多数者とは何か、一般市民とは何かということを考えていて、いつも思うのは、それが「大きな構造のなかで、その存在を指し示せない/指し示されないようになっている」ということである。
マイノリティは、「在日コリアン」「沖縄人」「障害者」「ゲイ」であると、いつも指差され、ラベルを貼られ、名指しをされる。しかしマジョリティは、同じように「日本人」「ナイチャー」「健常者」「ヘテロ」であると指差され、ラベルを貼られ、名指しをされることはない。だから、「在日コリアン」の対義語としては、便宜的に「日本人」が持ってこられるけれども、そもそもこの二つは同じ平面に並んで存在しているのではない。一方には色がついている。これに対し、他方に異なる色がついているのではない。こちらには、そもそも「色というものがない」のだ。
一方に「在日コリアンという経験」があり、他方に「日本人という経験」があるのではない。一方に「在日コリアンという経験」があり、そして他方に、「そもそも民族というものについて何も経験せず、それについて考えることもない」人びとがいるのである。
そして、このことこそ、「普通である」ということなのだ。それについて何も経験せず、何も考えなくてもよい人びとが、普通の人びとなのである。
(岸政彦『断片的なものの社会学』朝日出版社、二〇一五年、170)*
学生を連れてよくミナミのニューハーフのショーパブに行く。だいたいいつも、女子学生が大喜びする。ああいう空間では、むしろ女性のほうが解放感を感じるようだ。あるとき、ショーの合間にお店のお姉さんが、女子学生が並んだテーブルで、あんたたち女はええな、すっぴんでTシャツ着てるだけで女やから。わたしらオカマは、これだけお化粧して飾り立てても、やっとオカマになれるだけやからな、と冗談を飛ばした。
私は、これこそ普通であるということだ、と思った。すっぴんでTシャツでも女でいることができる、ということ。
もちろん私たち男は、さらにその「どちらかの性である」という課題すら、免除されている。私たち男が思う存分「個人」としてふるまっているその横で、女性たちは「女でいる」。
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九時半起床。上階に行く前にコンピューターを立ち上げて少々インターネットを回った。それで一〇時。上階へ。冷蔵庫を覗くと前夜のラタトゥイユがある。それを電子レンジに突っ込んで温め、米をよそって卓に運び、新聞を読みながら食事。安倍晋三首相とイランのハメネイ師の会談。ドナルド・トランプとの交渉は拒否と。そのほかにも記事を読んだが、何だったか忘れてしまった。つい二時間前に読んだ新聞記事の内容も覚えていないとは! 食べ終えると抗鬱剤を服用し、皿を洗い、洗面所で髪を梳かしたあとに風呂を洗った。そうして下階に戻ってきて、一〇時半過ぎから日記。二時間! 二時間掛けてようやく前日の記事を仕上げることが出来た。BGMはcero『POLY LIFE MULTI SOUL』に、FISHMANS『Oh! Mountain』。『POLY LIFE MULTI SOUL』は、『Obscure Ride』のようにわかりやすいキャッチーな曲がないので、最初に聞いた時には後者よりも劣るかと思っていたのだが、昨日あたりからこれはこれで非常に良いのではないか、もしかすると名盤の類なのではないかという気がしてきている。母親は仕事に出かけていった。こちらも夕刻から労働。
前日の記事をブログに投稿。画像リンクを記事最下部に拵えておき、表示のされ方をGoogle Chromeで確認したのち、Twitterにも投稿通知を流し、さらにnoteの方にも発表しておいた。そうして一時過ぎから、渡辺守章『フーコーの声――思考の風景』の書抜き。BGMはCharles Lloyd『Hagar's Song』である。僅か二箇所を書き抜いただけで三〇分が経ったので切りとし、続いてMさんのブログを読んだ。二日分読んだのち、Sさんのブログも、五月八日分から一一日分まで読む。それでまた三〇分が経って、時刻は二時過ぎである。
