2019/5/20, Mon.

 正午ちょうどに起床。例によってアラームで一度覚めるも、ベッドに舞い戻ってしまい、そこからだらだらと寝過ごす。一二時に至って寝床から抜け出し、上階に行って、母親に挨拶をした。台所に入ると、おにぎりに小さな骨付きの鶏肉が二つ、同じ一皿に載せられ、もう一皿には冷やし中華ならぬ雑多な野菜が混ぜられた冷やし素麺が用意されてあった。素麺の方につゆを掛けてから、二皿を持って卓へ、食事を始めた。テレビはニュース。山形県で五〇代の女性医師が殺された疑いとか、一月に新宿で歩行者に突っ込んだ車の運転者――七九歳の高齢者――が書類送検されたとか。ものを食べ終えると抗鬱剤ほかを服用し、食器を洗った。母親は今日は「K」の仕事がある。それでピンク色のポロシャツを着て身支度を整えていたが、彼女から、米を三合半磨ぐことや、アイロン掛けをすることなどを頼まれている。こちらも今日は六時から仕事があり、加えて長くなることが必定である前日の日記を書かなければならないので、なかなか忙しい――多分出かけるまでに書き終えることは出来ないだろう。
 こちらが下階に戻ってまもなく、母親は出かけていったようである。こちらは部屋に入ると開けていた窓を閉めて、コンピューターを点け、前日の記録を付けるとともに支出を計算した。それからコンピューターを再起動させているあいだに洗面所に行って歯を軽く磨き、さらに便所に入って腹を軽くした。戻ってくるとパスワードを入力してログインし、Evernoteを立ち上げて、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しながら日記を書きはじめたのが一二時五〇分である。
 それから一時間四〇分ほど、前日の日記を記し続けて、薔薇園にいる途中、午後一二時過ぎくらいの事柄まで至ったあたりで、疲労を感じたのでベッドに横になって休むことにした。ジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』を持って寝床に臥し、本を読み進める。四〇分ほど読んで三時一〇分に至ると力尽きて本を置き、それからうとうとと微睡むことになった。四時になったら起きねばならないと思っていたところが身体が持ち上がらず、四時一五分になったら、四時二〇分になったら、と段階的に期限が滑っていき、結局四時半になったところでようやく起き上がった。そうして上階に行き、家事に取り掛かった。まずは風呂洗いである。重い身体を引いて浴室まで行き、風呂を洗うと出てきて、次に米を磨いだ。三合半、笊のなかに用意されていたものを洗い桶のなかで磨ぎ、炊飯器の釜に収めて水も注ぎ、六時五〇分に炊けるようにセットしておいた。それから、アイロン掛け。白シャツ二枚の皺を伸ばすと、居間の片隅、椅子の背に吊るされてあったワイシャツを取り、身につけながら仏間に入って、靴下も履くと下階に下りた。そうしてベスト姿に着替える。それから歯磨きをすると時刻は既に五時を回ったところで、もうそろそろ出なければならないが、少しでも日記を書き足しておきたいとこの日の記事を僅か四分だけ綴って、五時一一分に至ったところでコンピューターを閉ざした。クラッチバッグを持って上階に行き、ハンカチを尻のポケットに入れて出発した。
 夜から雨が降るとの予報だったので、大きな黒傘を持った。空は確かに降ってきそうな曇りである。坂を上って平らな道に出て、三ツ辻まで行くと今日も行商の八百屋が来ていた。その手前で、八百屋の買い物を終えたらしい老婆一人とすれ違ったので、こんにちはと挨拶をすると、降ってきそうだねとか何とか言われたので、そうですね、うん、とすれ違いざまに返答した。そうして三ツ辻に達して、こんにちはと挨拶をして通り過ぎると、八百屋の旦那が、帰りは土砂降りだぜ、と大きな声で言って笑う。こちらも笑みで応じて、降らなければいいんですけどねえと受けると、他人の不幸を笑っちゃいけねえ、と旦那は自ら執り成して、気をつけて、と言うのではい、と受けて先を進んだ。
