2019/5/29, Wed.

 七時一五分のアラームの甲斐もなく、一〇時四〇分まで眠りこける。雨が降るという予報を聞いていたが、ベッドの端には薄陽が入り込んで宿り温もっていて、空を見上げれば確かに雲が多く掛かってはいるものの、青味もうっすらと見て取れた。起き上がって上階に行くと、母親は今日も不在である。何の用事だったか、書き置きに書いてあったと思うのだが、もう忘れてしまった。唐揚げとおにぎりがあると書かれてあったので冷蔵庫を覗き、それぞれ取り出して、まず唐揚げを電子レンジに突っ込んだ。一分半温めているあいだに便所に行き、黄色い尿を放出してから戻ってきて、次におにぎりも温めて卓に就いた。新聞で、登戸の通り魔事件についての報を一面から読みながら、ものを食べる。とんでもない事件が起こってしまった、という感慨を得ずにはいられない。食べ終えるとさっと皿を洗い、それから抗鬱剤と風邪薬を飲んでおいて、下階に戻った。コンピューターを起動させ、日記を書きはじめたのが一一時一三分だった。FISHMANS『Oh! Mountain』を途中から流しだして、ここまで綴ると一一時三五分になっている。
 前日の記事をブログに投稿し、Twitterに日付とURLだけの簡素な投稿通知を流しておいたあと、さらにnoteの方にも日記を放流した。それから上階へ行く。母親は帰ってきていた。散髪に行っていたらしい。風呂を洗おうと風呂場へ行くと、湯が結構残っており、その旨台所の母親に知らせると、浴室までやって来て浴槽のなかを覗いた母親は、洗うかどうかはこちらに任せると言った。それで、面倒臭いので洗わないこととして、洗濯機に繋がった汲み出しポンプのみ水のなかから取り出してバケツに入れておき、ゴム靴を脱いで浴室から出ると、靴も同じバケツのなかに入れておいた。それから居間でアイロン掛けを行った。その背後で母親は、冷やし中華ならぬ冷やし素麺を食べていた。こちらの分もあとで出勤前に食べるようにと用意してくれたようだった。
 自室へ下がってベッドに乗り、読書を始めた。Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionである。しかし性懲りもなく、またもやいつものように眠気に刺されて、一時間半くらいはクッションに寄りかかりながら意識の曖昧な時間が続いたのではないか。その頃には陽は薄れて、空は全面真っ白になっていた。意識がようやくはっきりしてくると、Zionismを五頁ほど読み、それから『岩田宏詩集成』に移行した。「ショパン」という端的な題名の作の、最終第八章「モスクワの雪とエジプトの砂」は、改めて読んでみても全篇素晴らしいので、長くなるがここに引用しておこう。

