2019/6/2, Sun.

 携帯電話が所定の場所から手近の机上に移っていたところから見ると、六時五〇分のアラームで一度起き上がったはずだが、その時の記憶はまったくない。気づくとそれから一時間が経って、七時五〇分だった。起き上がって上階へ行き、母親に挨拶をして洗面所に入り、頭に整髪ウォーターを吹きかけて、早速後頭部の寝癖を直した。そうして洗面所を出ると、食事を用意。ヒレカツに胡瓜を細かく刻んだもの、白米、ワカメスープにジャガイモの残りと生ハムを支度して、卓に就いた。父親は朝も早くから、近くの花壇の植え替え作業を行っていると言う。食後にヨーグルトと葡萄ゼリーを食べて食事を終えると、抗鬱剤と風邪薬を服用し、それから食器を洗った。そうして下階に下りてきてコンピューターを起動させると、動作速度が鈍かったので再起動を仕掛け、それを待つあいだに上階に上がって風呂を洗った。戻ってくるとコンピューターにログインし、FISHMANS『Oh! Mountain』とともに日記を書きはじめたのが八時五二分、一〇分も掛からずに前日の記事を仕上げて現在時に追いついている。わりあいに冷やりとする空気の曇りの朝で、ハーフ・パンツ姿だと少々肌寒いくらいだったが、先ほどフレンチ・リネンのシャツと煉瓦色のパンツに着替えたところ、丁度良い体感温度となっている。
 FISHMANSの音楽が流れるなかで、手帳に『岩田宏詩集成』からの言葉を写していく。コンピューターを閉じてその上に手帳を置き、左手には本をひらいて紙の上にペンを滑らせていく。時折り旋律を口ずさむが、やはり喉ががさがさと絡んで高い声が出ない。詩の方は例えば、「ところが今のこの慕わしさは/なぜだろう この衛生的な世紀では/人はもしかしたら自殺によってのみ/わかりあえるのかもしれないね」(「裁きのあと」)といったフレーズが良い。そのほか、「悼む唄」中の一節が改めて読んでも素晴らしく、それは次のようなものである――「こうしてわれわれは/おもむろに夢と死とに馴染み/それほど劇的でもない雨の朝/やさしい気持をとりもどすために/もっぱら死人のことを考えよう」。最後の二行はこちらが先日作った革命と音楽の詩――と仮に名付けておくが――の結びでほとんどそのまま盗用したものである。
 九時四五分までメモを取ったあと、作業を切り上げて、クラッチバッグを持って上階に行った。母親がこちらを見やるなり、またその格好なの、と言って笑った。いいでしょ、と自慢してみると、派手だよ、と彼女は言う。性格が地味だから服装は派手なくらいで丁度良いのだ。それから仏間に入ってカバー・ソックスを求めたが、見つからなかった。母親にもその旨を伝えて、ひとまず靴下を探すのを彼女に任せて便所へ行き、糞を垂れた。そうして戻り、あたりを探し回るが見つからない。そんなところにないだろうと思いつつも、階段を下りて両親の衣装部屋にも入ってみたが、当然見当たらない。上階へ戻ると、母親はどこかで見たんだけど、などと呟いている。時間が一〇時に迫ってきて、そろそろ猶予がないな、代わりの短いソックスで行くかと思ったところで、簞笥のなかに無事見つかったので、それを履いて出発した。
 丁度良い気候だった。涼しくもなく暑くもなく、肌と同じ温度で馴染む空気である。坂道の途中、くすんだ色の蝶二匹を、ガードレールの向こうの草むらのなかに見かけた。蝶たちは口づけを交わすように、愛に戯れるように近づきあって飛んでいたかと思えば、すぐに離れてそれぞれの方向に分かれてしまった。
 街道に出ても汗の感触はまだなかった。曇り空は磨かれた鏡面のように白いが、しかし直上にはさらに白い太陽の収束も見えて、空気の流れが止めば温もりが肌に感じられた。老人ホームの角、咲き誇っている躑躅の群れの前を折れて裏道に入る頃には、いくらか蒸し暑くなっていた。しかし、裏通りには風が吹かない。時折りあっても流れる程度で、吹くまでに盛らず、温気が宙に漂っている。
 踏切りを渡って森の方から高年の夫婦が出てきた。リュックサックを背負って、山歩きの装いである。既にハイキング・コースを歩いて森から出てきたものか、あるいは線路の向こうの近間の家の人で、これから山歩きに繰り出す格好か。夫が靴紐を結ぼうと立ち止まってしゃがみこんだ際に、女性の方がついた疲れを滲ませるような深いため息からすると、前者のように思われた。
 白猫の姿がいつもの家の前にないなと思えば、通りを挟んでその向かいの一軒の敷地で、母娘が猫を前にしていた。淡い黄色のスカートを履いた、まだ幼い、小学校中学年くらいの娘がしゃがみこんで猫を撫でており、猫の方は静かに撫でられるがままに佇んでいた。そこを過ぎてしばらく行くと、少々風の流れが生まれた。先ほど猫を撫でていた少女がキック・ボードで背後からやって来て、こちらを抜かしていく。彼女は市民会館跡の施設前で止まって、おそらくはあとから来るだろう母親を待って手持ち無沙汰にしていた。施設では何かの催しがあるのか、ベビーカーを押した親子連れや、自転車に乗った家族の一団などが見られた。交通整理員の言によれば、駐車場は満杯らしい。
 天麩羅屋の前にも躑躅がたくさん、赤く群れて咲いていた。雀だか燕だかが電線の上で囀るその下を抜けて行くと、駅前に出る角で頭上に燕が一羽飛んできて、看板の細い柱の上に止まり、見上げれば二股に分かれた尾が目に入った。
 駅に着くと券売機でSUICAに五〇〇〇円をチャージして、改札をくぐってホームへ上がった。二号車の三人掛けの位置に就く。それよりも前方、一号車の一には老婆が車椅子に乗っており、傍に女性と男性が一人ずつ控えていて、そこに今、乗降補助用の板を持った駅員が到着するところだった。振り向くと小学校ではサッカーの試合が行われており、赤と緑のユニフォームを着た子供らのあいだをボールが行き交っている。石段には見物の大人たちの姿がちらほら見られた。