本を読もうと思ってベッドに乗ったのだが、すぐに読み出すことは出来ず、『Hagar's Song』が最終曲の"God Only Knows"に差し掛かっていたので、クッションに凭れて目を閉じながらそれを聞いた。音楽が終わってからもその状態から立ち直れず、布団を身に引き寄せて、眠るというほどでもないけれどうとうとと休むような時間がずっと続き、結局四時一五分頃までそのままでいた。怠惰の罪である。四時一五分に達したところでさすがにそろそろ支度を始めなければというわけで布団を剝いで身体を起こし、上階に行った。冷蔵庫を覗くと昨日の天麩羅が一つだけ、プラスチック・パックに取り分けられて残っている。それを電子レンジで二〇秒温めるとともに、卵を焼くことにした。普段だったらハムやベーコンと一緒に焼くのだが、この日はハムもベーコンもなかった。代わりに細く薄切りにされた豚肉があったので、オリーブオイルを引いたフライパンにそれを四枚敷き並べて、その上から卵を割り落とした。焼いているあいだに丼に米を用意する。そうして黄身が固まらないうちに、その丼の米の上に焼いたものを上げて、天麩羅をもぐもぐ食いながら卓に移った。醤油を掛けて黄身を崩し、ぐちゃぐちゃと搔き混ぜながらかっ喰らった。食べ終えてもまだ何か食べたい感じがしたので冷蔵庫のなかにあった薄皮クリームパンを持ってきて、三つ残っていたなかの二つを頂いた。さらに、冷凍庫を探ると竜田揚げがあったのでそれも電子レンジで加熱して、ご飯をおかわりしてきて鶏肉をおかずに食した。傍ら新聞に目を通す。台湾の総統選では予備選が行われて、民進党の候補者では蔡英文氏がもう一人の前行政院長に勝利したと。蔡氏は野党国民党の候補者と比べても勝ちそうな勢いらしい。英国でも保守党の第一回党首選が行われて、ボリス・ジョンソン前外相が一一四票くらいを得て首位になったと言う。
ものを食べ終えると台所に食器を運び、それを洗い出す前に使ったばかりのフライパンに水を汲んで火に掛けた。そうして食器類を網状の布で擦り洗い、食器乾燥機に収めておくと、居間の方に移ってアイロンのスイッチを入れた。アイロン台を炬燵テーブルの上に出して、母親のシャツをちょっとアイロン掛けしてから、台所に行って湯の沸いたフライパンを手に持ち、沸騰した高熱の湯を流しに零した。そうしてキッチン・ペーパーで卵の残骸を拭き取って綺麗にしておくと、ふたたびアイロン掛けに戻った。仕事を終えて下階に戻るとちょうど五時頃だった。歯磨きをしたあと、cero "POLY LIFE MULTI SOUL"の流れるなかで仕事着に着替えた。この日は白いワイシャツに父親から借りているグレーのスラックス、それにネクタイも灰色のなかに細かな四角形が散った模様のものを締めた。ベストまで身につけて外出の支度が整うと、五時三分から日記を綴りはじめた。一〇分少々のみ綴って、五時一五分に達したところで作業を切り上げ、コンピューターを閉ざしてクラッチバッグを持ちながら上階に行った。便所に入って放尿すると出発。
風の強い日で、こちらがベッドで微睡んでいるあいだなどびゅんびゅん吹いてたびたび家を揺らしていた。その風はまだ道に残っていて、ベストまで着込んでいても歩きはじめは結構涼しい夕刻だった。坂を上っていくあいだも路傍の木々がさらさらと、沢の流れのような音を立て、出口に掛かるとそこに立った木が一本、虫の手足のように緩慢かつ無造作な動きで枝葉を回し揺らしている、と見る間に風が強まって下方から舞い上がり、それに応じて木枝の濃緑の葉叢がゆさゆさと上下に揺さぶられていた。
三ツ辻に今日は行商の八百屋は来ていなかった。街道に出て通りを北側に渡り、風を正面から受けながら歩いていく。空は全面白くて陽の感触はないものの、歩いてくればやはりシャツの内側が蒸す、けれどそれもいくらか風によって和らげられているようだった。肌はともかくとしても、靴のなかの足がやたらと温もった。裏通りに入ると途端に静かになり、遠くから時鳥の鳴き声も届く。車の通りがなければ、自分の幽かな吐息すらも聞こえてきそうな静けさのなかに、路傍で紫陽花が花を膨らませている。
女子高生の一団が立ち止まって集まっているので、あそこに白猫がいるなと遠くからその姿が見えずともわかった。いつもいる家から通りを挟んで向かいの宅の敷地である。女子高生たちはやがて去っていき、そのあとからそこまで歩いていくと、やはり件の猫が寝そべっていて可愛がってあげたかったが、張られた鎖を跨いで敷地に入りこむのに気が引けて、人目につくのも憚られて今日は素通りした。背中を丸めて首を突き出した猫背の男がこちらを抜かしていく。
裏道にもよく風の踊る暮れ方だった。青梅坂を過ぎた頃合いでふたたび風が舞って、と言っても道には入りこんでこないで、家々の向こうに立った木々を鳴らして、そのなかから鳥の囀りも混ざって届いてきた。市民会館後の施設の少し前の駐車場の端に、Nさんのトラックが停まっていた。三ツ辻に来ているものとは違う、また別の行商の八百屋である。近づいていき、向こうを向いていたNさんにこんにちはと挨拶し、二言三言交わしたあと、いつもお世話様です、行ってきますと言ってその場をあとにした。駅前に出ると、角の植え込みに紫陽花の、丸々と太って濃い清水色に染まったものがいくつも咲いていて、その色鮮やかさに翻って、まるで紙で作られた風船のような、人造物のような感を得た。
