2019/6/15, Sat.

 ラベルを貼られるということがどういうことか理解するときに、ひとつの例があって、それは、「なにかを表現しようとしたときに、そのラベルが強調される」ということがある。
 たとえば、女性弁護士や女流作家のように、なにかの肩書きに伴って「女性」「女流」はよく使われるけれども、「男性」「男流」は使われない(そもそも「男流」はPCで変換されない)。女性の弁護士や政治家の話題がメディアで取り上げられるときは、かならずそれが「女性である」ということが強調されるのだ。
 (岸政彦『断片的なものの社会学』朝日出版社、二〇一五年、173)

     *

 私たちは、遠いひとたちに冷酷で、近いひとたちに弱い。自分から遠いところにいる、見知らぬホームレスが公園に寝てると、ああ恐いなと思い、顔も知らない外国人が生活保護を受給していると聞くと、なんとなく損した気持ちを抱いてしまう。そして、近いところにいる親友や家族が、悪いものに手を出したり、愚かな選択をし続けていても、なかなかそれを止めることができない。「本人がよければそれでよい」とか何とか、いろいろ理屈をつけて、近くにいる愚かなひとたちに優しくしてしまう。近いひとたちに優しくすることはとても簡単だ。ただ、それは、単に面倒なことから逃げているだけのことが多いのだが。
 (203)


