2019/6/25, Tue.

 小林 「うつす」ということをさっき言いましたよね。もし日本文化のキーワードの動詞をもうひとつ挙げるとすると、それは、――わたしの先生でもあった建築家の横山正さんから学んだことですが――「よる」かなあ。「寄る」であり「依る」であり。インティマシーとも深く関係していますけど、これは、すでにあるものに「寄って行く」ということ。たとえば、日本の仏教や神道もそうですけど、山に寄って行く。「ナントカ山ナントカ寺」という形ですね。これは中国の五台山とかから発した伝統なのかもしれませんが、比叡山延暦寺高野山金剛峯寺とか。これらはほんとうに山ですけど、山がないところでも「山」がつきますね、「名」としてですが。この「山」は、日本における「自然」のあり方の原型ですよね。山と海。この間にわれわれが住んでいる。「天」と「地」というよりは、むしろ「山」と「海」、山海なんですよね。そのあいだに、春夏秋冬の時間が循環的に回帰してくる、そういう感覚が、この国の身体感覚としては一番ナチュラルな[﹅6]感じですよね。それに対して、中国から入ってくる碁盤の目のような幾何学的空間構成は、まさにインテグリティー的構成なわけですが、これをこの「山海」の時空に導入すると、結局は、そこにある「山」の重力に引き寄せられ、そのインテグリティー構造が少しずつ崩れていく。そして、その「崩れ」に、われわれ日本人はある種の「美」を見出したりするんですね。
 (小林康夫・中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、34~35)

     *

 小林 物語というのは、まさに「物」が動いたことを伝えるわけでしょう。ヒューマンストーリーを語ることとは全然違っていて。
 中島 違う。全然違うんです。
 小林 今昔物語だってなんだってはっきりしていますが、なにかが動いた[﹅3]よね、そういうことですよね。最初にお話ししたわたし自身のインドの経験じゃないけれども、なにかが動いてしまったと、これですよね。これが原形。わからないわけですよ。つまり、人間の「心」のロジックでは解けないものが、人間の周りにたくさんあって、それが動いた、それを語らなければならない。人間の心は、歌にして歌いあげておけばいいんで、語らなくてもいい。「わたしはあなたに会いたい」と言えばいいんだから。でも、「物」は、それがどのような言語形式に適合するのかわからないんですよね。だから、こちらから見える形を語るしかない。
 (39~40)


