた。大鏡に全身を映して確認してから玄関を抜け、道に出て歩いていると、涼しく湿り気をはらんだ風が流れて、薄緑に染まった楓の枝葉の裾が柔らかく揺れる。坂に入ると、こちらよりもいくらか先んじて傘を差しながら――雨は降ってはいなかったのだが――歩いていた老婆が、左方の林の縁に近づき、何やら葉叢のなかの茎の先について白い花を見分しているようだった。ちょっと見てはまたすぐに離れて歩き出し、そうしたかと思うとまた葉叢に近づいて目を寄せるのだ。何を意図しているのかよくわからなかった。上がっているうちにこちらはその老婆を追い抜かし、前方からやってきた中学生二人ともすれ違って進んで行き、街道前で空に目をやれば、薄白さが満ちた西空の一角に、太陽の円形がさらに白く収束している。
 風が踊る道行きで、空気の流れに晒されてジャケットの前がひらくので一度はボタンを留めたが、何やら剽軽な動きをしている女子中学生ら三人とすれ違ってまもなく通りを渡ってから、すぐにふたたびボタンを外した。白髪の老婆が一見の古家の前で、市指定の青緑色のビニールのゴミ袋を腕に掛けながら、植木の根元に鋏を寄せて剪定しているようだった。その脇を通り過ぎて進んで、老人ホームの前に掛かって何とはなしになかを覗いていると、窓際にテレビが持ち出されていて、老婆が一人、テレビと向かい合う形でテーブルの周りに就いていた。これから映画か何か見る催しがあるのだろうか。
 裏通りにも風が吹いて、スーツのなかの温もりをいくらか散らしてくれる。鶯の声が線路の向こうの森の方から響き落ち、さらにもう一度続いたのに三度目はいつかと耳を張ったがあとに続かない、と思っていると突然、狂い鳴きが始まった。色彩の破片をあたりに撒き散らすような、比較的はっきりとした音程の付与された鳴き方であり、フリー・ジャズのサックスのブロウのようにも聞こえなくもなかった。
 それからしばらく行くと、一軒の敷地の入口のあたりに白猫が佇んでいる。近寄って行くとあちらからも寄ってきて可愛らしく、手を差し出せば鼻先をその手に押しつけてくるようにするのも愛らしい。それからしばらく、身体や腹や頭の上や首もとを撫でて可愛がってやった。猫はこちらの持ったバッグに顔を擦りつけ、あるいは鼻面を押し当てるようにしていた。戯れているうちにスラックスに白い毛が多数付着してしまったので、立ち上がり、指でつまんで取り除いたり、それでは埒が明かないのでハンカチを取り出して擦り取ったりしているこちらの背後では、子どもらが幼い声を上げながら数人走ってくるような声音がしていた。それを機に猫の頭をもう一度撫でてから別れ、子どもたちの遊んでおり母親が一人見守っているなかを歩いていき、先を進んだ。
 大樹の生えた敷地の横を通る際、足もとに散らばった枯葉の群れの、オレンジがかったような色とか黄褐色とかに染まっているのを見るにつけ、まるで夏を飛び越えて既に秋の道のようだなと、薄曇りの天候から来る初夏の陽気に至らぬ涼しさも合わせて思えばそれと同時に、三宅誰男『囀りとつまずき』のなかに、やはりある季節にあって別の季節を思う心の有り様を、どことも知れない季節の汽水域に身を置いている、という風に表現した断章があったなと思い出された。ここに引いておこう。

 おもてに出たとたんに肌をなぜてみせる夜気がきたるべき冬の気配をはらんでまだまだ気のはやい十月初旬である。年の瀬の気ぜわしさすらもよおしかねぬ先駆けの、長ずるにつれて不在の夏へのあこがれまでをもまねきよせるようであるのに、秋のさなかにありながら冬の気配にかこまれて夏を思慕している、いずことも知れぬ季節の汽水域にたたずむこの身ばかりのたしかさとなる。
 (三宅誰男『囀りとつまずき』自主出版、二〇一六年、48)

 若々しいと言うよりは幼さの残る粗雑な口調で話している女子中学生を追い越して駅前に出ると、尿意がいくらか満ちていた。出掛けに済ませてきたのにふたたび満ちるものがあるというのは、自覚もほかの身体症状も特段に見当たらなかったものの、労働への復帰に当たってやはり多少なりとも緊張しているということなのかもしれない。ロータリーを通って公衆便所に寄り、湿った小便の臭いの染みついた空気のなかで再度放尿し、バッグを小脇に抱えて手を洗うと外に出てハンカチで水気を拭った。そうして職場へ向かった。
