一〇時半に起床した。七時半にアラームを仕掛けていたのだがいつもの通り、ベッドに舞い戻ってしまい、起床にはならなかった。上階に行き、母親に呻き声で挨拶をすると、仏間に入って簞笥からジャージを取り出し、寝間着から着替えた。食事はあるかと訊くと特にないと言うので、例によってハムと卵を焼くことにした。冷蔵庫からそれぞれ取り出し、換気扇のボタンを押して、フライパンに油を少量垂らして火に掛け、しばらくしてからハムを四枚敷いてその上からさらに卵を二つ割り落とした。黄身が固まらないうちに広がった卵の縁を箸でつついてめくっておき、丼に盛った米の上に引き入れた。そうして卓に移り、丼に醤油を掛けて黄身を崩してぐちゃぐちゃと混ぜながら搔き喰らった。その一方で新聞を見て、一面から例の川崎の通り魔事件の続報を追った。犯人は一〇年近く引きこもりの状態にあったと言う。社会や世間や他者というものに対する憎悪、ルサンチマンを燃やした末の犯行か、あるいは自らの行き先に絶望した者の最後の行動だったのか。小林康夫が『君自身の哲学へ』のなかで言っていた通り、他者に自分の存在を、たとえそれが一瞬であっても、ねじ曲がった方向性であっても、強制的に承認させるという動機の究極的な形としても捉えられるのかもしれない。飯を食い終わると台所の流し台の前に移り、青林檎の香りのする洗剤を丼に垂らし、網状の布でしっかりと擦って泡立て、皿に付着した黄身の残骸を取り除いた。流すと食器乾燥機のなかに収めておき、それから水を汲んで抗鬱剤を飲むと――風邪薬はもう飲まなくても良さそうだ――テーブルの片隅に置かれてあった鳩サブレの半分を頂き、そうして下階に帰った。コンピューターを再起動させたのち、日記を書きはじめたのが一一時一二分、現在はそこから一五分が経過して一一時二七分に至っている。
そののち、一時二二分から読書を始めているのだが、このあいだの二時間で一体何をしていたのかとんと思い出せない。ベッドに乗って薄布団を身体に掛けながら、本を読むでもなく何をするでもなく微睡む時間があったのはわかっているのだが、一体自分は二時間も眠気にやられていたのだろうか? そうだとすると、これはちょっと信じがたい事実である。ともかくも一時台から『岩田宏詩集成』を読みはじめたわけだが、そのあいだもたびたび眠気に刺されて意識を曖昧に濁らせることになった。そうして二時半を過ぎたところで切りとして、上階に食事を取りに行った。茄子が焼かれてあり、「浅草今半」の牛肉と大豆を煮た料理も少量残っていたので、それらをおかずにして白米を食った。それから皿を洗って風呂も洗い、台所に出てくると居間にいた母親に向けて、じゃあ行くか、と口にした。パスポート用の写真を焼き増しするため、「カメラのK」に行こうということになっていたのだ。そのほかにも色々と行かなければならない場所、済ませなければならない用事があった。それで下階に下りると、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだし、そのなかで服を着替えた。海のように深いブルーのフレンチ・リネンのシャツに、オレンジっぽい煉瓦色の九分丈のパンツである。それらを身に纏い、リュックサックにコンピューターなどの荷物を整えて上階に行くと、仏間に入って黒のカバー・ソックスを履いた。それからふたたび下階に戻り、スーツのスラックスを、黒・グレー・紺の三本、それぞれハンガーから取って階段を上り、母親の持ってきた布袋にそれらを収めた。一〇キロも太った結果、腹回りがきつくなってしまったこれらのスラックスを、引き伸ばしてもらいにAOKIにも行く予定だったのだ。そうして出発、向かいの家にはO.Sさんの車が停まっており、なかからは楽しそうな笑い声が漏れていた。車の助手席に乗り込み、シートベルトを締めると、CDシステムに入っていたどうでも良い歌手のCDを取り出して、代わりにcero『WORLD RECORD』のディスクを挿入した。風の多い日だが、車内はいくらか暑かった。街道に出て一路東へ向かい、まず郵便局の前に停まってもらった。国民年金を払い込む必要があったのだ。ついでに母親が、軽自動車税か何かの払込書を差し出して、これも払ってくれと言うので了承し、財布と通帳と書類を持って車を降りた。郵便局に入ると右のスペースに入り込んで、ATMを操作して五万円を引き出した。