 どんなにあなたが絶望をかさねても
 どんなに尨大な希望がきらめいても
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は……
 どんな小鳥が どんなトカゲや鳩が
 廃墟にささやかな住居をつくっても
 どんな旗が俄かに高々とひるがえっても
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は……
 あやまちを物指としてあやまちを測る
 それが人間ひとりひとりの あなたの智恵だ
 モスクワには雪がふる エジプトの砂が焼ける
 港を出る船はふたたび港に入るだろうか
 船は積荷をおろす ボーキサイト
 硫黄を ウラニウムを ミサイルを
 仲仕たちは風の匂いと賃金を受け取る
 港から空へ 空から山へ 地下鉄へ 湖へ
 生き残った人たちの悲しい報告が伝わる
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は!
 ふたたび戦争 かさねて戦争 又しても戦争
 この火事と憲法 拡声器と権力の長さを
 あなたはどんな方法で測るのですか
 銀行家は分厚い刷りもののページを繰る
 経営者はふるえる指で電話のダイヤルをまわす
 警官はやにわに駆け寄り棍棒をふりおろす
 政治家は車を下りて灰皿に灰をおとす
 そのときあなたは裏町を歩いているだろう
 天気はきのうのつづき あなたの心もきのうそのまま
 俄かに晴れもせず 雨もふらないだろう
 恋人たちは相変わらず人目を避け
 白い商売人や黒い野心家が
 せわしげに行き来するだろう
 そのときピアノの
 音が流れてくるのを
 あなたはふしぎに思いますか
 裏庭の
 瓦礫のなかに
 だれかが捨てていったピアノ
 そのまわりをかこむ若者たち
 かれらの髪はよごれ 頬骨は高く
 肘には擦り傷 靴には泥
 わずかに耳だけが寒さに赤い
 あなたはかれらに近寄り
 とつぜん親しい顔を見分けるだろう
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は
 けれどもかれらが耳かたむける音楽は
 百五十年の昔に生れた男がつくった
 その男同様 かれらの血管には紛れもない血が流れ
 モスクワの雪と
 エジプトの砂が
 かれらの夢なのだ そしてほかならぬその夢のために
 かれらは不信と絶望と倦怠の世界をこわそうとする
 してみればあなたはかれらの友だちではないのですか
 街角を誰かが走って行く
 いちばん若い伝令がわたしたちに伝える
 この世界はすこしもすこしも変っていないと
 だが
 みじかい音楽のために
 わたしたちの心は鼓動をとりもどすと
 この地球では
 足よりも手よりも先に
 心が踊り始めるのがならわしだ
 伝令は走り去った
 過去の軍勢が押し寄せてくる
 いっぽんの
 攻撃の指が
 ピアノの鍵盤にふれ
 あなたはピアノを囲む円陣に加わる。
 (『岩田宏詩集成』書肆山田、二〇一四年、170~175; 「ショパン」; 「8 モスクワの雪とエジプトの砂」; 『頭脳の戦争』より)

