2019/5/23, Thu.

 一二時起床。ベッドを抜け出しコンピューターに寄って起動させ、Twitter及びSkypeを確認してから上階へ。母親は自閉症関連の講演を聞きに出かけている。冷蔵庫を覗くとピンク色のスチーム・ケースに温野菜が仕込まれてあったので、それを電子レンジに突っ込み、二分間加熱しているあいだに便所に行って用を足した。手を洗って戻ってくると米を椀によそり、温野菜とともに卓に運んで椅子に就いた。そうして食事。新聞も読まず、テレビも点けず、晴れ晴れとした天気のなか、黙々とものを食べるあいだ、作歌の回路が駆動しかけていたが、あまりうまく形にはならなかった。温野菜は、大根・人参・アスパラガス・玉ねぎ・豚肉などだった。それに醤油を垂らしておかずにしながら白米を咀嚼した。食べ終えると卓上にあった医者の袋を掴んで、薬をなかから取り出し、水で胃のなかに流し込むと、台所に移動して、青林檎の香りのする洗剤で食器を洗った。それから浴室に行き、風呂を洗う。浴槽の外から内壁を擦り、残り湯が流れ出てしまうと浴槽内に入りこんで引き続き壁や床をブラシで擦る。全体を擦って水垢を落とすと、シャワーで洗剤を流して完了、出てくるとそのまま下階に帰った。自室の南窓に近寄ると、ふわりと心地の良い爽やかな風が入りこんでくるところだったが、窓ガラスを閉めてしまい――外では乾いた緑色の下草が風に震え、そのなかに白い蝶が一匹、飛び交っていた――、Black Sabbath『Live Evil』を前日の途中から流しだした。"Heaven And Hell"など聞いていると、やはりRonnie James Dioの声の太さ、その力強さというのは稀有のものだなという気がした。音楽の流れるなかで前日の記録を付け、この日の記事を作り、それから前日に手帳にメモした英単語などを日記に写していった。その後、コンピューターの動作速度を回復させるために再起動を施し、それからこの日の記事を書きはじめたのが一時直前である。音楽は『Live Evil』のあとに、同じくBlack Sabbathの『Mob Rules』のディスク二に収録されたライブ音源を流している。
 服を着替えた。ガンクラブ・チェックのベージュ色のズボンに、上はGlobal Workの、格子縞のカラフルなシャツである。柄物同士でどうだろうかと思ったのだが、チェックの大きさ細かさが違うので思いの外に違和感はなかった。それから上階に行って真っ赤な靴下を履き、洗面所で後頭部の寝癖を整えた。整髪ウォーターを振りかけ、洗面台に前屈みになって水も髪につけ、櫛付きのドライヤーで梳かしながら乾かした。そうして下階に戻って歯磨きをしたあと、"Heaven And Hell"が掛かっている途中だったのでそれを最後まで聞いてからコンピューターをシャットダウンし、リュックサックに仕舞った。そうして上階へ。図書館に出かけて小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』を借りたあと、立川に出て服を見るつもりだった。
 ベランダの洗濯物を取り込んで、タオルを畳むと洗面所の籠のなかに運んだ。それから足拭きマットをソファの背の上に広げて置いておき、肌着も畳んで整理しておいてから出発した。道へ出て歩き出してまもなく、瑠璃色の蝶が宙を漂っているのが見られ、その影がひらひらと地に映った。そこで忘れ物に気がついた。図書館の利用者カードである。それで道を引き返したが、その際にも瑠璃色の蝶――あれは揚羽蝶の仲間だろうか――がふわふわとこちらの脇を通り過ぎていった。自宅に戻ると玄関の鍵を開け、靴を揃えずにぞんざいに脱いで室内に上がると、自室に戻ってカードをポケットに入れ、ふたたび出発した。
 日向のなかに入るとそれだけで、早速汗の滲んでくる夏日である。坂道の入口に掛かると向かいから車がやって来た。O.Sさんだった。運転席から愛嬌良く手を振ってきたので、こちらも会釈を返してすれ違い、それから視線を落として、チェック柄のズボンの裾から覗く靴下の赤さを目にしながら上って行く。鶯の声が立った。
 午後二時半の液体じみた陽射しが首筋や頬や耳元に貼りつき、街道に出る頃には汗が湧いて、リュックサックの背負い紐の下や背中が湿っていた。通りを渡ると目の前には赤紫色の躑躅の茂みがある。もう萎れた花々は、ひとしきり燃え盛ったあとの花火の残骸めいた無残さで茂みのなかにぶら下がっていた。雀の声の立って落ちるなかを歩いていくと、肩口に掛かってくる光の重み、その感触が既に夏のものである。途上に雲はほとんどなくて、無涯の青さが東の方角のどこまでも広がっており、路傍の緑葉もてらてらと艶めいている。
