2019/6/11, Tue.

 便所に行ってきたのち、三時手前から日記。窓をひらいていたので肌着にハーフ・パンツの格好では結構肌寒く、収納からグレン・チェックのブルゾンを取り出して羽織った。そうして一時間ほど音楽もなく、窓外から響いてくるホトトギスの鳴き声を共連れとして打鍵を続け、午前四時直前に前日の記事は完成した。素晴らしい勤勉ぶりである。
 前日の記事をブログやTwitter、noteに投稿したあと、ふたたび何となく短歌を作った。

 名前がない家も妻もなく食べ物もあるのは朝と昼と夜だけ
 東京は監視の都ならばいっそ裸を晒せ囁き声で
 青空の深いところに馬がいるすべての道は牢屋に至る
 死に人は帰らないから歌うのさ僕の心を取り戻すために
 いかにして跡形もなく消え去るかそれを考えながら眠ろう

 そうして四時半から、渡辺守章フーコーの声――思考の風景』の読書メモ。BGMにRadioheadRadiohead Rocks Germany 2001』を流して、一時間ほど掛けてすべての書抜き箇所をメモし終える。それで五時半。ちょっとTwitterなど眺めてから上階へ。両親はまだ起きていない。食卓の上のオレンジ色の電灯を点け、台所の電気も点けて、冷蔵庫を覗くと穴子飯がパックに取り分けられてある。それを取り出し、ほか、例によって卵とベーコンを焼くことにした。卵は残り二つしかなかったので、いつもならば二つ焼くところだが今日は一つのみとし、穴子飯を箸で椀に盛って電子レンジへ突っ込んだ。それからフライパンにオリーブ・オイルを垂らして、ハーフ・ベーコン四枚を落とし、その上から卵を割った。そうして蓋をして加熱しているあいだに玄関を抜け、新聞を取りに行った。戻ってくると卵は良い具合に焼けていたので、箸を使って端から剝がしていき、皿に取った。それで卓に就いて食事。前夜の夕刊から、香港で一〇〇万人規模のデモ――それは主催者発表の数値で、警察の発表では二四万人だが――があったという記事を読みながら食べる。犯罪者の中国への引き渡しが可能になる法改正に反対するものだと言う。ものを食べ終えるとさっさと食器を洗い、それからフライパンも綺麗にするために、水を汲んで火に掛けた。水が沸騰するのを待っているあいだは、今度は今日の朝刊から、引き続き香港のデモの報を追う。そうして湯が沸いた気配を察知すると台所に行き、フライパンの熱湯を零してキッチン・ペーパーで汚れを拭き取った。それで片付けは完了、抗鬱剤を服用して下階に戻ると、六時半から『Bob Dylan』を流し、渡辺守章フーコーの声――思考の風景』の、今度は書抜きを始めた。二〇分ほどで打鍵を中断し、上階に行って起きた母親に顔を見せに行った。何となく寒いよねと彼女は言い、石油ストーブも久しぶりに稼働させられていた。ゴミ出しを手伝おうかと思ったのだが、火曜日はゴミ収集のない日だった。それでこちらは仏間に入ってジャージの上着を取り出し、ブルゾンと取り替えて身につけ、そうして自室に帰るとまたしばらく書抜きを行った。Bob Dylanの音楽が終わるとともに作業も止めて七時一〇分、そこから日記を書き出して現在七時半直前である。今日は午前中から立川にパスポートの更新をしに行くつもりであり、夜からは労働である。
 Twitter上でいくらかフォロー攻勢を仕掛けたあと、Mさんのブログを読むことにした。六月三日と四日。後者の記事に含まれていた以下の記述の流れに爆笑した。

またC先生が奥さんと四歳半の息子を連れて教室に入ってきた一幕もあった。子供は日本で産まれたのだが、日本語はさっぱりしゃべれないとC先生はいった。息子はおそろしくかわいかった。女の子みたいだった。かわいい声でなにやら呟きながらぴょんぴょん飛び跳ねたりしているので、こちらもその真似をしてぴょんぴょん飛び跳ねてやると、很奇怪! という反応があったので、その場にいあわせた全員声をあげて笑った。完全に変なおじさんだと思われたはずだ。
