2019/6/20, Thu.

 妻はぐっすり眠っている。
 ゲイブリエルは片肘をつき、妻のもつれた髪と開き加減の口を憤りもなくしばし見つめ、深い寝息を聞いていた。そうか、そんなロマンスの過去があったのだ。一人の男がこの女のために死んだ。夫たる自分がこの女の人生でなんとも哀れな役割を演じてきたものだと考えても、今、ほとんど苦痛を感じない。自分とこの女がこれまで夫婦として暮したことがなかったかのように、寝顔を見つめた。その顔と髪に彼の詮索する目がじっとそそがれた。そしてその頃、初々しい少女の美しさの当時、彼女はどんなふうだったのだろうと思い浮べるうちに、不思議な友情にも似た憐れみが心の内にわいてきた。その顔がもはや美しくないとは自分自身にも言いたくないけれど、しかしそれがもはや、マイケル・フュアリーが死を賭してまで求めた顔でないことは分った。
 たぶん、すべてを打ち明けたのではない。彼の目は妻が脱ぎ捨てた衣類のかぶさる椅子へと動いた。ペチコートの紐が一本、床へ垂れ下がっている。片方のブーツが、途中からぐにゃっと折れて突っ立っている。もう片方は横倒しになっている。一時間前の感情の騒乱が不思議に思われた。あれは何が発端だったのか? 叔母の夕食から、自分の愚かなスピーチから、ワインとダンス、玄関ホールでおやすみを言い合った浮れはしゃぎ、雪の中を川沿いに歩いた楽しさから。ジューリア叔母さんもかわいそうに! 叔母もまた、じきに影となり、パトリック・モーカンやあの馬の影といっしょになるのだ。婚礼のために装いてを歌っていたとき、一瞬、叔母の顔に浮んだやつれきった表情が見えた。たぶんもうじき、自分は喪服を着て、シルクハットを膝にのせて、あの同じ客間にいることになるのだろう。ブラインドが引き下ろされて、ケイト叔母がそばに腰掛け、泣きながら鼻をかみ、ジューリアの臨終の様子を話して聞かせる。叔母の慰めになるような言葉を頭の中であれこれ探して、結局はぎくしゃく無駄な言葉しか出てこないだろう。そうだ、きっとそう。じきにそうなるだろう。
 部屋の寒気を両肩に感じた。そうっとベッドへ入って躰を伸ばし、妻の傍らで横になる。一人、また一人と、皆が影になっていくのだ。なにかの情熱のまばゆい光輝の中で、敢然とあの世へ赴くほうがいいだろうか、年齢とともに陰鬱に色褪せて萎んでゆくよりは。傍らに寝ているこの女が、ずっと長い間、生きていたくないと告げたときの恋人の目の面影をどんなふうにして心の内にしまいこんでいたのかと、彼は思った。
 寛大の涙がゲイブリエルの目にあふれた。己自身はどんな女に対してもこういう感情を抱いたことはなかったが、こういう感情こそ愛にちがいないと知った。涙がなおも厚く目にたまり、その一隅の暗闇の中に、雨の滴り落ちる立木の下に立つ一人の若者の姿が見えるような気がした。ほかにも人影が近くにいる。彼の魂は、死せるものたちのおびただしい群れの住うあの地域へ近づいていた。彼らの気ままなゆらめく存在を意識はしていたが、認知することはできなかった。彼自身の本体が、灰色の実体なき世界の中へ消えゆこうとしている。これら死せるものたちがかつて築き上げて住った堅固な世界そのものが、溶解して縮んでゆく。
 カサカサッと窓ガラスを打つ音がして、窓を見やった。また雪が降りだしている。眠りに落ちつつ見つめると、ひらひら舞う銀色と黒の雪が、灯火の中を斜めに降り落ちる。自分も西へ向う旅に出る時が来たのだ。そう、新聞の伝えるとおりだ。雪はアイルランド全土に降っている。暗い中央平原のすみずみまで、立木のない丘陵に舞い降り、アレンの沼地にそっと舞い降り、もっと西方、暗く逆立つシャノン川の波の上にそっと舞い降りている。マイケル・フュアリーの埋葬されている侘しい丘上の教会墓地のすみずみにも舞い降りている。歪んだ十字架や墓石の上に、小さな門の槍の上に、実のない荊[いばら]の上に、ひらひら舞い落ちては厚く積っている。雪がかすかに音立てて宇宙の彼方から舞い降り、生けるものと死せるものの上にあまねく、そのすべての最期の降下のごとく、かすかに音立てて降り落ちるのを聞きながら、彼の魂はゆっくりと感覚を失っていった。