 裏道は日向に隈なく覆われて、影と言って電線の細く乏しいそれや、庭木の小さな日蔭がところどころにあるのみだった。塀の影は控えめに足もとに引っ込んでいる。道の真ん中には日向を乱すものとてなく、こちらの影がそのなかで浮き彫りとなっていた。
 今日も白猫と遭遇した。家の前に停まった車の脇に体を寝かせて佇んでいた。近寄ってしゃがみ、手を差し伸べる。すると、こちらの周りをうろうろと回りながら脚やリュックサックに身をすりつけてくるのが愛らしい。その体に手をやって、くすぐるように優しく撫でてやった。うろうろしていた猫はそのうちに、車の前輪の横に座り込み、うつ伏せに身を低くして静かに止まった。体や首もとをさすっても嫌がらず、動かずにじっとしている。こちらという人間の存在に慣れてくれたのだろうか。体を撫でてやるたびに、雪をまぶされたように真っ白な体毛が幾本か身から離れて、風に乗って流れていくのだった。
 青梅駅に着くと、電車はこちらが改札をくぐって通路を行っているあいだに出てしまった。ホームに上がって二番線の方に出て、自販機に寄る。二〇〇円を投入し、一六〇円の「ソルティライチ」を購入した。それから、申し訳程度といった感じの貧しい花壇の端に腰掛けて、果物風味の飲料をいくらか飲んだ。そうして携帯を取り出し、線路を挟んで向かいの校庭で小学生たちが体育の授業で歓声を上げているなか、日記を書きはじめたのだが、視界に混ざる明るみのために画面が見えづらかったので、駅員室の屋根の下に移った。まもなく電車がやって来た。二号車の三人掛けに乗りこみ、引き続き携帯を操って日記を書いた。発車してからも周りの様子や窓外の風景にも目をくれず、携帯の画面に視線を落として固着させ、かちかちと操作し続けた。
 河辺に着くと降車して、駅を抜けると、駅舎を出てすぐのベンチに帽子を被った婦人が二人、ペットボトルの飲み物を手に持ちながら笑い合っていた。陽射しのなか歩廊を渡って図書館へ。入館するとかつかつとフロアを歩き、CDの新着棚を見分した。以前にも見かけた覚えがあるが、Jesse Harrisの作品などが見られた。それから邦楽の棚のあいだに入り、椎名林檎東京事変のアルバムを確認した。Skype上での通話でAさんが東京事変椎名林檎の音楽を軽音楽部で演じていると聞いて、懐かしくなったのだった。こちらも大学時代に演じた"林檎の唄"などが入っているのは東京事変の『教育』というアルバムだったが、これは彼らのファースト・アルバムだっただろうか? この時はしかし、作品があることだけ確認して借りはせずに、棚のあいだから出て上階に行った。新着図書を見分すると、小林康夫中島隆博の『日本を解き放つ』がちょうどあったので、手もとに保持し、そうしてフロアを渡って日本文学の棚のあいだに入った。皆川博子山尾悠子の所在を見ておこうと思ったのだ。皆川博子は作家の個人欄も設けられて非常にたくさんの著作が並んでいたが、山尾悠子は何と一冊も見当たらなかった。「や」の区画を見ていると、山岡ミヤ『光点』が目に留まった。蓮實重彦が評価しているということを聞いて気になっていた作品である。ここで目に留まったのも縁というわけでそれも借りることにして、さらにあと一冊、海外文学を借りようと考えてそちらの区画に移った。そうして見分しながら、著者の名前は忘れたけれど『最初の物語』というブラジル文学の一冊か、あるいはロベルト・ボラーニョを借りるかそれともソローキンかと迷った結果、ルイジ・ピランデッロ『カオス・シチリア物語』に決めた。これも前々から読んでみたいと目をつけていた短篇集だった。
 そうして貸出機で手続きをしたあと、トイレに入って用を足してから退館した。陽射しのなか、歩廊を渡っていると、駅に向かってオレンジ色の蛇のような龍のような電車が入線してくるのが見えた。駅舎に入り、改札を通って、降りてきた人々とすれ違いながらエスカレーターを下り、二号車の三人掛けの位置に立った。隣の婦人は立ったままおにぎりをぱくついていた。こちらは携帯を取り出してふたたびかちかちとやりだし、まもなく電車が来ると三人掛けに入って引き続き日記を記した。拝島あたりで視線を上げて左方を見ると、向こうの七人掛けの真ん中に腰掛けた若い男性が、これでもかというほどに前屈みになりながら携帯を覗き込んでおり、杭のように突き出した頭の、やや丸みを帯びた髪型のせいもあって、座席から茸が生え伸びているように映った。