 じきに東京行きが来たので、乗り込んで三人掛けへ腰を下ろした。そうして携帯を取り出して日記を書く。湿るというほどでないが、歩いてきて背に汗が滲んでいたので、初めは前屈みになって座席から背を離しておき、じきに深く腰掛け直して後ろに寄り掛かった。東中神まで掛かってようやくメモを終えると、そのあとは持ってきた梶井基次郎檸檬』を読んだ。『灯台へ』を読み終わったT田がほかにも文学作品を何か貸してくれと言うので、持ってきたのだった。表題作の「檸檬」や「冬の日」を読むのだが、やはり素晴らしい――何でもないような描写にもいちいち詩情が香るようだと言うか……四ツ谷まで読み続けて、降車した。
 丸ノ内線へ乗り換えである。FISHMANS "いかれたBABY"のメロディを口笛で小さく吹いたり、鼻歌で鳴らしたりしながらホームの端へ歩いていった。それから階段を上って改札を抜け、地下鉄駅の改札をくぐる。ホームの中程に立ち、手帳を読みながら待っていると電車がやって来たので乗った。扉際に就く。こちらの向かいの扉際では、サラリーマンと同僚らしき女性が一人、談笑していた。何の話をしていたのかはもはや覚えていない。
 二駅乗って国会議事堂前で降りた。階段を上り、通路を辿るのだが、地下鉄駅の通路というのは無機質かつ閉鎖的であり、風景にも変化がなく単調で、歩いているあいだのことを全然覚えることが出来ない。どこをどう辿ったのかも覚えていないが、表示に従って通路を歩き、千代田線のホームに入った。我孫子行きがまもなくやって来たので乗ったものの、この際の車内の様子もまったく記憶にない。相変わらず手帳を眺めてはいたはずだ。二駅で日比谷に着き、降りて改札を抜け、長たらしい通路を通ってA-14の出口へ向かった。
 階段を上って地上に出ると、すぐそこが日比谷公園の入口だった。公園入口には何かアンケートみたいなものを持ってうろついている人が立っており、警備員の姿もあった。あたりにはテントがいくつも設けられて色々なものを売っているようだ。人々のうろついているなかを進んで、小音楽堂方面へ。広場に着く。出店が色々とあり、噴水を取り囲むようにして席が多数設けられている。テントの一つはラジオのブースとなっており、その前に人だかりが出来ている。T田、T、Kくんの三人は先にもう到着しているはずだった。席のうちのどこかに座っているかと噴水の周囲を回っていくが、それらしき顔が見つからない。そのうちに携帯を見るとTからメールが入っていて、列に並んでいるとあった。列とはどこか? 広場にいると返信しておき、列を探して小音楽堂方面の通路に入っていくと、ここに長たらしい行列が出来ていた。二列が二つ並んでおり、左の二列と右の二列は人々の向かう方向が違っていて、途中で折り返しがあるくらいに長くなっていた。並んでいる者の顔を見やりながらその列に沿って進んでいると、T田が前からやって来たので、おう、と挨拶した。彼について歩いていくと、結構先で二人と合流することが出来たので、こんにちはと挨拶をした。あたりには木々が立ち並んでおり、明るい緑の幕が頭上に生まれていて、近間にはテニスコートがあって老若男女が球技に勤しんでいる。TとKくんはそれを見て、あそこの一組だけ明らかに上手いね、弾道が低いもんね、ほかは山なりだもんね、などと話し合っていた。リハーサルの音やTRUEという歌手の力強い歌声が遠く離れていても伝わってくる。
 そのうちに列が動きはじめた。前に向かって歩いていき、立っているスタッフを点として折り返し、音楽堂の方へ向かう。ここでこちらと並んだTは、軟式テニスは品が悪いという話をしてくれた。軟式テニスと硬式テニスでプレイヤーの柄に違いがあるらしく、軟式は相手が失点した時など煽るような声を出すのだと言った。そんな話を聞きながら音楽堂まで歩いていき、席のある区画へ入った。席は長椅子と言うかベンチと言うかがいくつも並んでいるだけの簡素なものである。まだ人の入っていない一画が残っていて、その最前列が良さそうだとこちらは思ったが、先頭を歩いていたT田とKくんが流れに従って後ろの方の列に入ってしまったので、それに続いた――もし最前列を選んでいたとしても、楽団から見ると横方向になったので、音のバランスはあまり良くなかったかもしれないが、それでもやはり近くを取った方がまだ良かったのではないかと今からは思える。並びは左端からT田、Kくん、Tにこちらという順番である。Tの格好はボーダー柄のワンピースに、足もとは可愛らしいような、小さな菫の花でも思わせるような紫色のヒールで、首もとにはネックレスをつけていた。それだけならば軽装だが、彼女はさらにカーディガンを持ってきており、のちの電車内などでは羽織っていた。荷物は腕に掛けるような白いバッグに日傘である。Kくんはこちらもボーダー柄のインナーに、薄手の紺のサマー・ジャケット、下は前回植物園に行った時のものと同じだろう、真っ黒なパンツに、靴下は赤だった。彼は手ぶらでバッグなどは持っておらず、財布を内ポケットに入れて、水のペットボトルを持ち、マカデミア・ナッツのチョコレートをポケットに収めていた(待っているあいだに、こちらも一粒だけ頂いた)。T田はいつもながら洒落っ気がなく、ワイシャツのような色気のないシャツに、下は苔色のズボン。それに手提げのバッグを持っていたが、これはのちに帰りの電車内で聞いたところでは、去年の誕生日にKくんとTが彼に贈ったものなのだと言う。