 入口の戸を開けてなかに入ると、奥にいた(……)室長がすぐさまこちらに寄ってきたので挨拶をした。それとともにマネージャーらしき人も寄ってきて、靴を脱いでスリッパに履き替えると、礼をしながら(……)です、と挨拶をしてきたので、Fですと返し、早速、どうぞと促されたのに面談スペースに入る。椅子が変わっているのが目についたので、椅子が変わりましたねと口にして話の取り掛かりをつけたのだが、ちょうど今日入れ替えたばかりなのだと言う。新しい椅子は下にキャスターがついているタイプのものだった。
 それでしばらく――と言って二〇分も掛からなかったと思うが――マネージャーと面談した。彼が一度会って話したいそうなので、五時に来てくれと言われていたのだ。改めてよろしくお願いしますと挨拶をしてから、最初に何を話したのだったか――確か、正確にはいつからいつまで働いていたのかと訊かれたのではなかったか。それで大学時代は一年生から二年生の冬まで、そこでパニック障害になってしまって一度辞め、大学を卒業してのち二〇一三年の四月から、昨年二〇一八年の三月いっぱいまで働いていたと説明した。その時も体調が、と言うので、そうですね、パニック障害が悪化したような形で、医者に行ったら休んだ方が良いのではないかということで、と答えた。その後、本当は鬱病らしき様態に転換していったりといくらか推移があるのだが、そのあたりは話さなかった。住まいはと訊かれたので、(……)の方ですと言い、付け加えて、(……)駅の傍ですねと言うと、相手は理解したようだった。生まれも育ちも青梅だと言うと、マネージャーもそうなのだと言った。出身は(……)のあたりらしい。
 室長にもそうですけれど、何か聞いておきたいこと、気になることなどありますかと訊くので、いやもうまず、今日の復帰からしてきちんと仕事を思い出せるかどうか、それが不安ですと笑いながら応じた。労働は、体調にも波があるだろうからと――今の自分の実感としてはもう相当に安定していて、波など生まれていないのだけれど、まあ今後また下降する時が来ないとも限らない――最初のうちは慣らし運転みたいな形で、と言ってくれたので、ありがとうございますと礼を言い、話を終えると面談スペースから出て、フロアの奥の方、ロッカーのある区画へ行き、荷物をロッカーに入れて鍵を閉めた。そこに室長がやってきて、生徒の座席表を見せてきたのを見ると、二時限目に(……)の名があったので、おお、と笑った。相変わらずやる気はないと言う。
 それで授業の準備をした。タブレットからシステムにログインするのに他人のIDとパスワードを借りなければならなかったのだが、そのあたりでうまくログインできずいくらか手こずったりもしたけれど、まあ概ね問題なく準備し終え、授業を迎えた。一時限目は(……)くん(中一・国語)と、(……)くん(中二・英語)。二人とも大人しそうな少年で、特に一年生の(……)くんの方は結構引っ込み思案そうで声も小さかった。(……)くんは真面目そうな感じ。彼の通っている(……)は中間テストがないらしいので予習を進めているのだが、学校の進度からも大幅に先んじていて、なかなか優秀そうである。彼は今日は接続詞のthatを扱い、そのあとでThere is/are 構文の予習に入った。(……)くんの方はテスト前の増加授業ということで、まあ普通に一年生の一学期なのでワークの頭から扱った。最初の単元の出来は良かった。詩の主題の読み取りで一問ミスしていたのみだったが、しかしその後の単元の漢字の出来を見ると、全体としてはまあまあといった感じではないか。本当は間違えた漢字を練習させるところまでやりたかったのだが時間が足りなかった。その後、生徒情報を見たところ、国語はテスト前に一コマしかなかったので、失敗したと思った。それを把握していたなら漢字練習などやらせずにもっと読解問題に取り組むつもりだったのだが、授業の組み立てを誤ったなと思ったものの、しかしあとで室長に聞くと、おそらくまだデータに反映されていないだけで残り二コマあると言うので、安心した。