 立川に着くと人々が降りていくなか、こちらはまだしばらく留まって携帯を操作し、しばらくして階段口から人々がいなくなると降り、スイッチを押して電車の扉を閉めておき、そうしてから階段を上った。改札を抜けて右方へ折れ、LUMINE立川に向かう途中、待ち合わせスポットである通称「壁画前」にて、二人の女性が近づき向かい合って、お疲れ様と言い合っていた。LUMINEに入り、エスカレーターを上った。途中でキャリーバッグに凭れ掛かるようにしながら老婆が乗ってきて、やや前屈みに背を丸めてのろのろと動くその姿を、大丈夫だろうかと思いながら見守った。六階で降りると、UNITED ARROS green label relaxingの店舗に入った。今履いているガンクラブ・チェックのズボンに合うシャツが何か一、二枚欲しかった。それで店内を見回っていると、店員の一人から、是非お羽織りになってみてくださいと声を掛けられた。以前応対をしてくれた短髪の、黒い髭を少々生やした店員は今日はいないようだった。それで気に掛かった品物の目星をつけて、五枚を持って先ほどの店員に近寄り、試着よろしいですかと許可を取った。選んだのは深いブルーのフレンチ・リネンのもの、同じくブルーの襟無しのもの、同様に襟無しのターコイズ・グリーンの軽めのさらさらとしたシャツ、モカでチェック柄のトラディショナルな雰囲気のシャツ、それに薄オレンジ色のものの五点だった。試着室に入ってそれらを身につけてみたが、やはり襟があったタイプのもののほうが自分には似合うのではないかと思われた。モカのチェック柄のもパンツの雰囲気と調和して悪くはないが、最終的にはオレンジ色のものか深いブルーのリネンのシャツか、というところまで絞られた。そこでカーテンを開けて店員に、ブルーのものを身につけた姿を見てもらい、オレンジとブルーと、このパンツと合わせるならどちらがいいですかねと尋ねると、ブルーですねと即答があった。こちらもどちらかと言えばブルーの方が良いように思っていた。薄オレンジのものは長袖だったし――ブルーのシャツは七分丈である――色味が中途半端なように思われていたのだ。それでブルーを買うことに決め、さらに、もう一点、いいですかと店員に申し出て、鮮やかなオレンジ色のスリム・パンツを試着することにした。Mサイズを履いてみるとぴったりで、丈がやや短いように見えたが、カーテンを開けると店員は、めっちゃいいですね、めっちゃお洒落ですよと言った。ブルーとオレンジの組み合わせは確かに色鮮やかだった。丈に関しては、九分丈程度で作られているらしかった。色味が気に入ったので、こちらの品もほいほいと購入してしまうことに決めて、元の格好に戻って試着室を出た。カバー・ソックスというものはお持ちですかと店員が尋ねてきた。いや、持っていないですねと言うと、丈の非常に短いもので、ほとんど素足に見えるもので、先ほどのパンツに合わせるのだったら、長い靴下よりもそうしたソックスにして涼しげに演出した方が良いとの説明があった。それで紹介されたそれも、店員の勧めにほいほいと嵌まってしまうけれど買うことにして追加し、三点を持って会計に向かった。合計で一六五二四円である。会計を済ませて深緑色の不織布の袋を受け取り、店をあとにした。これで目的は果たしたはずなのだが、何となく、続けてFREAK'S STOREに足が向いた。しかし、先日応対してくれたTさんという店員はいないようだった。店内を一通り見て回り、退店すると、さらにtk TAKEO KIKUCHIにも足を向けた。入って見ていると、真ん中から分けた茶髪をふわりと額の上に浮かばせた、爽やかげな兄ちゃんといった感じの若い男性店員が声を掛けてきた。たくさん買われたんですか、とUNITED ARROWSの袋を示して言うので、今日はもう買っちゃって、と笑った。ほかに何かほしいものがあるんですかと訊くのには、何か良いものがあればと答えて、Tシャツでお勧めなどありますかと尋ねた。Tシャツは昔は着ていたけれど、今は一枚も持っていないので、そろそろ暑い夏でもあるし、手に入れておきたいような気がしていたのだ。店員は店内を回りながらいくつか紹介してくれた。それで、Tシャツの試着というのは出来ないものだと思っていたのだが、尋ねてみると可能だということだったので、そのなかから三点選んで試着室に入った。一つはグラフィティと言おうか、抽象画めいた、結構パンチの利いたデジタル的な絵柄の入っている白シャツ、もう一つはフィンセント・ヴァン・ゴッホの「ひまわり」の絵がプリントされたやはり白のシャツ、もう一枚は橙褐色で幾何学的な図柄の入ったものだった。それでそれぞれ着てみたのだが、どのアイテムも、ガンクラブ・チェックのパンツに思いの外によく合った。特に、抽象画めいた柄が思ったよりもガチャガチャとぶつからず、結構格好良く決まっているように思われた。店員にも見てもらって、好評を獲得したあと、金をぽいぽいと捨てるように使ってしまうことになるが、抽象画めいた絵柄のシャツと、橙褐色のシャツの二点を買うことにして、店員にそのように申し出た。そうして会計、二点で一二四二〇円である。爽やかげな店員の、左右に動きながらレジを叩く動きは軽快だった。