 一二時四五分まで多大な寝坊。怠惰の罪である。窓をひらいたままに眠っていたが、雨がしとしと降っていて結構肌寒い空気が流れ込んできており、それもなかなか布団の下から抜け出せない一因だったかもしれない。上階へ行き母親に挨拶すると、炒飯と前夜の肉の残りがあると言う。それらを冷蔵庫から取り出して電子レンジのなかで回しているあいだに、便所に行って放尿し、それから洗面所に入って髪を梳かした。温まった二つの品を持って卓に就き、食事を始める。新聞一面にはホルムズ海峡付近でタンカーが攻撃された事件の続報が出ており、米国の判断ではイランが関与しているものだと言う。その後母親がよそってくれたサラダも食べ、さらに母親が何となく食べたいと言って作ったカップ蕎麦も半分ずつ分けて食べ、食事を終えると抗鬱剤を飲んだ。そうして食器を洗ったあとに風呂を洗おうと洗面所に入ると、湯がたくさんあるでしょと母親が言って、良いのかと訊けば今日は良いと言うものだから、洗濯機に繋がった汲み出しポンプのみバケツのなかに取っておいて室を出た。そうして下階に下り、自室に入ると早速コンピューターを起動させ、Mr. Big『Lean Into It』――何故かわからないが、これの冒頭の"Daddy, Brother, Lover Little Boy"が頭に再生されていたのだ――を流してEvernoteをひらき、前日の記録を付けるとともにこの日の記事を作成し、そのまま日記執筆に入った。一〇分ほどで短くここまで記して、一時四四分である。
 二時半過ぎから読書を始めているのだが、それまでのあいだに記事を投稿する以外に何をしていたのか思い出せない。インターネットを回っていたのだろうか? そんなような記憶もないのだが……。ともかく、Mr. Big『What If...』の流れるなか、二時半過ぎからMichael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionを読みはじめた。英単語や気になった箇所を手帳に引きながら一時間ほど読み進めて読了。読みはじめたのは五月二二日だったので、随分と時間が掛かってしまった。それから山尾悠子『飛ぶ孔雀』に入ろうとしたのだけれど、どうもやはり、眠気というほどではないけれど意識が重くて、目を瞑ったまま夢未満のイメージの奔流を眺めつつ長い時間休んでしまった。五時四五分頃になってようやく立ち上がり、食事を作るために上階に行ったが、そこでもソファに寝そべってしまい、母親がカレーを作っているあいだこちらは何もせずにただ目を瞑って休んでいるだけとなった。あまりにも怠惰で、明らかに休みすぎである。一体何故これほどまでに休んでしまうのか? 母親がカレーを作り終えたあとになって、さすがにこのまま何もしないのはまずいぞというわけで掛けていたタオルと上着を取り払って何とか立ち上がり、アイロン掛けを始めた。どうでも良いテレビを眺めながらシャツやエプロンの皺を取ると七時頃、食事を取る前に下階に戻り、Queen『Live At Wembley '86』を流して書抜きを始めた。渡辺守章『フーコーの声――思考の風景』である。四〇分ほど文言を写したのち、食事を取りに行った。カレーやサラダをよそって卓に就く。テレビは『世界一受けたい授業』。『妻のトリセツ』とかいう著作をものしたらしい女性作家が出て、夫婦関係のアドバイスのようなものを語るのだけれど、こうした類の「男性は」「女性は」という言明で括られる言説はあまり信用できないと言うか、雑駁に過ぎるのではないかといつも思う。本当に男性的傾向性、女性的傾向性なるものは世に広く認められるのか? 要するに夫婦関係と言っても一般の他者に対する関係と同じで、相手が男性だろうが女性だろうが、異国人だろうがLGBTの人だろうが、その人の個性と人間性を見極めた上でそれを尊重するような人間関係を築けば良い、とそういうことではないのだろうか? まあそれは多分に言うは易し、行うは難しというところではあるのだろうけれど。
 飯を食っている最中に父親が帰宅した。こちらは食い終わると皿を洗い、母親の使った食器も洗って、薬を飲んで下階に戻った。それからQueenを背景に日記を綴って、八時四〇分となっている。
 Mさんのブログを二日分。それで九時に至って、入浴に行った。居間に上がっていくとあるのは炬燵テーブルに就いた父親の姿のみで、母親の姿が見えなかったので風呂に入っているのかと思ったが、洗面所に行けば明かりは点いていない。その後、トイレに入っているだけだったことが判明した。こちらは洗面所で髭を剃り――翌日に労働があるためだ――母親と入れ替わりにトイレに入って排便し、それから湯浴みをした。いくらか湯に浸かったあと、頭と身体を洗って出てきて、下階に戻ると、インターネット記事を読むことにした。BGMはRadiohead『The Bends』。まず、「【東京新聞・望月記者】官房長官会見で記者の質問が制限されていることを知ってますか?」(https://www.businessinsider.jp/post-188481)を読んだ。例によって手帳に気になったところをメモしながら読み、続いてBGMはRadiohead『OK Computer』に移行させつつ、福島香織「香港の危機、警察が武力でデモ隊強制排除に」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56700)を読む。こちらもメモを取りながら読んでいると、一一時に至って突然、Skypeの着信メロディがヘッドフォンのなかに流れ出したので、Skypeの画面をひらいて応答した。Yさんだった。いきなりじゃないですか、と笑っていると、MYさんもやって来た。その後、Kさん、Nさんとメンバーが集って、会話が始まった。最初のうちは外国語の話をちょっとしたのを覚えている。何故その話題になったのだったか? ヴァージニア・ウルフからの流れだったかもしれない。Nさんがこちらが以前お勧めしたヴァージニア・ウルフの『灯台へ』を買ったという話だった。それで、「キュー植物園」をこちらが訳していたことに言及されて、そこから外国語の話になったのだったかもしれない。あるいはそうではなかったかもしれないがよく覚えていない。Yさんはお馴染みフランス語をやっており、Eさんと普通に意思疎通できるくらいには堪能である。MYさんは大学一年生の時に中国語をやっていたと言う。Kさんはドイツ語と中国語、Nさんは韓国語、こちらは大学時代の第二外国語はイタリア語なので、皆ばらばらですねと笑った。