 待っているあいだ、左のTに、最近はどうかと訊かれる。忙しいかと問われるのに、そんなに忙しくはないと答え、最近は短歌を作ったりしており、このあいだなどは生まれて初めて詩を書いたと伝えた。子供の頃国語の授業でやった、結構好きだったと彼女。何についての詩かと問うので、言葉を適当に並べただけだからあまり何についてというのはないと答える。
 天気は曇りである。陽は陰っていた。それに加えて頭上には薄緑色の木々の冠が掛けられており、人がたくさん集合しているので多少蒸す感じはあったが、それほど暑くはなかった。涼しくて良かったね、とTと話しながら開演を待つ。客はやはりアニメやそちら方面の歌手を好きな人が多いようで、ライブの物販で売られているのだろうTシャツを着ている姿がいくつか見られた。じきに一二時四五分が来て、演奏が始まった。洗足学園音楽大学フレッシュマン・ウインド・オーケストラ &TRUE(from 響け!ユーフォニアム)の公演である。最初の一曲はMCなしでいきなり始まったと思う。TRUEが早くもその歌唱を披露したのだが、こちらの位置からは彼女の姿はちょうど一本の木に完全に隠されていて、指揮者と楽団の姿しか見えず、曲が始まってからしばらくは、歌手は一体どこにいるのだろう、サビあたりで登場するのだろうかと勘違いしていた。本当は当然、一番最初からステージ上に登壇していたのだ。TRUEという歌手はこちらは勿論初めて――いや、『響け! ユーフォニアム』の劇場版を見た際にエンディングで彼女の歌唱が流れたのを別とすれば初めて聞くものだった。Aメロなどの低音部ではやはり微かに安定性が落ちると言うか、いや、それでも充分に膨らみのある声だったとは思うのだが、やはり僅かに聞き劣りはしたものの、中音域から高音域に掛けての声の張りは見事で、「凛とした」というような形容がよく似合うように思われた。地声や低音では少々可愛らしいようなと言おうか、やや弱い声色なのだが、ある程度の音域を越えると、いかにも「歌声」という感じの力強く響きのふくよかな発声に変わるのだ。最高音はかなり高いところまで達していたと思うし、長く音を伸ばしたあと、呼気をかなり使ったあとの音の消え際でビブラートを掛けたりというテクニックも披露していて、呼吸や発声のコントロールはさすがにプロだなという感じだった。
 二曲目は"ライディーン"。パーカッションのソロがラテン風味でリズミカルでなかなか良かったが、短いものだった。ベースはエレキ・ベースだったが、やや出力が弱かったか? 全体としてもドラムの音の方が目立ってベースはバランスとしてはやや弱いようにこちらは感じられたのだが、しかしKくんはあとになって、コントラバスの音が非常によく聞こえたと言っていた。どちらの言が正しかったのかはわからない。ドラムのシンバルが八分の裏打ちをする場面があったのだが、そこではほんの僅かにリズムがずれていたと言うか、安定性をほんの僅かに崩していたと思う。この点はKくんも指摘していた。しかし全体的にドラムのハイハットの刻みが忙しい曲展開が多くて、一六分音符で細かくリズムを作っていくような曲ばかりだったので、ドラムは結構健闘していたと言うべきだと思う。T田もあとになって、リズムは吹奏楽の演奏ではかなり良い方だったと評価していた。
 三曲目、五曲目はこちらの知らない曲。『響け! ユーフォニアム』本篇のなかで取り上げられたものだろう。六曲目はふたたびTRUEが出てきて、多分劇場版のエンディング・テーマだった曲を披露したのだったと思う。四曲目は"リズと青い鳥"で、これはこちらも映画を見たから知っていた。まあやはり白眉と言うのはこの曲の演奏だったのではないかと思う。第一楽章は、第三楽章のソロをすべて収めるためだろう、かなり短く編集されていた。そのオーボエとフルートのソロなのだが、映画で見た時にはもっと朗々と吹き上げていたように思うのだが、この時はそれよりもやや平板と言うか、細かなニュアンスが伝わってこないように感じられた。ただそれは演者の問題ではなく、こちらの座った席と楽団との距離の問題だったのだと思う――加えて、野外での演奏なので音が拡散しやすいということもあっただろう。
 それで終演。人々の流れに沿って席から退去しながら、それぞれ感想を少々漏らす。広場を抜けて公園入口へ。飯は措いて、とりあえず池袋に移動することになった。夜から彼の地でうさぎカフェとやらに行く予定になっていたのだ。それで有楽町からならば一本で行けるということで、有楽町駅まで歩くことに。馬鹿でかいビルの足もとを歩いていき、線路沿いに出て、ガード下に様々な飲食店が集っているあいだを通っていく。ラーメン屋が結構あるねとTと話す。線路のガード下をくぐり、有楽町駅の正面に出て、JRか地下鉄で行くかとなって、地下鉄を選ぶことに。Tに、地下鉄大丈夫なのと尋ねた。彼女が地下鉄が苦手だというようなことを以前にLINE上で言っていたのを思い出したのだ。一人ならば避けるけれど、皆と一緒ならば平気だと言う。地下鉄が苦手だというのはどういう心境なのだろう、パニック障害時代のこちらと似たような感じなのだろうか。閉鎖的な感じが嫌なのだろうか。ともかく、地下鉄駅に入ったのだが、このあたりの改札を抜けたりした時の記憶は全然ない。情景がまったく蘇ってこない。電車に乗って、四人並んで席に就いた。ホームで電車を待っているあいだにこちらの前に立っていたT田が、貸していた『灯台へ』を差し出してきた。それに応じてこちらは梶井基次郎檸檬』を交換で差し出したのだった。それで電車内では『灯台へ』のどこが良かったか、自分はどこが好きかなどという話をした。T田は、第三部では全篇に渡って誰もがラムジー夫人のことを思い出し、彼女のことを考えているわけだけれど、他人がずっと他人のことを考えているという様をひたすら描写していくその点が印象的だったというようなことを述べた。第三部のなかでこちらの好きな箇所は、リリー・ブリスコウがラムジー夫人の存在そのものが――彼女が特別な何をしたわけでもないのに――自分とチャールズ・タンズリーのあいだを結びつけてくれ、「芸術作品[ワーク・オブ・アート]のように」いつまでも心に残って消えない瞬間を生み出したことがあったと回顧している部分である。長くなるが以下に引いておこう。