18時になったところで部屋を出た。Lさんから大学に到着したという連絡が入ったのだ。女子寮でOさんを拾ってから彼女の待っているという第五食堂付近に向かうことになった。おもては死ぬほど暑かった。女子寮前でLSさんと別れたが(誘うべきかいなかちょっと迷ったが、今日はあくまでも火鍋のグループチャットのメンツで集まる日である)、寮の中で売店の老板がスイカを切り売りしていたらしく、わざわざ引き返してきて先生ほしいとたずねてみせるので、くれくれと応じた。それで彼女が老板と交渉しているあいだ、女子寮の入り口にある門の柵を動物園の猿のようにわしづかみにしながら、りせい! スイカくれ! りせい! スイカくれ! と日本語で叫び続けた。となりにいたKさんが恥ずかしくてたまらずその場から逃げたそうにしているのが面白かったので、ますます悪ふざけして今度は中国語で、给我西瓜! 给我西瓜! と叫んだ。

 それで時刻は八時過ぎ。一旦上へ。風呂を洗うことに。浴室にゴム靴で入り、栓を抜いてまだ生温い湯を流しだし、それからブラシで浴槽を擦り洗った。シャワーで洗剤を流し、栓と蓋をもとに戻して出てきて、階段に差し掛かったところで仏間の父親からおはようと呟かれたので、はい、と答えた。そうして下階に下り、自室に入って着替え。tk TAKEO KIKUCHIのTシャツ、いくらか幾何学的と言うような模様の赤褐色の差し込まれたシャツを着たかった――折角買ったので。それとオレンジっぽい煉瓦色のパンツを合わせてみたところ、近い色合いだからだろうこれがなかなか調和した。ただ、その上にグレン・チェックのブルゾンを羽織ってみると、Tシャツの柄とブルゾンのチェックとがぶつかり合うような感じがしてこれはどうかなと思われたので、両親の寝室に入って母親に、この格好どう、と訊いてみた。母親もこちらと同意見のようだった。それで室に戻って収納を探ると、以前古着屋で買ったLevi'sのジーンズ・ジャンパーが見つかったのでそれを着てもう一度母親に見せにいったところ、そちらの方が良いとのことだった。それで室に戻ってTwitterなどを眺めていたのだが、――そう言えば着替える前にcero『Obscure Ride』を流しながら手の爪を切ったのを忘れていた。その頃には乗ったベッドの上に窓から斜めに白っぽい薄陽が射し込んでいた。ともかくそれで、Twitterを眺めていたのだけれど、ジージャンに染みついた古着屋の臭いが気になり、自分の腕を包んでいる生地を間近で眺めてみれば細かな糸埃もたくさん全面に付着していたので、やはりこれはやめようと決めて、代わりにカーディガンを着ることにした。滋味深い海のような青で、左肩の部分から下端へ掛けて、紅白の格子縞が入っている品である。これももうだいぶ長く着ているが、無地になりきらずアクセントが入っていてなかなか良いアイテムだ。あまりこういったカーディガンは店を回っていても目にしないのだが、この品は大学時代に吉祥寺の「いせや」という店で買ったのだったと思う。それから日記をここまで綴って九時前。両親と車に同乗して小作あたりまで送ってもらうことにしている。
 上階へ。仏間に入って黒のカバー・ソックスを履く。パスポート申請の身分証明に必要かと思い年金手帳のことを口にすると、所在が不明だったのだが、父親が俺が持っていると言ってそのあたりをごそごそ探しはじめた。そのあいだにこちらは便所に行って放尿し、戻ってくると階段を上がってきた父親が手帳を渡して来るので礼を言って受け取った。そうして出発である。玄関から外へ出ると、空に雲は多いが陽もいくらか射しており、晴れなのか曇りなのかよくわからない天気である。車の助手席に乗り込んでシート・ベルトをつけた。まずK.MSさんを迎えに行く。それで発車して道を西に走り出すと、すぐに前方から歩いてくる姿を発見する。MSさんはマスクをつけていた。後部座席へ乗ってきたところをおはようございますと挨拶する。頭がまだぼけっとしているな、などと彼は呟く。