 一時限目の途中で、(……)先生に挨拶をした。こんにちは、と声を掛け、新人のFですと冗談を言うと、いやいやいや、ベテランですよと即座に否定された。一時限目と二時限目の途中の休み時間は入口の方に立って生徒の出迎えをしていたのだが、そこで(……)さんと再会したので、ここでも、こんにちは、新人のFって言います、と冗談を飛ばすと、いやいやふざけすぎでしょ、と笑いながら突っ込まれた。久しぶりだよねと言うので、事情があってねと言ったのち、旅に出ていたんだとこれも冗談を口にすると、放浪してたと彼女は笑い、してそう、旅してそうと言ったが、旅など実際は全然したことがない。彼女は勉強がやばいと言った。今日は数学の授業で来ていたのだが、全然わからないと言う。日本史もやばい、英語が一番やばい、と言うか大体全部やばいと言うので、まあ頑張りましょうとしか言えないけれど、とこちらは落として、二時限目の授業に向かった。
 二時限目は(……)。まずもっていつもそうらしいのだが、二人とも、二〇分から二五分くらい遅刻してきて、八時過ぎにならないと姿を現さなかった。待っているあいだこちらは一席に就いて、手帳に行きの道中のことをメモしていた。生徒がやってくると、初めましてとにやにや笑いながら口にして、新人のFですと同じ冗談を言うと、いやいや知ってますよという反応があった。彼らは遅れてきたこともあり、また授業の最後にアンケートを書いてもらったこともあって、あまり充分にワークを扱えなかった。単語テストの扱いにも、これも以前働いていた時からの懸案だけれど悩むところだ。彼らのように勉強してきていない生徒に単語テストをやらせても、ちょっと解答を確認してから短期記憶でもってぱっと答えてまあ六割七割くらいの正答、という感じなので、長期記憶には結びつかずはっきり言って意味がないのだ。やはり単語テストは、勉強してきていない生徒に対してはその場で授業内でいくつかピックアップして勉強させる時間を取るというのが良いのかもしれないが、しかし多分塾全体の方針としては勉強してきていなくても良いから、とにかくやるだけはやらせろというものなのではないだろうか。あまり充分な内容を扱えなかったという話に戻ると、(……)の方は今日はワーク三二頁の第二番並べ替えの問題五問しかできなかったし――まあそれにはこちらが、その五問を解いたあとに三文ピックアップして練習させる時間を取ったこともあるのだが――、(……)の方も、現在完了形を一頁やったのみだった。本当は受動態の復習もしたかったのだが。まあなかなか思い通りの授業を展開するのは難しい。あとはやはりもっと授業中に質問を投げかけて――例えば、現在完了の形は? などという風に――記憶するべき事柄を記憶させなければならないだろう。宿題をやってきてくれればまだ多少伸びると思うのだが、しかしこればかりはこちらの力ではどうにもならない。
 そんな感じで、授業は概ね恙無く終わったのだが、四人のうち三人はノートにコメントを書くのを忘れてしまった。これがミスした点である。最後の一人の時は気づいて、過去分詞を覚えていてよかったですというようなことを短く記した。それで授業後は入口の方に立って生徒の見送りをして、そのあと室長に報告し、授業記録をチェックしてもらって――あと、生徒たちが大方去ったあたりで、(……)先生にも挨拶をした。この時も、どうもと言って笑いかけ、新人のFですと冗談を飛ばして自ら笑い、完全にネタにしてしまっているというね、と自分自身で執り成した。以前勤めていた時にいなかった先生方にはまだ全然挨拶を出来ていない。皆、授業が終わると速やかに、お疲れ様ですと言って帰ってしまった。それで室長を除けばこちらが一番最後まで残っていたくらいである。YOKU MOKUの菓子があって、早く食べないとなくなっちゃうので是非と言うので、二つもらってバッグに入れた。「ヨクモク」というのが最初聞き取れず、何のことかと思ったのだが、そういうメーカーがあるのだ。あれは何と言うのだろうか、棒状の、さくさくしていて仄かに甘味のある洋菓子である。それでロッカーから荷物を取り出して入口の方まで行き、室長と少々話した。次回はいつ頃になりそうですかと訊くと、明日の水曜日、早速足りないんだけどなあと言うが、それには首を振り、明後日の木曜日とか、と言って、(……)くんの国語の続きが出来ますよと来たのには、いいんじゃないですかと応じた。そういうわけで次回の勤務は木曜日、一六日の六時からである。