 四時で読書を切り上げた。上階へ。母親はふたたび出かけていた。Eさんと会っているようで、映画を見てくるとのメールが入っていた。冷蔵庫から冷やし中華ならぬ冷やし素麺を取り出し、皿に盛られた白い素麺や、昨日のワカメサラダの残りや、人参や細切りにしたハムの上に薄味のつゆを掛けた。そうして山葵を混ぜながら喰らうと、皿を洗い、甘い風味の白い風邪薬を三錠飲んでおいた。そうして下階に戻り、コンピューターの前に就いてSkypeを見ると、今日は水曜日でCさんやAさんが休みだからだろう、昼間にも関わらず通話が成されていたので、歯ブラシを咥えてきてからチャットで参加した。話しているのはYさん、Cさん、Aさんだった。歯を磨きながらチャットで会話し、口を濯いできたあとは仕事着に着替え、ベスト姿になるとちょっと髪を整えてきますと発言をチャット上に残して上階に行った。靴下を履き、洗面所に入って後頭部に整髪ウォーターを振りかけ、櫛付きのドライヤーで乾かすと戻って、マイクのミュートを解除し、音声通話に参加した。そうして、Cさんが働いているドラッグストアの話などを聞いた。彼は今、正確な名称は知らないが、薬剤師のドラッグストア版のような資格を取ろうと取り組んでいるらしく、それが取れたら責任者になれるとのことだった。そこで、責任者になれたらどんなドラッグストアを作りたいですかとAさんが尋ねたのに対して、老人客などを囲い込んでリピーターとして利益を生み出すシステムを構築したいみたいなことを、冗談だろうがCさんは答えていたので笑った。彼の働くストアでは、時折り風邪薬などを大量に購入していく人がいると言った。きっとオーバー・ドーズしてトリップ――までは行かないかもしれないが――しようという目的の客なのだろう。本来はそういう客には販売を自粛しないといけないのだが、そのあたりグレー・ゾーンでまかり通っているということだった。
 年齢の話にもなった。こちらとCさんはどちらも二九歳、Yさんが九二年生まれの二六歳で、Aさんはぐっと下がって一九歳である。となるとAさんはちょうど二〇〇〇年あたりの生まれということになるのだが、そう考えると実に若いなという感じがする。こちらで言うと、三九歳の人間を話しているのと同じことかとYさんが言ったが、しかしまあ一九と二九の一〇年差と、二九と三九の一〇年差だと質が違うような気もしないでもない。そこからこちらは、職場にも六五歳の人がいるのだけれど、年齢など関係ないなと思う一方で、六五歳と言うとこちらよりも三六年ほど長く生きているわけで、それだけの時間の蓄積の差があるというのは凄いなと思う、と述べた。それで言ったら隣家の老婆などもう九八歳なのだから、こちらとは生の時間に七〇年ものひらきがあるわけだ、それは一体どういうことなのだろうと困惑する、と続けて話した。人格だの行状だのは別として、それだけの生の時間を重ねてきたというただその一点のみでも敬意を払いたくなってしまうほどだ。
 五時を過ぎて出勤時間が過ぎた頃になって、Aさんの働いている塾のことを尋ねた。彼女は小中高すべて担当し、しかもほとんど全教科を教えているらしかった。高校生の数学や物理は出来ないと言っていたが、それでも凄いものである。彼女の塾は特に大手というわけではなく、地域に二つくらいしかないローカルなものらしく、やって来る生徒も学力が相当に低い子ばかりで、小学生の授業など一〇人くらいを一篇に担当するのだが、まさしく動物園、まず椅子にきちんと座らせるところから始めなければならないという話だった。その後、問われるがままにこちらの塾のことも話した。詳しく書くと身分がバレるので割愛するが、授業全体のシステム的な部分について説明した。
 そうして五時一〇分に至ったところで、そろそろ僕は出勤しますと通話を抜けて、チャット上に礼の言葉を投稿しておき、コンピューターを閉ざして上階に行った。――一つ書き忘れていたことをここで思い出したが、冷やし素麺を食べたあとに米を磨いで釜にセットしておいたのだった。――それは良いとして、上階に上がると財布と携帯の入ったバッグを持って玄関を抜け、ポストに近づき、なかの郵便物を取ると階段を引き返して、玄関のなかに放り込んでおいてから出発した。わりあいに涼しい夕方だった。歩きはじめてまもなく、背後から車がやって来てこちらの横にゆっくりと停まったので見れば、O.Sさんで、後部座席にはSくんも乗っていた。Sちゃん――と彼女は子供の頃からこちらのことを下の名前を省略した渾名で呼ぶ――、乗っていったら、と言うのだが、時計を見て迷い、早すぎる、と続けて訊かれるのに、早すぎますねと笑って答えた。それからSくんに勉強を教えるという件について少々立ち話をした。彼は線の細い男子で、和太鼓部に入ったというのがあまり似つかわしくないようにも見えたのだが、何故和太鼓をやろうと思ったのか聞いてみたいところではある。その部活動がかなり忙しいらしく、土日も活動があると言って、休みになるのは月曜日だけなのだと言った。Sさんが、Sちゃん、月曜日は塾でしょうと言うのに、でもまあそのあたりは調整して休みに出来ますよと答えておき、またお話しさせてほしいと言われたのには、こちらはいつでも大丈夫なのでと受けて、ふたたび発進した親子を見送った。Sくんは後部座席から手を振っていたので、こちらも手を挙げ返した。
 川沿いの木々に午後五時の淡い陽射しが掛かって黄緑色を明るませていた。坂を上って平らな道を行っていると、ちょうどT田さんの奥さんが家から出てきたところで、横から行ってらっしゃいとの声が掛かったので、ああどうもと笑って会釈し、行ってきますと答え返した。それからT田さんは二言三言、暑いでしょう、とか何とか言って、それに対してこちらは、まあ今ぐらいならもうわりと涼しいので、と答えて、ありがとうございますと礼を言って先を進んだ。街道に出て行くと、道路の上の日蔭のあいだに日向が切れ込みを入れている。見上げれば右方、南の空は青灰色の雲が山際まで一律に垂れ込めて、その雲勢は行く手、東の果てまで及んでいたが、左方の北空では雲はいくらかほどけてその下の青味が現れており、北西の端では落ち行く太陽がまばゆい光を放っていた。雨が降る心配はなさそうだった。
 裏通りに入って行っていると、前方には男子高校生が四人、ちょっと足を左右に広げながら押し出すような、ぶらぶらとした歩き方で帰路を辿っている。一軒のアパートの前に咲いている、ピンク色の、金平糖が集合したような風情の花に横目をやりながら進んでいき、白猫のいる家の前まで来ると、近辺の子供らが自転車を乗り回して遊んでいるその脇で、彼ら彼女らの騒ぐ声や様子などまったく意に介さずに、猫は敷地の端にごろりと寝転がって休んでいた。その傍に寄ってしゃがみこみ、腹を撫でてやったり首もとに手を持っていったりすると、猫は一度立ち上がったけれど、すぐにまたごろりと横になった。身体を撫でるたびに白い毛が身から離れて浮遊し、気づくとスラックスの膝のあたりにいくらかくっついて溜まっていた。
 猫と別れると遊んでいる子供らのあいだを抜けていき、青梅坂に辿り着く頃には道の上にも日向がひらいていた。そのなかを進んでいき、元市民会館の施設裏まで来ると左方に目をやった。梅岩寺の枝垂れ桜は青々とした深緑に染まりきって、周辺の山々の緑と調和し、そのなかに埋没している。駅近くの裏路地を行きながら、古びたビルの、ところどころに罅の入ったような側壁に陽が掛かって、電線の薄い影が何本もその上に引かれて模様となっているのを眺めていた。
 職場に到着。こんにちは、と挨拶するその声が昨日一昨日よりもいくらかましになっていた。今日の相手は(……)くん(中三・英語)、(……)くん(中一・英語)、(……)さん(中三・英語)。全員英語である。全員が英語だとさすがに忙しい。単語テストにリスニングが曲者である。(……)くんは二年前、中一の時分にも――と言うよりはそれより以前から――担当したことのある生徒で、大人しそうな性格は変わっていなかった。テスト結果など見ると、英語は九七点取っており、相当に優秀である。この日扱ったのは現在完了の完了用法。問題はないだろうと思う。ノートもわりあいに書いてくれた。リスニングの方も、何も言わずとも自分で書いてくれた。
 (……)くんは先週国語を三コマ担当した一年生。テスト結果がどうなのか気になるが、今日は点数を覚えていなかった。前回はthis is/that isの範囲をやっていて、授業冒頭の復習の際にそれを質問してみたけれど、きちんと覚えられていたのでなかなか良い感触である。今日はその単元の難しめの問題一頁と、新しくWhat is ~?の構文を扱った。これもわりとよく覚えられたのではないかと思う。ノートも色々と書いてくれた。
 (……)さんは、名前を見た時からそうだろうなと思っていたのだが、(……)(漢字がこれで合っていたかどうか思い出せない)の妹だった。顔もなかなか似ていた。授業冒頭で彼女と顔を合わせた際、名乗って挨拶をしたあとに、お姉さんがいるね、と訊き、こちらの推測が正解だとわかると、うわあ懐かしいなあと口にした。姉は今一九歳だと言うから、彼女を担当したのはおそらく四年か五年ほど前になるわけだ。向こうが僕のことを覚えているかわからないけれど、あいつに会ったって言っといて、などと伝えて授業に入った。姉の方はあまり優秀だった覚えはないが、妹の彼女の方は結構出来るような印象だった。学校進度に比べて相当に進みすぎていたので、今日の一時限は復習に使うことにして、レッスン二の読解単元の部分を扱った。教科書本文を一緒に訳して単語や表現を確認しながら、こちらがほかの生徒に当たっているあいだには問題も解いてもらうという形を取った。問題は何と全問正解。一度扱っているので覚えていたこともあるかもしれない、だがそれならそれで良いことである。反省点としては、教科書の本文訳が一頁、つまり半分までしか終わらなかったことだが、しかし三人相手で本文訳をやるとなるとやはりそのくらいまでが限界というところだろう。それに、一頁だけでも結構わからない単語などあって、学べたことは多かったはずだ。ノートにはそれらの単語や表現をたくさん書いてくれた。そう、それで、この教科書本文のなかに、クロード・モネの、妻カミーユが赤い着物を着て扇を持っている姿を描いた例の絵が紹介されており、この絵はこちらは数年前に世田谷美術館ボストン美術館展で実際に見たことがあるので、その旨を話した。教科書に載っている写真を指さして、僕はこの絵を実際に見たことがあります、と言い、世田谷美術館でどうのこうのと説明し、赤と青の対比が鮮やかでしたねとか何とか言ったのだが、このような脱線をもっとたくさん授業中に盛り込んで生徒を楽しませていけたらと思うのだが、なかなかそううまくも行かない。それで、当のボストン美術館展でこの絵を見た時の感想を、どうせなので下に引いておく。二〇一四年九月一二日金曜日の日記からであるが、当時は日記を書きはじめてまた一年と八か月程度なので、文章的にはやはり全然未熟である――と言うか、何故句点読点を排して無理矢理ひと繋がりに書いているのか、その理由がわからない。截然と区切って書くのが面倒臭かったのだろうか?

