2019/6/21, Fri.

 だが、まさに言うは易しです。自分がそのなかに浸かっている文化は一般的な論理の水準で他者に語ることができるようには認識されていません。生きた文化は、前意識、無意識の次元に浸透して組織されているからで、その人には「あたりまえ」のことであっても、それを異文化の他者に「翻訳」して論じることはとても困難です。しかも、「日本文化」といっても、統一されたひとつのものではなく、それは無数の他の文化が入り交じり、溶け合い、重なりあった複雑な複合体です。文化は他の文化との交流のなかではてしなく自己組織化を行い続けるダイナミックな生命体です。同時に、そのダイナミズムのうちには、変容を惹き起こす契機となるコアとなる「文化遺伝子」、あるいは「基本的アプリケーション」のようなものもある。変化と同時に不変なものもある。その両方の視点から日本文化の歴史的な展開を、きわめて大きなパースペクティヴでつかみ直すことができないか、それが本書の出発点にあったわれわれふたりの問題意識だったのです。
 (小林康夫・中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、ⅳ; 「はじめに」)

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 中島 伊東忠太は、東大の建築の初期の人で、Architectureを「建築」と訳して、定着させた人です。それまでは「造家[ぞうか]」という訳語でした。多くの建築を残していますが、東大の正門や、築地本願寺とかをつくった人です。かれの頭のなかでも、水のイメージが日本に割り振られていたのでしょう。だから、湯島聖堂のような儒教の場所に、日本的な水を用いたのだと思います。ちなみに、中国の五行思想では、水には黒という色が配当されています。
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 相変わらずの糞寝坊で一一時四〇分。上階に行くと台所には生麺のうどんが置かれており、フライパンの水が火に掛けられている。母親に挨拶し、洗面所に入って顔を洗って髪を梳かしたあと、出てくると湯が沸いていたので、うどんをフライパンに投入した。そうして箸で搔き混ぜ、しばらく茹でてから洗い桶に零して流水で洗う。洗ったものは笊に上げておき、麺つゆを拵えて卓に就いた。うどんのほかには焼売や大根の煮物や前夜のサラダの残りが食事である。母親と向かい合ってうどんを啜り、食べ終えると抗鬱剤を服用して、食器を洗った。それから風呂も洗って下階に戻ってくると、母親はまもなく「K」の仕事に出かけていった。こちらはコンピューターを再起動させ、Evernoteを立ち上げると前日の記事の記録を付け、この日の記事も作成して日記に取り掛かったのが一二時半だった。そこから前日の記事を仕上げるのに一時間二〇分ほどの時間が掛かった。この日の分は短くここまで書いて、現在二時直前である。BGMはFISHMANS『Oh! Mountain』に、Radiohead『Kid A』だった。
 前日の記事をブログに投稿したのち、Twitterを少々眺め、それからnoteの方にも記事を発表した。そうしてベッドに移って、二時二〇分から『石原吉郎詩集』を読みはじめたのだが、いつも通りの体たらくでじきに瞼が閉じ、Radioheadの"Idioteque"とか"Motion Picture Soundtrack"とかに耳を傾けることになった。眠りに落ちたわけではないのだが、薄い眠気が身を包みこんで目を開けていられなくなり、しばらく休む時間が差し挟まった。そうして何とか目をひらいてふたたび文字を追いはじめたかと思うと、すぐにまた瞼が下りてしまうのだった。そんな風にして、合わせて一時間くらいは詩句を読まずに休んでいた時間があったと思う。四時を過ぎると手帳に読書時間を記録して区切りを付けたが、身体がまだ重力に取り巻かれていて起き上がることが出来ず、姿勢を崩して休み続けた。外では風が厚く吹いており、家を揺らしていた。そのなかで瞑目し続け、合間にちょっと瞼をひらいて時計を見るたびに、あと五分、あと五分などと朝寝坊する学生のように時間を延ばしていき、四時半を過ぎた頃になってようやくそろそろ準備をしなければまずいなと身体を起こすことが出来た。