それからもう一つの自動ドアをくぐって奥に入り、カウンターの職員にこんにちはと挨拶をして、これらをお支払いしたい、と書類を二枚、差し出した。合わせて一八〇〇〇円くらいを支払い、差し出された書類に名前と連絡先を記入すると、お掛けになって少々お待ちくださいと言われたのでソファ席に腰を下ろした。そうしてあたりをきょろきょろと見回したり、手に持った財布の表面の艶や傷や汚れなどを見つめたりしながら待ち、ふたたび呼ばれると領収書を受け取り、きちんと礼を言って頭を下げ、局をあとにした。車に戻ってふたたび出発、次に向かうのは職場である。と言うのも、職場のレター・ケースのなかにAOKIの優待サービス券が入っているのを回収しなければならなかったからだ。それで駅前まで走ってもらい、裏路地に入って停まったところで車を降り、太陽を浴びながら職場まで歩いて、表の扉をひらいた。こんにちはと言いながらなかに入ると、(……)さんが電話を取っていて、郵便局からだと言ってそれを室長に渡すところだった。自習席には(……)がいた。先生、わからない、と言って英語のテキストを見せてくるのに対して、無理、無理、と笑って答えながらひとまず奥のスペースに行き、レター・ケースからAOKIの優待券を回収した。それから彼のもとに戻って、並べ替え問題を見たのだが、結構難しいもので、自習中の生徒を教えてはいけないと言われているし、母親を待たせてもいるしで細かな吟味が出来ず、適当に答えてしまったのだがあれは間違っていたかもしれない。残念なことをしてしまった、もう少し丁寧に時間を使ってあげれば良かった。それで(……)さんにお疲れ様ですと声を掛け、これを取りに来た、と券を見せ、これから行くんですか、いいですねという言葉を受け、電話をしている室長の背後に入ってシフト表を取り出し、六月一二日の欄をすべてバツ印にした。この日はT谷の誕生日で、いつものグループでテーマ・パークかどこかに行こうかと計画がなされているらしいのだ。正直なところ、こちらはテーマ・パークなど大して興味がないし、候補となっているディズニー・ランドにせよ船橋のアンデルセン公園にせよ――アンデルセン公園はホーム・ページを見ると結構良さそうなところだったが――ひどく遠いので行くのが面倒臭い。それで仕事が入ったことにしようかなとか、そうまでせずとも、シフトの一二日の欄は丸にしておいて、偶然仕事が入ることを願おうかなとか思っていたのだったが、やはり一応空けるだけは空けておこうと思い直したのだった。ディズニー・ランドなど正直全然行きたくないが、アンデルセン公園ならまだ楽しめそうな気がする。それにしても遠くて、青梅駅から二時間くらい掛かるわけで、二時間も電車に揺られて遠出しなければいけないのはまったくもって面倒臭いことこの上ないが、そのあたりも含めて六月二日に話し合えば良いだろうと思ったのだった。そうしてシフト表を書き換え、お疲れ様ですと言って職場をあとにし、母親の待つ車に戻った。
そうしてふたたび発車し、市街を抜けていく。西分のあたりで母親は、Eさんから連絡があったみたい、と言った。昨日会った時に、ヴィトンの財布が当たったということを知らせたのだが――以前、母親はクリーニング屋の抽選か何かで当該商品を入手していたのだ――それを言うとEさんは、売って欲しいと言ってきたのだと言う。それで売ろうかどうしようか、一万円で売ろうか、それともリサイクル・ショップなどに持っていって見てもらおうかなどと母親は迷っているのだが、こちらはそれに対して、無償の贈与こそ価値があるんだと偉ぶったことを言い、友達だからと言って気前よくポンと、ただであげてしまえば良いではないかと促した。別にこちらにとっては特に興味関心のないことだし、母親がどの選択肢を選ぼうがどうでも良いのだが、そういう行為こそ価値があるんだと助言してみたところ、母親は初めは嫌がっていたもののじきに説得されたようだった。
cero『WORLD RECORD』の流れるなか、東へ向かって走り続け、「カメラのK」に到着した。財布と写真のデータ・カードを持って降り、店内へ入ってカウンターに近づくと、女性店員がやって来たので焼き増しをしたいと申し出た。パスポート用を二枚、背景はブルーでOK。その旨告げると五分から一〇分ほど店内でお待ち下さいとあったので、カウンターのすぐ横に設けられていた席に就いて、手帳を読み返しながら品物が出来るのを待った。そうしてじきに呼ばれたので手帳をポケットに仕舞ってふたたびカウンターに行き、女性店員を相手に八〇〇円弱を支払った。女性はちょっと翳のあるような雰囲気の、なかなか綺麗な人だった。別にそれだからというわけではないけれど、会計が終わると相手の目を正面から見据えてありがとうございましたと礼を言い、そうして退店して車に戻った。