 散財、どうにも散財、またしても散財、それにしても散財! 店舗の出口まで見送ってくれた店員は、自分の子供に言及するように、たくさん使ってあげてくださいと言った。ありがとうございましたと礼を交わして退店すると、エスカレーターに乗って下階に下りた。LUMINEから出ると、人波のあいだを縫って北口広場に出て、そこから通路を辿ってエスカレーターを下りた。通りに立っている居酒屋の客引きが、DIESELのTシャツを身につけていた。PRONTOに入店し、カウンターの向こうの女性店員に会釈をして通り過ぎると、階段を上った。カウンター席が空いていたので、その端に入ることにして、衣服の入った袋二つとリュックサックを椅子の上に置き、財布を持って下階に下りた。店員は若い男性に替わったところだった。彼にアイスココアのMサイズ(三三〇円)を注文し、深緑色のトレイに乗った品物を受け取ると上階に戻り、カウンター席に腰掛けた。ストローを紙袋から取り出し、ココアの上に乗った生クリームを突き崩して褐色の液体のなかに混ぜ、一口二口啜ってからコンピューターを取り出した。起動を待ち、Evernoteを立ち上げ、五時九分から日記を書きはじめた。ソウルやエレクトロニカ風の音楽が頭上から流れるなか、打鍵を続けておよそ一時間、六時を回って現在時に追いついた。
 コンピューターをシャットダウンして閉ざすと、席を立ってトイレに行った。鏡を見ながら個室に入り、放尿したあとペーパーで便器を拭いておき、水を流してから手を洗った。ハンカチを使わずこちらも備え付けのペーパーで水気を拭い、室を出てくると席に戻って荷物を片付けた。リュックサックを背負って腕時計をつけている途中に、女性店員が、そちらお下げしますねと声を掛けてきたので、礼を言いながらトレイを渡した。そうして席を離れ、厨房の横から顔を出してもう一度礼を言ってくれた女性店員に、こちらもありがとうございましたと返して階段を下り、カウンターの向こうの女性店員に会釈して退店した。まだまだ明るい初夏の暮れだった。ラーメンを食って帰ろうかと思っていたが、通りに出てみると、甘いココアを飲んだためだろうかそれほど腹が減っていないことに気づいたので、ラーメン屋には寄らずにそのまま帰ることにした。エスカレーターに乗って見上げると、空は宵の前の薄青さに晴れており、LUMINEの正面が薄陽を掛けられて仄かに明るんでおり、その陽は駅前広場に立つアーチ型の赤い巨柱をも光らせていた。高架歩廊に出て右方を見やると、高層ビルの側面にも淡いオレンジ色が貼られていて、涼しい風が横から流れて今まさに日が暮れていくところだった。
 人波のなかを縫って改札をくぐり、直近の電車は五番線だが、ゆっくり座って帰ろうということで二番線に下りた。青梅行きは既に到着していた。一号車に乗ったけれど、座席の端は早くもすべて埋まっていたので、七人掛けの真ん中あたりに腰を掛けた。二つのアパレル・ショップの袋は頭上の網棚に載せた。日記を書いてからまだ時間が経っておらず、携帯でメモするまでもなかったので、代わりに手帳を取り出して書いてあることを復習しはじめた。じきに電車は発車した。西立川で何やらピーピーと電子音が鳴り響き、電車が長く停まっているなと思っていると、停止信号が出たとのことだった。あとでアナウンスがあったところでは、倒れた乗客が出て、その救護をしていたらしい。その後は問題なく電車は運行して、乗っているあいだに外の空気は勿忘草の色に沈んでいった。手帳を読んでいるうちに青梅に到着し、しばらく待ってから降りると奥多摩行きに乗り換えて、扉際に立ってふたたび手帳に目を落とした。最寄り駅まで乗って降りると時刻は七時二〇分、ホームには細かな羽虫が群れて電灯の周りを飛び回っており、あたりからは無機質な虫の音も響いて、空は宵の青味に浸されていた。階段通路の電灯にも虫が群がって空中を埋めており、通っているとそのうちの何匹かが顔に当たってきた。駅舎を抜けると坂道に入り、虫の音の湧くなかを下りていって、平らな道に出た。すると前方に歩く人があって、その姿が黒い影となって道の上に浮かび、揺れていた。電灯の下に来ると朧気に、ジャージを着ているらしく見えて、夕刻のウォーキングに励む中年男性の像と思われた。そのあとから歩いていくと、こちらの影が前方に長く伸びて巨人と化したあとにうっすらと褪せて消えていく。途中、道の脇から木立が張り出して宙に葉っぱを掛けているところがあった。それを避けて通り過ぎると今度は梅の木があるが、それも青々と茂って量感豊かに梢を膨らませていた。