 (ジェイムズ・ジョイス/柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』新潮文庫、二〇〇九年、373~376; 「死せるものたち」; 結び)


 正午前まで惰眠を貪る。上階へ。母親は料理教室に出かけている。冷蔵庫を覗くと、前日の棒々鶏の残り、大根の煮物、それに胡麻バターパンがあったので、それぞれ取り出して温めるものは温めた。大根の煮物を電子レンジで回しているあいだに、洗面所に入って髪を梳かした。そうして卓に就き、新聞の一面を見ながら食事を取ると、食器を洗って浴室に行った。栓を抜くとともに蓋を持ち上げて、その水気を落とすと浴槽の外に一旦立てておく。そうして、水が捌けていかないうちは浴槽の外から、身を乗り出すようにして手摺を掴みつつ壁面を擦り、水が流れていったあとでは内側に入りこんで、床や下端の方を洗った。面をすべて擦り終えると風呂桶から出て、シャワーを掛けて洗剤を流し、蓋と栓を元に戻しておいて仕事は完了である。浴室を出ると下階に戻り、コンピューターを起動させた。TwitterAmazon Affiliateを確認し、前日の記録を付けてこの日の記事も作成すると、一旦部屋を出て上階に戻った。昨日買ってきたモンブランを食べようと思ったのだ。円筒状の容器を冷蔵庫から取り出してスプーンで掬って賞味したのち、容器は流し台に放置しておき、部屋に戻ると、FISHMANS『Oh! Mountain』とともに日記を書きはじめた。途中、Twitterを覗いたりして余計な時間を使ったが、一時間半弱綴って現在は二時前に至っている。
 前日の記事をブログに投稿した。パスポートを受領するために立川に出かけなければならなかったが――その後、夜からの労働に直接向かうつもりだった――何だか身体が疲れていたので、読書をしながら少々休むことにした。それでベッドに移り、いつも通り薄布団を身体に掛けて、『石原吉郎詩集』を読みはじめたのだが、例によってじきに瞼が閉じはじめて、一時間のあいだほとんど読み進めることなく、眠ったわけではないけれど瞑目して休んでいる時間が多かった。そうしているあいだに母親が料理教室から帰ってきたようだった。一時間経って三時一六分に至ると起き上がり、コンピューターに寄って最寄り駅から立川までの電車を検索した。すると三時五七分だったので、これに乗っていけば良いやというわけで廊下からワイシャツを取って、上階に行って母親に顔を見せながらワイシャツを身につけた。そうして黒い靴下も履いて下階に戻り、灰色のスラックスを履いた。そうしてリュックサックにコンピューターなどを詰めて、上階に行った。便所で放尿し、ソファに就いていた母親に行ってくると言って出発。
 林の縁の茂みのなかで雀が何羽か遊び回っていた。足もとに影は生まれていないが、曇り空を透けてくる陽の感触が肌に触れて蒸し暑い。坂道に入ると太陽が雲間から現れたようで路上にオレンジ色の木漏れ陽が点々と落ちていた。薄陽を浴びながら坂道を出ると、向かいの駅前で高年の男女が話していて、それぞれ形の違う帽子を被ったその姿に一瞬祖父母の面影を重ねた――実際には男性の方はいくらか背も曲がっていて体躯が短く、祖父を重ねるには背丈がかなり足りなかったのだが。横断歩道のスイッチを押して通りを渡ると、すれ違いざまにその老人が、ありがとう、と低く呟いてみせた。何に対する礼だったのだろうか? 横断歩道のボタンを押してくれてありがとう、ということだったのだろうか? 背を丸めてよたよた坂道の方へ入っていくその後ろ姿を振り返りながら駅に入って、階段通路を通ってホームに行くとベンチに就いた。手帳をスラックスのポケットから取り出して眺める。雀やら何やらの鳴き声や動きが周囲に満ちているなか、薄い陽射しがベンチの上には掛かって、汗を滲ませる。電車到着のアナウンスが入ると、席を立って、手帳に視線を落としながらホームの先に歩き、やって来た電車に乗って扉際に就いた。
 青梅に着くと乗り換え、ホームに降りて、同じように降りた客たちのあいだを縫って歩き、ホームの端の方、先頭車両の位置に向かった。まもなく到着した電車に乗り、七人掛けの端に就いた。そうして引き続き、手帳を眺め、時折り目を閉じて考え事をしながら電車に揺られた。