 市街を走っているあいだは、前に座ったこちらと父親はほとんど喋らなかった。特にこちらは、挨拶してからは多分一言も喋らなかったと思う。後ろでMSさんと母親が雑談を交わすのを聞くともなしに聞きながら車に揺られる。ラジオは伊集院光のもので、例の年金の問題、老後の生活を豊かに暮らすには年金以外にも二〇〇〇万円の貯蓄が必要だとかいう発言の問題について語っているが、母親たちの会話であまりラジオの音声は聞こえなかった。しかし本当に老後の資金として二〇〇〇万円も必要なのだとすると、こちらなどは惨めな貧困に陥るほかに道はない。
 小作駅に着くと、運転席の父親にありがとうと礼を言い、後ろを向いて、じゃあMSさん、失礼しますと声を掛けた。MSさんはどうも、と受けてきた。それで車を降りて、駅へ。エスカレーターを使わずに長い階段を上って構内に入り、改札を抜けてホームに下りると一番前の車両の位置まで長々と歩いた。駅舎脇に生えた草葉につるつると光が宿っており、ベンチの下には雀が一羽、いたいけなようにして跳ねている。一号車の位置に着くと、山尾悠子『飛ぶ孔雀』を取り出して、クラッチバッグを右の脇に挟んで両手で書籍を持ち支えて読みはじめた。風が吹き流れ、肌をくすぐっていく。
 じきに電車がやって来たので、乗り込んで七人掛けの端に就いた。それで引き続き読書に励もうとしたが、やはりさすがにほとんど徹夜では眠気に苛まれるのも必至で、意識を乱されてたびたび目を瞑ってしまった。そういうわけであっという間に立川に到着した。人々が捌けていくのをちょっと待ってからこちらも降りると、背後から、あれは何と言う機械なのだろうか、ジュースの大箱などを運ぶためのキャタピラー付きの荷台のようなものがあると思うが――ピーピー電子音を発しながら階段をゆっくりじりじりと引き上げられていくあの機械である――あれが接近していたので脇に避け、階段をじりじりと上りはじめたその横をこちらも上がっていった。人々のなかを歩き、改札を抜けると通路を挟んで向かいのATMに寄り、七万円を下ろした。そうしてパスポート・センターのあるLUMINEへ向かったのだが、まだ一〇時前だったので二階の入り口はひらいていなかった。とは言え時刻は一〇時直前、開店まで数分しかなかったので、同じように扉がひらくのを待っている人たちのあいだで、その場で立ち尽くして五分ほど何をするでもなく待ちの姿勢を取った。そうして一〇時に至ってスタッフが扉を開けると、待っていた人々が一斉に雪崩込んでいってエスカレーターの前が少々ごった返した。乗って上階へ。八階まで上がり、エスカレーターはそこまでしかなかったので、フロアの隅の階段に向かい、もう一階上がると九階フロアをかつかつと歩いてパスポート・センターへ。入り口の横に、新規・切替の方は書類を記入して三番窓口へ、とか何とか書いた紙が掲示されてあった。それを見てからなかに入ると、LUMINE自体は一〇時に開店したばかりなのに、パスポート・センターには既に多数の人が集まっており、待合席を埋め、あるいはカウンターに向けて列を作っている。パスポート・センター自体は九時からやっているらしいのでさもありなんといった感じだが、しかしこの人間たちはどうやってLUMINEに入ったのだろうか、一階の入り口などは九時からひらいているのだろうか? それはともかくとしてこちらは案内を読みながら一〇年申請用の書類を取り、筆記台に寄って、記入例を参照して項目を一つずつ確認しながらゆっくりと書類を記入した。完成すると列に並ぶのだが、一応最後尾にいたおばさんに、申請はこちらでよろしいんですかと尋ねてみると、あたしもわからなくって人に訊いたら、申請書を記入してからここに並ぶんだって、などとぺらぺらと話してくれた。はい、はい、なるほど、などと相槌を打って受け、ありがとうございますと礼を言って彼女の後ろに並んだ。列の進みは遅々たるものである。こちらの後ろに並んだのは若い女性だったので、誰もが感じているこの暇な待ち時間を潰すために雑談でも交わしたいように思われたのだが、さすがに実際に話しかけて実行する勇気とコミュニケーション能力はない。そのうちにこちらは、例によって携帯を取り出してメモを始めた。退屈なひとときになってしまうはずの時間でこのように、片手で日記を書けるとは、携帯電話とは何と便利な道具なのか!