それから、AOKIへ向かってもらう。車中では母親が職場のことなど話していたと思うが、内容は覚えていない。AOKIに着くと母親はEさんに電話するから先に行っていてと言うので、布袋を持ったこちらは一人店に入った。そうしてこんにちはと言いながらカウンターに近づき、男性店員を相手に、以前こちらでスーツを買わせて頂いたんですが、と切り出した。ありがとうございます、と慇懃に頭を下げる男性店員に続けて、太ってしまいまして、とちょっと口もとを歪ませながら伝え、ウエストを引き伸ばすことが出来るのかどうか見てもらいに来たのだと告げた。それで袋から三本のスラックスを取り出すと、可能だとのことで、何センチ伸ばせばいいのかはわからないと言うと、それでは履いてみましょうと早速案内され、試着室に向かった。なかで一本、黒いやつを履いてみてカーテンを開けると、男性店員はこちらの留めていたボタンを外し、これならそれほど伸ばさなくても良さそうですねと言って調節をした。これでどうですかと言われるのに、もう少しだけ緩い方がと望みを伝え、結局四センチ伸ばすことになった。それでスラックスの方はOK、ほかにはと訊かれたのに、ワイシャツを買おうと思っておりますと言ったあたりで母親も店内に入ってきた。それで三人でワイシャツを見分する。まあどれもデザイン的にそんなに変わるものではないし、さっさと決めた方が良いなと思われたので、三つ適当に選んだ。さらに、ネクタイも欲しかった。ネクタイに関しては立川のtk TAKEO KIKUCHIに赤の格好良いものがあったのだが、一万円くらいして、さすがにネクタイにそこまで出す気にはなれない。この日AOKIでは三点で一〇〇〇〇円、五点で一五〇〇〇円のセットフェアをやっていたので、ネクタイも二本買って、セットで一五〇〇〇円にしようと目論んだ。それで、グレーに細かな四角形が散らされた模様のものと、シンプルな鮮やかな水色のものを選び、それでOK、伝票を作るのでしばらく休憩席でお待ち下さいとなったので、母親と向かい合って席に就いて呼ばれるのを待った。そうして呼ばれるとカウンターに寄って会計、全部で二万円ほどだったが、優待券の一〇パーセント引きが使え、さらにカードのポイントで八〇〇円弱引いたので、合わせて一七七六〇円となった。そうして支払いを済ませると、こちらの持ってきた布袋に入った商品を持って店員がカウンターの後ろから出てきて、店の入口まで見送ってくれたので、袋を受け取ると手を差し出して握手を求めたのだが、そうすると彼はちょっと驚いていたようだった。それで車に戻った。発車しながら、寿司が食いたいと口にすると、ちょうど小僧寿しがすぐ傍にあるので買っていけば良いということになった。そうして少々の距離を車で移動し、降りて入店すると、酢のような匂いが店内には充満していた。「すずらん」という種類の品の、一二貫のものをこちらと父親用に、一〇貫のものを母親用に買うことにして、さらに手巻きのシーチキンとネギマグロのものを一つずつ取った。三つのパックを重ねた上に手巻きを載せた組み合わせをレジカウンターに運んで、会計はここでは母親に持ってもらった。そうして退店しようとすると、母親は追加で飲み物も買うようだったので、こちらは一人、袋を手に提げて退店し、車の横に立ち尽くして雲のほとんど混ざっていない薄青色の空を見上げたり、その空の向こうを低く飛んでいく飛行機の大きな機影を眺めたり――音は聞こえてこなかった――、風にざわめく街路樹の緑を見つめたりした。そうして母親が出てくると後部座席のボックスのなかに荷物を収め、助手席に乗り、図書館まで送ってもらうことにした。しばらく走って西友の前で停まり、礼を言って降車すると、背後から掛かった陽のなかにこちらの影が長く伸び、正面からは風が非常に厚く走って前髪をすべて捲るとともに身体を押してくる。そのなかを目を細めながら行っていると、ハナミズキの青々と茂った葉叢が揺れ動いているのが目に入って、一枚一枚が個別に振動するのではなくて、全体として一篇に動き回っているその密度が、まるで毛糸で作られた編み物のように映った。