 立川に着くと人々が捌けていくのをちょっと待ち、階段口に人波がなくなってから電車を降りて、扉横のボタンを押して扉を閉めながら電車を離れ、階段を上った。行き交う人々のなかの一員と化して改札を抜け、LUMINEに入ってエスカレーターに乗った。目指すは九階のパスポート・センターである。エスカレーターで上って行きながら、このエスカレーターに乗っているあいだの時間というのもなかなか暇だなと思った。後ろの若い男性はスマートフォンを覗き込みながら乗っていたが、それはアナウンスによって危険だと注意されている行為である。黙々と上っていき、八階に着くとそこでエスカレーターは途切れたので、フロアに降り立って階段の方に向かった。すると九階から警備員か何か、制服を着て制帽を被った職員が下りてきて、階段口のところでまだ距離があるこちらに向けて随分と丁寧な一礼をしてみせた。彼とすれ違い、九階に階段を上がる。つるつると光を跳ね返す廊下を歩き、パスポートセンターへ入ると、室内は今日もたくさんの人が待っており、混み合っていた。筆記台に寄り、ピンク色の引換書を取り出して署名をした。周りでは職員が、申請の方は写真をご用意できていますか、と呼びかけて回っている。こちらはそれから収入印紙等手数料を支払う窓口へ。一六〇〇〇円を支払い、二枚の切手のような印紙を貼ってもらった用紙を返却され、一番窓口へ並んだ。前に二、三人いたが、すぐに番が来たので、お願い致しますと言って用紙を職員に渡した。女性職員はカウンターを離れて背後の棚と言うか何と言うか、必要書類の集まっている区画からパスポートを取ってきた。古い方のパスポートには穴が開いていますからお間違えのないように、と言う。それから質問、名前はと訊かれ、F.Sと申しますと答えると、続けて生年月日を西暦でと言われたので、一九九〇年一月一四日と応じた。それで本人確認の質問は終わりだった。古い方と新しい方と二つのパスポートを受け取って室を退出した。エスカレーター前で新たなパスポートをまじまじと眺め、リュックサックに入れて下りのエスカレーターに乗った。下りている最中に、手帳を買わなければならないことを思い出した。今使っているMDノートは、おそらくあと二、三週間もすれば切れてしまうだろう。それなので六階でエスカレーターから降り、LOFTに入った。LOFTは以前は確か七階にあったのだが、一階下のフロアに移ったらしい。おそらくその代わりに七階のユニクロが拡大されたのではないか。LOFTに入るとノート類を見分した。Rollbahnというよく見かける種類のノートが何となく念頭にあったのだが、見ていると、EDiTという別の種類のシリーズがあって、これが結構良さそうだった。カバーがしっかりとしていて無骨である。同じようなタイプのものはもう一つあったが、最初の直感に従ってEDiTを買うことに。一五〇〇円である。なかなか値が張るが、手帳はやはり重要なアイテムなのでそのくらいは出す気になる。以前間違えてMoleskineのものを買った時にはもっとしたはずだ。色はアプリコット・オレンジを選んだ。そのほか、今使っている赤ボールペンももうそろそろインクが切れるはずなので、何か新しいペンを買うことに。ボールペンの区画を見分して、ZEBRAの「Surari」というシリーズのペンを選んだ。デザインがシンプルで気に入られたし、軸がオレンジ色のものがあって、それがEDiTの手帳の色と大体同じ色味で相応していたのだ。こちらのペンは三〇〇円である。そうして会計へ。女性店員を相手に一九四四円を支払って退店、エスカレーターに乗りながらリュックサックに品物の収められたビニール袋を入れ、二階に到着すると降りた。UNITED ARROWSの店舗内を通りがてら、少々衣服を見分するが、勿論元々買うつもりはない。冷やかしである。