 (……)その《ラ・ジャポネーズ》はといえばたしかにこの展覧会の目玉で四十分くらいみていたけれどこの絵のまえにはさすがに常に人だかりが生まれて絶えることはなかったその目玉はまず展示されている絵のなかでいちばんサイズがおおきかったたぶん縦は二メートル五十センチくらいはあったからそのおおきさだけでもインパクトはやはりあるわけでそのなかでまず感じたのはうねりの印象赤のうねりの印象で着物のすその豊かなうねりの表現目の高さと展示されている絵の高さからいってもそれにまず目がいったわけだけれど着物のすその端は青を基調としながら金色の装飾を配した縫いこみがされておりほとんど画面左右いっぱいにひろがったその丸みにそってまず視線は動きまた同時に着物の立体的なひだの陰影にも引きつけられるそうしていくらか拡散していた視線が中央に集中していくとそこにあるのは例の武士の装飾であり刀を抜こうとしているこの武士の顔や腕それが刺繍にしては妙に立体的で自立しているようにもみえて不思議だったけれどこの装飾の基調となっているのが青色で着物下端の青よりもさらにあかるい青であってその上に乗った金色の刺繍によって動きの印象をあたえられながら上方へすべっていく視線が出会うのは当然ふたたび着物の真紅でこの赤・青・赤の色の移り変わりが鮮烈なわけだが着物の上半身には真紅のなかに配された葉っぱのかたちをした緑色の模様が目に楽しくそのあいだを抜けていく視線はカミーユの顔と金色の髪にたどりつくがまだそこではとまらずそれよりもさらに上にあるひろげられた扇の上端にまで達するそこにあるのは薄紅色で広重の《亀戸梅屋舗》の色にもいくらか似たような薄紅色であって目に強い真紅の層を抜けてきたあとの淡い色彩がさわやかさをあたえたあとにふたたび視線はたどってきた道を逆に動いて下方へとおりていくわけでとおくちかくからみながらこの上下の運動をくりかえしていたらいつのまにか時間がたっていたわけで二時ちょうどにはいって出たときは閉館の六時の十分前くらいだった(……)