図書館に入るとCDを見に行った。まずはクラシックである。武満徹の作品は何かないかと思って見てみれば、小澤征爾指揮・トロント交響楽団演奏の、『November Steps etc.』があったので、これを借りることにした。それから新着の棚に行ってみると、前々から借りようと思っていたBob Dylanのライブ音源、『Live 1962-1966: Rare Performances From The Copyright Collections』があったので、二枚目はこれを選んだ。同様に新着の棚から、Marc Ribot Trio『Live At The Village Vanguard』も手に取って、その三枚を持って貸出機に近づき、手続きをした。それから上階に向かって階段を上る。踊り場の大窓から見える西空に太陽が膨らみ、手近のビルの屋上に凝縮された光が溜まって輝いており、あまりの空気の明るさに今から太陽が落ちていくのではなく、これから午前が始まるかのような錯覚を得た。階段を上がり、新着図書を瞥見したあと、大窓際の席に入ってリュックサックからコンピューターを取り出した。手帳を読みながら起動を待ち、Evernoteが立ち上がると、五時三九分から日記を書きはじめて、ここまで書き足すと六時四八分に至っている。
帰宅することにして荷物をまとめ、席を立ってリュックサックを背負った。書架に寄り道せずに――既に借りている本があるし、積み本もよほど溜まっている――まっすぐ階段口へ進み、下階に下りて退館した。歩廊の上に出ると、青く醒めた空を背景にして虚空を鳥の集団が飛び回り、あたりからは鳴き声がひっきりなしに響いている。そのなかを駅へ渡り、改札を抜けながら電光掲示板を見上げると、既に過ぎた時刻の電車が記されていたので、どうも運行が遅れているらしかった。エスカレーターを下っているとちょうどその遅れた青梅行きがやって来たので、ホームに下りると車両の壁の前、乗り口の脇に就き、吐き出される人々をやり過ごしてからなかに入った。そうして扉際に就き、手帳を眺めながら時間を過ごして青梅着、ホームを歩いて待合室の壁の前まで来ると、姿勢をやや横向きにして壁に凭れながら引き続き手帳を読んだ。奥多摩行きがやって来ると三人掛けに入り、リュックサックは下ろさず背負ったまま浅く腰掛けて発車を待った。遅れていた電車からの乗り換えを待って、三分ほど定刻を過ぎてから発車した。英単語などを確認しながら到着を待って、最寄り駅に着いて降りると西空は東山魁夷の描くような青々とした空気に浸っており、そのなかに雲がさらに青暗い影と化して不定形に浮かんでいた。ぶんぶんと細かな羽虫の無数に群れて飛び回っている階段通路を抜け、駅舎を出ると、横断歩道を渡って木の間の坂道に入った。特に周囲に感覚を巡らせずに散漫な意識で黙々と歩いていき、平らな道に出て帰路を辿って家に着く間際、午後七時の薄暗んだ大気のなかに風が生まれ流れて、林の木々を揺らし優しく騒がせていた。
帰宅するとさっさと下階に下り、コンピューターを机上に据えると服を脱いでジャージに着替え、上階に行った。腹が減っていた。フライパンに焼かれていた鯖のソテーを二つ取って電子レンジで熱し、そのほか紫玉ねぎの水っぽいサラダや、寿司を用意して卓に就いた。父親は風呂から出て、仏間で足に包帯を巻くか何かしていた。こちらが食べ終わってソファに就いた頃になって食事の支度をして炬燵テーブルの方にやって来たのでこちらはソファから退[ど]いて、母親の勧めに従って買ったばかりのワイシャツを身につけてみた。細身とあって、きつすぎてはいけないから試してみろと言うのだった。サイズはぴったりで、特段きついという感じもしなかったので良いだろうと判断し、母親がまた、着る前に水に通しておいたらと言うのに従って洗面所に行き、ネットに包んで洗濯機に入れ、洗剤は加えずに水のみで七分間ほど洗うように機械を駆動させた。そうしてパイナップルを食べたりしながら洗いが終わるのを待ち、脱水も一分間してから洗濯物を取り出すと、居間の隅に移動して袋からワイシャツを取り出し、ハンガーに掛けて室の東側の竿に吊るしておいた。ネットもベランダ側のハンガーに、洗濯挟みで挟んで吊るしておき、そうしてこちらは風呂に行った。湯のなかに入り、手を組み合わせて浴槽の縁に置き、片膝立てた姿勢で目を閉じ、結構長く――少なくとも二〇分間くらいは――そのまま静止していた。