 そのうちに番がやって来たので、女性スタッフに――それにしても窓口受付の人は皆女性で、男性スタッフは一人もいなかったような気がする――お願い致しますと言って用紙を差し出した。いくつか確認の質問をされたのち、住所を住基ネットで調べますねと言われた。そうして古いパスポートに整理券をクリップで留めたものを渡されたので、礼を言って受け取り、待合席に就いた。そうして引き続き、背中を曲げた格好悪い姿勢で携帯を操ってメモを取った。ぽちぽちと文字を打ち込んでいるあいだに結構順番は進んで、待ちはじめた時には四〇番代だったのが、六七番まで消化されていた。こちらの番号は七三番だった。待合席は結構埋まっており、一つの長椅子に三人腰掛けている場所も多くあったが、不思議と言うかちょっと目についたのは、おそらく誰一人としてイヤフォンを耳に差していなかったことだ。待つ時間は結構あったし、自分の番が来たとしても音声以外に電光掲示板に現在の番が表示されているものだから、耳を塞いでいても特に問題はないように思われたのだったが、音楽を聞いて時間を潰している人は全然いなかった。
 それから山尾悠子を取り出して読んでいると七三番がやって来たので本を仕舞って立ち上がり、鷹揚な足取りでカウンターまで進んだ。ここでもいくつか確認事項を言われたのち、ピンク色の引換書を渡された。交付は六月一八日以降、必要はものはこの書類と、一〇年旅券に掛かる費用として一六〇〇〇円、裏にパスポート受け取りの手順が大まかに書かれているから読んでくださいねとのことだった。はい、はい、と受けながら、差し出されたこれを折り畳んでも良いものかどうか訊こうと思っていると、そうしたこちらの心中を先読みしたかのように、折っても大丈夫ですとの言が付加された。それで紙を二つに折り畳み、礼を言って立ち上がり、パスポート・センターをあとにした。そうしてエスカレーターに乗って下階へ下り、二階から駅構内へと脱出した。
 立川に来たのには、パスポートの手続き以外に、書店に寄ってついにミシェル・フーコーの『狂気の歴史』と『監獄の誕生』を買ってしまおうという目論見があった。その前にしかし、腹を満たすことにして、PRONTOに行ってスパゲッティでも食べるかと決断した。それで北口広場を越え、高架通路からエスカレーターを下り――乗っているあいだは両手を左右の手摺に乗せ、片脚を浮かせてもう片脚の上に緩く交差させるような格好を取っていた――、喫茶店に入店した。一階に客はおらず、がらがらと言って良い空き方だった。カウンターに寄ってメニューを見てちょっと考え、男性店員に、まずは茄子とベーコンのトマトソースのパスタを注文し、それと、と一息置いてから、ジンジャー・エールは出来ますかと尋ねたが、昼間は扱っていないとのことだったので――この要求に応えてくれる店員とそうでない店員がいる――それではアイス・ココアのレギュラー・サイズを、と頼んだ。九七〇円。千円札を出して釣りを受け取ると、店員はアイス・ココアを拵えに入る。ホイップ・クリームを乗せてもよろしいですかと訊かれるので、はいと肯定し、出来上がったものを深緑色のトレイに乗せて受け取った。バッグを脇に挟んで、両手でトレイを持ち、入り口横の四人掛けの席へ。食べたら長居せずにすぐに退店するつもりだったし、客もさほど来ないようだったから、一人で悠々と四人掛けを使わせてもらうことにしたのだ。ココアの上のクリームをストローで掬って食い、余りを突いて褐色の液体に混ぜて吸っていると、パスタが届いたので礼を言って受け取った。そうしてフォーク一本をくるくる回しながら茄子とベーコンのトマトソース・スパゲッティを食す。入ってくる客を眺めたり、客らと店員とのやり取りを耳にしたりしながら黙々と食べて完食すると、ココアも飲んで、トレイや食器を片付けようと立ち上がった。すると同時に店員が、こちらの姿は見えていなかったと思うのだが気配を察知したのだろうか、カウンターの裏から現れて、引き取ってくれたので礼を言い、退店間際に後ろを向いてさらにごちそうさまでしたと付け加えて、自動ドアをくぐった。