 街道に出る頃にはやはり温みが服の内に籠っていくらか蒸し暑かった。街道を行って裏道に入ってさらに進むと、甲高い犬の鳴き声に紛れて、林の方から時鳥[ホトトギス]の鳴きが聞こえてきた。数日前の深夜にも自室で聞いた覚えがある。一軒の前に咲いたコデマリは、オレンジ色の砂をまぶされたようになってもういくらか萎え気味だ。進んで行くと、鶯の鋭い鳴きも立って、さらには色彩の破片を撒き散らすような例の谷渡りも聞こえた。
 道の後半ではぽつぽつ雨が落ちはじめた。風に乗って斜めに流れて顔に当たってくるけれど、そこまでではないと傘を差さずにいたところが、気づけばいつの間にか嵩んでいたので黒傘をひらき、職場に向かった。傘をばさばさやってから入口の扉を開け、こんにちはと挨拶を投げかける。傘を傘立てに差しておき、スリッパに履き替えてフロアに踏み出し、座席表を見やると、この日は三人相手だった。それで三人じゃないですかと背後の室長に投げかけると、そうなんですよ、三人になってしまった、と相手は受けた。頑張りますと言ってフロアの奥の方に進んでいき、準備をしていた(……)先生にこんにちはと挨拶をして、ロッカーにバッグを収めた。そうして準備。
 授業。(……)くん(中二・英語)、(……)さん(高一・英語)、(……)さん(中一・数学)が相手。(……)くんは(……)の弟である。懐かしい。顔も似ていた。挨拶をしたあと、お姉さんがいるね、と言って、知ってるから、あいつに会ったって言っといて、と告げて笑った。彼は学校のワークをやりたいと言うのでそのようにした。室長はやばいと言っていたけれど、それほど出来ないようには思われなかった、単語テストも答えを確認させないでいきなりやってみても三二点中二〇点を取っていたし、学校ワークも自力で順調に進められており、文法の理解は結構身についている印象だった。それでノートに書くのは単語だけになってしまったのが勿体無いと言うか、反省点ではある。単語テストのわからなかった単語から、amusement park、traditional、talk aboutの三つを練習させてそれを書かせたのと、ワークのなかに読解問題があったので、それを一緒に訳したなかから、a lot ofとthemの意味を学ばせたのがもう一つ。ワークの読解問題も途中までしか訳せなかった。やはり三人相手だとなかなか忙しくて、思う通り充分な授業をするのは結構難しい。
 (……)さん。英語はかなり苦手なようで、まずもって三単現のsを理解していなかったので、基本から確認した。彼女も単語テストがあったのだが、答えを確認して勉強するのに結構時間が掛かってしまい、やはりこれは勿体無い。単語テストは、やるならば答えの確認はなしにして、即座にやらせて、それで出来なければ出来ないで良い、間違えたなかからいくらか練習させる、という方式でやるのがやはり良いのだろう。先のように三単現からして知らないような状態だったので、宿題の解説にも結構な時間が掛かってしまった。単語で言うとbeginなども知らない状態なので、なかなか骨が折れるは折れるが、一方ではそういう生徒相手の方がやり甲斐があると言えばある。髪型など見るとやや「ゆるふわ系」とでも言うか、愛嬌のある女子で、コミュニケーションは問題なかったと思う。ノートに書かせたのは三単現についてと、単語をいくつか。これももう少し、文法事項についてなど書かせたかったところではある。宿題は多分やってきてくれるのではないか。ある程度出来るところを出さないと話にならないので、前回の宿題だったところをもう一回と、前回の授業中に扱った頁を再度コピーして出したのだが、先にも述べたように三人相手だと結構忙しくて、鐘が鳴ってからも少々彼女を待たせる形になってしまって、この点も反省点である。