 そうしてビルの外へ出て、北口広場に出て高架歩廊を行く。書店に行くつもりだったのだ。ポケットに手を入れて鷹揚と歩いて行き、歩道橋前でブックオフの入ったビルを振り返った。三階の入り口の向こうには白い壁が立てられている。このビルにはLOFTが入っていたのだが、改装中なのかあるいは閉店したかしたらしい。その代わりにLUMINEのLOFTが広くなったのだろうか? 歩道橋を渡って曲がり、高島屋へ。自動ドアを通って入館し、エスカレーターに乗って淳久堂書店へ。書店に踏み入ると早速思想の棚のあいだに入った。新刊の区画に表紙を見せて置かれていた東浩紀の新著『テーマパーク化する地球』は欲しいが、まだ『ゲンロン0』も読んでいないし、それを読んでからでも良いような気がする。石田英敬との共著である『新記号論』もやはり興味はあるが、これも石田の『現代思想の教科書』を持っているので、それを読んでからにしたいと思う。新刊を確認すると哲学概論のコーナーへ。石井洋二郎編の『大人になるためのリベラルアーツ』という本が以前から気になっていた。続編と合わせて二冊あるものなのだが、石井洋二郎というのはフランス文学者で、こちらにとってはロラン・バルトコレージュ・ド・フランスでの講義三巻本の最後の巻、『小説の準備』を訳している人間として名を知っていた。その人が編集している教科書的な著作ということで興味を持っていたのだが、実際に中身を覗いてみると、思いの外にそんなに惹かれる感覚がなかった。それで買おうかどうしようか迷いながら哲学概論のあたりを見分し、それから日本の現代の著述家の区画の方に移った。仲正昌樹の著作などを確認する。テクストをわかりやすく、しかし仔細に読み込むタイプの著作に触れて読解の仕方を学びたいのだが、そうするとやはり何だかんだ言って仲正昌樹の入門書など良いのではないかという気がする。上妻世海の真っ赤なカバーの『制作へ』も表紙を見せて置かれていたが、三二〇〇円するのでこれは見送ることにした。それから棚のあいだを抜けて、選書の区画へ。こちらにも「完全解読」と銘打ってテクストを詳細に読み解くタイプの著作があったはずだと思ったのだ。竹田青嗣がカントを読んだりしているやつで、棚に発見されたが、今はまだ買う気にはならない。選書の区画をしばらく見分したのち、今日は何も買わずに書店をあとにすることにした。それでエスカレーターに乗り、二階まで下って退館。時刻は六時前だった。空気から光が失われていくところで、宙空の色が沈んできており、空を見上げれば全面に雲が掛かって青さは見えない。PRONTOに行って食事を取りがてら、労働に向かうまでの僅かな時間で日記を書くことにした。それで歩道橋を渡り、階段を下りて下の道に移り、ビルのあいだの薄暗い通路を通って表の道に出ると、PRONTOに入店した。今は五時半を過ぎたのでバー・タイムである。階段に向かおうとすると、カウンターの向こうの女性店員が、お一人ですかと訊いてくるので肯定し、煙草は吸われますかと言うのには吸いませんと答えた。そうして階段を上ると、店内は混み合っていて、ほとんど一席くらいしか空いていないようだった。左右のテーブルにも女性客の就いたその一席に通される。リュックサックを下ろしてソファの方に座り、メニューをしばらく見つめた。隣のテーブルに食事が運ばれてきたところで店員を呼び止め、ジンジャーエールと、海老とアボカドのバジルソースのパスタを注文した。右隣のテーブルにちょうど今しがた運ばれてきた品物が、まさしくそのバジルソースのパスタだったが、別にそれを見て真似したわけでは決してない、品物が届く前からそれに決めていたのだ。そうして『石原吉郎詩集』を読みながら食い物が届くのを待ち、ジンジャーエールが先に来るとその琥珀色の炭酸飲料を啜りながら詩集に目を落とした。左隣は中年の女性二人が座っていたが、こちらの会話はほとんど聞かなかった。右隣は会話から察するに一人が高校三年生、もう一人はおそらく一学年上の先輩で大学一年生だと思われたが、この大学一年生の女性の方が、このあいだ友達の家に泊まりに行って、友達と言って女ではなくて男友達で、メンバーは彼女以外全員男で、要するにそこでヤッたのだ、というようなことを話していた。