 Nさんはこちらの短歌を最近よく読んでくださっているらしかった。「純粋音楽」というフレーズはどこから来ているんですかと訊くので、そのあたりのことをちょっと説明した。「純粋音楽」の語が使われているのは、一二四番「監獄でメメント・モリを唱えつつ純粋音楽夢見て眠る」と、一八二番「言の葉に意味を託して今日も雨純粋音楽憧れながら」の二首である。このうち後者は比較的ストレートに詠まれていると言うか、わかりやすくて、要は言葉というものに意味を託して日々せっせと短歌を作るなり詩を書くなりあるいは日記を書くなりしているけれども、本当は意味のほとんどないような、音楽のような言葉に憧れる、とそういったような意味合いである。まあそれはおそらく不可能なことでもあるのだが。前者の方はどこから来たのかいまいちわからないが、この歌の下敷きには、『ショーシャンクの空に』のイメージがあったのは覚えている。この映画は実際に見たことはないのだけれど、内容は何となく知っていて、監獄のなかに入れられてしまった男が、脳内でモーツァルトか何かを再生して自分の置かれている状況に抵抗すると言うか、いくら監獄という閉鎖状況に閉じ込められても頭のなかの音楽を消すことはできないのだ、それが人間の自由や尊厳というものなのだ、というような内容の映画だとどこかで聞いたことがあって、そのイメージが下敷きになっていたことは確かである、とそんなことを話した。
 Kさんは、ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』を買ったらしかった。彼は近未来的な話と言うか、テクノロジーによって実現された未来的世界の様相に興味があるらしくて、VRチャットやVRゲームの話題も出た。VRチャットというのは、人々がアバターを用いることで仮想空間に入り込み、そこでほかのアバターとコミュニケーションが出来るというもので、要はオンライン・ゲームを実体験できるというようなもののようで、それを聞いたこちらは、昔のオタクの夢が実現しているじゃないですか、ついに二次元のなかに入れる時代がやって来てしまったのか、と笑った。未来を感じるということでは、ディストピア感のある方の未来だが、中国の点数評価制度も彼は話題に出した。北京とかでやられてますよね、あれはやばいですよねとこちらも受けて、制度について知らないようだったほかの皆さんに向けて、その概要を説明した。人々の素行や道徳的な面――要は共産党支配にどれだけ忠実かということだろうが――を点数化して評価し、成績が悪い者は行政サービスを受けられなくなったりするという例の制度である。以前新聞で読んだところでは、あまりに点数の悪い者に関しては、「北京の街を歩けなくする」というようなことが言われているらしかった。恐ろしい話である。そもそも行政サービスというものに優劣を設けることが許されるのかと言うか、公共サービスというものはなるべく万人に平等に提供するものではないかという疑問を禁じ得ないのだが、そんなことお構いなしなのが彼の国である。インターネットも今相当規制されてきていますよね、このあいだ天安門事件の三〇周年があったでしょう、六月四日に、あの近辺ではインターネットはやはり使えなくなったみたいですねと話すと、Yさんが天安門事件について何それ、と言うので、何とかいう改革派の元総書記――これは確か胡耀邦だった――の追悼集会から始まった学生や民主派の活動家によるデモ運動が、北京の天安門広場であったのだが、それが中国当局によって武力弾圧されたという事件だと伝えた。戦車の前に一人で立ちはだかっている青年の写真が一番有名ですねと言って、Googleの検索結果をSkypeのチャット上に添付した。中国の話から、香港の例の「逃犯条例」改正に反対するデモの話にもちょっとなった。一〇〇万人集まったという話ですからねとこちらは言い、Kさんも、「どえらい」ことになっているみたいですねと話した。
 そのうちにMYさん、Kさんと去っていき――途中でM.Hさんが現れた瞬間もあったのだが、すぐに去っていってしまった――こちら、Yさん、Nさんの初期メンバーが残った。Nさんは七月に東京にやって来る。Yさんに案内を受けて上野などを回る計画になっているらしいのだが、そこで、もしよかったらFさんともお会いできたら、と言うので、いいですよと軽く了承した。七月二〇日から二泊三日の予定だと言う。今日(一六日)職場に行くので、シフト表のその日の欄にはバツ印をつけておかなくてはならない。上野の国立科学博物館に行く予定のようだが、西洋美術館の方も行きたいですねえなどを話し、ホームページにアクセスして、今は松方コレクション展というのがやっているようですよ、ゴッホとかモネとかゴーギャンとか、と紹介した。
 それで零時半をいくらか越えたところで解散となった。こちらはRadiohead『Kid A』を聞きながら、福島香織「香港の危機、警察が武力でデモ隊強制排除に」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56700)の続きを読み、一時に至って最後まで読み終えると、ベッドに移って山尾悠子『飛ぶ孔雀』を読み出した。それから三時直前まで読み続けたが、例によって最後の方では意識が曖昧になっていたようだ。三時ちょうどに就寝。


・作文
 13:33 - 13:44 = 11分
 20:23 - 20:39 = 16分
 計: 27分

・読書
 14:32 - 15:30 = 58分
 19:05 - 19:47 = 42分
 20:46 - 21:00 = 14分
 21:49 - 23:02 = 1時間13分
 24:41 - 25:00 = 19分
 25:05 - 26:58 = 1時間53分
 計: 5時間19分

・睡眠
 3:30 - 12:45 = 9時間15分

・音楽