 帰宅すると母親に、服を買った、と告げた。シャツが欲しかっただけなのだがいつの間にかほかのものも買っていたと言い訳し、下階に下りるとコンピューターを自室の机上に据え、街着を脱いでズボンは収納に吊るしておき、ジャージに着替えた。Twitterに今日の日記の一部と、またしても散財したという報告を呟いておき、Skypeの方も確認すると食事を取りに上階に行った。母親は自閉症関連の講演を聞いたあと、M田さんと行き会って昭島に行ったと話した。M田さんはBAKEというメーカーのチーズタルトをくれたらしい。また、母親は駄菓子を色々と買ってきたと言った。そうしてこちらは台所に入り、アスパラガスの肉巻きとモヤシの炒め物をよそって電子レンジに突っ込み、そのほか米やサラダを用意して卓に運んだ。大根の味噌汁もよそって同様にレンジで加熱して、用意が整うと椅子に座って食事を始めた。テレビに気を散らされながら新聞をめくり、米アラバマ州で妊娠中絶の厳格な規制法が制定されて論議を呼んでいるという記事を漫然と読んだ。性的暴行を受けていわゆる「望まない妊娠」をしたケースでも中絶が認められてないというのは行き過ぎではないかという意見が、共和党の保守派からも上がっているらしかった。余っていた「ソルティライチ」を飲みながら食事を終えると、薬を服用して食器を洗い、ソファに座って母親の買ってきた駄菓子――ヤングドーナツなど――をちょっと食ったあと、風呂に行った。温冷浴を行ってすぐに上がってくると、下階に戻って窓を閉め、音楽を掛けながら――Black Sabbath『Mob Rules』(Disc 2)の終盤からだ――買ってきた服を袋から取り出し、タグを切り取って押入れのなかの収納スペースに掛けていった。そうして整理が終わると、九時直前からFISHMANS『Oh! Mountain』とともに日記を書きはじめた。
 三〇分弱で記述を現在のことに追いつかせると、ベッドに移って読書を始めた。Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionである。例によってたくさんの英単語を辞書で調べ、手帳にメモしながら二時間強読み進めて、一四頁ほどを通過した。読む速さは問題でないとは言っても、やはりもう少しスピードを上げたいものである。二時間で一五頁ほどだから、日本語の本を読んでいる時の半分以下のスピードだと思われる。
 その後、コンピューターに寄って、Mさんのブログを久しぶりに読んだ。離れているあいだにいつの間にか大層日にちが経っていて、五月一一日の分から読んでいなかった。悩み相談を受けたあとにKさんの頭を「くしゃくしゃくしゃ」と撫でてあげているあたり、Mさんの無自覚なライトノベルの主人公ぶりがまた発揮されている。しかし、そうした茶化しは別としても、非常に良い関係を彼女とは築けているようで、素晴らしいと思う。読書の終盤や、Mさんの日記を読んでいるあいだは、ヘッドフォンでBlankey Jet City『Live!!!』を聞いていた。冒頭、"絶望という名の地下鉄"中の一節、「地下鉄の片隅にたむろしているのは/ローラーを履いた新しいスタイルの不良グループ/後ろからハンドバッグをひったくる/近づく時の音を消す為に奴等は高級な油を使う」という文言――特に「高級な油を使う」のくだり――はなかなか凄いな、格好良いなと思われた。五月一四日の記事まで読むと時刻は零時二〇分、Skype上に誰かいますかと投げかけると、AさんやBさんからの反応があった。いつもの面子というわけだ。それで、そろそろ始めましょうかと言いながらこちらはコンピューターを持って隣室に移動した。ベッドの上に乗り、ギターを弄りながら長くチャットでやりとりしていると、一時半前に通話が始まった。こちらの画面では、通話ボタンが押せなくなっており、そこにマウスのポイントを持っていくと「このグループは通話するには大きすぎます」との文言が表示されるようになっていたのだが、ほかの人は問題なく発信できるらしい。そして、誰かほかの人から発信してもらえれば、こちらも通話に参加できるようだった。