 通りを歩き、交差点の角を曲がって、高架歩廊へ階段を一歩一歩上がって行った。そうして歩道橋を渡り、左に折れて高島屋に入館。入り口脇に店を構えているPaul Smithの品をちょっと見てみたい気持ちがあるのだが、どうせ高いのだろうからと振り切り、エスカレーターに乗って淳久堂を目指した。六階で降りて書店に踏み入り、早速哲学・思想のコーナーを見分した。新刊書の区画に、東浩紀の『テーマパーク化する地球』が並べられていたので、新刊を出したのか、これは知らなかったと注目した。と言って東浩紀の著作はまだ一冊も読んだことがない。『存在論的、郵便的』は持っていて、『ゲンロン0』も積んであり、雑誌の『ゲンロン』で言えば浅田彰のインタビューに惹かれて買った『ゲンロン4』も――浅田へのインタビュー以外は――まだ読めていない。それから、哲学概論のあたりをチェックする。書店に来た目当てはフーコーの著作以外にももう一つあって、それは『世界の語り方』という東大のエグゼクティブ何とかプログラムみたいな企画から出された二冊本である。先日小林康夫との共著『日本を解き放つ』を読んだ中島隆博が編者を務めていて、以前から何となくちょっと気になっていた著作ではあったのだが、中島の該博な知見に感心したのでこちらも読んでみようかと思ったのだった。概論の区画から件の品を発見し、ひとまずこの二つを横の並びから取り出して並んだ本たちの上に寝かせて置いておき、そうして振り向いてフーコーの区画を見分した。分厚い『狂気の歴史』は六〇〇〇円だか七〇〇〇円くらい、『監獄の誕生』も五〇〇〇円台に乗っていて、さすがにこれらを二つ一遍に買うことを考えると怯んだが、ええい、ままよとばかりに心を固め、『世界の語り方』と合わせて四冊を持ち、それらの重みを腕に感じながらレジに行った。レジを担当してくれた女性店員は、ちょっと声が低めで芯があると言うか、ちょっと格好良いような感じの声色の人だった。合わせて一七八二〇円。また大層な散財をしてしまった。しかし、少なくともフーコーの著作は買って手もとに置いておく価値がきっとあるだろう。緑の不織布の袋に入れられた書物を受け取り、礼を言ってカウンターの前から離れ、エスカレーターに乗った。そうして下降していき、二階で降りて、「軽井沢シャツ」――この店も以前からちょっと気になっている――の前を通り過ぎて出口へ。
 退館すると片手でバッグと袋とを両方持ちながら高架歩廊を行き、駅へ。人波のあいだをくぐって改札を抜け、直近の青梅行きは六番線だったが、座って帰るかということで一番線ホームへ。芳しい匂いの湧出している焼きそば屋の前を通り過ぎて下りて行くと、既に電車はやって来ていたので一号車に乗り込んだ。そうしてふたたび読書を始めたが、発車したあとは例によって眠気に苛まれることになったので、途中から本を読むのは諦めて頁を閉ざして膝の上に置き、横の仕切りに凭れ掛かって微睡みに身を委ねた。しかし一駅ごとに目を覚ましながら揺られて、青梅に着くと降車した。奥多摩行きは向かいの一番線ホームに既にやって来ていた。乗ると優先席に座り、荷物は隣の席に置いて、そのなかから『狂気の歴史』を取り出し、序言や訳者あとがきなどを瞥見した。そうこうしているうちに最寄り駅に着いたので降り、駅舎を抜けて坂道に入った。坂を下りて行って平らな道に出て、家の近くまで来ると、林の縁に旺盛に伸びた緑の草ぐさのなかに雀が何匹も突進するように飛んでいき、草にぶつかったと思うとすぐにまた場所を移しては鳴き声を降らせていた。
 鍵を開けて家のなかに入り、自室に帰るとコンピューターを立ち上げ、カーディガンを脱ぐとともにTwitterをひらき、「ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』と『監獄の誕生』を買ってしまった」と誰に向けたわけでもない報告を流して、煉瓦色のズボンを脱いで収納に吊るした。そうしてハーフ・パンツを履き、上は赤褐色の幾何学的な模様の入ったTシャツのままで、しばらくTwitterを眺めたりしたのち、日記を書きはじめた。BGMはJose James『Blackmagic』、その後同じくJose Jamesの『Lean On Me』に繋げて、ここまで綴ると午後三時が目前だ。