 そうして授業終了後、入口近くの最前線に立ち、生徒たちの出迎え見送りをこなしてから片付けをし、室長に記録をチェックしてもらって勤務終了。その後、奥のスペースに座り、タブレットを使って気になる生徒の記録を閲覧していたので、職場を出るのは八時五分頃と遅くなった。電車で帰ることに。駅に入り、ホームに上って、待合室の壁の前に立ち、携帯電話を取り出して日記を綴る。奥多摩行きがまもなくやって来ると乗って席に移り、脚を組みながら引き続き携帯を操作した。発車して最寄り駅に着くと降り、蛍光灯に羽虫が群がって飛び回っている階段通路を抜けて駅舎を出た。横断歩道を渡ると左に折れ、ローカルな商店の前の自販機に寄って、一五〇円でゼロ・カロリーのコーラを一本買った。そうして、普段とは違って駅前の坂道に入らずに、そのまま東の方へと歩いていき、家の近間に出る木の間の下り坂に入った。薄暗がりのなか、左右から旺盛に生えた草が迫り、薄茶色の羽虫が宙を飛び交って、足もとには乾いて褪せた色になった竹の葉が多数降り積もっていた。そのなかを抜けて帰宅した。
 父親も既に帰宅して、寝間着姿で居間に立っていた。ただいまと言って冷蔵庫にコーラを収めると自室に下り、服を着替えたあと食事を取るために階段を戻った。夕食のメニューは白米に、牛肉や玉ねぎなどの炒め物、それにシチューに素麺を入れた料理である。ココーラをコップに注いで腹を膨れさせながらものを食べ、食べ終えると抗鬱剤を服用して食器を洗った。そうして父親と入れ替わりに風呂へ。残り湯のある状態で焚いたので湯が大量になっており、身を沈めると湯船の縁から液体がざあざあと溢れて音を立てた。出てくるとパンツ一丁で自室に戻り、しかしだいぶ涼しかったのですぐに寝間着のズボンを履き、シャツも着て、そうして日記を綴りはじめたのが九時四五分である。それから現在時刻に追いつかせるのに二時間も掛かってしまった。途中でAくんからメールが届き、詩を読みました、二番目のものが一番好きだったとあったので、日記を書くのを一時中断して、携帯をかちかち打ってその場ですぐに返信を拵えた。