職場に着くと挨拶してなかに入った。室長や(……)さんは教室の奥の方で保護者と面談中らしかった。その近くを通り抜けて奥のスペースに入り、ロッカーに荷物を入れて椅子に腰掛け、しばらく何をするでもなく、仕切りの向こうで交わされている室長たちと保護者の会話を聞いた。新規入会の生徒の親らしい。六時前になるとタイムカードを押して、入り口近くで生徒たちの出迎え・見送りをしていると、(……)先生が話しかけてきて、F先生、今日授業は、と言うので、ないんですよと笑った。なんと、と彼女は受けたのでさらに笑い、事務仕事で呼ばれましてと事情を説明した。室長は面談中、(……)さんも別の場所でやはり面談中というわけで、こちらは何をすれば良いのかわからなかったので、ひとまずタブレットを取り、奥のスペースのテーブルに就いて生徒の授業記録を適当に閲覧していた。そのうちに(……)さんが近くにやってきた機会があったので、何か僕のやること聞いていますかと訊くと、ああ聞いています、聞いていますとなった。あと一〇分待ってくださいと言う。了承してまたしばらく待っていると、(……)さんのテストの準備をしてやってくれと来たものだから、段ボール箱のなかから高三生用の英語の試験問題を取り出し、タイマーを九〇分に設定して彼女に渡した。その次に、団扇にキャンペーンを知らせるシールを貼ってくれということだったので、黙々とぺたぺたと貼っていったが、それはすぐに終わってしまった。そこでまた(……)さんのところに行くと、彼女はいくらか困りながら、困惑したようになりながら、大きな広告シールと、生徒たちに贈る誕生日カードを取り出した。パーテーションで区切られた各座席の壁に広告シールを貼っていき、それが終わったら誕生日カードにメッセージを書いてほしいと言う。了解し、古いシールの貼られている箇所は剝がして捨て、新しいシールを順番に貼っていった。残り一枚になったところでシールの数が足りず、まだ貼られていない座席がいくつもあったので、(……)さんにこれはもうないですかと訊きに行くと、足りないですかと彼女は言って、そんなことってある、とまた困惑していた。ともあれ広告を貼る仕事はそれで終いとなり、あとは誕生日カードである。名前だけを見ても顔が思い出せない生徒がいたので、タブレットで授業記録を参照してこの子はこういう子だったなと思い出しながらいくつかのカードにメッセージを綴っていった。まだ一回も当たっていない生徒に関しては、さすがに一度も担当していないのにメッセージも糞もなかろうというわけで省き、三人か四人分書いたところで(……)さんのところへ持って行った。それから団扇に貼るシールが追加印刷されたので、それをまたぺたぺた貼って、それでほぼ授業時間も尽きてこちらの仕事は終わり、(……)さんからもあとはのんびりしていてくださいとの許しが出たので、またタブレットで生徒の授業記録を閲覧していた。
その後生徒の出迎え・見送りを行ったあと、シフト表を記入して退勤である。退勤前に(……)さんに――そう言えば今日は室長はずっと面談をしていて、彼とは一言も言葉を交わさなかった――七月のシフトで朝の部分はバツを付けちゃいましたけれど、あれは朝起きるのが大変だからで、足りなければ入れるので一応要相談ということで、と伝え、また明後日、日曜日の質問教室も午後からなら参加できますと言った。多分参加することになりそうだ。朝起きるのが大変だから、と言った時に、一瞬彼女は顔を顰めるような、眉根を寄せるような表情になってみせたので、だらしない人間だと多少軽蔑されたのかもしれない。それはともかくとしても、彼女は愛想の良い人なのだが、その慇懃さと愛想の良さ、いつも浮かべている笑顔の感じからは、何となく、無理をしているのではないかという匂いが微かに香るような気がしないでもない。もしかしたら根はそこまで明るい人間でもないのかもしれない――まあまったくの当てずっぽうだけれど。