 そういうわけで参加したのだが、SKさんという新しい方が今宵は顔を見せていた。BさんがTwitterで絡んだことのある人で、彼女が紹介して連れてきたらしい。SKさんは神奈川県住まい、理系学部の大学四年生で、今は就活に追われているところだと言う。専門はパソコン関連と言っていたが、やはり門外漢であるこちらにはよくもわからない。本を読みはじめたのは大学に入ってからで、伊藤計劃の『虐殺器官』だか『ハーモニー』だかを読んで、読書の面白さに開眼したらしかった。好きな本を訊くと、そのほか、シェイクスピアの『十二夜』も面白かったという返答があった。『十二夜』はこちらはずっと昔に読んだのだが、もうほとんど何も覚えていない。SKさんは『マクベス』なども含めてシェイクスピアは大方読んだらしい。それを受けてこちらは、『マクベス』はちょうど昨日の日記に引用したわ、と笑った。どうせなのでもう一度ここに引用しておく。

マクベス あれも、いつかは死なねばならなかったのだ、一度は来ると思っていた、そういう知らせを聞くときが。あすが来、あすが去り、そしてまたあすが、こうして一日一日と小きざみに、時の階[きざはし]を滑り落ちて行く、この世の終りに辿り着くまで。いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照らしてきたのだ。消えろ、消えろ、つかの間の燈し火! 人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ。
 (シェイクスピア福田恆存訳『マクベス新潮文庫、1969年、125~126; 5-5)

 福田恆存の訳で読んだとこちらが言うと、SKさんは、福田恆存の訳はあまり頭に入ってこないように感じられて、ほかの訳にしてしまったと言った。結構格調高いんじゃないですかねとこちらは受けて、でも、福田恆存の『老人と海』の訳は駄目だった、全然駄目だったと偉そうに上から目線で手厳しく批判した。
 SKさんはAさんに色々と話を聞いており、自分からどんどん質問をしてくれ、こちらから話を振らなくとも色々と喋ってくれたので、こちらとしては楽だった――と言って、いつも充分に「進行役」の務めを果たせているわけではないけれど――。彼はAさんに、SFで読んでおいた方が良いものとかありますかと尋ね、Aさんはそれに対して、以前から聞いている名前だが、飛浩隆という名を挙げていた。どういう作風なのかとSKさんが尋ねるのに彼女は、音楽みたいな小説で、と答えた。文章表現が非常に綺麗で、無駄なく作り込まれているのだと言う。こちらもそのあたりはいずれ読んでみたいところだ。
 こちらの日記の紹介もなされた。自分は日記を書いていて、それは朝起きた時から夜眠る時までのことを順番につらつらと書いたもので、と説明していると、Aさんが綺麗な文章で、と推してくれた。Bさんもチャット上で、「平安貴族官僚の日々の記録かって位、詳細です。Fさんの日記」と言ったが、こちらは平安貴族の連中よりも生を詳細に書いている自信がある。彼らはいつトイレに行ったかなどということはまったく書かなかったはずだ――まあそんなこと、書く必要はないのだけれど。
 そのほかにどんなことを話したのか、全然覚えていない。いや、一つ覚えていることがあった。アニメーションの話で、SKさんは結構アニメも好きでよく見るらしかった。京都アニメーション山田尚子監督作品、『聲の形』などを見て、さらにネット上での色々な演出方法などについての考察なども閲覧して、それでこんなに細かく作り込んでいるものなのかと驚き、そこから嵌まっていったのだと言う。こちらは彼に対して、『リズと青い鳥』は見ましたかと投げかけると、当然見たと言って、彼はあの作り込みは凄い、最高っすねというようなことを語った。こちらはアニメはあまり見ないのだが、『リズと青い鳥』と、先般公開された『響け! ユーフォニアム 誓いのフィナーレ』だけは見に行ったと名前を挙げた。どうでしたかと訊かれたので、『誓いのフィナーレ』のなかでは、黄前久美子と高坂玲奈が丘の上の東屋みたいな場所で二人で蜜柑飴を食べさせ合うシーンが一番印象に残ったと応じた。細かいことは以前の日記にも書いたので繰り返さないが、親友以上性愛未満といったところの、思春期の同性愛的な感情の繊細さがよく描かれているように思われたのだった。『リズと青い鳥』に関しては、二〇一八年九月一七日の日記から、長々と要約的な感想を引用しておく。この頃はまだ鬱病の圏域にあって、頭もそんなに働いていなかったように思うのだが、今読み返してみると思いの外に、そこそこ分析的に書けているように思う。