Aくん、ありがとうございます。

二番目の詩はわりと私性があるというか、実際の僕の体験や考えをもとにした部分があります。

狂い鳴く鶯に関しては実体験ほとんどそのままです。出勤中など、路程の途中で鶯がまさしく狂ったように激しく鳴き声を散らすのが時折聞かれるのですが、その鳴き声はわりと明確な音程を持っているもので、それが僕には何か色の断片がまき散らされているように感じられるわけです。色を「耳で見ている」ような体験とでも言いましょうか。

「世界は書物だ」の連に関しても、大体僕の考えをそのまま翻訳したものですね。僕は以前からこの世界そのものこそがこの世界でもっと豊穣な書物――すなわち差異や意味の体系――だと考えています。その意味の網目=ネットワークのなかに、我々という存在はあり、そしてその網目に色々な仕方で何がしかの影響を与え、介入していくことが出来るわけです。それを書物に文字を書き込むという比喩で言い表してみてもいいでしょう。

自己解題をしてみるとそんな感じです。僕も詩の分析などまったく出来ないので、好きなフレーズを紹介するだけになってしまいそうな気がしますが、まあそれはそれでいいんじゃないでしょうか。

 その後、零時を回ってから小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』のメモを始めた。手帳に記してあった頁を参照し、重要と思う部分を要約的に手帳の最新頁に書き込んでいく。それをしているあいだにはヘッドフォンを頭につけており、BGMとして流していたのはGreg Osby『9 Levels』やHamish Stuart『Real Live』だった。そうして二時頃まで、閉ざしたコンピューターを台として黙々とメモを取り続け、それからベッドに移って『岩田宏詩集成』を読んだ。読んでいるあいだ、窓からはこつこつとガラスに何かが当たる音や、羽音が聞こえていたので、虫が明かりに引き寄せられて飛んできていたようだ。そうして一時間弱、詩を読んで、三時前には就寝した。


・作文
 11:13 - 11:35 = 22分
 21:45 - 23:55 = 2時間10分
 計: 2時間32分

・読書
 12:10 - 16:00 = (1時間半引いて)2時間20分
 24:03 - 26:52 = 2時間49分
 計: 5時間9分

  • Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introduction: 70 - 75
  • 岩田宏詩集成』: 72 - 228
  • 小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』、メモ

・睡眠
 2:20 - 10:40 = 8時間20分

・音楽