 (……)そういえば、とリリーは思い出す、海辺でちょっとした事件があったっけ。あれは忘れられない。ある風の強い日の朝、皆で浜辺に出かけていた。ラムジー夫人は、そばの岩陰に腰を下ろして手紙を書いていた。夫人は長い間ずっと書き続けているようだった。「あら」とやっと目を上げると、彼女は海に何か浮かんでいるのを見つけて言った。「あれはエビ取り籠[ロブスター・ポット]なの? それとも転覆した舟[ボート]なの?」もともともと近眼でよく見えなかったのだろうが、たったそれだけの言葉で、チャールズ・タンズリーが急に打ち解けた様子になったのだ。彼は水切り遊び[ダックス・アンド・ドレイクス]をし始めた。小さく平たい黒っぽい石を拾っては、二人で波の上を走らせるように投げた。時折り夫人は眼鏡ごしに見上げると、二人の方を見て笑った。互いに何を話したのかは覚えていない。ただ、わたしとチャールズが石を投げ始めて二人の間が急になごやかになったことと、ラムジー夫人がそれをじっと見守っていたことを覚えているだけ。でも見つめていた夫人の姿は、はっきりと意識に焼きついている。あの時の夫人の姿は、と一歩後ろに下がって目を細めながらリリーは考えた。(夫人がジェイムズと踏み段のところにすわっていてくれたら、ずいぶん構図は変わっただろうに。そうすればあそこに影ができたはずだわ。)ラムジー夫人――自分とチャールズが水切り遊びをした浜辺での光景を思い起こすと、どういうわけかあの場面のすべては、岩陰で膝に便箋をのせて手紙を書いていた、あのラムジー夫人がもたらしたもののように思えてくる。(夫人はしょっちゅう手紙を書いていて、時々風に便箋を吹き飛ばされ、わたしとチャールズがもう少しで海に流されそうだったのを取って来てあげたこともある。)でも人間の心には、なんて不思議な力があるものだろう。ただ夫人がそばの岩陰で手紙を書いているというだけで、すべてがとても単純なことのように思えてきて、怒りも苛立ちも古いぼろきれのように脱げ落ちてしまったのだから。夫人は、これとあれと、またこれと、というふうに実に無造作に結び合わせて、取るに足りない愚かさや憎しみの中からでも(わたしとチャールズはいつもいがみ合い、愚かなことで仲違いしていた)、何か大切なものを――たとえばあの浜辺での一場面、あの友情と好意の瞬間のようなものを作り出すことができた。そしてそれは長年月を経ても少しも色あせなかったので、タンズリーを思い出そうとしてそこに身を浸すこともできるし、その場面自体がほとんど芸術作品のように、心の奥に宿っているのだった。
 「芸術作品[ワーク・オブ・アート]のように」とリリーは繰り返して、キャンバスから客間へ上がる踏み段に目を移し、さらにまたキャンバスの方を見た。少し休まなければ。絵と風景をぼんやり見比べながら休んでいると、絶えず心の中の空を横切り続ける昔からの疑問が、またしても頭をもたげてきた。それは茫漠とした摑みどころのない疑問なのだが、こんなふうに張りつめていた気持ちを少しやわらげた時など、決まって妙になまなましい形をとって浮かんでは、彼女の前に立ちはだかり、動こうともせず、暗くのしかかってくるのだった。人生の意味とは何なのか?――ただそれだけのこと。実に単純な疑問だ。だが年をとるにつれて、切実に迫り来る疑問でもあった。大きな啓示が訪れたことは決してないし、たぶんこれからもないだろう。その代わりに、ささやかな日常の奇跡や目覚め、暗がりで不意にともされるマッチの火にも似た経験ならあった。そう、これもその一つだろう。これとあれと向こうのあれと、わたしとチャールズと砕ける波と――ラムジー夫人はそれを巧みに結び合わせてみせた、まるで「人生がここに立ち止まりますように」とでもいうように。夫人は何でもない瞬間から、いつまでも心に残るものを作り上げた(絵画という別の領域でリリーがやろうとしていたように)――これはやはり一つの啓示なのだと思う。混沌の只中に確かな形が生み出され、絶え間なく過ぎゆき流れゆくものさえ(彼女は雲が流れ、木の葉が震えるのを見ていた)、しっかりとした動かぬものに変わる。人生がここに立ち止まりますように――そう夫人は念じたのだ。「ラムジー夫人! ラムジー夫人!」とリリーは繰り返し呼びかけた。こんな啓示を受けたのはあなたのおかげです。
 (308~311)