 一〇時頃から意識は覚醒していたのだが、起き上がれずに一一時を迎えたところで、携帯にメールが入ってその振動音が響き渡ったのを機に寝床を離れることが出来た。メールは母親からのもので、洗濯機の周りにあるパジャマを干してくれとのことだった。彼女は着物リメイクの仕事に出ていたのだが、陽が出てきたのでそのように連絡してきたのだろう。上階に行くとその言に従ってまず洗面所に入り、濡れた寝間着を持ってベランダの方に行った。パジャマだけではなく、その他の洗濯物も室内に入れられているものが多かったので、外に出して干しておき、それから洗面所にふたたび入って櫛付きドライヤーで髪を整えた。そうして冷蔵庫に寄り、パックに押し込まれたうどんと、スチーム・ケースに入った温野菜――そのなかにはまた、たれを絡められた冷凍の唐揚げも含まれていた――を取り出し、温野菜は電子レンジで二分強、加熱した。麺つゆを用意して温野菜を温めているあいだにうどんを食い、電子レンジが鳴りを立てると温野菜も取ってきて、新聞の国際面を読みながら食べた。記事のなかには、香港の抗議活動を受けて、台湾の方では民主党蔡英文総統の支持率が持ち直してきているという報告があった。そのほか、イスタンブール市長選挙で野党候補が勝ったとの知らせも――エルドアン大統領の強権体制というのは、結構盤石と言うか、強権であっても支持する国民が多いような印象を持っていたのだが――数年前の「クーデター」の際など、事件を受けて大統領が、民衆に身を護るように伝えるのかと思いきや、外に出て反対派に対抗するように呼びかけ、実際に群衆たちは反対派と抗争して勝利したのだった。戦車の上に民衆が乗って鬨を上げている写真が新聞に載っていたのを覚えている――必ずしもそういうわけでもないらしい。ものを食ったあとは皿を洗い、抗鬱剤を服用して、風呂も洗ってからこの日はすぐに下階に下りるのではなく、アイロン掛けも行った。母親のシャツと父親のズボンの皺を取り、それから自室に戻ってきてコンピューターを起動させ、FISHMANS『Oh! Mountain』をBGMに、まず日記を記すのではなくて「記憶」記事の音読をした。一項目一〇分ずつ、三つで三〇分を費やして情報を頭に入れ、そうして一二時四〇分頃から日記に取り掛かりはじめた。これがなかなか長くなって、BGMをSuchmos『THE KIDS』Richie Kotzen『Get Up』と移行させながら、二時間弱を費やしてようやく記述を現在時刻に追いつかせることが出来た。今日は三時限と長めの労働で、三時半には家を出なければならないので、もうあまり猶予がない。
 前日の記事をブログに投稿する。一つ一つ地道に名前を検閲したり、Amazonへのリンクを仕込んだりしていくので、これも思いのほかに時間が掛かるものだ。 ものんくる『RELOADING CITY』の流れるなかでその地道な作業をこなし、Twitterに投稿通知を流すとともにnoteにも記事を発表したあと、食事を取るために上階に行った。先ほど食ったうどんが少々残っていたのでそれを冷蔵庫から取り出し、加えて小さな木綿豆腐も用意した。椀に麺つゆを作り、卓に就くと、パックのなかに押し込まれてくっついたうどんを箸と手で剝がしながらつゆのなかに浸けて啜った。うどんを食ってしまうと豆腐も細かく千切って麺つゆに浸けながら食べ、食事を終えると台所に行って豆腐の容器を始末し、パックと箸を洗った。それからベランダに寄って洗濯物を取り込む。吊るされているものを一つずつ室内に収めていき、そのなかからタオルを取って畳むと洗面所に運んでおいて、さらに肌着の上下と靴下を折り畳んでソファの背の上に乗せておいた。あとの洗濯物は帰宅後の母親に任せることにして、ワイシャツを持って下階に戻ると、時刻は三時一〇分頃だったと思う。ものんくる "アポロ"――ポルノグラフィティの曲のカバーだ――の流れるなかでワイシャツを身につけて仕事着に着替え、それから歯ブラシを取りに洗面所に行くと、シャツの下の黒い肌着が首もとから覗いているのがいかにも野暮ったくダサかったので、第一ボタンを留めて内側を隠した。そうして歯磨きをすると音楽を止めてコンピューターをスリープさせ、クラッチバッグを持って上階に行った。黒地に細かなドット模様の入った靴下を履き、便所に行って糞を垂れると出発である。
 玄関を抜けるとちょうど家の前に新聞配達員のバイクが停まっていて、そこから降りた配達員が口笛を吹きながら意気揚々といった感じでポストに近づき、折り畳んだ夕刊を入れたので、その背に向けてご苦労さまですと掛けた。配達員が行ってしまったあとからポストの中身を取り出し、玄関の内の台の上に置いておくと、道に出て歩きはじめた。坂道に入った頃合いではなかなか涼しく爽やかな気候のように思われたが、これは歩きだしてまだまもなく身体が熱を帯びていなかったためで、のちには肌を汗でじっとりと湿らせることになる。平らな道に出ると、T田さんの宅の前の、丸々と膨らみ鮮やかに咲き誇った赤紫の、あるいはピンク色の紫陽花を横目に見て過ぎながら街道に向かった。