バジルソースのパスタが届いて食べるあいだも、何とはなしに彼女らの話が耳に入ってきていたのだが、実に若いなと言うか、実際大学一年生ならばこちらと一〇年ほど歳の開きがあるわけだが、まあ性に遊ぶ年頃だよなあという感じで、男ってのは……女っていうのは……と、粗雑な「男とは」「女とは」言説を臆面もなく振りかざしているあたりも実に若々しい。パスタを賞味し終えたあとは、こんなどうでも良い話を聞いている場合ではない、残った時間で日記を出来るだけ書き進めなければというわけでコンピューターを取り出した。起動させてEvernoteをひらき、打鍵を進めるあいだもしかし、がちゃがちゃとした店内のざわめきに集中を乱され、また隣の女性らの会話も相変わらず耳に入ってきて、なかなかスムーズに書き進めるわけには行かなかったようだ。女性らは恋愛遍歴のようなものを互いに語っていたが、正直なところ、二人ともそんなにパッとしない、わりあい素朴そうな見た目にもかかわらず、結構遊んでいるようで、遊ぶと言ったって同じ学校の男子とキスしたりセックスしたりという程度だから可愛らしいものだろうが、まあ多少意外な感は得た。そうして六時半過ぎまで打鍵を進めたあと、ここまでだなと区切って、便所に行った。便器に座って糞をひり出し、腸のなかを軽くして、手を洗って備え付けのペーパーで拭いてから室を抜け、席に戻るとコンピューターをリュックサックに仕舞って、席を立った。店員に伝票を渡され、ごちそうさまでしたと挨拶して下階に下り、カウンターの女性店員を相手に会計、一〇八〇円を支払い、ありがとうございましたと礼を言って退店した。通りにはバスを待つ人々の長い列が出来ていた。その横を通ってエスカレーターに乗り、高架歩廊に上って駅へ、途中で道の脇に立った男性がいきなり、皆様のご協力をお願い致します、などと声を張りはじめたので、何かと思って訊けば、路上喫煙・歩き煙草禁止の活動らしかった。駅舎の入り口傍にも、両手に黄色い旗を持って同じ内容を呼びかけている男性が立っていた。そうして駅舎のなかに入り、人波の一員と化して改札をくぐると、五番線・四六分発の青梅行きまでもう一分しかなかったので、これを逃すと勤務に遅れるなというわけで、小走りになって階段口まで行き、エスカレーターの右側を歩いて下りて、電車に乗車した。扉際である。そうしてまもなく発車すると、携帯電話を取り出して日記を書きはじめた。東中神で降りる女性がいたので、扉を開けるボタンを押してあげたところ、女性はありがとうございますと頭を下げて去っていった。その後は特別のことはなかったと思う。携帯をかちかちやりながら電車に揺られ、青梅に着くと暮れて青く染まった曇り空の下に降り立ち、駅を抜けて職場に行った。
 今日の相手は(……)くん(という名前だったと思ったが、記憶があまり確かではない――高一・英語)に、(……)(中二・英語)、(……)(中一・英語)の兄弟。後者の兄弟は以前勤めていた時も担当した生徒である。兄の(……)の方は身体が幾分大きくなって、声変わりもして成長したな、という感じだった。弟の方は遅れてやって来た。兄も弟もそれほど勉強が出来るわけではないようだが、特に兄の方が今日はやばいのではないかと思われた。勉強以前にどうも話が通じないと言うか、以前当たっていた時はそんなことはなかったように思うのだが、並べ替え問題をやらせようとしても、コミュニケーションがたびたび途切れてしまうと言うか、ともかく全然要領を得なかったのだ。それで、こいつはまさか時間を掛けようとしてわざとやっているのではないだろうなとか、あるいはそうでなければ発達障害の類を持っているのではないかなどと疑ったのだが、多分そうではなくて、どうも凄まじく眠かったためのディスコミュニケーションだったらしい。実際、ちょっと放っておいて眠る時間を取らせたあとは、並べ替え問題もそこそこ出来るようになったし、質問にも答えられるようになったので、多分眠かっただけなのだろう。兄はまだしも愛想のようなものがあるのだが、弟の方は無愛想で、にこりと笑うような瞬間がまったくなく、常につまらなそうである。それでも一応問題は多少解いてはくれて、一応自分からノートも書いていたのだけれど、何と言うか「これでいいんだろ?」というような雰囲気が付き纏っているのが気にかかるところではある。