 「人生がここに立ち止まりますように」! 何と美しい言葉だろう。そのほか、『檸檬』は私小説的で、まあ言ってみれば身の周りの日常を描いているのだけれど、描写が非常に瑞々しい、ささやかな日常のなかにもそうした瑞々しい、はっとするような瞬間があるというのをこれを読んで知るのも良いのではないだろうか、などと話しているうちにあっという間に二〇分ほどが経って池袋に到着した。電車を降り、階段を上ったと思うのだがよく覚えていない。改札を抜けたところで、T田が金を下ろしたいと言い、TもICカードに入金しに行った。残ったKくんとこちらの目の前にはちょうど柱に貼られた広告があったのだが、それがまさしく檸檬のそれだったので、檸檬じゃん、タイムリーだなと言い合った。お中元の広告で、瀬戸内レモンを勧めるものだった。何とかいう文言が書かれてあったのだが、こういう一節が小説中にあるのとKくんが訊くので、いや、ないなと笑って答えた。そのうちに二人が戻ってきたので通路を辿って地上に出た。池袋東口の駅前で、さてどうするかと話し合う。T谷とMUさんは遅れて来る。そのうちにKくんが、「餃子の王将」に行くのはどうかと提案した。Tは王将は行ったことがないと言い、こちらも同様だった――こちらの狭い行動範囲のなかに王将を見かけたことがないのだ。それでそこに向かうことに決まり、歩き出した。歩いているあいだのことは覚えていないし、池袋など土地勘がないのでどこをどう歩いたのかもまったくわからない。王将に着くと入店し、二階の隅の席に通された。注文したのは、Kくんは餃子定食、Tはジャストサイズの炒飯に餃子一人前、こちらは豚カルビ炒飯にやはり餃子一人前、T田は焦がしニンニク醤油ラーメン定食みたいなやつだった。タッチパネルを使ってそれぞれ注文し、品物が来るのを待つ。待っているあいだ、そして食事のあいだに何を話したのかは例によって覚えていない。じきにこちらの品物もやって来たのだが、どうもこれが豚カルビ炒飯ではなく、普通の炒飯だったのではないかという気がする――店員も「炒飯のお客様」と言っていたし、見た目もTが頼んだ普通の炒飯と何も変わらなかったように見えるのだった――まあ面倒臭いので何も口出しせず、持ってこられたそれを文句を言わずに普通に食ったが。じきに、食事をそろそろ終えようという頃になって、T谷とMUさんが合流した。彼らはテーブルの横にちょうど二つ置かれていた背もたれのない――いや、あったかもしれないが――丸椅子に二人並んで座った。食事を終えたこちらは、右手に座ったMUさんに、親指を差し向けて、キャラメルボックスが……と口にした。そう、休止しちゃってと彼女は受ける。前日だかにTwitterのトレンドに「キャラメルボックス」という単語が入っていたので、見てみたところ、この劇団の活動休止の報が見られたのだった。MUさんの推測によると、団員のなかの「加藤さん」という人に何かあったのではないかということだった。
 そのうちに、喫茶店に行くかあるいはファミレスに行くかというような話になって――うさぎカフェの時間までに何をするかは未定だったのだ――、こちらはルノアールはどうかと提案した。王将まで来るあいだにルノアールがあるのを見かけていたし、ルノアールだったら六人でも入れ、なおかつ長時間いても追い出されないのではないかと思ったのだった。ボーリングはどうかという案も出たが、これはこちらが面倒臭いと言って却下した。しかし今まで二、三度却下してきているので、そろそろ行かなければならない羽目になるような気がする。面倒臭いことだ。そのうちにT谷が、淳久堂に行きたいみたいなことを言い出した。それに対してこちらが、淳久堂、と反応したところ、ボーリングの時と比べて食いつきがいいな、嬉しそうだなということで皆に笑われた。それでひとまず書店に行くことに。そうして席を立ち、こちらが伝票を持って階段を下りて会計へ。個別会計を頼み、こちらは七九九円を払って外に出た。
 そうして通りをまっすぐ歩いていると、いつの間にか淳久堂が目の前にあった。入店。三階が文芸の階だと言うのでこちらはそこに行くことに。T谷とKくんは六階のコンピューター関連の区画に行きたいらしい。それでT田も合わせて四人でエレベーターに乗り込んだ。こちらは三階で降りたところ、T田がついてくると思っていたのだが、振り向くと誰もおらず、一人になっていた。それで思う存分見分を楽しむことに。最初は海外文学の棚を見ていたのだが、じきに詩の方へ。北園克衛の詩集が念頭にあった。北園克衛の著作は、『記号説』と『単調な空間』だったか、おそらくわりと新しめの編集版らしきものが二冊あり、どちらも結構前衛っぽかったので、もう少し穏当なところから触れていきたいなと思った。現代詩文庫の『北園克衛詩集』があれば良かったのだが、これは置かれていなかった。そのほか、『白昼のスカイスクレイパア』という小説集もあって、これも以前から少々気になっているものではある。現代詩文庫の欄を見ると、『続・岩田宏詩集』があった(「続」がついていない普通の『岩田宏詩集』もあった)。そのなかを覗くと、今まで気づかなかったものの、旧版には含まれていない詩篇やエッセイが新版には含まれているらしいことに気づいたので、これは旧版で既に持っているのだけれど購入しておくことにした。それから短歌の棚に。石井辰彦という歌人が気になっていて、作品があるかなと見に来たのだったが、薄めの『全人類が老いた夜』と、比較的厚めの『逸げて來る羔羊』の二冊があったので、どちらも買うことにした。この人は括弧を多用したり、三点リーダーやダッシュなどの記号を取り入れたり、ルビを効果的に使ったりしていて、前衛風の作風なのだ。そのほか、せっかく遠出して淳久堂本店に来たのだからここでしか買えないようなものを買おうということで、日本の現代文学の区画を見分して、『金井美恵子エッセイ・コレクション [1964-2013] 3 小説を読む、ことばを書く』を買うことにした。また、木下古栗も気になったが、さすがに金が掛かるので見送ることにした。そのほか金原ひとみの新作、『アタラクシア』も表紙を表にして並べられていて、これはNさんが言っていたやつだなと見た。四冊を持ちながら海外文学の方にふたたび行き、ソローキンの『青い脂』など買おうかとも思ったが、やはり金が掛かるのでやめた。海外文学を見て回ったなかでは、アンリ・ボーショー『アンチゴネ』という著作が面白そうだった。書肆山田の「りぶるどるしおる」シリーズから出ているやつで、訳者の宮原庸太郎という人は個人でトリスタン・ツァラを訳している人である。