 そうして『リズと青い鳥』が始まった。音が良かった、というのは上映後に皆が一致して口にしていた評価だ。冒頭、鎧塚みぞれがまず登場して、物思いや躊躇いを含むような歩調を見せたあと、次に誰なのかわからない無名の女子生徒が通り過ぎて行き、最後に傘木希美が現れてまっすぐな足取りで歩いて行く、その三者それぞれの足音に既に、性格造形をも担った細かな差異がはらまれていた。その他、こちらが生々しくて良かったと思うサウンドは、序盤の音楽室で椅子に座った傘木希美が鎧塚みぞれに近づく時の、椅子と譜面台の足が床を打つ連打の音、バスケットボールが体育館の床に打ちつけられる音、水道から流れ出た水が流しに落ちて当たる音などだが、こうして並べてみるとどれも「打音」に属するものである。シーンとして最も印象に残っているのは、フルートに反射した光の演出だろう。理科室にいる鎧塚みぞれと、そこから見える教室にいる傘木希美とのあいだで、窓越しに身振りによる無言のやりとりが交わされ、傘木希美の持っているフルートに反射した光の玉が偶然、鎧塚みぞれの身体の上で戯れる、という場面である。あとで聞いたところ、T谷もここが最も良いシーンだったという評価だったようで、こちらはあまり注目していなかったが、彼が言うにはこの作品は「窓」を利用した演出が多用されていたと言い、窓ガラスをあいだに挟んだ描写などは、鎧塚みぞれと傘木希美のあいだにある壁を表すことになる。二人の関係性には常にすれ違いや齟齬が含まれているわけだが(鎧塚みぞれは傘木希美に対して同性愛的な強い思いを抱いているが、それが傘木希美に受け止められることはない。また、作中でコンクールの自由曲として演じられる"リズと青い鳥"は、第三楽章のフルート(傘木希美)とオーボエ(鎧塚みぞれ)の掛け合いが一番の勘所とされているが、そこでの二人の演奏はうまく相応しない。終盤では、鎧塚みぞれの才能を目の当たりにした傘木希美は、彼女との差を思い知って涙することになる)、先のフルートに反射する光のシーンでは、こちらは注視していなかったものの、T谷が言うところ彼女らのあいだに挟まった窓がひらいていたらしく、とするとここは常にすれ違い続ける二人が唯一、屈託なく感情を通わせた特権的な瞬間として描かれていることになる(のちのイタリア料理店での会話の際には、こちらはそれを「ユートピア的な」瞬間という言葉で形容した)。ほか、一般的なクライマックスとして捉えられただろう場面は、終盤の合奏で、鎧塚みぞれが迷いを捨ててそれまでうまく演じられなかったオーボエのソロを朗々と吹き上げるところで、Tはここでのオーボエの音に涙したと言っていた。楽曲 "リズと青い鳥"の原作である童話は、「一人ぼっちで」森に住むリズという少女のもとに、ある日突然青い髪の少女が現れるという物語である。その少女の正体は青い鳥で、リズは少女と暮らしを共にして心を通わせながらも、自分の「愛」が彼女を縛っているのだという考えに達し、大空に自由に羽ばたくようにと鳥を逃がすことになる。当初、物語中のリズは鎧塚みぞれと、青い鳥である少女は傘木希美と重ね合わされており(中学時代に「一人ぼっち」だった鎧塚みぞれの前に、傘木希美が「突然」現れて、吹奏楽部に入部するよう誘ったという経緯がある)、傘木希美を愛する鎧塚みぞれは、自ら好きな相手を解放して自分の前から離してしまうリズの心情が理解できず、第三楽章のオーボエのソロをうまく吹くことができない。その迷妄を解消したのは、鎧塚みぞれに音大進学を薦めた新山先生という女性教師で、彼女が鎧塚みぞれに、自分がリズではなく青い鳥だったとしたらどう思うかとヒントを与え、鎧塚みぞれは、青い鳥はリズを愛していたからこそ別れを受け入れたのだという答えに至る。この教師の導きによって、リズ=鎧塚みぞれ、青い鳥=傘木希美だった見立ての構図が反転することになるわけだが(童話中の「リズ」と「青い鳥」が本田望結という一人の女優によって演じ分けられているのは、二者関係の反転/交換可能性を示しているのではないか)、同じ頃、傘木希美もこの反転に気づくことになる。傘木希美は、鎧塚みぞれの薦められた音大に自分も行こうかなと口にしていたが、高坂麗奈(トランペット)と黄前久美子ユーフォニアム)という後輩二人(本篇の『響け!ユーフォニアム』では、彼女らが中心的な主人公になっているらしい)が、傘木希美らの演じるはずの"リズと青い鳥"第三楽章を、独自に演奏しているのを聞き、目撃したことで、「私、本当に音大に行きたいのかな?」と自分の選択に疑念を抱く。そこで、彼女も自分たち二人の関係性が、それまでの見立てとは逆であることに気づく――と言うのは、自分の存在が鎧塚みぞれを束縛しているのだと気づくということだろう――わけだが、この関係の「反転」は一方では「教師」によって、もう一方では「後輩」によって導入されているわけだ。