 そうして三時ぴったりから、Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionを読みはじめた。ベッドに乗り、薄布団を身体の上に掛け、眠気の幽かな濁りを意識に感じつつ、手帳や辞書をたびたび持ち替えながら英文を追った。一九九三年九月一三日のパレスチナ暫定自治政府原則宣言(the Declaration of Principles on Interim Self-Government Arrangements)、いわゆるオスロ合意調印についてちょっと触れられていたので、日付と事柄を手帳にメモし、また書抜き箇所として頁も記録しておいた。シオニズムパレスチナ関連の文献では、大学時代に買って以来もう今までに二回か三回読んでいるはずだが、エドワード・W・サイードの『ペンと剣』及び『文化と抵抗』をまた読み返したいところだ。インタビューを集成した本で、オスロ合意に対するサイードの冷静な批評的意見も確か含まれていたはずである。
 一時間英語を読んだのち、FISHMANS『Oh! Mountain』とともに今度は渡辺守章フーコーの声――思考の風景』の書抜きを始めた。コンピューターの前に座ってこちらも一時間ほど打鍵を進めて五時を越えると、一旦上階に行った。勤務に向けてエネルギーを補充しておく必要があったのだ。母親はソファに就いて『しゃべくり007』の録画を眺めていた。冷蔵庫のなかに煮込み素麺があることを知っていたので、台所に入ってそれを取り出し、火に掛けた。搔き混ぜながらいくらか熱したあと、丼にすべて流し込んでしまい、卓に就いて食べはじめたが、充分に温まっていなかったのでさらに電子レンジに突っ込んだ。そうして食事を取りながら、『しゃべくり007』を視聴して少々笑いを漏らし、食べ終えると台所に食器を持って行って、それから引き続きテレビを眺めながらアイロン掛けをした。仕事が終わると、母親に夕食はどうするのかと訊いた。俺はやらなくて良いかと横着して尋ねると、肉じゃがはと言うので、肉じゃがなんて面倒臭いものはやっていられないと払って、もう仕事着に着替えてしまおうと下階に戻った。便所で腹を軽くしてから細かなチェック模様のワイシャツを身につけ、灰色のスラックスを履く。ネクタイは水色の、ところどころ斜めに線が入っているシンプルなものを選び、首もとを固くしたあとベストも羽織った。それでそれまで着ていたTシャツを上階に持って行っておき、そうして戻ってくるとEnrico Pieranunzi, Paul Motian『Doorways』とともに日記に取り掛かって、ここまで綴れば六時八分となっている。出勤までのあいだはまた書抜きでもしようか。
 仕事着姿でコンピューターの前に立ち尽くし、渡辺守章フーコーの声――思考の風景』の書抜きをした。と言っても、書き抜いている箇所で専門家たちが語っていることが一体どのようなことなのかいまいち理解はしきれないのだが、ともかく二箇所を写すだけは写しておき、そうして時刻は六時四〇分を越えたのでそろそろ出勤することにした。上階に行き、便所に入って放尿し、母親に行ってくると告げて黒傘とともに玄関を抜けた。左手の手のひらを上に向けて落ちるものの感触を探ってみたところ、雨はもう降っていないようだった。頑張ってね、との母親の声を背に受けて歩き出すと、空気がなかなかに涼しい。傘とバッグを片手に坂をずんずん上って平らな道に出たあとも、吹き流れてシャツに覆われた腕を通過していく風のなかに含まれた涼しさがなかなか強いように感じられた。T田さんの宅の前に、ピンク色の紫陽花が膨らんでいた。街道に出た頃には、やはりそのあたりまで歩いてくると身体が温もって、ベストやシャツの内に蒸すような感覚が生まれていて、正面から来る風がそれを冷やす。通りを渡って北側に行くと、民家の脇に青色の萼紫陽花がいくつか生えており、粒粒の集合を中央に据えてその周りに蝶が舞っているような形の花をいくつか浮かべたその不思議な形を見て、何となく宇宙生物のようだなと思われた。それから歩いていると、「紫陽花は宇宙から来たお友達」という短歌の上の句が思いついたので、バッグから携帯電話を取り出し、歩きながらメモしておいた。頭の内にはBlankey Jet City "ガソリンの揺れ方"が流れていて、この曲はこのあとの道中でもたびたび脳内に回帰してきた。