 上階へ向かい、冷蔵庫から、母親が作っておいてくれたトマトソースのドリアめいたものを取り出し、電子レンジに突っ込んだ。温めているあいだにベランダに向かい、吊るされているタオルや肌着類を室内に取り込んでいき、そのあと台所に戻ると今度は豆腐を冷蔵庫から取り出し、封を切って一旦手の上に移し、容器を逆さにして水を落とすと、右掌の上の豆腐を容器のなかに戻した。それに鰹節を掛けて卓に運び、さらに醤油を掛けて食っていると、電子レンジが鳴ったので台所に移ってドリアを取り出してきた。新聞一面を瞥見しながらものを食い、台所に皿と箸を放置しておくと、居間の隅、ソファの裏側――そこはベランダに続く戸の前でもある――に位置を移して、タオルを畳みはじめた。バスタオルとフェイスタオルとともに畳んでおき、洗面所に運んでおくと下階に下りて、洗面所で歯ブラシを取った。自室に入るとcero "POLY LIFE MULTI SOUL"を流し、歯磨きをして口を濯いできたのち、ワイシャツを身に纏い、スラックスも履いた。ワイシャツはもう捨ててしまおうかと思っていた柔らかい素材のものを、先日一枚シャツを駄目にしてしまったからその代わりとして復活させたもの、スラックスは昨日と同じだが父親から借りている高島屋のちょっと緩いやつである。クラッチバッグに財布と携帯を収め、ポケットにはSUICAや鍵などを入れると、日記を書きはじめた。時刻は四時五三分だった。そこからちょうど一五分でここまで書き足すことが出来た。今日は電車で出勤するつもりである。
 日記を書き足し終えると、クラッチバッグを持って上階に行った。そうして出発。玄関をくぐってポストに近寄り、郵便物を取って戻り、玄関内の台の上に置いておく。そうしてふたたび外に出て、鍵を掛けると道を歩きはじめた。どうも雨の匂いがするな、と思った。風が湧いて、林の木々もひっきりなしにざわざわ鳴っている。道を西に歩いていくと、路上の空中に張り出した木の枝葉も下から風に押されて頭上で蠢いている。そのうちに雨が来そうだと思われたが、傘は持たなかった――帰りは降ったら降ったで構うまいと払ったのだ。
 木の間の坂道は既に幾分薄暗く、電灯が早くも灯っているが、足もとに定かな影を浮かべるほどにはまだ光は際立っていない。坂を上っていき、最寄り駅に着くとホームの先に移動して手帳を取り出した。そこに記された文言を読んでいるうちに電車がやって来たので乗り、扉際で引き続き手帳を読んで、青梅駅に着くと降車した。階段を下り、通路を辿って改札前まで来ると、くぐり抜ける前に精算機に寄ってSUICAを挿入した。五〇〇〇円をチャージしておき、財布をバッグのなかに仕舞うとカードと領収書を受け取って、そうして改札を抜けて職場に向かった。
 今日は室長も(……)さんも不在である。職場に入ると(……)先生が近づいてきて、今日はちょっとやばくてですね、と言ってみせた。四対一をこなすようだと言う。了承し、電車で早めに来て良かったなと思った。中三生の数学に当たっていたので、準備時間のあいだにワークを参照して、二次方程式の解の公式だとか平方完成を利用した解き方だとかを確認した。
 そうして授業。一時限目は四人が相手――(……)さん(中三・英語)、(……)くん(中三・社会)、(……)くん(中一・英語)、(……)くん(中三・数学)である。四人相手のわりには結構健闘した方ではないだろうか。ノートも皆、比較的充実させることが出来たと思う。(……)さんは以前勤めていた時からの生徒で、正直なところ全然出来ないという印象を持っていたのだが、今日扱った現在完了のまとめ問題は、時間は相応に掛かっていたものの、問題なく解けていた。現在完了の形や単語など質問をしてみても、充分に答えられていた――その一方でleave・leftの意味がわからなかったりと、危ういところもあったけれど。(……)くんは初顔合わせ。数学は最初に平方根を利用した二次方程式の解き方の確認テストを実施させた。何度か手が止まっていたのでそのあたりは手伝い、正答にまで導いた。その後、解の公式を利用した解き方を扱ったが、こちらは解説を読みながら自分で解き進められていた。実力はおそらくそこそこといったところだろう。
