2019/6/4, Tue.

 明け方から何度も目覚めたのに、起床に至らず、結局気づけば一一時まで眠っていた。不甲斐ない。眠りが浅くて何度も覚めてしまうが故にかえって長く床に留まってしまうのだろうか。上階に行き、着物リメイクの仕事に行った母親が残した書抜きを読み、便所に行って長々と放尿した。それから台所に入って冷蔵庫から昨日の残り物――カレーとアスパラガス――を取り出し、まずはカレーを電子レンジに突っ込んで、二分間の加熱を設定する。そのあいだに洗面所に入って顔を洗い、さらに後頭部に整髪ウォーターを吹きかけ、さらに水で濡らしもしたあとに櫛付きのドライヤーで梳かしながら乾かした。出てくると加熱は終わっていたので今度はアスパラガスをレンジのなかに入れ、温まると、二つの皿と箸にスプーンを持って卓に就いた。新聞を瞥見しながらものを食べ――六・四天安門事件から三〇年だ――食い終わると薬を服用し、台所で皿を洗った。今日は二時限の労働がある。それでさっさと風呂を洗っておいた方が良いだろうとの判断の下、皿を洗ったあとは浴室に向かって風呂桶を洗った。ブラシと洗剤を使って浴槽の壁や床をごしごしと擦り、シャワーで流すと蓋を元に戻して室を抜けた。そうして下階にやって来てコンピューターを点け、日記を書きはじめたのが一一時五三分。この日のことを先にここまで綴るとちょうど正午である。
 それから前日の記事、そして前々日の記事と綴って一時直前を迎え、ようやく六月二日の記事を完成させることが出来た。一日中外出していたものだから例によって書くことがたくさんあって――それでもなかなか覚えていられないこともあって、まだまだ書き漏らしがあるのだが――二万字近くに達した。六月二日、三日と続けて記事をインターネットに放流し、それからベッドに移ってMichael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionを読みはじめた。英単語を調べ、手帳にメモしながら五〇分ほど読んで二時に至ると切り上げ、続けてルイジ・ピランデッロ白崎容子・尾河直哉訳『ピランデッロ短編集 カオス・シチリア物語』にも入ろうかと思ったところが、気力が湧かず、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)の流れるなかで微睡みに入り込んだ。二時半になったら労働に向けて支度をしなければならないと思っていたところが、そのうちに二時四五分に達していたので慌ててベッドから離れて上階に行った。まず、ベランダの洗濯物を室内に取り込んだ。それから冷蔵庫を探ると、小松菜の残りとゆで卵があったので、それを食べることにした。そのほか、レトルトのカレーがあったことも思い出して、冷蔵庫に保存されていたパウチを取り出して水を張った小鍋に入れて火に掛けた。加熱しているあいだに卓に就いて、醤油を掛けた小松菜と、塩を振ったゆで卵を食べる。食べ終える頃にはパウチは温まっていたので台所に行き、大皿に米を盛ってパウチを鋏で切り開き、その上にカレーを掛けた。卓に戻ってあっという間にそれも食べると、流し台に向かい合って使った食器を洗い、そうして下階に下りてすぐに歯磨きをした。それから着替え、ワイシャツとスラックスを身に纏い、ネクタイは先日買ったばかりのシンプルな水色のものをつけた。ベストも羽織り、それからここまで一〇分も掛からずに日記を書き足して、現在は三時二〇分を過ぎたところである。音楽は、"Milestones"が掛かっている。
 上階へ行き、出発。道に出ると、林の縁や沢の付近に白い蝶が何匹も飛び交っていた。天気は曇りだが、こちらの薄影が路上に浮かぶくらいの光量はある。それなりに蒸していて、坂を上りきって街道に出る頃にはベストの内側に汗が滲む感触があった。街道では珍しく、東に向かう車が渋滞していた。道の先で行われている工事の影響らしかった。それで車が途切れないので、高校生らとすれ違いながら通りの南側を歩いていき、タッチ式の横断歩道で渡って裏通りに入った。
 街道にいるあいだ、道の先の方で横断歩道を渡る女子高生らの姿が目に入っていたのだったが、裏道に入ってみると高校生の影はなかった。雀が塀の上を飛び跳ねているなか、汗を滲ませながら歩いていき、この日も家の前に寝そべっている白猫と遭遇した。しゃがみこんでその体をゆっくりと撫でているあいだ、風が流れて涼しさをもたらしてくれる。口もとに指先を持っていって首のあたりを撫で、数分戯れたあと、立ち上がって先に進んだ。クラッチバッグを小脇に抱え、片手はポケットに突っ込みながら裏道を歩いていく。
 職場に着いたのはちょうど四時を回ったあたりだった。入口から入りながら、こんにちはと挨拶をし、タブレットを取って奥に進んで、ロッカーにバッグを入れると椅子に就き、タブレットで今日担当する生徒の授業記録を閲覧した。それから四時一〇分になったところで席を立ち、入口の方に向かうと、(……)さんがいたのでお疲れ様ですと挨拶をした。そうしてタイムカードを通し、準備を始める。準備中、(……)さんから、研修の一環ということでアンケートを書いてほしいと用紙を渡されたので了承した。それはひとまずレターケースのなかに仕舞っておき、準備を進めて授業である。この日は二時限。最初の時限は、(……)くん(小四)と(……)さん(小五)の姉弟が相手。昔も当たったことのある二人であるので、俺のこと覚えているの、と訊いてみたところ、覚えているとのことだった。またよろしくお願いしますと挨拶。科目は二人とも国語及び算数。一応問題はないが、二人とも遊びがちだと言うか、姉弟であることもあって話したりする時間が多く、こちらが就いていないと――あるいはこちらが就いていても――一人ではなかなか問題を解き進めようとしないので、あまり多くの問いを扱えなかったのが反省点である。国語と算数で半々にしなければならないというのも、忙しいところだ。四五分などすぐに過ぎてしまう。