 街道に出た頃には既に、第一ボタンによって閉ざされた首筋に汗を帯びていたと思う。車道には影も、電線のか細く頼りないそれを除けばまったく差し挟まれず、全面にひらいた乾いた暖色の日向によって日蔭は駆逐されている。歩いていると通りの向かいに、例の、キャリーバッグを運び歩きながらいつも大きな声で独り言を放っている老婆の姿があるのに気がついた。今日もピンク色のキャリーケースを伴っていたが、今は立ち止まって道端の段に腰を下ろし、ハンカチか何かで顔の周りや腕などを拭いていた。珍しく、独り言を呟いていなかったが、さすがに四六時中喚き立てているわけでもないのだろう――と思って過ぎるとしかし、背後から何やら口にしているのが聞こえてきた。
 老人ホームの角を曲がって裏通りに入り、下校する男子高校生らがぶらぶらとした調子で駅へと向かっているなかをこちらも黙々と歩く。風は乏しく、裏通りもまた暑かった。白猫が今日も家の前に佇んでいたので、例によって近寄り、猫の前にしゃがみこんでその体を撫でてやったり、首もとをくすぐるようにしてさすってやったりした。戯れているあいだ、高校生らが周囲を通り過ぎていくのだが、動物と触れ合って優しい気持ちになっているとはいえ外面は無表情で、あるいは仏頂面で黙々と猫を可愛がっているのを見られるのに、多少の気恥ずかしさを覚えないでもない。それで二、三分すると立ち上がって別れを告げ、道の先を進んだ。
 職場に着くとこんにちはと挨拶しながらなかに入り、座席表に寄った。三時限だと思っていたが、二時限分しか自分の名が書かれていなかったので、今日、僕、二コマですか、三コマだと思っていましたと室長に告げた。室長は何とか言っていたが、まあ二コマで全然構わないんですけどねとこちらが笑って話は落着き、それから奥のスペースに入ってロッカーに荷物を入れ、授業準備を始めた。
 一時限目の相手は全員小学生、(……)さん(小四・国語)、(……)くん(小四・国算)、(……)さん(小五・国算)である。(……)さんは初顔合わせだった。身体の小さくてまだまだあどけない、実に大人しそうな女児である――我が職場の生徒というのは、大人しそうな子どもが多くて、際立って威勢の良い生徒は今の所あまり見かけていない。何年も前はもっとうるさいような生徒もいたのだが、さほど騒がしくないのはやりやすくて良い。(……)さんは今日は漢字問題ばかりを扱うことになったが、漢字はきちんと学び覚えられているようで、ミスはなかったと思う。ノートには与謝蕪村の俳句とその説明を書いてもらった。
 (……)姉弟の方は、そんなに騒ぐわけではないのだが、絵を描いていたり、何か手慰みをしていたりしてなかなか勉強を進めてくれないのが困りどころである。さらに、(……)くんなどは、ほかの子のところに行こうとすると、なんで行っちゃうのと言ってこちらを引き止めたりするし、(……)さんもたびたびこちらを呼んできて雑談をしたりするしで、ある種中学生よりも小学生を相手にする方が疲れるかもしれない。勉強を教えると言うよりは、子守をしているような感覚である。
 二時限目の相手は、(……)くん(小六・国語)、(……)さん(中三・英語)、(……)さん(中三・英語)だった。このコマはやや失敗である。英語の授業ではタブレットを用いたリスニングを毎回扱わなくてはいけないのだが、(……)さんのそれが出来なかったのだ。先にワークの問題をやらせていたのだが、思ったよりもそれに時間が掛かってしまい、さらに英文を書く練習などをさせているうちに、リスニングを扱う時間がなくなってしまったのだった。どうもうまく授業を組み立てられなかったのは、一時限目の弛緩した雰囲気を引きずっていたというようなことももしかしたらあったのかもしれない。またほかにも、あれは多分ヘルプとして呼ばれた講師だと思うが、その女性講師が途中で、(……)くんが来ていないのだがと言って相談を持ちかけてきて、その対応に追われたという事情もあった。室長は面談中だったので、こちらが電話を掛けて連絡したのだが、(……)くんは増加授業を入れたのを忘れていたあるいは勘違いしていたらしい。中三生の方は、(……)さん、(……)さん双方とも、まとめ問題を一頁扱っただけで終わってしまった。もう少し細かいところを詰めたかったし、ノートに関して言えば前回の復習のみならず、以前こちらが当たった授業の復習もしたかったのだが、それは出来なかった。(……)くんの国語に関しては授業前に本文を読んで予習しておいたので、なかなかうまく展開できたのではないかと思う。