余裕を持って終わりの支度に入るようにしなければならない。そしていま書いていて思い出したのだが、彼女のこの日の授業は先にも述べたように単語テストと宿題の解説に大方時間を使ってしまって、三八頁を一頁扱ったのみで終わってしまったのだが、その頁の解説もできないままに終わってしまったのだが、次回指示にそこの解説を頼むと書くのを忘れていた。これは今日出勤したあと、ポスト・イットでも使って指示を貼っておかなければなるまい。解説が出来ないで終わるのも致し方なかったとは言え、良くない。三八頁をすべてやらせたのがまずかった、大問一つずつで区切っていったほうが良かったと思う。反省である。
 (……)さん。彼女は数学を英語と間違えて、英語を持ってきていたので、コピー対応した。宿題をやっていないと言うので、宿題だった三四頁、四〇頁をやらせたのだったが、彼女もそこまでで終わってしまったのが、うーん、という感じであった。本当は除法も試験範囲に入っていたので、そちらもやらせなければならなかったのだが――一応宿題に出しはしたものの、今日だか明日だかが試験なので、そうすぐには出来ないだろう。とは言え問題はわりあいに解けていて、ミスも解法の問題と言うよりは単なる計算ミスに終始していたので、乗法は計算ミスさえしなければ多分大丈夫ではないか。累乗がよくわからないということだったのだが、問題は概ね出来ていたし、負の数で括弧の外に累乗記号がある場合と、括弧の内にある場合の違いも確認した。ノートにはそれを書いてくれた。
 以上のように、この日の授業は全体にいくらか不満の残る結果となったようである。それはそもそも、三対一という人数のシステムに、いくらか無理があるということではないかともこちらは思う。こちらの実感としてはベストな体制は生徒二人に対して講師一人だと思う。三対一でうまく回る時というのは、生徒の方がある程度自分で進められる実力を持っている、優秀な生徒の場合であって、そうでない場合――長時間相手に就いて細かな指導をしなければならない場合――だとどうもうまく回らなくなる。システム的に二対一の方がきめ細かい指導をしやすいのだが、まあ三対一の大きなシステムが変わることはないだろうから、そのなかで出来る限りうまくやっていくほかはない。
 そんなところである。終わって退勤すると、雨はほとんど止んでいて、歩いて帰るか電車を待って帰るか迷ったのだが、また降り出さないとも限らないし、電車を取って、待ち時間を携帯を使って昨日の日記を綴る時間にすることにした。それで駅に入り、ホームの木製ベンチに座って携帯を取り出し、かちかちと昨日の記憶を打ち込んでいった。そのうちに奥多摩行きがやってきたので乗り、引き続き携帯を打って、最寄り駅に着くと降車。満月が皓々と、白々と大きく照り輝いていた。いや、それはこの日ではなかったか? 前日のことだったかもしれない、何しろこの日は雨が降っていたわけだから、空には雲が掛かっていて満月など見えなかったのではないか? 記憶が不確かである。坂道に入ると、傘をひらいて木々から落ちてくる水滴を避けて進み、家路を辿った。
 帰宅。この日の帰宅後には大したことはしていない。食事を取ると疲労のためにすぐに立ち上がれず、だらだらと過ごしてしまい、九時三〇分頃になってからようやく風呂に入ったと思う。もっと遅かったかもしれない。それで風呂のあとは自室に帰って、ベッドに寝転んでしまい、そこから一時四〇分頃まで本も読まずに長く休むことになった。どうも疲労感が募っていたのだ。たかが一時限のみの労働でそうなるのだから体力がない。それで一時四五分頃に覚めて、そのまま明かりを消して就床した。


・作文
 12:50 - 14:26 = 1時間36分
 17:07 - 17:11 = 4分
 計: 1時間40分

・読書
 14:29 - 15:10 = 41分

・睡眠
 2:30 - 12:00 = 9時間30分

・音楽