 お疲れ様でしたと挨拶をして外に出ると、楽しそうでした、と室長から声が掛かったので、会釈をして職場をあとにした。なかにいるあいだに雨が降りはじめていたが、今はほとんど降り止んでいて、僅かな雨粒が散っているのみだった。それでも歩いているあいだに嵩んできてはたまらないので、電車で帰ることにして駅に入り、改札をくぐって奥多摩行きに乗り込んだ。最後尾の車両の一番前側の扉際に就き、手帳を取り出して眺める。東京方面から来る青梅駅止まりの電車が遅れているということで、その電車からの乗り換えを待つこの奥多摩行きも必然的に遅れる見込みだった。しかし手帳を読んでいるあいだにあっという間に発車の時間が来て、最寄り駅に着くと降り、ホームを移動して自動販売機に寄った。久しぶりに働いたためだろうか、身体のなかに温もりが籠っているような感じがあり、喉が渇いていたので、何か炭酸飲料でも買おうと思ったのだ。一四〇円でカルピス・ソーダがあったのでそれに決めて、バッグから財布を取り出し、その財布からまた硬貨を取り出して一つずつ挿入していき、ボタンを押した。出てきたペットボトルをバッグに入れて駅を抜けた。車の途切れた隙に横断歩道を渡り、坂道に入りながら上を向くと、薄墨色に染まった空のなかに一点、チョークの付着した指を誤って擦りつけたかのように月の明かりが、ぼんやりと貧しく浮かんでいた。坂道を下りて行き、平らな道に出て行っていると、Kさんの家の前にあれは薔薇だろうか、大きく真っ赤な花が一つ咲いていて、それが闇のなかでも蠟でできた固い彫刻のような重量溢れる存在感を放っていた。
 帰宅。居間に入って両親に挨拶。母親がどうだったと訊くので、まあ余裕でしょうと言いながら冷蔵庫にカルピス・ソーダを入れる。そうして下階へ。コンピューターを点けつつ、スーツを脱いで廊下に吊るす。ワイシャツを身体から剝ぎ取ると、肌が薄い汗でべたついていた。ハンカチと脱いだワイシャツを丸めて持って上階に行き、洗面所の籠のなかに洗い物を放り込んでおくと、台所に出た。夕食は大鍋に残ったカレーの残骸を利用したカレー素麺だった。そのほか、筍や人参や鶏肉が混ざった炒め物など。それぞれ卓に運んで椅子に就き、今日は休日で酒を飲んだらしく顔が赤い父親と仕事の話など少々交わしながらものを食べた。食事をしながらカルピス・ソーダを氷を入れたコップに注ぎながら飲み、ペットボトル一本分飲み干してしまった。食事を終えると父親と入れ替わりに台所に入って皿を洗い、風呂は母親が入っていたので一旦下階に戻った。Twitterで労働が恙無く終わったことを呟いたり、インターネットを回ったりしているうちに風呂が空いたので入りに行き、出てくると居間には父親が一人で残ってテレビを見ていた。畳んだジャージをソファの縁に置いておき、下階に戻るとTwitterで返信をしながら日記を書きはじめたのが一一時過ぎである。Bill Evans Trio "Milestones"から流しはじめ、それが終わると Bill Evans Trio『Bill Evans At The Montreux Jazz Festival』、そしてMiles Davis『Kind Of Blue』と続けて流しながら書き物を進め、一時直前になってここまで至ることができた。