 授業を終えて退勤した。電車まで二分ほどしかなかったので、小走りになって急いで駅に入り、さらに改札に向かう人々が逆流してくるなか、通路の端をやはり小走りになって通り抜け、階段を上がるともう発車ベルを押している駅員に向かって手を挙げて会釈し、奥多摩行きの最後尾に乗り込んだ。そうして最寄り駅に着くまでのあいだ、何をするでもなく、手帳も見ずに、夜を背景にして自分の姿が映り込んでいる扉を前にしながら立ち尽くしていた。最寄りに着くと降り、通路を抜けていくのだが、その間、頭上の蛍光灯に群がる細かな羽虫が目の前を飛び回り、時折り顔に当たってくるので手を振りながら階段を下りた。横断歩道を渡ると自販機に寄って、コカ・コーラ・ゼロを一本買った。それをクラッチバッグに入れ、今日も駅正面の坂に入るのではなくて、流れていく車の、放射状に光線を放って皓々と明るんだ二つ目を見ながら東に向かい、肉屋の横から林のなかの暗い坂道を下った。蛇でも出てきやしないだろうなと思うような草の繁茂ぶりだった。
 そうして帰宅すると母親に挨拶し、コーラを冷蔵庫に入れておいて、暑い暑いと言いながらワイシャツを脱いで洗面所の籠に収めておくと、下階に下りた。ハーフ・パンツ姿に服を着替えて上階に行き、食事である。メニューは何だったか――米があり、おかずは何だったか――鮭ではない――茄子だ。炒めた茄子に鰹節を掛けたのに、さらに醤油を垂らしておかずにしながら米を食った。スープは確か、前日のクラムチャウダーの残りがあったのではなかったかと思う。サラダに関しては覚えていない。いや、シーチキンの混ざったサラダを食ったような気もする。それにしても、僅か一日前の食事をこうも覚えていないとは! テレビ番組の方は覚えていて、リリー・フランキーと、あれは池田エライザというモデルの人だと思うが、その女性がMCを務める音楽番組に、徳永英明持田香織が出演してそれぞれ歌を歌っていた。持田香織は若々しかった。もう四〇は越えていると思うのだが、リリー・フランキーも言っていた通り、あたかも昔よりも若くなっているかのような外見だった。
 食事後、母親がポテトチップスを食べようと言ってスナック菓子を取り出してきたので、「STRONG」とパッケージに記されたサワー・クリーム風味のそれを頂いた。父親が帰ってきたのはその頃だったか、それとも皿を洗い終えてからのことだったか、ともかくも帰ってきた父親よりも先にこちらが入浴に行った。浸かって、両手で湯を掬ってばしゃばしゃと顔を洗っていると、父親が浴室の外から声を掛けてきて、悪いけれどちょっと早めに出てくれと言うものだから、了承してすぐに湯船から出て、頭を洗いはじめた。そうしてさっさと上がると髪を乾かし、パンツ一丁で居間に出て、両親にはい、お先にと告げて階段を下りた。書抜きを始める九時二五分までのあいだに何をしていたのかは覚えていない。多分インターネットを回っていたのだと思う。九時二五分から、Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introduction、続いて東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方1 心と存在』の書抜きを行った。BGMに流したのは、Suchmos『THE ASHTRAY』だった。「「人間とはなにか?」――古いふるい問いである。人間はいつでも「人間とはなにか?」と問うてきた。だから、「人間とはなにか?」という問いへのもっともシンプルな(?)答えは、「人間とは『人間とは何か?』と問うことをやめない存在である」ということになるかもしれない」という小林康夫のちょっと気の利いたような定式を、Twitterの方に投稿しておいた。そうして一時間一七分が過ぎたあと、今度は亀井俊介編『対訳 ディキンソン詩集 ――アメリカ詩人選(3)――』のメモを手帳に取りはじめた。「わたしは誰でもない人! あなたは誰?」という詩に表明されている無名性への欲望には多少共感しないこともない。「まっぴらね――誰かである――なんてこと!」とディキンソンは言明し、この「誰か」="Somebody"は、「ひとかどの人物」というような意味を含んでいると思われるのだが、こちらとしては、この自分自身であるということの重みや貧しさに引きつけて考えたいような気がする。「誰かである」ことが「まっぴら」であるのと同様に、「自分である」ということもまた時にうんざりするような桎梏となるものだ。しかし誰も、自分自身であることから逃れることは出来ない。しかし時に、ほんの一瞬だけであっても、その自分自身であることの重みや貧しさから離脱できる瞬間というものがこの世にはあるのではないか。その時人は、自分でないという意味で誰でもない存在、"Nobody"になっているのかもしれない。