 そうして見て回ったあと、一階に下りて会計をした。九五〇四円。また散財してしまった。それからふたたび三階に上がって皆がいるかどうかフロアの隅まで確かめたが、姿がなかったので、ひとまず思想の棚でも見に行くかということで四階に上がった。そうして思想の区画をうろついていると、T田と遭遇し、合流した。その後も一人で哲学・思想の著作を見分していると、ほかの皆もじきにやって来たので連絡を取らずともうまく合流することが出来た。そうして喫茶店にでも行くことにして、エスカレーターを下り、ビルを出た。
 近くにVELOCEがあったのでまずはそこに行ってみようということで入ったのだが、やはり六人は厳しいということだった。それでルノアールへ。道中歩いている時のことは例によってよく覚えていない。入口から階段を上って二階の店に入ると、ここでもやはり六人は厳しい、三・三で分かれるようだと言うので、それではやはりファミレスに行くかとなった。それでT谷を先頭として歩き、ガストへ。ビルの二階の店舗で、階段で上っていき、一旦店内に入ってT谷が用紙に名前を記入したあと、階段の途中に皆溜まって呼ばれるのを待った。待っているあいだ、階段には頻繁に人が行き来し、それも女性が多かった。上は何があるのかなと言うので、先ほど看板を見ていたこちらは、女性専用のゲーム店だと言った。どうも人気があるようだ。それからしばらくして店内に入り、椅子に腰掛けて呼ばれるのを待ったが、結局やはり三・三に分かれてしまうことになった。それでも、テーブルが空いたら合流できるという許可を店員から取りつけ、こちら・T田・T谷、Kくん・T・MUさんの三人ずつで分かれた。こちらのテーブルでは、デザートでも食うかというわけで、チョコレートサンデーを二つと抹茶のババロアを一つ注文し、その後、T谷が腹が減ったと言って山盛りポテトフライを追加注文した。
 話したことは大して覚えていない。こちらは、最近はドヴォルザーク交響曲第八番と第九番を聞いているという話をした。カラヤン指揮のやつを久しぶりに聞いたが良かったと言い、第九番の第四楽章の、あのダサさね、と笑った。DokkenやMichael Schenker Groupに通ずるダサさを感じると言った。それに対してT田は、あのあたりの短調の陰鬱なメロディというのはスラブ方面のもので、チャイコフスキーなんかも初期にはよく使っていたものだと説明した。
 話したことを覚えていないのでどんどん先に進もう。だいぶ経ってから六人掛けられるテーブル席が空いたのでそちらに移動した。MUさんがポテトフライを、T谷とTはそれぞれ食事を何か頼んでいた。こちらはポテトフライとサンデーを先ほど食っていたので腹は特に減っていなかった。それで雑談しながらものを食うものはものを食ったあと、六時半頃になって、六月一二日、T谷の誕生日にそれぞれのメンバーが行きたいところをプレゼンしてT谷に決めてもらうという流れになった。Kくんは船橋アンデルセン公園。ここはこちらも良さそうだなと思っているが如何せん遠すぎて向かうのが面倒臭い。Tはディズニー・シー。MUさんはディズニー・ランド。こちらは美術館として、上野の国立西洋美術館で松方コレクション展というのがやると紹介した。結果、T谷はディズニー・シーに行ってみたいと言った。従ってこちらは一二日は欠席することが決まったのだが、その点についてほかのメンバーは来るように誘ってくれたものの、こちらはテーマパークの類にはあまり興味がないし、場所も遠くて面倒臭いしで固辞した。
 それで六時四五分頃になったところで退店。個別会計は不可だったので、細かい金のなかったMUさんが一万円札を出した。こちらは彼女に一四〇〇円を渡し、自分たちのテーブルで食べたものすべての会計を持った。T谷に奢る形になったわけだが、これもまあ誕生日プレゼントの一環ということで良いだろう。そのほか、ヘミングウェイの『老人と海』を贈ろうかなと思っている。
 そうして退店し、うさぎカフェに向かった。道中のことはやはり覚えていない。いつの間にか店に着いていた。店は地下。階段を下りていき、Tが予約していた者だと申し出たのち、トイレを済ませに行った。トイレはさらにもう一階地下にあり、その階には獺の部屋も設けられていた。トイレから戻ると先払いだということだったので、一五〇〇円を支払い、狭いアパートの部屋のような店内に入店。狭いスペースで靴をスリッパに履き替え、荷物を物掛けに掛け、スカートのような布を装着し、さらにその上からエプロンを身に纏った。そうして、店内を区切っているいくつかの小部屋のなかの一つに入る。そこには兎が五、六匹いた。実に可愛らしい生き物である。それぞれ皆席に就いて、渡された餌を兎にあげたり、ふわふわと体を撫でさすったりして動物を愛でた。T田などはかなり可愛がってひたすら撫でており、その様子を見てこちらはT田の(父性ではなくて)母性が発揮されているなと呟いた。兎たちのなかには一人、KくんやTが「やまのごとしくん」と呼ぶ薄茶色のものがいた。曰く、まさしく山のごとく静止して動かないのだと言うが、最初のうちは彼(彼女?)も動き回っていたものの、じきに食事を取って落ち着いたのだろうか、部屋の隅で確かに動かずにじっと留まっていた。こういう動物が、いるんだねえと爺のようにしみじみ呟くと、皆に笑われた。