迷いを振り切った鎧塚みぞれの演奏を耳にした傘木希美は、自分が今まで彼女の才能/可能性を制限していたのだと痛感し、合奏の途中で泣き出し、フルートを吹くことができなくなってしまう。その後に、理科室での、言わば「告白」のシーンである(理科室は、鎧塚みぞれの「居場所」である。彼女はそこで、水槽に飼われたフグをぼんやりと眺めながら、過去の記憶を回想したりするのだが、そこに新山先生が現れるのに、彼女は「どうしてここがわかったんですか」と口にする。したがって理科室は鎧塚みぞれにとって「一人になれる場所」であり、一種の「逃避」の場であるのかもしれず、イタリア料理店での会話の時には、少々大袈裟な言葉だったが、こちらはそれを「サンクチュアリ」のような場所と呼んだ(ちなみに、先の「ユートピア的な」シーンでの傘木希美とのやりとりは、この理科室とのあいだでなされている))。自分が今まで鎧塚みぞれの才能を阻害していたのだということをまくし立て、「みぞれは、ずるいよ」と口にする傘木希美を遮って、鎧塚みぞれは「大好きのハグ」(中学時代に彼女らの周りで流行っていた慣習)をしながら、傘木希美が自分のすべてなのだということを「告白」する。「希美の~~が好き」と四つくらい並べるなかに、「足音」が含まれていたのが冒頭以来の演出と合わせてこちらとしては印象的だが、それに対して傘木希美は、「みぞれのオーボエが好き」と返して、その後、身体を折り曲げて姿勢を前に崩しながら大きく笑い声を上げる(この笑いの意味はあまり判然としない)。このシーンは、鎧塚みぞれの感情が傘木希美によってともかくもようやく受け止められた場面、終盤のクライマックスなのだろうが、鎧塚みぞれにとって傘木希美がまさしく「すべて」である、つまりは全的な愛の対象であるのに対して、傘木希美が「みぞれのオーボエが好き」とただ一つの要素を返すのに留まったのは、彼女にとって鎧塚みぞれはあくまで音楽的な才能を尊敬する対象であるに留まるということなのかもしれない。とすればこの場面は、「告白」の「成就」と言うよりもむしろ、(語の意味がやや強すぎて、少々ずれてくるが)ある種の「決別」の場面であるのかもしれず、ここに至っても二人の関係は、それまでとは違った形ですれ違い続けている。実際、傘木希美は音大選択を取り止め、普通大学への進学を目指して勉強しはじめるわけで、彼女らの進路は分かれるのだが、しかしそれがこの二人の関係の収まり方だということなのだろう。二人が下校する結びの場面の確か直前に、紙の上に滲んだような赤と青の色彩が互いに浸潤し合うというカットがあったのは、二者の関係が一つの「和解」(と言うとまた言葉の意味が少々ずれてはいるのだが)に至ったということを示しているはずだ(赤は鎧塚みぞれの瞳の色であり、青は傘木希美のそれである)。そして、真っ暗な背景の上に記された「disjoint」の文字(既に冒頭に登場していた)が「joint」に変更されて『リズと青い鳥』は終わりを告げることとなる。

 この日の通話についてはそんなところで良いだろう。いつものようにだらだらと、ゆるゆると話し続けて、夜も深まり白白明けも近づいた三時半前に通話は終了した。途中から、コンピューターのバッテリーが落ちそうだったので電源コードを隣室に持ってきていたこちらは、眠っている両親を慮ってあまり音を立てないように、自室に移動し、コンピューターを電源に繋いで机上に据え直した。そうして八時一五分のアラームを携帯で設定し、すぐに明かりを落として就床した。


・作文
 12:57 - 13:40 = 43分
 17:09 - 18:05 = 56分
 20:54 - 21:20 = 26分
 計: 2時間5分

・読書
 21:26 - 23:37 = 2時間11分
 23:40 - 24:19 = 39分
 計: 2時間50分

  • Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introduction: 14 - 27
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-05-11「中世の面影はなし大都市の汚水に浮かぶオフェリアの影」; 2019-05-12「覚めぎわの汽水に溺れるわたしが知りたいこととそうでないこと」; 2019-5-13「冬眠をするならここがいいと言う日当たりよしの静かな墓場」; 2019-05-14「焦げついたパイプを捨てるまさか先生と呼ばれる日が来るなんて」

・睡眠
 2:40 - 12:00 = 9時間20分

・音楽