 二時限目は(……)くん(小六・国語)、(……)くん(中二・英語)、(……)さん(高三・英語)を担当。(……)くんは優秀で、この日問いた問題のなかでは間違いはほとんどなかった。しかしそんなに出来るものだろうか? 答えを見ながら解いているのではないかという疑いがないでもないが、しかし真面目そうな様子なのでその可能性は低いだろう。問題についてはそういうわけで触れることがあまりなかったので、本文の要約をさせたりして突っ込んだ理解を図った。(……)くんはテスト前。補助教材を使って接続詞のthatの使い方や、過去形の文法などを復習。彼も優秀で、ほとんど間違いなく出来た。教えたのはWhoを使った疑問文に対する答え方や、excitingとexcitedの違いなど。(……)さんは以前、結構よく当たっていた生徒なので、彼女にもまた戻ってきたので、よろしくお願いしますと挨拶をした。彼女の授業は、宿題の解説がやや長くなってしまい、授業本篇は分詞を一頁扱っただけで終わってしまった。まだ最初の簡単な問題だからということもあろうが、出来は充分で、動名詞と現在分詞の区別をいくつか間違えたのみだった。宿題はメイン教材から新しい部分を一頁、復習を一頁、補助教材から前回の宿題と同じところを一頁出したが、補助教材を使わずにメイン教材一本に絞って繰り返し復習をしていった方が良いような気はする。何を目的として補助教材を使っているのかがあまりはっきりしない。
 ともかくそんな感じで授業を終え、奥のスペースで事務勤務申請書及び(……)さんのアンケートを書いていると、マネージャーがやって来たのでお疲れ様ですと挨拶をした。新しい講師の面談をするのだと言う。その後、ちらりとその新講師の姿を目にしたが、女性で、ブルーのスーツがなかなか決まっていて、歳はどれくらいだろう、面談の会話を盗み聞きしたところでは、どこかほかの会社で働いてきたあとに移ってきたようなので、こちらと同じくらいだろうか。
 書類の記入を終えると、それぞれデスクに提出しておき、退勤に向かった。面談スペースでは室長と(……)さんが並んで、誰か女性と面談していたのだが、あれは保護者の方だったのだろうか、それともこちらも新講師の面接だったのだろうか。ともかく、八時を回った頃合いに退勤し、駅に入った。ホームを歩いてスナック菓子の売っている自販機の前に行き、小型の筒状の袋に入ったポテトチップスの、うすしお味とコンソメ味をそれぞれ購入してバッグに入れた。それから奥多摩行きの最後尾の車両に乗り込んで、最初は扉際に立っていたのだが、じきに優先席に腰を掛けた。そうして手帳から岩田宏の詩句を読み返しながら到着を待ち、最寄り駅に着くと降車した。ホームを歩いていると前方の車両から友達に明るく挨拶しながら降りた高校生女子があって、その姿に見覚えがあるようだった。Aさんかなと思った。以前塾で担当していた生徒である。それでそのあとを追って歩いていくと、階段通路の入口あたりで携帯を取り出して止まった彼女がこちらに視線を送ってきていたので、こちらも長く視線を合わせていると、会釈が送られてきたので彼女だなと確定された。Aさん、と呼びかけ、A……下の名前は忘れちゃったなと顔を顰めると、Nですとの返答があった。高校一年生だと言う。また塾に来ないんですかと誘うと、部活が忙しくて来られないとの回答があったので、また受験期になってからかなと受け、いつでもお待ちしておりますと鹿爪らしく会釈をして、じゃあねと言って駅舎を抜けた。帰路を行っているあいだに、特段に印象深かったことはない。
 帰宅すると自室に下りて服を着替え、食事を取りに行った。聞けば今日、母親は着物リメイクに行ったのではなくて、先日亡くなったYさんの宅に行っていたのだと言う。食事は米にカキフライ、茸の炒め物に味噌汁など。どうでも良いテレビ及びニュースを見ながらものを食べ、薬を飲んで皿を洗うと風呂に入った。入浴を済ませて出てくると下階に戻り、一〇時直前から小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』の書抜きを始めた。Robert Johnson『The Complete Recordings』とともに三〇分ほど打鍵したのち、「思想・哲学をビジネスにするにあたって「ゲンロンがしないこと」は何だったか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間【前編】」(https://finders.me/articles.php?id=858)を、これも三〇分弱で読むと、一一時からルイジ・ピランデッロ白崎容子・尾河直哉訳『ピランデッロ短編集 カオス・シチリア物語』を読みはじめたのだったが、まもなく意識を失ったようである。気づくと二時前、パンツ一丁のまま布団にくるまって眠りに就いた。


・作文
 11:53 - 12:54 = 1時間1分
 15:13 - 15:23 = 10分
 計: 1時間11分

・読書
 13:13 - 14:00 = 47分
 21:59 - 22:27 = 28分
 22:30 - 22:54 = 24分
 23:01 - 24:28 = 1時間27分
 計: 3時間6分

・睡眠
 1:05 - 11:10 = 10時間5分

・音楽