 その後、Skype上のグループでしばらくチャットでやりとりが続いた。日記が終わったので通話しましょうか? と尋ねると、着信が掛かってきた。最初に参加していたのはYさん、Aさん、MYさん、MDさんだったと思う。のちに、MYさんとMDさんが去ったあとだったかと思うが、Dさんが参加してきた。Aさんが、Fさん、お疲れ様でしたと言ってきたので、ありがとうございますとまずは返した。まあ余裕でしたね。Yさんがその後、仕事をまた始めると、日記を書く量が減るのかなと訊くので、いや、今日は仕事中のことも書いてしまいましたけどねと答えた。しかし、会社の方からはSNSに塾のことを書き込むなという厳命を受けている。この日の通話中には、まあバレなきゃいいかな、っていう感じで、と言ったのだったが、一体どこから何に繋がったり炎上したりするかわからないこの世の中である、やはり職場にいるあいだのことは公開しない方が良いのではないかという気もしていて、この日の記事もどうするか迷うところだ――まあ、公開していたとしても、これほど長い文章を読むような人間は職場の同僚にも生徒にもいないだろうと考えられるから、心配はないと思うのだが、しかし先にも述べたように、どこから何に繋がるかわからないこの世の不確定性が自分を怯ませるところではある。バレたらまあ、首にしてもらうしかないかな、とこの日の通話では呟いた。まあリスクと言ってその程度のことなので、バレたってまあ構わないという気持ちもないではない。
 日記には一日どれくらいの時間を使っているのとYさん。今日の記事を見て、今日はもう三時間書いていますねと答えた。それで、YさんはAさんにも、Aちゃんも日記書いてみたらと言うのだが、彼女は三日坊主にもならなかった前科がある。一日一行でも、とにかく毎日書いていれば勝ちなんですよといつも言っていることをまた口にしてこちらも勧めてみるが、彼女は今のところブログを開設したり日記を書いたりする心はないようだ。ブログと言えば、Yさんがこの日、ブログを開設して、エッセイ的なものをいくつか書いていた。こちらはその後、短歌とかやるのもいいんじゃないですかね、僕も以前、適当な短歌を作っていた時期がありましたと言うと、それは是非読みたいという反応があったので、ブログにまとめてあった短歌の記事のURLを貼ると、わりと皆から好意的な反応があった。MYさんなどは、言葉選びの感じが塚本邦雄に似ているとも言ってくれたのだったが、それは明らかに言い過ぎである。あれらは本当に適当に、五・七・五・七・七のリズムに沿って出鱈目に言葉を並べただけのものに過ぎない。Aさんは例の素早さで即座に一〇〇いくつかある短歌すべてを読んでくれて、九三番が好きだと言った。「鴇色のやさしい人はおしなべてうつむき歌う風の言葉を」という一首である。それで、ああこれはパクリなんですよと言った。岩田宏という詩人が神田神保町という詩を書いていて、そのなかに「やさしい人はおしなべてうつむき/信じる人は魔法使のさびしい目つき」という一節があって、そこから取ったものですといくらか早口で話した。八四番が好きだと言ってくれたのはMYさんだっただろうか? 「ガラス窓の向こうに佇む亡霊を抱いてキスして初めて笑え」という歌である。Yさんは一六番、「退屈な映画みたいな人生さオレンジ潰して燃えてさよなら」が好きだと言ってくれた。これはわりあいに意味の濃度が高い、わかりやすい一首である。こちらの気に入りはどれだろう? 「くだらない夜に滲んで吐く熱をサディストどもが吸えば泣くだろう」とか結構良いかもしれない。あとは、別にお勧めではないが、大好きな『族長の秋』にちなんで作った歌もある――「肥大した睾丸さげて戦争へ死神犯せ族長の秋」である。Aさんはどれも良いけれど――そんなはずがないが――特に九〇番台から良くなるとも言ってくれた。確かに、そのあたりに至ると、あまり適当にぽんぽん作るのではなくて、意味の濃度とか組み立てとかを多少考えて作成するようになっていたような気もしないでもない。今、「短歌」のページには確か一〇四番までしか掲載されていなかったと思うが――現在出先の喫茶店で書き物をしており、インターネットが使えないので確認が出来ない――それ以後に作ったものもいくつかあるので、それをここに載せておく。

月の陰で言葉を食べる兎たち地球を夢見て叙事詩を綴る