 ドリンクの注文を取ったあと――こちらはグレープ・フルーツ・ジュースを頼んだ――一旦兎の部屋をあとにして、獺の方に向かった。スリッパ履きのまま室を出て階段を下りていき、そちらの一室に入る。キューキューいう鳴き声がたくさん響いていた。部屋は二つに区切られており、そのうちの一室に一人ずつ入っていった。獺が脱走しないように、扉を開けると風呂桶の蓋のようなものを仕切りとして身体を取り囲まれ、扉を閉めたあとにその仕切りも取り払って室のなかに進む、という形だった。獺は三匹いた。結構大きく、多動で、座った我々の膝の上を終始行き来し、渡り歩き(岩田宏の著作の名前だ!)、鳴き声を散らしながら室内を動き回ってやまなかった。KくんやT谷などは、肩の上に乗られたりしていた。そのうちに女性店員の手によって、餌の魚が室内に運び込まれた。皆は抵抗なくそれを受け取って手に載せ、獺に食べさせていたが、手が汚れて臭くなってしまうという店員の言葉にこちらは怯んで、手を出さず、こちらのもとにやってくる獺を撫でるに抑えていた。獺たちは旺盛に動き回って、一度などこちらのつけているエプロンの内側に入り込んできたこともあった。また、ポケットを探ろうとするのだった。上の階で着替えた際に、その点は注意されていて、ポケットのなかのものを取ろうとするので、ポケットは空にしておいてくださいと言われていたのだった。
 獺たちと戯れたあとは、ふたたび上階に戻って最初とは別の仕切られたスペースに、三・三で分かれて入った。こちらはKくんとT田と一緒になった。グレープ・フルーツ・ジュースを飲みながら兎三匹と戯れる。この部屋の兎は、一匹は毛が普通に整えられていたものだったが、あとの二匹は毛が結構伸びていて、老人の白い髭のようになっていて、佇まいも何だか貫禄があると言うか、ふてぶてしいような感じだったので、こいつは「長老」だな、と一匹の方を名付けた。それで、「長老! 長老!」と呼びながら撫でたり、「長老、食べてください」などと言って口もとに餌を差し出すなどして遊んだ。
 そうして時間がやって来たのでスカートとエプロンを外し、手を洗って荷物を持って退店。階段を上がって地上に出る。それからどうしようか、もう解散しようかと話して、T谷が公園にでも行こうかと提案した。それで彼について歩いて行く。サンシャイン・シティを越え、高架下の横断歩道を渡ったところに公園があった。電灯の少ない、薄暗い公園で、人は結構いたが――一人で座り込んでスマートフォンを弄っている人影が結構見られたのだが、あれは「ポケモンGO」でもやっているのだろうか?――その顔や姿形は定かに見えなかった。段差のあたりに集まって、腰掛ける。それで適当な話を交わす。そのうちにTが、こちらが買った詩の本を見てみたいと言い出したので、『続・岩田宏詩集』を渡した。最初は詩篇を読んで何やら笑っていた彼女だったが、じきに巻末の方に収録されている谷川俊太郎の、「33の質問」を見つけて、それを読みはじめ、また何故かKくんに、それをFさんにも訊いてみたらとそそのかされて、こちらにも質問を投げかけはじめた。こちらは特に嫌がらず、何でも答えようと言ってそれらの質問を受けて立った。実際の質問は順不同だったが、今は『続・岩田宏詩集』の該当箇所を見ながら、順番に沿って訊かれた質問と、こちらが答えた回答を記しておく。

 ・「アイウエオといろはの、どちらが好きですか?」――そりゃあ、いろはでしょう。しかし、アイウエオの即物性も捨てがたい。
 ・「前世があるとしたら、自分は何だったと思いますか?」――そりゃ、小説家でしょう。
 ・「草原、砂漠、岬、広場、洞窟、川岸、海辺、森、氷河、沼、村はずれ、島――どこが一番落着きそうですか?」――草原。
 ・「白という言葉からの連想をいくつか話して下さいませんか?」――白から安直に雪を連想して、雪のエピソードと言うと祖母の死んだ日と葬式の日のそれかなと思ったので、それについて話した。
 ・「好きな匂いを一つ二つあげて下さい」――好きな匂いではないが、今ぱっと思い浮かんだのは、雨が降って止んだあとのアスファルトから立ち昇る匂い。
 ・「あなたにとって理想的な朝の様子を描写してみて下さい」――日の出とともに目覚める。
 ・「一脚の椅子があります。どんな椅子を想像しますか? 形、材質、色、置かれた場所など」――背もたれのない、丸い座席がついている、スツール型と言うのかそういった椅子で、脚は四本。色は何でもいい。置かれた場所もどこでもいい。
 ・「目的地を決めずに旅に出るとしたら、東西南北どちらの方角に向いそうですか?」――南。
 ・「子どもの頃から今までずっと身近に持っているものがあったらあげて下さい」――内向性。
 ・「素足で歩くとしたら、以下のどの上がもっとも快いと思いますか? 大理石、牧草地、毛皮、木の床、ぬかるみ、畳、砂浜」――ぬかるみ。
 ・「あなたが一番犯しやすそうな罪は?」――怠惰の罪と答えたかったのだが、Kくんに先を越されてしまったので、困った結果、「罪を犯さないという罪」というよくわからないことを言った。
 ・「理想の献立の一例をあげて下さい」――煮込みうどん。
 ・「大地震です、先ず何を持ち出しますか?」――やはりコンピューターを持ち出したくなる。日記を書くために。
 ・「宇宙人から〈アダマペ プサルネ ヨリカ?〉と問いかけられました。何と答えますか?」――おはようございます! と。
 ・「人間は宇宙空間へ出てゆくべきだと考えますか?」――地球のことだけで手一杯だよね。
 ・「もっとも深い感謝の念を、どういう形で表現しますか?」――やはり「ありがとうございます」と言うしかないよね。