 (……)くんは解説を見ながらではあるだろうけれど、今日やったところの問題はほとんど間違えずに解けていた。今日扱ったのは完了時制である。現在完了の形は、過去完了の形は、とか訊いても答えられていたし、いくつか文をピックアップして訳してもらっても大体問題なかったが、しかし多分英語がそれほど得意なわけではない。と言うのは、school was overの部分を訳すのにちょっと詰まっていたり、beginを始める、ですよね、と確認したりしていたからだ。基本問題は解説を読みながら解けるが、もう少し難しい問題になるとミスが多く出てくるのではないかという気がする。スピードもさほど速くはない。宿題は扱いきれなかった半頁と、復習を一頁としたが、(……)さんによると授業内容は悪くなくても、宿題はいつもやってこないのだということなので、どうも今回もやって来ないのではないか。
 授業終了。翌日は室長も(……)さんも会議でいないとのことだったが、一時限増えて二時限、最後の時限まで残ってくれないかとの打診をされた。仕方なく了承する。そうして退勤。駅に入り、奥多摩行きの最後尾の車両に乗って、優先席付近の扉際に就き、手帳を眺めながら到着を待った。最寄り駅に着くと降りて、階段通路を抜け、さっさと横断歩道も渡って坂道へ。今日も紫色の紫陽花が、月のない曇り空の下、夜の底で色を放っている。
 帰宅すると水を飲み、自室へ戻ってコンピューターを机上に据えるとともに服を着替えた。そうして食事へ。母親が料理教室で作ってきたワカメご飯や鯵のハンバーグ、その他あれはラタトゥイユというもので良いのだろうか、ズッキーニなどが入ったトマトソースの料理に、サラダ類など。テレビは『カンブリア宮殿』を掛けていて、サンキュードラッグという会社の試みを紹介していたが、詳しく書くのはもう面倒臭い。食事を終えると、父親がモンブランを食わないと言うので、こちらが代わりに頂いてしまい、そうして入浴へ。出てくると室に戻って、「「戦略的必要性ない」 在沖海兵隊に元米軍高官言及 90年代分析 日本の経費負担好都合」(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-852864.html)を読んだ。ついでに在沖海兵隊の人数というのはどれくらいなのかと検索してみたのだが、そのものぴったりの資料が全然出てこなくて不明である。日本に駐留している海兵隊全体の人数とかは出てくるのだが、そのうち沖縄の海兵隊のみの数というのを記した確かな資料がどうも出てこなかったのだが、多分一万二〇〇〇人かそのくらいなのではないかと思われた。続いて、岸政彦×藤井誠二「沖縄からの問いかけ 岸政彦『はじめての沖縄』(新曜社)/藤井誠二『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)」(https://dokushojin.com/article.html?i=4418)を読んだ。以下引用。

岸  僕はこの本(『はじめての沖縄』)の中で、沖縄らしさのひとつとして「自治の感覚」という言葉を使ってますが、安里(あさと)という街に面白いものがありますよね。駐車場の壁に手書きのペンキで「私達の街は私達で守ります」という謎の宣言が書いてあって、たぶん暴力団対策で書いたと思うんですけれど、すごく象徴的な言葉のように思えました。やっぱり沖縄戦で一度社会秩序が完全に解体して、二七年間米軍に占領されて、その上で構築されてきた感覚なんですよね。吉川博也さんという地理学者が『那覇の空間構造』(沖縄タイムス社)という本を書いてるんだけど、那覇の道路がなんであんなにグチャグチャなのかという、あれは要するに上から統治する権力者がいなかったからで、都市計画が全くないとああなるんだと。沖縄の空間構造というのは、沖縄の社会構造や社会規範の空間的表現なんだと書いていて、すごく納得した。真栄原や照屋が完全に消滅して、栄町が少し残っているけれど、これほど急激になくなったのは、沖縄の社会構造の根底からの変動の表れだろうなと思っています。