それで退勤。電車までは二五分ほどあったので、歩いて帰ることに。表通りに出た。風はまだ道に残っていた。夜の底でも躑躅が赤々と、あるいは白々と映えて咲いていた。車が風を切って走行音を散らすその横を黙々と歩いていく。夜になって微風があるとは言っても、ネクタイで首もとまでかっちりと閉ざし、加えてベストも羽織っていればそれなりに暑く蒸す。車通りはそこそこあって、流れが途切れれば非常に静かで虫の音も空間に忍び込んでくるが、そうした静けさはほとんど生まれないくらいにはこの田舎町でも、もう少し時間が遅ければともかく午後八時では交通量がある。月は見えなかった。表通りにいては街灯やら車の明かりやらに邪魔されて、晴れているのか曇っているのかもいまいち見分けがつかない。裏に入って静けさのなかから見上げてみると、星が一つも見当たらないので、どうやら全面曇っているらしいと見えた。月の姿もないが、それにしても光の痕跡すらも、気配すらも見当たらないとはどういうことか、前夜の同じ頃合いには結構丸く膨らんだのが皓々と見えていたはずだが、それほど雲が厚いのかと歩いていると、家に続く坂道の上に掛かったあたりで、正面の空に幽かな月の痕を見つけた。非常に朧で、周囲の灰色から少しだけ際立った白くあやふやな円が浮かんでいるのみで、何かの霊体のようだった。雲はやはり相応に厚いようだ。
帰宅して母親に挨拶すると、下階に下りて、cero "POLY LIFE MULTI SOUL"を流しながらベストを脱ぎ、ネクタイを取り払ってワイシャツを脱いで、スラックスも脱衣すると肌着のシャツとステテコ・パンツの姿になった。そうして上階へ。母親は風呂に入っていた。炒められた玉ねぎと豚肉、それにセブン・イレブンか何かの簡易な手羽中を一つの皿に載せて電子レンジにぶち込んだ。味噌汁にはワカメと納豆が入っていた。納豆を入れた汁物はあまり好きではないが、文句を言わずによそって、そのほか紫玉ねぎ・人参・胡瓜などを細かな角切りにしたサラダを皿に盛って卓へ。点けっぱなしになっていたテレビを消し、新聞からイラン関連の記事を読みながらものを食っているうちに父親が帰ってきて、こちらが食事を終えて皿を洗いはじめた頃合いになって母親も風呂から出た。それでこちらは下階へ。九時から日記を書き出す。一七分ほど書いたところで父親が風呂を出たらしい気配が伝わってきたので、上階に行って入浴。入浴中は特段のことはない。まだ沢の勢いが強く、水音が雨音のように聞こえる。そうして出てきて戻ってくると、九時四一分からふたたび日記に取り掛かり、Bob Dylan『Live 1962-1966: Rare Performances From The Copyright Collections』をBGMにしながらここまで綴って一〇時半。
それからインターネット記事を読んだりしようと思っていたところが、娯楽的な動画を視聴して時間を潰してしまい、インターネット記事を読むのは諦めて、零時を過ぎた頃合いからコンピューターをシャットダウンし、ベッドに移って書見に入った。まず初めにMichael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionを数頁読んだ。例によって英単語や、気になった箇所を手帳にメモしながら読み進めた。もう終盤で、残りの頁はあと四、五頁である。それから山尾悠子『飛ぶ孔雀』に移行したのだったが、その頃には眠気に刺されて意識が曖昧になり、ほとんど読み進めることが出来なかった。三時二〇分になるとはっと気づいて、そのまま就床した。
・作文
10:38 - 12:43 = 2時間5分
17:03 - 17:14 = 11分
21:01 - 21:18 = 17分
21:41 - 22:30 = 49分
計: 3時間22分
・読書
13:05 - 13:36 = 31分
13:39 - 14:09 = 30分
24:13 - 27:20 = 3時間7分
計: 4時間8分
- 渡辺守章『フーコーの声――思考の風景』哲学書房、一九八七年、書抜き
- 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-06-07「雛鳥のいかにももろい首根っこ強者に生まれたものの責任」; 2019-06-08「光線に浮かぶ銀河のような塵私は文明がさびしい」
- 「at-oyr」: 2019-05-08「図面」; 2019-05-09「思い出したい」; 2019-05-10「祖父母」; 2019-05-11「鳥」
- Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introduction: 109 - 114
- 山尾悠子『飛ぶ孔雀』: 118 - 120
・睡眠
3:00 - 9:30 = 6時間30分
・音楽