こちらがじっと静まっているあいだに、窓外では時折り風が林の木の葉をさざめかせる響きが聞こえた。上がってくると父親は酒を飲んでいくらか良い気分になったらしく、羽生善治の将棋がニュースで解説されるのを見ながら独り言を呟いていた。こちらもちょっと見てから下階に下り、九時半から『岩田宏詩集成』を読みはじめた。そうして二時間ほどぶっ続けで読み続けて読了すると、コンピューターに寄ってBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)とともに日記を書きはじめたのが一一時半だった。そこから三〇分足らずでここまで書き足し、記述を現在時刻に追いつかせることができたわけである。
それから詩を作った。ところどころ岩田宏をパクっている。
両手でちっぽけなピストル構え
意地悪く曇った歴史の断片を正確に撃ち抜く
ギロチンの奏でるご機嫌な唄を聴き
落ちた林檎のような青白い生首を拾っては捨てる
諸君 革命は成就した 今はただ
この腐った日暮れ時のような血塗れの平和を享受しよう
だが 戦争にあろうと 平安にあろうと
海底にあろうと 冥王星にあろうと
ゴミ箱のなかにあろうと 蟻地獄に落ちていようと
音楽だけは忘れてはいけない
なぜならそれは我々の歴史の最終到達点だからだ
否定よりも肯定よりも烈しい無垢の聖域だからだ
昼間の地震よりも冷たくて
真夜中の憧れよりも暖かな
そんな音楽を 我々は称揚する
君たちはピアノを奏でるか? シンバルを叩くか?
トランペットを寥々と吹き鳴らすか? それならば
我々は鳥の唄よりも鮮やかで姦しい沈黙を歌おう
一人で歌うと 絡まった海藻よりも滑稽で
大勢で歌えば 磨かれた鏡面よりも悲しい
海の彼方の落日のような鎮魂歌によってのみ我々はわかりあえる
生きている人間が優しさを取り戻すには
死んだ人間を悼むよりほかに方法はないのだ
詩が完成するとTwitterにそれを流し、また同時にSkypeのチャット上にも貼りつけると、Aさんがすぐに反応してくれた。ジョン・ケージの『4分33秒』を連想したと言うので、そのあたりについて少々会話を交わしていると、そのうちにCさんやBさんもチャットに参加してきた。Bさんが今眠気と戦っているところだと言うので、「眠気の唄」というものを三分ほどで簡単に作った。これは完全なお遊びである。
眠気よ眠気 あなたはどうして眠気なの? あなたが眠気でなかったならば
眠気は煙 眠気は唄 眠気は霧雨 眠気はナイフ
倒れながら踊ること
夜の中心にある台風の目を突き刺すこと
朝の周縁に生えた花をちぎり取り
夜のなかに戻ってそれを空へと投げ散らかすこと
眠気よ眠気 あなたはどうして眠気なの? とはもう問わないわ
眠気は煙 眠気は唄 眠気は霧雨 眠気はナイフ
眠気は戦士 眠気は鵯 眠気は薫風 眠気は宇宙
眠気は無敵。
その後、『岩田宏詩集成』から気に入ったフレーズを手帳にメモしていたのだが、そのうちにチャット上のやりとりが頻繁になってきたので、コンピューターを持ってベッドに移り、何をするでもなく会話を追った。合間に短歌を二つ作ったが、あまり頭が冴えていないと言うか、インスピレーションが湧いてこなかったので、二つのみに留まった。
寂しくて僕らは頬を膨らませガムを吐いてはまた踏みつける
残酷な映画みたいに待ちぼうけ一人で歩く赤ん坊連れて
そうしてこちらは発言しないままチャットのやりとりが二時半頃に終わったので、コンピューターを机上に戻して明かりを落とし、そのまま就寝した。
・作文
11:12 - 11:27 = 15分
17:39 - 18:48 = 1時間9分
23:29 - 23:55 = 26分
計: 1時間50分
・読書
13:22 - 14:37 = 1時間15分
21:33 - 23:24 = 1時間51分
24:54 - 25:28 = 34分
計: 3時間40分
・睡眠
3:00 - 10:30 = 7時間30分
・音楽
- FISHMANS『Oh! Mountain』
- Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)
- Bob Dylan『Live 1962-1966: Rare Performances From The Copyright Collections』(Disc 1)