 その後、さらにメンバー一人ひとりが好きな質問をこちらに投げかけてみようということになり、何故こちらばかり答えているのかよくわからなかったのだが、ともかく何でも答えるぞとこれも受けて立った。Tからは、手近の木を指して、あの木を名付けるとしたら何という名前にするかという質問があったので、間髪入れず、「ジョージ」と答えた。あるいは「譲二」のように日本語名でも良いだろう。Kくんからの質問は何だったか忘れた。MUさんからは、動物を買うとしたら何かとあったので、猫と答え、T谷はそれに被せて、その猫に名付けるとしたらと寄越して来たので、これも間髪入れず、ぱっと思いついた名前で、「ロートレアモン」と答えた。するとそれに対して、それは「ロートレアモン」とずっと呼び続けるのか、それとも「ロー」と略したりするのかと訊かれたので、確かに「ロートレアモン」といつも呼ぶのは長くて面倒臭いから、「ロー」で良いと答えると、『ワンピース』のトラファルガー・ローみたいだなと言われた。T田は質問が思いつかなくて散々迷ったあげくに、文学を嗜むようになったきっかけを話してくれとあったので、前々から文学というものに興味はあったが、大学四年生の時に卒論を終えてからようやく読むようになって……などと簡単に話した。
 それからさらに、こちらから何か皆に質問はないかと訪ねられたので、好きな言葉は、と訊いたあと、大切な言葉は、と追加して言い直した。Tは「ありがとう」というお礼の言葉を大切にしているとのこと。ほかの皆の回答は忘れた。そのようなやりとりを交わしたあと、一〇時前くらいだったかと思うが、そろそろ帰ろうということになって公園を出た。池袋駅に向かって歩いていく途中、路傍に躑躅がたくさん咲き群れている一角があったのでそのことに言及すると、T田が、これはサツキツツジだなと言った。サツキツツジという名前のわりに、五月の下旬から六月頃にならないと咲かないらしい。
 駅に入り、改札の前でT谷と別れ、ほかの皆は駅内に入って電車に乗った。山手線である。T谷への誕生日プレゼントは何が良いのかということを話しながら揺られて、新宿で降車。階段を下り、京王線か何かに乗るMUさんとはここでお別れである。ディズニー・シーには行かないというこちらに対して、MUさんは、こちらの片手を両手で取って包みながら行かないの、と誘ってくれたのだったが、こちらは薄笑みを浮かべながら首をひたすら横に振った。そうしてMUさんと別れ、あとの四人は中央線に乗るので通路を辿って該当のホームへ。階段を上ってすぐのところの列に並び、電車がやって来ると乗り込み、扉際に集まって引き続きT谷へのプレゼントについて話した。色々と案は出ているのだが、T的にはこれだ! という決定的なものがないようだった。こちらはコーヒー・メーカーの類など良いのではないかと思ったのだが。いずれにせよこちらはヘミングウェイ老人と海』を贈ろうかと思っているので、残りの皆さんで決めてもらえばいい話である。
 そうして三鷹に着いてTとKくんは降車。Kくんが例によって片手を差し出してきたので何故か握手を交わした。じゃあな、S、と下の名前で呼ばれるのに対して、じゃあな、J、とこちらも呼び返して別れ、その後はT田とともに立川まで乗った。我々の目の前、扉の反対側には、一組のカップルが立っていた。男の方はTシャツにジーンズの軽装で、髪は無造作に、ちょっとだらしないように伸ばしたような髪型で、正直言ってあまり冴えないような風貌である。女性の方は喪服のような真っ黒なワンピースの装いで、うなじあたりまでしかない短めの髪も黒、青白いような、不健康なような肌の色の人だった。その二人が手を繋ぐと言うか、指を絡め合って戯れているのだが、男性の方はそうしながらも終始もう片方の手に持ったスマートフォンを見つめていて、恋人の方にはほとんど目を向けないでいた。女性の方はそれが不満なのだろうか、何となく浮かないような表情をしていたようだ。そのうちに座席に座るとしかし、男はスマートフォンを弄るのを止めて、女性の方に頭をやってその肩に凭れながら休んでいた。
 T田との会話は弾まなかった。疲れていたし、特に話題が思いつかなかったのだ。それでもしかし、立川がもう近くなった頃に、例の文通はまだ続けているのかと訊くと、肯定の返事が返った。何にしても長く続くといいな、とにかく続けることが大事だからといつもながらの言を送りながら降車すると、何だかんだでもう結構続いているとの返答があった。確か昨年の一一月からと言っていたと思うから、もう七か月、半年以上も続いているわけだ。それは大したものだとこちらは答え、エスカレーターを上って通路の途中で向かい合った。T田はこちらがディズニー・シーに来ることを前提とした話し方をした。距離の問題は、T田の家かKくんの宅に前日に泊まれば解決するだろうと言うのだが、しかしそれでもやはり面倒臭いので、こちらは薄笑みを浮かべて首を横に振った。別れ際、去っていくT田の後ろ姿に向けて、俺の作った詩と短歌を帰ったら送るよと言うと、振り向いた彼は手を挙げて、楽しみにしていると答えた。それでこちらは一番線ホームに下りて、たまには一号車の方ではなくて反対側の端、一〇号車に乗ってみるかというわけでそちらに向かい、乗り込むと席の端に就いた。じきに大学生らしき一団が乗ってきて、吊り革にぶら下がったりしながら騒いでいたが、彼らは早くも中神あたりで降りていった。こちらは携帯を扱ってこの日のことをメモに取った。そうして青梅に着き、乗っている電車はそのまま奥多摩行きへ移行するものだったので、席から立ち上がらずに引き続き携帯を操作し続け、最寄り駅に着くと降りた。
 その後は帰宅して風呂に入ってだらだらとして眠ったくらいのことしかないので、以下の細かな事項は省略する。


・作文
 8:52 - 9:01 = 9分

・読書
 9:18 - 9:45 = 27分
 25:45 - 25:58 = 13分
 計: 40分

・睡眠
 2:00 - 7:50 = 5時間50分

・音楽