 老人ホームの通りに面した窓はもうカーテンを閉められていて、暖色が穏やかな灯りが洩れてくるばかりでなかの様子は窺えない。そのあたりに差し掛かった頃、鼻の上にぽつりと一つ、雨粒が落ちてきた。裏通りに入るとアパートの周囲の垣根の葉が微風に揺れ、民家の庭木も、それほど強い風でもないのにわさわさと震えている。その動きの形容を探して、不吉なような揺れ方だなと思ったのだったが、そう思って過ぎながら、果たして自分は本当にそのように感じているのだろうかという疑問が湧いた。不吉さの意味素を感じたのは確かだろうが、感情としてそれを感得したわけではない。つまりこの場合、「不吉」という形容はこちらの内面、主観性を表すものではなくて、どちらかと言えば客体的世界の方の属性として提示されたものであるわけだが、自分はものを見る時、「自分がどのように感じたか」という基準で見ていると言うよりは、「それがどういう言葉で書けるか」という判断基準によって言葉を浮かべているような気がした。言葉にならない感覚をを四苦八苦して言語化すると言うよりは、世界そのものが第一段階として「書かれるもの」としてあり、ある意味が言語化されることによって遡行的に、事後的にそれを感じたことになる、というような構図だろうか。それはある意味素を本当に感じておらず、嘘をついているとか、脚色をしているとかいうこととは違うと思うのだが、これを換言すれば自分はこの世界そのものを一つの「フィクション」として捉えているということなのではないか、と考えた。そもそも言語的秩序と世界そのものの秩序は測り知れないほど異なっているわけで、言語に移行されたものはそれが実体験を元にしていようが想像力の産物だろうがおしなべて「フィクション」と呼ぶことが出来るのだ、という立場もあり得るわけで、自分もどちらかと言えばこの立場に傾きたいような気がするのだが、ここで言っているのはそれともまた別の話であるような気がする。つまりは世界は自分にとって「感情」として現れるのではなく、「意味」としてあるいは現前してくる、ということだろうか? よくわからないが。
 ともかくもそのようなことを考えたり、"ガソリンの揺れ方"を思い浮かべたり、短歌の案を頭に巡らせたりしながら裏通りを歩いていった。青梅坂に差し掛かる頃には脳内の音楽は"ロメオ"に移行していた。坂の向こうに続く裏道から出てきた車のヘッドライトのなかに落ちる雨粒の情景で、雨が思ったよりも、身に感じられるよりも厚く振っているなということがわかったので、坂を渡ってしばらくすると黒傘をひらいた。
 市民会館跡の施設を過ぎたところに天麩羅屋があるのだが、そこに掛かった頃合いに、道の先を何か暗く茶色い色の塊が横切って、天麩羅屋の脇を通り抜けていった。どうも猫ではなかったように見えたので、多分狸だったのではないか。通りを抜けて、駅前に続く道に入る頃には宵の青さが雲の蟠った空にも地上のアスファルトの上にも立ち籠めていて、それが時折り電灯の明かりによって乱されているそのなかに、駅内で流されているアナウンスが忍び込んできた。駅前に出て横断歩道を渡ると傘を閉ざして、職場に向かった。
 職場に入って奥のスペースに行くと同僚が一人いたのでお疲れ様ですと挨拶をした。するとあちらは、お疲れ様ですと返したあとに、挨拶がまだでしたねと言って、(……)ですと名乗ってきた。名乗り返してどうぞよろしくと挨拶すると、以前勤めておられたと聞きました、というような発言があったので、そうなんです、去年は離れていたんですけど、事情があって、と受けて、ロッカーに荷物を仕舞ったあと、誰から聞きましたと尋ねると、(……)先生の名が挙がった。彼女ももう職場にはいないわけだが、帰り道が一緒だったこともあって彼は彼女と仲良くしているらしく、それで多分最近こちらが戻ったということが多分LINEか何かで話題に出たのだろう。