 二時限目は(……)くん(中三・英語)、(……)くん(中三・英語)、(……)さん(中三・社会)。(……)くんは一時限目から引き続き、今度は英語である。英語の方もわりあいに飲み込みは良いように思われ、基本的な問題のレベルであれば解説を見ながら自分で解けていた。現在完了の確認に、call AB/make AB、It is ~ for A to doの形と、結構広い範囲を扱うことが出来た。ノートもかなり充実。(……)くんはワークを忘れていたので、持っていた補助教材を使って現在完了のまとめを扱った。並べ替えは問題なく出来ていたが、その前の基本レベルの問題を間違えていたのでうーんという感じ。一応間違えた文に関しては練習させ、ノートにも書かせた。大人しく、自信なさげな素振りの目立つ子である。(……)さんは初めて当たる生徒だったが、こちらも大人しい女子で、ノートはたくさん書いてくれたのだけれど、最後にあまりよくわからなかったと漏らしていたのが気に掛かる。物覚えはそれほど良い方ではないかもしれない。一度解説した事柄をちょっと経ってから確認してみても、忘れてしまっていたのだ。扱ったのは一次大戦のあたり。ロシア革命社会主義、ほか、五・四運動や三・一独立運動の区別などについて解説。
 そんな感じで終了。早々と退勤して駅に入った。予想に反して雨は降っていなかったが、この翌日の朝には烈しく降ることになる。奥多摩行きに乗り、最後尾の席に就いて、クラッチバッグを隣席に置き、手帳を取り出して眺めた。電車は五分ほど遅れて発車した。手帳があるのでそのあいだの待ち時間も苦にはならない。最寄り駅に着くと駅舎を抜け、横断歩道を渡って坂道に入った。空は雲混じりで、星は僅かに光っていた。
 帰宅すると母親は風呂に入っているところだった。父親は飲み会か何からしく、まだ帰っていない。下階に下りて服を着替えると、上階に戻って食事。茄子とえんどう豆を炒めたものがあった。さらに、コップに氷を入れようと冷凍庫を開けると冷凍の唐揚げがあったので、それを三つ皿に取り出して電子レンジに突っ込んだ。そのほか米やスープやサニー・レタスのサラダなど。自室から手帳を持ってきて、新聞は読まずに手帳の方に目を落としながらものを食べた。母親が出てくると、モナカアイスを買ってあると言うので、デザートにそのバニラのモナカを頂き、食器を洗ってから入れ替わりに風呂に行った。風呂のなかでは瞑想めいてじっと静止しながら目を閉じて浸かり、出てくると手帳を持って自室に帰った。そうして一〇時四八分からMさんのブログを読んだ。四日分。そのほか、「歌人の思考回路。九螺ささらさん、短歌で哲学するとはどういうことでしょうか?(前編)」(https://www.kateigaho.com/migaku/44096/)、「<沖縄基地の虚実1>主役は海・空軍 海賊脅威、日本周辺になし」(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-244818.html)と記事を読み、手帳にメモも取って零時。インターネットを閲覧し、零時半前からコンピューターをスリープ状態にして、ベッドに移って『石原吉郎詩集』を読み出した。三時前まで読み進めて就寝。


・作文
 12:29 - 13:56 = 1時間27分
 16:53 - 17:09 = 16分
 計: 1時間43分

・読書
 14:20 - 16:07 = (1時間引いて)47分
 22:48 - 24:01 = 1時間13分
 24:23 - 26:55 = 2時間32分
 計: 4時間32分

  • 『石原吉郎詩集』: 75 - 136
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-06-13「さえずりを降らせて伸びる街路樹の木漏れ日の中おれはお前を」; 2019-06-14「重力を恩寵とせよ巣立ち雛」; 2019-06-15「輪郭を忘れたわたしの緯度と名前を忘れたあなたの経度」; 2019-06-16「命名の儀式を経ずに呼びかけるこんな気持ちをどうすればいい」
  • 歌人の思考回路。九螺ささらさん、短歌で哲学するとはどういうことでしょうか?(前編)」(https://www.kateigaho.com/migaku/44096/
  • 「<沖縄基地の虚実1>主役は海・空軍 海賊脅威、日本周辺になし」(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-244818.html

・睡眠
 3:25 - 11:40 = 8時間15分

・音楽