よく覚えていますが、国内でヘイトスピーチが始まって、一番酷かったのが二〇一三年ごろ。大阪の鶴橋で女子中学生が「朝鮮人を大虐殺します」という街宣をしたときでした。僕はそれからカウンターとして、ヘイトデモの現場に通ったんですが、そのときに地元の在日の友人が言っていたのが、「十年前だったら怖いお兄さんが飛んできて止めさせてた」という言葉でした。確かにあんなことが堂々と鶴橋でできるようになったのは、僕らの中で多分自治の能力が失われていっているんだろうと感じたんです。それと同時期に沖縄で真栄原新町が消滅していく。しかもそれを先導した人びとのなかに、伊波洋一さんや東門美津子さんという、リベラル側の政治家たちもいた。

岸  たぶん覚えてないと思うけど、本が出るずっと以前に、藤井さんから沖縄の原稿を読ませてもらったときに、藤井さんに「ノスタルジックに書いたら絶対批判するよ俺は」と言ったんです。沖縄にコミットしている人はよくそうやって書きがちやねん。同族嫌悪かもしれないんだけど。最初の話に戻ると、大阪の西成や沖縄の真栄原新町のようなところって、なんか見せたいんですよね、人に。それぐらいインパクトがある場所なんです。でも、例えば「消えかかってるから話を聞いてください」とか、「私の話を残してください」みたいな語りが何で出てくるかというと、要するにそこに生きてる人間がいたんだ、っていうことなんだよね。まず、良くない地域だということが前提にあって、最初はそういう「浄化しなきゃ」みたいな感覚で見ますよね。その次に「沖縄の闇」的な、ディープ沖縄観光みたいな感じの、下世話な面白さになる段階があって、そこで止まると、ロマンチックな書き方になっちゃう。でも、それも過ぎるともう、この中で生きている女の子がいて、ヤクザがいて、隣で三線弾いてるおじいもいてって、そういうことを淡々と書くしかなくなる。

藤井  僕なんか典型的で、僕は割と淡々と書く方だと思ってるんですけど、やはり何らかのノスタルジー的な思いというのは必ず出ちゃう。それを書き手がどのくらい出すかというのは人それぞれですが、僕は今回はとにかく現実を箇条書きしてもいいくらいだと思ったんです。この本の反響で一番大きいのは、こういう歴史を知らなかったという感想で年齢を問わず一番多い。あと聞こえてくるのは、何で内地の人間が書くのかという、ちょっとネガティブな言われ方ね。

岸  それはよく言われます。さっき箇条書きと言ったのは本当にそうで、俺も『街の人生』(勁草書房)ではそのまま並べるしかなかった。

 女子中学生がヘイトスピーチをやっていたと言うのは、全然知らなかったのだが実にショッキングな事件である。また、二番目の引用には「要するにそこに生きてる人間がいたんだ、っていうことなんだよね」との言が出てくるが、これが要するに――彼らがやっているのはノンフィクションのルポルタージュというジャンルだけれど――小説の領域なのではないかと思う。岸政彦がやっている「聞き取り」のようなことは、自分も出来ればいつかやってみたいなあと思うところであって、つまりは誰かの人生の来し方を二時間、三時間くらい聞かせてもらって、それを録音し、その録音したものをなるべく一切編集せずにそのまま文字起こしして日記に載せる、というようなことをやったら面白いのではないかと思っている。
 YさんとSkype上のチャットでやりとりしながら記事を読み進め、一時過ぎに読み終わったあとはRyan Keberle & Catharsis『Azul Infinito』を背景にしばらくインターネットを回り、一時四四分からベッドに移って読書に入った。『石原吉郎詩集』だが、いつものごとくいつの間にか意識は曖昧に落としていたようである。気づけば三時二〇分、そのまま就床した。


・作文
 12:36 - 13:53 = 1時間17分
 18:08 - 18:36 = 28分
 計: 1時間45分

・読書
 14:16 - 15:16 = 1時間
 22:49 - 24:07 = 1時間18分
 24:44 - 27:21 = 2時間37分
 計: 4時間55分

・睡眠
 3:15 - 11:50 = 8時間35分

・音楽