 この日の授業の相手は(……)兄弟。どちらも英語。細かく書くのは面倒臭いので簡潔に済ませるが、まず一点、双子なので能力も同じくらいなのかと思いきや、月例テストの結果にははっきりとした差があって、どちらが兄でどちらが弟なのか知らないが、(……)の方が(……)よりも全体的に点数が良かった。しかし授業を担当してみた感触だと、どちらもあまり記憶力といった面では差はないように感じられる。この日の授業では、現在完了の形は、とか~~は、とかいう感じで、とにかく質問をしつこいくらいに投げかけまくった。それなので結構覚えられたと思う、少なくとも現在完了形の形は頭に入っただろう。あとは、質問をしている最中に、それまでの授業でどんな単語や表現を扱ったか、こちらが忘れてしまったと言うか、つまり即興の問題が思いつかないことがあって、あとほかに何をやったっけ、などと呟いたのだが、それを受けて生徒の方が勝手に、あと、あれをやりました、などと言って思い出してくれることがあって、これはなかなか良い方策を発見したものだ。つまり、具体的な個々の単語や表現について質問をするのではなく、折に触れて今日の授業でこれまでに何をやりましたか、というような質問を差し向けて、それまでの授業内容を思い出させる、ということをやるのもうまいやり方なのではないかと発見したのだった。
 あとは(……)先生という新人の方が、多分今日初授業だろうか、いたので、用紙の印刷の仕方だとかをちょっと教えた。帰りに七月のシフト表を記入しておいて退勤。駅に入り、奥多摩行きの発車まで二分くらいしかなかったので、小走りに通路を行き、電車に乗った。最寄り駅に着くまで扉際にバッグと傘を持ちながらただ立ち尽くしていた。降りると駅舎を抜けて、傘を差して帰路を行く。
 帰宅。帰宅後は食事と風呂とニュース記事の類を読んだのと山尾悠子『飛ぶ孔雀』を読んだことくらいしか特段の話題はない。夕食は煮込み素麺。父親がまた酒を飲んだらしく、NHKの、あれは『クローズアップ現代+』だろうか、LGBTについての番組を見ながら本当に難しいなあなどとぶつぶつ呟いていた。入浴中はちょっと眠りそうになった。入浴後、自室に戻ってくると、一一時一五分から、望月優大「ファクトで押さえる「日本の移民問題」。在留外国人300万人時代をどう捉えるか」(https://note.mu/hirokim/n/ndf03e49e263d)、「「老後へ2000万円貯めろ」麻生大臣の“飲み代”は年2019万円」(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/255789)、「ドイツで移民擁護派の政治家射殺される、ネットに歓迎ヘイト投稿殺到」(https://www.afpbb.com/articles/-/3229196?cx_amp=all&act=all)の三つの記事を読んだ。そうして零時。山尾悠子『飛ぶ孔雀』を読み進めようとベッドに乗ったのだったが、いつの間にか意識を失っており、気づけば二時を越えていた。そのまま就床。


・作文
 2:53 - 3:59 = 1時間6分
 7:10 - 7:29 = 19分
 8:36 - 8:48 = 12分
 13:49 - 14:55 = 1時間6分
 17:51 - 18:08 = 17分
 計: 3時間

・読書
 4:31 - 5:30 = 55分
 6:29 - 6:47 = 18分
 6:53 - 7:10 = 17分
 7:48 - 8:07 = 19分
 9:23 - 9:52 = 29分
 15:00 - 16:07 = 1時間7分
 16:12 - 17:04 = 52分
 18:18 - 18:41 = 23分
 23:15 - 24:01 = 46分
 24:20 - ? = ?
 計: 4時間26分

・睡眠
 2:00 - 2:40 = 40分

・音楽