 わたしは誰でもない人! あなたは誰?
 あなたも――また――誰でもない人?
 それならわたし達お似合いね?
 だまってて! ばれちゃうわ――いいこと!

 まっぴらね――誰かである――なんてこと!
 ひと騒がせね――蛙のように――
 聞きほれてくれる沼地に向かって――六月じゅう――
 自分の名前を唱えるなんて!

 I'm Nobody! Who are you?
 Are you ― Nobody ― Too?
 Then there's a pair of us?
 Don't tell! they'd advertise ― you know!

 How dreary ― to be ― Somebody!
 How public ― like a Frog ―
 To tell one's name ― the livelong June
 To an admiring Bog!

 (亀井俊介編『対訳 ディキンソン詩集 ――アメリカ詩人選(3)――』岩波文庫、一九九八年、84~85)

 また、「真実をそっくり語りなさい、しかし斜めに語りなさい――」(159)という一節はアフォリズムとして気が利いているように思われた。『ディキンソン詩集』から詩句を手帳に引いているあいだ、最後の方ではSkypeのチャット上でYさんとやりとりを交わしていた。音楽はOmer Avital『Qantar』に移行させ、その途中で作業を終えたので、インターネットを回ってからコンピューターをシャットダウンし、零時半から読書に入った。細見和之『石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』である。『サンチョ・パンサの帰郷』の詩群を、作成年代と結びつけて三層に分類して秩序付ける著者の分析はなかなか明快なものだと思う。そのうちの第三の層は、細見の解釈では、「漢字・漢語のアレゴリーとしての作品」、「条件」や「納得」といった漢語の内在的展開のなかにシベリア抑留体験が表出されたものだと言う。それを細見は、「それらの漢字・漢語こそが石原吉郎のシベリア体験の記憶の主体だった」のだと比喩的に定式化しているのだが、こうした言明の意味の内実はこちらには深いところまでは腑に落ちてこないものの、石原の難解な詩に一つの明確な解釈の枠組みを与えた、面白く優れた読解ではないかと思う。ともかく、「条件」や「納得」といった例の意味=シニフィエの不明瞭な作品に関しては、細見も、「散文によるパラフレーズは文字どおり不可能だと思われる」、「背後に具体的な場面はいっさい存在しないだろう」、「いったいどういう意味かと問われれば、誰しも答えに窮するのではないだろうか」と述べており、プロの批評家・詩人にとってもやはりそうなのだなということでこちらは安心した。言い換えれば、詩においてシニフィエというものはあくまで構成要素の一つに過ぎないと言うか、シニフィエに還元されない詩の魅力といったものが存在するのだ。
 また、途中で石原と同じくシベリア抑留の体験者である鳴海英吉の、『ナホトカ集結地にて』という詩集の内の一篇、「列」という詩が引かれている。これを内村剛介という論者が『失語と断念』のなかで、石原の「脱走」と比較して、石原の作品は「ウソ」で鳴海の詩は「ホント」であると断言し、石原を断罪しているらしいのだが、この鳴海の詩篇も優れた、実に生々しく鮮烈で、おぞましく酷薄な詩であるように思われるので、ここに引用しておきたい。

  列

 ふりむくな と言われ
 おれは思わず ふりかえってみた
 
 砲撃でくずれ果てた町があった
 まず くすみ切って煙が上っていた
 くねった電柱があって黒い燃えカスだった
 黄色のズボンを下げた兵士が
 むき出した二本の足をかかえていた
 桃色のきれと 血を啜う黒い蠅が見え
 死んで捨てられた もの たちが見えた

 兵士の口のまわりには
 米粒が蛆色をして乾き 干し上り
 めくれあがった背中の大きな傷口に
 もぞもぞと動いている蠅
 おれは断定した
 あいつも飢えていたのだ
 おまえもおれも乾ききっていたのだ

 くだかれたコンクリートのさけ目だけが
 さらさらと白い粉末のようなものを流し
 果てしなく 乾いて そのまま流れつづける
 あれは女ではない
 おまえのかかえ上げたものは
 砲撃で焼かれつづけたさけ目[﹅3]
 しわしわと 死んでも立っているものを
 美しいと おれは凝視しつづけていた

 ふりかえるな 列を乱すものは射殺する
 おれは罵倒するソ聯兵の叫びが
 こんなにも無意味だと知ったとき
 おれの眉毛が 突然せせら笑う
 いつもお前の言い分は 列を乱すなである
 おれの眉毛の上に 八月のような
 熱い銃口があった
 整列せよ まっすぐ黙ってあるけ
 (鳴海英吉「列」; 細見和之『石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』中央公論新社、二〇一五年、213~215より)

 細見和之の本を三時二〇分まで読んだところで、読書に切りをつけて床に就いた。この夜も目が冴えていて眠れないような予感があった。しかしともかく一時間は寝床で待機してみようと考え、明日日記を書く時の助けにするために、まだ記していない時間のことを一つ一つ思い出していったのだが、想起しているうちにたびたび思考は明後日の方向にずれていってしまうのだった。三〇分後、三時五〇分の時計を見たのを朧気に覚えている。それから何とか寝付けたようだ。


・作文
 12:42 - 14:36 = 1時間54分

・読書
 12:05 - 12:35 = 30分
 21:25 - 22:42 = 1時間17分
 22:48 - 23:58 = 1時間10分
 24:31 - 27:20 = 2時間49分
 計: 5時間46分

・睡眠
 3:30 - 11:00 = 7時間30分

・音楽