美しい破片となった時間だけ投げて散らして一人で遊ぶ
ナイフ持て世界の心臓貫いて流れ出た血で罪を清めよ
黄昏に行くあてのない幽霊は動物たちにキスして消えろ
一杯のきれいな水が欲しいのに手に入るのは雨の尨犬
明け方にクリーム色の夢を見て破壊衝動堪えて眠る
どぶ板のハツカネズミとダンスして月の写像へ向けて宙返り
復讐よ儚く散って風になれ恋も恨みも刃も捨てて
文学の全体主義を夢想するトワイライトの夜明けは間近
月光の共産主義のただなかで革命前夜の太陽墜ちる

 そのほか、「断片#29」、例のローベルト・ヴァルザーをパクった調子や文体で、電車のなかに一人きりになった時間のことを書いた小品だが、これものちになって自信作ですと言って紹介した。これもAさんはその場で即座に読んでくれて、面白い、日記と文体が全然違っていて、こんなものも書けるんですねと言うので、こんなものを書いていた頃もありましたと応じた。日記の文よりも、エクスクラメーション・マークなど多用されていてテンションが高いと思う。それでAさんは、このテンションで音読してほしいです、とも言ったが、それは笑って控えた。
 話が戻るが、日記を三時間書いていると言った時に、今日は日記を三時間書いていて、本は二〇分しか読んでいないと言うと、MDさんから、何を読んでいるんですかとの質問が入ったので、ジョイスの『ダブリンの人びと』というやつですと答えた。しかし、あまり訳が良くないと言うか、二〇〇八年で一番新しい訳なのでこれにしたんですけれど、それにしては何となく……どこがどうとは言えないんですけれど……精度があまり高くないと言うか……あと、ちょっと古臭いと言うか古めかしいような感じもあって、と曖昧な不満を述べると、MYさんが、自分もジョイスを読んだと言う。彼が読んだのは、柳瀬尚紀訳の『ダブリナーズ』と、何と驚嘆すべきことに『フィネガンズ・ウェイク』も読んだのだと言う。それであれをよく読みましたねと笑ったが、MYさんは、いや、あれは読んだとは言えないですねと答えた。MYさんはまた、ジョイスは確かに文体が不安定でふらふらしているから読みにくいようなところがあるかもしれないのだけれど、読んでいると段々それが気持ちよくなってくる、というようなことを言ったので、こちらはそういうものかと落とした。ただ、調べてみると、新潮文庫は古い訳しかないと思っていたのが、柳瀬尚紀訳が二〇〇九年に出ていたようで、これがおそらくすべての版のなかで一番新しい訳だと思われるので、驚天動地の怪作『フィネガンス・ウェイク』の訳者でもあるし、こちらを選ぶべきだったなと悔やんだ。
 その他に覚えているのは、ソローキンがやばいという話くらいである。この話をしたのは確かDさんが加わったあとではなかったかと思うが、『青い脂』というこちらも見かけたことはあって記憶に留めてはいた作品が特に、下品と言うか下品とすら言えないというか、滅茶苦茶でぐちゃぐちゃみたいな感じらしく、Aさんが一節を引用してチャット上に貼ってくれたのだが、確かに凄そうな文章ではあった。彼女は、ソローキンは人に勧めたくないですね、品性を疑われそうみたいなことを言ったが、しかし彼女も本当に幅広く読んでいるものである。その他、Dさんに、サーシャ・ソコロフって知ってますかと質問を投げかけるも、彼も知ってはいたが、読んだことはないと言った。あれ気になっているんですよねと言うので、いや僕も気になってるんですよと笑い、何か凄そうですよねと同意しあった。
 そんな感じで話し合って、三時を迎えたところで通話を終えた。チャット上でありがとうございましたと礼を言い、もっと本を読まなきゃならないなあという気持ちになりますと通話の感想を述べ、それからインターネットを少々回ったのち、三時半に就寝した。


・作文
 14:03 - 14:56 = 53分
 15:57 - 16:05 = 8分
 23:08 - 24:59 = 1時間51分
 計: 2時間52分

・読書
 15:35 - 15:56 = 21分

・睡眠
 2:20 - 13:30 = 11時間10分

・音楽